管理番号参壱七番山姥切長義の追憶 弍
彼女の実験についての記憶のリセット地点は実験室の扉であるらしい。源清麿の言葉を聞いてからずっと呆然としていた彼女も、扉を通った後にはハッとした様子で目を閉じて静かに俺の腕の中に収まっていた。先ほどの源清麿の話を、彼女は一切覚えていない。それが幸せなことなのか不幸なことなのか俺にはわからなかった。
「水を持ってきたよ。飲めるかな」
横たわっていた彼女の体を軽く起こしてやってそう問いかける。彼女は力なく首を横に振った。肩が大きく上下していて、視線が虚空を彷徨っていた。
「……輸液を入れてもらおうか」
そっと彼女の体を横たえさせる。このまま衰弱死してしまうのは源清麿にとっても本望ではないだろう。……勿論、俺にとっても。
「少し待っていて」
彼女の部屋を離れると、医療班の事務室から適当な職員を一人捕まえてくる。食事が取れないから点滴を用意してくれと言うと、職員は面倒くさそうな顔をしたものの、準備をしてくれた。「清麿さんも好き勝手やりますね」とか文句を垂れながら、彼は彼女の腕に針を刺した。液体が管を通って彼女の体に流れ込んでいく。
「それじゃあ、また中身が無くなったら呼んでください。交換方法くらい覚えてくれたら楽なんですが」
「……また呼ぶよ。ありがとう」
仕事を増やしやがってと、この職員はそう思っているのだろうか。尽くこの研究所の中では、誰も彼女のことを人間と思ってはいないようだ。
彼を部屋から追い出して、ベッドサイドの椅子に腰をかける。しばらくすると幾分か色のよくなったようにも見える唇が静かに呼吸をしていた。
『疲れた……もういいでしょ……いいかげん、しなせて……』
彼女の声が頭の中を反芻する。どうしてあんなことを言わせてしまったのだろう。このまま彼女を審神者にして、彼女は本当に幸せになれるのか? 改めてそんなことを考える。
「……もし君が願うなら……」
彼女の首に手を伸ばす。触れようとして、すぐに手を離した。そんなことできるわけがない。俺はこの子が死んでいくところを、見ていることなんてできない。ましてや俺が手を下すなんて……。そんな少しの勇気も俺にはないのだ。
助けてと願われたとき、俺は何をすることもできなかった。源清麿から彼女を庇うこともできない。じゃあ俺に、何ができる? 彼女に何がしてやれる?
「すまない……」
震える手で彼女の力の入っていない右手を包み込んだ。
「俺は、君に何も……」
それでも目が覚めれば彼女は俺に向かって笑いかけるのだろう。その青白い顔で、「大丈夫よ」なんて嘘を吐いて。
「くそっ……! くそっ、くそっ!」
胸が張り裂けそうだ。心なんてものは、俺の物語と共に欠落したと思っていたのに。どうしてこんなものだけは、欠落することなく残っているのだろう。
「……長義?」
そう微かな声がした。薄っすらと彼女が瞼を開けて、こちらを見つめている。
「どうしたの……? 私、大丈夫だから……」
ほら、まただ。何も覚えていない彼女は、わけもわからず苦しい思いをしているのに。
「……何でもない。具合が良くないんだろう。ほら、ゆっくりおやすみ」
こんな思いをするのなら、出会わなければよかった。せめて話さなければよかった。関わりなんて、持つべきじゃなかった。そんなこと、ずっとわかっていたはずなのに。
本当は聞きたかった。このまま君はここで死んだ方が幸福なのかと。もしそうだと言われたら、俺はどうするのだろう。何もかもなかったことにすることが、できるのだろうか。
だが誰も彼女のことを人間扱いしていないこんなところに彼女を置いておくのは、あまりにも酷すぎる。そう、思わずにはいられなかった。
「水を持ってきたよ。飲めるかな」
横たわっていた彼女の体を軽く起こしてやってそう問いかける。彼女は力なく首を横に振った。肩が大きく上下していて、視線が虚空を彷徨っていた。
「……輸液を入れてもらおうか」
そっと彼女の体を横たえさせる。このまま衰弱死してしまうのは源清麿にとっても本望ではないだろう。……勿論、俺にとっても。
「少し待っていて」
彼女の部屋を離れると、医療班の事務室から適当な職員を一人捕まえてくる。食事が取れないから点滴を用意してくれと言うと、職員は面倒くさそうな顔をしたものの、準備をしてくれた。「清麿さんも好き勝手やりますね」とか文句を垂れながら、彼は彼女の腕に針を刺した。液体が管を通って彼女の体に流れ込んでいく。
「それじゃあ、また中身が無くなったら呼んでください。交換方法くらい覚えてくれたら楽なんですが」
「……また呼ぶよ。ありがとう」
仕事を増やしやがってと、この職員はそう思っているのだろうか。尽くこの研究所の中では、誰も彼女のことを人間と思ってはいないようだ。
彼を部屋から追い出して、ベッドサイドの椅子に腰をかける。しばらくすると幾分か色のよくなったようにも見える唇が静かに呼吸をしていた。
『疲れた……もういいでしょ……いいかげん、しなせて……』
彼女の声が頭の中を反芻する。どうしてあんなことを言わせてしまったのだろう。このまま彼女を審神者にして、彼女は本当に幸せになれるのか? 改めてそんなことを考える。
「……もし君が願うなら……」
彼女の首に手を伸ばす。触れようとして、すぐに手を離した。そんなことできるわけがない。俺はこの子が死んでいくところを、見ていることなんてできない。ましてや俺が手を下すなんて……。そんな少しの勇気も俺にはないのだ。
助けてと願われたとき、俺は何をすることもできなかった。源清麿から彼女を庇うこともできない。じゃあ俺に、何ができる? 彼女に何がしてやれる?
「すまない……」
震える手で彼女の力の入っていない右手を包み込んだ。
「俺は、君に何も……」
それでも目が覚めれば彼女は俺に向かって笑いかけるのだろう。その青白い顔で、「大丈夫よ」なんて嘘を吐いて。
「くそっ……! くそっ、くそっ!」
胸が張り裂けそうだ。心なんてものは、俺の物語と共に欠落したと思っていたのに。どうしてこんなものだけは、欠落することなく残っているのだろう。
「……長義?」
そう微かな声がした。薄っすらと彼女が瞼を開けて、こちらを見つめている。
「どうしたの……? 私、大丈夫だから……」
ほら、まただ。何も覚えていない彼女は、わけもわからず苦しい思いをしているのに。
「……何でもない。具合が良くないんだろう。ほら、ゆっくりおやすみ」
こんな思いをするのなら、出会わなければよかった。せめて話さなければよかった。関わりなんて、持つべきじゃなかった。そんなこと、ずっとわかっていたはずなのに。
本当は聞きたかった。このまま君はここで死んだ方が幸福なのかと。もしそうだと言われたら、俺はどうするのだろう。何もかもなかったことにすることが、できるのだろうか。
だが誰も彼女のことを人間扱いしていないこんなところに彼女を置いておくのは、あまりにも酷すぎる。そう、思わずにはいられなかった。