第七話 蝶屋敷
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「ーーーー」
病室の外、戸口の傍で全てを聴いていた無一郎は、結局病室を訪ねる事なく黙ってその場を後にした。
……何故だろう。かつての彼女の言葉を思い出した。
“知っていますか?悪意だけで人間は人間を殺せるんです”
“私はそういう世界を沢山見てきました”
その後は庭でひらりひらりと淡く舞う蝶の群れを何となく眺めていると、程なくして沙羅が現れた。
「師範……いらしてたんですか」
「君に妹がいたなんて、初耳だけど」
我ながら唐突だなと思いつつ気になって問わずにはいられなかった。
沙羅は驚いたように一瞬目を瞠り、しかしすぐさまいつもの冷静さを取り戻して、
「即興の作り話です。忘れて下さい」
踵を返してその場を立ち去ろうとした。
無一郎はすかさずその手を掴んで引き留める。
「憂いがあるのなら話してほしい。絶望があるのなら一緒に背負いたい」
真摯な眼差しで沙羅を見つめて、無一郎ははっきりと告げた。
「僕は君の事をもっと知りたい」
その瞬間蒼い瞳が見開かれ、潤んで揺れる。
だけど沙羅は何も言わず、ただ微笑んだ。
その笑顔が、泣き出しそうに見えたのは、気のせいではないだろう。
その笑顔があまりにも儚くて、切なくて、無一郎もまた言葉に詰まる。
結局その日はそれ以上二人が言葉を交わす事はなかった。
蝶屋敷で起きた殺人事件も終息し、沙羅が医学を学び始めて三週間ほどの月日が流れた。
晴れ渡った空が清々しい早朝の空気の中、蝶屋敷の門前で沙羅はしのぶと向き合っていた。
「よく頑張りましたね。貴女の学問や医療技術の吸収速度には本当に驚かされます」
柔らかい眼差しで沙羅を見つめてしのぶが微笑う。
「いえ、私が習得したのはまだ基礎部分に過ぎませんから」
「謙遜しなくていいのですよ。でも……そうですね。貴女には教えたい事がまだ沢山あります。これからも時々は
「はい」
沙羅はしのぶへ深々と頭を下げた。
「この度は急な申し出にも関わらず受け入れて下さり、有り難うございました。胡蝶様」
「いいえ、此方こそ貴女には感謝しています」
「え?」
思いがけないしのぶの言葉にきょとんと目を見開く沙羅を、微笑ましそうに見つめ、しのぶは言った。
「貴女はアオイの無実を、見事に証明してくれました。私だけではなく、蝶屋敷の誰もが貴女には感謝しているのですよ」
どこか居心地が悪そうに頬を赤らめてもじもじとする沙羅を見て、くすくすと上品にしのぶが笑う。
「医学の事に限らず、これからはいつでも蝶屋敷へ来て下さい。疲れてしまった時、挫けそうな時、いつでも」
「有り難うございます」
「貴女にこれを」
そう言ってしのぶが沙羅へ、小さな桐箱を差し出す。
戸惑いつつも受け取って、箱を開けるとそこには美しい蝶の髪飾りが収まっていた。
虹色に艶めく白い羽根を、淡いピンク色と蒼色のグラデーションが縁取っている。
「綺麗……」
思わず口に出して呟いて、
「有り難うございます。大切にします」
大切な宝物を扱うように桐箱をそっと胸に抱えた。