〈被検体C〉の手記

 日記はここで途切れていた。最後まで別に大したことは書いてなかったなと、ノートを閉じながら清麿はぼんやり思う。

「……わからないな」
「やあ山浦の坊主。何をやっているんだ?」

 独り言を呟いたそのとき、後ろから突然そう声をかけられた。清麿は一拍置いて後ろを振り返る。彼のことをその呼び方で呼ぶ者は、一振りしかいない。

「何の用ですか。一文字さん」

 そこに立っていたのは、彼の予想通り一文字則宗であった。彼も、この研究所に属する刀剣男士の一振りである。

「なぁに。たまたま通りかかったらお前さんが何やら面白そうなものを読んでいるからな。僕にも見せてくれ」

 一文字則宗はそう言いながら、源清麿の手にしていたノートを取り上げた。それからそれをパラパラと捲り、「なるほど、いわば被検体Cの手記といったわけだな」と笑う。

「そんなに面白いものでもないですよ」
「そんなことない。人間の書き物はいつの時代も面白いものだ」

 堂々と一文字則宗が清麿の書類だらけの机に腰掛ける。清麿は苦い顔をするが、それを咎めることもなく見つめている。

「随分と楽しんでいるようじゃないか」
「……楽しんでるわけでは」
「研究の話だ。最近のお前さんはそればかりでろくに僕に構ってくれないからな」

 机の上から相変わらず苦い顔をしている清麿を見下し、一文字則宗は口角を上げた。

「……楽しいですよ。これまで解明されていなかったことを解明できるかもしれない。新しい技術につながるかもしれない。そしたらこの戦争は……」
「お前さんは本当にそんなことを思っているのか?」

 一文字則宗の言葉に清麿がぴたりと固まった。は、と小さな声が彼の喉から絞り出される。

「山姥切長義……彼奴は随分と被検体に肩入れしているようじゃないか」
「僕もそうだって言いたいんですか?」
「そうは言っていないだろう」

 一文字則宗の手の中にあるノートを、清麿が咄嗟に奪い取る。

「あれは物。実験に自由に使える、道具と同じ」

 念を押すように彼は口にした。恨めしそうにノートを見つめ、彼は一文字則宗のことを見上げた。一文字則宗は相変わらず飄々としながら話を続ける。

「お前さんも難儀なものだな。山浦の坊主」
「だからその呼び方は……」
「僕はその研究には関係ないからな。お前さんの好きにするといい」

 彼の言葉に清麿が唇を噛み締める。
 何を言っているんだと思いながら一文字則宗を睨みつけても、彼は何も言わない。手に持っているノートを握りしめて、清麿は感情を抑えるように唾を飲み込んだ。

「当たり前です。何をしようが僕の勝手です」

 低い声で呟く。そうだな、そう一文字則宗が頷く。
 何かを探す子供のように清麿は視線を彷徨わせながら、何かを口にしようと言葉を探した。

「お前さんがやっていることは復讐か?」

 彼が言葉を見つけ終わる前に、一文字則宗がそう首を傾げた。

「……復讐? ……ああ、あなたが何を言っているのか理解できないよ。僕はそんな馬鹿らしいこと考えてなんかいない、僕はただ……」
「じゃあ捨てられたことは何も思っちゃいないのか?」
「……それとこれとは話が別」

 怒りを抑えながら清麿は絞り出すように呟いた。一文字則宗は机から降りると、彼の顎に手を添える。そしてその顔を自分に向けさせると目を細めた。

「お前さんは寂しそうな目をしてるな」
「そんなことはない」

 その手を振り払い、清麿は彼から視線を逸らした。その返事を深追いすることはせずに、彼は清麿のことを見つめている。しばらくそうしていたが、やがて根負けしたように一文字則宗はため息を吐くと彼の肩を軽く叩いた。

「……邪魔してすまなかったな。僕はもう自分の持ち場に戻ることにするよ」

 そう一文字則宗が扉の方に向かっていく。出ていく直前、「ああそうだ。もう一つだけ」と彼は清麿の方を振り見た。

「水心子正秀のことはまだ考えることがあるのか?」

 何を言っているのかわからないと言ったように清麿が眉を顰めた。
 ゴミ箱に向かって、手にしていたノートを投げる。こんなものはもう必要無い。

「誰です。その水心子正秀って」

 ごとんとゴミ箱の中で音がした。
 そうか、とだけ一文字則宗は呟くと、それ以上は何も言わなかった。
 ひとり残された清麿は、重い息を吐きながら頭を抑える。不自然に頭が重い。立ちくらみがして、机に手をついて深呼吸をする。彼と話していると、どうにも調子が狂う。清麿が、机を見つめながらしばらく深呼吸を繰り返していたその時。

『清麿、大丈夫。きっとまた会えるよ。……僕たちは親友だから』

 突然頭の中に、知らない声が反芻した。

「……は……?」

 何が起きたのかわからず、清麿は周囲をぐるりと見渡す。当たり前のように、部屋には誰もいない。

『あはは、清麿は優しいね。うん。約束しよう。……新々刀の誇りにかけて』

 確かにその声は、清麿の頭の中から響いていた。聞いたことがないはずの、誰かの声が。
 絶えず聞こえてくるその声に耐えかねて、髪の毛を掻き乱しながら彼はその場に蹲る。

「誰……誰だい、僕の中から出て行ってよ、うるさい……、うるさい!」

 そう叫んで天井を仰ぐ。しばらくすると、いつの間にか声はしなくなっていた。清麿は荒い息をしながら、ぼんやりとしている思考をゆっくりと動かす。
 何か、大切なことを忘れている気がする。
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