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第3章・昇華1

名だたる財閥だけあって、草下邸は都内の一等地に居を構える、歴史を感じる和風の邸宅だった。

光司は初めて着るスーツに、体をモゾモゾとさせていて、何度もアッシュにおかしくないか確認する。

現・会長である祖父は82歳と高齢だが、未だに財閥内では絶対的な権力を持っていた。

今日、相席するのはその祖父の政隆と、草下重工の社長である叔父の良成だった。

「コウジ様、くれぐれもお約束下さい。私には一言一句、漏らさず訳して伝えて下さいますよう」

「分かってる」

高鳴る胸を抑えながら、光司はインターフォンを押した。

すると中から侍女(ヴァリューカでいうところの)のような女性が出てきて、奥の居間まで2人を案内する。

そこは外観の和風な佇まいとは異なり、和洋折衷のような洋間だった。

『初めまして。光司と申します』

そう言ってペコリと頭を下げると、祖父は目を細めて光司を見つめた。

『あぁ……。貴子に生き写しのようだな。遠い所からよく来てくれた』

祖父は心底から喜んでいるようだった。

椅子に座るよう勧められ、光司とアッシュは、祖父と叔父に向かい合うようにして座る。

胸のネックレスに通した指輪を見せると、祖父の政隆は懐かしそうにそれを見つめ、語り始めた。

『その指輪は、結婚前にわしが妻に贈って、亡くなる際に娘の貴子に渡した物なんだ』

指輪の裏には祖母の名前が彫り込んであった。

『あの頃のわしは、とにかく社内や子会社をまとめるのに必死だった。貴子は長女だったから、とにかく後継ぎを産めと急かして、無理矢理に縁談を組ませたりしたよ。……恋人がいると言うのも耳を貸さずに』

政隆は、長い溜め息を吐いた。

『貴子が恋人の浩一君と駆け落ちした当初は、こんな馬鹿もんは知らんと放っておいたんだが。捜索願いを出しても全く見つからなかったのは、海外に逃げておったからなんだな』

光司は父母からしか日本語を学んでいないのもあって、細かな感情面まではアラビア語程に聞き取れない。

そのまま、アッシュへアラビア語に直訳していたが、ニュアンスまでは同じように正しく伝えているかは不安だった。

光司は一番聞きたい事を口にした。

『おじいさんは、お母さんが出て行った後、後悔しましたか?』

『後悔?それはした。この際、相手の男の身分など気にせずに、後継ぎだけでも生ませれば良かったとな』

光司の顔が曇った。

『弟の良成が必ず男子の後継ぎを作ってくれるとは限らん。うちには関連会社も沢山あるから、男の後継ぎはとにかく何人でも欲しかった。そして一番有能な男には草下重工を継がせる、そう決めておったからな』

光司はアッシュへの通訳をするのが辛くなってきた。

アッシュを見ると、それを察してか短く首を振っていた。

必ずアッシュに伝えるのは、勿論、光司を強引なやり方で奪われないようにする為でもあったが、同時に伝えられないような内容には従うな、という意味でもあった。

『今は、叔父さんが後継者として、やってらっしゃるんですよね?』

叔父が答えようとすると、それを祖父が遮る。

『コレは今、ただ座っているだけの男だ。コレの息子も馬鹿息子で当てにならん。光司、とにかく日本に帰って来い』

堪り兼ねた叔父が隣から口を挟んだ。

『お父さん。光司には光司の生活があるんですから、ひとまず話を聞いて……』

『うるさい!お前は黙っておれ!』

光司はもう、アッシュに訳する事が出来なくなっていた。

祖父の横暴さは想像を越えていて、その傲慢さをアッシュに伝えるのも憚れた。

『この際、いくらお前でも、あの馬鹿孫よりはまともだろう。当座は椅子に座っているだけで良い。金に困る事はないぞ』

隣の叔父を見ると、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

祖父は母と別れた時と、恐らく何も変わってはいない。

もう、アッシュに伝える必要はないと思った。

光司は本当に日本に帰りたかったのか?と自問自答した。

母の故郷では、確かに自分を欲してくれている人はいた。

だが、それは『光司』を欲してくれていた訳ではなく、血族が欲しかっただけだった。

スウェイドは強引なやり方ではあったが、光司を欲してくれていた。

たとえ、性欲を満たすだけの存在だとしても、比類なき美女達を差し置いて、男である不利な条件を飲んでまでも、光司を求めてくれていた。

自分はヴァリューカで生まれ育ち、これからも、そこでしか生きてはいけない。

光司は、ただ、純粋に、家族に会いたいだけだった。

『おじいさん、俺は後を継げません』

『光司!お前はまだ若い。今から勉強しても……』

『俺はヴァリューカの人間です。日本では暮らせない。ヴァリューカに……待ってくれている人もいるので』

祖父は何としても光司を引き留めようと、なり振り構わず捲し立てた。

『結婚の約束をしている王族とやらか!婚約破棄の慰謝料ならわしが出そう。日本でなら、どんな女と結婚しても構わん!もう反対はせん。だが、国外はならん!』

光司は首を振った。

『相手は第一王子ですよ?こちらからの婚約破棄は死刑になります』

アッシュは途中から光司の通訳がなくなったが、その内容は察した。

そして、光司は望むべくして望んだ決断をしてくれたのだと確信していた。
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