銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(37)強く輝くふたり】
「沖田隊長、お疲れ様です!」
「おー、お前らは容疑者の拘束と負傷者の救護に当たれ。で、あのマヌケな***はどこにいやがんでぃ」
つぶれたキャバクラ店の正面玄関が開く。そして目にした光景に、沖田は「へぇ」と声を漏らした。
そもそもこの事件は真選組の管轄外。内密に出した隊士数名と、万事屋の通報で集まった大江戸警察が入り混じる。警察官や被害者の女たち、野次馬でごった返す大きな通りは殺伐としていた。
しかし店内はもっとひどい。転がる男たちは半殺しどころか四分の三殺し状態。そこにただひとり立つ銀時は、入り口に背を向けていた。その後ろ姿が発する殺気に沖田はフッと笑う。それはそうだろう、銀時はつかみどころのない男だが、自分の女が危険な目にあって黙っているような腑抜けでない。
———沖田くん、今すぐパトカー出せ。いち台、万事屋に寄こして。んで、あともう何台かを、つぶれたキャバクラに向かわせろ———
電話口でそう告げた声を沖田は思い出す。そこに***がいる確証もないのに、有無を言わせなかった。そしてその言葉どおりに来てみれば、***は確かにそこにいた。ホコリと血の匂いの充満する部屋でうずくまる姿を見つけて、沖田は駆け寄った。
「***、アンタまさか……ヤられちまったのか?」
「えっ、総悟くん!?な、なんでここにいるの!?」
「なんでってそりゃぁ、旦那の勘が当たったからでぃ。アンタがここにいるって、あの人の見立てでね。おかげで大江戸警察は大手柄でぃ……ところで***、思ったより元気そうじゃねーか。俺ァてっきり、変な薬でラリってんのが見れるかと期待したんだがねぇ」
「じょっ、冗談でもそんなの笑えないよ!あっ、そうだ、ねぇ総悟くん、この子さっきから全然目を覚まさないんだけど、どうしたらいいかな?」
沖田は憎まれ口をたたきながらも、***のいつも通りの明るさにホッとした。服が乱れて軽いケガはしているが元気そうだ。うずくまっていたのは、横たわる女に声をかけていたから。裸同然で倒れている女に着物をかけてやり、***はそのほっぺたをパシパシと叩いた。それでも目を開けない女はひどく青ざめて、ひと目で重度の薬物中毒だと分かった。
「総悟くん、この子は……ここにいた女の子たちは、助かるかなぁ?」
眉間にシワを寄せた***が、沖田を見上げて聞いた。ここからの脱出が「助かる」という意味なら頷ける。だが後遺症も残らないかと聞かれれば、なんとも言えない。女たちはそれほどひどい目にあって、***だってあと一歩のところだったのだ。
「ヤク中になってもねぇ***が泣きそーな顔すんな。アンタは女どもを助けたし、売人どもは旦那が全員ぶちのめしちまった。あとは俺たちが片づけてやらぁ。あ、それとさっき部下の神山から電話がきてね、姫子とかいうヤツもメガネとチャイナがとっ捕まえたってよ。ぜんぶ解決してよかったな***」
珍しく優しい言葉をかけても、***は女の手をにぎったまましょんぼりとしていた。踏み込んできた警察官が容疑者たちを取り押さえる。沖田は真選組の隊士を呼んで、意識のない女を救急隊の元へ運ぶよう指示した。連れて行かれる女を見て***はオロオロする。その腕をつかみ「アンタも傷の手当てを受けろ」と言っていると、突然大きな音が部屋に響いた。
ドカンッッッ!!!!!
それは銀時がニット帽の男を蹴り上げた音だった。意識のない男は壁に叩きつけられ、ぐにゃりと倒れこむ。沖田と***は同時に動きを止めた。息を飲んだ***は数メートル離れたところに立つ背中を見つめて、震える声で呼びかけた。
「ぎ、銀ちゃん……?」
こたえない銀時が、壁にもたれる男に近づいてその胸倉をつかむ。振り上げた拳でその顔を思い切り殴りつけた。血が飛び散ってもその手は止まらない。とっくに気を失っている相手を銀時は殴り続けた。
「け、警察だっ!そこのお前やめないか!!」
警察官が銀時の腕をつかんで止めようとしたが、あっけなく振り払われ床に尻もちをつく。ドカッ、バキッ、という重たい音が響き続ける。
容疑者とはいえ無抵抗の相手を痛めつける行為を、警察が見逃すことはできない。肩を落として沖田は「やれやれ」と言った。
———あー、めんどくせぇな。旦那の相手なんざ骨が折れらぁ。それに女どもへの仕打ちを思えば、容疑者全員おっ死んだって俺ァ構わねーんだがねぃ……権力に仕える身っつーのは、こーゆー時に不便でぃ。
来る前からこうなると分かっていた。だから沖田は万事屋ではなく、あえてこの店に来たのだ。もちろん***を助けるのが第一目的だが、***のいる場所に銀時が現れると分かっていたから。もし万が一、***の身に何かあれば、銀時を止められるのは自分しかいない。
常に二手三手先を考えて動く、なんてどっかの副長がやりそうなことでウンザリだ。だが相手が銀時で、***に関わることなら役目を果たさざるを得ない。
「オメーらは下がってろ。へたに手ぇ出すとケガじゃすまねぇぜ」
実戦経験がほとんどない警察官を下がらせて、沖田は一歩踏み出した。はぁぁ~とため息をつく。ただでさえ腕の立つ銀時が殺気立って、我を失うほど怒っている。危険だからむやみに近づきたくない。バズーカでもぶっ放すか。あ、でもそーすると容疑者も死んじまうかもしんねーなぁ……などと考えている沖田の視界を、予想外のものがサッと横切っていった。
「銀ちゃん!!!」
「なっ………!!?」
後ろから飛び出してきた***が、沖田を追い越していく。オイッ!と言って引き留めようとした手が、長い髪の間をすり抜けた。気づいた時には既に、銀時の振り上げた右腕に***がすがりついていた。
「あ゛ぁ!?っだよ***!離しやがれ!!」
にらみつけるように振り返った銀時の顔に、返り血が点々とついていた。それを見た若い隊士が、沖田の後ろで「ひぇッ」と声を上げた。まるで夜叉のような銀時の気迫に、その場にいる全員が言葉を失っていた。
ただひとり、***をのぞいて———
「銀ちゃん、もうやめて!その人、死んじゃうよ!!」
「はぁぁぁ!?死んだっていーだろーがこんなクソ野郎!今すぐぶっ殺してやるっつーの!!こっちだって、はらわた煮えくり返って死にそうなんだって!!邪魔すんじゃねーよ***!!!」
「だ、ダメです!お願いだからやめて!!」
男を殴ろうとする銀時の右手を、***は両手でつかんだ。背が高い銀時にほとんどぶら下がっている。わずらわしそうに腕を揺すられても、必死ですがりついて離れなかった。これ以上は殴らせまいと、***は身をよじって銀時と男の間に割って入る。つかんだ腕を胸にぎゅっと抱きよせて顔を上げたら、イラだってぎらついた赤い瞳に見下ろされた。
———こんな銀ちゃんの顔はじめて見た。すごく怒ってる。誰にも止められないくらい強く……でも、これはダメだよ。こんなこと銀ちゃんにさせたくないっ!
「離せよ***」
「は、離さないっ……ね、銀ちゃん、もう怒らなくていいよ。もう怒る必要ないんです。だから、やめよう?」
「やめねーよ。お前、自分がどんな目にあったか忘れたのか?あと一歩で死んでたんだぞ?それじゃなくてもボロボロにされてんのに、もう怒らなくていいだぁ?なに甘っちょろいこと言ってんだよ、このバカ!」
「ば、バカじゃない!私、甘っちょろくなんてないです!バカは銀ちゃんだよ!もうっ、バカ!!」
「はぁぁ!?んだよソレ!俺のどこがバカなんだよどこがぁ!!」
銀時の二の腕から手の甲までを、***の手がゆっくりと撫で上げる。かたく握られたこぶしを両手でそっと包んだら、自然と長い指は開いていった。骨ばった指先がビクッとするのを無視して顔に引き寄せると、大きな手のひらが***のほほを包んだ。
「銀ちゃん、私もう大丈夫だよ?ほら、ね?それに銀ちゃんはこの人に怒ってるんじゃなくって、自分に怒ってるんでしょう?」
「はぁ?なに意味わかんねぇこと言ってんだよ」
「銀ちゃんは……銀ちゃんのせいで私が傷ついたって、自分に怒ってるんじゃないですか?もしそうなら、それは違うよ。だって私どこも痛くない。銀ちゃんに守ってもらったから」
「ま、守れてねぇだろーが!お前が助けてっつってんのに、俺は結局、間に合わなかったじゃねーかよ!」
ほほを包む大きな手に小さな手が重なる。ふるふると顔を振る***に銀時は困惑していた。血に濡れた銀時の手が、***の手のひらとほほを紅く汚す。錆びた鉄のような匂いにもひるまない***は、背筋を伸ばして凛とした声で言った。
「守ってくれたよ、銀ちゃん。だって私ね、神楽ちゃんとお妙さんが教えてくれたパンチとキックができたよ。キャサリンさん直伝の手錠はずしも役に立った。お登勢さんの声が励ましてくれた。かぶき町の強い女の人たちが私に力をくれたの。みんな銀ちゃんのおかげで出会えた人たちだよ……だから銀ちゃんは私のこと、ちゃんと守ってくれたんです」
「***、お前……っ、」
あんぐりとしていた銀時が、苦しそうにぐっと息を飲んだ。怒りがおさまってほしいと祈る***の背後で、ドサッと音がする。胸倉を離された男が床に倒れた。ホッと息をついた***は、まるで飼い犬を褒める主人のように、銀髪をよしよしと撫でた。
銀時の顔についた返り血を袖で拭きとっている時、***は自分の指を目にした瞬間「あぁぁぁ!!!」と大声を上げた。
「大変っ!ぎぎぎ、銀ちゃん私、ゆゆゆ、指がっ!!どどど、どうしよう!!?」
「ゆっ、指がどーしたんだよ!?痛ぇのか!?骨までイカレたのか!?オイィィィ!そーゆーのは早く言えよ!そのほっせぇ指じゃ、折れちまったら一生使いモンになんねーぞ!医者だ、誰か医者を連れてこい!!」
「ちがうよ!ゆ、指輪が、指輪の石が取れて、無くなってるんですっ!!あっ、そうか、この人を殴った時だ!鼻にバキッてめり込んだ感覚はあったの。あの時に割れちゃったんだ……」
ああ、とため息をついて指輪を見下ろすと、***の眉は八の字に下がった。銀時にもらった大切な指輪のまんなかで、銀時の瞳と同じ色の石が割れて、小さなカケラだけになっている。泣きそうな顔でうつむいていたら、頭上から「ぶっ」と吹き出す声がした。ぱっと顔を上げると銀時は口元を片手で押さえて、肩を震わせながら笑っていた。
「なっ、なんで笑うんですか!?」
「ぶはははっ!!いや、だってお前、男に襲われても泣かねぇくせに、指輪が壊れたら泣くのかよ!あんなプラスチックでできた子供だましの安モン、割れたって痛くも痒くもねぇだろ!やっぱお前バカだな!どーしようもねぇ大バカだ!!」
「そんな、だ、だってこの指輪はたいせつなっ、ぁ、うわぁあっ!!?」
とつぜん身をかがめた銀時が***の肩と膝裏に手を回して、横向きに抱え上げた。そのままくるりと方向転換して歩き出す。その顔からイラだちは消えて、いつものボケッとした表情に戻っていた。呆気にとられた警官たちは、スタスタと進む銀時を見送るしかできない。店を出たところで沖田が声を掛けてきた。
「オイ旦那ァ、ちょいと待ちなせぇ。重要参考人の***を連れてかれちまうと困りまさぁ。事情聴取が終わるまではウチで預からしてもらわねーと」
「あ?何言ってんだよ沖田くん、***なんざどこにもいねーだろーが。俺はヤクの売人のアジトを垂れ込んで、ちょっと手ぇ貸してやっただけだっつーの……それとも何、沖田くんは***がこんな汚らわしい場所にいるよーな女だと思ってんの?銀さんの彼女だよ?あの清純派な小娘が、こんなとこにいるわけねーだろ。もし居たとしても居なかったことにするくらいお安い御用だろ、おたくら警察っつーのは、なぁ?」
顔を突き合わせた銀時は、沖田をにらみつけて言った。抱えた身体を守るように肩でかばうから、***からは沖田の顔が見えない。事情聴取なら受けるよと***が言うよりも早く、再び銀時が歩き出す。あっ、と言って銀時の肩越しに後ろを見たら、苦笑いの沖田と目があった。呆れたように***に手を振って、パトカーに乗り込んで去っていった。
「銀ちゃん、私、警察に行かなくていいの?」
「……行かせるわけねーだろ。浴衣よれよれでおっぱい見えそうな彼女を、あんなむさくるしいヤツらに預けられるかよ」
「へ……?あっ、ぎゃぁあ!!」
言われて初めて、***は自分の服の乱れに気づいた。開いた襟元を慌てて両手でかき寄せる。なんでもっと早く言ってくれないんですか、と叫びながら真っ赤な顔を上げたら、銀時は***をチラッと見て再び「ぶは!ほんっと能天気なヤツだなお前」と笑った。大口を開けて笑う顔を見つめて***は、ああ、そっかと思う。
———ああ、そっか……銀ちゃんはこの指輪でも私を守ってくれたんだ。銀ちゃんの言うとおり、プラスチックでできた子供だましの安い宝石だけど、でもあの赤い石が私の弱いパンチを強くしてくれたんだよ……ねぇ銀ちゃん、そうでしょう?
心のなかでそう聞きながら、***は笑い続ける銀時をじっと見ていた。銀色の髪がネオンに照らされてキラキラとキレイだ。その後ろに真っ暗な夜空、そこにチラチラと星が輝いていた。かぶき町にはめずらしく、今夜は星がよく見える。その星の数と同じほど、***は銀時に「好き」と言いたかった。
腕に***の重みを感じて、銀時はようやく安心した。歩いてる間、ずっと***は「ねぇ降ろしてください、私歩けるから」と言っていたが無視した。
目に入った公園に寄り、手洗い場でふたりそろって手と顔を洗った。***は乱れた髪を結び直して、ゆるんだ帯を引き締める。その腕をつかむと銀時は、公園のはしに立つ公衆電話に入った。
万事屋へ電話をかけると1コールもしないうちに新八が『銀さんですか!?』と出た。
「ぱっつぁん、俺だけ、」
『銀さん!***さんは一緒ですか!?助かったんですよね!?***さんは、無事なんですよね!?』
「うっせーな、んなでっけぇ声出さずに最後まで聞けよ。***は無事に決まってんだろーが。今から帰るけど、お前は神楽連れて、」
『銀ちゃん!ベラベラ喋ってないでとっとと***に代わるネ!早くするアル!!』
「お前ら、ちったぁ俺の話聞けよ!!!」
電話の向こうで心配そうなふたりの声が反響する。神楽が受話器を持ち、その後ろに新八が耳を押し当てている。本人と話をさせろと譲らない神楽にため息をついて、銀時はしぶしぶ***に受話器を渡した。
「あ、神楽ちゃ、」
『***~~~!!!』
電話ボックスから出た銀時の耳にも、神楽の叫び声が届いた。くすくすと笑いながら***は嬉しそうに「うん、神楽ちゃん、大丈夫だよ、心配かけてごめんね」と何度も言った。マシンガンのようにしゃべり続ける神楽に「うん、うん」とあいづちを打つ。電話が新八に代わって、やっと***は静かな声で言った。
「新八くん、警察に通報してくれてありがとう。ふたりが姫子さんを捕まえてくれたって聞いたよ。神楽ちゃんにも言ったけど、私は全然大丈夫だから安心してね。あ、そうだ、今から銀ちゃんと、」
帰る、と言いかけた***の手から受話器を取り上げる。えっと驚く***を奥へと追いやって、銀時は電話ボックスの中に踏み入った。再び受話器を耳に押し当てると『***さん!?』という新八の声がした。
「***じゃなくて銀さんだけど、新八おまえ今日のところは神楽連れて帰れ。お妙にも事情を話せば分かってくれんだろ」
『でも僕も神楽ちゃんも、***さんに会いた』
「会いてーのは分かるけど、コイツは結構疲れてんだ。休まねぇとまたぶっ倒れるかもしんねーだろ」
「銀ちゃん、私は、だいじょっんぐ!?」
大丈夫、と言いかけた***の口を、銀時の片手が覆った。新八は『それはそうですけど…』とすこし渋ったが、結局は銀時の言うことをきいて電話を切った。
ガチャンッと受話器を置いて公衆電話を出ると、続けて出てきた***が銀時の着物の袖をきゅっとつかんで引き留めた。
「銀ちゃん、なんで新八くんに帰れなんて言うんですか?私だってふたりに会いたかったのに……」
そう言いながら眉を八の字に下げた***を見下ろして、銀時は盛大に「はぁぁぁ~」とため息をついた。
「ほんっと***ってなんも分かってないよね~……今のお前ひでぇ見た目してんの知ってる?キズから血ぃ出して、ぶっ叩かれたほっぺた腫らして、いかにもヤられちまったって顔してんだぞ?そんなんでアイツらに会ったら、もっと大騒ぎするだろーが……んで、お前なんて言うの?レイプされかけたけど大丈夫でしたって言うの?そんなん無理だろ。全っ然信じられねーだろ。せめてひと晩落ち着かせて、その赤ぇほっぺたが治ってからにしろっつーの!!」
「あっ、う゛、そっか……そうですね」
電話ボックスのドアに映った姿を見て、あらためて***はそのひどさに愕然とした。血や汚れは洗い流せても、傷やアザやほほの腫れは隠せない。落ち込んでしゅんとした***を、銀時はガラス越しに見ていた。
正直に言えば銀時は、今の***を誰にも会わせたくない。誰よりも傷ついて怖い思いをしたはずの***が、誰よりもいちばん他人を気づかうから。さっきだって怒りに我を忘れた銀時を、***の「大丈夫だよ」という声が正気に戻した。新八と神楽に会えばより一層また元気にふるまうはず。ムリをする***をこれ以上見たくなかった。
「***、よくやったな」
「えっ?」
ガラスに向き合う小さな頭に、後ろからポンッと手をのせる。振り返った***がきょとんとした顔で銀時を見上げた。
「お前はよく頑張った……女たちを逃がしたのも、助けに戻ったのも、あのクソ野郎をぶん殴ったのも、俺を止めてくれたのも全部、***がひとりでやったんだ。弱っちぃお前が何もかも守っちまうなんてなぁ……新八と神楽が聞いたら驚いてぶっ倒れるぞ」
そう言って銀時はへらっと笑った。黒い髪がぐしゃぐしゃになるほど頭を乱暴に撫でたら、***の顔が急にゆがんだ。そうだ、もう泣いていい。怖かった、痛かったと吐き出していい。
そして予想通り***は、銀時の胸に飛び込んできた。
「っ……ぎんちゃ、ゎ、私はっ……」
「ハイ、よしよし、***ちゃ~ん、もう大丈夫ですからねぇ~、銀さんがここにいますよ~」
華奢な身体を両手で受け止めて、震える背中をやさしくさすった。傷が痛まないか不安で見下ろした銀時を、涙をいっぱいに溜めた瞳で***が見上げた。
「銀ちゃん、私、怖かった」
「ん、知ってる。あんないかがわしい場所に女ひとりで居て、しかもあんなヤツらに囲まれて怖くねぇわけねーだろ。銀さんだったらしょんべん漏らしてるわ」
「違う。ちがうんです銀ちゃん、私……」
ぶんぶんと***は首を振った。銀時のシャツの胸元を両手で握りしめると、もごもごと口ごもってから言った。
「わ、私、姫子さんに……‟銀さんを譲って”って言われました。まるで銀ちゃんをモノ扱いするみたいな口調だったから、すごく頭にきた。それで嫌ですって怒ったの……で、でも、私も……銀ちゃんのこと誰にも渡したくないって、私以外の人のものになっちゃヤダって思ってるんです。だからあの人と同じように銀ちゃんのことモノ扱いしてるの……それなのにっ、」
そこまで言って***の瞳から、透明の涙粒が一滴だけ落ちた。続けて何かを喋ろうとするのに、嗚咽が混じって言葉にならない。涙が溢れそうになるたび、手でゴシゴシとまぶたをこすって「うぅっ」と声を漏らす***のほほを、銀時の両手が包んだ。
「***、俺を見ろ。俺のことだけ考えろ……あの女が何を言ったか知らねぇが、俺はお前にモノ扱いされた覚えはこれっぽっちもねぇよ」
「っ、ぎ、んちゃん……ったし、私」
つま先立ちの***が、銀時の首に腕を回して抱き着いた。その頭を撫でて背中をぽんぽんと叩きながら、***を落ち着かせようと笑いまじりの声を出す。
「さっさと帰ろうぜ***。んでお前ゆっくり寝ろって。銀さん見守っててやっから。なんなら母ちゃんみてぇに添い寝してやろーか?赤ん坊寝かしつけるみてぇに腹んとこトントンしてやるよ。もうなんも怖くねぇって安心して、ぐっすり寝て休めよ、な?」
そうだ、それがいい、と銀時はひとりうなずく。一方、***は鼻をすするだけで何も言わなかった。首に引っつく姿が子どものように見えて、銀時は声もなく笑った。ぶらさげるように***を抱えたまま、歩き出した所で首元から急に「ヤダ、帰りたくない」と声がした。
なんと言われたか分からず、そのまま歩き続けていると、首に回った腕にぎゅううっと力が入って締め付けられ、息苦しくなった。
「うぐぐぐぐぐっ、ちょっ……ちょっと***さんんんん!!!??ぐ、ぐるしいっ、な、なにコレ、死ぬ!!死ぬんですけど!!首もげて死にそうなんですけどぉぉぉぉ!!!??」
「か、帰りたくない!銀ちゃん、私、帰らないですっ」
「はぁぁぁぁぁ!!?帰らねぇって……んじゃ、どーすんだよ!?まさかここでひと晩、野宿でもすんのか!?やめろって***、んなことするとグラサンのマダオになっちまうぞ」
「の、野宿なんてしないですっ……」
「じゃぁ何なんだよ!?どこ行きゃいーんだよ!?***はどこに行けば満足なんですかぁ!?」
ギャーギャーと騒がしい声で問いかけると、***はゆっくりと顔を上げた。抱き着いたまま横を向くと、互いの鼻先が触れ合うほど近い。
泣きそうに赤らんだ***の瞳が、銀時をじっと見つめる。ぷっくりとした唇が開いて、おずおずと告げたのは予想外の場所だった。
「銀ちゃん、私……お誕生日の部屋に行きたい」
「は?おたんじょーびの部屋ぁ?何だソレ、どこにあんだよ?そのみょうちきりんな部屋は」
「覚えてないよね……前に一緒に泊まったホテルの部屋、ルームナンバーが1010ってドアに書いてあって、それで私、銀ちゃんのお誕生日と一緒だって思ったんです」
「ッ……!」
遠い記憶のそのもっと向こうに、ホテルのドアとカードキーがよみがえる。そこに確かに「1010」の文字。薄っすらと浮かんだその可能性に、銀時は声が出なくなった。まさか、と驚いて目を見開く銀時に***は静かに言葉をつづけた。
「銀ちゃんは覚えてないかもしれないけど、去年の台風の日にふたりで泊まったところです。私、あの部屋で初めて銀ちゃんに……す、好きって言ってもらった。それに初めて、キスも、してもらった……だから今日はあのお部屋に行きたい。銀ちゃんとあの場所で……朝までふたりで、一緒にいたいです」
「お前、自分が何言ってるか分かってんのか?あれラブホだぞ?そーゆーことするところだぞ?」
「分かってます……私、銀ちゃんと、そうゆうこと、したい」
「なっ、ちょ、お前なに言って、」
腫れたほっぺたに、ぼわぁっと赤みがさす。いつもならこんなに真っ赤な顔の時、目をそらして逃げようとするのに、今の***は逃げなかった。恥ずかしさに潤みつつも、澄みきったふたつの瞳は銀時をつらぬきそうなほど強い眼力で見つめている。
「私、襲われそうになった時、銀ちゃんにもっと触ってもらえば良かったって思ったの。誰かに奪われるのは嫌だって、私の身体は銀ちゃんのものだって、初めて本気で思ったんです……銀ちゃんにばっかり求めてて最低だよね。一緒にいて下さいとか、守って下さい、優しくして下さいって。くださいばっかりで何にもあげてこなかったくせに……銀ちゃん、こんな私でも欲しいってまだ思ってくれますか?あのお部屋で抱きしめてくれますか?私にはそれしか、銀ちゃんにあげられるものがないからっ……」
朱色に染まるほっぺたを、涙の雫がするすると流れ落ちた。静かに泣き出した瞳には真剣なまなざし。ため息をつきながら銀時は頭をガリガリとかいた。思い悩んで空を仰いだら、かぶき町の夜空にめずらしく星が瞬いているのが見えた。
あの部屋を忘れるわけがない。幾度も葛藤した末にようやく、好きな女を手に入れたあのホテルの一室を、忘れるはずがなかった。嵐が吹き荒れる夜、銀時と***はあの場所で思いを通じ合わせた。
「……***、ほんとにいいんだな?本当にあそこに行きてぇって、お前思ってんだな?」
「うん、銀ちゃん、本当です。本当に行きたいです」
答えは間髪入れずに返ってくる。嘘ひとつない澄みきった瞳と見つめ合って、銀時は奥歯をギッと噛む。
ついさっきまで***にムリをさせたくないと思っていたのに、そんな理想はあっさりと崩れた。今夜あの部屋でふたりきりで過ごすなら、もう我慢はできない。
泣いて嫌がられても、きっと***を離せない。
夜空に散る星の数ほど***に「好きだ」と言いたいと、銀時はふと思った。今まで***にはさんざん言わせたくせに、自分ではあまり言ってこなかったから。
星が降りそそぐみたいに、この小さな身体にキスを落としたい。飽きるくらい何度も名前を呼んで、苦しいくらい強く抱きしめたい。誰にも邪魔できないほど強く身を寄せ合って、二度と離れないほど深く繋がりたい。
***が、お誕生日の部屋と呼ぶ、あの場所で。
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【(37)強く輝くふたり】
"星の降る夜"(3/end)
大好きだから ずっとなんにも心配いらないわ
「沖田隊長、お疲れ様です!」
「おー、お前らは容疑者の拘束と負傷者の救護に当たれ。で、あのマヌケな***はどこにいやがんでぃ」
つぶれたキャバクラ店の正面玄関が開く。そして目にした光景に、沖田は「へぇ」と声を漏らした。
そもそもこの事件は真選組の管轄外。内密に出した隊士数名と、万事屋の通報で集まった大江戸警察が入り混じる。警察官や被害者の女たち、野次馬でごった返す大きな通りは殺伐としていた。
しかし店内はもっとひどい。転がる男たちは半殺しどころか四分の三殺し状態。そこにただひとり立つ銀時は、入り口に背を向けていた。その後ろ姿が発する殺気に沖田はフッと笑う。それはそうだろう、銀時はつかみどころのない男だが、自分の女が危険な目にあって黙っているような腑抜けでない。
———沖田くん、今すぐパトカー出せ。いち台、万事屋に寄こして。んで、あともう何台かを、つぶれたキャバクラに向かわせろ———
電話口でそう告げた声を沖田は思い出す。そこに***がいる確証もないのに、有無を言わせなかった。そしてその言葉どおりに来てみれば、***は確かにそこにいた。ホコリと血の匂いの充満する部屋でうずくまる姿を見つけて、沖田は駆け寄った。
「***、アンタまさか……ヤられちまったのか?」
「えっ、総悟くん!?な、なんでここにいるの!?」
「なんでってそりゃぁ、旦那の勘が当たったからでぃ。アンタがここにいるって、あの人の見立てでね。おかげで大江戸警察は大手柄でぃ……ところで***、思ったより元気そうじゃねーか。俺ァてっきり、変な薬でラリってんのが見れるかと期待したんだがねぇ」
「じょっ、冗談でもそんなの笑えないよ!あっ、そうだ、ねぇ総悟くん、この子さっきから全然目を覚まさないんだけど、どうしたらいいかな?」
沖田は憎まれ口をたたきながらも、***のいつも通りの明るさにホッとした。服が乱れて軽いケガはしているが元気そうだ。うずくまっていたのは、横たわる女に声をかけていたから。裸同然で倒れている女に着物をかけてやり、***はそのほっぺたをパシパシと叩いた。それでも目を開けない女はひどく青ざめて、ひと目で重度の薬物中毒だと分かった。
「総悟くん、この子は……ここにいた女の子たちは、助かるかなぁ?」
眉間にシワを寄せた***が、沖田を見上げて聞いた。ここからの脱出が「助かる」という意味なら頷ける。だが後遺症も残らないかと聞かれれば、なんとも言えない。女たちはそれほどひどい目にあって、***だってあと一歩のところだったのだ。
「ヤク中になってもねぇ***が泣きそーな顔すんな。アンタは女どもを助けたし、売人どもは旦那が全員ぶちのめしちまった。あとは俺たちが片づけてやらぁ。あ、それとさっき部下の神山から電話がきてね、姫子とかいうヤツもメガネとチャイナがとっ捕まえたってよ。ぜんぶ解決してよかったな***」
珍しく優しい言葉をかけても、***は女の手をにぎったまましょんぼりとしていた。踏み込んできた警察官が容疑者たちを取り押さえる。沖田は真選組の隊士を呼んで、意識のない女を救急隊の元へ運ぶよう指示した。連れて行かれる女を見て***はオロオロする。その腕をつかみ「アンタも傷の手当てを受けろ」と言っていると、突然大きな音が部屋に響いた。
ドカンッッッ!!!!!
それは銀時がニット帽の男を蹴り上げた音だった。意識のない男は壁に叩きつけられ、ぐにゃりと倒れこむ。沖田と***は同時に動きを止めた。息を飲んだ***は数メートル離れたところに立つ背中を見つめて、震える声で呼びかけた。
「ぎ、銀ちゃん……?」
こたえない銀時が、壁にもたれる男に近づいてその胸倉をつかむ。振り上げた拳でその顔を思い切り殴りつけた。血が飛び散ってもその手は止まらない。とっくに気を失っている相手を銀時は殴り続けた。
「け、警察だっ!そこのお前やめないか!!」
警察官が銀時の腕をつかんで止めようとしたが、あっけなく振り払われ床に尻もちをつく。ドカッ、バキッ、という重たい音が響き続ける。
容疑者とはいえ無抵抗の相手を痛めつける行為を、警察が見逃すことはできない。肩を落として沖田は「やれやれ」と言った。
———あー、めんどくせぇな。旦那の相手なんざ骨が折れらぁ。それに女どもへの仕打ちを思えば、容疑者全員おっ死んだって俺ァ構わねーんだがねぃ……権力に仕える身っつーのは、こーゆー時に不便でぃ。
来る前からこうなると分かっていた。だから沖田は万事屋ではなく、あえてこの店に来たのだ。もちろん***を助けるのが第一目的だが、***のいる場所に銀時が現れると分かっていたから。もし万が一、***の身に何かあれば、銀時を止められるのは自分しかいない。
常に二手三手先を考えて動く、なんてどっかの副長がやりそうなことでウンザリだ。だが相手が銀時で、***に関わることなら役目を果たさざるを得ない。
「オメーらは下がってろ。へたに手ぇ出すとケガじゃすまねぇぜ」
実戦経験がほとんどない警察官を下がらせて、沖田は一歩踏み出した。はぁぁ~とため息をつく。ただでさえ腕の立つ銀時が殺気立って、我を失うほど怒っている。危険だからむやみに近づきたくない。バズーカでもぶっ放すか。あ、でもそーすると容疑者も死んじまうかもしんねーなぁ……などと考えている沖田の視界を、予想外のものがサッと横切っていった。
「銀ちゃん!!!」
「なっ………!!?」
後ろから飛び出してきた***が、沖田を追い越していく。オイッ!と言って引き留めようとした手が、長い髪の間をすり抜けた。気づいた時には既に、銀時の振り上げた右腕に***がすがりついていた。
「あ゛ぁ!?っだよ***!離しやがれ!!」
にらみつけるように振り返った銀時の顔に、返り血が点々とついていた。それを見た若い隊士が、沖田の後ろで「ひぇッ」と声を上げた。まるで夜叉のような銀時の気迫に、その場にいる全員が言葉を失っていた。
ただひとり、***をのぞいて———
「銀ちゃん、もうやめて!その人、死んじゃうよ!!」
「はぁぁぁ!?死んだっていーだろーがこんなクソ野郎!今すぐぶっ殺してやるっつーの!!こっちだって、はらわた煮えくり返って死にそうなんだって!!邪魔すんじゃねーよ***!!!」
「だ、ダメです!お願いだからやめて!!」
男を殴ろうとする銀時の右手を、***は両手でつかんだ。背が高い銀時にほとんどぶら下がっている。わずらわしそうに腕を揺すられても、必死ですがりついて離れなかった。これ以上は殴らせまいと、***は身をよじって銀時と男の間に割って入る。つかんだ腕を胸にぎゅっと抱きよせて顔を上げたら、イラだってぎらついた赤い瞳に見下ろされた。
———こんな銀ちゃんの顔はじめて見た。すごく怒ってる。誰にも止められないくらい強く……でも、これはダメだよ。こんなこと銀ちゃんにさせたくないっ!
「離せよ***」
「は、離さないっ……ね、銀ちゃん、もう怒らなくていいよ。もう怒る必要ないんです。だから、やめよう?」
「やめねーよ。お前、自分がどんな目にあったか忘れたのか?あと一歩で死んでたんだぞ?それじゃなくてもボロボロにされてんのに、もう怒らなくていいだぁ?なに甘っちょろいこと言ってんだよ、このバカ!」
「ば、バカじゃない!私、甘っちょろくなんてないです!バカは銀ちゃんだよ!もうっ、バカ!!」
「はぁぁ!?んだよソレ!俺のどこがバカなんだよどこがぁ!!」
銀時の二の腕から手の甲までを、***の手がゆっくりと撫で上げる。かたく握られたこぶしを両手でそっと包んだら、自然と長い指は開いていった。骨ばった指先がビクッとするのを無視して顔に引き寄せると、大きな手のひらが***のほほを包んだ。
「銀ちゃん、私もう大丈夫だよ?ほら、ね?それに銀ちゃんはこの人に怒ってるんじゃなくって、自分に怒ってるんでしょう?」
「はぁ?なに意味わかんねぇこと言ってんだよ」
「銀ちゃんは……銀ちゃんのせいで私が傷ついたって、自分に怒ってるんじゃないですか?もしそうなら、それは違うよ。だって私どこも痛くない。銀ちゃんに守ってもらったから」
「ま、守れてねぇだろーが!お前が助けてっつってんのに、俺は結局、間に合わなかったじゃねーかよ!」
ほほを包む大きな手に小さな手が重なる。ふるふると顔を振る***に銀時は困惑していた。血に濡れた銀時の手が、***の手のひらとほほを紅く汚す。錆びた鉄のような匂いにもひるまない***は、背筋を伸ばして凛とした声で言った。
「守ってくれたよ、銀ちゃん。だって私ね、神楽ちゃんとお妙さんが教えてくれたパンチとキックができたよ。キャサリンさん直伝の手錠はずしも役に立った。お登勢さんの声が励ましてくれた。かぶき町の強い女の人たちが私に力をくれたの。みんな銀ちゃんのおかげで出会えた人たちだよ……だから銀ちゃんは私のこと、ちゃんと守ってくれたんです」
「***、お前……っ、」
あんぐりとしていた銀時が、苦しそうにぐっと息を飲んだ。怒りがおさまってほしいと祈る***の背後で、ドサッと音がする。胸倉を離された男が床に倒れた。ホッと息をついた***は、まるで飼い犬を褒める主人のように、銀髪をよしよしと撫でた。
銀時の顔についた返り血を袖で拭きとっている時、***は自分の指を目にした瞬間「あぁぁぁ!!!」と大声を上げた。
「大変っ!ぎぎぎ、銀ちゃん私、ゆゆゆ、指がっ!!どどど、どうしよう!!?」
「ゆっ、指がどーしたんだよ!?痛ぇのか!?骨までイカレたのか!?オイィィィ!そーゆーのは早く言えよ!そのほっせぇ指じゃ、折れちまったら一生使いモンになんねーぞ!医者だ、誰か医者を連れてこい!!」
「ちがうよ!ゆ、指輪が、指輪の石が取れて、無くなってるんですっ!!あっ、そうか、この人を殴った時だ!鼻にバキッてめり込んだ感覚はあったの。あの時に割れちゃったんだ……」
ああ、とため息をついて指輪を見下ろすと、***の眉は八の字に下がった。銀時にもらった大切な指輪のまんなかで、銀時の瞳と同じ色の石が割れて、小さなカケラだけになっている。泣きそうな顔でうつむいていたら、頭上から「ぶっ」と吹き出す声がした。ぱっと顔を上げると銀時は口元を片手で押さえて、肩を震わせながら笑っていた。
「なっ、なんで笑うんですか!?」
「ぶはははっ!!いや、だってお前、男に襲われても泣かねぇくせに、指輪が壊れたら泣くのかよ!あんなプラスチックでできた子供だましの安モン、割れたって痛くも痒くもねぇだろ!やっぱお前バカだな!どーしようもねぇ大バカだ!!」
「そんな、だ、だってこの指輪はたいせつなっ、ぁ、うわぁあっ!!?」
とつぜん身をかがめた銀時が***の肩と膝裏に手を回して、横向きに抱え上げた。そのままくるりと方向転換して歩き出す。その顔からイラだちは消えて、いつものボケッとした表情に戻っていた。呆気にとられた警官たちは、スタスタと進む銀時を見送るしかできない。店を出たところで沖田が声を掛けてきた。
「オイ旦那ァ、ちょいと待ちなせぇ。重要参考人の***を連れてかれちまうと困りまさぁ。事情聴取が終わるまではウチで預からしてもらわねーと」
「あ?何言ってんだよ沖田くん、***なんざどこにもいねーだろーが。俺はヤクの売人のアジトを垂れ込んで、ちょっと手ぇ貸してやっただけだっつーの……それとも何、沖田くんは***がこんな汚らわしい場所にいるよーな女だと思ってんの?銀さんの彼女だよ?あの清純派な小娘が、こんなとこにいるわけねーだろ。もし居たとしても居なかったことにするくらいお安い御用だろ、おたくら警察っつーのは、なぁ?」
顔を突き合わせた銀時は、沖田をにらみつけて言った。抱えた身体を守るように肩でかばうから、***からは沖田の顔が見えない。事情聴取なら受けるよと***が言うよりも早く、再び銀時が歩き出す。あっ、と言って銀時の肩越しに後ろを見たら、苦笑いの沖田と目があった。呆れたように***に手を振って、パトカーに乗り込んで去っていった。
「銀ちゃん、私、警察に行かなくていいの?」
「……行かせるわけねーだろ。浴衣よれよれでおっぱい見えそうな彼女を、あんなむさくるしいヤツらに預けられるかよ」
「へ……?あっ、ぎゃぁあ!!」
言われて初めて、***は自分の服の乱れに気づいた。開いた襟元を慌てて両手でかき寄せる。なんでもっと早く言ってくれないんですか、と叫びながら真っ赤な顔を上げたら、銀時は***をチラッと見て再び「ぶは!ほんっと能天気なヤツだなお前」と笑った。大口を開けて笑う顔を見つめて***は、ああ、そっかと思う。
———ああ、そっか……銀ちゃんはこの指輪でも私を守ってくれたんだ。銀ちゃんの言うとおり、プラスチックでできた子供だましの安い宝石だけど、でもあの赤い石が私の弱いパンチを強くしてくれたんだよ……ねぇ銀ちゃん、そうでしょう?
心のなかでそう聞きながら、***は笑い続ける銀時をじっと見ていた。銀色の髪がネオンに照らされてキラキラとキレイだ。その後ろに真っ暗な夜空、そこにチラチラと星が輝いていた。かぶき町にはめずらしく、今夜は星がよく見える。その星の数と同じほど、***は銀時に「好き」と言いたかった。
腕に***の重みを感じて、銀時はようやく安心した。歩いてる間、ずっと***は「ねぇ降ろしてください、私歩けるから」と言っていたが無視した。
目に入った公園に寄り、手洗い場でふたりそろって手と顔を洗った。***は乱れた髪を結び直して、ゆるんだ帯を引き締める。その腕をつかむと銀時は、公園のはしに立つ公衆電話に入った。
万事屋へ電話をかけると1コールもしないうちに新八が『銀さんですか!?』と出た。
「ぱっつぁん、俺だけ、」
『銀さん!***さんは一緒ですか!?助かったんですよね!?***さんは、無事なんですよね!?』
「うっせーな、んなでっけぇ声出さずに最後まで聞けよ。***は無事に決まってんだろーが。今から帰るけど、お前は神楽連れて、」
『銀ちゃん!ベラベラ喋ってないでとっとと***に代わるネ!早くするアル!!』
「お前ら、ちったぁ俺の話聞けよ!!!」
電話の向こうで心配そうなふたりの声が反響する。神楽が受話器を持ち、その後ろに新八が耳を押し当てている。本人と話をさせろと譲らない神楽にため息をついて、銀時はしぶしぶ***に受話器を渡した。
「あ、神楽ちゃ、」
『***~~~!!!』
電話ボックスから出た銀時の耳にも、神楽の叫び声が届いた。くすくすと笑いながら***は嬉しそうに「うん、神楽ちゃん、大丈夫だよ、心配かけてごめんね」と何度も言った。マシンガンのようにしゃべり続ける神楽に「うん、うん」とあいづちを打つ。電話が新八に代わって、やっと***は静かな声で言った。
「新八くん、警察に通報してくれてありがとう。ふたりが姫子さんを捕まえてくれたって聞いたよ。神楽ちゃんにも言ったけど、私は全然大丈夫だから安心してね。あ、そうだ、今から銀ちゃんと、」
帰る、と言いかけた***の手から受話器を取り上げる。えっと驚く***を奥へと追いやって、銀時は電話ボックスの中に踏み入った。再び受話器を耳に押し当てると『***さん!?』という新八の声がした。
「***じゃなくて銀さんだけど、新八おまえ今日のところは神楽連れて帰れ。お妙にも事情を話せば分かってくれんだろ」
『でも僕も神楽ちゃんも、***さんに会いた』
「会いてーのは分かるけど、コイツは結構疲れてんだ。休まねぇとまたぶっ倒れるかもしんねーだろ」
「銀ちゃん、私は、だいじょっんぐ!?」
大丈夫、と言いかけた***の口を、銀時の片手が覆った。新八は『それはそうですけど…』とすこし渋ったが、結局は銀時の言うことをきいて電話を切った。
ガチャンッと受話器を置いて公衆電話を出ると、続けて出てきた***が銀時の着物の袖をきゅっとつかんで引き留めた。
「銀ちゃん、なんで新八くんに帰れなんて言うんですか?私だってふたりに会いたかったのに……」
そう言いながら眉を八の字に下げた***を見下ろして、銀時は盛大に「はぁぁぁ~」とため息をついた。
「ほんっと***ってなんも分かってないよね~……今のお前ひでぇ見た目してんの知ってる?キズから血ぃ出して、ぶっ叩かれたほっぺた腫らして、いかにもヤられちまったって顔してんだぞ?そんなんでアイツらに会ったら、もっと大騒ぎするだろーが……んで、お前なんて言うの?レイプされかけたけど大丈夫でしたって言うの?そんなん無理だろ。全っ然信じられねーだろ。せめてひと晩落ち着かせて、その赤ぇほっぺたが治ってからにしろっつーの!!」
「あっ、う゛、そっか……そうですね」
電話ボックスのドアに映った姿を見て、あらためて***はそのひどさに愕然とした。血や汚れは洗い流せても、傷やアザやほほの腫れは隠せない。落ち込んでしゅんとした***を、銀時はガラス越しに見ていた。
正直に言えば銀時は、今の***を誰にも会わせたくない。誰よりも傷ついて怖い思いをしたはずの***が、誰よりもいちばん他人を気づかうから。さっきだって怒りに我を忘れた銀時を、***の「大丈夫だよ」という声が正気に戻した。新八と神楽に会えばより一層また元気にふるまうはず。ムリをする***をこれ以上見たくなかった。
「***、よくやったな」
「えっ?」
ガラスに向き合う小さな頭に、後ろからポンッと手をのせる。振り返った***がきょとんとした顔で銀時を見上げた。
「お前はよく頑張った……女たちを逃がしたのも、助けに戻ったのも、あのクソ野郎をぶん殴ったのも、俺を止めてくれたのも全部、***がひとりでやったんだ。弱っちぃお前が何もかも守っちまうなんてなぁ……新八と神楽が聞いたら驚いてぶっ倒れるぞ」
そう言って銀時はへらっと笑った。黒い髪がぐしゃぐしゃになるほど頭を乱暴に撫でたら、***の顔が急にゆがんだ。そうだ、もう泣いていい。怖かった、痛かったと吐き出していい。
そして予想通り***は、銀時の胸に飛び込んできた。
「っ……ぎんちゃ、ゎ、私はっ……」
「ハイ、よしよし、***ちゃ~ん、もう大丈夫ですからねぇ~、銀さんがここにいますよ~」
華奢な身体を両手で受け止めて、震える背中をやさしくさすった。傷が痛まないか不安で見下ろした銀時を、涙をいっぱいに溜めた瞳で***が見上げた。
「銀ちゃん、私、怖かった」
「ん、知ってる。あんないかがわしい場所に女ひとりで居て、しかもあんなヤツらに囲まれて怖くねぇわけねーだろ。銀さんだったらしょんべん漏らしてるわ」
「違う。ちがうんです銀ちゃん、私……」
ぶんぶんと***は首を振った。銀時のシャツの胸元を両手で握りしめると、もごもごと口ごもってから言った。
「わ、私、姫子さんに……‟銀さんを譲って”って言われました。まるで銀ちゃんをモノ扱いするみたいな口調だったから、すごく頭にきた。それで嫌ですって怒ったの……で、でも、私も……銀ちゃんのこと誰にも渡したくないって、私以外の人のものになっちゃヤダって思ってるんです。だからあの人と同じように銀ちゃんのことモノ扱いしてるの……それなのにっ、」
そこまで言って***の瞳から、透明の涙粒が一滴だけ落ちた。続けて何かを喋ろうとするのに、嗚咽が混じって言葉にならない。涙が溢れそうになるたび、手でゴシゴシとまぶたをこすって「うぅっ」と声を漏らす***のほほを、銀時の両手が包んだ。
「***、俺を見ろ。俺のことだけ考えろ……あの女が何を言ったか知らねぇが、俺はお前にモノ扱いされた覚えはこれっぽっちもねぇよ」
「っ、ぎ、んちゃん……ったし、私」
つま先立ちの***が、銀時の首に腕を回して抱き着いた。その頭を撫でて背中をぽんぽんと叩きながら、***を落ち着かせようと笑いまじりの声を出す。
「さっさと帰ろうぜ***。んでお前ゆっくり寝ろって。銀さん見守っててやっから。なんなら母ちゃんみてぇに添い寝してやろーか?赤ん坊寝かしつけるみてぇに腹んとこトントンしてやるよ。もうなんも怖くねぇって安心して、ぐっすり寝て休めよ、な?」
そうだ、それがいい、と銀時はひとりうなずく。一方、***は鼻をすするだけで何も言わなかった。首に引っつく姿が子どものように見えて、銀時は声もなく笑った。ぶらさげるように***を抱えたまま、歩き出した所で首元から急に「ヤダ、帰りたくない」と声がした。
なんと言われたか分からず、そのまま歩き続けていると、首に回った腕にぎゅううっと力が入って締め付けられ、息苦しくなった。
「うぐぐぐぐぐっ、ちょっ……ちょっと***さんんんん!!!??ぐ、ぐるしいっ、な、なにコレ、死ぬ!!死ぬんですけど!!首もげて死にそうなんですけどぉぉぉぉ!!!??」
「か、帰りたくない!銀ちゃん、私、帰らないですっ」
「はぁぁぁぁぁ!!?帰らねぇって……んじゃ、どーすんだよ!?まさかここでひと晩、野宿でもすんのか!?やめろって***、んなことするとグラサンのマダオになっちまうぞ」
「の、野宿なんてしないですっ……」
「じゃぁ何なんだよ!?どこ行きゃいーんだよ!?***はどこに行けば満足なんですかぁ!?」
ギャーギャーと騒がしい声で問いかけると、***はゆっくりと顔を上げた。抱き着いたまま横を向くと、互いの鼻先が触れ合うほど近い。
泣きそうに赤らんだ***の瞳が、銀時をじっと見つめる。ぷっくりとした唇が開いて、おずおずと告げたのは予想外の場所だった。
「銀ちゃん、私……お誕生日の部屋に行きたい」
「は?おたんじょーびの部屋ぁ?何だソレ、どこにあんだよ?そのみょうちきりんな部屋は」
「覚えてないよね……前に一緒に泊まったホテルの部屋、ルームナンバーが1010ってドアに書いてあって、それで私、銀ちゃんのお誕生日と一緒だって思ったんです」
「ッ……!」
遠い記憶のそのもっと向こうに、ホテルのドアとカードキーがよみがえる。そこに確かに「1010」の文字。薄っすらと浮かんだその可能性に、銀時は声が出なくなった。まさか、と驚いて目を見開く銀時に***は静かに言葉をつづけた。
「銀ちゃんは覚えてないかもしれないけど、去年の台風の日にふたりで泊まったところです。私、あの部屋で初めて銀ちゃんに……す、好きって言ってもらった。それに初めて、キスも、してもらった……だから今日はあのお部屋に行きたい。銀ちゃんとあの場所で……朝までふたりで、一緒にいたいです」
「お前、自分が何言ってるか分かってんのか?あれラブホだぞ?そーゆーことするところだぞ?」
「分かってます……私、銀ちゃんと、そうゆうこと、したい」
「なっ、ちょ、お前なに言って、」
腫れたほっぺたに、ぼわぁっと赤みがさす。いつもならこんなに真っ赤な顔の時、目をそらして逃げようとするのに、今の***は逃げなかった。恥ずかしさに潤みつつも、澄みきったふたつの瞳は銀時をつらぬきそうなほど強い眼力で見つめている。
「私、襲われそうになった時、銀ちゃんにもっと触ってもらえば良かったって思ったの。誰かに奪われるのは嫌だって、私の身体は銀ちゃんのものだって、初めて本気で思ったんです……銀ちゃんにばっかり求めてて最低だよね。一緒にいて下さいとか、守って下さい、優しくして下さいって。くださいばっかりで何にもあげてこなかったくせに……銀ちゃん、こんな私でも欲しいってまだ思ってくれますか?あのお部屋で抱きしめてくれますか?私にはそれしか、銀ちゃんにあげられるものがないからっ……」
朱色に染まるほっぺたを、涙の雫がするすると流れ落ちた。静かに泣き出した瞳には真剣なまなざし。ため息をつきながら銀時は頭をガリガリとかいた。思い悩んで空を仰いだら、かぶき町の夜空にめずらしく星が瞬いているのが見えた。
あの部屋を忘れるわけがない。幾度も葛藤した末にようやく、好きな女を手に入れたあのホテルの一室を、忘れるはずがなかった。嵐が吹き荒れる夜、銀時と***はあの場所で思いを通じ合わせた。
「……***、ほんとにいいんだな?本当にあそこに行きてぇって、お前思ってんだな?」
「うん、銀ちゃん、本当です。本当に行きたいです」
答えは間髪入れずに返ってくる。嘘ひとつない澄みきった瞳と見つめ合って、銀時は奥歯をギッと噛む。
ついさっきまで***にムリをさせたくないと思っていたのに、そんな理想はあっさりと崩れた。今夜あの部屋でふたりきりで過ごすなら、もう我慢はできない。
泣いて嫌がられても、きっと***を離せない。
夜空に散る星の数ほど***に「好きだ」と言いたいと、銀時はふと思った。今まで***にはさんざん言わせたくせに、自分ではあまり言ってこなかったから。
星が降りそそぐみたいに、この小さな身体にキスを落としたい。飽きるくらい何度も名前を呼んで、苦しいくらい強く抱きしめたい。誰にも邪魔できないほど強く身を寄せ合って、二度と離れないほど深く繋がりたい。
***が、お誕生日の部屋と呼ぶ、あの場所で。
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【(37)強く輝くふたり】
"星の降る夜"(3/end)
大好きだから ずっとなんにも心配いらないわ