銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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※※※一部大人向け※※※
☆途中にほんの一部ですが、大人向けな表現があります
☆ぬるいですが性的描写を含む為、苦手な方はお戻りください
【(34)信じる心】
お姫さまは欲しいものを全て手に入れる。
それが姫子の信条だった。貧乏でろくでもない親に育てられたが、容姿の良さでのし上がってきた。男たちは金を貢いでくれたし、愛されたかったからキャバ嬢は天職だった。同僚の指名客も平気で奪うから、どこでも人気ナンバーワンになれた。歯向かってくる邪魔な女たちは、例外なく叩きつぶしてきた。
それが姫子の生き方だった。
「だからってキャバ嬢全員をヤク漬けにしたのは、やりすぎだったよなぁ。アホな店長のおかげでカモにできる良い店だったのに、潰しちまってさぁ」
ニット帽を目深に被った男は全てを知っているから、ニヤニヤと笑いながら言った。
「アタシだけが悪いみたいに言わないで。薬盛ったのはアタシだけど、天人から仕入れたのはアンタでしょ。ヤクだけじゃなくて女も売りさばけて、いい上がりになって良かったじゃない」
悪い男たちとつるむのは互いに便利だから。金が欲しくても働く気のない者にとって、薬物を売るのはうってつけだ。一度売った客は必ずリピーターになるし、搾れるだけ搾り取った後は奴隷として天人に売り払える。姫子は邪魔な同僚を消せるし、男たちには金が入る。それを繰り返したせいで‟桃色くまさん”は摘発されたが、ローリスクハイリターンなビジネス関係だった。
「で、あのいけ好かない銀髪侍はどうすんだよ。牛乳屋の***とかいう地味な女にご執心で、姫子さまにも全然なびかねぇじゃねーか」
「う、うるさいっ!!」
爪を噛みながら姫子は銀時に出会った日を思い出す。それはちょうどこの男たちと、他愛のないゲームに興じていた時だった。
姫子が暴漢に襲われるフリをして、助けにきた善良な市民を全員で袋叩きにして金を奪う遊び。そこに偶然現れたのが銀時だった。木刀さえ使わずに男たちを蹴散らした銀時は、死んだ魚のような目で姫子に言った。
『アンタ誰かに恨みでも買ってんの?困ったことあんなら言えよ。俺、万事屋やってんだ』
その瞬間、この男は私のものにすると姫子は誓った。
「なびいてないわけじゃない。ただあの女が邪魔なだけよ。アイツさえいなくなれば……」
ギリギリと噛んだ爪からマニキュアが剝がれる。
今まで出会った男たちは誰もが自分の虜になったのに、銀時は違った。微笑みやボディタッチ、泣き落としも効かない。そもそも姫子に興味がなく報酬をくれる客としか思っていなかった。銀時の気の抜けた顔は何を考えているのか分からなかったし、飄々とした風情は何者にも捕らわれず、誰にも執着しない無関心さがあった。
ただひとり、******と一緒にいる時以外は。
***を初めて見た時、姫子は驚愕した。なぜ、こんなに地味な娘が銀時の恋人なのか解せなくて。万事屋の居間でプリンを差し出してきた***をじっと観察したが、どこからどう見ても自分の方が可愛かった。
それなのに、銀時が***を見つめる瞳には特別な感情が宿っていた。それはまるで、心底愛おしいものを眺めるような目付きだった。今まで出会った多くの男たちのなかに、そんな眼差しで姫子を見てくれる人はひとりもいなかった。
———姫子さん、お仕事、頑張ってくださいね
護衛の銀時と共に万事屋を出る時、***はいつも微笑んで、姫子を見送った。大した特徴もない田舎くさい女は北国出身で、かぶき町には出稼ぎに来たと知った。勤め先の牛乳屋はいずれ***が継ぐらしい。大江戸スーパーや町内会の評判も良く、銀時との交際は公認だった。自分にない全てを持った***の、屈託のない笑顔が憎くてしかたがなかった。
「お前があの女をキャバクラに連れてきた日に、ヤク漬けにしちまうつもりだったのになぁ……まさか警察と知り合いだったとは、姫子も知らなかったんだろ?」
「知らないわよ!真選組と繋がってるなんて……」
ドラッグでひと泡吹かせるつもりで、***をあの店に呼び寄せたのに、真選組という予想外の存在が邪魔をした。警察に守られた***には手が出せず、気づいた時には臨時バイトでたまたま居合わせた銀時に連れ帰られていた。
あの夜、姫子はふたりを追いかけた。
置きっぱなしの***の風呂敷包みを抱いて、夜の街を駆けたのが脳裏に蘇ってくる。もしも***が銀時に姫子の名を告げれば、縁を切られてしまう。それだけは阻止しようと慌てて辿りついた万事屋で、信じられない場面に出くわした。
『***、我慢すんなよ……お前の可愛い声、ちゃんと俺に聞かせて』
『っっ……、ぎん、ちゃっ、ぃゃぁあんっ———!』
外階段を昇っている途中、銀時と***の声を耳にして足を止めた。見上げた浴室の窓から漏れ出てきた声は、情事のさなかのいやらしいものだった。ハッと息を飲んでしゃがみこみ、耳を澄ます。
たどたどしい喘ぎ声が、***が処女だと告げていた。男の手で身体を開かれていく声は戸惑ってぎこちない。そのぎこちなさがより一層、***を艶めかせた。
一方、銀時の雄々しい声は、欲した女を前に興奮しきっていた。熱を帯びた低い声は快楽に溺れているようで、聞いているだけで背筋がぞくぞくした。吐息まじりで溢れる卑猥な言葉が***を困らせる。恋人の身体をゆっくりと、すみずみまで愛撫する銀時の声は、とてつもなく楽しそう。前戯の時に愉快そうにする男の声を、姫子は聞いたことがなかった。
———なんで?どうして?男って自分が気持ちよくなきゃイヤな生き物なんじゃないの?彼女だけをよがらせといて、なぜ銀さんがあんなに嬉しそうなのよ?
『もうイこうな、***、俺にぎゅーってしたまま』
『んゃ、ぎんっ、ちゃぁ、ぁあっ、はぁ、~~~~っっ、ぁ、ぁん、ああッ、ひゃぁぁあぁッ————!!』
切なげな甘い嬌声は果てた証拠。性感帯を指でいじられて銀時の腕のなかで快楽に落ちた***の声は、とろけきっていた。湯気のたつ温かい浴槽で抱き合うふたりが目に浮かぶ。
よくできました、と言う銀時の声はまるで、自分も絶頂を味わったかのように満たされていた。男を喜ばせるセックスしか姫子は知らない。どんなに身体を重ねても、いつも相手だけが満たされる。上辺だけの甘い言葉をささやいて、出すものを出せば寝てしまうような人たちとしか経験がないから。
『はぁっ、***、イって、イケって、ホラッ……っ、』
『あっ、やぁ、あ、ぁ、あっ、~~~ぁあっ、銀ちゃ、ぁあ、んっ———ぁ、ぁああっ……!!』
『く……は、***、***っ……で、るッ——!』
互いの名前を何度も呼び合いながら、***と銀時は愛し合っていた。与え合う体温と快感に包まれて、止めようもない淫らな声を上げながら身体を重ねるふたりは、肉体よりも心の奥で深く繋がっていた。
———あんな風に愛されてみたい。あの子みたいに私も幸せになりたい。銀さんに心の底から愛されて、あのたくましい腕のなかで気持ちよくなりたい。
私は、銀さんが、欲しい———
冷たい夜風に吹かれているのに頭の奥が熱いのは欲情ではなく、強い嫉妬のせいだった。ギリギリと奥歯を噛みしめて姫子は万事屋を後にする。
キャバクラの控え室に帰ると、持っていた風呂敷から着物を取り出す。柄のない地味な水色の和服が***を彷彿とさせて、妬ましい気持ちが破裂した。手に持ったカッターナイフを振り下ろすと、***の着物をビリビリに裂いた。端切れのようにボロボロになった着物をロッカーに押し込めて隠した。悔しくて仕方がない。絶対に銀さんをものにしたい。***よりも幸せになりたい。例えどんな手を使ったとしても。
「んで、あの白髪野郎を呼び出してパフェまで奢ったんだろ?どんな野郎も百発百中で仕留める天下の姫子さまが、落ちぶれたもんだよなぁ~」
「うっ、うるさいって言ってるでしょ!ぶつわよ!!」
どんな男性でもアプローチさえすれば落とせたのに、銀時に限り通用しなかったから、姫子はひどく焦っていた。遠回りなアピールでダメなら直球勝負で口説けばいい。そう決心して、あのカフェに銀時を呼び出した日の屈辱的な出来事は、たぶん一生忘れられないだろう。
人気店のパフェをちらつかせたら銀時はすぐに来た。盗み聞いた***と銀時の会話に出てきた店は、カップル向けの喫茶店だった。
ばっちりメイクとおろしたての服で銀時と向かい合ったら、姫子の胸は自然と高鳴った。オシャレな店、恋人たち、可愛い私。この状況で告白されて断れるわけがない。そう信じて疑わずに「銀さんのことが好き」と言った姫子の幻想を、銀時はいともたやすく打ち砕いた。
『はぁ?アンタ頭おかしーんじゃねーの?』
『なっ……ど、どうして?私、銀さんに守ってもらってすごく安心して、こんな人とお付き合いできたら幸せだろうなって思って、それで』
『いやいやいやいや、なに言っちゃってんの?俺に女がいんの知ってんだろ。それにおめーも彼氏がいんだろーが。寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ』
『彼氏とは、別れました……仕事もお金も恋人も失って、ストーカーにも付きまとわれてるし心細くて……私にはもう、銀さんしかいないの』
そう言いながら姫子は***の表情を真似た。眉を八の字に下げて困った顔に、唇にだけわずかな微笑み。その表情の***と接するたび、銀時は嬉しそうだったから。
あなたしかいない、は得意の殺し文句。これを言われて落ちない男はいない。でも念のため銀時の左手に姫子は手を重ねた。骨ばった男らしい指を見下ろしたら、絶対にこの手を独占したい、と強く思った。
『は……はぁぁぁぁ!?』
動揺した銀時の声が聞こえて、大成功だと顔を上げた瞬間、姫子は凍り付いた。目の前の銀時は姫子を見てすらいない。赤い瞳はまっすぐに、カフェの窓の外に立つ***をじっと見つめていた。その瞳が一瞬だけ気まずそうに揺らいだ直後、ガタンッと大きな音を立てて銀時は立ち上がった。
ねぇ銀さん、と言う姫子の手を振り払った手が、三分の一も食べていないパフェを倒した。引き留める間もなく店を飛び出した銀時の絶叫のような声が響いた。
『***ッッッ!!!』
たくさんの恋人たちが好奇の目を向けるなか、姫子は置き去りにされた。ガラスの向こうには小さくなっていく***の後ろ姿と、それを一直線に追いかける銀時の背中が見えた。生クリームで汚れたテーブルで両手がぶるぶると震える。愛想笑いの店員が「お下げしますね」と言っても、返事すらできない。
———なんで、銀さんは私を見てくれないの?なんであの女ばっかり構うの?私はこんなに頑張っているのに、大した努力もしないあの女だけが、いい思いをするなんてずるい。***だけが愛されるのは納得できない。絶対に絶対に奪ってみせる。必要なら、***のことを消してでも銀さんを手に入れてみせる……!!!
「私が書いた紙、ちゃんとあの子の部屋に入れたの?」
「ああ、今朝入れたぜ。万事屋の野郎は腕が立つからな、前に警察に突き出された時みてーになんねぇように今度はうまくやれよ姫子」
「分かってる。***を捕まえたらアンタたちに引き渡すから、後は好きにすればいいわ、煮るなり焼くなり」
「売り払うなりなぁ、ハハハッ!」
帽子をさらに深くかぶり直した男は、まだニヤついていた。大丈夫、きっとうまくいく。そう自分に言い聞かせた姫子の脳裏には、死んだ魚のような目をした男と、無邪気に笑う女の顔が浮かんでいた。
「ん……、」
午前3時ちょうどに***は目覚めた。見慣れない天井に、ここはどこだっけと思うのもつかの間、サッと起き上がる。月明りの差し込む万事屋の寝室はうす暗い。もうひとつ敷かれた隣の布団では、銀時が仰向けでまぶたを閉じ、静かに寝息を立てていた。
———お昼寝の時はものすごいイビキをかくのに、夜にお布団で眠る時の銀ちゃんは、子どもみたいに静かなんだよなぁ……
恋人の無防備な寝顔と知られざる一面を、自分だけが見ている幸福感に、くすくすと笑う。
万事屋での居候生活はおだやかで、あっという間に4日が過ぎた。色々あったのは初日だけで、それ以降は何もない。神楽や新八の前ではわきまえてほしいという***の願いを銀時は聞いてくれたし、夜は布団も別で、隣で寝てても求めてきたりしなかった。
「あらら、銀ちゃんってば、風邪ひいちゃう……」
う~んとうなった銀時が、***に手を伸ばすように布団から片腕を出す。畳に投げ出された手をとり、毛布のなかにそっと戻すと、銀時は眉間にシワを寄せてもう一度「うぅ~ん」っとうなった。
4時には牛乳配達がはじまる。真っ暗な居間と廊下を抜けて、台所だけ電気を点けた。顔を洗い身支度をすませ、ニコニコ牛乳の名入りのエプロンをつけて朝食の準備をしていたら、突然異変が起きた。
ドタドタッ……バッタン!!!
「えっ!?」
それは人が転んで倒れたような音だった。和室から聞こえた大きな音に、***はひとり飛び跳ねる。みそ汁の鍋をかき回していたお玉を、びっくりして落としそうになった。口をあんぐりとさせて動けずにいたら、寝室からリビングそして廊下を、バタバタと駆ける足音が近づいてきた。
「***!!!」
「銀ちゃん!!?」
寝巻姿でよろける銀時が、台所の入り口の柱に両手をついて、ぜーはーと息をついた。ついさっきまですこやかに眠っていた顔が今は青ざめて、ぼうぜんとした瞳はまるで、幽霊でも見たかのようにこちらを見ている。とまどいながらも***は、おずおずと口を開いた。
「お、はようございます、銀ちゃん!あの、おっきな音がしたけど転んじゃったの?まだ3時だからもっと寝てて大丈夫だよって、ぅわわっ!?」
苦笑いを浮かべる***に、銀時は一瞬で近づいてきた。いきなり肩をつかんで引き寄せられたから、手から滑ったお玉が鍋にポチャンッと落ちた。声を出す間もなく気づいた時にはもう、銀時の腕のなかに抱きすくめられていた。
「あ、え、ぎ、銀ちゃん、どうしたの!?火を使ってて危ないからダメですって!!」
「***っ!!」
「へぁっ……!?」
骨がきしむほど強い力で抱きしめられて、***は素っ頓狂な声を上げた。血の気のない顔をしていたのに、銀時の身体は汗でぐっしょりと濡れていた。肩と腰に回った太い腕にどんどん力が入り、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。頭をごと抱え込まれているせいで、***は息もできない。苦しいよ、と言おうとしたが、銀時の身体がわずかに震えていたから言えなくなった。
「ね、ねぇ銀ちゃん大丈夫?どこか、痛いの?」
「ちげぇよバカッ」
あっさりした返答にますます困惑する。理由もなく身体が震えるはずがない。たくましい胸の真ん中ではドクドクと、早鐘のように鳴る心臓の音がした。背中に置かれた大きな手が衣服越しでも分かるほど冷たい。
それに気づいた***は、ハッとして息を飲んだ。
———慌てたり焦ったりすると、銀ちゃんも人並みに心臓がバクバクする。それに銀ちゃんの手が冷たい時は……不安や孤独を感じている時、だよね……
それは短くはない付き合いのなかで、***が銀時について学んだことのいくつかだ。
でも一体どうして?何が銀ちゃんをこんなに焦ったり、不安にさせたりしてるんだろう?背中がのけぞるほど強く抱きしめられて、***はみじろぎながら考え込んだ。つま先立ちになって銀時の肩の上に顔を出したら、ようやく息ができた。小刻みに震える背中に手を伸ばし、肩甲骨の間あたりをすりすりと優しく撫でた。
「怖い夢でも見ちゃったんですか?」
「夢なんざ、見てねぇ……」
「でも、だって……あ、ほら、銀ちゃん昨日、寝る前に神楽ちゃんとテレビで怖い番組見たでしょう?多毛さんがストーリーテラーの、世にも珍妙な物語だっけ?そのせいで悪い夢見ちゃったんじゃない?でも大丈夫、怖い夢は人に話すと平気になるから、私に聞かせてください。幽霊とか出てきた?それとも、」
「見てねぇっつってんだろ!!!」
「っ!!」
耳元で響いた怒声に***は縮み上がり、背中をさする手がビクッと止まる。しばらくすると耳元で「はぁぁ~~~」と深いため息をつかれた。銀時が黙ってその場に座り込むから、***もつられて床に膝をつく。投げ出された銀時の両足の間で、***はぺたりと座って、なすすべもなく抱きしめられていた。
「ご、ごめんね銀ちゃん……私、おせっかいで」
「ちげぇ、ちげぇんだって、俺は***が……」
その後の言葉が続かず、床で抱き合ったまま、ふたりは黙り込んだ。***がおとなしく腕の中にいると、荒く苦しそうだった銀時の呼吸は少しずつ落ち着いていった。胸を叩く鼓動もさっきより穏やかだ。それでも抱きしめる腕の力だけは弱まらず、時々大きな手が***の存在を確かめるみたいに、肩を強くさすった。
「……ら、……った」
「え?」
吐息だけが***の耳をかすめて、こもった声が何を言ったのかは聞き取れなかった。戸惑いながら聞き返そうとした時、銀時が再び口を開いた。
「目ぇ、開けたら、お前がいねーから……消えてなくなっちまったかと、思った」
「なっ、そ、そんなこと、っ……」
あるわけない、と言おうとして***は口をつぐんだ。
子ども頃、一緒に寝ていた母がいなくて大泣きした夜を思い出す。幼い***はひとりぼっちでひどく心細かったっけ。
大人の男がそんな理由で不安になるはずない。でも、いつもと様子の違う銀時が、まるで母親にすがる子どものように見えて胸が苦しい。思わず***は銀時を強く抱きしめ返した。
「銀ちゃん、大丈夫だよっ、私はここにいます。どこにも行かないし、絶対に消えたりなんてしないよ!」
「絶対なんてこと、無ぇだろーが。悪いヤツらの掃きだめみてーな町で、***ひとり消すのなんざ、誰だって朝飯前なんだよ……よく分かってもねぇくせに、気休め言ってんじゃねぇよコノヤロー」
「わ、分かるもん。それに気休めなんかじゃない。私、ずっと銀ちゃんのそばにいるって約束しました。どんなことがあっても、銀ちゃんと一緒にいるって、だって銀ちゃんが……銀ちゃんが守ってくれるって信じてるから。護身術なんかできなくても、いざとなれば‟銀ちゃん助けて!”って叫べばいいって、銀ちゃんが言ってくれたから、だから分かるんです。私は大丈夫、私たちは絶対、離れたりしないって信じてるもん!」
そう言いながら***は、細い腕に精一杯の力を込めた。銀時が抱きしめるよりももっと強く抱きしめ返したら、笑いまじりの声が「いてぇよ」と言った。
気の抜けた声は何かを諦めたような響きで、***は泣きそうになる。誰も知らない秘密を銀時がひとりで抱えているみたいに思えて、とても悲しい。
ねぇ、銀ちゃん大丈夫だよ、なんにも心配いらないよ、と***は銀時にすがりついて何度もつぶやき、広い背中をさすり続けた。
「はぁ~、わーかったよ***、もう分かったって」
しばらくすると銀時の腕の力が緩んだ。肩からするりと下りた両手が、***の腰をつかんで強く引き寄せる。自然と膝立ちになった***の胸元に、銀時の頭がずるずると降りてくる。ぱっと顔を真上に向けた銀時と、鼻先が触れそうなほど近くで目があった。
見慣れた死んだ魚のような目が、***をしっかりと見つめる。少しだけ気まずそうに唇を尖らせた銀時が、急に不満げな声を上げた。
「ったくよぉ~~、年寄りみてぇに早起きなのはいいとして、夜中に急にいなくなってんじゃねーよ***~!隣で寝てたヤツがいきなり消えたら、アイツ神隠しにあった?とか、うちの和室ってムー大陸に繋がってる?とか、銀さんびっくりしちゃうでしょーが!せめて声をかけろ声をぉぉぉ!!」
「え、き、消えるってそーゆーの!?いや、そんなことあるわけないじゃないですか!まさか銀ちゃんがそんなに驚くと思わなかったし、ぐっすり寝てたからそのままにしちゃっただけで……ぇ、えぇっと……ご、ごめんね?明日からは声をかけるね?」
その返答に銀時は、満足げにこくんとうなずいた。
寄せあった銀時の胸で心音は穏やかに鳴る。触れる大きな手の温度はいつもどおり熱い。ホッとして銀色の髪をそっと撫でたら、銀時は***の胸元に顔を押し当てるように抱き着いてきた。離すもんかと言わんばかりに、膝立ちの***の脚に、あぐらをくんだ脚を絡めてくる。
駄々っ子のような仕草に***の胸はきゅんっと跳ねた。ふふっと微笑んで銀髪頭を両腕で包みこむ。ひ弱な腕のなかに大好きな人がいることが嬉しくて、***は浮かれた声で言った。
「なんだか、今日の銀ちゃんは甘えんぼさんで、子どもみたいで可愛いです……私も小さい頃ね、よくこうやってお母さんに抱っこしてもらって寝たよ。どうですか?眠れそうですか?お布団、戻る?」
「………イヤ、無理だな」
おとなしかったので銀時はもう眠いのかと思っていた。しかし、その声は完全に覚醒してハッキリしていたから驚いた。え、と言って腕を解き***が身体を離した瞬間、銀時の両手がすばやく動いた。
大きな手が目にも止まらぬ速さで、乳房の上へとやってきくる。その手が***の胸のふたつの膨らみを、ムニュッと無遠慮にわしづかんだ。
「なっ!!?」
「あ゛ぁぁぁ~~~ムリムリムリ!!こ~~~んな小せぇおっぱいの女じゃ、銀さんの母ちゃんは務まらないわァァァ!!残念だったな***、お前は俺の彼女にはなれても母親にはなれねぇよ。もっとグラドル級のダイナマイトボディで、男の頭なんざ丸ごと包んじまうくらいの爆乳じゃねーと無理だからァァァァ!!!」
「んなななななに言ってるんですか!!~~~~っ、やめっ、やめてよ馬鹿ッ!変態ッ!スケベッ!!!神楽ちゃんにこんなとこ見られたらどーするんですか、もぉぉ~~~!!!」
両手で銀髪頭をぽかぽかと叩いたら、さっきまでの気弱そうな様子が嘘のように、銀時は大口を開けてゲラゲラと笑った。まさか胸を揉まれるとは予想もしてない***の顔は、真っ赤に染まる。
むにむにと乳房を揉みしだく大きな手から、身をよじって逃げる。蒸気が出そうなほど紅潮した顔のまま、ふと時計を見上げたら、仕事の時間が迫っていた。
「大変!私もう行かなきゃ!お味噌汁とご飯できてるから、神楽ちゃんが起きたら食べてください!」
「はぁ?お前も一緒に食えばいいだろーが」
「え、でも、配達終わるの8時過ぎちゃうから、」
待ってなくていいよ、という返答も聞かずに、銀時は台所を出て行ってしまう。そして、あっという間にいつもの着流し姿に着替えて戻ってきた。
ぽかんとして廊下に立ち尽くす***に、銀時は眉をしかめてから「何してんだよ、早くしねーと遅刻するぞ」と言って、玄関でブーツを履きはじめた。
「えっ、いやいや銀ちゃん、私は自転車で行くから送ってくれなくていいよ!こんな時間だし、お布団に戻って寝直してください!」
ヘルメットまで手にした背中に向かって、***は慌てて声をかける。すると振り返った銀時は再び「はぁ?」と言って、おかしなものでも見るような目つきで見返してきた。
「誰が送るっつったよ、誰が」
「だ、だってブーツ履いてヘルメットまで持ってるからてっきり、牛乳屋さんまで送ってくれるのかと思ったんだけど……え、ち、ちがうの?」
「ちげぇーよ、俺ァただ、」
そう言いながら銀時が手首をつかんで引っ張るから、よろけた***は玄関の段差から落ちた。その小さな身体を銀時は軽く受け止める。***は反射的に目の前の首にすがりついた。足がぷらんと浮いたままの***のほほを、大きな手が優しく撫でる。長い髪をよけて耳にかけると同時に、銀時は顔を近づけてきた。
「ちょっ、と、ぎんっ……!」
ふにっと触れるだけのキスの間、見開いた***の瞳を、赤い瞳は愉快そうに見つめていた。突然の口づけが恥ずかしくて、顔がばぁっと赤くなる。きゅっと結んだ薄紅色の唇に、銀時はちゅっちゅっとわざとらしいほどの音を立てて吸い付いてきた。宙ぶらりんの***が脚をバタバタとさせてようやく解放されると、銀時はしてやったりという顔で口を開いた。
「ただ銀さんはぁ、配達中に***が神隠しにあったり、異世界に召喚されたりしねーか見守ってやるだけだってぇ。自転車こいでるお前のケツを、バイクで後ろから追い回してやるよ。そーすりゃ仕事もさっさと片付いて、神楽が起きる前に帰ってこれんだろ。朝メシはその後でゆっくり食やいいじゃねーか、んなっ!」
「は、はぁぁぁ!?なにそれ意味わかんないよ!!」
見守る必要なんてない。お尻を追い回されるなんて恥ずかしい。自分のペースで配達できなくて困る。等々、***は不平不満を口にしたが、銀時はかたくなに「後ろからついていく」と言って折れなかった。
その朝、***はいつも通り自転車でかぶき町中の家々に牛乳を届けた。早起きの客が「***ちゃん、おはよう」と言ってから急に不審な顔つきになる。
普段どおり、牛乳を手渡すだけの仕事なのに、***が始終苦笑いを浮かべるはめになったのは、その客たちが軒並み口を揃えてこう言うからだ。
「***ちゃん、後ろに怖い顔のお兄さんがいるけど、大丈夫かい?もしかして何か危険な目にあってる?」
「ちちちち違います、違うんです!大丈夫です!!」
何十回と繰り返された同じ質問を、***は引きつった苦笑いで受け流した。
お仕事中はどんな時も笑顔を忘れない。それが***の信条だった。でも———、そう思いながら振り返ると銀時と目があう。じっとこちらを見つめる目つきは鋭い。自転車の後ろにバイクを停めて、まるで番犬のように***を見守っている。
———でも、こんなんじゃまともに笑ってお仕事できないよ!皆におかしな目で見られて恥ずかしいし、全っ然落ち着かないし、もぉぉぉ~~~、銀ちゃんの馬鹿ぁぁぁ~~~!!!
----------------------------------------------
【(34)信じる心】end
欲しいのは変わらぬ愛だけ
☆途中にほんの一部ですが、大人向けな表現があります
☆ぬるいですが性的描写を含む為、苦手な方はお戻りください
【(34)信じる心】
お姫さまは欲しいものを全て手に入れる。
それが姫子の信条だった。貧乏でろくでもない親に育てられたが、容姿の良さでのし上がってきた。男たちは金を貢いでくれたし、愛されたかったからキャバ嬢は天職だった。同僚の指名客も平気で奪うから、どこでも人気ナンバーワンになれた。歯向かってくる邪魔な女たちは、例外なく叩きつぶしてきた。
それが姫子の生き方だった。
「だからってキャバ嬢全員をヤク漬けにしたのは、やりすぎだったよなぁ。アホな店長のおかげでカモにできる良い店だったのに、潰しちまってさぁ」
ニット帽を目深に被った男は全てを知っているから、ニヤニヤと笑いながら言った。
「アタシだけが悪いみたいに言わないで。薬盛ったのはアタシだけど、天人から仕入れたのはアンタでしょ。ヤクだけじゃなくて女も売りさばけて、いい上がりになって良かったじゃない」
悪い男たちとつるむのは互いに便利だから。金が欲しくても働く気のない者にとって、薬物を売るのはうってつけだ。一度売った客は必ずリピーターになるし、搾れるだけ搾り取った後は奴隷として天人に売り払える。姫子は邪魔な同僚を消せるし、男たちには金が入る。それを繰り返したせいで‟桃色くまさん”は摘発されたが、ローリスクハイリターンなビジネス関係だった。
「で、あのいけ好かない銀髪侍はどうすんだよ。牛乳屋の***とかいう地味な女にご執心で、姫子さまにも全然なびかねぇじゃねーか」
「う、うるさいっ!!」
爪を噛みながら姫子は銀時に出会った日を思い出す。それはちょうどこの男たちと、他愛のないゲームに興じていた時だった。
姫子が暴漢に襲われるフリをして、助けにきた善良な市民を全員で袋叩きにして金を奪う遊び。そこに偶然現れたのが銀時だった。木刀さえ使わずに男たちを蹴散らした銀時は、死んだ魚のような目で姫子に言った。
『アンタ誰かに恨みでも買ってんの?困ったことあんなら言えよ。俺、万事屋やってんだ』
その瞬間、この男は私のものにすると姫子は誓った。
「なびいてないわけじゃない。ただあの女が邪魔なだけよ。アイツさえいなくなれば……」
ギリギリと噛んだ爪からマニキュアが剝がれる。
今まで出会った男たちは誰もが自分の虜になったのに、銀時は違った。微笑みやボディタッチ、泣き落としも効かない。そもそも姫子に興味がなく報酬をくれる客としか思っていなかった。銀時の気の抜けた顔は何を考えているのか分からなかったし、飄々とした風情は何者にも捕らわれず、誰にも執着しない無関心さがあった。
ただひとり、******と一緒にいる時以外は。
***を初めて見た時、姫子は驚愕した。なぜ、こんなに地味な娘が銀時の恋人なのか解せなくて。万事屋の居間でプリンを差し出してきた***をじっと観察したが、どこからどう見ても自分の方が可愛かった。
それなのに、銀時が***を見つめる瞳には特別な感情が宿っていた。それはまるで、心底愛おしいものを眺めるような目付きだった。今まで出会った多くの男たちのなかに、そんな眼差しで姫子を見てくれる人はひとりもいなかった。
———姫子さん、お仕事、頑張ってくださいね
護衛の銀時と共に万事屋を出る時、***はいつも微笑んで、姫子を見送った。大した特徴もない田舎くさい女は北国出身で、かぶき町には出稼ぎに来たと知った。勤め先の牛乳屋はいずれ***が継ぐらしい。大江戸スーパーや町内会の評判も良く、銀時との交際は公認だった。自分にない全てを持った***の、屈託のない笑顔が憎くてしかたがなかった。
「お前があの女をキャバクラに連れてきた日に、ヤク漬けにしちまうつもりだったのになぁ……まさか警察と知り合いだったとは、姫子も知らなかったんだろ?」
「知らないわよ!真選組と繋がってるなんて……」
ドラッグでひと泡吹かせるつもりで、***をあの店に呼び寄せたのに、真選組という予想外の存在が邪魔をした。警察に守られた***には手が出せず、気づいた時には臨時バイトでたまたま居合わせた銀時に連れ帰られていた。
あの夜、姫子はふたりを追いかけた。
置きっぱなしの***の風呂敷包みを抱いて、夜の街を駆けたのが脳裏に蘇ってくる。もしも***が銀時に姫子の名を告げれば、縁を切られてしまう。それだけは阻止しようと慌てて辿りついた万事屋で、信じられない場面に出くわした。
『***、我慢すんなよ……お前の可愛い声、ちゃんと俺に聞かせて』
『っっ……、ぎん、ちゃっ、ぃゃぁあんっ———!』
外階段を昇っている途中、銀時と***の声を耳にして足を止めた。見上げた浴室の窓から漏れ出てきた声は、情事のさなかのいやらしいものだった。ハッと息を飲んでしゃがみこみ、耳を澄ます。
たどたどしい喘ぎ声が、***が処女だと告げていた。男の手で身体を開かれていく声は戸惑ってぎこちない。そのぎこちなさがより一層、***を艶めかせた。
一方、銀時の雄々しい声は、欲した女を前に興奮しきっていた。熱を帯びた低い声は快楽に溺れているようで、聞いているだけで背筋がぞくぞくした。吐息まじりで溢れる卑猥な言葉が***を困らせる。恋人の身体をゆっくりと、すみずみまで愛撫する銀時の声は、とてつもなく楽しそう。前戯の時に愉快そうにする男の声を、姫子は聞いたことがなかった。
———なんで?どうして?男って自分が気持ちよくなきゃイヤな生き物なんじゃないの?彼女だけをよがらせといて、なぜ銀さんがあんなに嬉しそうなのよ?
『もうイこうな、***、俺にぎゅーってしたまま』
『んゃ、ぎんっ、ちゃぁ、ぁあっ、はぁ、~~~~っっ、ぁ、ぁん、ああッ、ひゃぁぁあぁッ————!!』
切なげな甘い嬌声は果てた証拠。性感帯を指でいじられて銀時の腕のなかで快楽に落ちた***の声は、とろけきっていた。湯気のたつ温かい浴槽で抱き合うふたりが目に浮かぶ。
よくできました、と言う銀時の声はまるで、自分も絶頂を味わったかのように満たされていた。男を喜ばせるセックスしか姫子は知らない。どんなに身体を重ねても、いつも相手だけが満たされる。上辺だけの甘い言葉をささやいて、出すものを出せば寝てしまうような人たちとしか経験がないから。
『はぁっ、***、イって、イケって、ホラッ……っ、』
『あっ、やぁ、あ、ぁ、あっ、~~~ぁあっ、銀ちゃ、ぁあ、んっ———ぁ、ぁああっ……!!』
『く……は、***、***っ……で、るッ——!』
互いの名前を何度も呼び合いながら、***と銀時は愛し合っていた。与え合う体温と快感に包まれて、止めようもない淫らな声を上げながら身体を重ねるふたりは、肉体よりも心の奥で深く繋がっていた。
———あんな風に愛されてみたい。あの子みたいに私も幸せになりたい。銀さんに心の底から愛されて、あのたくましい腕のなかで気持ちよくなりたい。
私は、銀さんが、欲しい———
冷たい夜風に吹かれているのに頭の奥が熱いのは欲情ではなく、強い嫉妬のせいだった。ギリギリと奥歯を噛みしめて姫子は万事屋を後にする。
キャバクラの控え室に帰ると、持っていた風呂敷から着物を取り出す。柄のない地味な水色の和服が***を彷彿とさせて、妬ましい気持ちが破裂した。手に持ったカッターナイフを振り下ろすと、***の着物をビリビリに裂いた。端切れのようにボロボロになった着物をロッカーに押し込めて隠した。悔しくて仕方がない。絶対に銀さんをものにしたい。***よりも幸せになりたい。例えどんな手を使ったとしても。
「んで、あの白髪野郎を呼び出してパフェまで奢ったんだろ?どんな野郎も百発百中で仕留める天下の姫子さまが、落ちぶれたもんだよなぁ~」
「うっ、うるさいって言ってるでしょ!ぶつわよ!!」
どんな男性でもアプローチさえすれば落とせたのに、銀時に限り通用しなかったから、姫子はひどく焦っていた。遠回りなアピールでダメなら直球勝負で口説けばいい。そう決心して、あのカフェに銀時を呼び出した日の屈辱的な出来事は、たぶん一生忘れられないだろう。
人気店のパフェをちらつかせたら銀時はすぐに来た。盗み聞いた***と銀時の会話に出てきた店は、カップル向けの喫茶店だった。
ばっちりメイクとおろしたての服で銀時と向かい合ったら、姫子の胸は自然と高鳴った。オシャレな店、恋人たち、可愛い私。この状況で告白されて断れるわけがない。そう信じて疑わずに「銀さんのことが好き」と言った姫子の幻想を、銀時はいともたやすく打ち砕いた。
『はぁ?アンタ頭おかしーんじゃねーの?』
『なっ……ど、どうして?私、銀さんに守ってもらってすごく安心して、こんな人とお付き合いできたら幸せだろうなって思って、それで』
『いやいやいやいや、なに言っちゃってんの?俺に女がいんの知ってんだろ。それにおめーも彼氏がいんだろーが。寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ』
『彼氏とは、別れました……仕事もお金も恋人も失って、ストーカーにも付きまとわれてるし心細くて……私にはもう、銀さんしかいないの』
そう言いながら姫子は***の表情を真似た。眉を八の字に下げて困った顔に、唇にだけわずかな微笑み。その表情の***と接するたび、銀時は嬉しそうだったから。
あなたしかいない、は得意の殺し文句。これを言われて落ちない男はいない。でも念のため銀時の左手に姫子は手を重ねた。骨ばった男らしい指を見下ろしたら、絶対にこの手を独占したい、と強く思った。
『は……はぁぁぁぁ!?』
動揺した銀時の声が聞こえて、大成功だと顔を上げた瞬間、姫子は凍り付いた。目の前の銀時は姫子を見てすらいない。赤い瞳はまっすぐに、カフェの窓の外に立つ***をじっと見つめていた。その瞳が一瞬だけ気まずそうに揺らいだ直後、ガタンッと大きな音を立てて銀時は立ち上がった。
ねぇ銀さん、と言う姫子の手を振り払った手が、三分の一も食べていないパフェを倒した。引き留める間もなく店を飛び出した銀時の絶叫のような声が響いた。
『***ッッッ!!!』
たくさんの恋人たちが好奇の目を向けるなか、姫子は置き去りにされた。ガラスの向こうには小さくなっていく***の後ろ姿と、それを一直線に追いかける銀時の背中が見えた。生クリームで汚れたテーブルで両手がぶるぶると震える。愛想笑いの店員が「お下げしますね」と言っても、返事すらできない。
———なんで、銀さんは私を見てくれないの?なんであの女ばっかり構うの?私はこんなに頑張っているのに、大した努力もしないあの女だけが、いい思いをするなんてずるい。***だけが愛されるのは納得できない。絶対に絶対に奪ってみせる。必要なら、***のことを消してでも銀さんを手に入れてみせる……!!!
「私が書いた紙、ちゃんとあの子の部屋に入れたの?」
「ああ、今朝入れたぜ。万事屋の野郎は腕が立つからな、前に警察に突き出された時みてーになんねぇように今度はうまくやれよ姫子」
「分かってる。***を捕まえたらアンタたちに引き渡すから、後は好きにすればいいわ、煮るなり焼くなり」
「売り払うなりなぁ、ハハハッ!」
帽子をさらに深くかぶり直した男は、まだニヤついていた。大丈夫、きっとうまくいく。そう自分に言い聞かせた姫子の脳裏には、死んだ魚のような目をした男と、無邪気に笑う女の顔が浮かんでいた。
「ん……、」
午前3時ちょうどに***は目覚めた。見慣れない天井に、ここはどこだっけと思うのもつかの間、サッと起き上がる。月明りの差し込む万事屋の寝室はうす暗い。もうひとつ敷かれた隣の布団では、銀時が仰向けでまぶたを閉じ、静かに寝息を立てていた。
———お昼寝の時はものすごいイビキをかくのに、夜にお布団で眠る時の銀ちゃんは、子どもみたいに静かなんだよなぁ……
恋人の無防備な寝顔と知られざる一面を、自分だけが見ている幸福感に、くすくすと笑う。
万事屋での居候生活はおだやかで、あっという間に4日が過ぎた。色々あったのは初日だけで、それ以降は何もない。神楽や新八の前ではわきまえてほしいという***の願いを銀時は聞いてくれたし、夜は布団も別で、隣で寝てても求めてきたりしなかった。
「あらら、銀ちゃんってば、風邪ひいちゃう……」
う~んとうなった銀時が、***に手を伸ばすように布団から片腕を出す。畳に投げ出された手をとり、毛布のなかにそっと戻すと、銀時は眉間にシワを寄せてもう一度「うぅ~ん」っとうなった。
4時には牛乳配達がはじまる。真っ暗な居間と廊下を抜けて、台所だけ電気を点けた。顔を洗い身支度をすませ、ニコニコ牛乳の名入りのエプロンをつけて朝食の準備をしていたら、突然異変が起きた。
ドタドタッ……バッタン!!!
「えっ!?」
それは人が転んで倒れたような音だった。和室から聞こえた大きな音に、***はひとり飛び跳ねる。みそ汁の鍋をかき回していたお玉を、びっくりして落としそうになった。口をあんぐりとさせて動けずにいたら、寝室からリビングそして廊下を、バタバタと駆ける足音が近づいてきた。
「***!!!」
「銀ちゃん!!?」
寝巻姿でよろける銀時が、台所の入り口の柱に両手をついて、ぜーはーと息をついた。ついさっきまですこやかに眠っていた顔が今は青ざめて、ぼうぜんとした瞳はまるで、幽霊でも見たかのようにこちらを見ている。とまどいながらも***は、おずおずと口を開いた。
「お、はようございます、銀ちゃん!あの、おっきな音がしたけど転んじゃったの?まだ3時だからもっと寝てて大丈夫だよって、ぅわわっ!?」
苦笑いを浮かべる***に、銀時は一瞬で近づいてきた。いきなり肩をつかんで引き寄せられたから、手から滑ったお玉が鍋にポチャンッと落ちた。声を出す間もなく気づいた時にはもう、銀時の腕のなかに抱きすくめられていた。
「あ、え、ぎ、銀ちゃん、どうしたの!?火を使ってて危ないからダメですって!!」
「***っ!!」
「へぁっ……!?」
骨がきしむほど強い力で抱きしめられて、***は素っ頓狂な声を上げた。血の気のない顔をしていたのに、銀時の身体は汗でぐっしょりと濡れていた。肩と腰に回った太い腕にどんどん力が入り、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる。頭をごと抱え込まれているせいで、***は息もできない。苦しいよ、と言おうとしたが、銀時の身体がわずかに震えていたから言えなくなった。
「ね、ねぇ銀ちゃん大丈夫?どこか、痛いの?」
「ちげぇよバカッ」
あっさりした返答にますます困惑する。理由もなく身体が震えるはずがない。たくましい胸の真ん中ではドクドクと、早鐘のように鳴る心臓の音がした。背中に置かれた大きな手が衣服越しでも分かるほど冷たい。
それに気づいた***は、ハッとして息を飲んだ。
———慌てたり焦ったりすると、銀ちゃんも人並みに心臓がバクバクする。それに銀ちゃんの手が冷たい時は……不安や孤独を感じている時、だよね……
それは短くはない付き合いのなかで、***が銀時について学んだことのいくつかだ。
でも一体どうして?何が銀ちゃんをこんなに焦ったり、不安にさせたりしてるんだろう?背中がのけぞるほど強く抱きしめられて、***はみじろぎながら考え込んだ。つま先立ちになって銀時の肩の上に顔を出したら、ようやく息ができた。小刻みに震える背中に手を伸ばし、肩甲骨の間あたりをすりすりと優しく撫でた。
「怖い夢でも見ちゃったんですか?」
「夢なんざ、見てねぇ……」
「でも、だって……あ、ほら、銀ちゃん昨日、寝る前に神楽ちゃんとテレビで怖い番組見たでしょう?多毛さんがストーリーテラーの、世にも珍妙な物語だっけ?そのせいで悪い夢見ちゃったんじゃない?でも大丈夫、怖い夢は人に話すと平気になるから、私に聞かせてください。幽霊とか出てきた?それとも、」
「見てねぇっつってんだろ!!!」
「っ!!」
耳元で響いた怒声に***は縮み上がり、背中をさする手がビクッと止まる。しばらくすると耳元で「はぁぁ~~~」と深いため息をつかれた。銀時が黙ってその場に座り込むから、***もつられて床に膝をつく。投げ出された銀時の両足の間で、***はぺたりと座って、なすすべもなく抱きしめられていた。
「ご、ごめんね銀ちゃん……私、おせっかいで」
「ちげぇ、ちげぇんだって、俺は***が……」
その後の言葉が続かず、床で抱き合ったまま、ふたりは黙り込んだ。***がおとなしく腕の中にいると、荒く苦しそうだった銀時の呼吸は少しずつ落ち着いていった。胸を叩く鼓動もさっきより穏やかだ。それでも抱きしめる腕の力だけは弱まらず、時々大きな手が***の存在を確かめるみたいに、肩を強くさすった。
「……ら、……った」
「え?」
吐息だけが***の耳をかすめて、こもった声が何を言ったのかは聞き取れなかった。戸惑いながら聞き返そうとした時、銀時が再び口を開いた。
「目ぇ、開けたら、お前がいねーから……消えてなくなっちまったかと、思った」
「なっ、そ、そんなこと、っ……」
あるわけない、と言おうとして***は口をつぐんだ。
子ども頃、一緒に寝ていた母がいなくて大泣きした夜を思い出す。幼い***はひとりぼっちでひどく心細かったっけ。
大人の男がそんな理由で不安になるはずない。でも、いつもと様子の違う銀時が、まるで母親にすがる子どものように見えて胸が苦しい。思わず***は銀時を強く抱きしめ返した。
「銀ちゃん、大丈夫だよっ、私はここにいます。どこにも行かないし、絶対に消えたりなんてしないよ!」
「絶対なんてこと、無ぇだろーが。悪いヤツらの掃きだめみてーな町で、***ひとり消すのなんざ、誰だって朝飯前なんだよ……よく分かってもねぇくせに、気休め言ってんじゃねぇよコノヤロー」
「わ、分かるもん。それに気休めなんかじゃない。私、ずっと銀ちゃんのそばにいるって約束しました。どんなことがあっても、銀ちゃんと一緒にいるって、だって銀ちゃんが……銀ちゃんが守ってくれるって信じてるから。護身術なんかできなくても、いざとなれば‟銀ちゃん助けて!”って叫べばいいって、銀ちゃんが言ってくれたから、だから分かるんです。私は大丈夫、私たちは絶対、離れたりしないって信じてるもん!」
そう言いながら***は、細い腕に精一杯の力を込めた。銀時が抱きしめるよりももっと強く抱きしめ返したら、笑いまじりの声が「いてぇよ」と言った。
気の抜けた声は何かを諦めたような響きで、***は泣きそうになる。誰も知らない秘密を銀時がひとりで抱えているみたいに思えて、とても悲しい。
ねぇ、銀ちゃん大丈夫だよ、なんにも心配いらないよ、と***は銀時にすがりついて何度もつぶやき、広い背中をさすり続けた。
「はぁ~、わーかったよ***、もう分かったって」
しばらくすると銀時の腕の力が緩んだ。肩からするりと下りた両手が、***の腰をつかんで強く引き寄せる。自然と膝立ちになった***の胸元に、銀時の頭がずるずると降りてくる。ぱっと顔を真上に向けた銀時と、鼻先が触れそうなほど近くで目があった。
見慣れた死んだ魚のような目が、***をしっかりと見つめる。少しだけ気まずそうに唇を尖らせた銀時が、急に不満げな声を上げた。
「ったくよぉ~~、年寄りみてぇに早起きなのはいいとして、夜中に急にいなくなってんじゃねーよ***~!隣で寝てたヤツがいきなり消えたら、アイツ神隠しにあった?とか、うちの和室ってムー大陸に繋がってる?とか、銀さんびっくりしちゃうでしょーが!せめて声をかけろ声をぉぉぉ!!」
「え、き、消えるってそーゆーの!?いや、そんなことあるわけないじゃないですか!まさか銀ちゃんがそんなに驚くと思わなかったし、ぐっすり寝てたからそのままにしちゃっただけで……ぇ、えぇっと……ご、ごめんね?明日からは声をかけるね?」
その返答に銀時は、満足げにこくんとうなずいた。
寄せあった銀時の胸で心音は穏やかに鳴る。触れる大きな手の温度はいつもどおり熱い。ホッとして銀色の髪をそっと撫でたら、銀時は***の胸元に顔を押し当てるように抱き着いてきた。離すもんかと言わんばかりに、膝立ちの***の脚に、あぐらをくんだ脚を絡めてくる。
駄々っ子のような仕草に***の胸はきゅんっと跳ねた。ふふっと微笑んで銀髪頭を両腕で包みこむ。ひ弱な腕のなかに大好きな人がいることが嬉しくて、***は浮かれた声で言った。
「なんだか、今日の銀ちゃんは甘えんぼさんで、子どもみたいで可愛いです……私も小さい頃ね、よくこうやってお母さんに抱っこしてもらって寝たよ。どうですか?眠れそうですか?お布団、戻る?」
「………イヤ、無理だな」
おとなしかったので銀時はもう眠いのかと思っていた。しかし、その声は完全に覚醒してハッキリしていたから驚いた。え、と言って腕を解き***が身体を離した瞬間、銀時の両手がすばやく動いた。
大きな手が目にも止まらぬ速さで、乳房の上へとやってきくる。その手が***の胸のふたつの膨らみを、ムニュッと無遠慮にわしづかんだ。
「なっ!!?」
「あ゛ぁぁぁ~~~ムリムリムリ!!こ~~~んな小せぇおっぱいの女じゃ、銀さんの母ちゃんは務まらないわァァァ!!残念だったな***、お前は俺の彼女にはなれても母親にはなれねぇよ。もっとグラドル級のダイナマイトボディで、男の頭なんざ丸ごと包んじまうくらいの爆乳じゃねーと無理だからァァァァ!!!」
「んなななななに言ってるんですか!!~~~~っ、やめっ、やめてよ馬鹿ッ!変態ッ!スケベッ!!!神楽ちゃんにこんなとこ見られたらどーするんですか、もぉぉ~~~!!!」
両手で銀髪頭をぽかぽかと叩いたら、さっきまでの気弱そうな様子が嘘のように、銀時は大口を開けてゲラゲラと笑った。まさか胸を揉まれるとは予想もしてない***の顔は、真っ赤に染まる。
むにむにと乳房を揉みしだく大きな手から、身をよじって逃げる。蒸気が出そうなほど紅潮した顔のまま、ふと時計を見上げたら、仕事の時間が迫っていた。
「大変!私もう行かなきゃ!お味噌汁とご飯できてるから、神楽ちゃんが起きたら食べてください!」
「はぁ?お前も一緒に食えばいいだろーが」
「え、でも、配達終わるの8時過ぎちゃうから、」
待ってなくていいよ、という返答も聞かずに、銀時は台所を出て行ってしまう。そして、あっという間にいつもの着流し姿に着替えて戻ってきた。
ぽかんとして廊下に立ち尽くす***に、銀時は眉をしかめてから「何してんだよ、早くしねーと遅刻するぞ」と言って、玄関でブーツを履きはじめた。
「えっ、いやいや銀ちゃん、私は自転車で行くから送ってくれなくていいよ!こんな時間だし、お布団に戻って寝直してください!」
ヘルメットまで手にした背中に向かって、***は慌てて声をかける。すると振り返った銀時は再び「はぁ?」と言って、おかしなものでも見るような目つきで見返してきた。
「誰が送るっつったよ、誰が」
「だ、だってブーツ履いてヘルメットまで持ってるからてっきり、牛乳屋さんまで送ってくれるのかと思ったんだけど……え、ち、ちがうの?」
「ちげぇーよ、俺ァただ、」
そう言いながら銀時が手首をつかんで引っ張るから、よろけた***は玄関の段差から落ちた。その小さな身体を銀時は軽く受け止める。***は反射的に目の前の首にすがりついた。足がぷらんと浮いたままの***のほほを、大きな手が優しく撫でる。長い髪をよけて耳にかけると同時に、銀時は顔を近づけてきた。
「ちょっ、と、ぎんっ……!」
ふにっと触れるだけのキスの間、見開いた***の瞳を、赤い瞳は愉快そうに見つめていた。突然の口づけが恥ずかしくて、顔がばぁっと赤くなる。きゅっと結んだ薄紅色の唇に、銀時はちゅっちゅっとわざとらしいほどの音を立てて吸い付いてきた。宙ぶらりんの***が脚をバタバタとさせてようやく解放されると、銀時はしてやったりという顔で口を開いた。
「ただ銀さんはぁ、配達中に***が神隠しにあったり、異世界に召喚されたりしねーか見守ってやるだけだってぇ。自転車こいでるお前のケツを、バイクで後ろから追い回してやるよ。そーすりゃ仕事もさっさと片付いて、神楽が起きる前に帰ってこれんだろ。朝メシはその後でゆっくり食やいいじゃねーか、んなっ!」
「は、はぁぁぁ!?なにそれ意味わかんないよ!!」
見守る必要なんてない。お尻を追い回されるなんて恥ずかしい。自分のペースで配達できなくて困る。等々、***は不平不満を口にしたが、銀時はかたくなに「後ろからついていく」と言って折れなかった。
その朝、***はいつも通り自転車でかぶき町中の家々に牛乳を届けた。早起きの客が「***ちゃん、おはよう」と言ってから急に不審な顔つきになる。
普段どおり、牛乳を手渡すだけの仕事なのに、***が始終苦笑いを浮かべるはめになったのは、その客たちが軒並み口を揃えてこう言うからだ。
「***ちゃん、後ろに怖い顔のお兄さんがいるけど、大丈夫かい?もしかして何か危険な目にあってる?」
「ちちちち違います、違うんです!大丈夫です!!」
何十回と繰り返された同じ質問を、***は引きつった苦笑いで受け流した。
お仕事中はどんな時も笑顔を忘れない。それが***の信条だった。でも———、そう思いながら振り返ると銀時と目があう。じっとこちらを見つめる目つきは鋭い。自転車の後ろにバイクを停めて、まるで番犬のように***を見守っている。
———でも、こんなんじゃまともに笑ってお仕事できないよ!皆におかしな目で見られて恥ずかしいし、全っ然落ち着かないし、もぉぉぉ~~~、銀ちゃんの馬鹿ぁぁぁ~~~!!!
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【(34)信じる心】end
欲しいのは変わらぬ愛だけ