さよなら僕の聖母様

 その日は久しぶりに近侍の仕事をして、二日目の朝だった。

「審神者様ー……大事なお話が……」
「何」
「担当様からお呼び出しが……」
「無視しておいて」

 朝食の席に忽然と現れたこんのすけがそう主に擦り寄りながら言った。
 主は淡々とこんのすけにそう返事をする。しかしこんのすけも引くに引けないのか、ですが……とその前足を主の足の上に乗せた。

「ですが行かなければ審神者様の立場が悪くなってしまいますよ……」
「正直僕も行かせたくないんですけど」

 主を挟んで僕の反対側に座っていた堀川国広がそうこんのすけに向かって言う。

「松井江さまぁ……」

 助けを求めるようにこんのすけが僕によじ登ってくる。
 そんなことを言われても、主がここまで強く拒否するのならいいのではないか。

「このままでは審神者様の立場が大変悪くなります」

 こんのすけが僕にまた登りかけながら言う。

「そしたら大変なことになるんです、お願いします松井江様……」

 そんなこと言っても隣の主には丸聞こえなのだが。
 ちらりと主を一瞥すると、「わかったよ」と主はため息を吐きながら言った。こんのすけは僕から飛び降りて主に再度擦り寄ると、「ありがとうございます」と頭を下げる。

「僕が着いていきましょうか?」
「いいよ。松井についてきてもらうから。ごめんね松井、お願いできるかな」
「ああ、勿論だけれど……」

 主は眉を下げて、ありがとうと口にする。
 なんだか微妙な空気のまま、朝食の時間は過ぎていった。主がこうして明白な拒否を見せるのは初めてな気がする。それほどまでに時の政府の担当は良くない人なのだろうか。

 あと一時間後に出かけるから準備をお願い、と言われて私室で待機していた。準備と言っても、ちゃんとした装束に着替えるしかやることはないので一時間もかからないのだ。
 篭手切たちはれっすん、桑名と村雲は畑当番(正確には桑名は畑当番ではないが何故か畑にいる)のため僕たちの部屋は無人だった。
 一人でいるには広すぎる部屋で、主に書いてもらった音符の説明を眺めながら一時間時間を潰す。

「……お待たせ。松井もう行ける?」

 襖が叩かれて、外から声がする。僕は慌てて立ち上がると、襖を開けて外へ出た。

「うん。行こうか」

 主は鞄を持って、和服を着て、いていつもよりしっかりした格好をしていた。

「荷物持つよ」
「いいよこれくらい」
「主君に持たせるわけには行かないよ」

 そんな押し問答をしながら門の方へ向かう。結局荷物は持たせてもらえなくて、そのまま門を通った。

「松井は政府本部に行くのは初めてだよね」
「ああ」
「……まあ、あんまり気にしないでね」

 何が、と聞く前に政府本部に転送されてしまった。主はつかつかと歩き出す。
 しばらく歩いていると、主がピタリと足を止める。前方から男性が歩いてくるところだった。主の表情が途端に固まる。

「夏華ちゃん。来てくれたんだね」
「……こんのすけがどうしてもと」
「いい仕事してるじゃんこんのすけも」

 今話しかけてきたのがこの男が担当なんだということはすぐにわかった。馴れ馴れしい態度が何だか鼻について、少し姿勢を正して一歩主に近付いた。

「それ、君の松井江?」
「それとか言わないでもらえますか」
「君相変わらずだね。刀剣男士にそこまで心を寄せるのやめたら?」
「帰りますよ」

 今まで聞いたことのないくらい冷たい声で主が受け答えをしている。

「じゃあちょっと確認したいことがあるからおいで」

 主は一拍おいて、頷いてからその男のあとを追い始めた。僕も後を追おうとすると、その男に呼び止められる。

「松井江は置いて行って。君だけでいいから」
「……ごめんね、松井。ちょっと行ってくるから」

 主は振り返るとそう微笑んでそう言った。
 僕は引き止められずに、「行ってらっしゃい」とそのまま主を送り出した。
 暇になってしまって、僕はその辺を練り歩いたあと、行くあてもなく置いてあった長椅子に腰掛ける。
 せっかくついてきたのに何の役にも立てていない。主があんな態度を見せるなんて相当なはずなのに。一体どうしたら良かったのだろうか。無理にでもついていけばよかった。そんなことを思いながら、特に何もない天井を眺めた。
 一時間以上は待っていた気がする。近くに時計がないから正確な時間はわからないけれど。

「ごめん、待たせたね」

 その声に慌てて顔を上げた。帰ろうか、と主が僕に微笑みかける。いつもと特に変わりのない表情をしていた。
 ……特に、何もなかったのだろうか。それならよかったのだけれど。

「何をしていたの?」
「お仕事の話を色々」

 主はそれだけ言うと黙ってしまった。
 僕も黙ったまま、淡々ともと来た道を戻る。出口にある機械を何やら操作して、扉を潜ると次の瞬間にはもう本丸の門の前だった。一体どういう仕組みなのだろうか。

 そのまま本丸に入り、僕たちは執務室に向かう。

「じゃあ……これから確認お願い」

 いつも通り主には書類の確認をお願いされる。それを受け取って、特に何事もなかったかのようにいつもの執務が始まった。

 何事もない、と言ってもいつもより明らかに主の口数が減っている。いつもなら何かしらは話しながら仕事をしているのに……一体政府で何があったのだろうか。
 なんて声を掛ければいいのかも分からなくて、ただ頼まれていた書類の確認を行っていた。

 時計を見ればもう夕方の六時を回ろうとしている。そろそろ業務終了の時間だ。

「……主、今日はそろそろ終わりにしよう」

 控えめに声を掛ければ、主はこちらを振り返っていつもの笑顔で「そうだね。お疲れ様、ありがとう」と告げる。
 ……特に何もないのだろうか。なんだか引っかかるけれど、そこを追求するのも野暮だろう。

「夕飯を食べに行こうか」

 そう声をかけて主の方を見ようとしたその時。ドン、と鈍い音がした。何の音か一瞬わからなかった。ゆっくり振り返ると、そこにいるはずの主がいない。視線を下へ向ければそこには倒れ込んでいる主の姿があった。

「主!?」

 咄嗟に駆け寄って側にしゃがみこむ。

「大丈夫かい、わかる?」

 心臓がやけに早く動いている。その手に触れると、やけに冷たくて僕のほうが息が止まる心地がした。大丈夫、ちゃんと脈はある。とにかくこういうときは早く横を向かせるものだと、主の体に手を伸ばそうとした時、その瞼がぴくりと動いた。

「あ……っ、ごめん、ちょっとふらついただけだから」

 主は目を開けると、慌てて笑顔を作って起き上がった。

「……だからそんな顔しないで」

 主が僕に手を伸ばしてくる。頬に触れられたその手はやはり冷たい。

『あの人自分のことあんまり大事じゃないんだろうね』

 桑名のそんな言葉が唐突に頭に浮かんだ。
 僕は先程まで自分が座っていた座椅子に主を座らせると、「歌仙を呼んでくるから」と主に告げる。口の中がやけに乾燥していた。

「え、いやいいよそんな……歌仙も忙しいし」
「いいから」

 座っていて、と主に告げると主はそれ以上拒否することもなく素直に従ってくれた。
 考えてみれば本丸に戻ってきたときから顔色があまりよくなかった気がする。やはり何かあったのだろう。……もっと話を聞いておけばよかった。僕は、やはり何もできてはいない。

 厨にいた歌仙に事情を話したら、彼は「……わかったよ。ありがとう。暫くしたら主の部屋に主の分の夕食を持ってきてくれるかい」と僕に言って厨を後にした。

「やっぱり今度から政府から呼び出しがあったら僕意見を言いに行きますね」
「俺も着いてくよ」
「二振りで行きましょうね」

 歌仙と一緒に厨仕事をしていた堀川国広と鯰尾藤四郎がそんな話をしている。

「松井さんもお疲れ様でした」

 堀川国広にそう声をかけられる。
 僕は何もできなかった、と呟けば堀川国広は「僕たちもですよ」とあっけからんと言った。

「主さんの辛いところを僕たちが解決してあげるのは無理ですからね」
「松井江! 歌仙の代わりに配膳手伝って」
「……ああ」

 鯰尾藤四郎に言われて、小鉢におかずを少しずつ入れていく。その作業をしながら僕はちらりと堀川国広の方を見た。

「……聞いてもいいかい」
「なんですか?」
「あの人間と主の間に何かあったのか?」

 堀川国広は「うーん、詳しいことは言えないんですけど」と前置きしてから言葉を紡いだ。

「主さん、あの人に無理矢理審神者にさせられたんですよ」
「……え」

 これ以上は言えませんよ、と堀川国広は業務用の炊飯器を広間の方へ持って行ってしまった。

「まあ、色々あるんだけどさ。まあ気にしないでやってよ」

 鯰尾藤四郎に背中を叩かれたけれど、僕は小鉢を持ったまま立ち竦んでいた。

 彼女のことを、まるで神様みたいな子だと思った。
 審神者になるために生まれてきた人だと、その言葉に納得していた。
 違う、あの子は神様にされた子なんだ。
 神様のフリがうまいだけの、ただの子供じゃあないか。

『あの少年の首を晒すのに意味があるのか?』
『まあ、あるだろ。見せしめだよ、誰だって自分の子供をあんな風に陳列させられるのは嫌だろ』
『……なあ、これで戦はなくなるか?』
『さあ、どうだろうな。無くならないんじゃないか』

 かつての記憶が蘇る。
 ああ、人間って、ずっとそういうものだったのかもしれない。

 途端に怒りの感情が湧いてきた。
 そんな、自分よりも若い命を戦の大将に仕立て上げて上手く行ったことがあったのだろうか。
 その結果あの戦は、飢餓の末全員が死んで終わったんじゃないか。

 無言のまま夕食を食べた。主の分だと堀川国広が用意した盆をそのまま執務室に持っていく。多分、歌仙と主は主の私室の方へいるんだろう。

「夕餉、こっちの机の上に置いておくから」

 それだけ声をかけて、僕はその場を離れた。
 そのまま風呂に入って、布団に入ったけど上手く寝付くことはできなかった。主と歌仙がどんな話をしていたのかは、僕の知るところではない。
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