短編小説

【主な登場人物】
・トリスタ(イグナツ副隊長の父親)
・M(トリスタの従者兼護衛)
・ニーロ(トリスタに仕えるスパイ)
(・セオドール王子)
(・イグナツ副隊長)

【注意!!】
成人向け(R-18)の内容が含まれています。
直接的な描写や単語がありますので、苦手な方はご注意ください。

【時系列】
イグナツが、セオドール王子の近衛兵隊の副隊長になって約3ヶ月後の話です。
『芽生えた、恋』を先にお読みいただいた方が分かりやすいかと思います。







『夜の闇に願う』




「お前のココは、本当に役立たずだねぇ」

主人であるトリスタの、なまめかしい声がMの耳元すぐに聞こえる。

トリスタは、自身の従者兼護衛係であるMの股間に、何の躊躇もなく己の硬くなり始めたモノを押し当てる。

「僕のはこんなになってるのに、お前の物ときたら生気を失った魚みたいだ。可哀想にね」

トリスタはMの首元に両腕をまわし、煽情的な声色でMにささやきかけた。
トリスタの白い指先が、Mの耳のすぐ後ろ…皮膚が薄い部分に触れた。
お互いの皮膚と皮膚が触れ合い、トリスタの甘い吐息が耳をかすめる。
密着した体からは服越しでも体温が感じられ、下半身に押し付けられた物からは熱い情欲が感じられた。

トリスタがM相手に、ここまで体の接触を許してくれる機会はあまり無い。
その為、Mはこの僥倖に感謝をし、愛しい主人を強く抱き返した。

―Mはこの最愛のトリスタと出会った日のことを、昨日のことのように覚えている。
14歳だったMは父親に連れられ、とある貴族の夜会に参加していた。
その頃から既に彼は男性器の不能を患っていた為、同年代の男女と顔を合わせることに苦痛を感じていた。
それは『恥ずかしさ』や『情けなさ』を伴い、Mの男としての自尊心をひどく傷付けていた。

(早く、帰りたい。これ以上の苦しみを味わう前に)

そう思った矢先だった。

目の前に、この世のものとは思えない、人形のように美しい少年が現れたのだ。

絹糸の如く光沢のある金色の髪に、同じ色の長いまつ毛。
白い肌と対比するような鮮やかな赤い唇と、血色の良い頬はとても柔らかそうだった。

極めつけは、彼のエメラルドに輝く瞳だった。その瞳の中には、深淵が広がっているように思えた。

美しい少年はMと目が合うと、瞬きもせずに緑色の双眸でMを見つめていた。
その視線はMの全てを見透かしているようだったが、Mは目を逸らすことができなかった。

少年はそのままゆっくりとMに近付き、白く柔らかい指先でMの頬に触れ―、「やぁ、こんばんは」と耳元でささやいた。


Mの人生は、この一夜で大きく変わってしまったのだ。

(自分の感情も、体も、全て……今後、この艶やかな少年に捧げよう)

Mはそう決意した。
そこに、理屈や合理的な判断力は一切存在しなかった。
彼の『魂』が、その少年を欲していたのだ。


…あれから25年以上経った今でも尚、最愛の主人・トリスタはその美しさを損なっていない。
それどころか、年を経るごとに妖艶さを増しており、その魅力にMを含めた大勢の人間が心酔している。

そんな主の、『一番近いところ』で護衛を務められる自分は、比類なき幸せ者だ―。

幸福を嚙みしめたMは、トリスタの頭部に顔をうずめ、すぅっと大きく息を吸った。
トリスタの柔らかな髪から、彼愛用のヘアオイルの甘い香りが鼻に抜け、Mは多幸感に包まれた。

しかし、次の瞬間。
Mの首に巻かれていた腕がほどけ、「パシンッ」という音が部屋に響いた。

「誰がそこまで許した?」

トリスタの低い声が聞こえると、Mはすぐに主人から体を離し、片膝をつき「申し訳ございません」と謝罪する。
調子に乗ったせいで、トリスタから平手打ちを食らってしまったのだ。

トリスタの感情の揺らぎは常に流動的で、付き合いの長いMにも予測がつかないことが多い。
しかし、トリスタの従順な下僕であるMにとって、そんなことは些細なことに過ぎない。
主人から与えられるもの全て― それが暴力であれ、冷笑であれ、ほんの少しの甘い言葉であれ― を享受することが、自分の幸福だ。
何かを与えてもらっている間、トリスタの意識は確実に自分だけに向けられているのだから。

「…まぁ、いいさ。今のは許してあげよう。今日の僕は機嫌がいいんだ」

先程とは一転して、トリスタは笑顔でそう言った。
Mは、その艶やかな笑みに見惚れながらも「寛大なお心に感謝いたします」と礼を述べた。

「もう少ししたら、ニーロが来てくれるからね」

トリスタの声は弾んで聞こえた。

……ニーロ。
その名を聞いて、Mは床に顔を向けた。歪んだ口元を、トリスタに見せないためだ。

ニーロはトリスタに仕えるスパイのひとりである。
彼はトリスタの命で、この国の第二王子であるセオドール殿下の近衛兵隊に潜入している。
セオドール王子を監視― しているのではなく、王子の兵隊の副隊長を務めるイグナツ・キーヴィル…
トリスタの息子を監視しているのだ。
そして、イグナツの動向を、月に一度はトリスタに報告しに来る。


そうこうしているうちに、部屋のドアがノックされた。

(…噂をすれば、早速か)

トリスタの許可を得て部屋の中に入ってきたニーロは、いつもと変わらず不愛想な表情をしている。
しかし左手を胸に置き、トリスタに深々とお辞儀をする姿は堂々としており、また優雅だった。
諜報員の家系に生まれ育ったニーロは、あらゆる作法に通じていた。
彼はまだ20代という若さで、男らしい体躯をしており― 性に貪欲なトリスタは彼に執心だった。
『体の相性が抜群に良い』というのも、その理由のひとつだった。

「やあ、ニーロ。よく来たね」

普段よりも高揚した様子で、トリスタはニーロを出迎える。

「挨拶をしておくれ」

軽く腕を広げたトリスタに、ニーロは「失礼いたします」と言い、口づけをした。
短い挨拶が不満だったのか、トリスタは首をかしげながら「もっとおくれ」とキスをねだる。

(トリスタからキスをねだられるなんて…)と、Mはニーロに嫉妬した。
しかしその気持ちを抑えつつ「トリスタ様、まずはニーロの身体チェックを…」と進言した。
万が一にもニーロが武器を隠し持っていて、主人に仇なすことがあってはならないからだ。

しかしトリスタはMを冷たい目で睨み「黙れ」と突き放した。
そして「ニーロ?」と、有無を言わさぬ口調で彼の名を呼んだ。

「…では、再び失礼いたします」

ニーロはそう言うと、今度はトリスタをぐっと抱き寄せ、熱く激しい口づけをした。

「ん……、は、ぁ…」

トリスタの甘い声が、キスの合間合間に聞こえる。
ニーロは主人の『感度が高いところ』を熟知しているらしく、口内を犯しながらトリスタの背中や腰に手を這わせる。

もっと、もっと…とニーロを求めるトリスタの唇から一度口を離せば、つぅ…っと粘度のある唾液がいやらしく光った。

「イグナツ様に関するご報告は、後でよろしいのですか?」

しごく冷静にニーロは尋ねたが「僕のコレを待たせるつもり?」と、トリスタはズボンの上からでも分かるほどに隆起したものを見せる。

「承知しました」

ニーロは、少々強引ともいえる強い力で主人をベッドに突き飛ばした。
トリスタは彼に抱かれる時は手荒くされたいらしい。

ニーロがトリスタの上にのしかかり、鍛えられた筋肉を見せつけるかのように服を脱いでゆく。
近衛兵隊で鍛錬を積んだニーロの男らしく割れた腹筋や、盛り上がった胸筋、そしてたくましい両腕にトリスタは惚れ惚れとした。

トリスタとニーロの、これから始まる情事をMはじっと見ていた。
ニーロが全裸になるまで武器の有無が確認できないため、Mは自身の愛剣に手をかけ、いつでも抜刀できるようにしていた。

そんなMのことは気にも留めず、ニーロは荒々しい手つきでトリスタのシャツを剥ぎ取る。
決して細くはなく、程よく筋肉のついたトリスタの胸や腹に大きな手を這わせ― 躊躇なく布越しにトリスタの性器を掴む。

「っああ!」

トリスタの嬌声が部屋に響いた。やわやわと、そしてグリッ、グリ、とズボンを介してトリスタのモノをもてあそぶニーロ。

「ふふ…っ、焦らして、僕を屈服させるつもり…?」

はぁっ、と熱い吐息を漏らすトリスタは、どんな女よりも色っぽかった。

自身の男性器が不能でなければ、Mはすぐにでも二人の間に割って入っただろう。
しかし彼の男としての象徴は、相も変わらず生気を持たない魚同然だった。

今までどれほど煽情的なトリスタの姿を見ても、Mのそれは全く反応しなかった。
だからこそ、トリスタはMを『情事の場での特別な護衛』として重宝している訳だが…。
いざ、トリスタと他の男女が肉の悦びを享受している姿を目の当たりにしていると、嫉妬や怒り、苦しみ、悲しみ等の感情があふれて止まらない。

(トリスタの『一番近いところ』で護衛を務められている自分は、比類なき幸せ者であるはずなのに…)


そうこうしている内に、ニーロは全裸となり、太く反り上がった性器を恥ずかしげもなくトリスタとMの前に晒している。
彼はトリスタの服を全て剥ぎ取り、二人は今、生まれたままの姿になっている。

「ああ…ニーロのモノは大きくて、立派だねぇ…。Mとは大違いだ」

トリスタに馬鹿にされるのも、いた仕方がない。
Mから見ても、ニーロの雄々しいペニスは羨望に値する。

ニーロはトリスタと、自身の性器をその大きな手で包み込み、二本まとめて擦り合わせた。
トリスタの口からは、甘くて切ない声がひっきりなしに漏れる。
冷静だったニーロの呼吸も荒くなり、先走りの液体が「ぐちゅ、ぐちゅ」と淫猥な水音を響かせる。

「あぁっ…、もぅ、イく…っ!」

ニーロの慣れた手付きで絶頂に達したトリスタは、自身から吐き出された精液で腹を汚した。
はぁ…っという荒い息がMの耳にも聞こえるが、やはりMの下半身には何の兆しも見えない。

Mの心に、またよからぬ思いが芽生える。

(…この不能を治す薬さえ手に入れば…自分も、愛しいトリスタを思う存分抱きつぶすことが出来るのに)

事実、Mはこの病気の薬を数十年間探し求めているが、未だにどの薬も効果をもたらさなかった。

それでも、諦めきれなかった。
毎晩、トリスタと愛を交わす夢を見るのだ。

…しかし実際に不能を治す薬が見つかり、病気が治ったとして。
愛しいトリスタを抱くことが出来ても、今までのように『情事中の特別な護衛』という立場に居続けることができるだろうか?

それこそ、トリスタにとってMも、他の有象無象と変わらない存在になってしまうのではないか。
…そうなれば、トリスタはMのことなどすぐに切り捨ててしまうだろう。
『数十年間のよしみ』といった情など、トリスタの前では何の意味も持たない。

彼はただ、自身に益をもたらす者を利用するだけだ。
利用価値が無くなった者は、何の慈悲も無く打ち捨てる。
トリスタとは、そういう男だ。
そんな男と数十年間付き合いのある人間は、Mただひとりのみ。
それも、全ては『男としての象徴』が不能であったがゆえ。

トリスタが奔放に性生活を楽しむ度に、Mの心は右へ左へとかき乱された。


カタッと、ニーロがベッドサイドの引き出しを開ける音でMはハッとした。

(―いけない。護衛の任務を全うしなければ)

乱れた感情を何とか制御し、Mは目の前の二人を見やる。

ニーロは、引き出しに入れられていた潤滑剤を手に取り、蓋を開けようとしていた。
しかしそれを、トリスタの手がさえぎる。その顔には、イタズラを思い付いた子どものような笑みを浮かべている。

先程の前戯でトリスタは一度達していたものの、ニーロの方はまだ射精をしていなかった。
早く吐精したかったニーロは、急いで主人の『中』に入ろうとした訳だが― その準備を止められたニーロの表情は切羽が詰まっていた。

「そんなに焦らなくても。少し遊ぼうよ、ニーロ」

解放を求める人間をいたぶるような声色で、トリスタは言った。

「…っ、トリスタ様…」

お預けを食らったニーロの顔が、切なげに歪む。

「ああ…そんな顔のお前もいいね…。なに、難しいことじゃあない。ニーロ、お前の自慰行為を見せておくれ。僕と、そこにいるMに、よく見えるように」

心底楽しそうな声で、トリスタはニーロに命令した。

「……」

ニーロはちらり、とMを見やる。Mに助けを求めた訳ではないだろう。
どの道、彼にはトリスタの命に逆らう選択肢など無いのだから。

「…分かりました」

そう言うと、ニーロはトリスタとM二人によく見える位置に動き、右手で自身のペニスをしごき始めた。

Mとしてはトリスタ以外の男の自慰行為など見たくは無いのだが、ニーロの羞恥心を煽るのがトリスタの意図であろうから、我慢してニーロの痴態を見ることにした。

彼の手が、緩急を伴って上下する度に、ニーロは荒い息を吐く。
その様子を、トリスタはニヤニヤと笑いながら眺めている。

「僕とMに見られて、興奮しているのかい? 普段はあんなにすました顔をしているのに、そんなにいやらしい顔も出来るんだね、ニーロ。それがお前の本性かな?」

トリスタに煽られたニーロは我慢しきれなかったのか、高い声を上げ、吐精した。
白濁の液体が勢いよく何度も飛び出し、シーツを汚す。

その様子を見て、Mは(あんなに勢いよく出るものなのか…)と密かに驚いていた。
自分の性器が役立たずな為、Mは射精を経験したことが無い。
まじまじと、他の男の自慰行為を見たのは今日が初めてだ。

顔を紅潮させ、肩で息をするニーロの姿を見て、やはり羨ましいとMは感じた。
トリスタと交わるまではいかずとも。
もし、トリスタのことを思いながらあんな風にひとり、心を躍らせることができたのなら。
どれほど幸せだろう…と。

「あははっ、素晴らしい余興だったよ、ニーロ」

パチパチパチ、と芝居じみた所作でトリスタは拍手をした。

「淫らなお前の姿を見ていたら、僕の体もまた熱くなってきたよ」

そう言うと、トリスタはニーロに覆いかぶさるように抱きつき、彼に深く口づけた。

「待たせたね。お前の大きいのを、僕の中にちょうだい」


■□■

どれほどの時間が経ったのだろう。
二人は互いに、何度絶頂を迎えただろう。
Mは途中で数えるのを止めた。

トリスタの尻からは、白濁の液があふれており、ベッドシーツをひどく汚していた。
密閉された室内は精液や汗、ヘアオイル等の匂いが混ざり合い、くらくらする程の熱気を帯びている。

ようやく行為に満足した二人は、酸素を求めて激しく呼吸を繰り返している。

Mの脳裏には、トリスタの乱れた表情と高く艶やかな嬌声がこびりついている。

きっと今夜は、今日見たトリスタが夢の中に現れるだろう。
そして、ニーロになり替わり、自分が彼の体を貫くのだ。

そうだ…夢の中でだけは。
せめて、夢の中だけは。


すると、ある程度呼吸を整えたニーロが、のっそりと上半身を起こした。

「…トリスタ様が眠りに入られる前に、イグナツ様のご報告をしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、そうだったね」と、トリスタはかすれた声で呟く。

そうだった。
ニーロはイグナツの件を報告するために、ここに来たのだ。
トリスタとただセックスをする為だけに来た訳ではない。
よほど重要なことでない限り、トリスタは自分の性欲を優先させてしまうのだ。

「僕の可愛いイグナツが副隊長に就任してから…三か月が経ったんだったね」

「はい」

「野心家のあの子のことだから、もう隊長殿を排除する算段でもしているのかな」

ふふふ、とトリスタは愉悦を漏らす。

トリスタは正妻であるシルヴィアとの間に、男子を二人設けているが、長男のイグナツのことを昔から気に入っている。
「自分によく似て狡猾で、顔も良い」と普段から褒めてはいるが、『一般的な父親』として息子を愛している訳ではない。

実の子であるイグナツでさえも、トリスタにとっては、利用価値のある『駒』でしか無いのだ。

そんなイグナツのことを、Mは少し哀れに思う。

トリスタが余所で作った愛人やその子ども達のように、トリスタのことを盲信した方が幸せだ。

しかしイグナツは小さい頃から表面的には父親に従っているが、心の奥底では父に反発している様子が伺えた。
大人になった今でも、彼の反骨精神は変わらない。
そしてそれが、余計にトリスタを楽しませるのだ。

「いえ」

とニーロが答える。

「イグナツ様は今はまだ、部下たちの信用を得ることに注力されているようです」

「なんだ、つまらない」

トリスタは明らかに不機嫌になった。もっと、『自分の自慢の息子』にふさわしい痛快な展開を期待していたのだろう。

「…イグナツ様が地方で行っていた事が、悪い噂となっておりまして。清廉さが美徳とされている王宮では、なかなかご苦労が多いようです」

「清廉さ、ねぇ…。王宮なんて、それと真逆の存在じゃあないか。
貴族や王族たちの妬み嫉み、足の引っ張り合い、計略が黒く渦巻く場所。自分たちの欲望にもっと忠実になれば良いのに、それに目を背けて偽りの『清らかさ』を求めるだなんて…、実に馬鹿げてる」

トリスタのように己の欲望に従って生きている人間にとって、王宮の貞潔ぶった人間たちは全員、愚か者に見えるのだろう。

「…おっしゃる通りで」

ニーロはトリスタの言葉を肯定した上で、続けた。

「そんな中で、イグナツ様は奮闘されておいでです。剣術の腕に関しては、既に実力を充分に示していらっしゃいます。
ただ、人の心を掴むには時間が必要で…。特に、イグナツ様の前任であったリベルテ前副隊長殿は人望の厚い御方でしたので…」

「ああ、僕がお前とMに始末を頼んだ男だね」

「…はい」

そうだ。
リベルテが非番の日に、ニーロとM二人で、彼を事故死に見せかけ…殺害した。

『第二王子近衛兵隊の副隊長』の座を、イグナツに明け渡してもらう為に。

イグナツを、父親であるトリスタの手の内に連れ戻す為に。

無論、イグナツはそのことを知らない。「副隊長の座についたのは、自身の実力と戦略によるものだ」と信じている。

Mは、やはりイグナツを不憫に思った。
どれほど努力をしたところで、所詮は父親の用意した道を歩いているに過ぎないのだ。

「ふぅん…そうかあ。じゃあ、しばらくの間は面白い話を期待できそうにないねぇ」

「そう…ですね」

ニーロの返答は、少々歯切れが悪かった。

「何か気になることでもあるのかい?」

彼の変化を目ざとく感じ取ったトリスタが、ニーロに問う。

「…いえ、何も」

ニーロは平静を装っていたが、トリスタの前では通用しなかった。

「ニーロ、僕の目を見てご覧?」

決して大きくない声量なのに、トリスタの声は部屋に響いた。
先程までは暑いと思っていた室内の温度が、一気に下がった気がした。

ニーロは一息呼吸をしてから、主人に顔を向けた。
トリスタの、深淵を思わせる緑の双眸が、ニーロの瞳を射抜く。

「お前の主は、誰だ?」

心を凍り付かせるような、トリスタの声。
決して、彼に逆らってはならない。本能がそう感じさせる迫力だった。

「…もちろん、貴方様です。トリスタ様…」

ニーロの声が、わずかに震えていた。

「なら、その主には嘘をつかないことだ。命を永らえさせたいならね」

「…申し訳ございません」

ニーロは即座にベッドから降り、全裸のまま片膝をつき、トリスタに謝罪をした。

その様子に機嫌を直したのか、トリスタはニーロが履いていたズボンを彼に投げて寄越した。
さすがに、全裸のままで報告を続けさせるのも滑稽だと思ったのだろうか。

ニーロは寄越されたズボンを素早く履き、再び床に片膝をついた。

「―それで?」

トリスタが報告を促す。

「…今から申し上げることは、あくまで私の推測であり、確たる証拠はございません。そのことを念頭に置いて、お聞きください」

「ずいぶんと慎重だね?」

「…事が事ですので」

ニーロのただならぬ雰囲気に、一体どんな国家機密が飛び出してくるのかと、Mは身構えた。

「私が思いますに…イグナツ様は…、セオドール第二王子殿下に…恋を、なさっているのではないかと…」

「「恋?」」

トリスタとMの言葉が、珍しく重なった。

「はい…。そのままの意味の、恋、です」

Mの頭は混乱した。

恋。 
誰が?
あの、イグナツが?

確かに、王都に帰ってきたイグナツと数年ぶりに会った時は、トリスタ似の凛々しい青年になっていた。さぞかし貴婦人らに人気があることだろう。

しかし、どうにもイグナツと『恋』という単語が結びつかない。
それはトリスタも同じだったらしい。

「あの子が、恋? しかもセオドール殿下に? ―何故そう思った?」

トリスタのエメラルドの瞳が、好奇に揺れている。それはMも同様だった。
ニーロはゆっくりと、過去を振り返りながら語り始める。

「以前のご報告で、衛兵らの合同訓練日にイグナツ様がセオドール殿下よりお褒めのお言葉を賜った、とお伝えしましたね」

「ああ、就任直後の話だね。僕も『父親』として誇らしかったよ」

「…実はあの時。殿下のお言葉を受けて、イグナツ様は…涙を零していらっしゃったのです」

「「涙!?」」

またしても、トリスタとMの声が重なった。

「まさか、あの子が人前で涙を?」

トリスタの声色には「信じられない」という思いと「これは愉快だ」という気持ちが混ざり合っているように思えた。

「イグナツ様自身も、初めは気付いていらっしゃらないご様子でした。数秒して、慌てて涙を拭いていらっしゃいました。それに気づいたのは、おそらく私と…ミヒャエル隊長ぐらいかと」

「へぇ…」

トリスタは指先を自分の唇に当てて、何か思案している様子だった。

「でも、それだけじゃあ、あの子が『恋をした』かどうかは分からないよね。他にも何か、確信めいたことがあったのかい?」

「…これはあくまで、私の推測ですので…」

「ああ、そういった御託はもういいから! 早く続きを話しておくれ」

トリスタがニーロを急かす。

「…その日以降、イグナツ様の視線が、セオドール殿下を追っているのです。もちろん、主人であるセオドール様の行動を注視することは部下の役目です。しかし…」

「その視線が、熱を孕んでいる、と?」

トリスタが、ニーロの言葉を先読みする。

「…おっしゃる通りです。他にも、セオドール殿下と話すことができた日は、表情が柔らかくなっておいでです。また、『副隊長として、出来るだけセオドール様のことを知りたい』と、色々な人物に話を聞いて回っていらっしゃるご様子で…」

ニーロはそこで、一息つく。

「…私のような生業の者にも、殿下のことを調べさせているようです」

そこまで聞いて、トリスタは思わず笑い声をあげた。

「あはははははっ! 最初の方は初恋に浮かれた少女のようだったのに。後半でずいぶんと物騒な話になったねぇ! ふ、ふふふ…流石は僕の子だ。血は争えないということか」

「これは面白い」と、トリスタは上機嫌になった。しかしその直後、「こんなに愉快な話を、お前は隠そうとしていたのかい?」と鋭い目でニーロを睨みつけた。

ニーロの背筋が震える様子を、Mは目撃した。

「も、申し訳ございません…。もっと確固たる証拠を掴んでからご報告を…と思っておりましたので…」

「―まぁ、いいさ。お前は勘が鋭いし、今の情報を聞いただけでも、あの子がセオドール殿下に執着していることがよく分かったよ。…引き続き、イグナツの監視を頼んだよ?」

そう言うと、トリスタはベッドから降り、ニーロの額にキスを落とす。
行為中にほどけてしまった、トリスタの長く美しい金髪がニーロの頬をかすめる。

「次の報告も楽しみにしているよ」

トリスタがにっこりと、微笑む。およそ40代の男とは思えないような、艶やかで美しい笑顔は、天使のようにも悪魔のようにも見えた。
その顔を見つめながら、ニーロは「はい、お任せください」と無意識の内に答えていた。

そしてニーロは残りの衣服を素早く身に着け、挨拶を済ませ、部屋から出て行った。

ベッド近くのカーペットの上に全裸で立ったままのトリスタだったが、彼の尻からは受けとめきれなかったニーロの精液があふれ、太ももを伝っていた。
Mは即座に部屋の呼び鈴を鳴らし、新しいシーツやタオル、湯などを用意するよう使用人たちに命じた。

この家はMの所有する家であり、使用人も古くから仕えている者たちばかりだ。
トリスタの事後処理にはすっかり慣れ切っている。

使用人たちが部屋の喚起をし、手際よく汚れ物を交換している間に、Mはパーテーション奥のソファーでトリスタの体を綺麗に清めていた。
トリスタの中から白濁の液体を掻き出すのもMの仕事だが、今日は一段と量が多い。

(それだけ、行為に熱が入っていたということか…)

またニーロへの嫉妬が止まらなさそうだったが、指を中に入れた時のトリスタのかすれた甘い声がいつもよりもたくさん聞けたことで、中和された。


清潔さを取り戻したベッドの上に、トリスタを寝かせる。
ニーロとの久々の逢瀬と、イグナツの思わぬ恋話で興奮気味だったトリスタだったが、流石に疲れたのか意識が朦朧としている。

Mはベッドの傍らに置かれた椅子に腰をかけ、トリスタの柔らかい金色の髪をなでる。
それが心地良いのか、トリスタはふふっ、と笑った。

「M…お前は…あの子の恋、どうなると思う…?」

眠気のせいか、ふわふわとした声色でトリスタは問うた。

トリスタの髪を撫でながら、Mはふと窓の外を見た。満月に近い月が、低い位置にある。
随分と、夜が深いのだろう。
Mは少し思案し、静かに答えた。

「…現実的に考えて、難しいかと…」

難しい、どころの話ではない。

イグナツの恋が成就する可能性は、限りなくゼロに等しい。
身分差はもちろんのこと、何よりも、男同士だ。トリスタとニーロのような関係とは、訳が違う。
男女婚しか認められていないこの国で、しかも政略結婚が運命付けられた王族の王子と結ばれることなど、万が一にもあり得ない。
その上、イグナツが好きになった相手は、『誰とも恋をしない』と噂のセオドール王子だ。

よりにもよって何故、そんな手の届かない相手に恋を―…

と、そこでMはハッとした。

『手の届かない相手』に恋焦がれているのは……自分と、同じではないか。


Mは、ベッドに横たわる最愛の人を思わず凝視した。
こちらの気持ちなどお構いなしに、トリスタはもうすでに意識を手放している。
スゥスゥ、と静かに寝息をたてる目の前の人が、たまらなく愛おしい。
それと同時に「どうして自分の物になってくれないのか」という怒りや悲しみも湧いてくる。

(……イグナツ、君も、私と同じ気持ちなのか?)

そう考えると、イグナツの恋を応援したい気持ちになった。
不可能だと思われている彼の恋が、もし実ることが出来たのなら。

自分のこの『恋』も、もしかすると成就するかもしれない。



Mは再び窓の外を見やり、夜の闇に願いを込めた。


(どうか、あの子の…イグナツの恋が実りますように…)

(そして己自身のこの想いも……いつか、叶いますように)



満月に近い月のみが、Mのこの願いを知っている。





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