短編小説
【主な登場人物】
・近衛兵隊の副隊長イグナツ
・セオドール王子
・その他、近衛兵隊の隊員たち
【注意】
・BL表現を含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。
※こちらのお話は、『蒔かれた、種』の続きとなっております。先にぜひそちらをお読みください。
『芽生えた、恋』
—空は、晴天。
今日はアイネスベルン王国の、王族直属の近衛兵隊総員が一堂に会する日だ。
月に一度行われる、「合同訓練日」なのである。
この日は皆が訓練所である広場につどい、互いの剣の腕を磨き、情報を交換・共有する重要な一日である。
先日セオドール第二王子の兵隊の副隊長に任命されたばかりのイグナツにとっては、部下たちとの初めての合同訓練日となった。
彼は地方兵団出身でありながら、二十歳という若さで百人近くいるセオドール王子の近衛兵隊のナンバー2という座に抜擢されたのだ。
当然、それが面白くないと感じる兵士たちは大勢いた。
イグナツが地方でやってきた「権力」や「力」を得るための行為は、黒い噂として既に王宮内に知れ渡っている。
しかし、イグナツ本人はそれに対して悪びれる様子も無い。むしろ、堂々とさえしている。
それがまた、部下たちの反発心を余計に煽る結果となっていた。
それに加えて、イグナツが副隊長に任命される前の「前副隊長」は、気さくで優秀な人物であった。
部下たちの信頼も厚かったのだが…不運なことに、非番の日に急死してしまい、その時は隊士たち全員がショックを受けた。
それは勿論、主であるセオドール王子も同じことだった。
亡くなった前副隊長の喪が明け、やってきたのが―…この、「若干二十歳の成り上がりの生意気そうな若造」だったのだ。
隊員たちの、イグナツ新副隊長に対する風当たりが強くなるのも、道理である。
◆◇◆
合同訓練当日。
主であるセオドール第二王子の護衛役である数名の兵士を除いて、全ての兵士たちが訓練所に集められた。
そこには、「鬼の隊長」と呼ばれているミヒャエル隊長も当然、参加していた。
隊長はスキンヘッドの強面の屈強な兵士であり、齢40歳を超えても尚、筋骨隆々で厳格な軍人である。
そんな鬼の隊長も、そしてまた部下一同も、こぞって「地方で武勇を上げてきたらしいヒヨッ子副隊長殿」の腕前がどんなものか、品定めをするつもりらしい。
ミヒャエル隊長の次に剣術が得意だと豪語する一人の青年が、イグナツに手合わせを申し込んできた。無論、イグナツはそれを受けて立った。この場にいる全ての兵士たちに、自分の実力を見せつける絶好の機会だったからだ。
大勢のギャラリーに見守られながら、イグナツと相手の部下は一定の距離を置き、向き合った。
まずは、互いに敬意を払うために、「礼」の姿勢を取る。
互いの剣(訓練である為、真剣ではなく木製の剣ではあるが―)を、相手の前に突き出し、そしてその剣を自分の顔の前に掲げる。
これは、「礼儀」を重んじる「騎士道精神」の表れだ。
だが、地方の戦場で常に「生きるか死ぬか」「殺すか殺されるか」を経験してきたイグナツにとっては、綺麗事でしかない「騎士道精神」とやらには心底馬鹿馬鹿しさを感じていた。
とは言え。
ここはアイネスベルン王国の首都で、しかも王宮内である。
ここでは、無骨な強さよりも、優美さや相手への敬意・誠実さ等が求められる。
今後、この王宮で生き残りたければ、この王宮内の規範に従うことだ。
「郷に入っては郷に従え」、ということである。
イグナツは、スマートな仕草で「礼」の姿勢を取り、模擬試合は開始された。
イグナツは即座に相手の全身を見やり―、その後、相手の目の動きや呼吸の仕方、そして体のささいな動きにも神経を集中させた。
地方の古臭い甲冑を着た兵士たちと比べると、近衛兵隊の制服は筋肉の動きが読みやすく、行動の先読みがしやすい。
相手と対峙したイグナツは、すぐに「この男は自分よりもはるかに格下である」と見抜いた。
相手の動きが、あまりにも「優等生」すぎるのである。
王宮の近衛兵としては問題が無いかもしれないが、これで本当に主君の危機に即座に対応できるだろうか?という一抹の不安がよぎった。
その「優等生」の彼は、果敢にもイグナツに攻撃を仕掛けてくるが―、イグナツにとっては、まるで子どもを相手にしているようなものだった。
だが、あまりにも早く試合を終わらせてしまっては、己の力を誇示することができない。
攻め込んでくる相手を、最小限の動きでいなし、「そろそろだろう」と思った所で、イグナツは素早い太刀筋で相手の木刀を空中へとはじき飛ばした。
そして、イグナツの剣は相手の喉元ぎりぎりに突きつけられた。
勝負はあった。
イグナツの、完全勝利である。
宙を舞う木刀は、勢いよくクルクルと回転し―、地面へと叩きつけられた。
それはあっという間の出来事で、訓練所はシン…と静まり返った。
そして。
「参りました…」と、相手は両手を上げ、降伏の意を示した。
◆◇◆
すると、訓練所の隅にある木の陰から、控えめな拍手が聞こえてきた。
皆がそちらを向くと、側近のティモと護衛の兵士複数人を伴っていたセオドール第二王子が、感心した様子で手を叩いていたのだ。
「「「セオドール殿下!」」」
即座に、その場にいた兵士たち全員が跪く。
すると、王子は困ったような、バツが悪そうな表情を浮かべ、こう言った。
「すまない、訓練中に邪魔をしたね。でも、彼の太刀筋があまりにも見事なものだったから、思わず見とれてしまって」
そう言うと、セオドール王子はイグナツの方にしっかりと向き合い、目をじっくりと見ながら、
「イグナツ・キーヴィル副隊長だったね。噂通りの、素晴らしい剣の腕前だったよ」
と称賛の声をかけてくれた。
「はっ、セオドール殿下からそのようなお言葉を賜り、至極光栄であります」
イグナツは跪いたまま、ハキハキとした声で礼を述べた。
それにしても…、イグナツが副隊長として就任してからまだ半月も経っていないというのに、王子はイグナツのフルネームや顔までも覚えてくれていた。
確かに、就任一週間後に直接話をする機会はあったが…、大国の王子という尊い身分の貴人が、いちいち部下の顔とフルネームを覚えてくれていたことに驚きを禁じ得なかった。
その王子が、自分の剣の腕前を褒めてくれた。
―これは幸先がいいぞ。
イグナツは、心の中でほくそ笑んだ。
野心家のイグナツにとって、第二王子の兵団の副隊長という座は、単なる通過点に過ぎない。
いずれは隊長の座へ。
そして、第一王子ヴィルヘイム様の兵団へ。
最終的に狙うのは、勿論、現国王の兵団の隊長の座である。
エリート中のエリートのみが選ばれるという、最上位の地位。
そこへ至るまでには、まだまだ時間や労力、経験や戦略が必要であろう。
だが、今こうして、第二王子に己の実力を示すことができた。
これは非常に、幸先が良いことだ。これを何とか利用して、次に活かさなければ。
そんな打算的な考えを巡らせていたイグナツに、セオドール王子は思いがけない言葉をかけた。
「…まだ年若いのに、そこまでの実力を得るためにどれほどの努力と修練を積んできたんだい?」
「…え?」
イグナツは思わず、顔を上げた。
目の前には、至極まじめな表情を浮かべた王子の顔があった。
「わたしは剣術はたしなむ程度だけれど…、それでも君の技量には目を見張るものがあったよ。ここまでの腕前に到達するまでに、さぞかし長い間努力と研鑽を積んできたんだろうね」
…………「努力」? 「研鑽」?
イグナツの脳裏に、多くの疑問符が浮かんだ。
確かに、イグナツは人生のほぼ全てを「力を得ること」と「権力を得ること」に固執して生きてきた。
それは、自分を支配してきた父親以上の物理的な力と、権力が欲しかったからである。
その為に、イグナツは文字通り、何でもやってきた。
…それが、この王子様には「努力して、研鑽を積んできた」ように見えるのだろうか?
イグナツは混乱した。
そして、絞り出した答えが、「いえ…そのような…、その、大した事では…」という、彼にしてはひどく弱々しい返事だった。
思い返してみれば、今まで誰一人として、自分に対して「努力しているんだね」と真っすぐな瞳で純粋に褒めてくれる人はいなかった。
実の両親は勿論のこと、ねんごろになった女たち、過去の上司や同僚たちもそうだ。
イグナツが今までにしてきた、血がにじむような鍛錬やそこに至るまでの過程。それらを、誰も褒めてはくれなかった。彼らが見ていたものは全て、「結果」のみだった。
イグナツ自身も、それが「当たり前」だと思っていた。
…今の今までは。
イグナツはうつむき、戸惑いながらもセオドール王子に問いかけた。
「…オレの剣は、そんなにいいものでしたか?」
―もっと王子からの言葉を聞きたい。
―もっと、彼から褒められたい。
まるで子どものような欲求が、イグナツの全身から湧いてきた。
問われたセオドール王子の顔が、ぱあっと明るい表情になった。
「ああ、勿論だとも! 一切の迷いを感じさせない、無駄のない太刀筋だったし、型がとても綺麗で、まるで一種の舞いを踊っているようだった! こんなに洗練された動きを習得するまでに、どれほどの訓練と実践を繰り返してきたのだろうと想像してしまったよ。わたしには、とても真似ができない」
普段の穏やかさとは違った、熱意のこもった王子の言葉に、イグナツは思わず圧倒されてしまった。
その様子を見た王子は、「しまった…」という表情をして、申し訳なさそうに弁明を始めた。
「すまない…。感激してしまうと、つい多弁になってしまう…。わたしの悪い癖だ」
そう言うと、王子は肩と眉を下げ、苦笑いをした。
その笑顔は、普段よりも幼く見え―
イグナツは、自分の胸に何か熱くなるものを、確かに感じた。
「…ありがたき、幸せです。今後とも、セオドール様の為に精進して参ります」
イグナツはそう言うと、深々と頭を下げた。
その時、地面にポタポタと水が落ちていることに彼は気が付いた。
…雨だろうか?
いや、違う。
イグナツの目から、涙がこぼれていたのだ。
この時、イグナツは何故自分が泣いているのか、すぐには理解ができなかった。
とにかく、部下たちにこんな姿を見られたくなくて、彼は素早く袖で涙をふいた。
…この時から、イグナツはセオドール王子に心を奪われていたのだろう。
自身の努力を、初めて純粋に評価してくれた人なのだから。
そんなイグナツの気持ちを知る由もないセオドール王子は、自分の兵隊の隊員たち全員にも労いの言葉をかけていた。
「他のみんなも、訓練ご苦労様。いつもありがとう。君たちのお陰で、わたしも安心して外を歩くことができるよ。これからもよろしく頼むね」
その場にいた兵士たちは皆、一糸乱れぬ動きで王子に敬礼をし、「はっ!ありがたき幸せです!」と一斉に答えていた。
セオドール王子が公務へと戻っていった後、兵士たちは口々に自分たちの主を褒め称えていた。
「やはり、セオドール殿下はお心が広い御方だ」
「あの御方の元で働けるなんて、俺たちは果報者だな」
…それらの言葉を聞いたイグナツの心は、大いに乱れた。
それは、「嫉妬」という感情のせいだった。
―あの御方の、一番の兵士になりたい。
―あの御方のことを、もっと知りたい。
―あの御方に、もっともっと褒められたい。
―…あの御方の隣に、常に立っていたい…。
狂おしい程の想いが、炎のように燃え上がった。
王子と初めて出会った時に蒔かれた種は、激しい恋心として芽生えたのだった。
その芽は次に、どんな花を咲かせるのだろう。
ふと、イグナツは空を仰いだ。
燃える激情とはまるで正反対の、どこまでも澄みきった青色が広がっている。
こんなに美しい青を、イグナツは今までの人生の中で一度も見たことが無い。
―きっと、セオドール様のお側にいれば、もっと多くの色が見られるだろう。
イグナツは何故か、そう確信していた。
了
こちらのお話は、pixivでもご覧いただけます。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26468866
・近衛兵隊の副隊長イグナツ
・セオドール王子
・その他、近衛兵隊の隊員たち
【注意】
・BL表現を含んでおりますので、苦手な方はご注意ください。
※こちらのお話は、『蒔かれた、種』の続きとなっております。先にぜひそちらをお読みください。
『芽生えた、恋』
—空は、晴天。
今日はアイネスベルン王国の、王族直属の近衛兵隊総員が一堂に会する日だ。
月に一度行われる、「合同訓練日」なのである。
この日は皆が訓練所である広場につどい、互いの剣の腕を磨き、情報を交換・共有する重要な一日である。
先日セオドール第二王子の兵隊の副隊長に任命されたばかりのイグナツにとっては、部下たちとの初めての合同訓練日となった。
彼は地方兵団出身でありながら、二十歳という若さで百人近くいるセオドール王子の近衛兵隊のナンバー2という座に抜擢されたのだ。
当然、それが面白くないと感じる兵士たちは大勢いた。
イグナツが地方でやってきた「権力」や「力」を得るための行為は、黒い噂として既に王宮内に知れ渡っている。
しかし、イグナツ本人はそれに対して悪びれる様子も無い。むしろ、堂々とさえしている。
それがまた、部下たちの反発心を余計に煽る結果となっていた。
それに加えて、イグナツが副隊長に任命される前の「前副隊長」は、気さくで優秀な人物であった。
部下たちの信頼も厚かったのだが…不運なことに、非番の日に急死してしまい、その時は隊士たち全員がショックを受けた。
それは勿論、主であるセオドール王子も同じことだった。
亡くなった前副隊長の喪が明け、やってきたのが―…この、「若干二十歳の成り上がりの生意気そうな若造」だったのだ。
隊員たちの、イグナツ新副隊長に対する風当たりが強くなるのも、道理である。
◆◇◆
合同訓練当日。
主であるセオドール第二王子の護衛役である数名の兵士を除いて、全ての兵士たちが訓練所に集められた。
そこには、「鬼の隊長」と呼ばれているミヒャエル隊長も当然、参加していた。
隊長はスキンヘッドの強面の屈強な兵士であり、齢40歳を超えても尚、筋骨隆々で厳格な軍人である。
そんな鬼の隊長も、そしてまた部下一同も、こぞって「地方で武勇を上げてきたらしいヒヨッ子副隊長殿」の腕前がどんなものか、品定めをするつもりらしい。
ミヒャエル隊長の次に剣術が得意だと豪語する一人の青年が、イグナツに手合わせを申し込んできた。無論、イグナツはそれを受けて立った。この場にいる全ての兵士たちに、自分の実力を見せつける絶好の機会だったからだ。
大勢のギャラリーに見守られながら、イグナツと相手の部下は一定の距離を置き、向き合った。
まずは、互いに敬意を払うために、「礼」の姿勢を取る。
互いの剣(訓練である為、真剣ではなく木製の剣ではあるが―)を、相手の前に突き出し、そしてその剣を自分の顔の前に掲げる。
これは、「礼儀」を重んじる「騎士道精神」の表れだ。
だが、地方の戦場で常に「生きるか死ぬか」「殺すか殺されるか」を経験してきたイグナツにとっては、綺麗事でしかない「騎士道精神」とやらには心底馬鹿馬鹿しさを感じていた。
とは言え。
ここはアイネスベルン王国の首都で、しかも王宮内である。
ここでは、無骨な強さよりも、優美さや相手への敬意・誠実さ等が求められる。
今後、この王宮で生き残りたければ、この王宮内の規範に従うことだ。
「郷に入っては郷に従え」、ということである。
イグナツは、スマートな仕草で「礼」の姿勢を取り、模擬試合は開始された。
イグナツは即座に相手の全身を見やり―、その後、相手の目の動きや呼吸の仕方、そして体のささいな動きにも神経を集中させた。
地方の古臭い甲冑を着た兵士たちと比べると、近衛兵隊の制服は筋肉の動きが読みやすく、行動の先読みがしやすい。
相手と対峙したイグナツは、すぐに「この男は自分よりもはるかに格下である」と見抜いた。
相手の動きが、あまりにも「優等生」すぎるのである。
王宮の近衛兵としては問題が無いかもしれないが、これで本当に主君の危機に即座に対応できるだろうか?という一抹の不安がよぎった。
その「優等生」の彼は、果敢にもイグナツに攻撃を仕掛けてくるが―、イグナツにとっては、まるで子どもを相手にしているようなものだった。
だが、あまりにも早く試合を終わらせてしまっては、己の力を誇示することができない。
攻め込んでくる相手を、最小限の動きでいなし、「そろそろだろう」と思った所で、イグナツは素早い太刀筋で相手の木刀を空中へとはじき飛ばした。
そして、イグナツの剣は相手の喉元ぎりぎりに突きつけられた。
勝負はあった。
イグナツの、完全勝利である。
宙を舞う木刀は、勢いよくクルクルと回転し―、地面へと叩きつけられた。
それはあっという間の出来事で、訓練所はシン…と静まり返った。
そして。
「参りました…」と、相手は両手を上げ、降伏の意を示した。
◆◇◆
すると、訓練所の隅にある木の陰から、控えめな拍手が聞こえてきた。
皆がそちらを向くと、側近のティモと護衛の兵士複数人を伴っていたセオドール第二王子が、感心した様子で手を叩いていたのだ。
「「「セオドール殿下!」」」
即座に、その場にいた兵士たち全員が跪く。
すると、王子は困ったような、バツが悪そうな表情を浮かべ、こう言った。
「すまない、訓練中に邪魔をしたね。でも、彼の太刀筋があまりにも見事なものだったから、思わず見とれてしまって」
そう言うと、セオドール王子はイグナツの方にしっかりと向き合い、目をじっくりと見ながら、
「イグナツ・キーヴィル副隊長だったね。噂通りの、素晴らしい剣の腕前だったよ」
と称賛の声をかけてくれた。
「はっ、セオドール殿下からそのようなお言葉を賜り、至極光栄であります」
イグナツは跪いたまま、ハキハキとした声で礼を述べた。
それにしても…、イグナツが副隊長として就任してからまだ半月も経っていないというのに、王子はイグナツのフルネームや顔までも覚えてくれていた。
確かに、就任一週間後に直接話をする機会はあったが…、大国の王子という尊い身分の貴人が、いちいち部下の顔とフルネームを覚えてくれていたことに驚きを禁じ得なかった。
その王子が、自分の剣の腕前を褒めてくれた。
―これは幸先がいいぞ。
イグナツは、心の中でほくそ笑んだ。
野心家のイグナツにとって、第二王子の兵団の副隊長という座は、単なる通過点に過ぎない。
いずれは隊長の座へ。
そして、第一王子ヴィルヘイム様の兵団へ。
最終的に狙うのは、勿論、現国王の兵団の隊長の座である。
エリート中のエリートのみが選ばれるという、最上位の地位。
そこへ至るまでには、まだまだ時間や労力、経験や戦略が必要であろう。
だが、今こうして、第二王子に己の実力を示すことができた。
これは非常に、幸先が良いことだ。これを何とか利用して、次に活かさなければ。
そんな打算的な考えを巡らせていたイグナツに、セオドール王子は思いがけない言葉をかけた。
「…まだ年若いのに、そこまでの実力を得るためにどれほどの努力と修練を積んできたんだい?」
「…え?」
イグナツは思わず、顔を上げた。
目の前には、至極まじめな表情を浮かべた王子の顔があった。
「わたしは剣術はたしなむ程度だけれど…、それでも君の技量には目を見張るものがあったよ。ここまでの腕前に到達するまでに、さぞかし長い間努力と研鑽を積んできたんだろうね」
…………「努力」? 「研鑽」?
イグナツの脳裏に、多くの疑問符が浮かんだ。
確かに、イグナツは人生のほぼ全てを「力を得ること」と「権力を得ること」に固執して生きてきた。
それは、自分を支配してきた父親以上の物理的な力と、権力が欲しかったからである。
その為に、イグナツは文字通り、何でもやってきた。
…それが、この王子様には「努力して、研鑽を積んできた」ように見えるのだろうか?
イグナツは混乱した。
そして、絞り出した答えが、「いえ…そのような…、その、大した事では…」という、彼にしてはひどく弱々しい返事だった。
思い返してみれば、今まで誰一人として、自分に対して「努力しているんだね」と真っすぐな瞳で純粋に褒めてくれる人はいなかった。
実の両親は勿論のこと、ねんごろになった女たち、過去の上司や同僚たちもそうだ。
イグナツが今までにしてきた、血がにじむような鍛錬やそこに至るまでの過程。それらを、誰も褒めてはくれなかった。彼らが見ていたものは全て、「結果」のみだった。
イグナツ自身も、それが「当たり前」だと思っていた。
…今の今までは。
イグナツはうつむき、戸惑いながらもセオドール王子に問いかけた。
「…オレの剣は、そんなにいいものでしたか?」
―もっと王子からの言葉を聞きたい。
―もっと、彼から褒められたい。
まるで子どものような欲求が、イグナツの全身から湧いてきた。
問われたセオドール王子の顔が、ぱあっと明るい表情になった。
「ああ、勿論だとも! 一切の迷いを感じさせない、無駄のない太刀筋だったし、型がとても綺麗で、まるで一種の舞いを踊っているようだった! こんなに洗練された動きを習得するまでに、どれほどの訓練と実践を繰り返してきたのだろうと想像してしまったよ。わたしには、とても真似ができない」
普段の穏やかさとは違った、熱意のこもった王子の言葉に、イグナツは思わず圧倒されてしまった。
その様子を見た王子は、「しまった…」という表情をして、申し訳なさそうに弁明を始めた。
「すまない…。感激してしまうと、つい多弁になってしまう…。わたしの悪い癖だ」
そう言うと、王子は肩と眉を下げ、苦笑いをした。
その笑顔は、普段よりも幼く見え―
イグナツは、自分の胸に何か熱くなるものを、確かに感じた。
「…ありがたき、幸せです。今後とも、セオドール様の為に精進して参ります」
イグナツはそう言うと、深々と頭を下げた。
その時、地面にポタポタと水が落ちていることに彼は気が付いた。
…雨だろうか?
いや、違う。
イグナツの目から、涙がこぼれていたのだ。
この時、イグナツは何故自分が泣いているのか、すぐには理解ができなかった。
とにかく、部下たちにこんな姿を見られたくなくて、彼は素早く袖で涙をふいた。
…この時から、イグナツはセオドール王子に心を奪われていたのだろう。
自身の努力を、初めて純粋に評価してくれた人なのだから。
そんなイグナツの気持ちを知る由もないセオドール王子は、自分の兵隊の隊員たち全員にも労いの言葉をかけていた。
「他のみんなも、訓練ご苦労様。いつもありがとう。君たちのお陰で、わたしも安心して外を歩くことができるよ。これからもよろしく頼むね」
その場にいた兵士たちは皆、一糸乱れぬ動きで王子に敬礼をし、「はっ!ありがたき幸せです!」と一斉に答えていた。
セオドール王子が公務へと戻っていった後、兵士たちは口々に自分たちの主を褒め称えていた。
「やはり、セオドール殿下はお心が広い御方だ」
「あの御方の元で働けるなんて、俺たちは果報者だな」
…それらの言葉を聞いたイグナツの心は、大いに乱れた。
それは、「嫉妬」という感情のせいだった。
―あの御方の、一番の兵士になりたい。
―あの御方のことを、もっと知りたい。
―あの御方に、もっともっと褒められたい。
―…あの御方の隣に、常に立っていたい…。
狂おしい程の想いが、炎のように燃え上がった。
王子と初めて出会った時に蒔かれた種は、激しい恋心として芽生えたのだった。
その芽は次に、どんな花を咲かせるのだろう。
ふと、イグナツは空を仰いだ。
燃える激情とはまるで正反対の、どこまでも澄みきった青色が広がっている。
こんなに美しい青を、イグナツは今までの人生の中で一度も見たことが無い。
―きっと、セオドール様のお側にいれば、もっと多くの色が見られるだろう。
イグナツは何故か、そう確信していた。
了
こちらのお話は、pixivでもご覧いただけます。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=26468866
