管理番号参壱七番山姥切長義の追憶 弍
彼女と出会ってから、どの程度季節は変わったのだろか。この建物の外がどんな季節を移ろっているのか、俺には決して知り得ないことだ。
それでも暦は毎日進んでいる。彼女と初めて出会ってから、もうすぐ十ヶ月の時間が経とうとしていた。
「山姥切長義!」
所在なく廊下を歩いていると、そんな怒号が後ろからかけられた。すっかり聞き馴染みの覚えたその声に、多少うんざりしながら振り返る。
「全部あなたのせいだろう、それ以外考えられない! こんなことになるなら最初からこんな仕事任せなければよかった!」
顔を歪めて、源清麿がこちらに言葉をぶつけてくる。胸ぐらでも掴まれるだろうかと思ったが、そんなことは無い。彼の拳は握られたまま足の横で静かに震えていた。
「……何の話かな」
何かを失くした子供のように彼は視線を彷徨わせる。怒っているというよりかは、困惑しているような、そんな表情にも見えた。
彼が何をそれほどまでに俺に伝えたいのか、わからないはずがない。大方彼女の今後について上から通達があったのだろう。
「僕もあなたも今日から随分と暇になるよ。研究は一旦打ち止めだ」
「それは随分と唐突だな」
「タンザナイトちゃんを……被検体Cを引き渡せと。そう言われたよ。審神者にするんだそうだ。あれほど霊力を持っている存在をこのまま殺してしまうのは惜しいとね」
彼はどこか泣きそうな目をしていた。彼がどうしてこんな表情を浮かべているのか全くわからない。これではどうにもこちらが困惑してしまう。もっと怒られるだろうと覚悟はしていたのだが、どうにもそういうわけでもなさそうだ。
源清麿、こいつがどうしてここまでこの研究に、彼女にこだわるのか、皆目検討もつかない。どうせまたすぐに別の被検体が用意される。そうしたらこの研究だってまた再開できるではないか。
「それはよかったじゃないか」
困惑を飲み込みながら、そう淡々と告げる。彼は大きく息を吸い込んで、何度か深呼吸を繰り返した。まるで爆発しそうな感情を抑え込むように、何度も何度も。
「……可哀想なタンザナイトちゃん」
俯いた彼がポツリと零す。静かな廊下に、彼の震えた声が響いた。
「このまま被検体として死んだ方が幸せだったよ。どうせここから出たところであの研究バカからは逃げられない。これから長い人生、あの子はずっと審神者として時の政府にいいように使われながら孤独に生きていくしかないんだ」
俯いたままの彼の表情は見えない。違う、そう言い返したかったが、そんなこと口にすることはできなかった。
「……それでも、ここで一人で苦しみながら死んでいくよりはマシだ」
「さあ、どうだろう。それはあなたの主観に過ぎないよ。あの子のことはあの子にしかわからない」
彼がゆっくり顔を上げる。無理に作ったような、引き攣った笑みがこちらに向けられた。
「何も知らない可哀想なタンザナイトちゃんが心を病んで自分の顕現した刀剣男士に酷い扱いをしたら? もういらないって言って刀剣男士を捨ててしまうかもしれない。ただ主に尽くそうとしただけの刀を、彼女は古くなって傷んだお菓子のように売ってしまうかもしれないじゃないか」
早口で彼が捲し立てる。そうなったらあなたは責任を取れるの? そう彼はこちらを見たまま問う。
「あの子はそんなことはしないよ」
「僕だって主がそんなことをするはずないと思っていたよ!」
食い気味に彼が叫んだ。静かな廊下に彼の声がこだまする。
……突然こいつは、何の話をしてるんだ。困惑してしまい、俺は一歩引いた。
「…………ああ、違うんだ水心子、僕は」
俺が何か口にする前に、源清麿の視線がゆっくりと虚空を彷徨い始める。まるで隣に誰か人が見えているかのように、彼は横を見たまま固まった。
「僕はずっと、違うんだ、そんなつもりは」
ひとりで彼がぶつぶつと何かを呟き始める。俺が呆然とその様子を見つめていると、彼は頭を押さえて廊下に座り込んでしまった。違うんだ、そう繰り返しながら。彼はここにはいない誰かの名前を呼び続ける。……すいしんし、って誰だ?
「おい……、どうした? 大丈夫か」
流石に放っておくわけにもいかず、そうおずおずと声をかける。何度か呼びかけると、彼は潤んだ瞳をこちらに向けた。しばらく俺のことを見た後、彼は突然ハッとしたように俺の手を払い除ける。
「っ……。放っておいて。早くどっかに行ってよ」
覇気のない声で、そう恨めしそうに彼は言った。……どうにも気がかりではあったが、何かをしてやれるわけでもない。それに、彼のこんなところを見ているのは申し訳ないような気分にもなった。素直に「じゃあ行くよ」と言い残し、その場を後にする。
「……アウイナイトくん、あなたは優しい刀だよ。ああ……、そうだね水心子……。山姥切長義は優しい刀だ……。そう、ずっとそうだったかも……。……全部嫌になってくるよ……」
後ろで聞こえてくるそんな所在ない言葉は、誰に向けられた言葉なのだろうか。俺は、きっとそれをこの先ずっと知ることがないのだろう。
それでも暦は毎日進んでいる。彼女と初めて出会ってから、もうすぐ十ヶ月の時間が経とうとしていた。
「山姥切長義!」
所在なく廊下を歩いていると、そんな怒号が後ろからかけられた。すっかり聞き馴染みの覚えたその声に、多少うんざりしながら振り返る。
「全部あなたのせいだろう、それ以外考えられない! こんなことになるなら最初からこんな仕事任せなければよかった!」
顔を歪めて、源清麿がこちらに言葉をぶつけてくる。胸ぐらでも掴まれるだろうかと思ったが、そんなことは無い。彼の拳は握られたまま足の横で静かに震えていた。
「……何の話かな」
何かを失くした子供のように彼は視線を彷徨わせる。怒っているというよりかは、困惑しているような、そんな表情にも見えた。
彼が何をそれほどまでに俺に伝えたいのか、わからないはずがない。大方彼女の今後について上から通達があったのだろう。
「僕もあなたも今日から随分と暇になるよ。研究は一旦打ち止めだ」
「それは随分と唐突だな」
「タンザナイトちゃんを……被検体Cを引き渡せと。そう言われたよ。審神者にするんだそうだ。あれほど霊力を持っている存在をこのまま殺してしまうのは惜しいとね」
彼はどこか泣きそうな目をしていた。彼がどうしてこんな表情を浮かべているのか全くわからない。これではどうにもこちらが困惑してしまう。もっと怒られるだろうと覚悟はしていたのだが、どうにもそういうわけでもなさそうだ。
源清麿、こいつがどうしてここまでこの研究に、彼女にこだわるのか、皆目検討もつかない。どうせまたすぐに別の被検体が用意される。そうしたらこの研究だってまた再開できるではないか。
「それはよかったじゃないか」
困惑を飲み込みながら、そう淡々と告げる。彼は大きく息を吸い込んで、何度か深呼吸を繰り返した。まるで爆発しそうな感情を抑え込むように、何度も何度も。
「……可哀想なタンザナイトちゃん」
俯いた彼がポツリと零す。静かな廊下に、彼の震えた声が響いた。
「このまま被検体として死んだ方が幸せだったよ。どうせここから出たところであの研究バカからは逃げられない。これから長い人生、あの子はずっと審神者として時の政府にいいように使われながら孤独に生きていくしかないんだ」
俯いたままの彼の表情は見えない。違う、そう言い返したかったが、そんなこと口にすることはできなかった。
「……それでも、ここで一人で苦しみながら死んでいくよりはマシだ」
「さあ、どうだろう。それはあなたの主観に過ぎないよ。あの子のことはあの子にしかわからない」
彼がゆっくり顔を上げる。無理に作ったような、引き攣った笑みがこちらに向けられた。
「何も知らない可哀想なタンザナイトちゃんが心を病んで自分の顕現した刀剣男士に酷い扱いをしたら? もういらないって言って刀剣男士を捨ててしまうかもしれない。ただ主に尽くそうとしただけの刀を、彼女は古くなって傷んだお菓子のように売ってしまうかもしれないじゃないか」
早口で彼が捲し立てる。そうなったらあなたは責任を取れるの? そう彼はこちらを見たまま問う。
「あの子はそんなことはしないよ」
「僕だって主がそんなことをするはずないと思っていたよ!」
食い気味に彼が叫んだ。静かな廊下に彼の声がこだまする。
……突然こいつは、何の話をしてるんだ。困惑してしまい、俺は一歩引いた。
「…………ああ、違うんだ水心子、僕は」
俺が何か口にする前に、源清麿の視線がゆっくりと虚空を彷徨い始める。まるで隣に誰か人が見えているかのように、彼は横を見たまま固まった。
「僕はずっと、違うんだ、そんなつもりは」
ひとりで彼がぶつぶつと何かを呟き始める。俺が呆然とその様子を見つめていると、彼は頭を押さえて廊下に座り込んでしまった。違うんだ、そう繰り返しながら。彼はここにはいない誰かの名前を呼び続ける。……すいしんし、って誰だ?
「おい……、どうした? 大丈夫か」
流石に放っておくわけにもいかず、そうおずおずと声をかける。何度か呼びかけると、彼は潤んだ瞳をこちらに向けた。しばらく俺のことを見た後、彼は突然ハッとしたように俺の手を払い除ける。
「っ……。放っておいて。早くどっかに行ってよ」
覇気のない声で、そう恨めしそうに彼は言った。……どうにも気がかりではあったが、何かをしてやれるわけでもない。それに、彼のこんなところを見ているのは申し訳ないような気分にもなった。素直に「じゃあ行くよ」と言い残し、その場を後にする。
「……アウイナイトくん、あなたは優しい刀だよ。ああ……、そうだね水心子……。山姥切長義は優しい刀だ……。そう、ずっとそうだったかも……。……全部嫌になってくるよ……」
後ろで聞こえてくるそんな所在ない言葉は、誰に向けられた言葉なのだろうか。俺は、きっとそれをこの先ずっと知ることがないのだろう。