さよなら僕の聖母様
かの戦での本当の首謀者は誰だったのだろうか、とは割と話題にあがった。
……まあ、どうせそんなことを考えたところでその時には意味を成さない話だったが。
「……いや、わからない。それは納得いかないから断っておいて」
「ですが審神者様」
「そんな私たちに一ミリも得にならない依頼を受けて何になるっていうのよ。断って」
いつも通り主を朝食に呼びに行ったとき、主は私室でこんのすけとそんな言い合いをしていた。
扉の向こうからいつもとは明らかに違う主の声が聞こえてきて、思わず立ち止まって盗み聞きのような真似を行ってしまっている。
「……もうじき松井が来る。もうこの話は終わり、早く行って」
「……畏まりました」
主はどうやら僕がここにいることには気がついていないようだ。しばらくしてから声をかけたほうがよさそうだ。そんなことを思いながら音を立てないようにその場に立ち止まっていた。
数秒の沈黙の後、僕はこの二日間やってきたことと同じように扉を叩く。
「主、朝食の時間だよ」
まるでたった今来たかのように、僕は変わらずにそう口にした。
それからしばらくして、「うん、わかった。ありがとう」と中から主の柔らかい声がする。
戸が開き、互いに何事もなかったかのように顔を合わせた。そしてまた、変わらない一日が始まる。
三日共に仕事をして、審神者というものがなんなのかだいたい理解した。
審神者には守るべき規則がある。最低でも月に何回勝利しなければならない、遠征はこの程度行うこと……とか、多分他にも色々。
政府は審神者の力を持った人間を求めている。結局いつの時代も変わらない。戦に必要なのはその規定を超えられるくらいにはそこそこに優秀で誰もについていきたいと思わせられるような人間だ。
主は確かにそれにはピッタリだ。現にこの本丸の運営は上手く回っている。現状近侍はそれにほぼ手を貸していない。つまりほとんどが主の一存だ。
そしてこの三日間一度も主は抜け目もすきも見せていない。……こういう人が戦の長に向いているのだと嫌でも思い知らされた。
心底敬服する。まだ若いのに、……若すぎるくらいだというのに。
そして近侍の仕事が終わった。だからといって何かが変わったわけではない。
主は僕に「ありがとう」といい、続けて「またよろしくね」と微笑んだ。この三日間で、何度も見た微笑みだ。
次の近侍は物吉貞宗が担当するらしい。僕は大した内容でもない引き継ぎをして、主に頭を下げてから執務室を後にした。
近侍として初仕事を終えてからしばらく、十日ぶりくらいに出陣することになった。
篭手切にも五月雨にも心配されたけれど、豊前が「俺も一緒に行くから。安心しろって」と二振りに言ってくれたからよかった。
「ま、無理すんなよ」
豊前はそう言って軽く両手を開いたところを見せてくる。
──俺、両手空いてっからさ。
そう豊前に言われた言葉が頭を反芻した。僕は「心配しないで」と二振りに行ってから、また戦場へと向かっていった。
もう突っ込むなんて真似はしなかった。そんなことをしても満足感を得ることはできないことは重々承知だったから。
ただ敵が強かった。だから斬られて血が出た。それは、よくある話だ。
「豊前!」
でも豊前から、豊前から血が流れるのが許せなくて。それなら僕の血を流せばいいのだ。豊前の血より、よほどそっちの方がいい。
「松! おい、俺のことはいいから庇うな。お前もうただでさえ血流しすぎなんだよ」
だって豊前から血が流れていいはずがないだろう。そう言おうとしたのに、短い息の音だけが喉から溢れた。
血を流しすぎたらしい。体が冷えているのがわかる。そこまで派手に出血した覚えはないのだけれど……
「あーもう、ほら、言ったろ? 俺両手空いてるから。無理すんな、ほら掴まれ」
「ぶぜ、」
「喋らなくていいから」
君が血を流さずに済んで良かった、そう掠れた声で呟けば豊前は飽きれたように笑って「俺はよくねぇよ」と溢した。
「あら、どうしたの。貧血?」
「最初に手入れ頼む。傷はそんなに深くないと思うから」
「うん。他の子も順番にね」
主の少し冷たい手で触れられている。すぐに冷え切っていた体が温かくなっていくのがわかった。
「……あるじ」
「どうしたの、どこかしんどい?」
僕の返り血で汚れた顔を軽く指で拭いながら主が問いかけてくる。
主の霊力は心地いい。主に触れてもらっていると、どれだけ酷い怪我をしていてもそんなこと忘れてしまうほどに気分が良くなるのだ。
「……貴女は本当にかみさまみたいだ」
「……そう?」
「うん……」
それだけ返すと、なんだか急に眠たくなってきて、僕は瞼をそっと閉じた。
「……松井が望むなら、神様でもいいよ」
そんな柔らかい声を聞いて、僕の意識は闇に落ちていった。
……まあ、どうせそんなことを考えたところでその時には意味を成さない話だったが。
「……いや、わからない。それは納得いかないから断っておいて」
「ですが審神者様」
「そんな私たちに一ミリも得にならない依頼を受けて何になるっていうのよ。断って」
いつも通り主を朝食に呼びに行ったとき、主は私室でこんのすけとそんな言い合いをしていた。
扉の向こうからいつもとは明らかに違う主の声が聞こえてきて、思わず立ち止まって盗み聞きのような真似を行ってしまっている。
「……もうじき松井が来る。もうこの話は終わり、早く行って」
「……畏まりました」
主はどうやら僕がここにいることには気がついていないようだ。しばらくしてから声をかけたほうがよさそうだ。そんなことを思いながら音を立てないようにその場に立ち止まっていた。
数秒の沈黙の後、僕はこの二日間やってきたことと同じように扉を叩く。
「主、朝食の時間だよ」
まるでたった今来たかのように、僕は変わらずにそう口にした。
それからしばらくして、「うん、わかった。ありがとう」と中から主の柔らかい声がする。
戸が開き、互いに何事もなかったかのように顔を合わせた。そしてまた、変わらない一日が始まる。
三日共に仕事をして、審神者というものがなんなのかだいたい理解した。
審神者には守るべき規則がある。最低でも月に何回勝利しなければならない、遠征はこの程度行うこと……とか、多分他にも色々。
政府は審神者の力を持った人間を求めている。結局いつの時代も変わらない。戦に必要なのはその規定を超えられるくらいにはそこそこに優秀で誰もについていきたいと思わせられるような人間だ。
主は確かにそれにはピッタリだ。現にこの本丸の運営は上手く回っている。現状近侍はそれにほぼ手を貸していない。つまりほとんどが主の一存だ。
そしてこの三日間一度も主は抜け目もすきも見せていない。……こういう人が戦の長に向いているのだと嫌でも思い知らされた。
心底敬服する。まだ若いのに、……若すぎるくらいだというのに。
そして近侍の仕事が終わった。だからといって何かが変わったわけではない。
主は僕に「ありがとう」といい、続けて「またよろしくね」と微笑んだ。この三日間で、何度も見た微笑みだ。
次の近侍は物吉貞宗が担当するらしい。僕は大した内容でもない引き継ぎをして、主に頭を下げてから執務室を後にした。
近侍として初仕事を終えてからしばらく、十日ぶりくらいに出陣することになった。
篭手切にも五月雨にも心配されたけれど、豊前が「俺も一緒に行くから。安心しろって」と二振りに言ってくれたからよかった。
「ま、無理すんなよ」
豊前はそう言って軽く両手を開いたところを見せてくる。
──俺、両手空いてっからさ。
そう豊前に言われた言葉が頭を反芻した。僕は「心配しないで」と二振りに行ってから、また戦場へと向かっていった。
もう突っ込むなんて真似はしなかった。そんなことをしても満足感を得ることはできないことは重々承知だったから。
ただ敵が強かった。だから斬られて血が出た。それは、よくある話だ。
「豊前!」
でも豊前から、豊前から血が流れるのが許せなくて。それなら僕の血を流せばいいのだ。豊前の血より、よほどそっちの方がいい。
「松! おい、俺のことはいいから庇うな。お前もうただでさえ血流しすぎなんだよ」
だって豊前から血が流れていいはずがないだろう。そう言おうとしたのに、短い息の音だけが喉から溢れた。
血を流しすぎたらしい。体が冷えているのがわかる。そこまで派手に出血した覚えはないのだけれど……
「あーもう、ほら、言ったろ? 俺両手空いてるから。無理すんな、ほら掴まれ」
「ぶぜ、」
「喋らなくていいから」
君が血を流さずに済んで良かった、そう掠れた声で呟けば豊前は飽きれたように笑って「俺はよくねぇよ」と溢した。
「あら、どうしたの。貧血?」
「最初に手入れ頼む。傷はそんなに深くないと思うから」
「うん。他の子も順番にね」
主の少し冷たい手で触れられている。すぐに冷え切っていた体が温かくなっていくのがわかった。
「……あるじ」
「どうしたの、どこかしんどい?」
僕の返り血で汚れた顔を軽く指で拭いながら主が問いかけてくる。
主の霊力は心地いい。主に触れてもらっていると、どれだけ酷い怪我をしていてもそんなこと忘れてしまうほどに気分が良くなるのだ。
「……貴女は本当にかみさまみたいだ」
「……そう?」
「うん……」
それだけ返すと、なんだか急に眠たくなってきて、僕は瞼をそっと閉じた。
「……松井が望むなら、神様でもいいよ」
そんな柔らかい声を聞いて、僕の意識は闇に落ちていった。