銀ちゃんの愛する女の子
おいしい牛乳(恋人)
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【(1)おいしい牛乳】
‟拝啓、お母さん
お元気ですか。私はとても元気です。今日はお知らせがあって手紙を書きます。一週間前、念願かなって、銀ちゃんとお付き合いをすることになりました。お母さん、ずっと応援してくれて、ありがとう。夢みたいに嬉しくて、まだ自分でも信じられません。
今までの人生でいちばん好きになった人が、恋人になってくれたことがあまりにも幸せで、本当にこんなに幸せでいいのか、怖いくらいです。それに私、男の人と付き合うのなんて初めてです。銀ちゃんのことは大好きだけど、一体どうしたらいいのか全然分かりません。お母さん、私、”
そこまで書いてペンを持つ手が止まる。
「はぁ~…、こんなことお母さんに書けないよ」
泣きそうな声を上げながら、***はちゃぶ台に顔を伏せた。おでこの下で便せんがクシャクシャと音を立てた。
―――お母さん、私、銀ちゃんの目を見ることすらドキドキします。少しでも触れられようものなら、心臓が破裂して死んでしまいそうです……―――
交際をはじめて一週間。今までも万事屋へは毎日のように行っていたし、付き合ったからといって日常に大きな変化はなかった。だから銀時との接し方も、今までどおりだろうと***は思っていた。
しかしそれは見当違いで、初めての彼氏となった銀時との日々は、恋愛経験のない***には慣れないことばかり。今まで平気だったことが平気じゃなくなり、肩や手指がほんの少し触れ合うだけでも、飛び跳ねるほど緊張してしまう。
一方そんな***に銀時はお構いなしで、何気なく近寄ってきて頭を撫でたり、神楽や新八がいないところで急に抱きしめたりする。その度にひどくドキドキさせられて、死ぬ思いで一週間が過ぎた。幸福感と同時に緊張感に満たされた***の胸は、息もできないほど苦しかった。
「今日は***の社長就任おめでとう会ヨ!バイト終わったらご飯食べに来るヨロシ!」
「いや、神楽ちゃん、私まだ社長じゃないよ。次期社長だからね、次期!」
「時期なんて関係ないネ。銀ちゃんの彼女なんだから、***はもう立派な万事屋の女社長アル!とにかく夕飯食べにくるのヨ!夕方、銀ちゃんが迎えにくるアル。じゃあね***、それまで仕事しっかり頑張れヨ~!!」
「ちょ、あ、神楽ちゃんっ!す、酢昆布のお金っ!払ってもらってないけどぉぉぉ!?」
昼下がりの大江戸スーパー、レジにやってきた神楽は酢昆布をかっさらって、風のように去って行った。酢昆布代を立て替えながら、神楽の言葉を思い出すと顔がにやけてくる。
夕方、銀時に会える。万事屋の皆とご飯を食べられる。しかも***のお祝い会。
嬉しくて仕方がなくて、口元が自然とほころんでしまう。通常よりも数倍増しの笑顔で接客していることに、***は自分では全然気づかない。それくらい無意識に身体から幸せが溢れだす。
「いらっしゃいませ、お待たせ致しました!」
「***ちゃん、ずいぶん嬉しそうだね。この後、万事屋の旦那とデートかい?」
「えっ!?」
5時の終業間近レジに来た常連客のおじさんに、「万事屋の旦那」と言われ***は動揺する。「デート」という単語で、自分達のことを知られていると思ったら、一瞬で顔が真っ赤になった。
「ち、ちがいますよ、おじさん!デートなんかじゃないです!」
赤面しつつもレジ作業をすまし、あっという間に支払いに移る。おじさんは財布からお札を出しながらも「いやぁ、***ちゃんがあんまりニコニコ楽しそうにしてるもんだから、てっきり彼氏とデートなのかと思ったよ」と喋り続けた。
―――かっ、彼氏っ!そ、そーだった、彼氏だった。銀ちゃんは私の彼氏なんだった……
まだ実感がわかなくて、周りにそう言われるたび***は驚いてしまう。そして顔から湯気が出そうなほど恥ずかしい。ああ、早くおじさんに立ち去ってほしい。そう思っている***に向かっておじさんは、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「ホラ、あそこに来てるしさ、***ちゃんの彼氏」
「へ…………?」
おじさんが指さした方を見る。レジの先、袋詰めの台を超え、生花売り場のガラス窓の向こうに、ヘルメットを被った銀時が立って、じっとこちらを見ていた。
いつものぼーっとしたダルそうな瞳と一瞬で目が合う。驚いて言葉を失う***に向かって、銀時は表情ひとつ変えず、面倒くさそうに片手を上げた。
「あわっ、わわわっ!ぎ、銀ちゃんっ!」
「ね、彼氏が待ってるってことは、やっぱり今日はデートなんだろ?顔の絆創膏も取れたことだし、よかったじゃないか***ちゃん」
訳知り顔のおじさんが、***を肘で小突く。「からかうのはやめてください!」と真っ赤な顔で言いながら釣銭を渡し、背中を両手で押すと、笑いながらおじさんは去って行った。
再び窓の方を見た時には、銀時はいなくなっていた。見られながら働くのは恥ずかしいと思っていた***はホッとして「ふぅ~」と深くため息をついた。
仕事を終え外に出ると、駐車場に銀時がいた。原付に乗り、ぼんやりと遠くを見ている。***は従業員用出口に立ち、離れた所からその姿を見ているだけで、胸がとくん、と鳴った。
―――か、彼氏っ!銀ちゃんは私の彼氏なんだ!う、嬉しい!嬉しすぎて死んじゃいそうなほど苦しい!お母さん助けて!!
湧き上がってくる喜びが抑えきれない。手提げ袋を胸に抱き、そこに顔を押し付けるとバタバタと足踏みをする。後ろから出てきた同僚に「***さん大丈夫?」と聞かれ、あわてて取り繕う。苦笑いをする同僚を見送った後、振り向くと銀時がこちらを見ていて、バチッと視線がかちあった。
「ぎ、銀ちゃん!迎えに来てくれて、ありがとう!!」
はにかみながら手を振って走っていく。
「おー、遅ぇよ***~。神楽が腹減ったってうるせぇし、銀さんお手製のでかいケーキがつまみ食いされて、ポッチーサイズの細いケーキになっちまうだろうが。さっさと帰るぞ」
「えっ!銀ちゃん、ケーキ作ってくれたの?ヤッター!すっごく楽しみです!!」
弾けるように笑った***の頭に、銀時がヘルメットをぎゅっと被せる。原付の後ろに乗ると、大きな手が***の腕をつかんで、あたりまえのように腰に回す。それだけでドキドキして、背中にほほを寄せると一瞬だけ目を閉じた。白い着物から銀時の香りがして、心臓が締め付けられて息ができなくなる気がした。
銀時と帰ってきた万事屋の事務所は、パーティーの準備が整えられていて、壁には以前も見たことがある‟***おめでとう”の幕が掛けられていた。それを見て飛び跳ねて喜ぶ***の頭を、銀時がぐしゃぐしゃと撫でた。新八と神楽と4人そろってご飯を食べて、牛乳屋の次期社長になったことを祝ってもらった。
「それにしても***さん、牛乳屋さんを継ぐなんてすごいじゃないですか!銀さんから聞いて、僕も神楽ちゃんもびっくりしたんですよ!」
「そうヨ***、社長になったって、どうしてもっと早く言ってくれなかったネ?水くさいアル!」
「えへへ、そうなの新八くん、神楽ちゃん。私も早く言おうと思ってたんだけど……あ、でもまだ社長になったわけじゃなくて、ゆくゆくはって話だからね」
「そーだぞお前らぁ。なぁに勘違いしてんだよ。***はいずれ店を継ぐって決まっただけで、まだ社長じゃねぇの。こーんな小娘にかる~く社長になられてたまるかっつーのぉ。この場で社長と呼ばれていいのは銀さんだけですからね。お前らも***ばっかりチヤホヤしてねぇで、この敏腕社長の俺を敬えよ」
鼻をほじりながらそう言う銀時に、新八が「アンタほどテキトーな人間を社長と認めたくないですよ」と呆れた顔で言った。神楽が「そうヨ、給料も払わない腐れ天パを社長とは呼ばないネ。もういっそ***が、万事屋の社長もやるヨロシ」と言って、怒った銀時にゲンコツを食らっていた。
久々に万事屋で4人揃ってご飯を食べる時間が***は嬉しくて、幸せで胸がいっぱいになる。終始笑顔で言い合いをする3人を眺めていた。
新八と神楽が皿洗いに行ってしまうと、居間でふたりきりになった。テレビの方を向いた銀時とソファに並んで座っていると、***の身体は緊張で固くなる。
―――なに緊張してるの***っ!付き合う前と一緒で普通にすごせばいいんだよ。ホラ、銀ちゃんだって相変わらず鼻ほじってるし、テレビしか見てないし、なんにも変わらないし……
「なぁ、***さぁ」
心の中で自分に言い聞かせていたら、急に名を呼ばれて***はぎくりとした。
「はっ、はい!なななななんでしょう?」
「なにお前………緊張してんの?」
「し、してないよっ、断じて緊張しておりません!」
振り向いた銀時を、眉間にシワを寄せて見つめる。「ぶっ」と吹き出した銀時が、にやにやしながら近づいてくる。じりじりと詰め寄られ、見つめられたら自動的に顔が熱くなった。
「いーや、めっさしてるだろ。ガチガチじゃん。ほら、こんなとこまで力入っちまって」
そう言って人差し指で、***の眉間をちょんと触る。まるでからかわれているみたいで、ますます恥ずかしくなった。
「や、だって、なんか急に近いからっ……ちょ、ちょっと、銀ちゃん、もすこし離れてくださいよ!」
「やだね、別にこんくらい近くもなんともねぇし。オイ、もっとこっちこいよ***、うしろ落っこちるぞ」
逃げるように後ずさった***は、気付くとソファの端まで来ていた。腕をつかまれてぐいっと引っ張られると、「あっ」と前に倒れる。まるで***から銀時にもたれかかるように抱き着いてしまった。
「やっ、きゅ、急に引っ張らないで……っ!!」
背中に回った銀時の手が、強く***を抱き寄せたから、顔が胸に押し付けられて声を失った。台所から神楽と新八の声が聞こえる。ふたりが戻ってきたら見られてしまうと慌てた***は、必死で銀時の身体を押し返したが、びくともしなかった。
「なぁ、***さぁ、お前いつもあんなふうに仕事してんの」
「へっ……?仕事ってスーパーのこと?そ、そうだよ、いつもあんな感じですよ」
言われたことの意味が分からなくて、***は抵抗するのを止めた。腕の中で顔を上げたら、銀時も***を見下ろしていて至近距離で目が合った。
「な、なんで?なんか変でしたか私?」
「いや、お前さぁ……ものっそい人気者じゃん。銀さんびっくりしたんですけど。来るヤツ来るヤツ全員お前のとこ行くじゃん。全員お前に話しかけんじゃん。でもってお前すっげぇへらへら笑って相手すんじゃん。なに***、お前芸能人かなんかなの?あの店のご当地アイドルでもやってんの?握手会なの?それともアレか?マスコット的ななんかか?あの店がネズミ王国だったら、お前ミ〇キー位の人気っぷりじゃねーか!銀さん、***が毎日毎日あんなに色んなヤツにちょっかい出されてると思うと、結構心配なんですけどぉ~!」
「な、なに言ってるの銀ちゃん。私、人気者じゃないよ。たまたま銀ちゃんが来てた時にお客さんがいただけだよ?スーパーに来た人は必ずレジを通るんだから、私の所に来るのは当然じゃないですか。うちの店は常連さんが多いから、みんな顔見知りみたいなものだし、少しお話するくらい普通だよ?」
あっそぉ~、と言いながら銀時は腕を解いた。ぴたりとくっついていた***の肩を持ち、ぐいっと離す。ソファのもとの位置に座り直して、視線をテレビに貼りつけると、また鼻をほじり始めた。
なんか、なんていうか銀ちゃん……すねてる?
そう思ってぽかんとした***は、銀時の横顔を見つめた。鼻をほじる指の下で少し唇が尖っている。その顔はふて腐れた時の弟の顔を思い出させた。それに気付いた途端、年上の銀時がまるで子どものように可愛く見えてきた。
でも一体何に?それまでの会話をふり返り、何が銀時の機嫌を損ねたのか***は考えた。確か人気者がどうとか言ってた、としばらく考えて「あぁ、そうか!」とひらめく。***は丸めたこぶしでポンと手を打った。
―――男の人には「女に負けたくない」というプライドがあるから、立てるべき時は立ててあげないと、子どもみたいにすねちゃうって、お母さんが言ってたっけ!!
自分より大人の銀時が弟のようで愛らしい。あまりに愉快で***は吹き出しそうになったけれど、ぐっとこらえた。「姉ちゃんなんか知らない」と怒った弟をなだめるのは、すごく得意だ。その要領で銀時の機嫌を直そうと、笑いながら声をかけた。
「銀ちゃんたら、やだなぁ、もぉ~!私なんかより、銀ちゃんのほうがよっぽど人気者なんだから、なんにも心配いりませんって!」
「………は?」
指を鼻に突っ込んだまま振り返った銀時が、目を点にして***を見る。一方***はへらっと笑って、銀時の肩をぽんぽんと叩いた。これでご機嫌斜めもまっすぐになるはず。いつも一枚上手な彼氏の、子どもっぽい一面を知った***はもう鼻高々。彼女として大収穫と思うとウキウキして笑顔が隠せない。
「私なんて、あの店でちょっと知りあいが多いってだけで、人気者でもなんでもないよ?それに比べて銀ちゃんは、この街中の人に愛されてるじゃないですか。だから私より銀ちゃんの方がよっぽど人気者です!かぶき町の人気者、万事屋の頼れる社長さんといったら銀ちゃんなんだから、そんなに心配しないくていいよぉ!」
「は……はぁぁぁぁ?なにそれ?なに言ってんのこの子?っんだよ、ぜんっぜん!ぜぇ~んぜん、伝わってないんですけどぉぉぉ!!」
「え?いや、でもほんとに銀ちゃんの方が人気だよ?今日来たおじさんだって、これから銀ちゃんとデートなんだろって声かけてきたんだよ。デートの前に顔の傷が治ってよかったなって……皆、私に話しかけながら、実は銀ちゃんのこと話したいみたいだったよ?」
はぁ~、と深いため息をついた銀時が、呆れた顔で***を見下ろした。鼻から指を抜いた手が、そのまま頭に乗せられて、髪をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「わっ、き、汚いっ!鼻くそつけないでくださいよ!」
「い~や、つけるね!つけなきゃやってらんねぇよ!だいたい***が能天気にヘラヘラしてっから、こっちは必死でツバつけようとしてるっつーのにっ!彼氏の気持ちを全ッ然分かってない彼女は、鼻くそつけられても文句は言えねぇんだよぉぉぉ」
「なにそれっ!やだぁ!!ちょっと銀ちゃんっ!!!」
ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫で続ける銀時と、その腕をつかんで逃げようとする***がギャーギャーと騒ぐ。子ども同士のケンカのようにソファで取っ組み合いをしていたら、皿洗いを終えてケーキを持ってきた新八に「なにやってんですかアンタら」と呆れられた。
ケーキを食べた後、台所で片づけをしていると銀時がやってきた。冷蔵庫から***農園の牛乳瓶を取り出すと、流しに寄りかかって皿を洗う***の隣に立った。
「銀ちゃん、今日はお祝いしてくれてありがとう。ご飯もケーキもおいしかったです。新八くんと神楽ちゃんにも報告できてよかった。まずは銀ちゃんに言ってからって思ってたから、ふたりに伝えるのが遅くなっちゃって」
牛乳を飲む銀時に向かって、***は笑いながら話しかけた。ぷは、と瓶から口を離した銀時が***を見下ろすと、じっとその左ほほを見つめた。
「いつまでガキ大将みてぇな絆創膏貼ってんのかと思って、ひやひやしたけど、綺麗に治ってよかったな」
温かい大きな手が左ほほに添えられて、顔をぐいっと銀時の方に向けられる。びっくりしたけど皿を洗っている手が泡だらけで、全く抵抗できない。見上げた銀時の目が優しく自分を見下ろしているから、胸がきゅんと跳ねた。
今日の朝までそこには大きな絆創膏が貼られていた。一週間前に引っかかれた傷痕がまだ残っていたから。「顔に傷がつくなんて」と眉をしかめる人もいたけれど、***は気にも留めなかった。
今朝、絆創膏を剥がすと、細いかさぶたが残っているだけで、よく見なければ分からないほど綺麗に治っていた。
「うん……あっという間に治っちゃいました。軽いひっかき傷で大したことないし、銀ちゃんがひやひやする必要なんてないよ」
そう言って***はへらりと笑った。はぁ?と言った銀時は怪訝な顔で、不思議なものを見るような目で***を見た。
「いや、治っちゃったってお前……顔の傷だぞ?嫁入り前の若ぇ女が、顔に傷なんてつけてちゃダメだろ。んなもんさっさと治んなきゃいけねーに決まってんだろうが」
怒ったような銀時の赤い瞳が顔のすぐ近くに寄って、じっと見つめられたら恥ずかしくなった。自分のほっぺがぽわっと赤らんだのが見なくても分かる。大きな手のひらが薄い傷痕をいたわるように、かすかに顔を撫でるのが心地よくて、うっとりしてしまう。
「うん、それはそうですけど……でも、ほら、銀ちゃんを追いかけてついた傷だから、なんていうか、こう、努力の勲章というか両想いの証拠というか……そんなふうに思えて、傷痕でもすごく愛おしかったんです。だから、治らなくてもよかったなぁって。鏡見るたび、銀ちゃんの彼女になれたんだなぁって思えたから……」
微笑みながら***がそう言うと、ほほを撫でる銀時の手がピタリと止まった。目を見開いた後で、銀時は気まずそうにぷいっと顔を逸らした。頭をガシガシと掻いた後で、突然大きな声を出した。
「あ~あ~!もぉぉ~!っくしょぉぉ!っんだよ!?なにそれ!?なに言ってくれちゃってんの!?」
「えっっっ!なんでっ!?なにも変なこと言ってないです!!」
「い~~や!言ったね!!変なことっつーかすっげぇこと言ったね!!***、お前さぁ、なに、銀さんをどうしたいの?そぉ~んな可愛いこと言って、どーゆーつもりなのぉぉぉ!!?」
「なっ、か、かわっ……!?わぁッ!ちょっと!!」
両肩を大きな手で急につかまれる。***は泡だらけの手にスポンジを持ったまま、ぐいぐいと後ろに押されていく。あっという間に背中が壁にドンと当たって、顔を上げると銀時の顔がすぐ近くにあった。
「っ………!ぎ、ぎんちゃ、」
「ガキどもがいる時にチューすんなってお前がうるせぇから、ずーーーっと我慢してたけど、もぉ無理なんですけど。***がいけないんだからね?分かってる?銀さんの気持ちも知らねぇで、ペラペラ見当違いなこと言った挙句、「銀ちゃんの彼女になれて幸せ、キスして」なぁんて可愛いこと言ったのお前だからね?」
「はっ!?そそそそそんなこと言ってない!ちょっ、ちょっと待って!ふたりが来ちゃうからっ!!あ、あのっ!えーと……ほ、ほらっ、銀ちゃん!まだ牛乳飲みかけじゃん!冷たいうちに飲みましょうよ!おいしいうちにっっっ!!!」
銀時の注意をそらそうと、流しに置かれた牛乳瓶を泡だらけの手で指さす。しかし赤い瞳は***から離れない。にやついた顔が近づいてくるから、頭に血が上って***は気を失いそうだ。肩をつかんでいた銀時の左手が降りて、合わせ襟の隙間に長い人差し指の先がするりと入ってきた。熱い指先が鎖骨の少し下のあたりの肌を撫でたから、ぞわりと鳥肌が立った。
「顔の傷は治ったけど、こっちはどーなってんの?***、銀さんに教えて。一週間も経ったから、もう消えちまった?せっかくだからもっかいつけてやるよ」
それが胸元の鬱血したキスマークのことだと気付いた瞬間、***の顔は爆発しそうなほど真っ赤になった。口をぱくぱくとさせて言葉も出なくなり、息すらできない。
「***さぁ、この一週間一回もキスしてねぇの分かってる?近づいただけでお前ガチガチんなるから、銀さん遠慮してやってたんですけど?はぁ~……そのくせ可愛いこと言って、どんだけ自分が俺を煽ってるかにも気付いてねぇんだろ。牛乳がどうしたよ?飲みかけだから何?おいしいうちにどーしろって?俺にはもっとおいしそうなもんが見えてっけど?……なぁ、***、」
スポンジを持つ手から泡がぽたりと垂れた。呼吸も忘れて固まる***の顔の横に右手が置かれ、左手の指が全部襟の中に入って、鎖骨と胸の間をさわさわと撫でていた。
***の耳元に銀時の唇が近づく。熱い息がほほをかすめると同時に、いままで聞いたことのない低く男っぽい声が、耳から滑り込んできた。
―――望みどおり食ってやろうか、***のこと。すっげぇうまそうだから―――
ささやいた直後、目を細めた銀時が顔を近づけてくる。経験の乏しい***でも、「食ってやる」の意味がなんとなく分かって、あまりの衝撃に心臓が止まるような気がした。
ひぁっ、という悲鳴がノドの奥で鳴る。震える唇にあと数センチで、銀時の唇が触れそうだった。
「っっっ!!!!!ダ……ダダダダダ、ダメに決まってるでしょうがぁぁぁぁ!!!!!」
「んぎゃッ!!!」
叫びと共に泡だらけのスポンジを銀時の顔に押し付ける。泡が目に入った銀時が「うがぁぁぁ!!!」とのけぞって倒れた。
銀時が床をのたうち回る音を聞いて、新八と神楽が台所にやってきたが、壁にもたれてずるずると座り込んだ***が茹でダコのようになっているのを見て、ふたりとも呆れた顔をした。
「銀さん、また***さんにセクハラしたんですね。自業自得ですよ。ちゃんと謝ってください。この変態天然パーマ」
「***大丈夫アルか?泣きそうネ。銀ちゃん最低ヨ。ラピュタのムスカばりにそこで一生苦しむヨロシ」
「目がっ、目がぁぁぁぁぁ!!!!!」
へなへなと座り込んだ***は、腰を抜かしていた。銀時の熱い息と低い声と言葉だけで、免疫のない身体は耐えられない。ばくばくと鳴る鼓動が耳元で聞こえる。腰くだけとはこのことかと、他人事のように***は思った。
ごろごろと転がる銀時から、スポンジの泡がシャボン玉のように飛んだ。ふわふわと長く漂ったそれが、ぱちんと弾けた後もまだ、***の顔は真っ赤なままだった。
―――お母さん、私、銀ちゃんの彼女として、やっていける自信がありません。銀ちゃんのこと大好きなのに、大好きな分だけ死にそうなほど胸が苦しくて切なくて、どうしようもないです―――
(銀ちゃんが求めることに、彼女として応えていけるのかな。こんなに何も知らない私に)
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【(1)おいしい牛乳】end
いただかれる準備はできておりません
‟拝啓、お母さん
お元気ですか。私はとても元気です。今日はお知らせがあって手紙を書きます。一週間前、念願かなって、銀ちゃんとお付き合いをすることになりました。お母さん、ずっと応援してくれて、ありがとう。夢みたいに嬉しくて、まだ自分でも信じられません。
今までの人生でいちばん好きになった人が、恋人になってくれたことがあまりにも幸せで、本当にこんなに幸せでいいのか、怖いくらいです。それに私、男の人と付き合うのなんて初めてです。銀ちゃんのことは大好きだけど、一体どうしたらいいのか全然分かりません。お母さん、私、”
そこまで書いてペンを持つ手が止まる。
「はぁ~…、こんなことお母さんに書けないよ」
泣きそうな声を上げながら、***はちゃぶ台に顔を伏せた。おでこの下で便せんがクシャクシャと音を立てた。
―――お母さん、私、銀ちゃんの目を見ることすらドキドキします。少しでも触れられようものなら、心臓が破裂して死んでしまいそうです……―――
交際をはじめて一週間。今までも万事屋へは毎日のように行っていたし、付き合ったからといって日常に大きな変化はなかった。だから銀時との接し方も、今までどおりだろうと***は思っていた。
しかしそれは見当違いで、初めての彼氏となった銀時との日々は、恋愛経験のない***には慣れないことばかり。今まで平気だったことが平気じゃなくなり、肩や手指がほんの少し触れ合うだけでも、飛び跳ねるほど緊張してしまう。
一方そんな***に銀時はお構いなしで、何気なく近寄ってきて頭を撫でたり、神楽や新八がいないところで急に抱きしめたりする。その度にひどくドキドキさせられて、死ぬ思いで一週間が過ぎた。幸福感と同時に緊張感に満たされた***の胸は、息もできないほど苦しかった。
「今日は***の社長就任おめでとう会ヨ!バイト終わったらご飯食べに来るヨロシ!」
「いや、神楽ちゃん、私まだ社長じゃないよ。次期社長だからね、次期!」
「時期なんて関係ないネ。銀ちゃんの彼女なんだから、***はもう立派な万事屋の女社長アル!とにかく夕飯食べにくるのヨ!夕方、銀ちゃんが迎えにくるアル。じゃあね***、それまで仕事しっかり頑張れヨ~!!」
「ちょ、あ、神楽ちゃんっ!す、酢昆布のお金っ!払ってもらってないけどぉぉぉ!?」
昼下がりの大江戸スーパー、レジにやってきた神楽は酢昆布をかっさらって、風のように去って行った。酢昆布代を立て替えながら、神楽の言葉を思い出すと顔がにやけてくる。
夕方、銀時に会える。万事屋の皆とご飯を食べられる。しかも***のお祝い会。
嬉しくて仕方がなくて、口元が自然とほころんでしまう。通常よりも数倍増しの笑顔で接客していることに、***は自分では全然気づかない。それくらい無意識に身体から幸せが溢れだす。
「いらっしゃいませ、お待たせ致しました!」
「***ちゃん、ずいぶん嬉しそうだね。この後、万事屋の旦那とデートかい?」
「えっ!?」
5時の終業間近レジに来た常連客のおじさんに、「万事屋の旦那」と言われ***は動揺する。「デート」という単語で、自分達のことを知られていると思ったら、一瞬で顔が真っ赤になった。
「ち、ちがいますよ、おじさん!デートなんかじゃないです!」
赤面しつつもレジ作業をすまし、あっという間に支払いに移る。おじさんは財布からお札を出しながらも「いやぁ、***ちゃんがあんまりニコニコ楽しそうにしてるもんだから、てっきり彼氏とデートなのかと思ったよ」と喋り続けた。
―――かっ、彼氏っ!そ、そーだった、彼氏だった。銀ちゃんは私の彼氏なんだった……
まだ実感がわかなくて、周りにそう言われるたび***は驚いてしまう。そして顔から湯気が出そうなほど恥ずかしい。ああ、早くおじさんに立ち去ってほしい。そう思っている***に向かっておじさんは、満面の笑みを浮かべて口を開いた。
「ホラ、あそこに来てるしさ、***ちゃんの彼氏」
「へ…………?」
おじさんが指さした方を見る。レジの先、袋詰めの台を超え、生花売り場のガラス窓の向こうに、ヘルメットを被った銀時が立って、じっとこちらを見ていた。
いつものぼーっとしたダルそうな瞳と一瞬で目が合う。驚いて言葉を失う***に向かって、銀時は表情ひとつ変えず、面倒くさそうに片手を上げた。
「あわっ、わわわっ!ぎ、銀ちゃんっ!」
「ね、彼氏が待ってるってことは、やっぱり今日はデートなんだろ?顔の絆創膏も取れたことだし、よかったじゃないか***ちゃん」
訳知り顔のおじさんが、***を肘で小突く。「からかうのはやめてください!」と真っ赤な顔で言いながら釣銭を渡し、背中を両手で押すと、笑いながらおじさんは去って行った。
再び窓の方を見た時には、銀時はいなくなっていた。見られながら働くのは恥ずかしいと思っていた***はホッとして「ふぅ~」と深くため息をついた。
仕事を終え外に出ると、駐車場に銀時がいた。原付に乗り、ぼんやりと遠くを見ている。***は従業員用出口に立ち、離れた所からその姿を見ているだけで、胸がとくん、と鳴った。
―――か、彼氏っ!銀ちゃんは私の彼氏なんだ!う、嬉しい!嬉しすぎて死んじゃいそうなほど苦しい!お母さん助けて!!
湧き上がってくる喜びが抑えきれない。手提げ袋を胸に抱き、そこに顔を押し付けるとバタバタと足踏みをする。後ろから出てきた同僚に「***さん大丈夫?」と聞かれ、あわてて取り繕う。苦笑いをする同僚を見送った後、振り向くと銀時がこちらを見ていて、バチッと視線がかちあった。
「ぎ、銀ちゃん!迎えに来てくれて、ありがとう!!」
はにかみながら手を振って走っていく。
「おー、遅ぇよ***~。神楽が腹減ったってうるせぇし、銀さんお手製のでかいケーキがつまみ食いされて、ポッチーサイズの細いケーキになっちまうだろうが。さっさと帰るぞ」
「えっ!銀ちゃん、ケーキ作ってくれたの?ヤッター!すっごく楽しみです!!」
弾けるように笑った***の頭に、銀時がヘルメットをぎゅっと被せる。原付の後ろに乗ると、大きな手が***の腕をつかんで、あたりまえのように腰に回す。それだけでドキドキして、背中にほほを寄せると一瞬だけ目を閉じた。白い着物から銀時の香りがして、心臓が締め付けられて息ができなくなる気がした。
銀時と帰ってきた万事屋の事務所は、パーティーの準備が整えられていて、壁には以前も見たことがある‟***おめでとう”の幕が掛けられていた。それを見て飛び跳ねて喜ぶ***の頭を、銀時がぐしゃぐしゃと撫でた。新八と神楽と4人そろってご飯を食べて、牛乳屋の次期社長になったことを祝ってもらった。
「それにしても***さん、牛乳屋さんを継ぐなんてすごいじゃないですか!銀さんから聞いて、僕も神楽ちゃんもびっくりしたんですよ!」
「そうヨ***、社長になったって、どうしてもっと早く言ってくれなかったネ?水くさいアル!」
「えへへ、そうなの新八くん、神楽ちゃん。私も早く言おうと思ってたんだけど……あ、でもまだ社長になったわけじゃなくて、ゆくゆくはって話だからね」
「そーだぞお前らぁ。なぁに勘違いしてんだよ。***はいずれ店を継ぐって決まっただけで、まだ社長じゃねぇの。こーんな小娘にかる~く社長になられてたまるかっつーのぉ。この場で社長と呼ばれていいのは銀さんだけですからね。お前らも***ばっかりチヤホヤしてねぇで、この敏腕社長の俺を敬えよ」
鼻をほじりながらそう言う銀時に、新八が「アンタほどテキトーな人間を社長と認めたくないですよ」と呆れた顔で言った。神楽が「そうヨ、給料も払わない腐れ天パを社長とは呼ばないネ。もういっそ***が、万事屋の社長もやるヨロシ」と言って、怒った銀時にゲンコツを食らっていた。
久々に万事屋で4人揃ってご飯を食べる時間が***は嬉しくて、幸せで胸がいっぱいになる。終始笑顔で言い合いをする3人を眺めていた。
新八と神楽が皿洗いに行ってしまうと、居間でふたりきりになった。テレビの方を向いた銀時とソファに並んで座っていると、***の身体は緊張で固くなる。
―――なに緊張してるの***っ!付き合う前と一緒で普通にすごせばいいんだよ。ホラ、銀ちゃんだって相変わらず鼻ほじってるし、テレビしか見てないし、なんにも変わらないし……
「なぁ、***さぁ」
心の中で自分に言い聞かせていたら、急に名を呼ばれて***はぎくりとした。
「はっ、はい!なななななんでしょう?」
「なにお前………緊張してんの?」
「し、してないよっ、断じて緊張しておりません!」
振り向いた銀時を、眉間にシワを寄せて見つめる。「ぶっ」と吹き出した銀時が、にやにやしながら近づいてくる。じりじりと詰め寄られ、見つめられたら自動的に顔が熱くなった。
「いーや、めっさしてるだろ。ガチガチじゃん。ほら、こんなとこまで力入っちまって」
そう言って人差し指で、***の眉間をちょんと触る。まるでからかわれているみたいで、ますます恥ずかしくなった。
「や、だって、なんか急に近いからっ……ちょ、ちょっと、銀ちゃん、もすこし離れてくださいよ!」
「やだね、別にこんくらい近くもなんともねぇし。オイ、もっとこっちこいよ***、うしろ落っこちるぞ」
逃げるように後ずさった***は、気付くとソファの端まで来ていた。腕をつかまれてぐいっと引っ張られると、「あっ」と前に倒れる。まるで***から銀時にもたれかかるように抱き着いてしまった。
「やっ、きゅ、急に引っ張らないで……っ!!」
背中に回った銀時の手が、強く***を抱き寄せたから、顔が胸に押し付けられて声を失った。台所から神楽と新八の声が聞こえる。ふたりが戻ってきたら見られてしまうと慌てた***は、必死で銀時の身体を押し返したが、びくともしなかった。
「なぁ、***さぁ、お前いつもあんなふうに仕事してんの」
「へっ……?仕事ってスーパーのこと?そ、そうだよ、いつもあんな感じですよ」
言われたことの意味が分からなくて、***は抵抗するのを止めた。腕の中で顔を上げたら、銀時も***を見下ろしていて至近距離で目が合った。
「な、なんで?なんか変でしたか私?」
「いや、お前さぁ……ものっそい人気者じゃん。銀さんびっくりしたんですけど。来るヤツ来るヤツ全員お前のとこ行くじゃん。全員お前に話しかけんじゃん。でもってお前すっげぇへらへら笑って相手すんじゃん。なに***、お前芸能人かなんかなの?あの店のご当地アイドルでもやってんの?握手会なの?それともアレか?マスコット的ななんかか?あの店がネズミ王国だったら、お前ミ〇キー位の人気っぷりじゃねーか!銀さん、***が毎日毎日あんなに色んなヤツにちょっかい出されてると思うと、結構心配なんですけどぉ~!」
「な、なに言ってるの銀ちゃん。私、人気者じゃないよ。たまたま銀ちゃんが来てた時にお客さんがいただけだよ?スーパーに来た人は必ずレジを通るんだから、私の所に来るのは当然じゃないですか。うちの店は常連さんが多いから、みんな顔見知りみたいなものだし、少しお話するくらい普通だよ?」
あっそぉ~、と言いながら銀時は腕を解いた。ぴたりとくっついていた***の肩を持ち、ぐいっと離す。ソファのもとの位置に座り直して、視線をテレビに貼りつけると、また鼻をほじり始めた。
なんか、なんていうか銀ちゃん……すねてる?
そう思ってぽかんとした***は、銀時の横顔を見つめた。鼻をほじる指の下で少し唇が尖っている。その顔はふて腐れた時の弟の顔を思い出させた。それに気付いた途端、年上の銀時がまるで子どものように可愛く見えてきた。
でも一体何に?それまでの会話をふり返り、何が銀時の機嫌を損ねたのか***は考えた。確か人気者がどうとか言ってた、としばらく考えて「あぁ、そうか!」とひらめく。***は丸めたこぶしでポンと手を打った。
―――男の人には「女に負けたくない」というプライドがあるから、立てるべき時は立ててあげないと、子どもみたいにすねちゃうって、お母さんが言ってたっけ!!
自分より大人の銀時が弟のようで愛らしい。あまりに愉快で***は吹き出しそうになったけれど、ぐっとこらえた。「姉ちゃんなんか知らない」と怒った弟をなだめるのは、すごく得意だ。その要領で銀時の機嫌を直そうと、笑いながら声をかけた。
「銀ちゃんたら、やだなぁ、もぉ~!私なんかより、銀ちゃんのほうがよっぽど人気者なんだから、なんにも心配いりませんって!」
「………は?」
指を鼻に突っ込んだまま振り返った銀時が、目を点にして***を見る。一方***はへらっと笑って、銀時の肩をぽんぽんと叩いた。これでご機嫌斜めもまっすぐになるはず。いつも一枚上手な彼氏の、子どもっぽい一面を知った***はもう鼻高々。彼女として大収穫と思うとウキウキして笑顔が隠せない。
「私なんて、あの店でちょっと知りあいが多いってだけで、人気者でもなんでもないよ?それに比べて銀ちゃんは、この街中の人に愛されてるじゃないですか。だから私より銀ちゃんの方がよっぽど人気者です!かぶき町の人気者、万事屋の頼れる社長さんといったら銀ちゃんなんだから、そんなに心配しないくていいよぉ!」
「は……はぁぁぁぁ?なにそれ?なに言ってんのこの子?っんだよ、ぜんっぜん!ぜぇ~んぜん、伝わってないんですけどぉぉぉ!!」
「え?いや、でもほんとに銀ちゃんの方が人気だよ?今日来たおじさんだって、これから銀ちゃんとデートなんだろって声かけてきたんだよ。デートの前に顔の傷が治ってよかったなって……皆、私に話しかけながら、実は銀ちゃんのこと話したいみたいだったよ?」
はぁ~、と深いため息をついた銀時が、呆れた顔で***を見下ろした。鼻から指を抜いた手が、そのまま頭に乗せられて、髪をぐしゃぐしゃと撫でられる。
「わっ、き、汚いっ!鼻くそつけないでくださいよ!」
「い~や、つけるね!つけなきゃやってらんねぇよ!だいたい***が能天気にヘラヘラしてっから、こっちは必死でツバつけようとしてるっつーのにっ!彼氏の気持ちを全ッ然分かってない彼女は、鼻くそつけられても文句は言えねぇんだよぉぉぉ」
「なにそれっ!やだぁ!!ちょっと銀ちゃんっ!!!」
ぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫で続ける銀時と、その腕をつかんで逃げようとする***がギャーギャーと騒ぐ。子ども同士のケンカのようにソファで取っ組み合いをしていたら、皿洗いを終えてケーキを持ってきた新八に「なにやってんですかアンタら」と呆れられた。
ケーキを食べた後、台所で片づけをしていると銀時がやってきた。冷蔵庫から***農園の牛乳瓶を取り出すと、流しに寄りかかって皿を洗う***の隣に立った。
「銀ちゃん、今日はお祝いしてくれてありがとう。ご飯もケーキもおいしかったです。新八くんと神楽ちゃんにも報告できてよかった。まずは銀ちゃんに言ってからって思ってたから、ふたりに伝えるのが遅くなっちゃって」
牛乳を飲む銀時に向かって、***は笑いながら話しかけた。ぷは、と瓶から口を離した銀時が***を見下ろすと、じっとその左ほほを見つめた。
「いつまでガキ大将みてぇな絆創膏貼ってんのかと思って、ひやひやしたけど、綺麗に治ってよかったな」
温かい大きな手が左ほほに添えられて、顔をぐいっと銀時の方に向けられる。びっくりしたけど皿を洗っている手が泡だらけで、全く抵抗できない。見上げた銀時の目が優しく自分を見下ろしているから、胸がきゅんと跳ねた。
今日の朝までそこには大きな絆創膏が貼られていた。一週間前に引っかかれた傷痕がまだ残っていたから。「顔に傷がつくなんて」と眉をしかめる人もいたけれど、***は気にも留めなかった。
今朝、絆創膏を剥がすと、細いかさぶたが残っているだけで、よく見なければ分からないほど綺麗に治っていた。
「うん……あっという間に治っちゃいました。軽いひっかき傷で大したことないし、銀ちゃんがひやひやする必要なんてないよ」
そう言って***はへらりと笑った。はぁ?と言った銀時は怪訝な顔で、不思議なものを見るような目で***を見た。
「いや、治っちゃったってお前……顔の傷だぞ?嫁入り前の若ぇ女が、顔に傷なんてつけてちゃダメだろ。んなもんさっさと治んなきゃいけねーに決まってんだろうが」
怒ったような銀時の赤い瞳が顔のすぐ近くに寄って、じっと見つめられたら恥ずかしくなった。自分のほっぺがぽわっと赤らんだのが見なくても分かる。大きな手のひらが薄い傷痕をいたわるように、かすかに顔を撫でるのが心地よくて、うっとりしてしまう。
「うん、それはそうですけど……でも、ほら、銀ちゃんを追いかけてついた傷だから、なんていうか、こう、努力の勲章というか両想いの証拠というか……そんなふうに思えて、傷痕でもすごく愛おしかったんです。だから、治らなくてもよかったなぁって。鏡見るたび、銀ちゃんの彼女になれたんだなぁって思えたから……」
微笑みながら***がそう言うと、ほほを撫でる銀時の手がピタリと止まった。目を見開いた後で、銀時は気まずそうにぷいっと顔を逸らした。頭をガシガシと掻いた後で、突然大きな声を出した。
「あ~あ~!もぉぉ~!っくしょぉぉ!っんだよ!?なにそれ!?なに言ってくれちゃってんの!?」
「えっっっ!なんでっ!?なにも変なこと言ってないです!!」
「い~~や!言ったね!!変なことっつーかすっげぇこと言ったね!!***、お前さぁ、なに、銀さんをどうしたいの?そぉ~んな可愛いこと言って、どーゆーつもりなのぉぉぉ!!?」
「なっ、か、かわっ……!?わぁッ!ちょっと!!」
両肩を大きな手で急につかまれる。***は泡だらけの手にスポンジを持ったまま、ぐいぐいと後ろに押されていく。あっという間に背中が壁にドンと当たって、顔を上げると銀時の顔がすぐ近くにあった。
「っ………!ぎ、ぎんちゃ、」
「ガキどもがいる時にチューすんなってお前がうるせぇから、ずーーーっと我慢してたけど、もぉ無理なんですけど。***がいけないんだからね?分かってる?銀さんの気持ちも知らねぇで、ペラペラ見当違いなこと言った挙句、「銀ちゃんの彼女になれて幸せ、キスして」なぁんて可愛いこと言ったのお前だからね?」
「はっ!?そそそそそんなこと言ってない!ちょっ、ちょっと待って!ふたりが来ちゃうからっ!!あ、あのっ!えーと……ほ、ほらっ、銀ちゃん!まだ牛乳飲みかけじゃん!冷たいうちに飲みましょうよ!おいしいうちにっっっ!!!」
銀時の注意をそらそうと、流しに置かれた牛乳瓶を泡だらけの手で指さす。しかし赤い瞳は***から離れない。にやついた顔が近づいてくるから、頭に血が上って***は気を失いそうだ。肩をつかんでいた銀時の左手が降りて、合わせ襟の隙間に長い人差し指の先がするりと入ってきた。熱い指先が鎖骨の少し下のあたりの肌を撫でたから、ぞわりと鳥肌が立った。
「顔の傷は治ったけど、こっちはどーなってんの?***、銀さんに教えて。一週間も経ったから、もう消えちまった?せっかくだからもっかいつけてやるよ」
それが胸元の鬱血したキスマークのことだと気付いた瞬間、***の顔は爆発しそうなほど真っ赤になった。口をぱくぱくとさせて言葉も出なくなり、息すらできない。
「***さぁ、この一週間一回もキスしてねぇの分かってる?近づいただけでお前ガチガチんなるから、銀さん遠慮してやってたんですけど?はぁ~……そのくせ可愛いこと言って、どんだけ自分が俺を煽ってるかにも気付いてねぇんだろ。牛乳がどうしたよ?飲みかけだから何?おいしいうちにどーしろって?俺にはもっとおいしそうなもんが見えてっけど?……なぁ、***、」
スポンジを持つ手から泡がぽたりと垂れた。呼吸も忘れて固まる***の顔の横に右手が置かれ、左手の指が全部襟の中に入って、鎖骨と胸の間をさわさわと撫でていた。
***の耳元に銀時の唇が近づく。熱い息がほほをかすめると同時に、いままで聞いたことのない低く男っぽい声が、耳から滑り込んできた。
―――望みどおり食ってやろうか、***のこと。すっげぇうまそうだから―――
ささやいた直後、目を細めた銀時が顔を近づけてくる。経験の乏しい***でも、「食ってやる」の意味がなんとなく分かって、あまりの衝撃に心臓が止まるような気がした。
ひぁっ、という悲鳴がノドの奥で鳴る。震える唇にあと数センチで、銀時の唇が触れそうだった。
「っっっ!!!!!ダ……ダダダダダ、ダメに決まってるでしょうがぁぁぁぁ!!!!!」
「んぎゃッ!!!」
叫びと共に泡だらけのスポンジを銀時の顔に押し付ける。泡が目に入った銀時が「うがぁぁぁ!!!」とのけぞって倒れた。
銀時が床をのたうち回る音を聞いて、新八と神楽が台所にやってきたが、壁にもたれてずるずると座り込んだ***が茹でダコのようになっているのを見て、ふたりとも呆れた顔をした。
「銀さん、また***さんにセクハラしたんですね。自業自得ですよ。ちゃんと謝ってください。この変態天然パーマ」
「***大丈夫アルか?泣きそうネ。銀ちゃん最低ヨ。ラピュタのムスカばりにそこで一生苦しむヨロシ」
「目がっ、目がぁぁぁぁぁ!!!!!」
へなへなと座り込んだ***は、腰を抜かしていた。銀時の熱い息と低い声と言葉だけで、免疫のない身体は耐えられない。ばくばくと鳴る鼓動が耳元で聞こえる。腰くだけとはこのことかと、他人事のように***は思った。
ごろごろと転がる銀時から、スポンジの泡がシャボン玉のように飛んだ。ふわふわと長く漂ったそれが、ぱちんと弾けた後もまだ、***の顔は真っ赤なままだった。
―――お母さん、私、銀ちゃんの彼女として、やっていける自信がありません。銀ちゃんのこと大好きなのに、大好きな分だけ死にそうなほど胸が苦しくて切なくて、どうしようもないです―――
(銀ちゃんが求めることに、彼女として応えていけるのかな。こんなに何も知らない私に)
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【(1)おいしい牛乳】end
いただかれる準備はできておりません
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