銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(21)となりの兄妹】
「山崎ィィィ!!テメェェェ、ぶっっっ殺す!!!」
「ひぃぃッ!!ふ、副長ッ!!?」
のどかな日曜の朝、真選組屯所に剣呑な声が響いた。
非番で着流し姿の土方の手には、なぜか愛刀が握られている。しりもちをついた山崎は既に半泣きの状態だ。
「ふ、副長ッ、確かに映画のチケット買い忘れたのは謝りますけど、なにも張り込み明けに頼まなくたっていいじゃないですか!10徹ですよ10徹!それもあんぱんと牛乳だけで!ツラい・眠い・あんぱんの三重苦のなかで、アレ買っとけって言われたって、そりゃ忘れちまいますよ!いくら鬼の副長の頼みとはいえ、頭からポロッと落ちたって仕方がねぇでしょう!?」
「ほぉぉぉ~、山崎ィ、俺に言いわけするたァ、テメェもずいぶんとエラくなったじゃねぇか。どんな事情であれ、上司の頼みを無下にしたヤツに、情状酌量の余地はねぇ……少なくともこの真選組では、士道不覚悟で切腹モンだ。映画の券も買い忘れるような、腐った脳みそしか入ってねぇその頭ァ……俺が首からポロッと落としてやらァァァ、覚悟しろォォォ!!!」
「ギャァァァァ!!!!!」
せっかくの休日に刀を振り回す。追いかけっこの末、結局ボコボコに殴って手打ちにした。白目を剥く山崎を庭に捨て置き、土方は渋い顔で屯所を出た。
「ったく、どーしてくれんだよ……」
懐から取り出したのは1枚の映画のチラシ。そこには『となりのペドロ/特別編』の文字。子供むけ映画だが、それは以前から土方のお気に入りだった。その特別編の劇場公開が今日からなのだ。
———クソッ、山崎のヤロー、俺が今日という日の為に、どれだけ必死に仕事片付けたと思ってんだ。なにが10徹だ、こちとらこの1カ月ろくに寝てねんだぞ。毎晩毎晩、山積みの書類とにらめっこしてきたのも全て、ペドロを見るため……それをあんの山崎「チケット買い忘れました」だと!?あー!やっぱ殺す!これでよもや満席で見れねぇなんてことになった日にゃ、あいつマジでぶっ殺してやる!!!
「お客さん、今日は “となりのペドロ” 完売なんすよ」
「殺すッッッッ………!!!!!」
チケット売り場で言い渡された現実に、膝から崩れ落ちた。ああ、公開初日に見たかった。誰よりも早くペドロの雄姿をこの目に焼き付けたかった。そのためにこのひと月、必死で働いたのに。数カ月ぶりの休日なのに。なんてツイてないんだ、ちくしょう。
フラフラと立ち上がり、血走った目で煙草を吸う。立て続けに何本も吸ってから、ふと思い立って売場に戻り「立ち見でもいいんだが」と食い下がったら、窓口の親父は渋い顔で「いやぁ旦那、実はね」と口を開いた。
「前にペドロを上映した時に、変な男ふたりが場内で殴り合いの大喧嘩しやしてね、それに巻き込まれた別の男が跳ね飛ばされて、スクリーンをぶち破ったことがあったんですよ。あれ結構高値でして、社長がカンカンに怒っちまってさぁ……それ以来、ウチはペドロの上映には気ぃつかってんですよ。見せてやりてぇが、満席ってだけでピリピリしてるんで、これ以上の客は入れられねぇんです。すいやせんね、旦那」
心の中で「うぉぉぉ!」と叫びながら、土方は劇場前の電信柱に頭をガンガンと何度も打ち付けた。
———ペドロの上映中に殴り合いだと!?どこのどいつだ!?んな不届き者は粛清してやらぁ!!映画は行儀よく見なきゃダメだろーがぁぁぁ!!
硬い柱に頭をぶつけすぎて、意識が遠のきはじめた頃、突然うしろから自分を呼ぶ声がした。
「あれ、土方さん?」
「あ゙ぁ゙ん!!?」
こんな時に誰だと勢いよく振り向き、にらみつけた所に***が立っていた。瞳孔が開いて頭から流血する男に、道行く人は恐怖の視線を送っていた。しかし声をかけてきた***だけは怖がる様子もなく、ただ微笑んで真っすぐにこちらを見つめていた。
「やっぱり土方さん、こんにちは!いつもの制服じゃないから、人違いかと思いました。こんなところで奇遇ですね。今日はお休みですか?」
「あ、あぁ、まぁな……たまたま非番だったから、映画でも見ようかと来たんだが」
ペドロを見るつもりだった、という土方の言葉に***は顔をほころばせた。鈴が鳴るような明るい声で、実は自分も『となりのペドロ』の大ファンで、特別編を見るために映画館に来たという。
「そいつぁ残念だったな***……あいにく今日は完売で、立ち見もお断りだってよ」
「わぁっ!やっぱりペドロは人気ですねぇ……もしかして土方さん、チケット買えなかったんですか?」
「うぐっ……うおぉぉぉぉ!!!!」
「えぇぇっ!?ちょ、ちょっと、土方さん!?頭割れちゃいますから、やめ、やめてくださいぃぃぃぃ!!!」
再び柱に頭をぶつけようとした土方の背中を、***がつかんで必死に止めた。その声にハッとして、見苦しい姿を見せてはいけないと気を取り直す。
チケットを買えなかったと言うと、***は気の毒そうな顔をした。この女の前では常識的な大人でいなければと、最後の力を振り絞って「絶対に今日じゃなきゃいけないわけじゃあるまいし」と強がりを言う。片手を上げて立ち去ろうとした土方の背中に、***の遠慮がちな声が届いた。
「あ、あの、土方さんっ!……もしよかったら、その、もし土方さんさえ嫌じゃなかったら……私と一緒に『となりのペドロ』見ませんか!?」
「はぁっ!!!??」
驚いて振り返った土方を、気まずそうに眉を八の字に下げた***が、しかし期待を込めた瞳で見つめていた。
「本当にありがとうございます、土方さん!チケット無駄にしちゃうって落ち込んでたんですけど、土方さんのおかげで助かりました!」
映画館の隣のイスで、***はポップコーンを抱えながらそう言った。満面の笑みを浮かべた***に、感謝の眼差しで見つめられて、土方はこそばゆい嬉しさと、ほんの少しの居心地の悪さを感じていた。
「それにしても、いいのか***……万事屋の野郎と見に来るための券だったんだろ?」
「いいんですよぉ。代わりに誰か誘えって銀ちゃんも言ってましたし、土方さんが見てくれて、きっと喜ぶはずです。お仕事で来れないのは仕方ないですから」
あの男が喜ぶわけがない、と思いながら土方は***の横顔を見つめた。ポップコーンをつまみながら上映開始を待つ姿は、子供のようにウキウキとしていて、見ている方まで楽しくなってくる。
ひと月前から***は『となりのペドロ』を楽しみにしていて、銀時と公開日に見に行く約束をしていたという。その為に座席指定券まで買っていたのに、今朝になって万事屋に仕事が入り、銀時は来られなくなってしまった。急に誘える友達も見つけられず困っていたところに、ちょうど土方に出会ったのだ。
「土方さんに偶然会えるなんて、すっごくラッキーでした!」と***がふにゃりと笑った。まるで頭から花が咲きそうなほど明るい笑顔に、土方は満更でもなくなって、フッと笑い返した。
「土方さんもポップコーン召し上がりませんか?」
「あ?……あぁ、」
そんなチャラついた菓子は好きじゃない。しかし***がハムスターのように頬張っているのが美味しそうに見えて、すすめられるがままにひと粒、口に放り込んだ。
「……うめぇな、コレ」
「ふふっ、バター塩味おいしいですよね」
「バターの油分と塩気の相性がいい。マヨネーズがあればもっと良くなるがな」
「マヨネーズ味、美味しそうですね。銀ちゃんはキャラメルしか食べないんですけど、私はしょっぱい味の方が好きなので」
「キャラメルだァ?そんなガキみてぇなモン食うのかアイツは。塩ポップコーンみてぇなフワフワ頭してるくせにふざけやがって」
「あははっ!ほんとに、そうですよねぇ!」
和やかに話しているうちに上映がはじまり、場内が暗くなる。ふたりとも集中してスクリーンを食い入るように見つめた。そこには期待通りのペドロがいた。子どもに追いかけられてドブに落ちるペドロ。コンビニで万引き犯と間違われるペドロ。スーパーのレジで割り込まれるペドロ。特別編は土方と***の期待を上回る、素晴らしい出来栄えだった。
「ぐすっ……」
グラサンでブリーフ一丁のペドロの活躍が、土方の涙腺を刺激する。涙をこらえて鼻をすすり上げたら、視界のはしで何かが動いた。横目でちらりと隣を見たら、***がハンカチで口元を押さえるところだった。スクリーンの明かりで照らされた黒い瞳は、涙がたまってうるうるとしていた。映画のなかのペドロが、子どものいたずら電話に「オイ、お前アレだぞ?これ、本当に困るからな」と喋りかけたところで、ついに***は泣き始めた。
「うっ、うぅっ……ひっく」
同じタイミングで感動していることが嬉しくて、土方は***をじっと見ていた。たしかにコイツはペドロのファンで、自分の同志だと思う。暗闇のなかで視線に気づいた***が、涙目で見つめ返してきた。ふたりは互いに交わす目配せだけで会話をした。
———土方さん、やっぱりペドロは素晴らしいですね。子どもだけじゃなく、大人も感動できる映画です……
———いや、***、ガキ向けの映画だが、俺は大人こそペドロの姿から学ぶモンが多いと思うよ……
同志に言葉はいらない。ただふたりは潤んだ瞳で見つめ合ったまま、こくりと頷き合った。
映画が終わり劇場を出ると、正午を過ぎたところだった。どうせ午後も予定はない。映画の礼に昼飯をおごると言った土方に、***は恐縮して断ろうとした。
しかし土方が「メシ食いながらペドロについて語り合わねぇか、まぁ、お前が嫌じゃなければだが……」と言い直すと、***は嬉しそうに笑って「はい、喜んで!」と答えた。
隣り合って歩きながら、土方と***はペドロについて喋り続けた。互いに目を輝かせて、時には涙ぐみながら。
「土方さん、私、ペドロが子どもたちに輪ゴム鉄砲で狙い撃ちにされて、必死にグラサンを守ってる姿に胸打たれました」
「いいとこ見てやがるな***、だが俺ァ、その後で落としちまったグラサンを通りがかった自転車に踏まれたところがいちばん泣けたぜ」
いつもよりお喋りな***が新鮮で、目が離せない。スーパーのレジで会う時よりもずっとくだけた雰囲気で、そのあどけない笑顔が土方の気分を良くさせた。
ある甘味処の前を通りかかった時、ふと***の足が止まる。店先のメニューが書かれた看板を見つめて、***は口をつぐんだ。
「オイ***、どうした?」
パフェやらサンデーやら、土方には馴染みのない名の羅列を見て、***はぼんやりとしていた。何度か呼びかけるとハッとして振り返り、慌てて首を横に振った。
「ご、ごめんなさい……このお店、前から少し気になってたものだから、つい見惚れちゃいました」
「……来るつもりだったのか?万事屋と」
「え、……あ、はい。いや、でも来れたらいいなって、思ってただけなんで、気にしないでください」
そう言いながら***はへらりと笑って、再び歩き出した。その姿をあらためてよく見て初めて、土方は***が着ている着物が、いつもより少し華やかだと気付いた。
ゆるくまとめた髪のかんざしや、仕事中はつけていない赤い石の指輪が、ほんの少し***を飾り立てていた。ほんのりと薄化粧をした頬や唇が血色よく色づいている。ああ、そうか、と思いながら土方は腕を組んだ。
———ああ、そうか、コイツは今朝、ひと月前から楽しみにしてた約束の日だって、浮かれながら万事屋のとこへ行ったんだな。いつもより良い服を着て、化粧もちゃんとして。それが駄目になって、さぞやがっかりしただろう……ま、どうせ***のことだ、あの白髪野郎には「気にしないで」と言ったんだろ、今みたいにへらっと笑って。
ごまかすように笑う***に土方は「一緒に入ってやろうか」と言った。甘味なんて全然好きじゃないし、レインボータワーパフェやチョコレートサンデーの文字面だけで胸やけするが、***が行きたいのなら、付き合ってやってもいい。しかし***は顔の前で両手を振りながら、慌てて首を横に振った。
「いややややッ、ここは甘味処ですし、お昼ごはんには向かないかと……あ、あの、土方さん!せっかくなので私、土方さんに連れて行ってもらいたい定食屋さんがあります」
「定食屋ァ?お前、そんなんでいいのか?せっかくのおごりだぞ。寿司とか鰻とか、もっと高ぇモン食いてぇとかないのかよ」
「高いものではないけど、私、どうしても食べてみたいものがあるんです」
そう言って***が食べたがったのが、あの宇治金時丼だったので、土方は「はぁ?」と言って呆れた顔をした。どうしても食べたい?あの、胸糞悪い食いモンを?オイオイ嘘だろ、冗談止めてくれ。内心そう思ったが、自分も土方スペシャルを食べたくなり、ふたり揃って馴染みの定食屋の暖簾をくぐった。
「親父、いつもの頼む。あと、コイツに、」
「宇治金時丼をひとつお願いします」
「あいよ!」
カウンター席に並んで座り、料理が来るのを待つ。初めて来た店に***は目を輝かせて、キョロキョロとしていた。それを見た店のおかみが、好奇心旺盛な顔で土方に声をかけた。
「アラ、土方さんが女の子を連れてくるなんて、はじめてだわ。今日はデートですか?」
「いや、ちげぇよ。コイツはあの白髪野郎の女だ」
「まぁ、銀さんの!」
じっと見つめるおかみに、はにかんだ顔で***は微笑んだ。ほかほかのご飯に小豆がたっぷりのった丼を、ドンッと***の前に起きながら、店主が笑って口を開いた。
「へい、宇治金時丼、一丁!お嬢ちゃん、うちのカカァが無礼なこと言って悪いな……万事屋の旦那の好物が食べたくて来てくれたんだろう?」
「おじさん、ありがとうございます。銀ちゃんがいつも、ここの宇治金時丼がすごくおいしいって言ってたので、どうしても食べてみたくて」
そう言って笑った***に店主も笑い返した。ほどなくして土方の前にもマヨネーズたっぷりの丼が置かれた。ガツガツと食べる土方の横で、***は小さくいただきます、と言うと少しずつ食べすすめた。
「***、無理すんなよ。そりゃ人間の食いモンじゃねぇ。残したってここの親父は怒らねぇから、気分が悪くなる前にやめとけ」
「ん、……いえ、土方さん、大丈夫です。これ、見た目はちょっとアレですけど、おはぎみたいで美味しいです。小豆の甘味がちょうどよくってご飯と合います」
ふふ、と笑いながら***はそう言った。周りの客は土方と***のそれぞれの手にある奇妙な食べ物を見て、顔色を悪くする。マヨネーズと米をかきこみながら、土方は宇治金時丼を、まるでゴミを見るような目で見た。
「いくらあの野郎の好物とは言え、そんな胸糞わるいモン、よく食えるな***」
「銀ちゃんが好きな食べ物は、どんなものでも知っておきたいんです。その……こ、こう見えて私は一応、銀ちゃんの、か……彼女なので」
「ぶっ!!!オイ、***、オメーはなに自分で言って自分で照れてんだよ!!」
「あわわっ、あ、改めて言ったら恥ずかしくって……でも、土方さんの彼女だと勘違いされるのは、土方さんに失礼ですし、ちゃんと言っておかないとと思ったんです。す、すみません、私が連れてきて欲しいってワガママ言ったばかりに、迷惑をかけてしまって」
顔を真っ赤に染めて弁解する***を見て、土方は思わず吹き出した。こういう律儀で礼儀正しいところが***の魅力だ。礼儀という言葉すら知らなそうな銀時には、もったいない女だと思う。
———それにしたって、なんでコイツは万事屋なんかと付き合ってんだ?
それは以前から抱いていた疑問だった。
田舎の家族のために働くような真面目な女が、なぜあんな不真面目で能天気な男と?もっと経済的にも安定して、肩書も申し分のない相手がいるだろうに。
土方にとって、***は妹のような存在だ。警察という立場の自分達にも臆せず接してくれる、性格のいい女の子。スーパーのレジで会う度に、その飾らない笑顔に癒されてきた。いつか非の打ち所がない男性と結ばれて、幸せになってほしいと思っている。だから条件反射のように、***と銀時が付き合っているという事実に、意義を唱えたくなる。
現に今日、自分と一緒に映画を見て、こうして隣で飯を食っているのは、あの男がちゃんと約束を果たさなかったせいだ。あの天パ白髪野郎、大切な妹を傷つけるような真似しやがって。そう思うと土方の胸に、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「オイ、***、万事屋の野郎にちゃんと埋め合わせさせるんだろうな。ひと月前からの約束をドタキャンしといて、そのままほったらかしなんて、まともな男のすることじゃねぇぞ」
「うーん、どうですかねぇ……最近、万事屋は忙しいので、すぐには難しいかもしれないです……でも、私と出かけるのはいつでもできますし、お仕事優先で全然いいんですよ」
半分減った丼を見つめて、***は言った。それがまるで自分に言い聞かせているように見えて、土方は食後の一服をしながら溜息をついた。
常に何よりも仕事優先の土方は、今までに関係を持った女たちとの約束をことごとく反故にしてきた。その女たちに幾度も言われたセリフをふと思い出す。同じセリフを***が銀時に向かって言う姿を想像しようとしたが、うまくできなかった。
「……***、お前は〝仕事と彼女のどっちが大切なんだ″なんてこた言いたくねぇだろが、男っつーのはそのくらい言わねぇと女の気持ちが分からねぇ馬鹿な生き物だ。まぁ、俺が言えることじゃねぇが、お前が強がって我慢ばかりしてると、あの男は調子に乗る一方だぞ。痛い目見る前にちゃんとクギ刺しとけよ」
「土方さん……」
手元から顔を上げた***が、じっと土方を見つめた。首をかしげて少し考えてから、やわらかく微笑んで口を開いた。
「ありがとうございます、土方さん……でも、銀ちゃんのお仕事と私を比べるなんてできないんです。困ってる人の為に走り回ってる銀ちゃんが好きだから。その為にだったら、どんな約束が駄目になっても構わないんです……こんなの強がりに聞こえますよね。けど強がりじゃなくって、その……強がりじゃなくて、私、強いんです。銀ちゃんが強くしてくれるんです。だから、大丈夫なんです」
心配してくれて、ありがとうございます。
そう言いながら***は静かにニコリと笑った。その表情が急に大人びて見えて、驚いた土方は言葉を失う。指に挟んだ煙草を吸うのも忘れて、***に見惚れた。
———アレ、コイツって、こんなに大人っぽかったっけ……?
さっきまでの無邪気な娘とは別人のように微笑む***に、心臓の鼓動が速くなった。そんなことには全く気付かずに、再び***は宇治金時丼に箸をつけ、ようやく最後のひと口を飲み込んだ。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
「おう、お嬢ちゃんすげぇな。その丼、食べきれんのは万事屋の旦那だけだと思ってたよ」
「おじさん、とっても美味しかったです!あ、そうだ、えーと、あの、ぎ、銀ちゃんが今度また来た時は、その……よ、よろしくお願いします」
「ぶっ!!!」
「ちょっと土方さん、笑わないでくださいよ!少しくらい、か、彼女っぽいこと言ったっていいでしょう?」
「だぁから、なんでオメェは自分で言って自分で照れてんだよ……ったく」
頬を紅く染めて、カラの丼を誇らしげに見る***は、いつものたわいのない表情に戻っていた。少女のような雰囲気がこの純朴な娘にはよく似合う。そう思いながら土方が***を見つめていると、カウンターの向こうから店主とおかみが声をかけてきた。
「しかし、お嬢ちゃん……今日ウチにメシ食いに来たってことは、万事屋の旦那には言わねぇ方がいいんじゃねぇか?なぁ、そうだろ、お前」
「そうね、土方さんと来たってことは、銀さんには言わない方がいいと思うわ。ねぇ?土方さんもそう思うでしょう?」
そう言われて***はきょとんとする。しかし土方にはふたりの言わんとすることが分かり、フッと声もなく笑った。2本目の煙草に火をつけて、ふーっと紫煙を吐き出しながら口を開いた。
「確かにな……あの独占欲丸出しの腐れ天パ侍が、今日のことを知ったら怒り狂うだろうなァ」
「え、銀ちゃんが?な、なんでですか?もしかして私だけ宇治金時丼食べたから、ズルいってことですか?」
「「「ぶっっっ!!!!」」」
銀時の性格をよく知る店主とおかみと土方だけが、吹き出してゲラゲラと笑った。なぜ笑われるのか分からずに、***は3人を順繰りに見て戸惑っていた。
のどかな昼下がりに相応しい笑い声が、定食屋に響く。空っぽの丼を持って、オロオロする***の姿を、大切な妹を見守るような目で、土方は見つめていた。
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【(21)となりの兄妹】end
笑顔を見れる距離から守り続けたい
「山崎ィィィ!!テメェェェ、ぶっっっ殺す!!!」
「ひぃぃッ!!ふ、副長ッ!!?」
のどかな日曜の朝、真選組屯所に剣呑な声が響いた。
非番で着流し姿の土方の手には、なぜか愛刀が握られている。しりもちをついた山崎は既に半泣きの状態だ。
「ふ、副長ッ、確かに映画のチケット買い忘れたのは謝りますけど、なにも張り込み明けに頼まなくたっていいじゃないですか!10徹ですよ10徹!それもあんぱんと牛乳だけで!ツラい・眠い・あんぱんの三重苦のなかで、アレ買っとけって言われたって、そりゃ忘れちまいますよ!いくら鬼の副長の頼みとはいえ、頭からポロッと落ちたって仕方がねぇでしょう!?」
「ほぉぉぉ~、山崎ィ、俺に言いわけするたァ、テメェもずいぶんとエラくなったじゃねぇか。どんな事情であれ、上司の頼みを無下にしたヤツに、情状酌量の余地はねぇ……少なくともこの真選組では、士道不覚悟で切腹モンだ。映画の券も買い忘れるような、腐った脳みそしか入ってねぇその頭ァ……俺が首からポロッと落としてやらァァァ、覚悟しろォォォ!!!」
「ギャァァァァ!!!!!」
せっかくの休日に刀を振り回す。追いかけっこの末、結局ボコボコに殴って手打ちにした。白目を剥く山崎を庭に捨て置き、土方は渋い顔で屯所を出た。
「ったく、どーしてくれんだよ……」
懐から取り出したのは1枚の映画のチラシ。そこには『となりのペドロ/特別編』の文字。子供むけ映画だが、それは以前から土方のお気に入りだった。その特別編の劇場公開が今日からなのだ。
———クソッ、山崎のヤロー、俺が今日という日の為に、どれだけ必死に仕事片付けたと思ってんだ。なにが10徹だ、こちとらこの1カ月ろくに寝てねんだぞ。毎晩毎晩、山積みの書類とにらめっこしてきたのも全て、ペドロを見るため……それをあんの山崎「チケット買い忘れました」だと!?あー!やっぱ殺す!これでよもや満席で見れねぇなんてことになった日にゃ、あいつマジでぶっ殺してやる!!!
「お客さん、今日は “となりのペドロ” 完売なんすよ」
「殺すッッッッ………!!!!!」
チケット売り場で言い渡された現実に、膝から崩れ落ちた。ああ、公開初日に見たかった。誰よりも早くペドロの雄姿をこの目に焼き付けたかった。そのためにこのひと月、必死で働いたのに。数カ月ぶりの休日なのに。なんてツイてないんだ、ちくしょう。
フラフラと立ち上がり、血走った目で煙草を吸う。立て続けに何本も吸ってから、ふと思い立って売場に戻り「立ち見でもいいんだが」と食い下がったら、窓口の親父は渋い顔で「いやぁ旦那、実はね」と口を開いた。
「前にペドロを上映した時に、変な男ふたりが場内で殴り合いの大喧嘩しやしてね、それに巻き込まれた別の男が跳ね飛ばされて、スクリーンをぶち破ったことがあったんですよ。あれ結構高値でして、社長がカンカンに怒っちまってさぁ……それ以来、ウチはペドロの上映には気ぃつかってんですよ。見せてやりてぇが、満席ってだけでピリピリしてるんで、これ以上の客は入れられねぇんです。すいやせんね、旦那」
心の中で「うぉぉぉ!」と叫びながら、土方は劇場前の電信柱に頭をガンガンと何度も打ち付けた。
———ペドロの上映中に殴り合いだと!?どこのどいつだ!?んな不届き者は粛清してやらぁ!!映画は行儀よく見なきゃダメだろーがぁぁぁ!!
硬い柱に頭をぶつけすぎて、意識が遠のきはじめた頃、突然うしろから自分を呼ぶ声がした。
「あれ、土方さん?」
「あ゙ぁ゙ん!!?」
こんな時に誰だと勢いよく振り向き、にらみつけた所に***が立っていた。瞳孔が開いて頭から流血する男に、道行く人は恐怖の視線を送っていた。しかし声をかけてきた***だけは怖がる様子もなく、ただ微笑んで真っすぐにこちらを見つめていた。
「やっぱり土方さん、こんにちは!いつもの制服じゃないから、人違いかと思いました。こんなところで奇遇ですね。今日はお休みですか?」
「あ、あぁ、まぁな……たまたま非番だったから、映画でも見ようかと来たんだが」
ペドロを見るつもりだった、という土方の言葉に***は顔をほころばせた。鈴が鳴るような明るい声で、実は自分も『となりのペドロ』の大ファンで、特別編を見るために映画館に来たという。
「そいつぁ残念だったな***……あいにく今日は完売で、立ち見もお断りだってよ」
「わぁっ!やっぱりペドロは人気ですねぇ……もしかして土方さん、チケット買えなかったんですか?」
「うぐっ……うおぉぉぉぉ!!!!」
「えぇぇっ!?ちょ、ちょっと、土方さん!?頭割れちゃいますから、やめ、やめてくださいぃぃぃぃ!!!」
再び柱に頭をぶつけようとした土方の背中を、***がつかんで必死に止めた。その声にハッとして、見苦しい姿を見せてはいけないと気を取り直す。
チケットを買えなかったと言うと、***は気の毒そうな顔をした。この女の前では常識的な大人でいなければと、最後の力を振り絞って「絶対に今日じゃなきゃいけないわけじゃあるまいし」と強がりを言う。片手を上げて立ち去ろうとした土方の背中に、***の遠慮がちな声が届いた。
「あ、あの、土方さんっ!……もしよかったら、その、もし土方さんさえ嫌じゃなかったら……私と一緒に『となりのペドロ』見ませんか!?」
「はぁっ!!!??」
驚いて振り返った土方を、気まずそうに眉を八の字に下げた***が、しかし期待を込めた瞳で見つめていた。
「本当にありがとうございます、土方さん!チケット無駄にしちゃうって落ち込んでたんですけど、土方さんのおかげで助かりました!」
映画館の隣のイスで、***はポップコーンを抱えながらそう言った。満面の笑みを浮かべた***に、感謝の眼差しで見つめられて、土方はこそばゆい嬉しさと、ほんの少しの居心地の悪さを感じていた。
「それにしても、いいのか***……万事屋の野郎と見に来るための券だったんだろ?」
「いいんですよぉ。代わりに誰か誘えって銀ちゃんも言ってましたし、土方さんが見てくれて、きっと喜ぶはずです。お仕事で来れないのは仕方ないですから」
あの男が喜ぶわけがない、と思いながら土方は***の横顔を見つめた。ポップコーンをつまみながら上映開始を待つ姿は、子供のようにウキウキとしていて、見ている方まで楽しくなってくる。
ひと月前から***は『となりのペドロ』を楽しみにしていて、銀時と公開日に見に行く約束をしていたという。その為に座席指定券まで買っていたのに、今朝になって万事屋に仕事が入り、銀時は来られなくなってしまった。急に誘える友達も見つけられず困っていたところに、ちょうど土方に出会ったのだ。
「土方さんに偶然会えるなんて、すっごくラッキーでした!」と***がふにゃりと笑った。まるで頭から花が咲きそうなほど明るい笑顔に、土方は満更でもなくなって、フッと笑い返した。
「土方さんもポップコーン召し上がりませんか?」
「あ?……あぁ、」
そんなチャラついた菓子は好きじゃない。しかし***がハムスターのように頬張っているのが美味しそうに見えて、すすめられるがままにひと粒、口に放り込んだ。
「……うめぇな、コレ」
「ふふっ、バター塩味おいしいですよね」
「バターの油分と塩気の相性がいい。マヨネーズがあればもっと良くなるがな」
「マヨネーズ味、美味しそうですね。銀ちゃんはキャラメルしか食べないんですけど、私はしょっぱい味の方が好きなので」
「キャラメルだァ?そんなガキみてぇなモン食うのかアイツは。塩ポップコーンみてぇなフワフワ頭してるくせにふざけやがって」
「あははっ!ほんとに、そうですよねぇ!」
和やかに話しているうちに上映がはじまり、場内が暗くなる。ふたりとも集中してスクリーンを食い入るように見つめた。そこには期待通りのペドロがいた。子どもに追いかけられてドブに落ちるペドロ。コンビニで万引き犯と間違われるペドロ。スーパーのレジで割り込まれるペドロ。特別編は土方と***の期待を上回る、素晴らしい出来栄えだった。
「ぐすっ……」
グラサンでブリーフ一丁のペドロの活躍が、土方の涙腺を刺激する。涙をこらえて鼻をすすり上げたら、視界のはしで何かが動いた。横目でちらりと隣を見たら、***がハンカチで口元を押さえるところだった。スクリーンの明かりで照らされた黒い瞳は、涙がたまってうるうるとしていた。映画のなかのペドロが、子どものいたずら電話に「オイ、お前アレだぞ?これ、本当に困るからな」と喋りかけたところで、ついに***は泣き始めた。
「うっ、うぅっ……ひっく」
同じタイミングで感動していることが嬉しくて、土方は***をじっと見ていた。たしかにコイツはペドロのファンで、自分の同志だと思う。暗闇のなかで視線に気づいた***が、涙目で見つめ返してきた。ふたりは互いに交わす目配せだけで会話をした。
———土方さん、やっぱりペドロは素晴らしいですね。子どもだけじゃなく、大人も感動できる映画です……
———いや、***、ガキ向けの映画だが、俺は大人こそペドロの姿から学ぶモンが多いと思うよ……
同志に言葉はいらない。ただふたりは潤んだ瞳で見つめ合ったまま、こくりと頷き合った。
映画が終わり劇場を出ると、正午を過ぎたところだった。どうせ午後も予定はない。映画の礼に昼飯をおごると言った土方に、***は恐縮して断ろうとした。
しかし土方が「メシ食いながらペドロについて語り合わねぇか、まぁ、お前が嫌じゃなければだが……」と言い直すと、***は嬉しそうに笑って「はい、喜んで!」と答えた。
隣り合って歩きながら、土方と***はペドロについて喋り続けた。互いに目を輝かせて、時には涙ぐみながら。
「土方さん、私、ペドロが子どもたちに輪ゴム鉄砲で狙い撃ちにされて、必死にグラサンを守ってる姿に胸打たれました」
「いいとこ見てやがるな***、だが俺ァ、その後で落としちまったグラサンを通りがかった自転車に踏まれたところがいちばん泣けたぜ」
いつもよりお喋りな***が新鮮で、目が離せない。スーパーのレジで会う時よりもずっとくだけた雰囲気で、そのあどけない笑顔が土方の気分を良くさせた。
ある甘味処の前を通りかかった時、ふと***の足が止まる。店先のメニューが書かれた看板を見つめて、***は口をつぐんだ。
「オイ***、どうした?」
パフェやらサンデーやら、土方には馴染みのない名の羅列を見て、***はぼんやりとしていた。何度か呼びかけるとハッとして振り返り、慌てて首を横に振った。
「ご、ごめんなさい……このお店、前から少し気になってたものだから、つい見惚れちゃいました」
「……来るつもりだったのか?万事屋と」
「え、……あ、はい。いや、でも来れたらいいなって、思ってただけなんで、気にしないでください」
そう言いながら***はへらりと笑って、再び歩き出した。その姿をあらためてよく見て初めて、土方は***が着ている着物が、いつもより少し華やかだと気付いた。
ゆるくまとめた髪のかんざしや、仕事中はつけていない赤い石の指輪が、ほんの少し***を飾り立てていた。ほんのりと薄化粧をした頬や唇が血色よく色づいている。ああ、そうか、と思いながら土方は腕を組んだ。
———ああ、そうか、コイツは今朝、ひと月前から楽しみにしてた約束の日だって、浮かれながら万事屋のとこへ行ったんだな。いつもより良い服を着て、化粧もちゃんとして。それが駄目になって、さぞやがっかりしただろう……ま、どうせ***のことだ、あの白髪野郎には「気にしないで」と言ったんだろ、今みたいにへらっと笑って。
ごまかすように笑う***に土方は「一緒に入ってやろうか」と言った。甘味なんて全然好きじゃないし、レインボータワーパフェやチョコレートサンデーの文字面だけで胸やけするが、***が行きたいのなら、付き合ってやってもいい。しかし***は顔の前で両手を振りながら、慌てて首を横に振った。
「いややややッ、ここは甘味処ですし、お昼ごはんには向かないかと……あ、あの、土方さん!せっかくなので私、土方さんに連れて行ってもらいたい定食屋さんがあります」
「定食屋ァ?お前、そんなんでいいのか?せっかくのおごりだぞ。寿司とか鰻とか、もっと高ぇモン食いてぇとかないのかよ」
「高いものではないけど、私、どうしても食べてみたいものがあるんです」
そう言って***が食べたがったのが、あの宇治金時丼だったので、土方は「はぁ?」と言って呆れた顔をした。どうしても食べたい?あの、胸糞悪い食いモンを?オイオイ嘘だろ、冗談止めてくれ。内心そう思ったが、自分も土方スペシャルを食べたくなり、ふたり揃って馴染みの定食屋の暖簾をくぐった。
「親父、いつもの頼む。あと、コイツに、」
「宇治金時丼をひとつお願いします」
「あいよ!」
カウンター席に並んで座り、料理が来るのを待つ。初めて来た店に***は目を輝かせて、キョロキョロとしていた。それを見た店のおかみが、好奇心旺盛な顔で土方に声をかけた。
「アラ、土方さんが女の子を連れてくるなんて、はじめてだわ。今日はデートですか?」
「いや、ちげぇよ。コイツはあの白髪野郎の女だ」
「まぁ、銀さんの!」
じっと見つめるおかみに、はにかんだ顔で***は微笑んだ。ほかほかのご飯に小豆がたっぷりのった丼を、ドンッと***の前に起きながら、店主が笑って口を開いた。
「へい、宇治金時丼、一丁!お嬢ちゃん、うちのカカァが無礼なこと言って悪いな……万事屋の旦那の好物が食べたくて来てくれたんだろう?」
「おじさん、ありがとうございます。銀ちゃんがいつも、ここの宇治金時丼がすごくおいしいって言ってたので、どうしても食べてみたくて」
そう言って笑った***に店主も笑い返した。ほどなくして土方の前にもマヨネーズたっぷりの丼が置かれた。ガツガツと食べる土方の横で、***は小さくいただきます、と言うと少しずつ食べすすめた。
「***、無理すんなよ。そりゃ人間の食いモンじゃねぇ。残したってここの親父は怒らねぇから、気分が悪くなる前にやめとけ」
「ん、……いえ、土方さん、大丈夫です。これ、見た目はちょっとアレですけど、おはぎみたいで美味しいです。小豆の甘味がちょうどよくってご飯と合います」
ふふ、と笑いながら***はそう言った。周りの客は土方と***のそれぞれの手にある奇妙な食べ物を見て、顔色を悪くする。マヨネーズと米をかきこみながら、土方は宇治金時丼を、まるでゴミを見るような目で見た。
「いくらあの野郎の好物とは言え、そんな胸糞わるいモン、よく食えるな***」
「銀ちゃんが好きな食べ物は、どんなものでも知っておきたいんです。その……こ、こう見えて私は一応、銀ちゃんの、か……彼女なので」
「ぶっ!!!オイ、***、オメーはなに自分で言って自分で照れてんだよ!!」
「あわわっ、あ、改めて言ったら恥ずかしくって……でも、土方さんの彼女だと勘違いされるのは、土方さんに失礼ですし、ちゃんと言っておかないとと思ったんです。す、すみません、私が連れてきて欲しいってワガママ言ったばかりに、迷惑をかけてしまって」
顔を真っ赤に染めて弁解する***を見て、土方は思わず吹き出した。こういう律儀で礼儀正しいところが***の魅力だ。礼儀という言葉すら知らなそうな銀時には、もったいない女だと思う。
———それにしたって、なんでコイツは万事屋なんかと付き合ってんだ?
それは以前から抱いていた疑問だった。
田舎の家族のために働くような真面目な女が、なぜあんな不真面目で能天気な男と?もっと経済的にも安定して、肩書も申し分のない相手がいるだろうに。
土方にとって、***は妹のような存在だ。警察という立場の自分達にも臆せず接してくれる、性格のいい女の子。スーパーのレジで会う度に、その飾らない笑顔に癒されてきた。いつか非の打ち所がない男性と結ばれて、幸せになってほしいと思っている。だから条件反射のように、***と銀時が付き合っているという事実に、意義を唱えたくなる。
現に今日、自分と一緒に映画を見て、こうして隣で飯を食っているのは、あの男がちゃんと約束を果たさなかったせいだ。あの天パ白髪野郎、大切な妹を傷つけるような真似しやがって。そう思うと土方の胸に、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「オイ、***、万事屋の野郎にちゃんと埋め合わせさせるんだろうな。ひと月前からの約束をドタキャンしといて、そのままほったらかしなんて、まともな男のすることじゃねぇぞ」
「うーん、どうですかねぇ……最近、万事屋は忙しいので、すぐには難しいかもしれないです……でも、私と出かけるのはいつでもできますし、お仕事優先で全然いいんですよ」
半分減った丼を見つめて、***は言った。それがまるで自分に言い聞かせているように見えて、土方は食後の一服をしながら溜息をついた。
常に何よりも仕事優先の土方は、今までに関係を持った女たちとの約束をことごとく反故にしてきた。その女たちに幾度も言われたセリフをふと思い出す。同じセリフを***が銀時に向かって言う姿を想像しようとしたが、うまくできなかった。
「……***、お前は〝仕事と彼女のどっちが大切なんだ″なんてこた言いたくねぇだろが、男っつーのはそのくらい言わねぇと女の気持ちが分からねぇ馬鹿な生き物だ。まぁ、俺が言えることじゃねぇが、お前が強がって我慢ばかりしてると、あの男は調子に乗る一方だぞ。痛い目見る前にちゃんとクギ刺しとけよ」
「土方さん……」
手元から顔を上げた***が、じっと土方を見つめた。首をかしげて少し考えてから、やわらかく微笑んで口を開いた。
「ありがとうございます、土方さん……でも、銀ちゃんのお仕事と私を比べるなんてできないんです。困ってる人の為に走り回ってる銀ちゃんが好きだから。その為にだったら、どんな約束が駄目になっても構わないんです……こんなの強がりに聞こえますよね。けど強がりじゃなくって、その……強がりじゃなくて、私、強いんです。銀ちゃんが強くしてくれるんです。だから、大丈夫なんです」
心配してくれて、ありがとうございます。
そう言いながら***は静かにニコリと笑った。その表情が急に大人びて見えて、驚いた土方は言葉を失う。指に挟んだ煙草を吸うのも忘れて、***に見惚れた。
———アレ、コイツって、こんなに大人っぽかったっけ……?
さっきまでの無邪気な娘とは別人のように微笑む***に、心臓の鼓動が速くなった。そんなことには全く気付かずに、再び***は宇治金時丼に箸をつけ、ようやく最後のひと口を飲み込んだ。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
「おう、お嬢ちゃんすげぇな。その丼、食べきれんのは万事屋の旦那だけだと思ってたよ」
「おじさん、とっても美味しかったです!あ、そうだ、えーと、あの、ぎ、銀ちゃんが今度また来た時は、その……よ、よろしくお願いします」
「ぶっ!!!」
「ちょっと土方さん、笑わないでくださいよ!少しくらい、か、彼女っぽいこと言ったっていいでしょう?」
「だぁから、なんでオメェは自分で言って自分で照れてんだよ……ったく」
頬を紅く染めて、カラの丼を誇らしげに見る***は、いつものたわいのない表情に戻っていた。少女のような雰囲気がこの純朴な娘にはよく似合う。そう思いながら土方が***を見つめていると、カウンターの向こうから店主とおかみが声をかけてきた。
「しかし、お嬢ちゃん……今日ウチにメシ食いに来たってことは、万事屋の旦那には言わねぇ方がいいんじゃねぇか?なぁ、そうだろ、お前」
「そうね、土方さんと来たってことは、銀さんには言わない方がいいと思うわ。ねぇ?土方さんもそう思うでしょう?」
そう言われて***はきょとんとする。しかし土方にはふたりの言わんとすることが分かり、フッと声もなく笑った。2本目の煙草に火をつけて、ふーっと紫煙を吐き出しながら口を開いた。
「確かにな……あの独占欲丸出しの腐れ天パ侍が、今日のことを知ったら怒り狂うだろうなァ」
「え、銀ちゃんが?な、なんでですか?もしかして私だけ宇治金時丼食べたから、ズルいってことですか?」
「「「ぶっっっ!!!!」」」
銀時の性格をよく知る店主とおかみと土方だけが、吹き出してゲラゲラと笑った。なぜ笑われるのか分からずに、***は3人を順繰りに見て戸惑っていた。
のどかな昼下がりに相応しい笑い声が、定食屋に響く。空っぽの丼を持って、オロオロする***の姿を、大切な妹を見守るような目で、土方は見つめていた。
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【(21)となりの兄妹】end
笑顔を見れる距離から守り続けたい