短編小説

【主な登場人物】
・近衛兵隊の副隊長イグナツ
(・イグナツの父親、トリスタ)






『鏡よ、鏡』




イグナツ・キーヴィル副隊長は、自分の姿を「見る」のが嫌いだった。

その嫌悪感は、アイネスベルン王国の王宮で働き始めてから、より顕著なものとなっていった。
王宮の至る所にある美しいガラス窓や大きな鏡に、己の姿が嫌でも鮮明に映るからだ。

イグナツ自身は、自分の容姿が非常に優れていることを自覚している。
だからこそ、それを「出世するための道具」として大いに利用してきたのだ。
表情を巧みに使い分け、甘い言葉を耳元でささやけば、どんな貴婦人でも落とすことができたし、男相手でもそれは時に有効だった。

それでも— 
イグナツは、自分自身の姿を「見る」ことが大嫌いだった。

何故なら、そこに映る男は…イグナツがこの世で唯一恐れ、忌み嫌う人物と瓜二つだからだ。

その人物の名前は、トリスタ・キーヴィル。
イグナツの、実の父親だ。

この父親はイグナツの心身を、幼い頃から文字通り「支配」してきた。
その恐怖は、イグナツの体と魂の奥深くに、今でもなお深く刻みこまれている。

…ふとした瞬間。窓や鏡に映る自分の表情を見て、心臓が凍りつくことが幾度となくある。
あの恐ろしい父親の顔が、こちらを覗いて笑っているのだ……。

—嫌いだ、嫌いだ、大嫌いだ。あの男とそっくりな自分の顔が。
こんな顔など、見たくない…。


それにも関わらず。
王宮に与えられたイグナツの私室には、一枚の立派な姿見が置かれている。それも、入口のすぐ近くに。

勿論、美形だと絶賛されている己の姿に見惚れる為ではない。
自分の武器のひとつである容姿を— 客観的に「分析」する為だ。

どんな顔の角度で、どんな表情をすれば、貴婦人たちに「受ける」のか。
どんな姿勢で、どんな目をすれば、部下たちに「舐められない」のか。
自分の姿が、周りの人間たちに「どう見えている」のか。
所作や軍服の着こなしに至るまで、イグナツは部屋の鏡の前で日々、研究と確認を怠らない。


—…何という、矛盾だろう。

父と似た姿を嫌悪しているのにも関わらず、その己の姿を、鏡で隅々まで見ている。

滑稽だ。

こんな作業を、いつまで続けるのだろうか?
こんな下らないことを続けたところで、あの父親には一生敵わないかもしれない。


—……それでも。そうだとしても。

—オレは、抗い続ける。大嫌いなこの顔も、利用し続けてやる。


そして、今日もイグナツは自室の鏡の前に立つ。

「……鏡よ、鏡。今日もオレは魅力的に見えるか?」

目の前に立つ男は、その問いに答えるかのように妖艶に微笑んだ。








・こちらの作品は、pixivでもお読みいただけます。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=23575307
6/9ページ
スキ