さよなら僕の聖母様
「あれ、松井さん今日から近侍なんですね」
「ああ。そうみたいだね」
あれから一週間ほどが経った。
貼り出されている当番表には僕の名前があった。今日から三日ほどは僕が近侍を勤めることとなっているのだ。
三日、たったの三日だけか。そう思うが、近侍は基本交代制なのだ。一度近侍として成果があがれば、またすぐにでも出番が回ってくるだろう。
「頑張ってくださいね」
「勿論だ。篭手切はもう近侍の仕事はしたことはあるんだよね」
「はい。何度かやらせていただきました」
僕とほぼ顕現時期の変わらない篭手切はもう何度か近侍に任命されている。
……僕もすぐに追いつかなければ。
近侍の仕事については、昨晩堀川国広に聞かされた。昨日まで近侍をしていた彼は、もう何度もこの仕事をしているらしい。
『朝主さんを朝食に呼びに行くところから大体始まりますね。別にこれは頼まれてるわけじゃなくて、僕たちが勝手に行ってるだけなので別に行かなくてもいいと思いますよ』
堀川国広はそう笑いながら教えてくれた。行かなくてもいい、と言われたところで、その話をされれば行くしかないだろう。
そういえば主の執務室より奥へ行くのは始めてかもしれない。それどころかまともに執務室へ入るのさえ始めてだ。
襖を何度か叩いて、執務室の扉を開ける。主の私室へ行くにはここを通らなければいけない。その奥にある普通の扉、入って右側にある方……そう教えてもらった。中に入り、右手奥にある扉を先ほどと同じように叩くと「はいどうぞ」と中から柔らかい声がする。
……これは、中に入るものなのだろうか。いや、呼ぶだけならここからでいいか。無闇矢鱈に女性の部屋へ入るものではないだろうし。
「朝食の時間だよ」
「うん、ありがとう」
中から少し物音がしたあと、扉が開き中から主が出てきた。今日の主は白い着物を身に纏っている。
「わざわざありがとう。来なくてもこのくらいの時間ってわかってるんだから、自分で下まで行くっていつも言ってるのに……」
主は苦笑いをしてそう言った。
相変わらず随分と綺麗に笑う人だ、とぼんやり思う。
「約束通り近侍任せるね。一緒に頑張ろうね」
「ああ、何でも言ってくれ」
階段を降りながら主は僕のことを見上げてそう口にする。主の一歩後ろを歩きながら僕は、すれ違う皆に挨拶をしている彼女の姿を眺めていた。
「あ、堀川。松井に何か吹き込んだでしょう」
「人聞き悪いですね。何も言ってないですよ」
ね、松井さん。と堀川国広がこちらに向かって首を傾げる。
「近侍の仕事について教えてくれただけだよ」
「……それならいいけど」
「なんですか主さん、松井江さんに言われたら困るようなことがあるんですか?」
「ないわよ」
ふたりは軽口を叩きながら奥の机がある方へ歩みを進めていく。いつもは江のものたちと一緒にまとまっているから、ここの席を使うのは初めてだ。
食事のとき、近侍の席は主の左隣だというふうに決まっている。
「おはよう主」
「おはよう、今日の朝ごはんも美味しそうだね。今日も早くからありがとう」
主の右隣に座ったのは歌仙だった。
なんとなくここには、いつも本丸立ち上げからいるらしい刀たちが座っているような気がする。
「はい、みんな集まったかな」
主が右手を挙げて口を開く。
そうすると自ずと広間は静かになる。毎日行われている簡易的な朝礼のようなものだ。
「みんなおはよう。今週の当番表はもう確認したかな。掲示板に貼りだしてるから見ておいてね。特に連絡することも無いので、また何かあったら教えてください。今日から三日間は松井に近侍をお願いします。何かあったとき私が見当たらなかったら松井にも伝えてね」
いつもと同じようなことを主は順繰りに述べた。
「それじゃあ今日も一日頑張りましょう。いただきます」
いただきます、と主のあとに繰り返すように告げる。主は近くにいる短刀たちと話しながら朝食の箸を進めていった。
一振り一振り、主は丁寧に会話を交わしていく。この様子だと彼らに主が随分と慕われている意味もわかる気がした。
朝食の時間が終わると、主は僕を連れて執務室へ向かった。
「近侍とか大層な名前がついてるけど別に大したことをしてもらっているわけでもないのよね」
僕を机の前の座椅子に座らせると、主はそう言った。
「どこか外出することになったときの付き添いか、政府に提出する書類のダブルチェックとか……まあ、それくらい?」
指折り数えながら主がこてんと首を傾げた。
「だからあまり気負わないで。大した仕事じゃないわ」
そう、と僕は素直に頷いた。
それから主は僕に何枚か書類を渡しながら口を開く。
「これはとりあえず一番直近の締め切りの書類。確認とここにサインだけ、名前書けばいいから。お願い」
「わかったよ」
そう主は僕に頼むと、彼女は別の机の前にある椅子に腰を下ろした。
もにたあ、というのだったか。主はそんな機械の電源を入れて、なにやら手元のきいぼおど、とやらをいじり始める。渡された書類はここ最近の戦績についてのもので、一番下にあった署名欄に万年筆で名前を書いておいた。
「これは政府に提出するの?」
「そう。戦績なんてデータでわかってるはずなんだけどね。どうもお偉いさんは紙が好きみたい」
ふふ、と笑うと主はそう答えてくれた。
それから午前中は同じように提出する書類を確認したり、本丸の備品の発注確認を行ったりした。
お昼になると、堀川国広が主と僕の分の昼食を運んできてくれたからそれをふたりで囲む。
本丸で育てた野菜で作られた冷やし中華は美味しかった。
午後一番には主と午前中の出陣の報告を聞く。それをそのまま主が記録して、あとは午前中とほぼ同じだ。四時頃にはほぼ全ての仕事が終わって、僕はお役目御免になってしまった。
「主はこれからどうするんだい」
「あとちょっと仕事してから適当に過ごすかな。松井はもう行っていいよ」
まだ仕事をすると言われている手前先に帰ることは躊躇われたが、ここにずっといて邪魔になっては良くないだろう。そう思い、素直に執務室を後にした。
やることがなくなると手持ち無沙汰になってしまった。もしかしたら裏庭で篭手切たちがれっすんをしていまいかと思ったがそんなこともなく。部屋へ戻るとやけにくつろいでいる村雲と目があった。
「おかえり松くん。もう終わったの?」
「ああ。村雲は何をやっているんだ?」
「雨さんが作った句集読んでた。ふふ、俺だけに見せてくれたんだ」
「おや、僕には見せてくれないのかい」
「えー俺だけにって言われてるからな」
「悪いわんちゃんだな」
大事そうに帳面を抱いて村雲は僕にふふ、と笑みを零す。
五月雨はいつも俳句だのなんだの楽しそうだ。村雲はいつも雨さん雨さんってついて回っているし、桑名は言わずもがな畑。豊前は最近ばいく? とやらが欲しいとか何かで貯金を始めている。篭手切はれっすんで……僕にはそういうものがあっただろうか?
……僕には血を流すことしかない。何かを大切になんて出来ない、きっとしてはいけないのだろう。
主にも戦以外のことを、と言われたがなかなか僕には難しい。
「松くん、主との仕事どうだった?」
「特に……なんともなかったけれど」
「あーそうじゃなくて。主さ、どうだった」
村雲に聞かれて、僕はこてんと首を傾げた。そんなもの、一つしか無いだろう。
「素敵な人だよ」
「あー……うん、そっか。いや、俺主とあんま話したことないからさ」
彼はそうこくりと頷く。
……僕は何か変なことを言ったか?
「君も時期にわかるよ」
「……そうだといいね」
村雲は主のことが苦手なのだろうか。
あんなに素敵な人なのに。なんだか変な感じだ。
それから次の日も同じように近侍の仕事をした。
ほぼ業務内容も変わらず、同じくらいの時間に始まり同じ時間に終わる。それだけの作業だった。
「どうですか。もう三日目ですけど」
最終日の朝、堀川国広に声をかけられた。
おはよう、と軽く挨拶をすると僕はにこりと口角を上げる。
「特に問題はないよ」
本丸で大きな事件や難しい任務をこなしているわけではない、ということも関係しているのだろうが。至って平穏にこの二日は進んでいた。
「主さんとは良くやれてますか?」
「ああ」
「それならよかったです。最終日頑張ってくださいね!」
彼とそんな会話をして、僕はまた前日と同じように主の部屋へ向かっていくのだ。
「ああ。そうみたいだね」
あれから一週間ほどが経った。
貼り出されている当番表には僕の名前があった。今日から三日ほどは僕が近侍を勤めることとなっているのだ。
三日、たったの三日だけか。そう思うが、近侍は基本交代制なのだ。一度近侍として成果があがれば、またすぐにでも出番が回ってくるだろう。
「頑張ってくださいね」
「勿論だ。篭手切はもう近侍の仕事はしたことはあるんだよね」
「はい。何度かやらせていただきました」
僕とほぼ顕現時期の変わらない篭手切はもう何度か近侍に任命されている。
……僕もすぐに追いつかなければ。
近侍の仕事については、昨晩堀川国広に聞かされた。昨日まで近侍をしていた彼は、もう何度もこの仕事をしているらしい。
『朝主さんを朝食に呼びに行くところから大体始まりますね。別にこれは頼まれてるわけじゃなくて、僕たちが勝手に行ってるだけなので別に行かなくてもいいと思いますよ』
堀川国広はそう笑いながら教えてくれた。行かなくてもいい、と言われたところで、その話をされれば行くしかないだろう。
そういえば主の執務室より奥へ行くのは始めてかもしれない。それどころかまともに執務室へ入るのさえ始めてだ。
襖を何度か叩いて、執務室の扉を開ける。主の私室へ行くにはここを通らなければいけない。その奥にある普通の扉、入って右側にある方……そう教えてもらった。中に入り、右手奥にある扉を先ほどと同じように叩くと「はいどうぞ」と中から柔らかい声がする。
……これは、中に入るものなのだろうか。いや、呼ぶだけならここからでいいか。無闇矢鱈に女性の部屋へ入るものではないだろうし。
「朝食の時間だよ」
「うん、ありがとう」
中から少し物音がしたあと、扉が開き中から主が出てきた。今日の主は白い着物を身に纏っている。
「わざわざありがとう。来なくてもこのくらいの時間ってわかってるんだから、自分で下まで行くっていつも言ってるのに……」
主は苦笑いをしてそう言った。
相変わらず随分と綺麗に笑う人だ、とぼんやり思う。
「約束通り近侍任せるね。一緒に頑張ろうね」
「ああ、何でも言ってくれ」
階段を降りながら主は僕のことを見上げてそう口にする。主の一歩後ろを歩きながら僕は、すれ違う皆に挨拶をしている彼女の姿を眺めていた。
「あ、堀川。松井に何か吹き込んだでしょう」
「人聞き悪いですね。何も言ってないですよ」
ね、松井さん。と堀川国広がこちらに向かって首を傾げる。
「近侍の仕事について教えてくれただけだよ」
「……それならいいけど」
「なんですか主さん、松井江さんに言われたら困るようなことがあるんですか?」
「ないわよ」
ふたりは軽口を叩きながら奥の机がある方へ歩みを進めていく。いつもは江のものたちと一緒にまとまっているから、ここの席を使うのは初めてだ。
食事のとき、近侍の席は主の左隣だというふうに決まっている。
「おはよう主」
「おはよう、今日の朝ごはんも美味しそうだね。今日も早くからありがとう」
主の右隣に座ったのは歌仙だった。
なんとなくここには、いつも本丸立ち上げからいるらしい刀たちが座っているような気がする。
「はい、みんな集まったかな」
主が右手を挙げて口を開く。
そうすると自ずと広間は静かになる。毎日行われている簡易的な朝礼のようなものだ。
「みんなおはよう。今週の当番表はもう確認したかな。掲示板に貼りだしてるから見ておいてね。特に連絡することも無いので、また何かあったら教えてください。今日から三日間は松井に近侍をお願いします。何かあったとき私が見当たらなかったら松井にも伝えてね」
いつもと同じようなことを主は順繰りに述べた。
「それじゃあ今日も一日頑張りましょう。いただきます」
いただきます、と主のあとに繰り返すように告げる。主は近くにいる短刀たちと話しながら朝食の箸を進めていった。
一振り一振り、主は丁寧に会話を交わしていく。この様子だと彼らに主が随分と慕われている意味もわかる気がした。
朝食の時間が終わると、主は僕を連れて執務室へ向かった。
「近侍とか大層な名前がついてるけど別に大したことをしてもらっているわけでもないのよね」
僕を机の前の座椅子に座らせると、主はそう言った。
「どこか外出することになったときの付き添いか、政府に提出する書類のダブルチェックとか……まあ、それくらい?」
指折り数えながら主がこてんと首を傾げた。
「だからあまり気負わないで。大した仕事じゃないわ」
そう、と僕は素直に頷いた。
それから主は僕に何枚か書類を渡しながら口を開く。
「これはとりあえず一番直近の締め切りの書類。確認とここにサインだけ、名前書けばいいから。お願い」
「わかったよ」
そう主は僕に頼むと、彼女は別の机の前にある椅子に腰を下ろした。
もにたあ、というのだったか。主はそんな機械の電源を入れて、なにやら手元のきいぼおど、とやらをいじり始める。渡された書類はここ最近の戦績についてのもので、一番下にあった署名欄に万年筆で名前を書いておいた。
「これは政府に提出するの?」
「そう。戦績なんてデータでわかってるはずなんだけどね。どうもお偉いさんは紙が好きみたい」
ふふ、と笑うと主はそう答えてくれた。
それから午前中は同じように提出する書類を確認したり、本丸の備品の発注確認を行ったりした。
お昼になると、堀川国広が主と僕の分の昼食を運んできてくれたからそれをふたりで囲む。
本丸で育てた野菜で作られた冷やし中華は美味しかった。
午後一番には主と午前中の出陣の報告を聞く。それをそのまま主が記録して、あとは午前中とほぼ同じだ。四時頃にはほぼ全ての仕事が終わって、僕はお役目御免になってしまった。
「主はこれからどうするんだい」
「あとちょっと仕事してから適当に過ごすかな。松井はもう行っていいよ」
まだ仕事をすると言われている手前先に帰ることは躊躇われたが、ここにずっといて邪魔になっては良くないだろう。そう思い、素直に執務室を後にした。
やることがなくなると手持ち無沙汰になってしまった。もしかしたら裏庭で篭手切たちがれっすんをしていまいかと思ったがそんなこともなく。部屋へ戻るとやけにくつろいでいる村雲と目があった。
「おかえり松くん。もう終わったの?」
「ああ。村雲は何をやっているんだ?」
「雨さんが作った句集読んでた。ふふ、俺だけに見せてくれたんだ」
「おや、僕には見せてくれないのかい」
「えー俺だけにって言われてるからな」
「悪いわんちゃんだな」
大事そうに帳面を抱いて村雲は僕にふふ、と笑みを零す。
五月雨はいつも俳句だのなんだの楽しそうだ。村雲はいつも雨さん雨さんってついて回っているし、桑名は言わずもがな畑。豊前は最近ばいく? とやらが欲しいとか何かで貯金を始めている。篭手切はれっすんで……僕にはそういうものがあっただろうか?
……僕には血を流すことしかない。何かを大切になんて出来ない、きっとしてはいけないのだろう。
主にも戦以外のことを、と言われたがなかなか僕には難しい。
「松くん、主との仕事どうだった?」
「特に……なんともなかったけれど」
「あーそうじゃなくて。主さ、どうだった」
村雲に聞かれて、僕はこてんと首を傾げた。そんなもの、一つしか無いだろう。
「素敵な人だよ」
「あー……うん、そっか。いや、俺主とあんま話したことないからさ」
彼はそうこくりと頷く。
……僕は何か変なことを言ったか?
「君も時期にわかるよ」
「……そうだといいね」
村雲は主のことが苦手なのだろうか。
あんなに素敵な人なのに。なんだか変な感じだ。
それから次の日も同じように近侍の仕事をした。
ほぼ業務内容も変わらず、同じくらいの時間に始まり同じ時間に終わる。それだけの作業だった。
「どうですか。もう三日目ですけど」
最終日の朝、堀川国広に声をかけられた。
おはよう、と軽く挨拶をすると僕はにこりと口角を上げる。
「特に問題はないよ」
本丸で大きな事件や難しい任務をこなしているわけではない、ということも関係しているのだろうが。至って平穏にこの二日は進んでいた。
「主さんとは良くやれてますか?」
「ああ」
「それならよかったです。最終日頑張ってくださいね!」
彼とそんな会話をして、僕はまた前日と同じように主の部屋へ向かっていくのだ。