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とある一夜のこと

夜半にふと目が覚め、再び寝入るに寝られなくなってしまったので、住居の外の階段にぼんやりと腰掛けていたらどうやら山南さんらしき人が遠くから歩いてくるのが見えた。互いの顔がはっきり見えるほど近くまで来るまで向こうは私に気づかず驚いたようで「君、こんな夜遅くにどうしたんだい」と尋ねてきた。
「なんだか目が冴えてしまって」
「そうか。私も眠れなくてね。この辺りを歩いていたんだ」
「そうですか」と言葉を交わし、しばし沈黙が流れる。
遠くで蛙が鳴いている。
「すこしの間、隣に失礼しても構わないかい」と聞かれたのでどうぞ、と答え、少し端に寄った。側に並んで腰掛けた山南さんの体はほんのりと暖かく、自分の体がすっかり冷えていることに気づいた。これを、と言って山南さんは私に羽織をかけた。ふわっと柔らかい匂いが私の体を包んだ。なぜだかすこし懐かしいような匂いだった。
「君は強いね。世界を救うだなんて」
山南さんがぽつりと言った。
「私……私は、最後の一人になってしまったのでやることをやっているだけです」
「私はきっと君のようにはうまくできないだろうな」
「そうでしょうか」
「そうだろうね。とどのつまり私は生きるのが下手なんだ」
そう言うと困ったような笑い顔を浮かべた。
「山南さん」
「なんだい?」
「私は最後のマスターでいることがすこしこわいです」
「こわいのか」
「こわいです。きっと死ぬよりもこれからもずっと生きなくちゃいけないことがこわい」
沈黙すると遠くにぐわぐわと蛙の鳴き声がする。
「……君ならきっといつも人生の正解のほうを選べるだろう」
「人生の正解、ですか」
「私は道を違えてしまった。私も……そうだね、君のように走り続けて、ある時ふと振り返ってしまった。そうしたら途端にどうしたらいいのかわからなくなってしまったんだよ」
私もマスターになってから今までに想いを馳せると様々な世界での、様々な人々やサーヴァントとの思い出が去来した。とにかく力の限り走り続けるしかなかった。一つの通過点を過ぎるたびに毎回周りの人たちはお疲れ様、ありがとうと労ってくれた。しかし自分が正解を選んできたのかは考えてもわからなかった。
「私もどうしたらいいのかわかりません。生きて、走り続けて、人類史を救うしかない」
縋るように山南さんの横顔を眺める。ぼんやりと遠くを見つめていた。
「じゃあまた逃げてみようか」
山南さんは遠くを見つめたままそう呟いた。山南さんとなら、ふとこのまま夜闇の中に紛れてしまってもいいような気がした。今まで人類史を救ってきた自分がもはや自分でないように思われた。
「……そうですね」
「当て所もなく二人で歩き続けていったらどこに辿り着くのだろうね。君が私と逃げてしまったら辿り着く場所も世界もなくなってしまうね」
「はい」
そう答えると山南さんは、はは、と笑った。
「私は結局また正解を選べないんだね。やはり逃げるのはやめよう。忘れてくれないかい」
「……はい」
「さて。そろそろ寝ようか。遅くまで話し込んでしまってすまないね」
「いえ。これ、ありがとうございました」と羽織を返した。
「おやすみ、暖かくしてゆっくり眠るんだよ」
私の頭にぽんと手を置いて山南さんはそう言った。
私は去ってゆく背中に向かって「山南さん。山南さん」と小さく呟いた。
「私ほんとうは山南さんと逃げたかったよ」
その声は暗い夜のなかに溶けていった。
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