さよなら僕の聖母様

 次の日、執務室へ向かうと主はあまりにも普通に「おはよう」と僕に声をかけてきた。

「昨日お仕事残したまま寝ちゃったからさ、朝ごはんの前に終わらせようかなって」

 今丁度終わったから、と主は微笑んで僕に言った。

「昨日は心配かけてごめんね。ご飯もありがとう」
「……もう大丈夫なのかい」
「本当にちょっと立ち眩みがしただけなのよ。気にしないで」

 主はそう笑うと、トントンと書類を纏めた。それを封筒に入れて棚に入れる。それから僕を連れていつもと変わらずに朝食に向かって行った。

 近侍最終日の仕事は物凄く早く終わった。
 終わったというか、昨日何かあったことを誰かに聞いたらしいへし切長谷部が朝食の席で、

「俺にもできる業務は俺にやらせてください」

 と主に懇願した結果半分は彼に持って行かれたから。……今度僕も混ぜてもらおうとぼんやりと思う。
 仕事が終わったからと主に誘われて、僕はぴあのの置いてある主の部屋へ向かった。
 最近恒例になっていたように、主がぴあの椅子の横に置いてある丸椅子に腰掛ける。しかし、僕は立ったまま口を開いた。

「僕にはまた今度教えて、主の演奏が聞きたい」

 そういうと、主は驚いた顔をしてから「うん、わかったよ」と立ち上がった。
 主の演奏は、相変わらず素敵だった。なんの曲かは知らないけれど、やはり年相応の表情を浮かべながら弾いているところは素敵だと思う。


 その数日後、長谷部が事務室を発足したらしいと聞きつけて、僕は後日その部屋に向かった。

「僕にも手伝わせて、こう見えて実務は得意なんだ」

 そう襖を突然開けて告げると、機械をいじっていた彼は顔を上げて「……パソコンの使い方、覚えてもらうぞ」と言った。

「ああ、善処しよう」

 外から入る空気は冷え始めていた。
 もうすぐ秋がやってくるのだ。


 突然畑当番になった。単に順番が回ってきただけで別に桑名が頼んだとかそういうわけではないらしい。最初に桑名はわざわざそう断ってきた。
 畑当番と言いながら今日は桑名に田んぼ仕事をさせられていた。二振りでで無言で稲刈りの準備を始めている。

「……桑名、ありがとう」

 こんな時しかふたりきりになる機会はないのだ。案外。そう口にすると、桑名の方から「え」と声がした。

「僕なんかしたっけ?」
「おかげで自分がやるべきことがわかった」
「なんかよくわからないけどそれならお礼としてもっと畑仕事手伝ってもらうからね」
「それは嫌」

 桑名は本当にわかっていないのか、わかっていないふりをしているだけなのかそう言ってニコニコ笑う。
 相変わらず畑馬鹿だな、と呟くと桑名は「褒め言葉だよ」と笑った。


 久方ぶりに出陣することになった。
 いつもは豊前が隊長だったけれど、今日は僕がその任を受けていた。

「お願いしてもいいかな」
「ああ。勿論だよ」

 主直々に隊長に任命されて、僕は口角を上げて頷く。
 それから、一度閉じた口をまたゆっくり開いた。

「……主」

 主はどうしたの、と優しく問いかけてくる。

「……貴女のことを、僕は誤解していたのかもしれない」
「そうなの?」
「貴女は素敵な人だ。……貴女は貴女のままでいた方がいい」

 主は何がなんだかわからないような顔をしていたが、やがて何か腑に落ちたような表情をして微笑んだ。

「……もう神様は必要ない?」

 そしてそう僕に聞く。
 ゆっくりと顎を引いて、僕は頷いた。

「ああ。世話をかけたね」
「いいえ、そんなことないよ」
「もう、大丈夫だから」

 もう大丈夫、貴女は僕が守るから。
 そう伝えると、主は笑って「それは頼もしいね」と言った。
 もう、そんな真似はしないから。貴女を決してカミサマなんかにしてやるものか。僕が決してあの悲劇を、繰り返させない。
 血を流すのは、僕と敵だけで十分だから。

 転送装置の前まで見送ってくれた主は、「じゃあ皆よろしくね」と僕たちを激励する言葉をかける。

「行ってらっしゃい、まつ」

 そして、僕に向かってそう言った。
 転送装置を弄りながら、僕は振り返った。

「行ってくるよ」

 隣にやって来た豊前の方を見て、僕は強く転送装置の釦を押した。

「流血の時間だね、出陣するよ」

 さあ、今日も血を流そう。
 僕たちの使命のため、この歴史を守るため。
 この本丸を、主を守るために。

「大地を赤く染めようか……!」

 最後の一滴が尽きるその日まで、こうして刀を振るっていよう。
 それが僕の、役割だろう。
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