銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(18)捕える】
———アンタだけは、許さない。アンタだけ助かるなんて、幸せになるなんてズルい。私だって助かりたい、幸せになりたい。私たちだって……———
背中の傷跡を銀時に撫でられた時、耳にその声が響いた。その瞬間、深い河にドボンと落ちた。忘れたはずの遠い記憶から無数の手が伸びてきて、***を捕らえて離さない。
誰にも打ち明けたくない。苦しくなるのが分かっているから。けれど真っすぐに自分を見つめる銀時の瞳は、その思いすら見透かしていて「過去から逃げるな」と言っていた。銀時に隠しごとはできない。そう諦めて、ようやく語りはじめる。水中のように声が遠のく。溺れているみたいに息苦しくて、必死で吐き出しているのが呼吸なのか、それとも思い出したくない過去なのか、***には区別がつかなかった。
「この傷はね……かぶき町に出てくる前に、まだ実家にいた頃にできたものなんです」
出稼ぎに出てくる数年前、***は17歳だった。故郷はひどい飢饉に襲われて、誰も彼もが飢えていた。両親の営む農園も破綻寸前で、生活のための借金はどんどん膨らんでいた。ガラの悪い借金取りがやってきては、家の扉越しに罵詈雑言を浴びせられる日々。それでも両親と兄と***の4人で肩を寄せ合って暮らしていたあの頃は、貧しいながらもまだ穏やかさを保っていた。あの日がやってくるまでは。
「あの日、いきなり扉が蹴破られて、たくさん男の人たちが家に入ってきたの。お父さんが真っ先に殴られて、止めようとしたお兄ちゃんも手酷くされました」
足蹴にされる父と兄を横目で見ながら、***は母親を守ろうと必死だった。その頃、母のお腹には弟がいた。狭い押入れに母親を隠して、どうか見つからないでと震える***の髪を、男がつかみ上げた。
『娘がいるじゃねぇか!借金のかたにもらってくぞ!』
抵抗したら頬を強くひっぱたかれた。目から火が出そうなほど痛かった。張り手を数回繰り返されるうちに、***は気を失った。
「気付いたら船の上で、他にも女の子がたくさん居ました……それですぐ、私は売られたんだって分かったの」
同じ年頃の女の子たちが着物を剥ぎ取られ、船の上で震えていた。***も同様に両手首を麻縄で縛られて甲板に倒れていた。船の後ろの方で、女の甲高い悲鳴が上がった。
「あの子は多分、逃げようとしたんです。船から降りようとしたところを捕まって、それで……」
たったひとりの少女に、数人の男が寄ってたかって手を上げていた。引きずられた娘が顔を歪めて倒れていた。もう売り物にならないから、ここで手籠めにしちまおうという下劣な声が聞こえた瞬間、***は飛び起きた。なんの考えもなく、ただ身体が勝手に動いた。
手を縛られて体当たりしかできない。それでも娘を組み敷こうとする男に全力でぶつかったら、よろけた男は船から落ちた。前のめりに転んだ***は、横たわる女の子を庇うようにうつ伏せに倒れた。
『……っお、ねが、ぃ、助けて……』
少女は虫の息でそう言った。腫れあがった目蓋から涙が流れていた。頭上から「お前も同じ目にあいてぇのか」という怒号が聞こえて、それと同時に背中に激痛が走った。
『い゙ぁぁぁぁッ!!!』
目の端っこでムチのような太い棒が振り下ろされるのが見えた。視界にチカチカと火花が散る。あまりの痛みに世界がかすむ。竹のようにしなる棒で何度も叩かれるうちに、破れた肌着が真っ赤に染まった。
『ハハハ、馬鹿女が。大人しくしときゃぁこんな目にあわねぇですんだってのによぉ……オラ、傷の消毒しといてやらぁ』
そう言った男が、うつ伏せの***に馬乗りになり、傷に沿って煙草の火を押し付けた。身動きが取れずに身体をビクビクと痙攣させて泣く***を見て、男たちはゲラゲラと笑っていた。
「……声も出なくなって、もうダメだって思った時に、お父さんが来てくれたの。しわくちゃなお金を持って‟娘を返してくれ”って。あのお金は生まれてくる弟のミルク代にしようって、皆で貯めたものだったのに」
船に乗り込んだ父に抱き起こされた。立ち上がった***の肌着の裾を、下敷きになっていた女の子がぎゅっと握っていた。力の入らない手で、***はその娘の手を上から握り返した。
『***、離すんだ!早く離しなさい!』
父に言われてもその手を離せなかった。ねぇお父さん、この子はどうなるの?こんなに酷い目にあって生きていけるの?私だけ助かるなんて許されるの?声が枯れて何も言えない。
大きな絶望感に押し潰されて、***は身動きが取れない。引っ張る父親についていくことも、すがりつく娘の手をふり払うこともできずに、ただ朦朧としたまま立ち尽くしていた。
その時いきなり、目の前の娘が立ち上がった。
『……アンタ、だけはっ……!!』
もう力も入らないはずの手で、少女は***の身体を強く押した。よろけた身体は船のヘリを越えて、真っ逆さまに落ちた。河へと落ちていく途中、景色がやけにゆっくりになって、***を突き飛ばした娘の泣き顔が見えた。その後ろに大勢の女の子たちが、絶望を浮かべた目で***を見ていた。
アンタだけは許さない。アンタだけ助かることを私たちは一生許さない。その目はそう言っていた。
ドボンと落ちた河で「誰か助けて」と思ったのが最後、そこで記憶はプツンと途切れている。気付いたら家にいて医者の治療を受けていた。誰も何も言わなかったし、***も聞かなかった。
しばらくして弟が生まれたら生活は厳しさを増し、過去を振り返る余裕なんて誰にもなかった。***もその出来事を記憶から追いやり、何も無かったことにして生きてきた。いま、こうして銀時に話すまで、ずっと。
「……ずっと忘れたフリをしてきました」
話し終えた時、銀時は何も言わずに、ただ***の背中をじっと見ていた。不安になった***が肩越しに振り返る。眉間にシワを寄せた銀時が考え込むような難しい顔をしていたので、***は慌てて口を開いた。
「ぎ、銀ちゃん?ごめん、話が分かりにくかった?え、えーと、要するに……身売りされそうになって怪我はしたけど助かった、ってことです。それで、おしまい」
そう、それでおしまい。言葉にしてしまえば大したことはない。話してみて初めて***はそう思えた。
「***、ちょっと触らせろ」
「うん、いいよ、わゎゎっ!」
有無を言わせない声でそう言った銀時は、***が頷くより早く後ろから肩を押した。前かがみになって丸まった背中の、首のすぐ下の辺りに、大きな手がそっと置かれた。
「お前、ちゃんと自分で見たことねぇだろ、これ」
「ん?うーん……背中だから、鏡越しにしか見たことないですけど……え、どうして?」
その問いに銀時は答えなかった。首の付け根の骨の出っ張りから、背骨にそって銀時の手が降りていく。ごつごつとした指先が、肩甲骨の間でふと止まって、素肌と傷の境目をゆっくりと撫でた。
「分かるか***、ここから、ここまで一直線に傷んなってる。4本、いや5本か。んで、このギザギザしてんのが縫い跡な。あと、小せぇヤケドの痕があんな。ここと、ここと……」
肩のすぐ下から腰の上までを、熱い手が斜めに滑っていった。その手が所々で止まって、浮き上がる縫い跡を指先でゆっくりとなぞった。点在するヤケド痕をひとつひとつ、親指の腹で撫でられる。
やけに繊細な手つきがくすぐったくて、***は首をすくめた。好きな人の手で触れられると、背中の感覚が鋭くなる。見えない傷痕が際立って、その存在感が鮮明に感じられた。
「でっけぇ傷だな」
「っっ!!!」
予想外の言葉に心臓が凍った。銀時はきっとこの程度の傷どうってことないと言うと思っていたから。そんなことで騒いだりしない人だから。しかし、その銀時に大きな傷だと言われたら、これは自分の汚点だと認めざるを得なくて、とてつもなく悲しい。
それでも***は必死で笑顔を作る。胸に抱いた銀時の黒いシャツをぎゅっと握りしめた。うつむくと泣きそうだったから、パっと顔を上げて肩越しに振り向いた。
「こんなの全ッ然、大したことないんだよ銀ちゃん!銭湯とかでたまに可哀想って言われるけど、もう痛くもないし、若気の至りみたいなもんです。後先考えずに飛び出して行くなんて馬鹿だよね。助けられるわけないのに、ほんと自業自得で笑っちゃいます。弟のミルク代まで無駄にして、とんでもない役立たずだよ」
あはは、と笑いながら、***は必死でまくし立てる。銀時に可哀想だと思われたくない一心で。可哀想というのは自分には当てはまらない。本当に可哀想なのはあの女の子たちだから。
「お前さぁ、なに笑ってんの」
「え……?」
遮った銀時の声は不機嫌で少し怒っているみたいだった。驚いた***はハッとして息を飲んだ。
「なにヘラヘラ笑ってんだって、聞いてんだよ」
「だ、だって、だって銀ちゃん……私は可哀想なんかじゃないから笑ってなきゃダメなんです。あの船に乗ってた子たちは、もっと酷い思いをしたのに、それなのに私が……ひとりだけ助かって、普通に生きてる私が悲しむなんて、許されるわけないですから」
あの子達は助かりたかっただろう。普通に生きて幸せになりたかっただろう。その気持ちが今でも***には、痛いほどよく分かるから。
泣きたくないのに目頭が熱くなって、視界が潤んで涙が落ちそうになる。ダメだと思ってくるりと銀時に背を向け、腕の中のシャツに顔を押し付けた。ぎゅっと膝を抱えて小さく丸くなった。
「ちげぇよ、***」
その声と同時に、縮こまった身体に太い腕が回った。後ろから抱き寄せられて、背中が筋肉質な胸に押し付けられる。足を開いて座る銀時の膝の間に引き寄せられて、下着1枚の***の全身を温もりが包み込んだ。
「お前を可哀想だなんて思わねぇよ……俺は、可哀想じゃなくて、お前を可愛いって思うわ。こんな傷だらけになっちまった昔の***がめっさ可愛い、ずっとこの傷と一緒に生きてきた***もごっさ可愛い。可愛くて可愛くて、仕方がねぇよ」
耳元でささやく声は優しかった。まるで子供をあやすような調子で言われた言葉が、***には信じられない。そんな風に言われたのは初めてで、どんな顔をしたらいいのか分からない。
「でも、銀ちゃん、さっき……でっかい傷だって」
「ああ言ったよ。確かにでっけぇ傷だからな……知ってるか***、後先考えずに飛び出して行って、こーゆーでっけぇケガする馬鹿のことを、世間では時々、正義のヒーローって呼ぶこともあんだぞ。誰も助けられなくても、傷しか残らなくても、それでも生き抜いたヤツを可哀想だなんて俺は思わねぇ……っつーか、お前は母ちゃんと弟のこと守ってんじゃねーか。でもって見ず知らずの女のことも守ろうとしたんだろ?それを役立たずなんて言うなよ。それこそ許されねぇっつーの」
優しい声と身体を包む温かさに涙腺が緩む。涙が数滴シャツに滲んだが、ぎゅっと唇を噛んでこらえた。後ろから抱きしめる銀時が***の肩に顎を乗せる。膝から顔を上げて、少し横を見たらすぐに目が合った。うつむきがちにチラッと見上げたら、銀時は「分かったか?」と言うように、首を傾げて***をのぞき込んでいた。
「ぎ、銀ちゃんは優しいから、そう言ってくれるけど……でも本当は私、こんな風に優しくされるのだって後ろめたい。過去に捕らわれて、うじうじした面倒くさい人間、銀ちゃんは嫌いだって分かってる。でも、あの子は、あの子たちは……っ!!」
———アンタだけは許さない……
再び耳にその声が響いて呼吸が止まる。深い河に引きずり込まれていく。溢れそうだった涙が引っ込むのと同時に血の気も引いて、身体が急に冷えた。
こうして銀時に抱きしめられていることも、許されないのかもしれない。生きてるだけで十分で、誰かを好きになるなんて贅沢だ。ましてや好きな相手と結ばれるなんて、あの子たちには夢のまた夢だったはず。
そう思うと身体がバラバラになりそうだった。銀時を思う気持ちが何より大切なのに、それが許されないなら、この先どうやって生きていけばいいのだろう。
「ゆ、許さないって……私だけ助かるなんて、私だけ、幸せになるなんて、許せないって、あの子が……ぁ、あの子たちがっ!」
水が肺に入ってきたように息が苦しい。冷たい汗がどっと吹き出して、全身がガタガタと震えた。目の焦点が合わずに、水の中みたいに霞んだ視界で、銀時が困惑しているのが見えた。
———銀ちゃんを失いたくない。銀ちゃんだけは諦めたくない。だけど、それは許されないことなの?———
その恐ろしさに捕らわれて、***は息もまともにできない。ただ心が恐怖に深く沈んでいくばかりだ。
「オイ!***ッ!しっかりしろ!!」
大きな声で名前を呼ばれて、強い力で肩を揺さぶられた。抱えていた膝が倒れて、ぺたりと座り込む。くるりと向きを変えられて銀時と向き合ったら、手から黒いシャツが落ちた。何も着けない乳房が丸出しになったが、***はそれすら気付かなかった。
「ぎ、銀ちゃん……もしかして私……銀ちゃんを好きでいることも、許されないのかなぁ……?」
「はっ!!!?」
ぼんやりとした目でそう問いかけると、銀時は一瞬驚いた顔をした。しかし、キッと怒りの表情を浮かべ、両手で***の頬を挟むようにパチンと叩いた。
「いッ、痛ぁ!な、なにすんですかっ!?」
「はぁぁぁぁ!?何すんですかはこっちのセリフなんですけどぉ!?オメーこそ何してんの、っつーか何言ってんのぉぉ!?***が俺を好きで何が悪いんだよ!どこの誰が許さねぇって!?オイ、そんなこと言うヤツが居るなら連れてきやがれ!銀さんがエクスカリバーでぶった斬ってやるよコノヤロー!!!!」
「ええぇぇっ!!」
ビキビキと血管が浮くほど怒りながら、銀時は***の頬をぺちぺちと叩き続けた。痛い痛い、と言う内に少しづつ視界がはっきりしてくる。肩を揺さぶられてだんだんと血の気も戻ってきた。浅い呼吸をなんとか戻そうと、***が息を吸ったのと同時に、銀時が呆れかえった顔で「はぁぁ~」と溜息をついた。
「***、オメー、とんでもねぇ勘違いしてるぞ」
「え、な、何が?」
頬を叩くのを辞めた銀時は、***の顔を両手でそっと包んだ。
「その女は***に、お前だけは助かれって言ったんだ」
「………えっ!?」
思いもよらないことを言われて、頭が真っ白になる。驚きで言葉を失った***は、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。それを見た銀時は「なんつー間抜けヅラしてんだよ」とゲラゲラ笑って、***のほっぺたを両方、指先でつまんだ。
「いたッ、ちょっ、銀ちゃんッ……そ、そんな、そんなの違うよっ!」
「違くねぇよ***、脳みそ動かしてよぉ~っく考えてみ?もし本当にお前の言う通り、***ひとりが助かるなんて許さねぇって、その女が思ってたんなら、お前じゃなくてお前の父ちゃんを突き飛ばしたはずだろ?でもそうじゃなくて、***を突き落としたっつーことはぁ」
そう言いながら銀時は、頬をつまむ指に力を入れて、ぐいぐいと引っ張った。とても痛くて涙が出そう。予想もしない話の先が恐ろしくて唇がわなないた。
「お前だけは……***だけは助かれって、こんな船からさっさと降りて、父ちゃんと一緒に逃げろって、普通の人生を生きろって言ったんだ。アンタだけは幸せになれって、自分達には許されなかった人生を、***だけは生きてくれって、そう言ったんだよ、その女は。最後の力を振り絞って」
ほっぺたを引っ張る指が離れて、もう痛くもないのに***の顔は歪んだ。眉間にシワを寄せながら、歯を食いしばって涙をこらえる顔はきっと滑稽だ。それを見られたくなくて、ぱっと顔を背ける。震える唇を隠そうと、***は手で口元を抑えた。
「ど、して……どうして銀ちゃん、私にっ……そ、っなに、やさしく、してくれるの?」
ははっ、と銀時は笑って、***に手を伸ばした。急に肩を引き寄せられて身体が傾く。膝裏にするりと手がさし込まれて横向きに抱き寄せられた。あぐらをかいて座る銀時の足の上に、すとんとお尻を下ろされて、まるであやされる赤子のように、太い腕のなかにいた。
「わっ……、や、やだ、銀ちゃんっ」
互いに裸の上半身が触れ合ってはじめて、***は自分が胸に何も纏っていないことに気付いた。慌てて両腕で乳房を隠したが、顔が真っ赤に染まる。潤んだ瞳で銀時を見たら、声もなく笑って***を見下ろしていた。
「優しいんじゃねぇよ、***」
そう言った銀時の手が、肩から背中へとするりと降りた。指を広げて大きな手のひらいっぱいを使って、***の背中の傷痕をそっと撫でた。
「***さぁ……コレ、この傷な、いままでに、俺以外の男に見せたことあんの?」
「え……?ぉ、お父さんと、あと弟は見たことありますけど」
「いや、そーゆうことじゃねんだけど……あ~、まぁ、しょうがねぇか、***はガキだから分かんねぇよな……俺は優しいんじゃなくて、***のことを全部、俺のモンにしてぇだけだよ。すぐ真っ赤んなる顔も、ちいせぇ胸も、この背中もぜ~んぶ、銀さんのモンにしてぇだけ。このさき一生、他の誰にも見せたくねぇってだけぇ……なぁなぁ***さぁ、こっから羽根が生えんだろ。あのCMのお通みてぇにでっけぇ羽根がさ。天使みてぇにバサバサッと」
「は、はぁぁ!?そんなことできるわけないじゃないですか!お通ちゃんのはああゆう衣装で、普通の人間に羽根なんて生えないよ!」
「いや、お前ならできるっつーの」
突拍子もないことを言われて、目を丸くして驚く***を、銀時は楽しそうに笑って見ていた。背中に羽根を生やす?天使みたいに?そんなの無理に決まってる。はてなマークを浮かべた***の背中の傷痕を、銀時の大きな手がぽんぽんとやさしく叩いた。
「あん時のお前が、17歳の***がまだここにいるんだろ?誰にも苦しいって言えねぇまま。悲しいって泣けねぇまんまで、ず~っと溺れてやがる。ヘラヘラ笑ってねぇで、ちゃんと泣いてやれよ***、そしたら羽根が生えて自由になれる。過去に捕らわれてうじうじしてる奴は、確かに銀さん嫌いだけど、***が自由になろうとすんなら、もがいて飛ぼうとすんなら、俺が受け止めてやらぁ。ホラ、俺しか見てねぇから泣けよ***。大丈夫だって、ぜってぇ受け止めてやっから。俺のことだけ見て、飛べよ***」
声は力強いのに、背中を叩く手が優しい。全身を包む腕が温かくて、心がほどけていく。深い河の底から強い力で引き上げられて、「もう自由になれ」と言われている気がした。自分でも気づいていなかった過去の自分が「もういいかなぁ」と言って泣き始めた。
「ぎ、銀ちゃん……」
その後は声すら出ずに涙が出た。ぼたぼたと溢れる雫が止められなかった。17歳の自分が「苦しかったよ、痛かったよ、悲しかったよ」と泣き叫んでいた。ぐずぐずと鼻をすすっても涙が止まらなくて、うっうっと嗚咽をもらした。泣き顔を隠していた両手の手首を銀時につかまれ、首に回すように引っ張られた。
「はいはい、いい子いい子~」
能天気な声で銀時は***をなだめた。その首に腕を回して、ぎゅっと抱き着く。肩に顔を押し当てて泣く***を、銀時は両腕で抱きしめ返した。素肌の胸同士が触れ合って、体温を分け合ったら、安心感が溢れてますます涙が出た。
———銀ちゃん、私、こんな風に泣くの初めてだよ。人は心が弱った時に泣くものだってずっと思ってた……だけど今は、銀ちゃんに抱きしめられている今は、泣けば泣くほど心が強くなっていく気がするの。うじうじするのはもう止めよう。悲しい時に泣いて、楽しい時に笑って、幸せでいていいんだ。自由になる為に泣いていいんだ……
小さな嗚咽だけを漏らして、***は声もなく泣き続けた。銀時も何も言わずに***の肩を抱き、あやすように背中を撫で続けている。温かい手で触れられた傷痕を、汚点だとはもう思わなかった。もしそこから羽根が生えて、捕らわれた過去から自由に飛び立てるのなら、まっすぐに銀時のもとへ飛んでいこう。泣きながら***はそう思っていた。
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【(18)捕える】end
"きみは天使(4)"
私たちの痛みがいま飛び立った
———アンタだけは、許さない。アンタだけ助かるなんて、幸せになるなんてズルい。私だって助かりたい、幸せになりたい。私たちだって……———
背中の傷跡を銀時に撫でられた時、耳にその声が響いた。その瞬間、深い河にドボンと落ちた。忘れたはずの遠い記憶から無数の手が伸びてきて、***を捕らえて離さない。
誰にも打ち明けたくない。苦しくなるのが分かっているから。けれど真っすぐに自分を見つめる銀時の瞳は、その思いすら見透かしていて「過去から逃げるな」と言っていた。銀時に隠しごとはできない。そう諦めて、ようやく語りはじめる。水中のように声が遠のく。溺れているみたいに息苦しくて、必死で吐き出しているのが呼吸なのか、それとも思い出したくない過去なのか、***には区別がつかなかった。
「この傷はね……かぶき町に出てくる前に、まだ実家にいた頃にできたものなんです」
出稼ぎに出てくる数年前、***は17歳だった。故郷はひどい飢饉に襲われて、誰も彼もが飢えていた。両親の営む農園も破綻寸前で、生活のための借金はどんどん膨らんでいた。ガラの悪い借金取りがやってきては、家の扉越しに罵詈雑言を浴びせられる日々。それでも両親と兄と***の4人で肩を寄せ合って暮らしていたあの頃は、貧しいながらもまだ穏やかさを保っていた。あの日がやってくるまでは。
「あの日、いきなり扉が蹴破られて、たくさん男の人たちが家に入ってきたの。お父さんが真っ先に殴られて、止めようとしたお兄ちゃんも手酷くされました」
足蹴にされる父と兄を横目で見ながら、***は母親を守ろうと必死だった。その頃、母のお腹には弟がいた。狭い押入れに母親を隠して、どうか見つからないでと震える***の髪を、男がつかみ上げた。
『娘がいるじゃねぇか!借金のかたにもらってくぞ!』
抵抗したら頬を強くひっぱたかれた。目から火が出そうなほど痛かった。張り手を数回繰り返されるうちに、***は気を失った。
「気付いたら船の上で、他にも女の子がたくさん居ました……それですぐ、私は売られたんだって分かったの」
同じ年頃の女の子たちが着物を剥ぎ取られ、船の上で震えていた。***も同様に両手首を麻縄で縛られて甲板に倒れていた。船の後ろの方で、女の甲高い悲鳴が上がった。
「あの子は多分、逃げようとしたんです。船から降りようとしたところを捕まって、それで……」
たったひとりの少女に、数人の男が寄ってたかって手を上げていた。引きずられた娘が顔を歪めて倒れていた。もう売り物にならないから、ここで手籠めにしちまおうという下劣な声が聞こえた瞬間、***は飛び起きた。なんの考えもなく、ただ身体が勝手に動いた。
手を縛られて体当たりしかできない。それでも娘を組み敷こうとする男に全力でぶつかったら、よろけた男は船から落ちた。前のめりに転んだ***は、横たわる女の子を庇うようにうつ伏せに倒れた。
『……っお、ねが、ぃ、助けて……』
少女は虫の息でそう言った。腫れあがった目蓋から涙が流れていた。頭上から「お前も同じ目にあいてぇのか」という怒号が聞こえて、それと同時に背中に激痛が走った。
『い゙ぁぁぁぁッ!!!』
目の端っこでムチのような太い棒が振り下ろされるのが見えた。視界にチカチカと火花が散る。あまりの痛みに世界がかすむ。竹のようにしなる棒で何度も叩かれるうちに、破れた肌着が真っ赤に染まった。
『ハハハ、馬鹿女が。大人しくしときゃぁこんな目にあわねぇですんだってのによぉ……オラ、傷の消毒しといてやらぁ』
そう言った男が、うつ伏せの***に馬乗りになり、傷に沿って煙草の火を押し付けた。身動きが取れずに身体をビクビクと痙攣させて泣く***を見て、男たちはゲラゲラと笑っていた。
「……声も出なくなって、もうダメだって思った時に、お父さんが来てくれたの。しわくちゃなお金を持って‟娘を返してくれ”って。あのお金は生まれてくる弟のミルク代にしようって、皆で貯めたものだったのに」
船に乗り込んだ父に抱き起こされた。立ち上がった***の肌着の裾を、下敷きになっていた女の子がぎゅっと握っていた。力の入らない手で、***はその娘の手を上から握り返した。
『***、離すんだ!早く離しなさい!』
父に言われてもその手を離せなかった。ねぇお父さん、この子はどうなるの?こんなに酷い目にあって生きていけるの?私だけ助かるなんて許されるの?声が枯れて何も言えない。
大きな絶望感に押し潰されて、***は身動きが取れない。引っ張る父親についていくことも、すがりつく娘の手をふり払うこともできずに、ただ朦朧としたまま立ち尽くしていた。
その時いきなり、目の前の娘が立ち上がった。
『……アンタ、だけはっ……!!』
もう力も入らないはずの手で、少女は***の身体を強く押した。よろけた身体は船のヘリを越えて、真っ逆さまに落ちた。河へと落ちていく途中、景色がやけにゆっくりになって、***を突き飛ばした娘の泣き顔が見えた。その後ろに大勢の女の子たちが、絶望を浮かべた目で***を見ていた。
アンタだけは許さない。アンタだけ助かることを私たちは一生許さない。その目はそう言っていた。
ドボンと落ちた河で「誰か助けて」と思ったのが最後、そこで記憶はプツンと途切れている。気付いたら家にいて医者の治療を受けていた。誰も何も言わなかったし、***も聞かなかった。
しばらくして弟が生まれたら生活は厳しさを増し、過去を振り返る余裕なんて誰にもなかった。***もその出来事を記憶から追いやり、何も無かったことにして生きてきた。いま、こうして銀時に話すまで、ずっと。
「……ずっと忘れたフリをしてきました」
話し終えた時、銀時は何も言わずに、ただ***の背中をじっと見ていた。不安になった***が肩越しに振り返る。眉間にシワを寄せた銀時が考え込むような難しい顔をしていたので、***は慌てて口を開いた。
「ぎ、銀ちゃん?ごめん、話が分かりにくかった?え、えーと、要するに……身売りされそうになって怪我はしたけど助かった、ってことです。それで、おしまい」
そう、それでおしまい。言葉にしてしまえば大したことはない。話してみて初めて***はそう思えた。
「***、ちょっと触らせろ」
「うん、いいよ、わゎゎっ!」
有無を言わせない声でそう言った銀時は、***が頷くより早く後ろから肩を押した。前かがみになって丸まった背中の、首のすぐ下の辺りに、大きな手がそっと置かれた。
「お前、ちゃんと自分で見たことねぇだろ、これ」
「ん?うーん……背中だから、鏡越しにしか見たことないですけど……え、どうして?」
その問いに銀時は答えなかった。首の付け根の骨の出っ張りから、背骨にそって銀時の手が降りていく。ごつごつとした指先が、肩甲骨の間でふと止まって、素肌と傷の境目をゆっくりと撫でた。
「分かるか***、ここから、ここまで一直線に傷んなってる。4本、いや5本か。んで、このギザギザしてんのが縫い跡な。あと、小せぇヤケドの痕があんな。ここと、ここと……」
肩のすぐ下から腰の上までを、熱い手が斜めに滑っていった。その手が所々で止まって、浮き上がる縫い跡を指先でゆっくりとなぞった。点在するヤケド痕をひとつひとつ、親指の腹で撫でられる。
やけに繊細な手つきがくすぐったくて、***は首をすくめた。好きな人の手で触れられると、背中の感覚が鋭くなる。見えない傷痕が際立って、その存在感が鮮明に感じられた。
「でっけぇ傷だな」
「っっ!!!」
予想外の言葉に心臓が凍った。銀時はきっとこの程度の傷どうってことないと言うと思っていたから。そんなことで騒いだりしない人だから。しかし、その銀時に大きな傷だと言われたら、これは自分の汚点だと認めざるを得なくて、とてつもなく悲しい。
それでも***は必死で笑顔を作る。胸に抱いた銀時の黒いシャツをぎゅっと握りしめた。うつむくと泣きそうだったから、パっと顔を上げて肩越しに振り向いた。
「こんなの全ッ然、大したことないんだよ銀ちゃん!銭湯とかでたまに可哀想って言われるけど、もう痛くもないし、若気の至りみたいなもんです。後先考えずに飛び出して行くなんて馬鹿だよね。助けられるわけないのに、ほんと自業自得で笑っちゃいます。弟のミルク代まで無駄にして、とんでもない役立たずだよ」
あはは、と笑いながら、***は必死でまくし立てる。銀時に可哀想だと思われたくない一心で。可哀想というのは自分には当てはまらない。本当に可哀想なのはあの女の子たちだから。
「お前さぁ、なに笑ってんの」
「え……?」
遮った銀時の声は不機嫌で少し怒っているみたいだった。驚いた***はハッとして息を飲んだ。
「なにヘラヘラ笑ってんだって、聞いてんだよ」
「だ、だって、だって銀ちゃん……私は可哀想なんかじゃないから笑ってなきゃダメなんです。あの船に乗ってた子たちは、もっと酷い思いをしたのに、それなのに私が……ひとりだけ助かって、普通に生きてる私が悲しむなんて、許されるわけないですから」
あの子達は助かりたかっただろう。普通に生きて幸せになりたかっただろう。その気持ちが今でも***には、痛いほどよく分かるから。
泣きたくないのに目頭が熱くなって、視界が潤んで涙が落ちそうになる。ダメだと思ってくるりと銀時に背を向け、腕の中のシャツに顔を押し付けた。ぎゅっと膝を抱えて小さく丸くなった。
「ちげぇよ、***」
その声と同時に、縮こまった身体に太い腕が回った。後ろから抱き寄せられて、背中が筋肉質な胸に押し付けられる。足を開いて座る銀時の膝の間に引き寄せられて、下着1枚の***の全身を温もりが包み込んだ。
「お前を可哀想だなんて思わねぇよ……俺は、可哀想じゃなくて、お前を可愛いって思うわ。こんな傷だらけになっちまった昔の***がめっさ可愛い、ずっとこの傷と一緒に生きてきた***もごっさ可愛い。可愛くて可愛くて、仕方がねぇよ」
耳元でささやく声は優しかった。まるで子供をあやすような調子で言われた言葉が、***には信じられない。そんな風に言われたのは初めてで、どんな顔をしたらいいのか分からない。
「でも、銀ちゃん、さっき……でっかい傷だって」
「ああ言ったよ。確かにでっけぇ傷だからな……知ってるか***、後先考えずに飛び出して行って、こーゆーでっけぇケガする馬鹿のことを、世間では時々、正義のヒーローって呼ぶこともあんだぞ。誰も助けられなくても、傷しか残らなくても、それでも生き抜いたヤツを可哀想だなんて俺は思わねぇ……っつーか、お前は母ちゃんと弟のこと守ってんじゃねーか。でもって見ず知らずの女のことも守ろうとしたんだろ?それを役立たずなんて言うなよ。それこそ許されねぇっつーの」
優しい声と身体を包む温かさに涙腺が緩む。涙が数滴シャツに滲んだが、ぎゅっと唇を噛んでこらえた。後ろから抱きしめる銀時が***の肩に顎を乗せる。膝から顔を上げて、少し横を見たらすぐに目が合った。うつむきがちにチラッと見上げたら、銀時は「分かったか?」と言うように、首を傾げて***をのぞき込んでいた。
「ぎ、銀ちゃんは優しいから、そう言ってくれるけど……でも本当は私、こんな風に優しくされるのだって後ろめたい。過去に捕らわれて、うじうじした面倒くさい人間、銀ちゃんは嫌いだって分かってる。でも、あの子は、あの子たちは……っ!!」
———アンタだけは許さない……
再び耳にその声が響いて呼吸が止まる。深い河に引きずり込まれていく。溢れそうだった涙が引っ込むのと同時に血の気も引いて、身体が急に冷えた。
こうして銀時に抱きしめられていることも、許されないのかもしれない。生きてるだけで十分で、誰かを好きになるなんて贅沢だ。ましてや好きな相手と結ばれるなんて、あの子たちには夢のまた夢だったはず。
そう思うと身体がバラバラになりそうだった。銀時を思う気持ちが何より大切なのに、それが許されないなら、この先どうやって生きていけばいいのだろう。
「ゆ、許さないって……私だけ助かるなんて、私だけ、幸せになるなんて、許せないって、あの子が……ぁ、あの子たちがっ!」
水が肺に入ってきたように息が苦しい。冷たい汗がどっと吹き出して、全身がガタガタと震えた。目の焦点が合わずに、水の中みたいに霞んだ視界で、銀時が困惑しているのが見えた。
———銀ちゃんを失いたくない。銀ちゃんだけは諦めたくない。だけど、それは許されないことなの?———
その恐ろしさに捕らわれて、***は息もまともにできない。ただ心が恐怖に深く沈んでいくばかりだ。
「オイ!***ッ!しっかりしろ!!」
大きな声で名前を呼ばれて、強い力で肩を揺さぶられた。抱えていた膝が倒れて、ぺたりと座り込む。くるりと向きを変えられて銀時と向き合ったら、手から黒いシャツが落ちた。何も着けない乳房が丸出しになったが、***はそれすら気付かなかった。
「ぎ、銀ちゃん……もしかして私……銀ちゃんを好きでいることも、許されないのかなぁ……?」
「はっ!!!?」
ぼんやりとした目でそう問いかけると、銀時は一瞬驚いた顔をした。しかし、キッと怒りの表情を浮かべ、両手で***の頬を挟むようにパチンと叩いた。
「いッ、痛ぁ!な、なにすんですかっ!?」
「はぁぁぁぁ!?何すんですかはこっちのセリフなんですけどぉ!?オメーこそ何してんの、っつーか何言ってんのぉぉ!?***が俺を好きで何が悪いんだよ!どこの誰が許さねぇって!?オイ、そんなこと言うヤツが居るなら連れてきやがれ!銀さんがエクスカリバーでぶった斬ってやるよコノヤロー!!!!」
「ええぇぇっ!!」
ビキビキと血管が浮くほど怒りながら、銀時は***の頬をぺちぺちと叩き続けた。痛い痛い、と言う内に少しづつ視界がはっきりしてくる。肩を揺さぶられてだんだんと血の気も戻ってきた。浅い呼吸をなんとか戻そうと、***が息を吸ったのと同時に、銀時が呆れかえった顔で「はぁぁ~」と溜息をついた。
「***、オメー、とんでもねぇ勘違いしてるぞ」
「え、な、何が?」
頬を叩くのを辞めた銀時は、***の顔を両手でそっと包んだ。
「その女は***に、お前だけは助かれって言ったんだ」
「………えっ!?」
思いもよらないことを言われて、頭が真っ白になる。驚きで言葉を失った***は、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。それを見た銀時は「なんつー間抜けヅラしてんだよ」とゲラゲラ笑って、***のほっぺたを両方、指先でつまんだ。
「いたッ、ちょっ、銀ちゃんッ……そ、そんな、そんなの違うよっ!」
「違くねぇよ***、脳みそ動かしてよぉ~っく考えてみ?もし本当にお前の言う通り、***ひとりが助かるなんて許さねぇって、その女が思ってたんなら、お前じゃなくてお前の父ちゃんを突き飛ばしたはずだろ?でもそうじゃなくて、***を突き落としたっつーことはぁ」
そう言いながら銀時は、頬をつまむ指に力を入れて、ぐいぐいと引っ張った。とても痛くて涙が出そう。予想もしない話の先が恐ろしくて唇がわなないた。
「お前だけは……***だけは助かれって、こんな船からさっさと降りて、父ちゃんと一緒に逃げろって、普通の人生を生きろって言ったんだ。アンタだけは幸せになれって、自分達には許されなかった人生を、***だけは生きてくれって、そう言ったんだよ、その女は。最後の力を振り絞って」
ほっぺたを引っ張る指が離れて、もう痛くもないのに***の顔は歪んだ。眉間にシワを寄せながら、歯を食いしばって涙をこらえる顔はきっと滑稽だ。それを見られたくなくて、ぱっと顔を背ける。震える唇を隠そうと、***は手で口元を抑えた。
「ど、して……どうして銀ちゃん、私にっ……そ、っなに、やさしく、してくれるの?」
ははっ、と銀時は笑って、***に手を伸ばした。急に肩を引き寄せられて身体が傾く。膝裏にするりと手がさし込まれて横向きに抱き寄せられた。あぐらをかいて座る銀時の足の上に、すとんとお尻を下ろされて、まるであやされる赤子のように、太い腕のなかにいた。
「わっ……、や、やだ、銀ちゃんっ」
互いに裸の上半身が触れ合ってはじめて、***は自分が胸に何も纏っていないことに気付いた。慌てて両腕で乳房を隠したが、顔が真っ赤に染まる。潤んだ瞳で銀時を見たら、声もなく笑って***を見下ろしていた。
「優しいんじゃねぇよ、***」
そう言った銀時の手が、肩から背中へとするりと降りた。指を広げて大きな手のひらいっぱいを使って、***の背中の傷痕をそっと撫でた。
「***さぁ……コレ、この傷な、いままでに、俺以外の男に見せたことあんの?」
「え……?ぉ、お父さんと、あと弟は見たことありますけど」
「いや、そーゆうことじゃねんだけど……あ~、まぁ、しょうがねぇか、***はガキだから分かんねぇよな……俺は優しいんじゃなくて、***のことを全部、俺のモンにしてぇだけだよ。すぐ真っ赤んなる顔も、ちいせぇ胸も、この背中もぜ~んぶ、銀さんのモンにしてぇだけ。このさき一生、他の誰にも見せたくねぇってだけぇ……なぁなぁ***さぁ、こっから羽根が生えんだろ。あのCMのお通みてぇにでっけぇ羽根がさ。天使みてぇにバサバサッと」
「は、はぁぁ!?そんなことできるわけないじゃないですか!お通ちゃんのはああゆう衣装で、普通の人間に羽根なんて生えないよ!」
「いや、お前ならできるっつーの」
突拍子もないことを言われて、目を丸くして驚く***を、銀時は楽しそうに笑って見ていた。背中に羽根を生やす?天使みたいに?そんなの無理に決まってる。はてなマークを浮かべた***の背中の傷痕を、銀時の大きな手がぽんぽんとやさしく叩いた。
「あん時のお前が、17歳の***がまだここにいるんだろ?誰にも苦しいって言えねぇまま。悲しいって泣けねぇまんまで、ず~っと溺れてやがる。ヘラヘラ笑ってねぇで、ちゃんと泣いてやれよ***、そしたら羽根が生えて自由になれる。過去に捕らわれてうじうじしてる奴は、確かに銀さん嫌いだけど、***が自由になろうとすんなら、もがいて飛ぼうとすんなら、俺が受け止めてやらぁ。ホラ、俺しか見てねぇから泣けよ***。大丈夫だって、ぜってぇ受け止めてやっから。俺のことだけ見て、飛べよ***」
声は力強いのに、背中を叩く手が優しい。全身を包む腕が温かくて、心がほどけていく。深い河の底から強い力で引き上げられて、「もう自由になれ」と言われている気がした。自分でも気づいていなかった過去の自分が「もういいかなぁ」と言って泣き始めた。
「ぎ、銀ちゃん……」
その後は声すら出ずに涙が出た。ぼたぼたと溢れる雫が止められなかった。17歳の自分が「苦しかったよ、痛かったよ、悲しかったよ」と泣き叫んでいた。ぐずぐずと鼻をすすっても涙が止まらなくて、うっうっと嗚咽をもらした。泣き顔を隠していた両手の手首を銀時につかまれ、首に回すように引っ張られた。
「はいはい、いい子いい子~」
能天気な声で銀時は***をなだめた。その首に腕を回して、ぎゅっと抱き着く。肩に顔を押し当てて泣く***を、銀時は両腕で抱きしめ返した。素肌の胸同士が触れ合って、体温を分け合ったら、安心感が溢れてますます涙が出た。
———銀ちゃん、私、こんな風に泣くの初めてだよ。人は心が弱った時に泣くものだってずっと思ってた……だけど今は、銀ちゃんに抱きしめられている今は、泣けば泣くほど心が強くなっていく気がするの。うじうじするのはもう止めよう。悲しい時に泣いて、楽しい時に笑って、幸せでいていいんだ。自由になる為に泣いていいんだ……
小さな嗚咽だけを漏らして、***は声もなく泣き続けた。銀時も何も言わずに***の肩を抱き、あやすように背中を撫で続けている。温かい手で触れられた傷痕を、汚点だとはもう思わなかった。もしそこから羽根が生えて、捕らわれた過去から自由に飛び立てるのなら、まっすぐに銀時のもとへ飛んでいこう。泣きながら***はそう思っていた。
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【(18)捕える】end
"きみは天使(4)"
私たちの痛みがいま飛び立った