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第4章 2016.10.16~隠世~


 彗星の核が地球の近地点で砕けることも、その片割れがわずか一時間で大気圏に突入するほど急激に方向を変えてくることも、氷で覆われたその内部に巨大な岩塊がひそんでいたことも、事前には誰も予想できなかった。

 町は、その日がちょうど秋祭りだったそうだ。落下時刻は20時42分。落下地点は、祭りが行われていた宮水神社付近。落下地点ではマグニチュード4.8相当の激震が発生、風速60mを越える爆風により町の大半が吹き飛ばされ、形成された直径約1kmのクレーターの外縁集落は流れ込んできた湖水に沈んでしまった。


 糸守町は、人類史上最悪の隕石災害の舞台と化したのだ。




 ひょうたん型の新糸守湖を眼下に見ながら、立花瀧はそんなことを思い出していた。うっすらとした朝霧の中で太陽を反射するその姿はどこまでも静謐で、三年前にそんな惨劇の舞台だったとはうまく想像できない。三年前に東京の空で見た彗星がこれをもたらしたということも、なんだかうまく納得できない。

 岩だらけの山頂に一人きりで、俺は立っている。目が覚めたら、ここにいたのだ。

 ふと、右手を見た。手のひらに書きかけのような一本の線がある。

 俺は小さく呟いた。

 「俺、こんなところで、何やってんだ……?」







《第4章 2016.10.16~隠世~》







 しばらく手のひらの一本線を見ていた瀧は、あることに気づいた。

 「帰らなきゃ……」

 司と奥寺先輩に先に帰ってもらっていた。「あとから必ず帰ります」という書き置きを残して。あまり心配させるわけにもいかない、早く山を降りなければ。

 だが、まずい……。荷物の入ったバッグをどこかに置いてきてしまっている。スマホの充電も残り少ない。慣れない山の道では、すぐに電源が切れてしまうだろう。というか、そもそも圏外で、地図アプリを開こうにも無理そうだ。バッグに入れておいた地図しか頼れそうにないのだ。

 でも、どこに忘れたか思い出せない……。

 「くそっ、昨日何してたっけ……。」

 頭を抱えたその時、キャップの開いたサインペンが足元に落ちているのが目に入った。自然にそれを拾うと、何かが頭の奥で波打つ。



 昨日の記憶が少し……。

 「そうか、昨日俺は……。」

 後ろに振り返る。そこには、カルデラのような盆地が広がっている。その中に、一本の巨木が見えた。

 理由はわからないけれど、俺はあそこに行ったんだった。

 少し面倒だけど、戻るしかないか。






 案の定、巨木近くの洞窟にバッグがあるのを見つけた。中には何枚かのスケッチに着替えに空の弁当箱に、

 「あぁあった、この辺の地図。おっラッキー、スマホの充電器も持ってきてたんだっけ。」

 時刻は10時30分。これならなんとか、今日中には帰れそうだ。

 立ち上がろうとして、俺はある違和感に気づいて足元を見渡した。石造りの祭壇に瓶子があったのだが、それは右側だけだった。なんとなくだが、左右対称の方がしっくりくると感じたのだ。

 それは簡単に見つかった。なぜか蓋が開いていて、アルコールの匂いが漂っていたが、あまり気に止めず、右側に置いてある瓶子を真似て、コルクを閉め、紐を結ぶ。



 紐から手を離して、俺は再び呟く。

 「本当に、何しに来たんだろうな……。」

 心に残る変な疑問に問いかけた。こんな辺境に来る人などそうそういないだろう。だからこの酒の入った瓶子を動かしたのが自分だという推理はできた。だが、そんなことをした覚えはない。仮にしていたら未成年飲酒法違反になりうる。


 クシュッ―


 「やべ、早く戻ろ。」

 くしゃみによって現実に引き戻された俺は、祭壇に一礼し、洞窟をあとにした……。





 瀧が去ったあと、洞窟に、一人の女性が現れた。それは、清楚な長い黒髪をなびかせながら、優しげな顔で光の注ぐ外の方を見つめていた。

 『ごめんなさいね……私ができるのはここまでみたい。』

 誰もいない、静かで涼しい空間に、柔らかな声が響く。

 『でも不思議なものね……私がこんな手助けをできるなんて。……フフッ、もしかして、そういうことなのかしら。』

 女性は、半分感心している様子で微笑んだ。そして、先ほど瀧が置いた瓶子にそっと触れる。

 『大丈夫、貴方の手は、しっかり覚えてるわ……。糸守を救った英雄くん、いつか貴方に、幸せが訪れますように……。』


 ピンッ―


 暗闇に水滴が落ちたその瞬間、幻だったかのように、その姿は消えていた……。

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