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序章・捕獲

「みんな!逃げろ!」

スラム街を根城とする少年達は、四方八方に分散した。

ヴァリューカ王国は、観光と鉱物や石油による富める国だった。

そんな裕福な国にも闇がある。

小さな町外れにあるスラム街に住む少年達は、観光客を狙って強盗を重ねる者も多かった。

ヴァリューカ王国は、人口は約22万人と小さな国だが『最も豊かな湾岸人ハリージィ』と言われ、中東一の裕福な国として名を馳せている。

美しい海からは海産物や真珠などの恵みと、海岸沿いには高級ホテルが建ち並び、遺産地区に指定された歴史ある旧市街には店が軒を連ね、多くの観光客を呼び、広がる砂漠からは資源が湧き溢れ。

世界中から『夢の国』と謳われていた。

そこまで大国として名を馳せたのは、元国王になってからである。

海産物だけで暮らしていたかつての貧しい国は、あらゆる分野を開発し、それを売り物にして富める国へと進化し、世界中に名を轟かせていった。

そして、その第一王子が実権を握るようになると、それは加速度的に進んだ。

第一王子、スウェイド・ハムタビ・モハメッド・アル・アクラム。

『氷の貴公子』と呼ばれる彼は、冷徹にして豪胆、若いながらに近隣諸国の王や首長達を従えるカリスマ性があった。

その彫刻のように美しい自ら風貌をも『客寄せ』として利用し、彼を目当てに訪れる観光客や、彼に一目会いたいという権力者の令嬢や有名人をも、ヴァリューカ王国の為に利用する狡猾さだった。

そんなヴァリューカ王国にも影がある。

少数の貧困層が町外れにスラム街を作り、世界中から集まる観光客目当てに、スリや恐喝をする。

スウェイドの目下の悩みでもあった。

「みんな!後でいつもの所にな!」

スリ集団のリーダーらしき少年が声をかけると、子供達が蜘蛛の子を散らすように散開した。

観光客から盗んだカバンを、足が付かないように何度も受け渡しを繰り返して撹乱する。

孤児たちが群れて、金を持っていそうな外国人を襲っていた。

最後にカバンを受け取ったリーダー格の少年が、走りながらカバンの中身を確認する。

「スンゲー分厚い財布!今日は『大漁』かな?」

目線が下を向いていたので、前から迫っていたものに気が付かなかった。

「うっわ!………………って!!」

少年の上を大きな影が覆い被さり、壁のような物にぶち当たって尻餅をついた。

だが、当たり心地が柔らかだったので、それが『人』だとは瞬時に認識していた。

「……小僧。それは、お前の見た目からは どう見ても、不釣り合いに豪華なバッグだな」

遥か高い空の上から、低く滑らかな声が落ちてきた。

見上げると太陽が燦々と照っているせいで、男が巨大だという以外は、その姿が全てシルエットになって何も分からない。

見た事もない巨躯な男に『勝てない』という事だけは瞬時に察知したので、足元からすり抜けるようにして逃げた。

するとその男は少年の襟首を掴んだかと思うと、ヒラリと振り回すように摘まみ上げた。

「なっ!何すんだ!てっめー!くっ……苦しいっ!苦しいっ!」

「子供か。この辺りも物騒なものだな」

少年は自分を持ち上げている巨漢を見た。

身長は2メートル位はあるだろうか。

彫りの深い精悍な顔立ち、浅黒い体、全身が筋肉に覆われた屈強な肉体、豪華な刺繍を施したガンドゥーラ(長衣)と、グトゥラ(頭のスカーフ)を留める宝石を埋め込んだようなイカール(頭のスカーフを留めるバンド)。

ただの平民でないのは見て取れた。

ヴァリューカの人間も近代化が進み、頭のクフィーヤ以外は西欧諸国と変わらない。

こんなに日常から正装しているのは、権力者か王族しかいなかった。

「スウェイド様!もう!勝手にお歩きにならないで下さい」

「アッシュ。野良猫が悪さをしていたぞ」

スウェイドといえば、ヴァリューカ王国第一位王位継承者であり、時の人でもある。

そんなスウェイド殿下が、日中のこんな街中に、護衛も付けずに出歩く事などあるだろうか。

少年はあまりにも有り得ない現実に、襟首を掴まれながら口をパクパクとさせていた。

「スウェイド殿下。その子供は?」

「汚い見た目にそぐわぬ高級なバッグを持っていたので捕まえた。恐らく、この辺りのスリ集団の奴だな」

「視察だけだと仰られましたのに……。そのような事は私が致します。お渡し下さい。お手が……」

スウェイドからアッシュに引き渡される瞬間、少年が逃げようとしたので、すかさずスウェイドは腕の中に抱き寄せた。

「小僧。親は?」

「親なんていない!」

「……孤児か。まだ、10くらいか?」

「失礼言うな!15だ!」

「……コレで成人しているのか?どう見ても子供だろう」

確かに食料事情が悪いからか、少年の体は平均にも及ばず、全身が薄汚れていて、折れそうな程に細かった。

身長もスウェイドの胸の下辺りまでしかない。

懐でじたばたしても無駄だと分かったのか、少年は遥か上にある美しい顏を見上げた。

「苦しいよっ!離せ!もう、カバンは返すから、見逃してくれ!」

「名前は何と言う?」

「……光司……」

「コウジ?お前、ヴァリューカの人間ではないのか?そう言えば肌の色が白い……」

「確かに血筋は他の国のもんだけど、俺はこの国で産まれて育った!ヴァリューカの人間だ!」

「……これは面白い物を見つけたな」

「なぁ?もう許してくれよ。……コレ、返すから……」

コウジはこの国で2番目に偉い人間に、拘束されている現実を徐々に理解し始めて、恐怖を抑える事が出来なくなっていた。

「アッシュ。この辺りの子供達を全員拘束しろ。罰を与える」

「や、やめてくれ!アイツらには、何もしないでくれ!」

「お前達は強盗だろう。罪人は罰せねばならん」

「お、俺、何でもするから、アイツらは見逃してくれよ!家族同様なんだ」

スウェイドの厚い唇が、ニヤリと片方だけ吊り上がった。

「私は今日、このスラム街を一掃する為に視察に来たのだ。ちょうど良い。全部、掃除してやる」

「や、やめろ!やめてくれ!お願いだから」

「……そうだな。お前に免じて、今日はこのまま帰ってやっても良い」

「本当か?!」

スウェイドは拘束していたその腕を一瞬緩め、光司の膝裏に腕を通し、その小さな体を抱き上げた。

「今から、お前は私の奴隷になる。私の言う事に従う、私専用の奴隷にな」
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