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炎の中に想いを託して

 五月某日の豊後国。朝八時。
「主さんは兼さんのことをご存じですか?」
「いや……ごめんなさい」
「いや、いいんです。僕が兼さんの魅力をしっかりお伝えしますから」
 その日、堀川国広は朝から気合に満ち溢れていた。
 昨晩こんのすけが「大阪城では短刀だけでなく和泉守兼定などの打刀も入手できますからね。まだ駆け出しの本丸にも最適なイベントですよ」と審神者に説明しているところを聞いたからだ。

 夏華と名を付けられた彼女が審神者となってから数日。
 時の政府は普段から出陣を許可している戦場の他に特別な戦場や訓練場を開放することもある。
 その特殊な戦場の一つにあるのが、大阪城地下と呼ばれる場所だ。ここはどういうわけか小判が大量に手に入るため様々な審神者に好かれている戦場である。
 しかしそんなこと審神者になって数日の上に頼れる友人や知り合いのいない彼女が知るわけもなく。なんとなく「怪しいところには近付かないでおこう」と、この数日大阪城にこの本丸の刀剣男士が足を踏み入れることはなかった。
 そんな彼女たちを見て痺れを切らしたこんのすけが審神者にああいう説明をしたのだ。堀川が近くにいたからわざと和泉守兼定の名前を出した。そうすれば彼がきっと審神者を説得してくれるだろうと踏んだからだ。そしてその思惑はまんまと成功したというわけである。
「あの例の地下室みたいなやつでしょ。変なところじゃないってわかったから出陣してもらうよ。大丈夫」
 朝から例の『兼さん』がどんな刀なのかという話しかしない堀川に、審神者はそう伝える。
 そもそも今現在本丸内で一番を争うほど足りていない小判が手に入ることがわかった今、彼女の中で行かないという選択肢はないのだが。まあ、それは堀川の知るところではない。
「でも一階下がることに小判がもらえるってのもだいぶ怪しいですけどね」
 鯰尾藤四郎が頭の後ろで腕を組みながらそう言う。堀川がそんな鯰尾の横腹を小突いた。
「いった」
「余計なこと言わないでください」
「俺も弟たちがたくさん手に入るって聞いてるから別に反対してないですって。もー堀川って意外に野蛮ですね」
 この鯰尾藤四郎と堀川国広、そして物吉貞宗は何かと審神者の側にいることが多かった。堀川は急須から緑茶を淹れて審神者の前に出す。
 始まりの一振り……この本丸の初期刀である歌仙兼定はたいそう人見知りである。審神者の中で歌仙兼定が人見知りであるというのは通説ではあるが、彼は主である審神者にばかりその人見知りの素養を発揮している。一方審神者も歌仙と二人で話をすることはどうにも気まずくて無理と思っているため案外似た者同士なのかもしれない。ちなみに周りの刀剣男士たちには歌仙は普通に接している。周りが短刀と脇差ばかりだからかもしれないが。
 つまるところ、本丸の柱である審神者と初期刀がそんな様子なため、世話焼きな彼らが審神者の近くにいることが多いのだ。
「ま、主も任せてくださいって。しっかり弟たちも兼さん? も手に入れてきますから」
 鯰尾はジト目で見つめてくる堀川を適当にあしらいながらそう告げる。審神者は「それなら、よろしく」とまだ使い慣れない複雑な機械でおずおずと第一部隊の編成を始めた。
「隊長は僕ですよね」
「えー弟たち拾いに行くって言ってるじゃないですか。俺ですよ」
 慣れない手つきで虚空に表示されている画面を突いている彼女に、堀川と鯰尾はそう後ろから声をかける。堀川においてはもはや掴みかかる勢いだった。
「歌仙です」
 しかし首を横に振って、彼女はそう告げる。えー、と二振りは素直に不満の声を漏らした。
「ほら、行っておいで」
 堀川と鯰尾の腰にプラスチック製のクリップで付けられている端末が震えている。これはこの本丸の刀剣男士全振りに支給されている携帯端末のようなものだ。
 こんのすけが初日に「連絡用の端末が今人気なんですよ」などと言うものだから本丸の初期費用の大半を使って購入した。これのせいで今本丸は金欠であると言っても過言ではないのだが。事実便利なので誰も文句は言っていない。
 審神者が連絡をするときなど、この端末を使えば直接話さなくても伝えることができる。これを受け取ってすぐは戸惑っていた刀剣男士たちだったが、今ではほとんどのものがこれを使って連絡をすることに適応している。
 二振りはその端末で自分たちが部隊に任命されていることを確認したら、「じゃあ行ってきますね」と執務室を出て行った。
 襖が閉められると、途端に静かになる。彼女は座り直すと、小さく息を吐いた。
「審神者の仕事は慣れましたか」
 その時、一人になった審神者のもとにこんのすけがぬるりと現れてそう口を開いた。前足を安物のキーボードの上に乗せて、彼女に向かいこてんと首を傾げる。
「……慣れたって、まだ数日しか経ってないんだから」
「慣れてるように見えますけどね。物吉様や鯰尾様とも仲良くしてるじゃないですか」
「気にかけてくれてるだけよ」
 こんのすけをキーボードからどかしながら彼女はそうため息混じりに告げる。
 事実刀剣男士たちは彼女のことを割とよく思っている様子ではある。脇差以外の……つまるところ短刀たちだが。彼らもこの審神者にはよく懐いている様子だった。短刀は元来女性や若者の手元にあった来歴があることも少なくないからか、皆彼女のことを気にかけてくれている。
「審神者様って陰キャですよね」
「……妖怪ってそう言う言葉使うのね」
「私だってまだまだ若いこんのすけなのですよ。あと私は妖怪ではありません」
 審神者はこんのすけの言葉に露骨に顔を歪めると、「仕方ないでしょ」と呟くように言葉を漏らした。
「まあこの世の中には引きこもりの審神者も物を媒体にして刀剣男士と接する審神者も動物の審神者存在しますからね。もっとニコニコしていた方がいいとは思いますが別に陰キャでもいいんじゃないですか」
「なんかものすごく癪に触るのだけれど」
「刀剣男士との接し方は審神者をやっていく上でとても大事な要素ですよ。応援しています」
 審神者はこんのすけの随分とふわふわした頬を今すぐつねってやろうかと思ったが、すんでのところで思いとどまった。動物に危害を加えるのは、よくない。本当にこのこんのすけが動物であるのかはわからないが。
「大事なお話中でしたか?」
 そのとき、襖を開けて顔を出してきたのは物吉貞宗。この本丸で一番最初に顕現された脇差だ。
 初めて脇差が鍛刀できる資材のレシピで鍛刀をして彼が顕現されたとき、こんのすけは「ビギナーズラック……」と素直に呟いた。審神者も勿論その時すでに顕現していた四振りの刀剣男士も、物吉が脇差の中ではなかなか鍛刀できない刀剣男士であることなどつゆ知らず今日の今日までやってきている。
「ううん、そんなことないよ」
 審神者はこんのすけと話していたときからは考えられないくらい柔らかい笑顔を浮かべて首を横に振る。
 こんのすけは「物吉様、おはようございます」と物吉の足元に擦り寄りに行った。審神者はそんなこんのすけに若干引いている。
「おはようございます。鯰尾くんたちが出陣するからお手伝いさんがいなくなったかなって思ったんですけど……当たりでしたね」
 物吉はニコニコしながら先ほどまで堀川が座っていた座布団の上に腰をかけた。
「お手伝いしてもらうこともそんなにないからわざわざ大丈夫なのに」
 眉を下げて彼女は物吉にそう告げる。物吉はニコニコしながら「ボクがやりたいだけですよ」と言った。
「審神者様はまだお仕事に慣れていないでしょう。手伝ってもらえばいいじゃないですか。物吉様は一応今日の近侍ですし」
 そういえばそうだったかもしれない。こんのすけに言われてようやく審神者はそのことを思い出した。
「まあとりあえず報告書を間違えなく出せば政府には何も言われませんから。とりあえず書いておいてください」
 こんのすけはそれだけ口にすると、跡形もなく姿を消してしまった。一体どういう仕組みなのだろうかと初めこそは考えていたが、いつの間にか彼女もそれを考えることをやめてしまった。ここでは非現実的なことが当たり前に起こるのだ。到底理解が及ばないが、そんなこといちいち考えていたら仕方がない。それはもうこの数日で彼女も理解していた。
「何かボクにできることがあったら言ってくださいね」
 なんでも手伝いますから、ととにこやかな表情で物吉は言った。
 ありがとうと審神者は言ってから、少しだけ伸びをした。何をやらなければいけないのかも正直わかっていない。やらなければいけないことが何もないということがないのは事実だ。
 政府から送られてきた書類の束を一枚一枚眺めてみる。ここでどうやって審神者としてやっていけばいいのか教えてくれる人は誰もいない。唯一情報を与えてくれるこんのすけも、大した情報を持っているわけではないため役に立っているとは言い切れない。出口の見えないトンネル、という表現もあながち間違いではないだろう。
(……とにかく、みんなからの信頼を失うわけには……)
 この状況下で彼女が頼れるのは己が顕現した刀剣男士だけだ。己のことを「主」と呼び慕ってくる、人間ではない彼ら。
 この主従関係だけが今しっかりと存在している命綱のようなものだ。少なくとも彼女はそう思っていた。
「えっと、じゃあ、なんだろう。お茶とか、飲みたいかも……」
 いくら彼らが自分を主と呼んでいても、彼らは神様なのだ。いわばこちらが呼び出してわざわざ戦をしていただいている、と言ったとしても間違えではないだろう。そんな彼らに何を手伝わせるのか。それこそ本丸の掃除や炊事は彼らにも最低限必要なことだ。彼らがやると自主的にやってくれているものなのだから、それに関しては何も文句はない。それを誰かの手伝い抜きで一人で賄えるものではないということ審神者も理解していた。
 しかし審神者の仕事は、それこそ出陣の時の部隊を決定することだったり政府に出さなければいけない書類を作成したり……いわゆる雑務と呼ばれることだが。それは何をどう手伝ってもらえば良いと言うのだ。やりますよと彼らは言うけれど、それをすんなり頼めるような気持ちにはどうにもなれなかった。
 物吉は「はーい!」と元気に返事をすると立ち上がってパタパタと部屋の外へ出て行く。それを見届けてから審神者は再度大きなため息を吐いた。
(慣れない……)
 常に近くに誰かがいることも、誰もが自分を「主」と呼び敬意を示してくることにも。慣れるはずがない、彼女は何度目かもわからない溜め息を吐きながら、まだ手に馴染むことのない万年筆を持った。
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