いただいたお話

有償依頼で、にじいろたまご様(Xアカウント→@ark_sky_rain)にご執筆いただいたお話です!

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【主な登場人物】
・セオドール王子
・イグナツ副隊長

【注意】
・BL表現が含まれております。








ゆったりとした所作で書架の前を移ろいながら、時折目に留まった書物を手にとっては眺め、気に入るとそのまま読みふける。その瞳がいつになく輝いているのを見ると、こちらの心まで穏やかに満たされていくようだ。

「君も突っ立っていないで読んだらどうだい。……書は嫌いかい?」

不意に柔らかな声音で問われて、オレは一瞬答えに詰まった。

「……私の任務は、ティモ様に代わり貴方様をお守りすることですので」

「こんな奥まったところにある書庫になんて、誰も来やしないよ。もしわたしの命を狙う者が城に忍び込んだとして、ここにわたしがいるとは夢にも思わないだろう」

「そういうことではございません」

毅然とした態度で断ると、彼はわかりやすくしゅんと肩を落とした。

「わたしの話し相手になってほしいと言っているんだよ」

公務ではないこの場では、人目を気にすることもない。心なしか幼く感じる彼のしぐさに内心胸をときめかせながら、オレは降ってわいたこの幸運に感謝した。

第二王子専属近衛兵隊の副隊長であるオレが主人を守る任務に就くのは当然のことながら、日常的にその役割を担っているのは側近であるティモだ。オレたちはもっぱら公務や外出の際の護衛として王子を守る役割を担っており、日常生活に深くかかわることは稀なのである。

しかし今日は違う。ティモが会議のため王子のそばを離れる間の代理として、オレが指名された。王子直々にだ。やはり彼はオレのことを特別に思ってくれているのだろう。

「ティモも書庫に入るとめっきり静かになるんだ。腕の立つ者は書物には興味がないらしい」

それほど残念でもなさそうに彼は言い、その口元に微かに笑みを浮かべた。威厳を表現したいのかなんなのか、その顎には美麗な容姿とおよそ似つかわしくない髭が僅かながら蓄えられている。重くおろされた前髪の奥のその瞳は深く憂いを帯びているようで、それが儚げで美しく女どものため息を誘うのだが、当人はそのことにあまり関心のない様子だ。女に興味がないだの、男として役立たずに違いないだの、こと色恋方面に関しては不名誉な噂の絶えない第二王子だけれども、そのくせ人を惹きつける魅力には長けている。なんとも皮肉なものだ。しかもその相手は女だけではない。男も魅了してしまうのだからたちが悪い。

「ご存知のとおり、私も剣技を磨くことだけに心血を注いで参りましたから」

何かとオレを王子から遠ざけようと画策しているふしのあるティモから話題を逸らしたくて、オレはさりげなく自分の話に持っていった。ティモの奴が剣技を磨くことだけに心血を注いできたかなど知らない。むしろ甘いものにも相当うつつを抜かしてきたはずだろうが、敢えて目を瞑ってやるのだ。

彼はオレが話に乗ってきたのが嬉しいとでも言うようにふわりと目尻をさげ、手にした書物で口元を隠しながら小さく笑った。

「わたしは君たちのような逞しさが羨ましく思うよ。持って生まれたものもあるだろうが、わたしごときが鍛えてもなかなか思うようにはいかないから」

「僭越ながら、セオドール様は書物のほうがお似合いになるかと思われますよ」

「そうかい? それは嬉しいな。……わたしは争いごとは好まない。できれば自ら剣を振るうことなどしたくないとも思っているから……矛盾しているんだ。君にはわかってしまうんだね」

彼の視線が書物の奥からまっすぐに、控えめに届いてきて、瞬間、オレは胸の奥をぐにゃりと掴みこまれたような心地になった。

初めて会った頃からそうだ。この王子は敵も多いオレのことを一度も警戒することなく、ありのまま受け入れてくれた。真摯に耳を傾け、笑いかけてくれる。そんな彼にオレはいつも癒しを与えられ、許され、……気づけば心をすっかり奪われてしまっていた。憎き父親より大きな力を得るためにと必死で頑張ってきただけの、憎しみを除けばなにひとつ望みのないからっぽの人形のようだったオレの心を、いとも簡単に満たしてくれたのが彼だったのだ。

彼に愛されたい。彼のすべてをオレひとりのものにしたい。その願望は常につきまとっていて、離れることはない。彼とごく近い距離で見つめあっている、いまこの瞬間も。

「……セオドール様」

美しい笑みを浮かべている彼の瞳に吸い寄せられるようにして、気が付いたら身体が勝手に動いていた。

「どうした、君もようやく書を手に取る気になったのかい?」

からかうような声音は、そのまま喉奥に吸い込まれていく。

「イグナツ……?」

ぽつりと名を呼んだ彼の目前に跪いて、おろおろとしているその左手を取った。そのまま、手の甲に唇を押し当てる。

「ずっと……以前からお慕い申し上げておりました」

「…………え?」

見あげたその先で、王子の頬はうっすらと色づいていた。その右手から、手にしていた書物がばさりと床に落ちる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。……いきなりなにを」

「いきなりではございません」

腹の底からわきあがるなにかに引っ張られるようにして立ち上がる。気持ちが堰を切ったように止まらない。唐突に溢れだして、目の前の愛するひとへと一直線に流れていくのだ。大丈夫。彼なら受け入れてくれる。だってオレといるときの彼はいつも穏やかで、優しくて、……まるでオレを愛しいと言わんばかりだったじゃないか。

「愛しています、セオドール様」

「まっ……!」

書架に背中を押しつけるようにして、その唇から呼吸を奪った。

「んっ……」

初めて触れる唇。思いのほか柔らかであたたかく、彼が生身の人間であり、日頃から念入りに手入れされた王族であることを一瞬にして悟らせるほどの感触である。夢にまで見たその温もりを存分に味わい噛みしめてから離れると、そこでようやく、オレは己のとんでもない間違いに気づいたのだった。

彼もきっと、恍惚とした表情を浮かべてオレを見あげているに違いない。そう信じて疑わなかったオレの目前にあるのは、ただただ困惑にまみれた王子の姿。

「…………悪いが、君の気持ちには応えられない」

「……セ、セオドール……様……」

「君のことは信頼しているし、好ましく思っているよ。……だが、……それは君の欲している愛とは違うものだ。……すまない」

「…………あ……」

頭の中が真っ白でなにも言葉が出てこない。

やってしまった。間違えてしまった。とんでもないことをしてしまった。全部勘違いだった。でもオレのことを好きだったはずじゃないのか? 好きでもないならなぜいつも思わせぶりな態度ばかり……! いろいろな思考が飛び交って一向にまとまらない。ただ混乱の中、全身から血の気が引いていくのだけを理解していた。

「君の無礼は誰にも告げない。幸いわたしは傷を負ったわけではないし、すべて忘れよう。……だから君も今日のことは忘れてくれ。金輪際、繰り返すな」

淡々と宣告する王子の声が、どこか遠くに聴こえる。本当に取り返しのつかないことをしてしまったのだ。もう引き返せない。二度と繰り返せない。やり直しはない。あれほど切望していた王子の心も身体も、二度とオレのものにはならないのだ。……力で無理やりねじ伏せる以外ないが、さすがにそこまで落ちぶれてはいない。傷つけたくて愛したわけではないのだから。

「わかったね、イグナツ?」

冷静なその声は、告白には動揺しても口づけには動揺していない事実を明白に教えてくれる。……望みは霞ほどもないという事実を。

「……御意」

片膝をつきこうべを垂れ、オレはなんとか声を絞り出した。

そうすることしか、できなかった。










【Nicoより】
にじいろたまご様、とても素敵な小説をありがとうございました!
掲載許可もいただけて光栄です。
イグナツさん視点でのお話がとても切ない…!!
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