本編(改)【完】
Name change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
16.Build future with you(2)
──ォォオン……
ブォンブォォォ―――
誉は、柴田の運転する車に乗って広場の脇道まで来ていた。
辺りにはすっかり濃い夜空が広がっていて、広場に植わる木々の向こうからは、地響きのような特有の排気音が響いてくる。
「帰りはどうしますか?」
「真一郎先輩が送ってくれるから大丈夫」
「──11時までには帰るように」
「はぁい」
しっかり門限を指定された誉は、苦笑いで返事を返すと車を降りた。
──今日の夜風は少し肌寒い。顔を上げると、何十台ものバイクのヘッドライトが交錯し、物々しく辺りを照らしているのが見える。
誉は少しだけ緊張しつつ、およそ女子高生には似合わない物騒な待ち合わせ場所へと向かって歩き出した。
「──お、誉ちゃん!」
恐る恐るその輪に向かっていく誉に気づき、黒龍の面々が次々に出迎えた。
「今日は総長の晴れ舞台観に来たんだろ?」とか、「惚気話でもうお腹いっぱいなんだけど」とか、「今日も一発コール鳴らしとく?」とか──あっちからもこっちからも一斉に声をかけられる。
誉は慌てふためきながら、やっとのことで血気盛んな集団の波から抜け出した。
「よぉ、元気だったか?」
次に声をかけてきたのは明司だった。見知った顔に、誉はホッと胸をなで下ろす。
そこでふと、彼の手に握られている鮮やかな物体に目が留まった。それは、どう見ても場違いなほど色鮮やかな花束。
「明司さん、それ……」
「ああ、これか?走る前から後輩に押し付けられた」
「ええ……」
しかし、その花束はバイクで走り抜ける中飛ばされたのか、ところどころ花弁が散り茎が折れ曲がっている。
洋服選びに費やした時間はなんだったのか──誉は、一生懸命悩んだのがバカバカしくなってしまった。今のところ、想像していた厳かさなど微塵もない。
「だーれだ?」
その時、突然視界が暗転した。
背後から大きな手のひらで目を覆われている。
──こんないたずらを仕掛けてくる相手など、一人しかいない。
「なっ、なにしてるんですか……!?」
「ほら、誰だか当てねーとずっと見えないまんまだぞ?」
「し……真一郎先輩……」
「当たり♡」
視界が開けると、案の定、にこにこと嬉しそうな顔をした真一郎が覗き込んできた。
「恥ずかしいことしないでください! 人前で……っ」
「なんだよ、別にいいだろ? オレら付き合ってんだし」
顔を真っ赤にしながら睨みつける誉だったが、当の本人はどこ吹く風だ。
付き合っているから良いとか悪いとか、そういう話ではない。トレンディドラマじゃないんだから──。
しかし、そんな誉の無言の訴えは、言ったところで今の彼には1ミリも届きそうになかった。
「誉、今日はいつにも増して浮かれてる。諦めろ」
「……はい」
明司の冷静な言葉に、誉は諦めてため息をひとつ吐き出した。
特攻服を羽織りながら、楽しそうにメンバーと談笑している初代総長の姿に、誉はただ苦笑するしかなかった。
「──真、そろそろ締めようか」
「そーだな」
明司の声に短く応じ、真一郎がいつもの定位置へと上がった。
彼が皆の前に立つだけで、嫌でもその圧倒的な統率力を見せつけられてしまう。先程までお祭り騒ぎのように賑やかだった広場が一瞬で静まり返り、冷たい夜気が締まった。
「お前らに伝えたいことは今まで散々言ってきたからさ、今日は挨拶代わりにちょっとだけ好きなこと言わせてくれ」
夜風に煽られ、長ランの特攻服がはためく。
この場には到底似つかわしくないはずの夜の静寂が、今は妙に心地良く感じられた。それは、彼の存在そのものが抱かせる、不思議な期待感や安心感のようなものではないだろうかと誉は思った。
「なんか……羨ましいな」
「なにが?」
誉が小さく溢した独り言を、隣にいた明司が拾った。
「皆さんはずっと真一郎先輩のこと、こうやって近くで見てきたんだなーって思ったら……」
嫉妬というよりは、純粋な羨望の眼差しで並み居る男たちを見渡す誉。
そんな姿を見て、明司はふっと優しく笑みを零した。
「変な奴だな、これからはお前が一番近くでアイツを見ていくんだろ?」
「あ……明司さん……っ」
そういうことになるのだろうが、誉は自分がとんでもなく欲深い人間のような気がしてきた。
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしていると、明司はすべてを見透かしたようにニヤニヤと視線を送ってきた。
悔しいので何か言い返してやりたいところだったが、真一郎の大事な話を聴き逃すわけにはいかず、ぐっと口を引き結び、せめてもの反撃のつもりで明司を睨みつけるに留めた。
「今まではさ、オレのやりたいことやって、行きたいとこへ行って、自分の決めた道をナリフリ構わず突っ走ってきた。相棒のバイクにはハンドルなんかついて無ぇ、しっかり掴まんねーと振り落とされそうな跳ね馬で……別にブレーキなんてかける必要なかったから、それでよかった」
真一郎の声が、夜の広場にまっすぐに響く。
「──だけど、後ろに乗せたい女の子が現れた」
その言葉に、心臓が音を立てた。周囲の音が消え、ただ、目の前に立つ彼の声だけが誉の鼓膜の中で反響する。
「その子の行きたいところに連れて行ってやりたくてさ、無かったハンドルをつけて、オレにしがみつく様子が気になってミラーもつけた……笑顔が見たくて、守ってやりたくて、大切にしたいって心から思うようになった……そのことが引退を決めた理由じゃねぇけど、でも──これはオレの人生の最高の転機だと思ってる」
彼が紡ぐ優しい物語に、誉の胸が淡く震えた。
「……誉、こっち上がってきてくれ」
「……え?」
語りかける真一郎と視線が合って、誉は我に返る。その場にいる全員の視線が、一斉に誉へと集まった。
一瞬どうしようかと戸惑ったものの、傍にいた明司に背中を押される。
──真一郎が、呼んでいる。
こんな大勢の前にはもう二度と立ちたくない──かつてはそう思っていたはずなのに、不思議と今の彼の手招きに抵抗はなかった。誉はその愛しい呼声に誘われ、一歩を踏み出す。
目の前に差し出された大きな手を取ると、そのまま優しく抱き寄せられた。
「お前等に最後、オレの決意を宣言して引退する!」
真一郎は集団に向けてそう一言置くと、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
「これからは一生安全運転で、この子のこと幸せにするって決めた!!」
誉は弾かれたように真一郎を見上げた。そこにあったのは、初めて見る揺るぎない決意に満ちた『一人の男』の顔だった。
「お前等も、惚れた女が出来たら大ケガだけはすんなよ!!」
彼が最高の笑顔を向けた瞬間、広場が地鳴りのような歓声の渦に包まれた。拳を突き上げて激励し、涙を流し、この場に集う全員が初代総長の引退を惜しんでいる。
──この人は、こんなにもたくさんの人に愛されている。
そんな素敵な人に選んでもらえたことが、心から嬉しかった。誉は改めて込み上げる愛おしさに胸を熱くしながら、彼の肩口にそっと頭を預けた。
相当走ってきたのだろう。彼の特攻服は少し埃っぽくて、だけど驚くほど温かくて、大好きな香りが強く鼻腔を満たした。
「先輩……ありがとうございます」
「じゃ、ちゅーでもしとく?」
「えっ!?」
余韻を台無しにするセリフに、誉が思わず身体を離そうとした時には、既に真一郎の顔が目の前まで迫って来ていた。
「やっ、待って、こんなとこじゃいやーっ!」
「照れんなって!これは誓いのキッスだ!」
「きゃーっ!」
半分力づくで迫る真一郎の姿を見て、すかさず男たちは野太い声で囃し立て始める。
「いいぞー!総長もっとやれー!」
「「「キース♡キース♡!」」」
「ちょ、やめてくださいーっ!」
あちこちから飛んでくるヤジと手拍子に、最後は誉が根負けする形となった。真一郎が誉の柔らかいほっぺに思い切り「ちゅー」と音を立てて唇を寄せた瞬間、今日一番の、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。
──こうして、真一郎たちの引退式はお開きとなったのだった。
***
──数年後。
「こんにちは」
暖かな陽気の昼下がり。誉は、花のアレンジメントバスケットを手に店の戸をくぐった。足を踏み入れれば、ずらりと並んだピカピカのバイクたちに出迎えられる。
ビールケースを逆さにした即席の腰掛けに座り、奥のスペースで熱心に作業をしていた男──真一郎が、待ってましたと言わんばかりにこちらを振り返った。
「よぉ、早かったな」
真一郎は、この場所に念願のバイクショップをオープンさせていた。咥えていたタバコを灰皿へぐっと押し付けると、嬉しそうに歩み寄ってくる。
「全然やめる気ないんですね、タバコ」
「ん? 前より本数減らしたぞ、これでも」
心配しているというのに、一向に言うことを聞かない恋人。呆れ顔で抗議した誉は、彼の横をすり抜けて奥のカウンターの上にバスケットを置いた。
「これは、わたしとこずえちゃんと沖田先輩からのお祝いです」
「へぇ、ありがてぇ! あの二人、元気にしてんの?」
「はい、こずえちゃんは芸大でデザイナーの勉強を頑張ってますよ。沖田先輩はライブハウスで仕事しながら、インディーズバンドを組んで活動を始めたって。二人とも、今度お店へ遊びに行くって言ってました」
お互いに忙しく、なかなか会う機会を持てないのだが、それぞれが夢に向かって日々弛まぬ努力を続けているようだった。
「そっか……誉も、ありがとな」
急に距離を縮めてきた真一郎の大きな手が、誉の背中に回された。
誉もごく自然にその逞しい身体に身を預けると、誘われるように唇を重ねる。
一瞬なら、まぁ──と思って応じた誉だったが、そんな思いとは裏腹に、真一郎はお構い無しに深く攻め込んできた。先程まで吸っていた煙草のにおいに頭がクラクラしかけ、誉は一向に離れる様子のない彼の胸を慌てて押し返す。
「っん、ちょっ、と、先輩……!」
「えー、何日ぶりだと思ってんだよ。まだまだ全然足んねぇ」
誉も無事に大学の医学部へと進学していた。
膨大な勉強や研修に勤しむ日々は、多忙を極めている。真一郎と会える時間も限られてしまい、寂しかった気持ちは同じだ。
──しかし、場所は弁えてほしい。
「ダメですっ! お、お客さんが来たらどうするんですか!?」
「まだ店出来たばっかだし、んな来ねぇって」
「ていうか、外から丸見えですっ!」
「通りすがりの人に見られたって、別に構わねぇもん」
「わたしが構うー!」
きゃあきゃあと本気で嫌がる誉に、「ちぇー」と真一郎がようやく折れて腕を解いた。
あまりしつこくやりすぎるとしばらく口をきいてくれなくなる、というのを真一郎はよく分かっている。やりすぎる前に一歩引くのが、毎度のお約束だ。
「あ、そういや、あれは上手くいったの? 研修会だか発表会だかってやつ」
「う、うん……まぁ……」
誉は悩み事がある時、あからさまに歯切れの悪い返事をする。忙しい真一郎に余計な迷惑をかけたくないと思うあまり、普段から弱音を話したがらなかった。
「……何だよ、言ってみ? モヤモヤする事は全部オレが聞いてやるって言っただろ?」
「う、うん……」
「じゃあ、走ろう。店早めに閉めるから──夜景見りゃ、気晴らしになるだろ?」
あの場所へ最後に赴いたのは、どれ程前のことだったろうかと思い返す。
二人がたくさんの軌跡を描いてきた海沿いの堤防は、ちゃぷちゃぷとコンクリートを打つ波音に乗って、大人になって忘れかけていたあの頃の懐かしい感情を思い起こさせる。
「行きたい!」
ヤクザの娘と知っても尚、友達でいてくれた暴走族の総長は、いつしか誉のすべてになっていた。どんな困難にも逃げずに立ち向かう勇気を、彼はいつだって教えてくれた。
──今もあの頃と変わらない。迷えばいつでも「後ろに乗れ」と、行くべき道へと導いてくれる。夢は叶うよと言ってくれる。
もちろん、これから先も、ずっと──。
「じゃ、さっきの続きは夜景見ながらだな!」
「え!?」
End
あとがき
←読了しましたのポチッ
──ォォオン……
ブォンブォォォ―――
誉は、柴田の運転する車に乗って広場の脇道まで来ていた。
辺りにはすっかり濃い夜空が広がっていて、広場に植わる木々の向こうからは、地響きのような特有の排気音が響いてくる。
「帰りはどうしますか?」
「真一郎先輩が送ってくれるから大丈夫」
「──11時までには帰るように」
「はぁい」
しっかり門限を指定された誉は、苦笑いで返事を返すと車を降りた。
──今日の夜風は少し肌寒い。顔を上げると、何十台ものバイクのヘッドライトが交錯し、物々しく辺りを照らしているのが見える。
誉は少しだけ緊張しつつ、およそ女子高生には似合わない物騒な待ち合わせ場所へと向かって歩き出した。
「──お、誉ちゃん!」
恐る恐るその輪に向かっていく誉に気づき、黒龍の面々が次々に出迎えた。
「今日は総長の晴れ舞台観に来たんだろ?」とか、「惚気話でもうお腹いっぱいなんだけど」とか、「今日も一発コール鳴らしとく?」とか──あっちからもこっちからも一斉に声をかけられる。
誉は慌てふためきながら、やっとのことで血気盛んな集団の波から抜け出した。
「よぉ、元気だったか?」
次に声をかけてきたのは明司だった。見知った顔に、誉はホッと胸をなで下ろす。
そこでふと、彼の手に握られている鮮やかな物体に目が留まった。それは、どう見ても場違いなほど色鮮やかな花束。
「明司さん、それ……」
「ああ、これか?走る前から後輩に押し付けられた」
「ええ……」
しかし、その花束はバイクで走り抜ける中飛ばされたのか、ところどころ花弁が散り茎が折れ曲がっている。
洋服選びに費やした時間はなんだったのか──誉は、一生懸命悩んだのがバカバカしくなってしまった。今のところ、想像していた厳かさなど微塵もない。
「だーれだ?」
その時、突然視界が暗転した。
背後から大きな手のひらで目を覆われている。
──こんないたずらを仕掛けてくる相手など、一人しかいない。
「なっ、なにしてるんですか……!?」
「ほら、誰だか当てねーとずっと見えないまんまだぞ?」
「し……真一郎先輩……」
「当たり♡」
視界が開けると、案の定、にこにこと嬉しそうな顔をした真一郎が覗き込んできた。
「恥ずかしいことしないでください! 人前で……っ」
「なんだよ、別にいいだろ? オレら付き合ってんだし」
顔を真っ赤にしながら睨みつける誉だったが、当の本人はどこ吹く風だ。
付き合っているから良いとか悪いとか、そういう話ではない。トレンディドラマじゃないんだから──。
しかし、そんな誉の無言の訴えは、言ったところで今の彼には1ミリも届きそうになかった。
「誉、今日はいつにも増して浮かれてる。諦めろ」
「……はい」
明司の冷静な言葉に、誉は諦めてため息をひとつ吐き出した。
特攻服を羽織りながら、楽しそうにメンバーと談笑している初代総長の姿に、誉はただ苦笑するしかなかった。
「──真、そろそろ締めようか」
「そーだな」
明司の声に短く応じ、真一郎がいつもの定位置へと上がった。
彼が皆の前に立つだけで、嫌でもその圧倒的な統率力を見せつけられてしまう。先程までお祭り騒ぎのように賑やかだった広場が一瞬で静まり返り、冷たい夜気が締まった。
「お前らに伝えたいことは今まで散々言ってきたからさ、今日は挨拶代わりにちょっとだけ好きなこと言わせてくれ」
夜風に煽られ、長ランの特攻服がはためく。
この場には到底似つかわしくないはずの夜の静寂が、今は妙に心地良く感じられた。それは、彼の存在そのものが抱かせる、不思議な期待感や安心感のようなものではないだろうかと誉は思った。
「なんか……羨ましいな」
「なにが?」
誉が小さく溢した独り言を、隣にいた明司が拾った。
「皆さんはずっと真一郎先輩のこと、こうやって近くで見てきたんだなーって思ったら……」
嫉妬というよりは、純粋な羨望の眼差しで並み居る男たちを見渡す誉。
そんな姿を見て、明司はふっと優しく笑みを零した。
「変な奴だな、これからはお前が一番近くでアイツを見ていくんだろ?」
「あ……明司さん……っ」
そういうことになるのだろうが、誉は自分がとんでもなく欲深い人間のような気がしてきた。
恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしていると、明司はすべてを見透かしたようにニヤニヤと視線を送ってきた。
悔しいので何か言い返してやりたいところだったが、真一郎の大事な話を聴き逃すわけにはいかず、ぐっと口を引き結び、せめてもの反撃のつもりで明司を睨みつけるに留めた。
「今まではさ、オレのやりたいことやって、行きたいとこへ行って、自分の決めた道をナリフリ構わず突っ走ってきた。相棒のバイクにはハンドルなんかついて無ぇ、しっかり掴まんねーと振り落とされそうな跳ね馬で……別にブレーキなんてかける必要なかったから、それでよかった」
真一郎の声が、夜の広場にまっすぐに響く。
「──だけど、後ろに乗せたい女の子が現れた」
その言葉に、心臓が音を立てた。周囲の音が消え、ただ、目の前に立つ彼の声だけが誉の鼓膜の中で反響する。
「その子の行きたいところに連れて行ってやりたくてさ、無かったハンドルをつけて、オレにしがみつく様子が気になってミラーもつけた……笑顔が見たくて、守ってやりたくて、大切にしたいって心から思うようになった……そのことが引退を決めた理由じゃねぇけど、でも──これはオレの人生の最高の転機だと思ってる」
彼が紡ぐ優しい物語に、誉の胸が淡く震えた。
「……誉、こっち上がってきてくれ」
「……え?」
語りかける真一郎と視線が合って、誉は我に返る。その場にいる全員の視線が、一斉に誉へと集まった。
一瞬どうしようかと戸惑ったものの、傍にいた明司に背中を押される。
──真一郎が、呼んでいる。
こんな大勢の前にはもう二度と立ちたくない──かつてはそう思っていたはずなのに、不思議と今の彼の手招きに抵抗はなかった。誉はその愛しい呼声に誘われ、一歩を踏み出す。
目の前に差し出された大きな手を取ると、そのまま優しく抱き寄せられた。
「お前等に最後、オレの決意を宣言して引退する!」
真一郎は集団に向けてそう一言置くと、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
「これからは一生安全運転で、この子のこと幸せにするって決めた!!」
誉は弾かれたように真一郎を見上げた。そこにあったのは、初めて見る揺るぎない決意に満ちた『一人の男』の顔だった。
「お前等も、惚れた女が出来たら大ケガだけはすんなよ!!」
彼が最高の笑顔を向けた瞬間、広場が地鳴りのような歓声の渦に包まれた。拳を突き上げて激励し、涙を流し、この場に集う全員が初代総長の引退を惜しんでいる。
──この人は、こんなにもたくさんの人に愛されている。
そんな素敵な人に選んでもらえたことが、心から嬉しかった。誉は改めて込み上げる愛おしさに胸を熱くしながら、彼の肩口にそっと頭を預けた。
相当走ってきたのだろう。彼の特攻服は少し埃っぽくて、だけど驚くほど温かくて、大好きな香りが強く鼻腔を満たした。
「先輩……ありがとうございます」
「じゃ、ちゅーでもしとく?」
「えっ!?」
余韻を台無しにするセリフに、誉が思わず身体を離そうとした時には、既に真一郎の顔が目の前まで迫って来ていた。
「やっ、待って、こんなとこじゃいやーっ!」
「照れんなって!これは誓いのキッスだ!」
「きゃーっ!」
半分力づくで迫る真一郎の姿を見て、すかさず男たちは野太い声で囃し立て始める。
「いいぞー!総長もっとやれー!」
「「「キース♡キース♡!」」」
「ちょ、やめてくださいーっ!」
あちこちから飛んでくるヤジと手拍子に、最後は誉が根負けする形となった。真一郎が誉の柔らかいほっぺに思い切り「ちゅー」と音を立てて唇を寄せた瞬間、今日一番の、割れんばかりの歓声と拍手が沸き起こる。
──こうして、真一郎たちの引退式はお開きとなったのだった。
***
──数年後。
「こんにちは」
暖かな陽気の昼下がり。誉は、花のアレンジメントバスケットを手に店の戸をくぐった。足を踏み入れれば、ずらりと並んだピカピカのバイクたちに出迎えられる。
ビールケースを逆さにした即席の腰掛けに座り、奥のスペースで熱心に作業をしていた男──真一郎が、待ってましたと言わんばかりにこちらを振り返った。
「よぉ、早かったな」
真一郎は、この場所に念願のバイクショップをオープンさせていた。咥えていたタバコを灰皿へぐっと押し付けると、嬉しそうに歩み寄ってくる。
「全然やめる気ないんですね、タバコ」
「ん? 前より本数減らしたぞ、これでも」
心配しているというのに、一向に言うことを聞かない恋人。呆れ顔で抗議した誉は、彼の横をすり抜けて奥のカウンターの上にバスケットを置いた。
「これは、わたしとこずえちゃんと沖田先輩からのお祝いです」
「へぇ、ありがてぇ! あの二人、元気にしてんの?」
「はい、こずえちゃんは芸大でデザイナーの勉強を頑張ってますよ。沖田先輩はライブハウスで仕事しながら、インディーズバンドを組んで活動を始めたって。二人とも、今度お店へ遊びに行くって言ってました」
お互いに忙しく、なかなか会う機会を持てないのだが、それぞれが夢に向かって日々弛まぬ努力を続けているようだった。
「そっか……誉も、ありがとな」
急に距離を縮めてきた真一郎の大きな手が、誉の背中に回された。
誉もごく自然にその逞しい身体に身を預けると、誘われるように唇を重ねる。
一瞬なら、まぁ──と思って応じた誉だったが、そんな思いとは裏腹に、真一郎はお構い無しに深く攻め込んできた。先程まで吸っていた煙草のにおいに頭がクラクラしかけ、誉は一向に離れる様子のない彼の胸を慌てて押し返す。
「っん、ちょっ、と、先輩……!」
「えー、何日ぶりだと思ってんだよ。まだまだ全然足んねぇ」
誉も無事に大学の医学部へと進学していた。
膨大な勉強や研修に勤しむ日々は、多忙を極めている。真一郎と会える時間も限られてしまい、寂しかった気持ちは同じだ。
──しかし、場所は弁えてほしい。
「ダメですっ! お、お客さんが来たらどうするんですか!?」
「まだ店出来たばっかだし、んな来ねぇって」
「ていうか、外から丸見えですっ!」
「通りすがりの人に見られたって、別に構わねぇもん」
「わたしが構うー!」
きゃあきゃあと本気で嫌がる誉に、「ちぇー」と真一郎がようやく折れて腕を解いた。
あまりしつこくやりすぎるとしばらく口をきいてくれなくなる、というのを真一郎はよく分かっている。やりすぎる前に一歩引くのが、毎度のお約束だ。
「あ、そういや、あれは上手くいったの? 研修会だか発表会だかってやつ」
「う、うん……まぁ……」
誉は悩み事がある時、あからさまに歯切れの悪い返事をする。忙しい真一郎に余計な迷惑をかけたくないと思うあまり、普段から弱音を話したがらなかった。
「……何だよ、言ってみ? モヤモヤする事は全部オレが聞いてやるって言っただろ?」
「う、うん……」
「じゃあ、走ろう。店早めに閉めるから──夜景見りゃ、気晴らしになるだろ?」
あの場所へ最後に赴いたのは、どれ程前のことだったろうかと思い返す。
二人がたくさんの軌跡を描いてきた海沿いの堤防は、ちゃぷちゃぷとコンクリートを打つ波音に乗って、大人になって忘れかけていたあの頃の懐かしい感情を思い起こさせる。
「行きたい!」
ヤクザの娘と知っても尚、友達でいてくれた暴走族の総長は、いつしか誉のすべてになっていた。どんな困難にも逃げずに立ち向かう勇気を、彼はいつだって教えてくれた。
──今もあの頃と変わらない。迷えばいつでも「後ろに乗れ」と、行くべき道へと導いてくれる。夢は叶うよと言ってくれる。
もちろん、これから先も、ずっと──。
「じゃ、さっきの続きは夜景見ながらだな!」
「え!?」
End
あとがき
my friend. 改訂版をご覧いただきありがとうございました。
夢小説をはじめて執筆した思い出深い作品です。
しかし、生み出す事に関しては初心者ゆえ、目も当てられない仕上がりでどうにかせねばと思い続けておりました……。
昨年、Webイベントにはじめてサークル参加をする経験をしまして、それがきっかけで書き直しを決意した次第です。
そうはいっても、相変わらず拙い出来には変わりないのですが、少しでも読みやすくなってたらいいな。
真一郎くん大好き熱が滾っておりますので、番外編もちょくちょく書き直し上げていきたいと思っております。
以下、アディショナルあとがきを残しております。作品に対する思いを更に掘り下げておりますので、ご興味ありましたら是非見てやってください。
アディショナルあとがき(my friend.)
2026.06.22
ハチ
夢小説をはじめて執筆した思い出深い作品です。
しかし、生み出す事に関しては初心者ゆえ、目も当てられない仕上がりでどうにかせねばと思い続けておりました……。
昨年、Webイベントにはじめてサークル参加をする経験をしまして、それがきっかけで書き直しを決意した次第です。
そうはいっても、相変わらず拙い出来には変わりないのですが、少しでも読みやすくなってたらいいな。
真一郎くん大好き熱が滾っておりますので、番外編もちょくちょく書き直し上げていきたいと思っております。
以下、アディショナルあとがきを残しております。作品に対する思いを更に掘り下げておりますので、ご興味ありましたら是非見てやってください。
アディショナルあとがき(my friend.)
2026.06.22
ハチ
←読了しましたのポチッ
37/37ページ
