銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(2)にがい牛乳】
真っ暗な視界と刺すような目の痛み。食器用洗剤の化学的な泡の香り。遠くから新八と神楽の声が聞こえる。ごろごろと転がる背中に、床の硬さと冷たさを感じながら、銀時はただひとつのことを思っていた。
―――こんなことなら、あん時に、あのホテルの部屋で、さっさと襲って食っちまえばよかった!!!!!
思いが通じ合ったあの台風の日、甘いはずの夜の苦い記憶が、銀時の脳裏に蘇ってくる。
四つん這いの自分の下で、薄い襦袢一枚の***が無防備に寝ていた。銀時の顔を汗がダラダラと流れた。
「マ、マジでか……こいつ、寝やがった……」
つい数分前まで、泣きながらキスをせがむ***に、何度も口づけていた。ずっとして欲しかったという言葉に、自分だってしたくてたまらなかったと返しそうになって、慌てて口を閉じる為に唇を重ねた。
小さな唇は想像よりも数倍やわらかくて、指で触れるよりも数十倍、温かかった。一度でやめようと思ったのに、そのぷっくりとした感触と涙の味に脳がやられた。中毒性のある劇薬でも飲んだかのように、キスをするのをもう止められなかった。
夢中で重ねた唇が、気が付くとスヤスヤと寝息を立てている。ベッドサイドの時計は2:15を表示していた。日がないちにち昼寝をしている銀時とは違って、***は今朝も早くから配達の仕事があったのだ。この時間には眠くなって当然だと分かっている。
「いや、けどさぁ……この状況で寝るかフツー?え、どうすんのコレ」
呼吸に合わせて規則正しく上下する胸、シーツに広がる少し湿った髪、泣いたせいで目元は赤くて、キスで熱を帯びた唇は半開きだった。
「はぁぁ~、ったく、寝てるとますますガキみてぇ」
ひとりごとにしては大きな声が出たのは、本当はそう思っていないから。
今、自分の下にいるのは、女じゃなくてガキだガキ。そう自分に言い聞かせる。全力の理性で、視線を下げないよう顔を止めている。見なくてもそこには***の身体が無防備に横たわっていて、襦袢の布地の向こうに、薄いピンク色の下着が透けていることが分かっているから。
そしてその身体も顔も唇も全て、好きな女のもので、触れたくてたまらないから。
―――見たら終わる。ぜってぇ無理。ぜってぇ手が出る。手どころじゃすまねぇ、色々出ちまうだろコレェ!出ちゃいけねぇモンまで出ちまうだろーがコレェェェ!!!
視線をそらして、ホテルの部屋特有の無機質な壁を一心に見つめた。***の上から退いて、忍び足でベッドから降りようとしたら、ぐい、と背中を何かに引っ張られた。
「あ゙ぁ゙?」
振り向くと小さな手が、銀時の着物の裾をぎゅっとつかんでいた。
「っ………!!」
見下ろすと同時に***の身体が目に入ってしまい、全身から汗が吹き出した。
―――いやいやいやいやいやっ、なんなのコレ、なんなのこの子ぉぉぉ、もーいいかな!?寝込み襲ってもいいかな!?めっさ純情な告白した直後だけど、もー手ぇ出していいかな!?いいよねっ!?だって三分の一の純情な感情の、残った三分の二はムラムラが気になる感情だもんねっ!?好きな女がこんな恰好で、すぐ目の前で寝てんのに、襲わないなんてないよね?こんなもん据え膳だろーが!これでおいしく食わなかったら、男の恥だろーがぁぁぁ!!!
「……***っ、」
つぶやきながら、***の唇に噛みつこうと顔を下ろした瞬間、あるものが目に入って動きが止まる。細い手首をぐるりと巻くように、銀時の指の形に青いアザができていた。それを見た瞬間、頭に冷や水を浴びたような気がした。ハッとして寝顔の近くに力なく置かれたもう一方の手を見ると、その手首も同様だった。
鎖骨についた歯形はまだ薄っすらと血がにじんでいた。吸い付いた白い胸元の肌には、キスマークとは呼べないほど酷い鬱血の痕があった。めくれた襦袢の裾の下で、ひざ頭が赤く腫れている。無邪気に眠る顔には、ひっかき傷が熱を持って腫れていて、痛々しい。
「くそっ……!」
こんなにひどい目にあわせるつもりはなかった。こんなにケガをさせたかったわけじゃない。出来ることなら優しく触りたかった。それを後悔しても遅いことは分かっている。
傷の具合を調べる為なら、性欲を抜きに***の身体を見れた。その傷だらけの小さな身体をひと通り見てから、***につかまれたままの白い着物を脱いで、横たわる身体にかけてやった。
コインランドリーで着物を洗濯した後、気まずい思いをして救急箱を借りてきた。その中の包帯や絆創膏で、***の身体中の傷を覆った。
「ったく、世話が焼ける女だよ」
文句を言いながらも、指が勝手に***の目元を優しく撫でた。顔の左半分を覆うほどの大きな絆創膏や、手首の包帯のせいで、手当てをする前より***が満身創痍なことが強調された。
そのケガは全て、銀時のために負ったものだ。
そう思うと胸が痛む一方で、どこかで嬉しい気持ちになる。こんなにボロボロになっても自分を追いかけてきた***が、どうしようもなく愛おしい。
身勝手だと分かってはいるが、***の身体の傷が消えなければいいとすら思う。そうすれば一生、この傷をつけたのは俺で、コイツは俺のモンだと主張できるのに。そう思っている自分に気付いて、とんでもない人でなしだと銀時は自嘲した。
ほんの数時間前まで嫌われようと必死だったのに。なんとか遠ざけようとしていたのに。今や***の身体の傷ひとつ、手放したくない。自分の女になった途端、縛り付けて独占したくなる。そんな銀時の気持ちも知らずに、***は能天気に寝ている。まぶたを撫でていた手を移動して、前髪を払うと白いおでこが現れた。無防備とはこのことだと思う。
「お前はすげぇ女だよ、ほんとに……」
身体をかがめて、つるりとしたおでこに口づける。熱っぽい唇に***のひんやりとした肌は心地よかった。鼻をかすめた前髪から、いつもの甘い香りがした。
「ん……、ぎんちゃん……」
寝言で名前を呼んだ***は、探るように手を動かして、頭の上に置かれた銀時の手を、ぎゅっとにぎった。
「すき、銀ちゃん……だいすき……」
***の目尻から涙が一粒落ちた。まるで夢の中でも泣きながら、銀時を追いかけているみたいに。
「っ!!!」
銀時が手をにぎり返すと、眠ったまま***は微笑んだ。たまらなくなって思わず唇に口付けたら、閉じた唇がかすかにキスを受け止めるような動きをした。もう一方の***の手もつかむと指を絡めて、顔の横のシーツに押し付ける。
―――やばいやばいやばいって……こんままだと最後までしちまうって。でも止まんねぇ……―――
涙に濡れる***の長い睫毛を見つめて、口づけ続ける。無抵抗なのをいいことに顔を傾けて口を開き、舌で唇をなぞろうとした瞬間、またしても別の物が目に飛び込んできた。
ベッドのシーツの波間に***の家族の写真が落ちていた。その写真の中から、***と同じ顔の母親が笑ってこちらを見ている。その無邪気な笑顔は、娘に見事に遺伝している。その娘にいま自分が覆いかぶさっていると気付くと、強烈な後ろめたさが襲ってきた。
「ぐっ!!!」
猛烈な気まずさに、咄嗟に顔を離す。***はむにゃむにゃ言いながら身じろいだだけで、全然目を覚ます気配がない。
片手で顔を覆って「はぁぁぁぁ」と深いため息をつくと、銀時は写真を拾い上げた。物言わぬ写真が「こんなに純粋で無垢な女を襲うのは間違っている」「それも起きている時ならまだしも寝込みをなんて」「お前はそんなに汚いことをする男なのか」と言っている気がする。
写真を伏せて***の顔の横に置くと、その手で寝ている頭をぱしっと叩いた。***は「んぅ」と言って一瞬眉間にシワを寄せたが全く起きない。マシュマロのように柔らかいほっぺたを引っ張っても、規則正しい寝息を立て続けている。
くうくうと眠る***を心底、可愛いと思う。好きだから大切にしたい気持ちはある。しかし同時に、好きだからこそ身体ごと全部自分のモノにしたいという、どうしようもない欲望があるのも事実だ。
「うぎぎぎぎぎぎ………!」
銀髪が逆立ち、全身に鳥肌が走る。奥歯をぎりぎりと噛む。***の指と絡めていた手を一度強く握ってから、ぱっと離した。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
これ以上近くにいたら苦しむ一方だ。まさにヘビの生殺し。落ちていたクッションをつかむと、勢いよくベッドから降り、ドスドスと足音を立てて逃げ込んだのは、バスルーム。浴槽に飛び込みシャワーカーテンをシャッと閉めた。横向きに寝転がり、抱き枕のように抱えたクッションに、顔を強く押し付けた。
瞳を閉じると***の顔が浮かんできた。涙で潤んだ瞳。真っ赤なほほ。震えながら「キスしてください」と動く桃色の唇。その唇の柔らかさにもう一度触れたい、そのもっと奥まで舌を入れて口の中の温かさを知りたい。今すぐにでも。
「うがぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
クッションに顔を押し付けたまま、銀時は邪念を振り払うように、叫び声を上げた。
―――お母さんんんん!!!アンタの娘、無防備過ぎんでしょうがぁぁぁ!どういう教育してんですかぁぁぁ!!好き好き言いまくったあげく、キスされてる最中に下着丸出しで寝るなんて、嫁入り前の娘がしちゃダメでしょうがぁぁぁ!!!―――
その心の叫びと共に、甘く苦い夜は更けていった。
付き合いはじめて数日後、夕方の万事屋に「ごめんくださぁい」の声が響いた。銀時が足早に玄関へ向かうと、***が満面の笑みで「お邪魔します」と言った。新八と神楽のいる居間の戸は閉まっていた。
「ほらこれ、銀ちゃんが好きなチョコ!お徳用が安かったからまとめ買いしてきちゃいました」
そう言ってふわりと笑った顔が愛らしい。
素足のまま玄関のたたきに降りた銀時は、下駄を脱いでいる途中の***に近づく。顔を上げた***が「へ?」と言ってぽかんとした。段差を降りた勢いそのまま、銀時は抱き着いて、その身体に回した腕にぎゅっと力を入れた。
無抵抗の***のほほに、子どものように尖らせた唇をくっつけたら、ちゅ、という音がした。
「なになに***ちゃぁぁん、頭から花咲かしちゃってさぁ!そんなに銀さんに会えるのが嬉しいの?そぉ~んなに彼氏に会えて嬉しいかコノヤロー!」
そう言ってぎゅうぎゅうと抱きしめる力を強めたら、腕の中の細い身体がのけぞって「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。その悲鳴にも銀時はお構いなしで、飼い主にマーキングする犬のように、前かがみになると***の肩に伏せた顔を、ぐりぐりと押し付けた。
「~~~~っ!ぎ、ぎんっ……やめて、くださいぃぃぃ!!」
泣きそうな声が耳元で聞こえて、少し身体を離したら沸騰しているみたいな真っ赤な***の顔があった。あまりに初心な反応に笑ったが、腕を解くと***がふにゃふにゃと座り込んでしまったから、さすがに慌てた。
「へ?おいおい……っんだよお前、そんなにびっくりするかフツー?なに***、銀さんの抱擁で腰砕けになっちゃったの?さすがにそれは初心すぎねぇ?いくらなんでも免疫なさすぎやしねぇか***さぁーん」
「だだだだだだって!銀ちゃんが急に、キ、キスするからっ!かっ、神楽ちゃんたちもいるから、万事屋ではダメって、言ったじゃないですかぁ!」
「はぁ?キスってなんだよ?まさかほっぺにチューのこと?んなもんキスのうちに入んねぇだろうが。キスっつーのは口とか舌とか、もっと濃厚なヤツのことしか言わねぇの。っんだよ***、ほっぺにチューくらいでそんなに真っ赤っかになんなよ。俺ががっついてるみてぇで恥ずかしいだろーが。別に普通のキスだってしたことあんだから、いい加減慣れろよ***~。お前よかガキ共の方がよっぽど慣れてるっつーの。スキンシップだろーがスキンシップ!」
「できるなら私だって慣れたいですよっ!そりゃ銀ちゃんにとってはほっぺにチューなんて大したことないだろうけど、わたっ、私にとっては空が落ちてくるくらいの大変なことなんですっ!!ほんと言うと……銀ちゃんと目を合わせるのだって、き、緊張しちゃって……だから、急にこういうことされると、死んじゃいそうなくらい胸がドキドキするんですっ……だって私、」
片足だけ下駄が脱げた***が、玄関のタイルの上にぺたりと座り込んで泣きそうな顔をする。目の前に銀時がしゃがむと、その着物の袖を片手でぎゅっとつかんだ。真っ赤な顔で不安げに銀時を見ていたが、急にふいっと目を逸らすと、すねたような声で小さくつぶやいた。
―――だって私、男の人とお付き合いしたことないから、銀ちゃんにされることが全部はじめてなんだもん。だから緊張しちゃうんです……―――
銀時の脳天にドガァァァァンと雷が落ちたかのような衝撃が走った。とっくの昔に、***が恋愛経験がないことも、男性に慣れていないことも分かっていた。むしろそうでなきゃ駄目だ。こんなに素朴な女が、過去に何人も男を経験していたら、それこそ天と地がひっくり返るほど驚くだろう。驚くどころか絶対に嫌だ。金輪際、男は自分だけでいい。好きな女の最初で最後の男になれることほど嬉しいことはない。
しかし、こんなにもまっすぐと「銀ちゃんがはじめて」と言われたら、心底***と触れ合うことを求めている自分が、悪者のような罪悪感が襲ってくる。銀時の中で、***を大事にしたい気持ちと今すぐ触れたい欲求が、強くぶつかり合う。それは白目を剥いて身もだえるほど苦しい葛藤だった。
―――ぐおおおぉぉぉ!くっそぉぉぉぉ!!この女ぁぁぁぁ!!!……っんなこと言われて、俺はどぉしたらいーんだ!こっちは今すぐにでも、どーにかしちまいてぇと思ってるっつーのに、この女ときたら、この女ときたらぁぁぁぁ!!!!!
「あ、あの、銀ちゃん?大丈夫ですか?」
頭を抱えて「うぎぎ」とうめく銀時に向かって、***が心配そうに声をかけた。
「あ゙ぁ゙っ!?だ、大丈夫に決まってんだろーが!!よかったな***、彼女思いの優しい銀さんがはじめての彼氏で!大切にしてやるから感謝しなさい!!」
それはやけくその言葉だった。しかし***はその意図など全く気付かずに「うん、よかったです。ありがとう銀ちゃん!」とにっこり笑った。
そして付き合って一週間、銀時なりに必死で***のことを「大切にした」。急に近づくと***が不安がるし、少し触れただけでガチガチになるので、遠慮して距離を取ったり、慣れてきたころを見計らって何気なく頭を撫でたりする程度に、スキンシップは押さえていた。
それは我慢続きの苦しい一週間だった。
「いやいやいや……は、はぁぁぁぁ!!?」
大江戸スーパーのガラス窓の外で、思わず声が漏れた。迎えに来たついでに店内をのぞくと、楽しそうに男性客と談笑する***がいたから。***は緊張もせず穏やかに笑っていた。レジに来る客のほとんどが***に話しかけて、***も嬉しそうに受け答えしている。男も女も関係なく。
更には支払いでつり銭を渡すたびに、手と手が触れ合っている。もちろん男とも。
―――なにアレ!?なにあの子!?毎日あんな顔で働いてんのっ!?あんな顔されたら話しかけたくなるに決まってんだろーが!あんな「お話できて嬉しいです」みてぇな顔されたら、勘違いすんだろーが!!っつーかどいつもこいつも***に絡みすぎだろ!汚ねぇ手で触ってんじゃねぇよ!さっさと金払って帰れっつーの!!
銀時が見ている間だけでも男性客はたくさんいた。若い男から年配の者まで。ほとんどが常連客のようで、***に何気なく話しかけて愉快そうに帰って行く。
恋人である自分が***に触れることを必死で我慢しているのに、知らない男たちがやすやすと***に触れていることが許せない。奥歯をギリギリと噛みながら見ていると、銀時を指さした客につられて***がこちらを見た。
「ぎ、銀ちゃんっ!?」
驚いた顔の***の唇がそう動くのが見えた。
―――はぁーい、銀さんですよぉ。***が大好きな銀さんですよ。お前の彼氏なのに、お前に全然触れない銀さんですよぉ。……っつーか、なんなら付き合う前のほうが、色々できてたよね俺たち。
そう思うと切なくなる。自分たちは本当に付き合っているのか自信がなくなってくる。キスも数えるほどしかしてない、手を繋いだり抱きしめることも遠慮してる自分は、本当に***の彼氏なんだろうか?近づいただけで不安そうな顔をする***は、本当に自分の彼女なんだろうか?
苦行のような一週間のせいで、そんな自問自答さえしはじめた銀時に向かって、***はへらりと笑いかけた。
食後の台所で皿洗いをしている***の左ほほには、もうひっかき傷は残っていなかった。それが残念だと思う自分をろくでもない身勝手な男だと思う。しかし触れ合えないのならせめて、あの傷だけでも残っていてほしい。そうすればいろんな男に声をかけられながら働いているコイツが、自分のモノだって安心できるのに。
「努力の勲章というか両想いの証拠というか……そんなふうに思えて、傷痕でもすごく愛おしかったんです。だから、治らなくてもよかったなぁって。鏡見るたび、銀ちゃんの彼女になれたんだなぁって思えたから……」
そう言った***が、ふんわりと微笑んだ。そのうっとりとした顔を見た瞬間、一週間耐えてきた我慢が限界を超えた。
―――ああっ、もぉぉぉぉっ!なんなんだこの女ぁぁぁぁ!むりむりむりっ!我慢とかぜってぇ無理!もぉどーにでもなれ、どーとでもしてやれ、この女ぁぁぁぁ!!!
そこからは身体が求めるがままに、***を壁に押し付けて口づけようとした。緊張して泣きそうな顔も、触れられてガチガチに固まる身体も、全部食べてしまいたいほど可愛い。
好きな女に可愛いことを言われて、もう我慢なんてできない。勢いで襟に差し込んだ指に、***の胸元の肌が触れた。指に伝わる震えから、あの嵐の日に間近で見た白い肌を思い出して、背筋がぞわりと粟立った。
リビングにいる新八と神楽のことは頭のすみに追いやって、***が上げた小さな悲鳴も聞こえないふりをした。
顔を傾けて、震える唇にキスをしようとした瞬間、顔面にむぎゅ、と何かが押し付けられる。その途端、両目に網膜を焼くような痛みがビリビリと走った。
「うがぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ただ***の唇を味わいたいだけなのに。ただ自分の彼女に触れたいだけなのに。好きな女を可愛がりたいだけなのに。なぜこんなに苦しい思いをしなきゃいけない。
あれ、付き合うってなんだっけ?彼氏って?彼女ってなんだっけ?キスしたり抱きしめたり、身体を触れ合ったりしていいんじゃなかったっけ?それがなんでこんな痛い目にあうんだ?
今までにこんな経験はない。今までに***のような女と付き合ったことがない。欲しい時に身体を求め合うような、即時的で軽い恋愛ばかりしてきたから。
***にとって銀時がはじめての恋人であるように、銀時にとっても、こんなに純粋な恋愛をする相手は、***がはじめてだ。たかが小娘とずっと思っていた***との交際に、自分の方が戸惑っていることに、真っ暗な視界と痛みの中で銀時はようやく気付いた。
「あのぉ、銀ちゃん、えーと……ごめんね?だ、大丈夫?」
「大丈夫なわけねぇだろぉがぁぁぁぁ!!!」
両目を抑えたまま叫ぶ銀時に、心配そうに***が声をかける。見えなくても***の顔がまだ赤いことは分かる。ああ可愛い。こんなに可愛い女は生まれてはじめて出会った。大切にしてやりたい。でも今すぐにでも食べてしまいたい。
「ぐ、ぐぉぉぉぉぉ!!!」
心の葛藤の苦しみは、身体の痛みを上回る。思わずうなり声をあげたら、顔を伝った洗剤の泡が、口に入ってきた。まだ少し牛乳の風味が残る口の中で、それは苦い、とても苦い味がした。
慣れないふたりの恋はまだはじまったばかりだ。
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【(2)にがい牛乳】end
いただく準備しかできておりません
真っ暗な視界と刺すような目の痛み。食器用洗剤の化学的な泡の香り。遠くから新八と神楽の声が聞こえる。ごろごろと転がる背中に、床の硬さと冷たさを感じながら、銀時はただひとつのことを思っていた。
―――こんなことなら、あん時に、あのホテルの部屋で、さっさと襲って食っちまえばよかった!!!!!
思いが通じ合ったあの台風の日、甘いはずの夜の苦い記憶が、銀時の脳裏に蘇ってくる。
四つん這いの自分の下で、薄い襦袢一枚の***が無防備に寝ていた。銀時の顔を汗がダラダラと流れた。
「マ、マジでか……こいつ、寝やがった……」
つい数分前まで、泣きながらキスをせがむ***に、何度も口づけていた。ずっとして欲しかったという言葉に、自分だってしたくてたまらなかったと返しそうになって、慌てて口を閉じる為に唇を重ねた。
小さな唇は想像よりも数倍やわらかくて、指で触れるよりも数十倍、温かかった。一度でやめようと思ったのに、そのぷっくりとした感触と涙の味に脳がやられた。中毒性のある劇薬でも飲んだかのように、キスをするのをもう止められなかった。
夢中で重ねた唇が、気が付くとスヤスヤと寝息を立てている。ベッドサイドの時計は2:15を表示していた。日がないちにち昼寝をしている銀時とは違って、***は今朝も早くから配達の仕事があったのだ。この時間には眠くなって当然だと分かっている。
「いや、けどさぁ……この状況で寝るかフツー?え、どうすんのコレ」
呼吸に合わせて規則正しく上下する胸、シーツに広がる少し湿った髪、泣いたせいで目元は赤くて、キスで熱を帯びた唇は半開きだった。
「はぁぁ~、ったく、寝てるとますますガキみてぇ」
ひとりごとにしては大きな声が出たのは、本当はそう思っていないから。
今、自分の下にいるのは、女じゃなくてガキだガキ。そう自分に言い聞かせる。全力の理性で、視線を下げないよう顔を止めている。見なくてもそこには***の身体が無防備に横たわっていて、襦袢の布地の向こうに、薄いピンク色の下着が透けていることが分かっているから。
そしてその身体も顔も唇も全て、好きな女のもので、触れたくてたまらないから。
―――見たら終わる。ぜってぇ無理。ぜってぇ手が出る。手どころじゃすまねぇ、色々出ちまうだろコレェ!出ちゃいけねぇモンまで出ちまうだろーがコレェェェ!!!
視線をそらして、ホテルの部屋特有の無機質な壁を一心に見つめた。***の上から退いて、忍び足でベッドから降りようとしたら、ぐい、と背中を何かに引っ張られた。
「あ゙ぁ゙?」
振り向くと小さな手が、銀時の着物の裾をぎゅっとつかんでいた。
「っ………!!」
見下ろすと同時に***の身体が目に入ってしまい、全身から汗が吹き出した。
―――いやいやいやいやいやっ、なんなのコレ、なんなのこの子ぉぉぉ、もーいいかな!?寝込み襲ってもいいかな!?めっさ純情な告白した直後だけど、もー手ぇ出していいかな!?いいよねっ!?だって三分の一の純情な感情の、残った三分の二はムラムラが気になる感情だもんねっ!?好きな女がこんな恰好で、すぐ目の前で寝てんのに、襲わないなんてないよね?こんなもん据え膳だろーが!これでおいしく食わなかったら、男の恥だろーがぁぁぁ!!!
「……***っ、」
つぶやきながら、***の唇に噛みつこうと顔を下ろした瞬間、あるものが目に入って動きが止まる。細い手首をぐるりと巻くように、銀時の指の形に青いアザができていた。それを見た瞬間、頭に冷や水を浴びたような気がした。ハッとして寝顔の近くに力なく置かれたもう一方の手を見ると、その手首も同様だった。
鎖骨についた歯形はまだ薄っすらと血がにじんでいた。吸い付いた白い胸元の肌には、キスマークとは呼べないほど酷い鬱血の痕があった。めくれた襦袢の裾の下で、ひざ頭が赤く腫れている。無邪気に眠る顔には、ひっかき傷が熱を持って腫れていて、痛々しい。
「くそっ……!」
こんなにひどい目にあわせるつもりはなかった。こんなにケガをさせたかったわけじゃない。出来ることなら優しく触りたかった。それを後悔しても遅いことは分かっている。
傷の具合を調べる為なら、性欲を抜きに***の身体を見れた。その傷だらけの小さな身体をひと通り見てから、***につかまれたままの白い着物を脱いで、横たわる身体にかけてやった。
コインランドリーで着物を洗濯した後、気まずい思いをして救急箱を借りてきた。その中の包帯や絆創膏で、***の身体中の傷を覆った。
「ったく、世話が焼ける女だよ」
文句を言いながらも、指が勝手に***の目元を優しく撫でた。顔の左半分を覆うほどの大きな絆創膏や、手首の包帯のせいで、手当てをする前より***が満身創痍なことが強調された。
そのケガは全て、銀時のために負ったものだ。
そう思うと胸が痛む一方で、どこかで嬉しい気持ちになる。こんなにボロボロになっても自分を追いかけてきた***が、どうしようもなく愛おしい。
身勝手だと分かってはいるが、***の身体の傷が消えなければいいとすら思う。そうすれば一生、この傷をつけたのは俺で、コイツは俺のモンだと主張できるのに。そう思っている自分に気付いて、とんでもない人でなしだと銀時は自嘲した。
ほんの数時間前まで嫌われようと必死だったのに。なんとか遠ざけようとしていたのに。今や***の身体の傷ひとつ、手放したくない。自分の女になった途端、縛り付けて独占したくなる。そんな銀時の気持ちも知らずに、***は能天気に寝ている。まぶたを撫でていた手を移動して、前髪を払うと白いおでこが現れた。無防備とはこのことだと思う。
「お前はすげぇ女だよ、ほんとに……」
身体をかがめて、つるりとしたおでこに口づける。熱っぽい唇に***のひんやりとした肌は心地よかった。鼻をかすめた前髪から、いつもの甘い香りがした。
「ん……、ぎんちゃん……」
寝言で名前を呼んだ***は、探るように手を動かして、頭の上に置かれた銀時の手を、ぎゅっとにぎった。
「すき、銀ちゃん……だいすき……」
***の目尻から涙が一粒落ちた。まるで夢の中でも泣きながら、銀時を追いかけているみたいに。
「っ!!!」
銀時が手をにぎり返すと、眠ったまま***は微笑んだ。たまらなくなって思わず唇に口付けたら、閉じた唇がかすかにキスを受け止めるような動きをした。もう一方の***の手もつかむと指を絡めて、顔の横のシーツに押し付ける。
―――やばいやばいやばいって……こんままだと最後までしちまうって。でも止まんねぇ……―――
涙に濡れる***の長い睫毛を見つめて、口づけ続ける。無抵抗なのをいいことに顔を傾けて口を開き、舌で唇をなぞろうとした瞬間、またしても別の物が目に飛び込んできた。
ベッドのシーツの波間に***の家族の写真が落ちていた。その写真の中から、***と同じ顔の母親が笑ってこちらを見ている。その無邪気な笑顔は、娘に見事に遺伝している。その娘にいま自分が覆いかぶさっていると気付くと、強烈な後ろめたさが襲ってきた。
「ぐっ!!!」
猛烈な気まずさに、咄嗟に顔を離す。***はむにゃむにゃ言いながら身じろいだだけで、全然目を覚ます気配がない。
片手で顔を覆って「はぁぁぁぁ」と深いため息をつくと、銀時は写真を拾い上げた。物言わぬ写真が「こんなに純粋で無垢な女を襲うのは間違っている」「それも起きている時ならまだしも寝込みをなんて」「お前はそんなに汚いことをする男なのか」と言っている気がする。
写真を伏せて***の顔の横に置くと、その手で寝ている頭をぱしっと叩いた。***は「んぅ」と言って一瞬眉間にシワを寄せたが全く起きない。マシュマロのように柔らかいほっぺたを引っ張っても、規則正しい寝息を立て続けている。
くうくうと眠る***を心底、可愛いと思う。好きだから大切にしたい気持ちはある。しかし同時に、好きだからこそ身体ごと全部自分のモノにしたいという、どうしようもない欲望があるのも事実だ。
「うぎぎぎぎぎぎ………!」
銀髪が逆立ち、全身に鳥肌が走る。奥歯をぎりぎりと噛む。***の指と絡めていた手を一度強く握ってから、ぱっと離した。
「ちくしょぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
これ以上近くにいたら苦しむ一方だ。まさにヘビの生殺し。落ちていたクッションをつかむと、勢いよくベッドから降り、ドスドスと足音を立てて逃げ込んだのは、バスルーム。浴槽に飛び込みシャワーカーテンをシャッと閉めた。横向きに寝転がり、抱き枕のように抱えたクッションに、顔を強く押し付けた。
瞳を閉じると***の顔が浮かんできた。涙で潤んだ瞳。真っ赤なほほ。震えながら「キスしてください」と動く桃色の唇。その唇の柔らかさにもう一度触れたい、そのもっと奥まで舌を入れて口の中の温かさを知りたい。今すぐにでも。
「うがぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
クッションに顔を押し付けたまま、銀時は邪念を振り払うように、叫び声を上げた。
―――お母さんんんん!!!アンタの娘、無防備過ぎんでしょうがぁぁぁ!どういう教育してんですかぁぁぁ!!好き好き言いまくったあげく、キスされてる最中に下着丸出しで寝るなんて、嫁入り前の娘がしちゃダメでしょうがぁぁぁ!!!―――
その心の叫びと共に、甘く苦い夜は更けていった。
付き合いはじめて数日後、夕方の万事屋に「ごめんくださぁい」の声が響いた。銀時が足早に玄関へ向かうと、***が満面の笑みで「お邪魔します」と言った。新八と神楽のいる居間の戸は閉まっていた。
「ほらこれ、銀ちゃんが好きなチョコ!お徳用が安かったからまとめ買いしてきちゃいました」
そう言ってふわりと笑った顔が愛らしい。
素足のまま玄関のたたきに降りた銀時は、下駄を脱いでいる途中の***に近づく。顔を上げた***が「へ?」と言ってぽかんとした。段差を降りた勢いそのまま、銀時は抱き着いて、その身体に回した腕にぎゅっと力を入れた。
無抵抗の***のほほに、子どものように尖らせた唇をくっつけたら、ちゅ、という音がした。
「なになに***ちゃぁぁん、頭から花咲かしちゃってさぁ!そんなに銀さんに会えるのが嬉しいの?そぉ~んなに彼氏に会えて嬉しいかコノヤロー!」
そう言ってぎゅうぎゅうと抱きしめる力を強めたら、腕の中の細い身体がのけぞって「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。その悲鳴にも銀時はお構いなしで、飼い主にマーキングする犬のように、前かがみになると***の肩に伏せた顔を、ぐりぐりと押し付けた。
「~~~~っ!ぎ、ぎんっ……やめて、くださいぃぃぃ!!」
泣きそうな声が耳元で聞こえて、少し身体を離したら沸騰しているみたいな真っ赤な***の顔があった。あまりに初心な反応に笑ったが、腕を解くと***がふにゃふにゃと座り込んでしまったから、さすがに慌てた。
「へ?おいおい……っんだよお前、そんなにびっくりするかフツー?なに***、銀さんの抱擁で腰砕けになっちゃったの?さすがにそれは初心すぎねぇ?いくらなんでも免疫なさすぎやしねぇか***さぁーん」
「だだだだだだって!銀ちゃんが急に、キ、キスするからっ!かっ、神楽ちゃんたちもいるから、万事屋ではダメって、言ったじゃないですかぁ!」
「はぁ?キスってなんだよ?まさかほっぺにチューのこと?んなもんキスのうちに入んねぇだろうが。キスっつーのは口とか舌とか、もっと濃厚なヤツのことしか言わねぇの。っんだよ***、ほっぺにチューくらいでそんなに真っ赤っかになんなよ。俺ががっついてるみてぇで恥ずかしいだろーが。別に普通のキスだってしたことあんだから、いい加減慣れろよ***~。お前よかガキ共の方がよっぽど慣れてるっつーの。スキンシップだろーがスキンシップ!」
「できるなら私だって慣れたいですよっ!そりゃ銀ちゃんにとってはほっぺにチューなんて大したことないだろうけど、わたっ、私にとっては空が落ちてくるくらいの大変なことなんですっ!!ほんと言うと……銀ちゃんと目を合わせるのだって、き、緊張しちゃって……だから、急にこういうことされると、死んじゃいそうなくらい胸がドキドキするんですっ……だって私、」
片足だけ下駄が脱げた***が、玄関のタイルの上にぺたりと座り込んで泣きそうな顔をする。目の前に銀時がしゃがむと、その着物の袖を片手でぎゅっとつかんだ。真っ赤な顔で不安げに銀時を見ていたが、急にふいっと目を逸らすと、すねたような声で小さくつぶやいた。
―――だって私、男の人とお付き合いしたことないから、銀ちゃんにされることが全部はじめてなんだもん。だから緊張しちゃうんです……―――
銀時の脳天にドガァァァァンと雷が落ちたかのような衝撃が走った。とっくの昔に、***が恋愛経験がないことも、男性に慣れていないことも分かっていた。むしろそうでなきゃ駄目だ。こんなに素朴な女が、過去に何人も男を経験していたら、それこそ天と地がひっくり返るほど驚くだろう。驚くどころか絶対に嫌だ。金輪際、男は自分だけでいい。好きな女の最初で最後の男になれることほど嬉しいことはない。
しかし、こんなにもまっすぐと「銀ちゃんがはじめて」と言われたら、心底***と触れ合うことを求めている自分が、悪者のような罪悪感が襲ってくる。銀時の中で、***を大事にしたい気持ちと今すぐ触れたい欲求が、強くぶつかり合う。それは白目を剥いて身もだえるほど苦しい葛藤だった。
―――ぐおおおぉぉぉ!くっそぉぉぉぉ!!この女ぁぁぁぁ!!!……っんなこと言われて、俺はどぉしたらいーんだ!こっちは今すぐにでも、どーにかしちまいてぇと思ってるっつーのに、この女ときたら、この女ときたらぁぁぁぁ!!!!!
「あ、あの、銀ちゃん?大丈夫ですか?」
頭を抱えて「うぎぎ」とうめく銀時に向かって、***が心配そうに声をかけた。
「あ゙ぁ゙っ!?だ、大丈夫に決まってんだろーが!!よかったな***、彼女思いの優しい銀さんがはじめての彼氏で!大切にしてやるから感謝しなさい!!」
それはやけくその言葉だった。しかし***はその意図など全く気付かずに「うん、よかったです。ありがとう銀ちゃん!」とにっこり笑った。
そして付き合って一週間、銀時なりに必死で***のことを「大切にした」。急に近づくと***が不安がるし、少し触れただけでガチガチになるので、遠慮して距離を取ったり、慣れてきたころを見計らって何気なく頭を撫でたりする程度に、スキンシップは押さえていた。
それは我慢続きの苦しい一週間だった。
「いやいやいや……は、はぁぁぁぁ!!?」
大江戸スーパーのガラス窓の外で、思わず声が漏れた。迎えに来たついでに店内をのぞくと、楽しそうに男性客と談笑する***がいたから。***は緊張もせず穏やかに笑っていた。レジに来る客のほとんどが***に話しかけて、***も嬉しそうに受け答えしている。男も女も関係なく。
更には支払いでつり銭を渡すたびに、手と手が触れ合っている。もちろん男とも。
―――なにアレ!?なにあの子!?毎日あんな顔で働いてんのっ!?あんな顔されたら話しかけたくなるに決まってんだろーが!あんな「お話できて嬉しいです」みてぇな顔されたら、勘違いすんだろーが!!っつーかどいつもこいつも***に絡みすぎだろ!汚ねぇ手で触ってんじゃねぇよ!さっさと金払って帰れっつーの!!
銀時が見ている間だけでも男性客はたくさんいた。若い男から年配の者まで。ほとんどが常連客のようで、***に何気なく話しかけて愉快そうに帰って行く。
恋人である自分が***に触れることを必死で我慢しているのに、知らない男たちがやすやすと***に触れていることが許せない。奥歯をギリギリと噛みながら見ていると、銀時を指さした客につられて***がこちらを見た。
「ぎ、銀ちゃんっ!?」
驚いた顔の***の唇がそう動くのが見えた。
―――はぁーい、銀さんですよぉ。***が大好きな銀さんですよ。お前の彼氏なのに、お前に全然触れない銀さんですよぉ。……っつーか、なんなら付き合う前のほうが、色々できてたよね俺たち。
そう思うと切なくなる。自分たちは本当に付き合っているのか自信がなくなってくる。キスも数えるほどしかしてない、手を繋いだり抱きしめることも遠慮してる自分は、本当に***の彼氏なんだろうか?近づいただけで不安そうな顔をする***は、本当に自分の彼女なんだろうか?
苦行のような一週間のせいで、そんな自問自答さえしはじめた銀時に向かって、***はへらりと笑いかけた。
食後の台所で皿洗いをしている***の左ほほには、もうひっかき傷は残っていなかった。それが残念だと思う自分をろくでもない身勝手な男だと思う。しかし触れ合えないのならせめて、あの傷だけでも残っていてほしい。そうすればいろんな男に声をかけられながら働いているコイツが、自分のモノだって安心できるのに。
「努力の勲章というか両想いの証拠というか……そんなふうに思えて、傷痕でもすごく愛おしかったんです。だから、治らなくてもよかったなぁって。鏡見るたび、銀ちゃんの彼女になれたんだなぁって思えたから……」
そう言った***が、ふんわりと微笑んだ。そのうっとりとした顔を見た瞬間、一週間耐えてきた我慢が限界を超えた。
―――ああっ、もぉぉぉぉっ!なんなんだこの女ぁぁぁぁ!むりむりむりっ!我慢とかぜってぇ無理!もぉどーにでもなれ、どーとでもしてやれ、この女ぁぁぁぁ!!!
そこからは身体が求めるがままに、***を壁に押し付けて口づけようとした。緊張して泣きそうな顔も、触れられてガチガチに固まる身体も、全部食べてしまいたいほど可愛い。
好きな女に可愛いことを言われて、もう我慢なんてできない。勢いで襟に差し込んだ指に、***の胸元の肌が触れた。指に伝わる震えから、あの嵐の日に間近で見た白い肌を思い出して、背筋がぞわりと粟立った。
リビングにいる新八と神楽のことは頭のすみに追いやって、***が上げた小さな悲鳴も聞こえないふりをした。
顔を傾けて、震える唇にキスをしようとした瞬間、顔面にむぎゅ、と何かが押し付けられる。その途端、両目に網膜を焼くような痛みがビリビリと走った。
「うがぁぁぁぁぁ!!!!!!」
ただ***の唇を味わいたいだけなのに。ただ自分の彼女に触れたいだけなのに。好きな女を可愛がりたいだけなのに。なぜこんなに苦しい思いをしなきゃいけない。
あれ、付き合うってなんだっけ?彼氏って?彼女ってなんだっけ?キスしたり抱きしめたり、身体を触れ合ったりしていいんじゃなかったっけ?それがなんでこんな痛い目にあうんだ?
今までにこんな経験はない。今までに***のような女と付き合ったことがない。欲しい時に身体を求め合うような、即時的で軽い恋愛ばかりしてきたから。
***にとって銀時がはじめての恋人であるように、銀時にとっても、こんなに純粋な恋愛をする相手は、***がはじめてだ。たかが小娘とずっと思っていた***との交際に、自分の方が戸惑っていることに、真っ暗な視界と痛みの中で銀時はようやく気付いた。
「あのぉ、銀ちゃん、えーと……ごめんね?だ、大丈夫?」
「大丈夫なわけねぇだろぉがぁぁぁぁ!!!」
両目を抑えたまま叫ぶ銀時に、心配そうに***が声をかける。見えなくても***の顔がまだ赤いことは分かる。ああ可愛い。こんなに可愛い女は生まれてはじめて出会った。大切にしてやりたい。でも今すぐにでも食べてしまいたい。
「ぐ、ぐぉぉぉぉぉ!!!」
心の葛藤の苦しみは、身体の痛みを上回る。思わずうなり声をあげたら、顔を伝った洗剤の泡が、口に入ってきた。まだ少し牛乳の風味が残る口の中で、それは苦い、とても苦い味がした。
慣れないふたりの恋はまだはじまったばかりだ。
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【(2)にがい牛乳】end
いただく準備しかできておりません