第五話 困惑
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初夏の早朝。澄んだ陽光が山際を照らし、樹々に落ちる灰色の影をゆっくりと引きずるように移動させていく。
空は徐々に蒼く澄み、白っぽい光を零す。
沙羅はその眩しさに瞳を細めた。
「本当に起きて大丈夫なのですか?」
険しい山中を物ともせず、涼しい顔で前を歩く師を心配して沙羅が問いかけた。
「この程度の傷で何日も寝込むほどヤワじゃないよ」
足を止める事なく無一郎はそう言うが、傷を縫合して僅か二日後の事である。
本当に大丈夫なのだろうか。やせ我慢だったらどうしよう。
この人そういう所あるからなぁ……と、ぼんやり思っていると。
「帰る前に一つ、はっきりさせておきたいんだけど」
と、前置きをして無一郎が足を止めた。
沙羅が立ち止まると、肩越しに淡い碧色の瞳が此方を向いて。
「一昨日の接吻のこと……君はどう思ってるの?」
唐突に核心をつかれて、思わず噎せそうになったが、何とかポーカーフェイスを保った。
「いきなりですね」
「はっきりさせたいから」
・・
「いくら何でもそこまでは面倒見かねます」
「僕を何だと思ってるの」
“性欲処理”と書いて“そこ”と読む。ニュアンスは伝わったらしく無一郎は無表情ながらうっすら不満げだ。
「君の事が好きだからしたんだよ。それだけは、理解して」
「と、言われましても。特に好かれるような事をした覚えはないのですが」
「…………」
「一緒に過ごした時間も短いですし」
「そうだね」
此方の言葉に無一郎はその長い睫毛をゆっくりと伏せた。
「僕も何で君なのかよく分からない。忠誠を誓うと言っていた割に全然言う事きかないし、突拍子もない行動も多いから、君には振り回されてばかりだけど……」
「それって寧ろ嫌いなのでは」
「それでも」
「!」
「君といると心が動く」
「え……」
「確かに、ここが、動くんだ……」
不意に手を取られ、そのまま無一郎の左胸へと押しあてられた。
隊服越しに伝わる鼓動は少しだけ速い気がした。
思わず手を引っ込める。無一郎はすんなりと放してくれた。
「君の意志を無視してしまった事は謝るよ。怖い思いをさせてごめん。本当は伝えるつもりはなかったし、我慢するつもりだったけど、……君が戻って来てくれた事が嬉しくて」
淡い碧色の瞳に沙羅の顔が映り込む。
「押さえられなくなったんだ」
無一郎のこの静かな告白を、沙羅はーー
地団駄を踏みたい気分で聞いていた。
貴方だよ!
他ならぬ貴方の為にこっちは色々と奮闘してるのだよ!
それを……っ
愛だとか、恋だとかっ
呑気か!!
無一郎の視線の先で、沙羅の瞳が徐々に血走っていく。
流石にこの異変を無一郎も感じ取ったようで、
「どうしたの?」
と尋ねてきた。
「……いいえ。何でもごさいません」
笑顔で答えるも、口元は思いきり引き攣ってしまっていた。
その様子を見詰めて、無一郎は一瞬、眉を顰めたが。
「まぁ無理強いするつもりはないから安心していいよ。……君がその気になるまでは待つから」
静かに言い置いて、踵を返すと何事もなかったかのようにまた歩き始めた。
え……?
それってつまり……結局選択肢無いやないかーい!
時間を掛けてでも応える一択やないかーい!
なんて強引な……。
スタスタと遠ざかる背中を暫く追う気にもなれず、沙羅はただあんぐりと間抜けな顔を晒しながら暫く眺めていた。