比翼の鳥は碧に恋う
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ーー序
教室の天井に『何か』が貼り付いていた。
それは巨大な生き物だった。
突然、その生き物の大きな口が、ガッと開かれ、その中に尖った歯と舌とが見えたーー次の瞬間、
極短い悲鳴が聞こえた。
肉を食み、骨を砕く音が教室の中に響き、最後に女生徒の足が生き物の口の中へと消えていった。
生き物が食べ損ねた女生徒の草履が、バタンと床へ落ちる音がいやに響いた。
「……鬼……」
これまでの悍ましい光景を目のあたりにしてかすみはそう思った。
言葉は知らず口から零れていた。
鬼の真っ赤な瞳が此方を向く。
ーー逃げなきゃ。
だが、足が竦んで動けなかった。
鬼が椅子や机を撒き散らしながら床へと着地する。
そのまま四つん這いの姿勢で床を這って此方へと迫ってくる。
目の前の獲物を喰らうために。
かすみの瞳が恐怖で大きく見開かれた。
ーー次の瞬間、
「きゃっ」
誰かに突きとばされ、かすみは床へ倒れ込んだ。
ザンッ!
肉を切り裂く鋭い音がした。
咄嗟に振り返ると、視界に映るのは黒い服に身を包んだ少年の背中とーー
月灯りを弾いて毛先が淡い碧色に透ける長い黒髪。
あぁ……、なんて綺麗なんだろう。
かすみは思わず目を細めて見惚れていた。
しかし程なくして漂ってきた肉の焦げる嫌な臭いに現実に引き戻された。
少年は刀に付着した血を振り払うと、此方を向いた。
「怪我はない?」
少年は綺麗な顔立ちをしていた。
ゆったりとした黒ずくめの服装とキメの細かい白い肌とのコントラストが、その美貌も相俟って、まるで出来すぎた人形のようにも見える。
「大丈夫。助けてくれて有り難う」
「仕事だから」
「あ……」
「?」
「怪我してる」
「少し掠っただけだよ。この程度の傷、大した事……」
手の甲にごく浅い傷があった。少年は今気付いたようだった。
かすみは袂からハンカチを取り出すと、彼の手に巻いてあげたのだった。
「これで大丈夫。帰ったら、ちゃんと消毒してね?」
微笑み掛けると、彼はその瞳でじっと此方を見つめーーやがて視線を逸してしまった。
女学校を辞める事になった。父親の命令だった。
代わりに明日、見合いをする事が決まっている。
家に帰りたくない……。
かすみは古びた神社の社の小さな階段に腰掛けて、ひとり重い溜息を吐いた。
「でも、いい加減帰らなきゃ……」
呟いて立ち上がった頃には、すっかり陽が沈んでいた。
怒られるだろうな……と、苦笑していると、背後で何かが動く気配がした。
「え?」
振り返ると、鬼が背後で大きな口を広げていた。
かすみが叫ぼうと口を開いた、次の瞬間。
光の線が真横に走り、鬼の頭が綺麗に胴から分かれてそれぞれが重たい音を立てて崩れていった。
その向こうにはーー
「あ……」
以前も鬼から命を救ってくれた、あの少年が、静かに佇んでいた。
「貴方は、あの時の……」
「よく襲われるね」
「ごめんなさい」
「夜は出歩かない方がいいよ。自殺願望でもあるなら話は別だけど」
「そんなもの、あるわけないでしょ!……でも」
「?」
「あの時は……今も、有り難う」
「…………。帰りたくない訳でもあるの?」
「え?」
「随分暗い顔をしてるから」
「聴いてくれるの?」
「いいよ。今日は非番だから」
「有り難う」
それから二人、社の階段に腰掛けてかすみは色々な事を話した。
女学校を辞める事、厳格な父には決して逆らえない事。
それからーー
「……明日、お見合いするの」
「! ……ふぅん」
その瞬間、彼の声音がワントーン低くなるが、かすみは気付かない。
「ふふ」
「何が可笑しいの」
「だって、可笑しいじゃない。会ったばかりの……名前も知らない相手にこんな事まで話すなんて」
「時透無一郎」
「え?」
「僕は無一郎だよ」
淡い碧色の瞳がじっと此方を見つめる。
待っているのだ。此方が名乗るのを。
「私は……かすみ」
「そう。かすみ」
「なに?」
「一応訊くけど、お見合いは気が進まないの?」
「え?」
「お見合い、嫌なの?」
「…………」
淡い碧色の瞳にかすみの顔が映り込む。
かすみはゆっくりと頷いた。
「分かった」
言うやいなや。無一郎はかすみをその肩に担ぎ上げた。
「えっ……!」
そのまま走り出す無一郎。
「どこ行く気!?」
「喋ってると舌を噛むから」
こうしてかすみは無一郎に連れ去られた。
ーーこれが、かすみと無一郎の始まりだった。