短編小説

【主な登場人物】
・近衛兵隊副隊長イグナツ
・イグナツの両親

【注意】
・DVシーンや暴力表現等がございますので、ご注意ください。







『輪廻』




□■□

初めて人を殺したのは、16の時だ。

オレは軍の末端兵として、地方で従軍していた。
その土地の領主に立てついた農奴たちの反乱を抑える時に、こちらに向かってクワを振り乱してきた人間を、殺した。女だった。
オレの剣は、その女の急所を的確に突いて― 女は即死した。

反乱はすぐに鎮圧された。そして、その後農奴たちには更なる税が課せられたと聞いたが、そんなことはオレには関係ない話だった。
それよりも驚いたのは― 人間は随分と簡単に死ぬ、という事実だった。

「イグナツとは戦場でやり合いたくないもんだな!」

「一撃で殺すなんて、随分と慈悲深いねぇ」

感嘆とも皮肉ともとれる言葉を、兵士仲間からかけられた。

―慈悲? そんなもの、あるわけがない。仕留め損なって、惨めに命乞いをされたり、痛みに悶える醜く歪んだ顔が見たくないだけだ。

そう、醜く歪んだ顔が…

そこで、イグナツの脳裏にある思い出が蘇った。


□■□

「あなた、やめてよぉ…!殴らないでっ!」

「君が言うことを聞かないからだろう?」

父親が、母親に暴力を振るっている。

「どうして!? どうしてぇ!? 最初はあんなに優しかったのに! 元のあなたに戻ってよぉ!!」

「うるさいなぁ。君のその甲高い声が、僕の気に障るんだよ。…ほら、君が騒ぐからイグナツが起きてきたじゃないか。おいで、イグナツ。かわいい子」

「……」

拒否すると殴られかねないので、幼いイグナツは防衛本能で父親に従った。

「うん、素直でかわいい子だ。特に目がいいね。僕とそっくりの目だ。お前は上を目指すんだよ? そう、王族に仕えるぐらいの地位に就くんだ。そうしたら、僕も安泰だ」

「……はい」

「いい子だ、いい子」

ギュッと抱きしめられたが、イグナツは父親を抱き返さなかった。そこには、「何も無い」と思ったからだ。
愛情など、甘く優しいものは存在しなかった。

「全く、君と結婚して良かったことと言えば、この子を授かったことぐらいだな…」

父親は、妻であるはずの女に向かってそう言い放った。

「そんな……」

「ひどい顔をしているよ、君。少しぐらいは化粧をしたら? 君と出会った時は天使がいると思ったのに、今は魔女のようだね。騙された気分だよ。そんな様子で、他の美女達に目移りしてる僕を責められるのかい? 美貌しか取り柄が無かったのにね」

子どもだったイグナツでも分かるほどに、酷い言葉の数々だった。
母親はショックで体を震わせていたが、構いもせずに父親は続ける。

「ああ、『天使』と言えば……あの子も『天使(セレム)』という名だったか……」

イグナツの弟のことだ。父親は、弟には全く興味が無いらしい。

「あれは君に似たのかな? 愚鈍な子で、イライラするよ」

「あ、あの子は天使なの! 天使なのよ! 私に、笑いかけてくれるの! そいつとは違う!」

そう言って、母親はイグナツを指さした。

「僕のかわいい息子に向かって、そいつとは何だ?」

父親の拳が、また母親に襲い掛かった。

「やめて、あなたっ!ごめんなさっ、ごめんなさいっ!!ゆるしてぇ!」

泣きじゃくる母親と、それでも殴るのを止めない父親をそれ以上見たくなくて、イグナツはその場から逃げた。

―この両親は異常だ、この世界も異常だ……。

イグナツは走りながら、泣いていた。
自分の足がどこへ向かっているのか分からなかったが、彼は必死になって逃げた。


□■□

あの日の光景は、今でも思い出す。忌々しい記憶だ。

母親の甲高い泣き声と父親の支配からのがれたくて、14の時には軍に志願し、地方へと逃げた。
弟には悪いと思ったが、それがその時イグナツのできる精一杯の抵抗だった。

あの父親が自分に歯向かえないように、力をつけなければ。
あの男よりも、高い地位につかなければ。

イグナツは死ぬような思いで剣技を磨いた。
地位を得るのに利用できそうな人物に近づき、それが女であれば両親ゆずりの顔の良さでたぶらかしたし、男であっても酒の席で口淫などをすれば、すぐにお気に入りになることができた。
剣の力をつけ、愛想よく笑って、体も許せば簡単に人を操ることができた。
そして16の時、人も殺してみせた。
無様に助けを求めるような人間の姿は、母親を連想させる。それを見たくなくて、イグナツは一撃で人間を殺す術を磨いたのだ。

およそ功名心がある者ならすることを、イグナツは全てやってきた。どんなに汚らわしいことでも、だ。力と地位を得るために。

そして若干20歳という若さで、王国の第二王子専属の近衛兵隊の副隊長という座に抜擢された。実力と、裏で画策してきた戦略によるものだ。
王族に仕える身となり、上流貴族の女と婚姻を結べば、自分の地位は安泰だ。

そこで突然、イグナツは気が付いた。
あの父親の、計画通りになってしまったと。
自分がしてきたことは、あの男がしてきたことと酷似している…と。

「…………」

だが、気付いたから何だというのか。
もう引き返すことなどできない。









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