序章・雷雨
ー10年前ー
叩き付けるような豪雨が、新宿の街を濡らしていた。
空はゴロゴロと唸り、時折、光を放って、人々を足早にさせる。
三条龍介は傘も差さずに、雨に濡れていた。
明らかにチンピラ、というような風貌の派手なシャツにギラギラとしたアクセサリーと、後ろへ撫で付けた頭髪。
身長も190センチはあろうかという長身は、見事な筋肉に覆われていて、初対面の人間はほとんどが尻込みする。
容貌は日本人離れした彫りの深い顔が映画俳優のようだと、ギャバ嬢やソープ嬢が群がるようにして寄ってくる。
現に、金はビタ一文払わなくても、日替わりのように美しい女が自分に乗っかってくる。
中学に入った頃から、ずっとそんな状態だった故に、女という生き物には興味を持たなくなっていた。
自然と荒れた世界に住むようになっていた龍介は、今は関東一円を治める広域指定暴力団、いわゆるヤクザの構成員だった。
25歳という若さで手腕を振るう龍介は、組長の瀬戸口の目に留まり、頭角を現していった。
力が全てのヤクザの世界は、自分を自由にしてくれた。
この世界でなければ、人間的な愛情の欠落した自分は生きていけなかっただろう。
「……寒いな。この雨に傘無しはマズかったな」
春の嵐になると、今朝の天気予報で言っていたのを思い出したが、傘を差すのが面倒な龍介は、家から持ってすら出なかった。
全身が濡れ鼠の姿だったが、この大雨では皆が足早に通り過ぎ、誰も龍介を振り返らない。
家に帰るか……と、帰路につこうとした龍介の耳に、悲しい鳴き声が聞こえてきた。
そちら方に目をやると、街路樹の根元に小さな仔犬が震えながら踞っていた。
よく見ると、右脚に血が滲んでいる。
龍介は屈み込んだ。
「お前……ケガしてんのか?首輪、してねぇから飼い犬じゃねぇな。そんじゃ仕方なねぇか」
龍介は仔犬の後ろ首を掴み上げ、片手で抱き上げた。
仔犬はウーウーと言って毛を逆立てて、龍介を威嚇していた。
「オイオイ、手当てしてやろうってんのに、噛みついてくれるなよ?お前、日本犬だろうけど、何犬だ?柴犬にしちゃ毛足が長い」
背中を丸めて仔犬に話かける大きな背中を、大粒の雨がさらに濡らしていた。
1Kという、寝る以外に帰らない狭いマンションに帰ってくると、仔犬をまず風呂に入れた。
自分も一緒にシャワーを浴び、汚れた体を洗ってやる頃には、仔犬はすっかり大人しくなっていた。
危害を加えない人間だと分かったのか、疲労困憊だったのか。
風呂を出て、ドライヤーを当ててやると、美しく長い長い鬣 が現れた。
茶色かった毛色は、銀色のように輝き、尻尾の見事な毛並みは優雅な程だった。
「お前、本当に何犬だよ。まるで狼みてぇな犬だな」
怪我をしていた右脚を、消毒してから軟膏を塗り包帯で巻いてやると、仔犬はため息を吐いて、まるで安堵したかのように見えた。
「お前、何か人間みてぇだな」
仔犬を胡座の上で抱いて撫でていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
それを見ていた龍介にも睡魔が訪れ、やがて仔犬を抱えるように横になると、1人と1匹はまるで寄り添っているようだった。
空腹に目を覚ますと、仔犬は自分の顔をペロペロと舐めていた。
「腹、減ったか?ちょっと待ってろ」
冷蔵庫を開け牛乳を取り出し、それを皿に入れてやると、飛び付くようにしてペロペロと飲み出した。
残りの牛乳は、龍介が紙パックから直接飲んだ。
それからの仔犬との生活は、殺伐とした龍介の人生の中では有り得ない暖かさだった。
帰ると飛び付いて出迎えてくれ、家中を付いて回り、常に横に寄り添ってくる。
家を出る時は、寂しいのかキュンキュンと鳴いた。
そんな生活が当たり前になりかけて一月、仔犬はある日突然、姿を消した。
叩き付けるような豪雨が、新宿の街を濡らしていた。
空はゴロゴロと唸り、時折、光を放って、人々を足早にさせる。
三条龍介は傘も差さずに、雨に濡れていた。
明らかにチンピラ、というような風貌の派手なシャツにギラギラとしたアクセサリーと、後ろへ撫で付けた頭髪。
身長も190センチはあろうかという長身は、見事な筋肉に覆われていて、初対面の人間はほとんどが尻込みする。
容貌は日本人離れした彫りの深い顔が映画俳優のようだと、ギャバ嬢やソープ嬢が群がるようにして寄ってくる。
現に、金はビタ一文払わなくても、日替わりのように美しい女が自分に乗っかってくる。
中学に入った頃から、ずっとそんな状態だった故に、女という生き物には興味を持たなくなっていた。
自然と荒れた世界に住むようになっていた龍介は、今は関東一円を治める広域指定暴力団、いわゆるヤクザの構成員だった。
25歳という若さで手腕を振るう龍介は、組長の瀬戸口の目に留まり、頭角を現していった。
力が全てのヤクザの世界は、自分を自由にしてくれた。
この世界でなければ、人間的な愛情の欠落した自分は生きていけなかっただろう。
「……寒いな。この雨に傘無しはマズかったな」
春の嵐になると、今朝の天気予報で言っていたのを思い出したが、傘を差すのが面倒な龍介は、家から持ってすら出なかった。
全身が濡れ鼠の姿だったが、この大雨では皆が足早に通り過ぎ、誰も龍介を振り返らない。
家に帰るか……と、帰路につこうとした龍介の耳に、悲しい鳴き声が聞こえてきた。
そちら方に目をやると、街路樹の根元に小さな仔犬が震えながら踞っていた。
よく見ると、右脚に血が滲んでいる。
龍介は屈み込んだ。
「お前……ケガしてんのか?首輪、してねぇから飼い犬じゃねぇな。そんじゃ仕方なねぇか」
龍介は仔犬の後ろ首を掴み上げ、片手で抱き上げた。
仔犬はウーウーと言って毛を逆立てて、龍介を威嚇していた。
「オイオイ、手当てしてやろうってんのに、噛みついてくれるなよ?お前、日本犬だろうけど、何犬だ?柴犬にしちゃ毛足が長い」
背中を丸めて仔犬に話かける大きな背中を、大粒の雨がさらに濡らしていた。
1Kという、寝る以外に帰らない狭いマンションに帰ってくると、仔犬をまず風呂に入れた。
自分も一緒にシャワーを浴び、汚れた体を洗ってやる頃には、仔犬はすっかり大人しくなっていた。
危害を加えない人間だと分かったのか、疲労困憊だったのか。
風呂を出て、ドライヤーを当ててやると、美しく長い長い
茶色かった毛色は、銀色のように輝き、尻尾の見事な毛並みは優雅な程だった。
「お前、本当に何犬だよ。まるで狼みてぇな犬だな」
怪我をしていた右脚を、消毒してから軟膏を塗り包帯で巻いてやると、仔犬はため息を吐いて、まるで安堵したかのように見えた。
「お前、何か人間みてぇだな」
仔犬を胡座の上で抱いて撫でていると、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
それを見ていた龍介にも睡魔が訪れ、やがて仔犬を抱えるように横になると、1人と1匹はまるで寄り添っているようだった。
空腹に目を覚ますと、仔犬は自分の顔をペロペロと舐めていた。
「腹、減ったか?ちょっと待ってろ」
冷蔵庫を開け牛乳を取り出し、それを皿に入れてやると、飛び付くようにしてペロペロと飲み出した。
残りの牛乳は、龍介が紙パックから直接飲んだ。
それからの仔犬との生活は、殺伐とした龍介の人生の中では有り得ない暖かさだった。
帰ると飛び付いて出迎えてくれ、家中を付いて回り、常に横に寄り添ってくる。
家を出る時は、寂しいのかキュンキュンと鳴いた。
そんな生活が当たり前になりかけて一月、仔犬はある日突然、姿を消した。
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