銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(10)果てない夢】
「***さんが倒れたぁぁぁ!!!??」
玄関先で新八が叫んだ声は、万事屋中に響き渡るほど大きな声で、押入れで寝ていた定春も飛び起きた。すぐ隣でその叫びを聞いた神楽は「うるさいアル!」と不快な顔をして、新八の頭を叩いた。ブーツを脱ぐために玄関の段差に座っていた銀時は、まるでそうなることが分かっていたように、すでに両耳に指を突っ込んで、いつも通りダルそうな目をしていた。
「な、なんでですか銀さんッ!?確かに***さん、前より痩せちゃってましたけど……でもさっき出て行った時は元気だったじゃないですか!!倒れるほど体調が悪くなるようなことが、なんかあったんですか!?そ、そんなにひどい病気だったんですか!?病院に連れて行ったんですよね!?医者は……お医者さんはなんて言ってたんですか!?まさか命にかかわるような、そんな病気じゃないでしょうね!!!?」
靴を脱いで立ち上がった銀時に、食ってかかるように新八が問いかけた。早口で喋りながら銀時にすがりつく新八のメガネの向こう側で、大きな瞳の中の黒目が、不安げにゆらゆらと揺れていた。
「なに馬鹿なこと言ってるネ、新八!あの元気な***がそんな病気になるわけないアル!どーせまた銀ちゃんが、***に変なことしたに決まってるネ!この変態天パァァァ!***に何をしたアルか!今度はどんなセクハラしたのヨ!?焼肉行くってだまして、変なところに連れ込んだんでしょ!!正直に言わないと、そのチリチリ白髪全部むしり取ってやるネェェェ!!!」
そう言うより早く、銀時の頭に手を伸ばした神楽が、グイグイと髪を引っ張っていた。後ろから銀時の頭にひっつくと、腰に両足を回して飛びついてきた。神楽は不安な時ほどこうして、物理的な距離を縮めようとする。それを銀時はよく分かっているから、言動はいつもどおりの勢いの神楽が、内心は新八の言葉に動揺しているのは明らかだった。
前から胸元に新八がすがりついて、後ろから頭に神楽がしがみついている状態で、銀時は居間へと歩き続ける。いつもなら「うるっせぇぇぇ!」と声を荒げて、いともたやすくふたりをふり払うはずの銀時が、そうしない。面倒くさそうな歩き方はいつも通り。髪を引っ張られて「いていて」という声も普段どおり気だるげだ。
しかし銀時がどこかいつもと違うことが、新八と神楽の胸をざわつかせた。
ふり払われるなり怒鳴られるなり、やり返されると思っていたことがやってこなくて、新八はますます不安になった。***がそんなに悪いのかと想像したら、勝手に涙が出そうになった。その新八の顔を、銀時の頭越しに見た神楽が、ハッと息を飲んで銀髪をむしっていた手を止めた。
「ぎ、銀さん!黙ってないでなんとか言ってくださいよ!!」
「そうネ!***がどうしたのヨ!さっさと言うヨロシ!!」
三人ひっついて、まるで団子のようになって居間へ入る。のそのそと出てきた定春が、銀時の顔を見てから不思議そうに首をかしげた。ゆっくりと銀時に近づいた定春は、新八を押しのけて白い着物と黒いシャツの胸元を、くんくん、と嗅いだ。その後まわりをキョロキョロと見たが***がいないことに気付くと、寂しそうに「くぅ~ん」と鳴いた。
「そうかよ定春……お前もこいつらとおんなじか」
定春を撫でながらそう言った銀時の声は静かだった。万事屋にひとり帰ってきて、玄関先でいきなり「***が倒れて入院することになった」と言ったきり、ずっと銀時は押し黙っていた。久々に喋ったと思ったら、らしくもない静かな声で、驚いた神楽が頭から降りる。解放された銀時は「はぁぁぁ~」と深いため息をついてから、ソファに座った。
「新八、神楽、お前らなに勘違いしてんの。***はたしかにぶっ倒れて入院することになったけど、メシ食ってよく寝りゃ元気になるってよ。ストレスと過労で、胃だか腸だかが炎症してるってヤブ医者が言ってたけどなぁ、俺から言わせりゃ***が弱った理由は、あいつが大馬鹿だからだ」
「「なっ……!!」」
死んだ魚のような目で銀時が言い放った言葉に、新八と神楽は驚愕した。***が倒れたことで、てっきり銀時が落ち込んでいるように見えたから、まさかそんなことを言うとは思いもしなかった。
ふたりそろって眉間にシワを寄せて「なんてことを言うんだ」とつかみかかろうとしたが、先手を打つように銀時が一冊のノートをテーブルにポンと置いた。それはボロボロのノートだった。
「これ……***さんのノートですか?」
そう言って新八がノートを手に取り、ページをめくる。隣から神楽がのぞきこんで、そこに書かれている***の文字を読み上げた。
「“社長になったらやりたいこと”?なにコレ、こんな子どもみたいなこと***が書いてたアルか?」
“社長になったらやりたいこと”
(1)万事屋の家賃を10年先まで前払いする
(2)万事屋の建物を土地ごと買い取る
(3)万事屋を改築して広くする
(4)万事屋をみんなで暮らせるお家にする
(5)銀ちゃんの寝室をもっと広くする
(みんなで並んで寝られるくらい)
(6)神楽ちゃんの押入れを広くする
(お父さんが来たら一緒に過ごせるように)
(7)新八くんがお通ちゃんを歌える部屋を作る
(音漏れで怒られないよう防音にする)
(8)定春のための部屋を作る
(もふもふしやすく広くしてエサも食べ放題)
・
・
・
そこにはひたすら、まるで子供の夢のような「やりたいこと」が几帳面な文字で書かれていた。部屋の改装計画だけではなく、酢昆布を大量に買って切らさないようにするとか、お通のポスターをたくさん貼るとか、冷蔵庫いっぱいにいちご牛乳をストックするとか、日常的な小さな夢まで書き連ねられていた。そしてそのどれもが、万事屋の面々が好きなもののことばかりだった。
「***さんが、こんなに僕らのことを考えてくれてたなんて知らなかった……」
そうつぶやきながら新八はノートをめくる。ノートの途中からは帳簿の見方、売り上げの計算式、売り上げを伸ばすための秘策など、***が勉強をしたことがページいっぱいに書き留められていた。頁を進めると几帳面な文字は少しづつ乱れて、最後の方は‟?”マークや ‟明日おじさんに聞く” という注釈ばかりになっていた。その文字の羅列には、***がどれほど苦しみながら勉強をしていたかが表れていた。
銀時がテーブルの向こうから身を乗り出して、新八からノートを取り上げる。いちばん最後のページを開いて片手に持つと、くるりと裏返してふたりに見せた。
「ホレ、これ読んでみろ、ぱっつぁん」
「え?……‟万事屋のみんなと家族になりたい”」
いちばん最後のページに、控えめにそう書かれた言葉が、***の夢のすべてだった。呆然としている新八と神楽に向かって、銀時が静かに口を開いた。
「牛乳屋のジジイが、***は無理してたって言ってたよ。俺たちのことばっか考えて、俺たちが帰ってくる場所を守るために金を稼ぎてぇって、自分を追い込みすぎてたって。昔からそういうところがあるって……はぁぁぁ~、どいつもこいつも分かってんのに、***がヘラヘラ笑ってんの見ると、つい大丈夫だって安心しちまうんだ。自分は不安でしょうがねぇのに、人を不安にさせねぇために、あいつは馬鹿みてぇに笑って生きてきたんだ、今までずっと」
いつも騒がしい万事屋に、珍しく沈黙が訪れた。なにも言わなくても全員が、***のことを思っていた。
「馬鹿アル……銀ちゃんの言う通り、***は馬鹿ネ」
それまでずっと黙っていた神楽が、急に口を開いた。その果てしない夢を叶える為に、***がどれだけ頑張っていたかが、神楽には簡単に想像できた。神楽が妹のように甘えると、***はすぐに嬉しそうな顔をして、どんな願いも叶えようとしてくれる。そんな***が、こんなに大きな夢を叶えたいと思ったら、ひと一倍張り切るに決まってる。それがどれほど***を追い詰めたかも、今ならよく分かる。
「私は……私は***のこと、とっくに家族だって思ってたアル。一緒に暮らすとか大きな家とか、そんなの関係ないネ。どんなに狭い家でも、たとえ住むところが無くても、ずっと一緒にいたいって思ってたら、それはもう家族に決まってるヨ」
「神楽ちゃんの言う通りだ。僕だって……僕だって***さんと一緒にいたい。銀さんだけじゃなくて、万事屋にとって***さんは大切な人です。こんなに……こんな風に僕らのことを思ってくれる人、家族以外のなにものでもないよ」
それを聞いた銀時は、ソファにだらしなく座ったまま、声もなく笑った。新八と神楽ならそう言うと初めから分かっていたかのような表情だった。手の中のノートの“家族になりたい”という***の文字をもう一度見る。とっくにその夢が叶っていると思ったら、銀時は笑えてきた。新八と神楽を連れて戻って、それを伝えてやったら***はきっと泣くだろう。***の泣き顔を想像すると愉快だった。
お前ら病院に行く準備をしろ、と銀時が口を開きかけたが、それを神楽の声が遮った。
「で、銀ちゃんはここで何してるアルか?」
「は……?何って、お前らも病院に来いって言いに来たに決まってんだろ。さっさと準備しろよ。起き抜けの***のアホ面、俺たちで拝んでやろうぜ。どーせまたガキみてぇにぴーぴー泣いて、見ものに決まってら」
へらっと意地の悪い笑顔を浮かべてそう言った銀時を見て、新八と神楽が顔を見合わせる。そしてふたりして呆れた表情を浮かべて白い目で銀時を見つめ返す。ふたり同時に「はぁ~」とため息をついた。
「銀さん、アンタ馬鹿なんですか。そんなの病院から電話してくればよかったでしょうが。何のこのこ帰ってきてるんですか。もしかして銀さん、弱ってる***さんを見てるのが怖くなって、逃げてきたんじゃないでしょうね?自分のせいで***さんが倒れたと思って、目が覚めた時にひとりじゃ気まずいから、僕らを巻き込もうとしてんでしょ?アンタこそガキみたいなアホ面すんの、やめてくださいよ」
「新八の言うとおりアル!***は馬鹿だけど、銀ちゃんはもっと大馬鹿ネ!倒れた彼女をほっぽり出して帰ってくるなんて、男としてあるまじき行為ヨ!あ~ぁ、こんなへなちょこな天パが彼氏だなんて、***は可哀想ネ。私が男だったら、銀ちゃんなんかに***を渡さないアル!きっと今頃、***が目を覚まして‟君をひとりにするなんてひどい彼氏だ”ってイケメンな医者にナンパされてるところネ!さっさと戻るヨロシ!取り返しのつかないことになってもいいアルか!?」
「オ、オ、オイィィィィ!お前らぁぁぁ!黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがってコノヤロー!俺はただお前らに、***のことを知らせに帰って来てやっただけじゃねぇか!それを何?のこのこ帰ってきた?男としてあるまじき行為?うるっせぇぇぇぇ!銀さんのどこがへなちょこなんだよ!弱ってる***なんて全ッ然怖くねぇし!全ッ然見てられるしぃ~!なんならいやらしい目でじろじろ見るすぃ~!***は俺にべた惚れなんだから、医者なんかにナンパされたくらいでそう簡単になびくかっつーの!今ごろ目ぇ覚まして‟銀ちゃ~ん、どこ行ったの~、早く抱きしめてぇ~”って叫んでるわ!!」
そう叫んだ銀時はバッと立ち上がると、***のノートを神楽に投げつけた。「あ~!めんどくせぇ~!馬鹿な彼女を持つと苦労するわ」と言いながら走り出した銀時は、一度も振り返らなかった。
何も言わなくても、新八と神楽が病院にやってくることは分かっていた。ドタドタと大きな足音を立てて、玄関を出て行く。数秒後にはもう原付が走り出す音が万事屋の部屋まで響いていた。
「まったくあの天パは、***さんのこととなるとすぐ弱気になるんだから。いちいち励ますこっちの身にもなってほしいよ」
遠ざかる原付の音に耳をすましながら、新八がそうつぶやいた。それにうなずきながら神楽も面倒くさそうな声を出した。
「馬鹿アルからな。銀ちゃんも***も馬鹿だから、時々私たちが喝を入れてやんなきゃ駄目なのヨ」
そう言ってふたりしてくすくすと笑ったら、後ろから定春が「ワン!」と鳴いた。神楽が定春に勢いよく抱き着いて叫んだ。
「定春ぅ~!!お前も***に会いたいアルね!!よぉっし!じゃぁ、みんなで病院にお見舞いに行くネ!!!」
「ぁれ……ぎ、ぎんちゃん……?」
目を覚ました時、***は自然とその名を呼んだが返事はなかった。ついさっきまで銀時にすがりついて、必死で痛みに耐えていたはずなのに、その姿も見えなければ、胃の痛みも無くなっていた。ベッドに起き上がって病室をきょろきょろ見回す。知らぬ間に病院着に着替えていて、腕には点滴の管が刺さっていた。
「あっ!***さん起きましたね!気分はどうですか?」
「え、えぇっと……だ、大丈夫です。もうお腹も痛くないし……」
部屋へ入ってきた若い女性の看護士は、***の顔色を見てホッとした表情を浮かべた。上半身だけを起こした***は状況がつかめずに、病室や自分の身体を眺めるしかできない。上下分かれた病院着は***には少し大きくて、ボタンで留まったパジャマのような布の下で、胸元がすーすーとする。
「苦しそうだったから着替えさせたの。今夜は泊まってもらうけどまだ貧血気味だし、倒れるといけないからお風呂は明日まで我慢してね。もし汗かいてたら、これで拭いて」
看護士は笑顔を浮かべて、サイドテーブルに水の入った洗面器と手ぬぐいを置いた。
「あ、あの……銀ちゃんは……私をここまで運んできた人がどこに行ったか、知りませんか?」
「あぁ!付き添いの銀髪のお兄さんね!そういえばさっきふら~っと出て行ったけど……***さん、ご家族には電話した?入院になるから、お父さんかお母さんか、誰かに来てもらったらどうかしら?」
腕から点滴の針を抜きながら、看護士は何気なく***にそうたずねた。
「家族は……あの、田舎が遠いので家族は来れません……心配させたくないので、元気になったら電話しようと思います」
「そう……それじゃ今夜はひとりだけど、何か不安なことがあったらいつでも呼んでね」
針の刺さっていたところに小さなテープを貼り「しばらく上から押さえててね」と言うと看護士は部屋から出て行った。横開きのドアが音もなくしまると、病室は不安になるほど静かだった。
ふらっと出て行く銀時の後ろ姿が、急に頭に浮かんで、***は猛烈に悲しくなった。目をつむる直前に見た、焦った銀時の顔を思い出すと胸が苦しい。拗ねたような声が耳に蘇る。
―――そんなに俺とセックスすんのが嫌なのかよぉ……
必死に「違う!」と叫んだけれど、それ以上の説明も弁解もできなかった。真っ暗な痛みのなかで、銀時の声が何度も自分の名前を呼ぶのを、***はただ聞いているしかできなかった。
―――ちがうの銀ちゃん、私すこし疲れてただけなの。色んなことを一度に頑張ろうとして。銀ちゃんのせいとか、銀ちゃんが嫌だとか、そんなこと一瞬も思ったことないのに……
いちばん傷つけてはいけない人を傷つけた。そう思ったら涙がじわりと浮かんできた。ベッドの上から身を乗り出して、洗面器の横の手ぬぐいを取ろうとしたが、片手がふさがってうまくいかない。洗面器に押されて、手提げ袋が机から落ちた。ひっくりかえって中身がバラバラと床に散らばる。
「あれ……」
床を見下ろして驚いた***は思わずつぶやいた。ノートがない。夢を書き綴ったノートが。学んだことを書き留めたノートが。道で倒れた時にきっとどこかに落としちゃったんだ。『サルでも分かる経営・ビジネス』の本が表紙を上にして落ちていた。
―――おじさんは私なら大丈夫だって言ってたけど、この本を少しも理解できない私に、お店の経営なんてきっと無理だ。頑張って勉強しても、もともと学がない私はサル以下で……こんなんじゃ、あのノートに書いた夢はひとつも叶えられない。すぐへこたれてご飯も食べられなくなって倒れるような、弱くて馬鹿な私にあんな夢叶えられっこない。みんなと……万事屋のみんなと家族になるなんて……
「ぅ……うぅっく……ひ、うぁ」
ぽたぽたとシーツに涙の雫が落ちて、***は両手で顔を覆った。悔しさで胸がいっぱいになる。暗くなった視界に、新八と神楽と定春、そして銀時の顔が見えた。
どうしてもあの夢を叶えたかった。どうしても万事屋のみんなと家族みたいになりたかった。本当の家族と同じくらい、心の底から大切だと思う人たちだから。あの夢の為になら、どんなことだって頑張れる気がした。どんなに難しいことでも学び取れると思った。
自分の身体がどうなっても構わないくらい、銀時たちと家族になりたいと願っていた。それがどんなに果てしない夢かは、分かっていたけれど。
―――なんて私は愚かなんだろう。壮大すぎる馬鹿みたいな夢をかかげて、自分を追い込んで身体を壊して、そのせいで大切な人を傷つけてしまうなんて………
「ぎ、銀ちゃん……ごめんね……」
顔を覆った手の中で、震える唇から声が漏れた。それは弱々しいつぶやきで、言った***の耳にすら届くか分からないほど、小さな声だった。
「なぁ~に謝ってんだよ。ったく、そんな青い顔したヤツに謝られたくねぇつっただろうが。二回も言わせんなよ、この馬鹿が」
突然部屋に響いた声に驚いて、ぱっと顔を上げた。音もなく開いた病室のドアの前に、呆れた顔をした銀時が立っていた。
「ぎ、銀ちゃんっ……!!!」
驚くと同時に、***の身体は勝手に動いた。
銀時が戻ってきてくれたことが嬉しくて、思わずベッドから飛び降りる。両足が床について、銀時に向かって走り出そうとした身体は、貧血でぐらりと揺れた。
「***!!!」
立ち上がった瞬間にふらついて、数歩進んで前に倒れかけた***の身体を、駆け寄った銀時が抱き留めた。足に力が入らない。大きな背中に回した手で、***は必死で銀時にすがりついていた。自然と顔を銀時の胸に押し付けることになり、そこから愛おしい香りを吸い込んだら、安心感に包まれて力が抜けた。やれやれと言わんばかりに「はぁ~」とため息をついた銀時が、抱きしめた***の身体を、そのまま軽く持ち上げた。
「ご、ごめっ……銀ちゃん、ごめんね!」
「ごめんじゃねぇよ、馬鹿ッ!なんなのお前は!?生まれたての小鹿かよ!?足腰ふにゃふにゃで立てもしねぇのに、いきなり飛び降りんな!心配させんのもいーかげんにしろっつーの!!」
そう言った銀時が***をベッドまで運ぶと、ふちに座らせた。ベッドに腰かけてからも***は離れがたくて、銀時の腰に腕を回したまま、ぎゅっと抱き着いていたら、大きな手が頭をぽんぽんと撫でた。
―――あぁ…、私ずっとこうしていたい。このまま銀ちゃんにずっとくっ付いていたい。家族になれなくても、家族みたいに近くにいたいって、私はそれだけをずっと夢見てたんだ……―――
でもいつまでも夢を見ていられない。その前に言わなければいけないことがある。そう思って***は名残惜しくなりながらも、銀時の腰から腕を解いた。おずおずと顔を上げて見上げたら、銀時の赤い瞳も***を見下ろしていた。ためらいながらも口を開いたら、想像以上に震えて弱々しい声が出た。
「ぎ、銀ちゃん、わたし、私ね……」
(傷つけてごめんね、今すぐそう伝えたいのに)
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【(10)果てない夢】end
"家族になろうよ(3)"
傷つくことも大切なことだけど
「***さんが倒れたぁぁぁ!!!??」
玄関先で新八が叫んだ声は、万事屋中に響き渡るほど大きな声で、押入れで寝ていた定春も飛び起きた。すぐ隣でその叫びを聞いた神楽は「うるさいアル!」と不快な顔をして、新八の頭を叩いた。ブーツを脱ぐために玄関の段差に座っていた銀時は、まるでそうなることが分かっていたように、すでに両耳に指を突っ込んで、いつも通りダルそうな目をしていた。
「な、なんでですか銀さんッ!?確かに***さん、前より痩せちゃってましたけど……でもさっき出て行った時は元気だったじゃないですか!!倒れるほど体調が悪くなるようなことが、なんかあったんですか!?そ、そんなにひどい病気だったんですか!?病院に連れて行ったんですよね!?医者は……お医者さんはなんて言ってたんですか!?まさか命にかかわるような、そんな病気じゃないでしょうね!!!?」
靴を脱いで立ち上がった銀時に、食ってかかるように新八が問いかけた。早口で喋りながら銀時にすがりつく新八のメガネの向こう側で、大きな瞳の中の黒目が、不安げにゆらゆらと揺れていた。
「なに馬鹿なこと言ってるネ、新八!あの元気な***がそんな病気になるわけないアル!どーせまた銀ちゃんが、***に変なことしたに決まってるネ!この変態天パァァァ!***に何をしたアルか!今度はどんなセクハラしたのヨ!?焼肉行くってだまして、変なところに連れ込んだんでしょ!!正直に言わないと、そのチリチリ白髪全部むしり取ってやるネェェェ!!!」
そう言うより早く、銀時の頭に手を伸ばした神楽が、グイグイと髪を引っ張っていた。後ろから銀時の頭にひっつくと、腰に両足を回して飛びついてきた。神楽は不安な時ほどこうして、物理的な距離を縮めようとする。それを銀時はよく分かっているから、言動はいつもどおりの勢いの神楽が、内心は新八の言葉に動揺しているのは明らかだった。
前から胸元に新八がすがりついて、後ろから頭に神楽がしがみついている状態で、銀時は居間へと歩き続ける。いつもなら「うるっせぇぇぇ!」と声を荒げて、いともたやすくふたりをふり払うはずの銀時が、そうしない。面倒くさそうな歩き方はいつも通り。髪を引っ張られて「いていて」という声も普段どおり気だるげだ。
しかし銀時がどこかいつもと違うことが、新八と神楽の胸をざわつかせた。
ふり払われるなり怒鳴られるなり、やり返されると思っていたことがやってこなくて、新八はますます不安になった。***がそんなに悪いのかと想像したら、勝手に涙が出そうになった。その新八の顔を、銀時の頭越しに見た神楽が、ハッと息を飲んで銀髪をむしっていた手を止めた。
「ぎ、銀さん!黙ってないでなんとか言ってくださいよ!!」
「そうネ!***がどうしたのヨ!さっさと言うヨロシ!!」
三人ひっついて、まるで団子のようになって居間へ入る。のそのそと出てきた定春が、銀時の顔を見てから不思議そうに首をかしげた。ゆっくりと銀時に近づいた定春は、新八を押しのけて白い着物と黒いシャツの胸元を、くんくん、と嗅いだ。その後まわりをキョロキョロと見たが***がいないことに気付くと、寂しそうに「くぅ~ん」と鳴いた。
「そうかよ定春……お前もこいつらとおんなじか」
定春を撫でながらそう言った銀時の声は静かだった。万事屋にひとり帰ってきて、玄関先でいきなり「***が倒れて入院することになった」と言ったきり、ずっと銀時は押し黙っていた。久々に喋ったと思ったら、らしくもない静かな声で、驚いた神楽が頭から降りる。解放された銀時は「はぁぁぁ~」と深いため息をついてから、ソファに座った。
「新八、神楽、お前らなに勘違いしてんの。***はたしかにぶっ倒れて入院することになったけど、メシ食ってよく寝りゃ元気になるってよ。ストレスと過労で、胃だか腸だかが炎症してるってヤブ医者が言ってたけどなぁ、俺から言わせりゃ***が弱った理由は、あいつが大馬鹿だからだ」
「「なっ……!!」」
死んだ魚のような目で銀時が言い放った言葉に、新八と神楽は驚愕した。***が倒れたことで、てっきり銀時が落ち込んでいるように見えたから、まさかそんなことを言うとは思いもしなかった。
ふたりそろって眉間にシワを寄せて「なんてことを言うんだ」とつかみかかろうとしたが、先手を打つように銀時が一冊のノートをテーブルにポンと置いた。それはボロボロのノートだった。
「これ……***さんのノートですか?」
そう言って新八がノートを手に取り、ページをめくる。隣から神楽がのぞきこんで、そこに書かれている***の文字を読み上げた。
「“社長になったらやりたいこと”?なにコレ、こんな子どもみたいなこと***が書いてたアルか?」
“社長になったらやりたいこと”
(1)万事屋の家賃を10年先まで前払いする
(2)万事屋の建物を土地ごと買い取る
(3)万事屋を改築して広くする
(4)万事屋をみんなで暮らせるお家にする
(5)銀ちゃんの寝室をもっと広くする
(みんなで並んで寝られるくらい)
(6)神楽ちゃんの押入れを広くする
(お父さんが来たら一緒に過ごせるように)
(7)新八くんがお通ちゃんを歌える部屋を作る
(音漏れで怒られないよう防音にする)
(8)定春のための部屋を作る
(もふもふしやすく広くしてエサも食べ放題)
・
・
・
そこにはひたすら、まるで子供の夢のような「やりたいこと」が几帳面な文字で書かれていた。部屋の改装計画だけではなく、酢昆布を大量に買って切らさないようにするとか、お通のポスターをたくさん貼るとか、冷蔵庫いっぱいにいちご牛乳をストックするとか、日常的な小さな夢まで書き連ねられていた。そしてそのどれもが、万事屋の面々が好きなもののことばかりだった。
「***さんが、こんなに僕らのことを考えてくれてたなんて知らなかった……」
そうつぶやきながら新八はノートをめくる。ノートの途中からは帳簿の見方、売り上げの計算式、売り上げを伸ばすための秘策など、***が勉強をしたことがページいっぱいに書き留められていた。頁を進めると几帳面な文字は少しづつ乱れて、最後の方は‟?”マークや ‟明日おじさんに聞く” という注釈ばかりになっていた。その文字の羅列には、***がどれほど苦しみながら勉強をしていたかが表れていた。
銀時がテーブルの向こうから身を乗り出して、新八からノートを取り上げる。いちばん最後のページを開いて片手に持つと、くるりと裏返してふたりに見せた。
「ホレ、これ読んでみろ、ぱっつぁん」
「え?……‟万事屋のみんなと家族になりたい”」
いちばん最後のページに、控えめにそう書かれた言葉が、***の夢のすべてだった。呆然としている新八と神楽に向かって、銀時が静かに口を開いた。
「牛乳屋のジジイが、***は無理してたって言ってたよ。俺たちのことばっか考えて、俺たちが帰ってくる場所を守るために金を稼ぎてぇって、自分を追い込みすぎてたって。昔からそういうところがあるって……はぁぁぁ~、どいつもこいつも分かってんのに、***がヘラヘラ笑ってんの見ると、つい大丈夫だって安心しちまうんだ。自分は不安でしょうがねぇのに、人を不安にさせねぇために、あいつは馬鹿みてぇに笑って生きてきたんだ、今までずっと」
いつも騒がしい万事屋に、珍しく沈黙が訪れた。なにも言わなくても全員が、***のことを思っていた。
「馬鹿アル……銀ちゃんの言う通り、***は馬鹿ネ」
それまでずっと黙っていた神楽が、急に口を開いた。その果てしない夢を叶える為に、***がどれだけ頑張っていたかが、神楽には簡単に想像できた。神楽が妹のように甘えると、***はすぐに嬉しそうな顔をして、どんな願いも叶えようとしてくれる。そんな***が、こんなに大きな夢を叶えたいと思ったら、ひと一倍張り切るに決まってる。それがどれほど***を追い詰めたかも、今ならよく分かる。
「私は……私は***のこと、とっくに家族だって思ってたアル。一緒に暮らすとか大きな家とか、そんなの関係ないネ。どんなに狭い家でも、たとえ住むところが無くても、ずっと一緒にいたいって思ってたら、それはもう家族に決まってるヨ」
「神楽ちゃんの言う通りだ。僕だって……僕だって***さんと一緒にいたい。銀さんだけじゃなくて、万事屋にとって***さんは大切な人です。こんなに……こんな風に僕らのことを思ってくれる人、家族以外のなにものでもないよ」
それを聞いた銀時は、ソファにだらしなく座ったまま、声もなく笑った。新八と神楽ならそう言うと初めから分かっていたかのような表情だった。手の中のノートの“家族になりたい”という***の文字をもう一度見る。とっくにその夢が叶っていると思ったら、銀時は笑えてきた。新八と神楽を連れて戻って、それを伝えてやったら***はきっと泣くだろう。***の泣き顔を想像すると愉快だった。
お前ら病院に行く準備をしろ、と銀時が口を開きかけたが、それを神楽の声が遮った。
「で、銀ちゃんはここで何してるアルか?」
「は……?何って、お前らも病院に来いって言いに来たに決まってんだろ。さっさと準備しろよ。起き抜けの***のアホ面、俺たちで拝んでやろうぜ。どーせまたガキみてぇにぴーぴー泣いて、見ものに決まってら」
へらっと意地の悪い笑顔を浮かべてそう言った銀時を見て、新八と神楽が顔を見合わせる。そしてふたりして呆れた表情を浮かべて白い目で銀時を見つめ返す。ふたり同時に「はぁ~」とため息をついた。
「銀さん、アンタ馬鹿なんですか。そんなの病院から電話してくればよかったでしょうが。何のこのこ帰ってきてるんですか。もしかして銀さん、弱ってる***さんを見てるのが怖くなって、逃げてきたんじゃないでしょうね?自分のせいで***さんが倒れたと思って、目が覚めた時にひとりじゃ気まずいから、僕らを巻き込もうとしてんでしょ?アンタこそガキみたいなアホ面すんの、やめてくださいよ」
「新八の言うとおりアル!***は馬鹿だけど、銀ちゃんはもっと大馬鹿ネ!倒れた彼女をほっぽり出して帰ってくるなんて、男としてあるまじき行為ヨ!あ~ぁ、こんなへなちょこな天パが彼氏だなんて、***は可哀想ネ。私が男だったら、銀ちゃんなんかに***を渡さないアル!きっと今頃、***が目を覚まして‟君をひとりにするなんてひどい彼氏だ”ってイケメンな医者にナンパされてるところネ!さっさと戻るヨロシ!取り返しのつかないことになってもいいアルか!?」
「オ、オ、オイィィィィ!お前らぁぁぁ!黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがってコノヤロー!俺はただお前らに、***のことを知らせに帰って来てやっただけじゃねぇか!それを何?のこのこ帰ってきた?男としてあるまじき行為?うるっせぇぇぇぇ!銀さんのどこがへなちょこなんだよ!弱ってる***なんて全ッ然怖くねぇし!全ッ然見てられるしぃ~!なんならいやらしい目でじろじろ見るすぃ~!***は俺にべた惚れなんだから、医者なんかにナンパされたくらいでそう簡単になびくかっつーの!今ごろ目ぇ覚まして‟銀ちゃ~ん、どこ行ったの~、早く抱きしめてぇ~”って叫んでるわ!!」
そう叫んだ銀時はバッと立ち上がると、***のノートを神楽に投げつけた。「あ~!めんどくせぇ~!馬鹿な彼女を持つと苦労するわ」と言いながら走り出した銀時は、一度も振り返らなかった。
何も言わなくても、新八と神楽が病院にやってくることは分かっていた。ドタドタと大きな足音を立てて、玄関を出て行く。数秒後にはもう原付が走り出す音が万事屋の部屋まで響いていた。
「まったくあの天パは、***さんのこととなるとすぐ弱気になるんだから。いちいち励ますこっちの身にもなってほしいよ」
遠ざかる原付の音に耳をすましながら、新八がそうつぶやいた。それにうなずきながら神楽も面倒くさそうな声を出した。
「馬鹿アルからな。銀ちゃんも***も馬鹿だから、時々私たちが喝を入れてやんなきゃ駄目なのヨ」
そう言ってふたりしてくすくすと笑ったら、後ろから定春が「ワン!」と鳴いた。神楽が定春に勢いよく抱き着いて叫んだ。
「定春ぅ~!!お前も***に会いたいアルね!!よぉっし!じゃぁ、みんなで病院にお見舞いに行くネ!!!」
「ぁれ……ぎ、ぎんちゃん……?」
目を覚ました時、***は自然とその名を呼んだが返事はなかった。ついさっきまで銀時にすがりついて、必死で痛みに耐えていたはずなのに、その姿も見えなければ、胃の痛みも無くなっていた。ベッドに起き上がって病室をきょろきょろ見回す。知らぬ間に病院着に着替えていて、腕には点滴の管が刺さっていた。
「あっ!***さん起きましたね!気分はどうですか?」
「え、えぇっと……だ、大丈夫です。もうお腹も痛くないし……」
部屋へ入ってきた若い女性の看護士は、***の顔色を見てホッとした表情を浮かべた。上半身だけを起こした***は状況がつかめずに、病室や自分の身体を眺めるしかできない。上下分かれた病院着は***には少し大きくて、ボタンで留まったパジャマのような布の下で、胸元がすーすーとする。
「苦しそうだったから着替えさせたの。今夜は泊まってもらうけどまだ貧血気味だし、倒れるといけないからお風呂は明日まで我慢してね。もし汗かいてたら、これで拭いて」
看護士は笑顔を浮かべて、サイドテーブルに水の入った洗面器と手ぬぐいを置いた。
「あ、あの……銀ちゃんは……私をここまで運んできた人がどこに行ったか、知りませんか?」
「あぁ!付き添いの銀髪のお兄さんね!そういえばさっきふら~っと出て行ったけど……***さん、ご家族には電話した?入院になるから、お父さんかお母さんか、誰かに来てもらったらどうかしら?」
腕から点滴の針を抜きながら、看護士は何気なく***にそうたずねた。
「家族は……あの、田舎が遠いので家族は来れません……心配させたくないので、元気になったら電話しようと思います」
「そう……それじゃ今夜はひとりだけど、何か不安なことがあったらいつでも呼んでね」
針の刺さっていたところに小さなテープを貼り「しばらく上から押さえててね」と言うと看護士は部屋から出て行った。横開きのドアが音もなくしまると、病室は不安になるほど静かだった。
ふらっと出て行く銀時の後ろ姿が、急に頭に浮かんで、***は猛烈に悲しくなった。目をつむる直前に見た、焦った銀時の顔を思い出すと胸が苦しい。拗ねたような声が耳に蘇る。
―――そんなに俺とセックスすんのが嫌なのかよぉ……
必死に「違う!」と叫んだけれど、それ以上の説明も弁解もできなかった。真っ暗な痛みのなかで、銀時の声が何度も自分の名前を呼ぶのを、***はただ聞いているしかできなかった。
―――ちがうの銀ちゃん、私すこし疲れてただけなの。色んなことを一度に頑張ろうとして。銀ちゃんのせいとか、銀ちゃんが嫌だとか、そんなこと一瞬も思ったことないのに……
いちばん傷つけてはいけない人を傷つけた。そう思ったら涙がじわりと浮かんできた。ベッドの上から身を乗り出して、洗面器の横の手ぬぐいを取ろうとしたが、片手がふさがってうまくいかない。洗面器に押されて、手提げ袋が机から落ちた。ひっくりかえって中身がバラバラと床に散らばる。
「あれ……」
床を見下ろして驚いた***は思わずつぶやいた。ノートがない。夢を書き綴ったノートが。学んだことを書き留めたノートが。道で倒れた時にきっとどこかに落としちゃったんだ。『サルでも分かる経営・ビジネス』の本が表紙を上にして落ちていた。
―――おじさんは私なら大丈夫だって言ってたけど、この本を少しも理解できない私に、お店の経営なんてきっと無理だ。頑張って勉強しても、もともと学がない私はサル以下で……こんなんじゃ、あのノートに書いた夢はひとつも叶えられない。すぐへこたれてご飯も食べられなくなって倒れるような、弱くて馬鹿な私にあんな夢叶えられっこない。みんなと……万事屋のみんなと家族になるなんて……
「ぅ……うぅっく……ひ、うぁ」
ぽたぽたとシーツに涙の雫が落ちて、***は両手で顔を覆った。悔しさで胸がいっぱいになる。暗くなった視界に、新八と神楽と定春、そして銀時の顔が見えた。
どうしてもあの夢を叶えたかった。どうしても万事屋のみんなと家族みたいになりたかった。本当の家族と同じくらい、心の底から大切だと思う人たちだから。あの夢の為になら、どんなことだって頑張れる気がした。どんなに難しいことでも学び取れると思った。
自分の身体がどうなっても構わないくらい、銀時たちと家族になりたいと願っていた。それがどんなに果てしない夢かは、分かっていたけれど。
―――なんて私は愚かなんだろう。壮大すぎる馬鹿みたいな夢をかかげて、自分を追い込んで身体を壊して、そのせいで大切な人を傷つけてしまうなんて………
「ぎ、銀ちゃん……ごめんね……」
顔を覆った手の中で、震える唇から声が漏れた。それは弱々しいつぶやきで、言った***の耳にすら届くか分からないほど、小さな声だった。
「なぁ~に謝ってんだよ。ったく、そんな青い顔したヤツに謝られたくねぇつっただろうが。二回も言わせんなよ、この馬鹿が」
突然部屋に響いた声に驚いて、ぱっと顔を上げた。音もなく開いた病室のドアの前に、呆れた顔をした銀時が立っていた。
「ぎ、銀ちゃんっ……!!!」
驚くと同時に、***の身体は勝手に動いた。
銀時が戻ってきてくれたことが嬉しくて、思わずベッドから飛び降りる。両足が床について、銀時に向かって走り出そうとした身体は、貧血でぐらりと揺れた。
「***!!!」
立ち上がった瞬間にふらついて、数歩進んで前に倒れかけた***の身体を、駆け寄った銀時が抱き留めた。足に力が入らない。大きな背中に回した手で、***は必死で銀時にすがりついていた。自然と顔を銀時の胸に押し付けることになり、そこから愛おしい香りを吸い込んだら、安心感に包まれて力が抜けた。やれやれと言わんばかりに「はぁ~」とため息をついた銀時が、抱きしめた***の身体を、そのまま軽く持ち上げた。
「ご、ごめっ……銀ちゃん、ごめんね!」
「ごめんじゃねぇよ、馬鹿ッ!なんなのお前は!?生まれたての小鹿かよ!?足腰ふにゃふにゃで立てもしねぇのに、いきなり飛び降りんな!心配させんのもいーかげんにしろっつーの!!」
そう言った銀時が***をベッドまで運ぶと、ふちに座らせた。ベッドに腰かけてからも***は離れがたくて、銀時の腰に腕を回したまま、ぎゅっと抱き着いていたら、大きな手が頭をぽんぽんと撫でた。
―――あぁ…、私ずっとこうしていたい。このまま銀ちゃんにずっとくっ付いていたい。家族になれなくても、家族みたいに近くにいたいって、私はそれだけをずっと夢見てたんだ……―――
でもいつまでも夢を見ていられない。その前に言わなければいけないことがある。そう思って***は名残惜しくなりながらも、銀時の腰から腕を解いた。おずおずと顔を上げて見上げたら、銀時の赤い瞳も***を見下ろしていた。ためらいながらも口を開いたら、想像以上に震えて弱々しい声が出た。
「ぎ、銀ちゃん、わたし、私ね……」
(傷つけてごめんね、今すぐそう伝えたいのに)
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【(10)果てない夢】end
"家族になろうよ(3)"
傷つくことも大切なことだけど