管理番号参壱七番山姥切長義の追憶 弍
案外あっという間にその日は訪れた。
朝から職員数人が俺の元を訪れて、俺の体についている機械を取り払った。三十分程度は顕現を保っていられるだろうからと、そのまま外に送り出される。何にも縛られていない体は、やけに軽く感じられた。しかし突然霊力の供給が止まった体はふわふわと浮かび上がるようだった。この肉体のタイムリミットを知らせているようで、気分は決していいわけではない。
研究所の外に出る。彼女を送り出した日と同じ道を進む。俺を出迎えたのは、やはりあの日と同じように山姥切国広だった。
「よく来たな」
「……約束、守ってくれたんだ」
律儀なやつ、そう彼に声をかける。山姥切国広は、「約束は約束だからな」と頷いた。
彼の後について、何度も通った会議室に入る。そのままその椅子に腰掛けた。
「お前は彼女をネリネの花って例えていただろう」
「ああ……。前そんなことも言ったっけ」
改めて言われるとなんだか照れくさくなる。あの日、彼女を何かに喩えたらどうだと言われた日。「ネリネ、という花」と、そんなことを俺は答えていた。
山姥切国広はそんな俺の方は見ずに、遠く見たまま口を開く。
「それで、そのネリネの名前の由来は知っているか」
彼の言葉に、図鑑で写真を見ただけだから、と首を横に振る。あの時はなんとなくでその名前をあげただけで、別に詳しいことを知っているわけではない。
「外の国の神話に出てくる海の女神の名前が由来らしい。その女神は長い間海底洞窟に閉じ込められていたと言われている。だから忍耐や箱入り娘が花言葉らしい」
「それを言われてしまうと……なんて反応したらいいのかわからないのだけれど」
縁起の悪い花に例えてしまっただろうか。俺も彼と同じように遠くを見つめたまま眉を下げた。
その瞬間、背中に何か衝撃を感じて振り返る。俺の背中を叩いたらしい、山姥切長義が一振りの刀を持って立っていた。
「プレゼント」
そう言いながら彼はその刀を渡してくる。「それが君だよ」と彼は笑った。
渡された刀をまじまじと見つめる。青い柄の部分を握りながら、ゆっくりとそれを眺める。これが、俺の本体。山姥切長義……。
「初めて握ったよ。……でも持ち方はわかる。使い方も……。不思議なものだね」
「君も刀剣男士だからね。すぐに慣れるさ」
山姥切長義が腕を組んだまま笑った。知らないはずなのに、この刀の全てを知っている気がする。自分のことなのだから当たり前なのだろうか。
「……そろそろ時間じゃないかな」
山姥切長義がそう山姥切国広に告げる。山姥切国広は「そうだな」というと、俺についてくるように促した。
「世話になったね」
そう山姥切長義に頭を下げる。彼は「じゃあね。またいつか」とだけ言い、ひらひらと俺に手を振った。
彼と別れ、入ったことのない会議室の奥に進んでいく。この先に顕現を解くための場所があるのだと、山姥切国広は言った。
「海の女神は大層美しかった。それで、彼女のことを一目見たことある人たちは洞窟に閉じ込められた彼女を思い皆こう願ったそうだ」
「待て、なんの話をしている」
「ネリネの話の続きだが」
こいつはなんというか、いつも話が唐突だな。
「しておけるうちにしておこうと思ったんだが、他の話がよかったか」
「いや、構わない。続けてくれ」
そう困惑しながら返すと、彼は「それなら遠慮なくそうさせてもらうぞ」と話を続けようとする。
「よお、元気そうだにゃ」
しかし、目的地で待っていた刀に邪魔をされた。猫殺しくんがニコニコしながら俺の手に持っている刀を一瞥した。
「いいじゃん。馴染んでんな」
「それはどうも。これが俺だからね」
先ほど山姥切長義に言われたことと同じようなことを口にする。なんだかむず痒いような気もしたが、この言葉がしっくりするような気もした。
「で、お前らは今なんの話してたんだ、にゃ?」
「ネリネの話をしていた」
「お前が頑張って調べてたやつか」
「おい、バラすな」
「頑張って調べてくれたのか? ふっ……はは」
「笑うな。ここで話を終わらせてやってもいいんだぞ」
「それは困るな。最後まで話してよ」
笑いながら壁にもたれかかる。猫殺しくんが俺の胸元に視線を向けて、「もう取ってきたんだな」と目を細めた。
「だって、この場で脱ぐわけにもいかないだろう」
「そりゃそうだろ。じゃあ早くしないとにゃ」
彼らと話している間は少し苦しいことも忘れられていたが、機械を外した時からずっと体から力が抜けていくような、ふわふわした感覚に襲われているのだ。猫殺しくんの言葉は、すごく真っ当だ。
それにしても、刀を手にしたところでこれではとても戦えないな、とこれからのことを憂いて自嘲した。本当に、彼女の本丸に行って普通に顕現されることができるのだろうか。
「本体はそこに置いてくれ。……あ、そうだ」
俺にそれだけ促すと、突然バタバタと猫殺しくんが反対側の壁の方に駆けていく。刀を言われた場所に置きながら、その様子を訝しみながら見つめる。
壁には真っ黒なカーテンがかかっていた。猫殺しくんが勢いよくそれを開ける。
刹那、眩しい光が部屋の中に差し込んでくる。一瞬目を細めたが、すぐに目を見開いた。外の景色だ。窓の向こうで、白い粒がパラパラと宙を舞っている。
「雪……」
「そう、今朝から降り始めたんだにゃ」
「記念に目に焼き付けておけ。……まあ本丸に行ったら嫌になる程見ることになると思うけどな」
何かを懐かしむように、山姥切国広が頷いた。
顕現して、初めてこの目で外を見た。その景色を見て、ようやく実感が湧いてくる。そうだ、俺は、あの研究所を出て自由になることができるのか。
「ほら、話が途中だったんじゃねぇの? にゃ?」
「ああ、そうだった。それで、人々は彼女を想うとこう願った」
その時、がくんと体の力が一気に抜けた。俺の霊力では、もう顕現を保っていることができないのだろう。床に膝をつく。なんとか上げた視線の先には、眩いほどの白が広がっていた。いつも見ている白じゃなく、もっと美しいその色が。
「『また会う日を楽しみに』」
山姥切国広の声がやけに大きく聞こえてくる。そんな、意味があったのか。
「じゃあな、研究部の山姥切長義。本丸でも元気にやれよ、にゃ」
ああ、俺が、あの子の側にいることを望んだのか。
以前、一文字則宗に言われたことを思い出す。俺を形作るのも、愛、なのだろうか。
意識が徐々に落ちていく。瞼の裏に、彼女の顔が浮かんでは消えた。
……あの子は、今頃元気に笑っているだろうか。
それだけを、今は願っている。
朝から職員数人が俺の元を訪れて、俺の体についている機械を取り払った。三十分程度は顕現を保っていられるだろうからと、そのまま外に送り出される。何にも縛られていない体は、やけに軽く感じられた。しかし突然霊力の供給が止まった体はふわふわと浮かび上がるようだった。この肉体のタイムリミットを知らせているようで、気分は決していいわけではない。
研究所の外に出る。彼女を送り出した日と同じ道を進む。俺を出迎えたのは、やはりあの日と同じように山姥切国広だった。
「よく来たな」
「……約束、守ってくれたんだ」
律儀なやつ、そう彼に声をかける。山姥切国広は、「約束は約束だからな」と頷いた。
彼の後について、何度も通った会議室に入る。そのままその椅子に腰掛けた。
「お前は彼女をネリネの花って例えていただろう」
「ああ……。前そんなことも言ったっけ」
改めて言われるとなんだか照れくさくなる。あの日、彼女を何かに喩えたらどうだと言われた日。「ネリネ、という花」と、そんなことを俺は答えていた。
山姥切国広はそんな俺の方は見ずに、遠く見たまま口を開く。
「それで、そのネリネの名前の由来は知っているか」
彼の言葉に、図鑑で写真を見ただけだから、と首を横に振る。あの時はなんとなくでその名前をあげただけで、別に詳しいことを知っているわけではない。
「外の国の神話に出てくる海の女神の名前が由来らしい。その女神は長い間海底洞窟に閉じ込められていたと言われている。だから忍耐や箱入り娘が花言葉らしい」
「それを言われてしまうと……なんて反応したらいいのかわからないのだけれど」
縁起の悪い花に例えてしまっただろうか。俺も彼と同じように遠くを見つめたまま眉を下げた。
その瞬間、背中に何か衝撃を感じて振り返る。俺の背中を叩いたらしい、山姥切長義が一振りの刀を持って立っていた。
「プレゼント」
そう言いながら彼はその刀を渡してくる。「それが君だよ」と彼は笑った。
渡された刀をまじまじと見つめる。青い柄の部分を握りながら、ゆっくりとそれを眺める。これが、俺の本体。山姥切長義……。
「初めて握ったよ。……でも持ち方はわかる。使い方も……。不思議なものだね」
「君も刀剣男士だからね。すぐに慣れるさ」
山姥切長義が腕を組んだまま笑った。知らないはずなのに、この刀の全てを知っている気がする。自分のことなのだから当たり前なのだろうか。
「……そろそろ時間じゃないかな」
山姥切長義がそう山姥切国広に告げる。山姥切国広は「そうだな」というと、俺についてくるように促した。
「世話になったね」
そう山姥切長義に頭を下げる。彼は「じゃあね。またいつか」とだけ言い、ひらひらと俺に手を振った。
彼と別れ、入ったことのない会議室の奥に進んでいく。この先に顕現を解くための場所があるのだと、山姥切国広は言った。
「海の女神は大層美しかった。それで、彼女のことを一目見たことある人たちは洞窟に閉じ込められた彼女を思い皆こう願ったそうだ」
「待て、なんの話をしている」
「ネリネの話の続きだが」
こいつはなんというか、いつも話が唐突だな。
「しておけるうちにしておこうと思ったんだが、他の話がよかったか」
「いや、構わない。続けてくれ」
そう困惑しながら返すと、彼は「それなら遠慮なくそうさせてもらうぞ」と話を続けようとする。
「よお、元気そうだにゃ」
しかし、目的地で待っていた刀に邪魔をされた。猫殺しくんがニコニコしながら俺の手に持っている刀を一瞥した。
「いいじゃん。馴染んでんな」
「それはどうも。これが俺だからね」
先ほど山姥切長義に言われたことと同じようなことを口にする。なんだかむず痒いような気もしたが、この言葉がしっくりするような気もした。
「で、お前らは今なんの話してたんだ、にゃ?」
「ネリネの話をしていた」
「お前が頑張って調べてたやつか」
「おい、バラすな」
「頑張って調べてくれたのか? ふっ……はは」
「笑うな。ここで話を終わらせてやってもいいんだぞ」
「それは困るな。最後まで話してよ」
笑いながら壁にもたれかかる。猫殺しくんが俺の胸元に視線を向けて、「もう取ってきたんだな」と目を細めた。
「だって、この場で脱ぐわけにもいかないだろう」
「そりゃそうだろ。じゃあ早くしないとにゃ」
彼らと話している間は少し苦しいことも忘れられていたが、機械を外した時からずっと体から力が抜けていくような、ふわふわした感覚に襲われているのだ。猫殺しくんの言葉は、すごく真っ当だ。
それにしても、刀を手にしたところでこれではとても戦えないな、とこれからのことを憂いて自嘲した。本当に、彼女の本丸に行って普通に顕現されることができるのだろうか。
「本体はそこに置いてくれ。……あ、そうだ」
俺にそれだけ促すと、突然バタバタと猫殺しくんが反対側の壁の方に駆けていく。刀を言われた場所に置きながら、その様子を訝しみながら見つめる。
壁には真っ黒なカーテンがかかっていた。猫殺しくんが勢いよくそれを開ける。
刹那、眩しい光が部屋の中に差し込んでくる。一瞬目を細めたが、すぐに目を見開いた。外の景色だ。窓の向こうで、白い粒がパラパラと宙を舞っている。
「雪……」
「そう、今朝から降り始めたんだにゃ」
「記念に目に焼き付けておけ。……まあ本丸に行ったら嫌になる程見ることになると思うけどな」
何かを懐かしむように、山姥切国広が頷いた。
顕現して、初めてこの目で外を見た。その景色を見て、ようやく実感が湧いてくる。そうだ、俺は、あの研究所を出て自由になることができるのか。
「ほら、話が途中だったんじゃねぇの? にゃ?」
「ああ、そうだった。それで、人々は彼女を想うとこう願った」
その時、がくんと体の力が一気に抜けた。俺の霊力では、もう顕現を保っていることができないのだろう。床に膝をつく。なんとか上げた視線の先には、眩いほどの白が広がっていた。いつも見ている白じゃなく、もっと美しいその色が。
「『また会う日を楽しみに』」
山姥切国広の声がやけに大きく聞こえてくる。そんな、意味があったのか。
「じゃあな、研究部の山姥切長義。本丸でも元気にやれよ、にゃ」
ああ、俺が、あの子の側にいることを望んだのか。
以前、一文字則宗に言われたことを思い出す。俺を形作るのも、愛、なのだろうか。
意識が徐々に落ちていく。瞼の裏に、彼女の顔が浮かんでは消えた。
……あの子は、今頃元気に笑っているだろうか。
それだけを、今は願っている。