炎の中に想いを託して
鯰尾が近侍を任されるようになった。
大阪城でのイベントが終わって、ずっと大阪城にいた堀川と鯰尾も近侍を任されるようになっていた。近侍は三日ずつで交代制だったが、やはり話しやすい刀剣男士の方が任せやすいという気持ちもあり、彼らは割と高頻度で近侍の任につくようになった。
「俺あんまり書類仕事とか得意じゃないですよ」
「いいよ。チェックくらいしかお願いすることもないのよ」
審神者の言葉にふぅん、と鯰尾が頷く。彼はそれ以上何も言わなかった。
あれからしばらく日が経ったが、相変わらず審神者は近侍に何をさせればいいのかわからないままでいた。
(刀に書類仕事をさせるのもどうかと思うし……任せすぎたら私がやることなくなっちゃうし……)
畑仕事や馬の世話、その他炊事や掃除をさせている上で今更そんなことを言うのかとは思うが、なんとなく気が引けるのだ。そもそも審神者の仕事が書類仕事くらいしかない。と彼女は思っている。これが無くなったら無職だ。そんな気持ちが彼女の中にはあった。相変わらず、悩みの種は尽きない。
そんなわけで、基本的に鯰尾がやっていることは何やら機械をいじって仕事をしている己の主を眺めながら饅頭を食べるだけである。
「近侍って何をするものなのかな」
「それ俺に聞きますか? 俺が今一番聞きたいです」
「そうよね……」
彼女はどうしたものかと息を吐く。
あまり仕事をさせるのはどうかとも思うが、見られているだけなのも気が引けるのだ。
「饅頭食べます?」
「……じゃあ、一個だけ」
鯰尾から一つ饅頭を受け取る。饅頭を包んでいたビニールを剥いで、少しだけ口に入れた。甘い。
「別に言われれば俺雑用でもなんでもやりますからね。今は主の刀なので」
饅頭をしばらく咀嚼して、審神者は何か考え込むように下を向いた。ふと口を開き、彼女は鯰尾の方を向く。
今の主、か。
「……前の主の方が良かったって思うこと、ある?」
ふとこぼれ出した言葉だった。突然なんでこんなこと聞こうと思ったのだろう。こんなこと聞かれても困るだけだろうに。純粋な興味か、それとも。
鯰尾はええ、と髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。
困ってる。
「冗談。ごめん」
すぐに審神者はそう笑う。鯰尾は「変な冗談やめてくださいよ!」と頬を膨らまして返しながらもう一つ饅頭を彼女の前に置いた。
「よく覚えてないので。そういうのはわからないですよ」
嘘か本当か。そんなこと彼女にはわからない。
鯰尾はそう笑ったまま、湯呑みに入ったもうぬるい緑茶を飲み干した。
鯰尾が近侍になって三日目の昼過ぎ、その日やらなければいけない仕事が全て終わった物だから、審神者は「今日はもう終わりね」と鯰尾に言い渡した。そのまま「はーい。お疲れ様でーす」と自室に戻ったはいいものの、兄弟たちは皆出陣や遠征や内番に行ってしまっていて、やはりやることがない。仕方ないから鯰尾は執務室に戻っていた。こういう何もない時間彼女が何をしているのか興味があったのだ。
「戻ってきました。入りますね」
そう言いながら襖を開ける。中に顔を出すと、彼女は机に肘をついて本を読んでいるところだった。
何やってるんですか、そう問いかけると彼女ははっと顔を上げた。鯰尾は彼女が読んでいた本を覗き込む。
「歴史の勉強」
手を伸ばしてくる鯰尾の手を払うと、そっとその本をしまう。
「勉強熱心ですね」
「あんまり歴史とか……よくわからないから」
大変ですねえ、と鯰尾は彼女の肩に触れるとおもむろにその肩を揉み始めた。「硬いですね、板でも入れてます?」と冗談交じりに言いながら、しばらく肩揉みを続ける。
「なぁに」
「え?」
突然声をかけられて、鯰尾は素っ頓狂な声をあげた。審神者は微笑んだまま顔だけ少し後ろに向ける。彼の紫色の眼と、視線が交じり合う。
「何か用があるんじゃないの?」
「無いですよ。暇だから」
そう、それだけ呟くと審神者はは顔を正面に戻した。本をまた開く気にもなれず、机の木目をぼーっと見つめる。窓の外から鳥の声が聞こえてきた。
「勉学で何か得られたものはありましたか」
「ん、まあ色々?」
暑くなってきたな、と彼女はぼんやり思う。これ以上暑くなったら冷房が無いと辛いかもしれない。扇風機だけじゃあ、ちょっと。
「昔のことは難しいね。みんな色々教えてくれるから、助かってるけど」
歴史が特別好きだったわけではない。嫌いだったわけでもないが。勉強をした覚えがない。したことが無いわけは、ないと思うが。
「鯰尾は」
「はい?」
「何かないの、私に覚えておいてほしいこと」
しんと、一瞬静寂が訪れる。すぐに鯰尾は口を開いた。あはは、と乾いた笑いが口から溢れる。
「俺は燃えて記憶が一部無いですから。他の刀みたいにそういうのはあんまりないですかね」
審神者がハッとした表情を一瞬浮かべて、すぐに眉を下げた。ごめんね、と声が漏れる。鯰尾は彼女の肩から手を離すと、軽く彼女の背中を叩いた。
「もーそんな申し訳なさそうな顔しないでくださいって! 後ろを振り返っても仕方ないですよ!」
鳥の羽音が聞こえる。
ごめんね、と笑みを浮かべたまま再度呟く彼女に鯰尾はそっと手を伸ばした。
(なんでこんなに怯えてるんでしょうね)
なんとかその貼り付けた笑みを剥がせないものかとその頬をつねってみる。
「痛い痛い、許して」
「あはは、主ってくすぐりがい無さそうですね」
「なにそれ」
「だって転がりまわって笑ったりしないじゃないですか」
「そんなことないよ」
「じゃあやってみてくださいよ」
「そんな急に言われても無理だって」
ほらー、と言いながら鯰尾は彼女をくすぐろうと脇の下に手を伸ばす。彼女は笑わない。
「感覚ないんですか?」
「あるよ」
彼女の表情が緩んでいく。鯰尾はその様子を見ながら、面白くないなあ、と頭の中では考えた。
(怖がらせてるわけじゃないんですけど)
笑みを貼り付けたままの彼女をくすぐりながら鯰尾は小さく息を吐いた。
大阪城でのイベントが終わって、ずっと大阪城にいた堀川と鯰尾も近侍を任されるようになっていた。近侍は三日ずつで交代制だったが、やはり話しやすい刀剣男士の方が任せやすいという気持ちもあり、彼らは割と高頻度で近侍の任につくようになった。
「俺あんまり書類仕事とか得意じゃないですよ」
「いいよ。チェックくらいしかお願いすることもないのよ」
審神者の言葉にふぅん、と鯰尾が頷く。彼はそれ以上何も言わなかった。
あれからしばらく日が経ったが、相変わらず審神者は近侍に何をさせればいいのかわからないままでいた。
(刀に書類仕事をさせるのもどうかと思うし……任せすぎたら私がやることなくなっちゃうし……)
畑仕事や馬の世話、その他炊事や掃除をさせている上で今更そんなことを言うのかとは思うが、なんとなく気が引けるのだ。そもそも審神者の仕事が書類仕事くらいしかない。と彼女は思っている。これが無くなったら無職だ。そんな気持ちが彼女の中にはあった。相変わらず、悩みの種は尽きない。
そんなわけで、基本的に鯰尾がやっていることは何やら機械をいじって仕事をしている己の主を眺めながら饅頭を食べるだけである。
「近侍って何をするものなのかな」
「それ俺に聞きますか? 俺が今一番聞きたいです」
「そうよね……」
彼女はどうしたものかと息を吐く。
あまり仕事をさせるのはどうかとも思うが、見られているだけなのも気が引けるのだ。
「饅頭食べます?」
「……じゃあ、一個だけ」
鯰尾から一つ饅頭を受け取る。饅頭を包んでいたビニールを剥いで、少しだけ口に入れた。甘い。
「別に言われれば俺雑用でもなんでもやりますからね。今は主の刀なので」
饅頭をしばらく咀嚼して、審神者は何か考え込むように下を向いた。ふと口を開き、彼女は鯰尾の方を向く。
今の主、か。
「……前の主の方が良かったって思うこと、ある?」
ふとこぼれ出した言葉だった。突然なんでこんなこと聞こうと思ったのだろう。こんなこと聞かれても困るだけだろうに。純粋な興味か、それとも。
鯰尾はええ、と髪の毛をわしゃわしゃと掻いた。
困ってる。
「冗談。ごめん」
すぐに審神者はそう笑う。鯰尾は「変な冗談やめてくださいよ!」と頬を膨らまして返しながらもう一つ饅頭を彼女の前に置いた。
「よく覚えてないので。そういうのはわからないですよ」
嘘か本当か。そんなこと彼女にはわからない。
鯰尾はそう笑ったまま、湯呑みに入ったもうぬるい緑茶を飲み干した。
鯰尾が近侍になって三日目の昼過ぎ、その日やらなければいけない仕事が全て終わった物だから、審神者は「今日はもう終わりね」と鯰尾に言い渡した。そのまま「はーい。お疲れ様でーす」と自室に戻ったはいいものの、兄弟たちは皆出陣や遠征や内番に行ってしまっていて、やはりやることがない。仕方ないから鯰尾は執務室に戻っていた。こういう何もない時間彼女が何をしているのか興味があったのだ。
「戻ってきました。入りますね」
そう言いながら襖を開ける。中に顔を出すと、彼女は机に肘をついて本を読んでいるところだった。
何やってるんですか、そう問いかけると彼女ははっと顔を上げた。鯰尾は彼女が読んでいた本を覗き込む。
「歴史の勉強」
手を伸ばしてくる鯰尾の手を払うと、そっとその本をしまう。
「勉強熱心ですね」
「あんまり歴史とか……よくわからないから」
大変ですねえ、と鯰尾は彼女の肩に触れるとおもむろにその肩を揉み始めた。「硬いですね、板でも入れてます?」と冗談交じりに言いながら、しばらく肩揉みを続ける。
「なぁに」
「え?」
突然声をかけられて、鯰尾は素っ頓狂な声をあげた。審神者は微笑んだまま顔だけ少し後ろに向ける。彼の紫色の眼と、視線が交じり合う。
「何か用があるんじゃないの?」
「無いですよ。暇だから」
そう、それだけ呟くと審神者はは顔を正面に戻した。本をまた開く気にもなれず、机の木目をぼーっと見つめる。窓の外から鳥の声が聞こえてきた。
「勉学で何か得られたものはありましたか」
「ん、まあ色々?」
暑くなってきたな、と彼女はぼんやり思う。これ以上暑くなったら冷房が無いと辛いかもしれない。扇風機だけじゃあ、ちょっと。
「昔のことは難しいね。みんな色々教えてくれるから、助かってるけど」
歴史が特別好きだったわけではない。嫌いだったわけでもないが。勉強をした覚えがない。したことが無いわけは、ないと思うが。
「鯰尾は」
「はい?」
「何かないの、私に覚えておいてほしいこと」
しんと、一瞬静寂が訪れる。すぐに鯰尾は口を開いた。あはは、と乾いた笑いが口から溢れる。
「俺は燃えて記憶が一部無いですから。他の刀みたいにそういうのはあんまりないですかね」
審神者がハッとした表情を一瞬浮かべて、すぐに眉を下げた。ごめんね、と声が漏れる。鯰尾は彼女の肩から手を離すと、軽く彼女の背中を叩いた。
「もーそんな申し訳なさそうな顔しないでくださいって! 後ろを振り返っても仕方ないですよ!」
鳥の羽音が聞こえる。
ごめんね、と笑みを浮かべたまま再度呟く彼女に鯰尾はそっと手を伸ばした。
(なんでこんなに怯えてるんでしょうね)
なんとかその貼り付けた笑みを剥がせないものかとその頬をつねってみる。
「痛い痛い、許して」
「あはは、主ってくすぐりがい無さそうですね」
「なにそれ」
「だって転がりまわって笑ったりしないじゃないですか」
「そんなことないよ」
「じゃあやってみてくださいよ」
「そんな急に言われても無理だって」
ほらー、と言いながら鯰尾は彼女をくすぐろうと脇の下に手を伸ばす。彼女は笑わない。
「感覚ないんですか?」
「あるよ」
彼女の表情が緩んでいく。鯰尾はその様子を見ながら、面白くないなあ、と頭の中では考えた。
(怖がらせてるわけじゃないんですけど)
笑みを貼り付けたままの彼女をくすぐりながら鯰尾は小さく息を吐いた。