このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

炎の中に想いを託して

 豊臣秀吉の死後、慶長五年に起きた関ヶ原の戦いをきっかけに徳川家康が実験を握るようになった。かつての豊臣家の栄光は徐々に薄れ、豊臣秀吉の子であった豊臣秀頼は徳川政権が優位になっていくことを止めることはできなかった。
 そして慶長十九年、大坂冬の陣と呼ばれる戦が江戸幕府と豊臣の間で発生した。冬の陣では和平が成立したが、戦を止めることはできなかった。
 翌年の慶長二十年。大坂夏の陣と呼ばれる戦が始まった。勢いを増す徳川方を制する力はもう豊臣にはなかった。大阪城の落城と共に豊臣は滅亡。こうしてこの戦は幕を閉じた。

 審神者は執務室で、こんのすけと共にパソコンで時の政府のホームページを眺めていた。歴史を勉強しよう! というなんともまあ単純なページだ。
「えっと、つまりどういうこと?」
「だから要は豊臣の人たちが徳川に負けた戦です。それだけ……ではないですが、それだけ覚えておいたらいいですよ。だから徳川が負けたり豊臣が勝ったりしたら困るのはわかるでしょう。歴史改変ですから」
 こんのすけはあまりに彼女が無知で頭を抱えながら説明していた。一体今彼女は刀剣男士たちに何を守らせているつもりだったのだ。
「それはわかるよ。それで、鯰尾と一期が出陣に推奨されてるのは何故ってことを聞きたいの」
「ああ……それはですね」
 彼女からマウスを奪い取って、こんのすけはその丸い手で器用にカーソルを移動させた。

 パチパチと音がする。もう少し城に近付けば、きっと灰の雨が降ってくることだろう。
「……いい天気ですね」
 鯰尾が呟いた。煙で覆われた空は灰色だ。
 遡行軍は殲滅できた。歴史は守られたのだ。こんなところ見なくても、もう本丸に帰っていいはずなのに。目が離せなかった。
 誰も何も言わなかった。宗三は何も言わずに燃え盛る城から目を逸らした。小夜はそんな宗三を気遣うように、彼の隣に立っている。蜂須賀が燃え盛る城を見て「……これが歴史か」と小さく呟いた。
「ここで、俺たちは焼けた」
 鯰尾がポツリと溢す。その言葉に、一期がゆっくり頷いた。
「確かに、ここで焼けた」
「ここをやり直せば」
 赤々と登っている炎を見つめながら鯰尾は口にした。縋るように一期に視線を向ける。彼は唇を少し噛み締めると、首を横に振る。
「駄目だよ。それじゃあ敵と同じになる」
「……」
 鯰尾が黙った拳を握りしめる。黙り込む鯰尾の背中に一期がそっと触れた。
「信じよう。今の主を」
 大阪城が燃えていく。色々なものをここに置いてきた。
 記憶も、元の主も、兄弟たちだって、本当にたくさんのものを。
(……今の主を信じる……)
 骨喰が心配そうに二振りのことを見つめている。
「兄弟」
「……帰りましょうか」
 一期の元から離れて、鯰尾は骨喰の手を取った。もうここには用がない。
(今は……いち兄も、骨喰も、ちゃんとここにいる……)
 信じなければ。守るべきものを、今の主を。
 鯰尾は口をきゅっと結ぶと、腰から端末を取り出して、帰城ボタンを押した。


 帰城してすぐ、鯰尾は報告のために審神者の執務室へ向かった。
「失礼しまーす。ただいま戻りました」
 入ってきた鯰尾に、彼女はハッと顔をあげて咄嗟に笑顔を作る。
「お帰りなさい、大変だったでしょ。怪我はない?」
「あれくらいの敵にやられるほど俺たちは弱くないですよ」
 断りも得ずに机を挟んで彼女の正面に座る。審神者は「よかった」と微笑むと、「何かお茶でも淹れようか。……って言っても、大したお菓子とかは出せないけどね」と鯰尾に向かって首を傾げた。
「主は、」
 しかし鯰尾はそれには答えず、彼女の目を見て口を開く。
「歴史を守るってなんだと思いますか?」
 審神者は何かを答えようとして、唇を動かした。しかし何も言えずに口を閉ざす。
「あ……あはは、なんだろうね。……歴史の先にあなたたちがいるから、じゃない。難しいけど……」
「主は俺たちのために歴史を守ってるってことですか?」
「一つの考え方だよ」
 いろんな理由があると思うけど、そう審神者は鯰尾の方を向いたまま言った。彼は何を言って欲しいんだろう、とそんなことを考える。
 大坂夏の陣という出来事は、鯰尾にとってはたくさんの意味を持つものだ。それはさっきこんのすけから教えてもらったから、わかっている。……それでも、知るのが遅すぎたかもしれない。もっと、考えればきっと、かけてあげられる言葉が見つかるのに。彼女は左手の指で髪の毛をくるくるといじり始めた。
 鯰尾はそんな彼女の姿を見つめながら、ぼんやりと考える。
(……お人好し)
 その貼り付けたような笑顔がどうにも癪にさわる。
『信じよう。今の主を』
 一期の言葉が鯰尾の頭の中で反芻された。別に信じていないわけではない。
 それでも、なんでだろうか、もっと求めてしまうのだ。彼女の中にある、歴史を守る意義というものを。戦う理由を。
(そんなものないのかもしれないけど)
 机に腕をついて、鯰尾は彼女のことを見上げた。
「別に気を遣わなくてもいいんですよ」
「……何が?」
「歴史を守るのが俺たちの役割ですから、俺たちは主が歴史を守れって命令する限りは歴史を守ります。どんな理由があっても」
 審神者は困ったように眉を下げる。それは、なんというかずいぶん荷が重い話だと思う。
「鯰尾には鯰尾の物語があるでしょう。みんなにはみんなの物語がある。それを大事にしてる……つもり。私はね」
 さっきも同じことを言ったような気がする。それ以外になんと言えばいいのかわからなかった。別に、何を思っているわけでもない。
 微笑んだまま彼女はそっと目を伏せる。命令される側なのはお互い同じようなものだ。
 そんな彼女の表情を眺めて、鯰尾は口を開きかけた。しかし何をいうべきか迷って、思いつかなくて口をすぐに閉じてしまう。別に含みのある話をしたい、わけではない。
「そうやって笑ってるだけの人生って楽しいですか」
 結局、何も考えずに鯰尾はそう零す。口にしてから少しだけ後悔した。そんなことを言ったって、自分に返ってくるだけなのに。それでも口に出さずにはいられなかった。
 審神者は何も返さない。微笑みを貼り付けたまま、左手の指先で髪の毛を耳にかける。
「…………主って、ちょっと俺に似てます」
 鯰尾はそう言うと大きな溜め息を吐いた。
「主のことがだんだんわかってきた気がします」
 鯰尾は立ち上がって彼女の隣にしゃがみ込む。そのまま腕を伸ばして、鯰尾は彼女の顔に指を滑らせる。そのまま頬っぺたの辺りをつねって、「よく笑う人ってほっぺが硬いらしいですよ」と呟いた。
「揶揄わないの」
「あんまり硬くありませんね。でも柔らかくもないかも? 比較対象が秋田なのが悪いんですかね」
「それは比較対象にならないわよ」
 つねり返してやろうかと審神者は手を伸ばすが、鯰尾の反対側の手で阻止される。鯰尾は彼女の顔をいじり続けながら、「あはは、変な顔!」と声を出して笑った。
「ちょっと、そんなに触っても何も出てこないって」
「変な顔してる方が可愛いですよ!」
 強引に審神者は鯰尾の腕を掴もうとするも、ことごとく阻止される。しばらくすると満足したのか、鯰尾はパッと手を離した。
「俺たちをあの時代に出陣させたこと、後悔してるんでしょう?」
 鯰尾は頬杖をついてそう首を傾げた。審神者は頬を片手で押さえると、無意識のうちに微笑みを浮かべる。
「……どうだろうね」
 審神者はポツリと呟いた。後悔、なのかどうかは正直自分でもわからないのだ。
 鯰尾は眉を下げると、「大丈夫ですよ」と目を伏せる。そのままもう一度大きく息を吸うと、口を開いた。
「大丈夫! 過去なんて振り返ってやりませんよ、俺はこの本丸の鯰尾藤四郎! それでいいじゃないですか」
 審神者は鯰尾の言葉に、ゆっくりと頷いた。
(ちょっとだけ信じますよ)
 これは同調か、はたまた同情か。きっと自分はこの人のことを放っておけない。そんなことを純粋に鯰尾は思った。
 心は厄介だ。心とは、誰にでも付き纏う呪いのようなものなのかもしれない。
(やっぱり、俺たちはちょっとだけ似てる)
 お互いに振り回されているのだ。きっと。いつか、いつかは彼女の心のうちを知ることができるだろうか。
(ま、あんまり期待してませんけど)
 鯰尾が審神者の頭にポンと手を置くと、彼女は驚いたような顔をした。
8/9ページ
スキ