二小節のペルデーンドシ

 篭手切と僕は毎日五分だけのれっすんを続けた。最初こそお互い不格好だったが、最近は少しだけ上達したような気もする。
 歌って踊ると言うのは案外難しい。本調子じゃない中、それをやってのける篭手切はかなりすごいのかもしれない。ここに来る前も、例の「りいだあ」たちとれっすんをしていたのだろうか。

「松井さん、そこはもっと動きを大きく……」
「はい五分。今日は終わり」
「ええ! そんなあ……」
「我儘を言わない。それに、篭手切。最近は顔色がよくなってきたよ。もう少し養生すればきっとここから出ていけるから」
「……はい」

 まだ不服そうに、篭手切は布団に戻っていく。
 本当に、彼は最近すごく元気そうにしていた。顔色も明らかに良くなっているし、笑顔も増えた。立った時にふらつくことも減っているようだった。
 きっと彼はもうすぐここを出ていくのだろう。喜ばしいことだと言うのに、少しだけ寂しいと思ってしまう。僕の方が、よっぽど篭手切よりも我儘なのかもしれない。


 案の定、その数日後にはあの女性職員に篭手切が明日ここを出ていくことを聞かされた。

「もう採血も様子を見に行く必要もありませんよ。ありがとうございました」

 そう彼女は頭を下げてくる。いざそう聞かされると、やはり寂しいが嬉しかった。彼はもうすぐ、自由に歌ったり踊ったりすることができるのだ。きっと「りいだあ」たちの元に戻り、また夢を目指すのだろう。

「よかったよ。元気になったんだね」
「松井さんがリハビリに付き合ってくれたからですかね」
「大したことはしてないよ。でも、本当によかった」

 女性職員は再度僕にお礼をすると去って行ってしまった。
 もう行かなくていい、そう言われても最後に一言くらいお別れが言いたい。そう思い、僕は篭手切の元へ向かった。
 扉をノックして、病室の中に入る。篭手切は僕を見ると、少し驚いたような顔をした。

「ここを出ていくことになったんだってね。よかった」
「……はい。松井さんには、お世話になりました」

 彼は納得したように頷いた。それから、柔らかく微笑むと「れっすんをしましょう」と口にする。

「うん、いいよ」

 その日は、もう五分だけという制約はつけなかった。
 彼が満足するまで、僕は付き合ってあげようと思っていた。
 最初は足がもつれてしまったステップが踏めるようになっていた。歌いながら踊ることが、少しだけできるようになっていた。篭手切と過ごした日々を感じて、僕は目の奥が熱くなるのを感じていた。ここで仕事をしていて、こうして誰かと仕事以外のことをするのは初めてだった。僕は、彼とたった五分過ごす日々を案外楽しんでいたらしい。

「松井さん、私には夢があります」

 くるくる舞いながら篭手切が声を上げる。

「りいだあと、桑名さんと、五月雨さんと、村雲さん、せんぱいたち……、松井さん、あなたたちと大きなすていじに立ちたい」

 歌うように彼は言葉を続ける。

「江のものが揃ったら、きっと素敵なすていじが作れるはずなんです! 私はいつも、一欠片、何かを取りこぼし続けていた……。りいだあと私だけでも、桑名さんが一緒にやってくれると言っても、五月雨さんと村雲さんが一緒に歌ってくれたとしても、稲葉せんぱいと富田せんぱいが共に舞ってくれたとしても! 足りないんです、ずっと……」

 ……待ってくれ、彼は、今、なんて。
 江と、そう言ったのか?
 なぜ、そんなはずない。だって僕の記憶には、そんな名前、ありやしない。

「松井さん、あなたがいないと駄目なんです。……ああ、すみません、私は、結局、何一つ守れなかった……。松井さんを犠牲にして、あの子のことも助けてあげられなくて……私の、私のせいで、」

 篭手切の足が止まった。そのまま、ぺたんと床に座り込む。
 僕は呆然とそれを見ていた。
 どうしたんだ、篭手切は、彼に何があったんだ、

「……でも、一つ夢が叶いました。松井さん、あなたとれっすんが出来てよかった。……ああ、松井さんは松井さんじゃないのになあ……。ごめんなさい、私は、あなたを、私の後悔を晴らすために利用していた……」

 かける言葉が見つからない。彼がここに来る前に、一体何があったと言うんだ。

「ああ……でも、すていじにはもう立てそうにないな……」
「何を言っているんだ篭手切、君は今からここを出て行くんだよ。そしたらいくらでもれっすんをして、いつか大きな舞台で歌って踊るんだ。君は夢を叶えられる」

 彼の白い細腕が袖から覗く。篭手切は、いつもの表情で微笑んだ。
 それで、ようやく気がついた。彼はいつも、全てを諦めた顔をしていたんだ。

「……私の夢を、叶えてくれて、ありがとうございました。この篭手切江、もう未練は……」

 彼はそう口にすると、ふるふると首を横に振った。唇を震わせて、「それは、嘘ですね」と呟く。
 僕は慌てて彼に駆け寄って、彼の体を支えた。がくりと彼の体から力が抜ける。どうして、どうして篭手切は冷たくなっていくんだ。さっきまであんなに元気にしていたではないか。なんで、どうして、

「どうかあなたがここから出られますように。……松井江、あなたの物語を、取り戻せますように。松井さんと、れっすんができて嬉しかったです」

 ここから出る? 何のために、ここは、僕の職場だ。僕の物語って、なんだ、篭手切はさっきから何を言って、

「……りいだあ、ごめんなさい……。でも、もう行かないと……。……ああ、りいだあ……」

 彼の大きな瞳から一筋の涙が零れ落ちた。彼の白い頬を伝って、僕の指に流れ着く。

「随分、待たせてしまいました……。松井さん、今、そちらに……。ああ、残念だな……」

 ピキ。パキ、パキ……。そう嫌な音がする。ヒビが入って行くような、

「すていじに、立つ前に、……折れるなんて……っ」

 そう、例えば、刀身に……

「篭手切、待ってくれ、嫌だ、やめて、待ってくれ、篭手切江!」

 彼を強く抱きしめる。こんなことをしても、何にもならないと言うのに。
 パキン! そう、いっとう大きな音がした。腕の中に微かに残っていた温もりが消える。残ったのは、冷たい鉄の破片だけ。

「篭手切、こてぎり……」

 何が起こっているんだ。何が、駄目だったい。彼にれっすんをさせたこと? 無理をさせすぎた? 違う、そんなことはなかった。彼は確かに、元気だった。一瞬で彼は霊力を失ったように見えた。

「おや、見てしまいましたか」

 あの女性職員の声がする。今すぐこれはどういうことだと問い正したかった。なのに、体が動かない。手の中の冷たい鉄片が体温を奪っていくだけだ。

「もうここに来る必要はないと言ったでしょう」
「……っ」

 逃げるように立ち上がって、もう誰のものでもなくなった病室を後にした。頭が痛い。僕は、何かを忘れている。
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