銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第8話 澄んだ涙】
「山崎さん……」
小さな声でつぶやいた***が、背の高いスツールに座って震えていた。絆創膏の貼られた膝の上で、固く握りしめられた小さな両手は、カタカタと音を立てていた。
透明な涙で覆われた瞳は見開かれて、じっと山崎を見つめていた。その涙が、誰のためのものかは明らかだった。そして長い間***が、泣くのを我慢していたことも、山崎には分かっていた。
ああ、でも―――
山崎が心の中でつぶやくと同時に、見開かれた瞳から溢れた涙が、白いほほに一筋の澄んだ線を描いて、音もなく落ちた。
―――ああ、でも、こんなに綺麗な涙は、生まれてはじめて見た
真選組の監察をしていると、ありとあらゆる情報に接する。犯罪に関することから、市民の個人的なことまで。情報戦を制するのが監察方の使命ともいえるため、普段から山崎は、どんなに小さな情報でも、気になることはしっかりと調査する。
ある時かぶき町で、とんでもない噂を耳にした。「牛乳配達をしている大江戸スーパーの女の子が、万事屋の旦那に惚れているらしい」というものだ。牛乳配達と大江戸スーパーという単語だけで、十分に***を示していたが、山崎は信じることができなかった。というか、信じたくなかった。
なぜなら銀時が出会うよりもずっと前から、自分は***と出会っていた。それなりに親しく、時々ミントンを一緒にやるくらいの仲だ。花見の時、未遂だったがキスをされそうになったし、酔っ払っていたとはいえ、***は確かに「山崎さん、大好き」と言った。
「いやいや、本人に聞けばいいだろ俺、何してんだ俺、キモいだろ俺」
ぶつぶつ言いながら、スーパーの食品棚に隠れて***を観察した。レジに来る客に話しかけられて、時々***は赤面したり、慌てたりしている。聞き耳を立てると「万事屋の旦那とはその後どうなったの?」と聞かれていた。
「な、なにぃぃぃぃぃ~!?うぉぉぉぉぉ~!!!」
叫んで床をごろごろと転がって苦しんでいたら、店員につまみ出された。
その日から、苦痛を伴う情報収集に明け暮れた。どうやら***は万事屋の旦那に告白をしたらしい。しかしはっきりとした返事はもらっていない。以前から万事屋へ通う***の姿はよく目撃されていたし、時々ふたりで連れだって歩いていることもあるそうだ。しかし、かといってふたりは、付き合っているわけではない。
事情通の奥様方によると、***は恋愛に関してはずぶの素人で、好きな人へのアプローチ法もろくに知らない。初心な小娘だ。一方で銀時はテキトーなダメ男っぷり。***の告白は今のところうやむやにされており、付かず離れずの距離を保っているらしい。本人いわく、それは「そんなに簡単にはいかない」状況とのこと。
山崎は歯ぎしりをするほど悔しかった。あの優しくて可愛い***の、いつも親しげな微笑みを自分に向けてくれた***の、その心は既に他の男に向いていたなんて。
そう思うと胸が苦しくて、自然とスーパーからも足が遠のいた。しばらく***に会っていないと思っていた矢先に、思わぬ仕事が飛び込んできた。
くだんの政治家の資金集めパーティーに、副長の婚約者役として***が出席するという。潜入捜査で女装をすることもある山崎に、副長命令が下った。
「オイ山崎、パーティーのドレスコードは洋装だ。***に合う服を見繕っておけ。それから当日の化粧なんかも、お前に任せたぞ。会場の控え室を貸し切ったから使っていい……お前、ふたりきりだからって変なことしやがったら、今度こそ切腹だからな」
「わ、わかってますよ副長ォ!なにもするわけないじゃないですか!」
―――ああ、会いたくない。***ちゃんに会いたいけど、会いたくない
会って、「万事屋の旦那とどうなの?」と聞いたら、あの子の本心が分かってしまう。顔を赤く染めるとか、ぱっと顔を明るくするとかされたら、もう立ち直れないかもしれない。
そんなことを考えながら、控え室で化粧道具や衣装を準備していると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。
「どうぞ、開いてますよー」
「あ、山崎さん、お久しぶりです。今日はお手間をおかけしますが、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた***が、いつもの親しみを込めた目で自分を見つめるので、山崎の胸はちくりと痛んだ。さりげなく観察すると、***は以前より少し大人っぽく、綺麗になっていた。これが恋の効用というものかと、山崎はひとり悶々とする。
衣装のドレスワンピースを渡すと、***はぱっと顔を輝かせた。
「すごいです、山崎さん!私こんな素敵な洋服ってはじめて見ました。山崎さんが選んでくれたんですか?」
「うん、まぁね。なるべく***ちゃんの雰囲気に合うよう選んでみたけど…どうだろう、まずは着てみてもらえるかな?」
わくわくした顔で部屋の奥へ行くと、仕切りのカーテンを引いて、着替え始める。シュルシュルという帯を解く音に、山崎の心臓が跳ねた。
あ、ヤバイ、そうか、そういうことか。しっかりしろ俺、正気を保て。
洋装を着なれない***は、たった一枚のワンピースでも着るのに手間取って、ずいぶん長い時間がかかった。その間、衣擦れの音は山崎を苦しめ続けた。
シャッと音を立ててカーテンが開く。そこには、上品な濃紺のワンピースに身を包んだ***が、恥ずかしそうに立っていた。
「あ、あのこれ、これって大丈夫ですかね?なんか、お腹とか腕とかがぴったりしていて、ちょっと恥ずかしいんですけど…」
「………っ!だ、大丈夫だよ***ちゃん、すごく、すごく似合ってるよ、ぴったりだよ!」
山崎の選んだワンピースは、***によく似合っていた。形は至ってシンプルで、横に広く開いた襟からは、細い鎖骨が綺麗に見えた。薄い布地の下で、肩のラインが美しく出ていた。
袖丈はひじまでで、袖口に白い切り返しがあるのが唯一のアクセントだった。ウエストで狭まり、裾に向かってフレア状に広がっている。ちょうど膝丈で、濃紺の落ち着いた暗い色が、かえって***の足の白さを強調していた。
和装と違って身体の線がはっきり見えることに、***は戸惑っていた。しかし細身の身体はどこから見ても、綺麗にワンピースに収まっている。選んだ張本人である山崎も、普段の***からは想像もできないほど、がらりと雰囲気が変わったことに驚いて、息を飲んだ。
「この服で、あのとんがった靴も履くんですよね?大丈夫かなぁ…」
「ハイヒールのことね。まぁ数時間の我慢だし大丈夫だよ。さ、メイクしよう」
そう言って山崎は、***を化粧台の前で椅子に座らせた。立っている山崎と目線が同じ位置になるよう、高さを調節する。化粧道具を準備しながら、何気なく気になっている話題をふってみた。
「い、いやぁ、***ちゃんのドレス姿見たら、きっと万事屋の旦那もびっくりするんじゃなかなぁ」
鏡越しにちらりと見た***は、てっきり顔を赤らめたり、嬉しそうにするかと思いきや、表情に全く変化はなかった。きょとんした顔で鏡の中の山崎を見つめ返すと、首をかしげて口を開いた。
「銀ちゃんが?…どうでしょう?多分着替えたことにすら気付かないと思いますよ」
「それはないよ、だってそれすごく似合ってるし、旦那も可愛いって言うんじゃないかな」
「そんなことあの銀ちゃんは言いませんよ。ご馳走を食べることで頭が一杯なんですから」
鏡の中の***の表情が全く変わらず、いつも通りの笑顔で返答するので、山崎は「あれ?やっぱりあの噂は街の人の勘違いだったのでは?」と淡い期待をしてしまう。もう少し突っ込んで聞いてみようという気になる。
「そうかなぁ?……ほら、ウチの副長ってずいぶん***ちゃんに馴れ馴れしいから、そういうのも旦那は心配してると思うよ」
「ちがいますよ山崎さん、銀ちゃんはただ土方さんにつっかかりたいだけで、私のことなんて全然気にしてないですよ。私のことなんて、どうでもいいんです」
***の返答を聞きながら、鏡から目をそらし手元の化粧道具を見る。必要な物を手に取って、くるりと***の方を振り返る。さてとりかかるかと顔を上げて、***の顔を見た瞬間、山崎は息を飲んだ。
***は今にも泣き出しそうな、子供のような顔をしていた。眉を八の字に下げて、眉間にはシワが寄り、瞳には涙がなみなみと溜まっていた。
「えっ!?***ちゃん、どどどどどどうしたの!?」
「ごごごごごめんなさい、山崎さん、やだ、違うんです、ちょっと目に大量のゴミが入ったみたいで……」
「そ、そんなに目にゴミ入らないでしょ………ねぇ、もしかして***ちゃん、今日の許嫁役、泣く程いやだったの?」
「っ!ちがっ、ちがうんです、全然嫌じゃないんです!………み、見られたくないだけなんです、その……よ、万事屋のみんなに、許嫁役をやっているところを見られるのが、恥ずかしくて、それで……」
それを聞いた瞬間、山崎は瞬時に全てを理解した。
「ねぇ、***ちゃん、万事屋のみんなじゃなくて、旦那に見られたくないでしょ?……かぶき町の知り合いから聞いたよ、旦那に告白したんだってね」
「山崎さん……」
そうつぶやいた数秒後、***は音もなく静かに涙を流した。顔をゆがめもせず、ただただ水滴がほほを伝っていく。ガタガタと震える両手で、涙を何度ぬぐっても、後から後から溢れてくる。
黙って山崎が見つめていると、ふと我に返った***が、無理矢理笑顔を作って口を開いた。
「や、やだ、山崎さん知ってたんですか、恥ずかしいなぁ……そうなんです、私、一度銀ちゃんにフラれてるんです。それなのになんか、諦められなくて……私、一緒にいられるなら、銀ちゃんに相手にしてもらえなくてもいいって思ってたんですけど……でも、銀ちゃんたらひどいんですよ……稼ぎたいから婚約者役やれって、あっさり言うんですもん……あははっ、なんかそれが胸にズシンときちゃって、泣かないように我慢、してたんですけど……でも、山崎さんしかいないって思ったら、なんか気が緩んじゃって…ご、ごめんなさい、困らせちゃって」
大粒の涙をポロポロと流しながら、無理に笑って明るく話す***の姿が痛々しい。そしてその透明で美しい涙を流す***の姿は、山崎の胸を強く打った。
笑いながら涙をぬぐっている***の両手に、山崎は手を伸ばした。両手をつかむとじっと***を見つめた。
「困ってなんかないよ、***ちゃん。ここには俺しかいないから、気が済むまで泣きなよ」
そう山崎に言われてはじめて、***の顔がくしゃりとゆがんだ。その顔を見られたくないのか、***はぱっと横を向くと目をそらした。山崎はその細い肩に両腕を伸ばすと、自分の肩に***の頭を載せるように、ぎゅっと抱きよせた。
「や、山崎さ、」
「こうしてれば、俺にも見えないから。大丈夫だよ***ちゃん、泣いてもいいんだよ」
「……ぅうッ、や、山崎さん……」
そう言った後、涙声の嗚咽が漏れた。少し顔を下に向けると、***のワンピースの襟の中で、嗚咽と一緒に白い肌が上下しているのが見えて、鳥肌が立った。ほほを撫でる***の柔らかい髪から、花のような甘い香りがした。
山崎の肩におでこを置くようにして泣いていた***が、しばらくして落ち着くと、ゆっくりと身体を離した。
「ありがとう、山崎さん、泣いたらちょっと……楽になりました」
「大丈夫?無理してない?なんなら俺から副長に言って、中止にしてもらおうか?」
「ううん、大丈夫です……私、頑張りたいんです。銀ちゃんに見られちゃうのは嫌だけど、でも土方さんや真選組のみんなの役に立ちたいんです。だから、できる限り頑張ってみます。その方がきっと……銀ちゃんも喜ぶと思うから」
その言葉で山崎は、***がどれほど一途に銀時のことを思っているかを知った。
ああ、こりゃ駄目だ、勝てないや、こんなに健気な女の子の気持ちを、踏みにじるようなことは、俺にはできない。
諦めと失恋の痛みで心を満たされながらも、山崎は必死で***の化粧をして、髪を整えた。一度感情を外に出したことで、***の顔は晴れやかになっていた。泣いたせいで赤くなっていた目元も、化粧で綺麗に隠れた。
出来上がりを鏡で見た***は、「わぁ、すごい!山崎さん天才です!!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
この子はこういう笑顔でいてくれなきゃ、と山崎は思う。あんな風に泣かせるなんて、と銀時のことを恨めしく思った。
しかし一方で、自分には***を泣き止ませることはできても、あんな風に泣かせることはできないだろうということも、よく理解できた。
そしてそれは、完全な失恋を意味していた。
がっかりした気持ちを押し込めながら、化粧ができあがりヒールを履いた***を、控え室から送り出す。
綺麗になった***を、本当はもう少し見ていたい。もう少しだけ一緒にいたい。
この部屋を***が出て行ったら、もうそれでこの恋は終わりだときっぱり諦めなければならない。そう思うと名残惜しくて、扉に向かっていく***の後ろ姿をじっと見つめた。
ドアノブに手をかけた***が、ふと立ち止まるとくるりと振り向いた。「どうしたの?何かあった?」と言いながら近づいた山崎の耳に、***の小さな声が届いた。
「退さん………」
「………っ!な、なに急に!?」
突然***から下の名前で呼ばれて、山崎は驚きで飛び跳ねる。あまりにも唐突だったので顔も赤くなってしまう。
「あっ、ごめんなさい。近藤さんからさっき、婚約者らしく土方さんのことを名前で呼べって言われて、試しに呼んでみたんですけど、すごく不自然だったんです。それで、山崎さんならどうかなって思って……退さんなら、普通に呼べます。なんでだろう?山崎さんには気を許してるからかなぁ」
そう言って笑った***の微笑みが、山崎の心臓を、弾丸のようにぶち抜いた。
「……ねぇ、俺、***ちゃんのこと、」
小さくつぶやいた山崎の声は、***の耳には届かなかった。握手をするように小さな***の両手が、山崎の手を取ってぎゅっとにぎった。首をかしげて山崎の目をじっと見つめる***の瞳には、いつもの親しみと深い感謝の気持ちが込められていた。
「退さん、こんなに綺麗にしてくれてありがとう。あと、あの……なぐさめてくれて、ありがとうございました。退さんのおかげで私、頑張れそうです。一生懸命、許嫁役やるので、応援しててくださいね」
そういって***はふわりと微笑むと、扉を開けて部屋を出て行った。開いた扉の向こうに***が消え、ドアが勝手に閉まるまで、山崎は微動だにできなかった。
―――なにあれ、俺のこと、退さんって言ってた、退さんって……
失恋の痛みで満たされていた山崎の心に、切なくて、でも温かい風が吹いた。扉がしっかりと閉まって、部屋に自分しかいないことを確認すると、山崎は鏡に映る自分自身に向かって叫んだ。
「す、す、好きだぁぁぁぁぁ―――!!!」
(反則だろ!退さんは、反則だろぉぉぉぉ!)
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【第8話 澄んだ涙】end
「山崎さん……」
小さな声でつぶやいた***が、背の高いスツールに座って震えていた。絆創膏の貼られた膝の上で、固く握りしめられた小さな両手は、カタカタと音を立てていた。
透明な涙で覆われた瞳は見開かれて、じっと山崎を見つめていた。その涙が、誰のためのものかは明らかだった。そして長い間***が、泣くのを我慢していたことも、山崎には分かっていた。
ああ、でも―――
山崎が心の中でつぶやくと同時に、見開かれた瞳から溢れた涙が、白いほほに一筋の澄んだ線を描いて、音もなく落ちた。
―――ああ、でも、こんなに綺麗な涙は、生まれてはじめて見た
真選組の監察をしていると、ありとあらゆる情報に接する。犯罪に関することから、市民の個人的なことまで。情報戦を制するのが監察方の使命ともいえるため、普段から山崎は、どんなに小さな情報でも、気になることはしっかりと調査する。
ある時かぶき町で、とんでもない噂を耳にした。「牛乳配達をしている大江戸スーパーの女の子が、万事屋の旦那に惚れているらしい」というものだ。牛乳配達と大江戸スーパーという単語だけで、十分に***を示していたが、山崎は信じることができなかった。というか、信じたくなかった。
なぜなら銀時が出会うよりもずっと前から、自分は***と出会っていた。それなりに親しく、時々ミントンを一緒にやるくらいの仲だ。花見の時、未遂だったがキスをされそうになったし、酔っ払っていたとはいえ、***は確かに「山崎さん、大好き」と言った。
「いやいや、本人に聞けばいいだろ俺、何してんだ俺、キモいだろ俺」
ぶつぶつ言いながら、スーパーの食品棚に隠れて***を観察した。レジに来る客に話しかけられて、時々***は赤面したり、慌てたりしている。聞き耳を立てると「万事屋の旦那とはその後どうなったの?」と聞かれていた。
「な、なにぃぃぃぃぃ~!?うぉぉぉぉぉ~!!!」
叫んで床をごろごろと転がって苦しんでいたら、店員につまみ出された。
その日から、苦痛を伴う情報収集に明け暮れた。どうやら***は万事屋の旦那に告白をしたらしい。しかしはっきりとした返事はもらっていない。以前から万事屋へ通う***の姿はよく目撃されていたし、時々ふたりで連れだって歩いていることもあるそうだ。しかし、かといってふたりは、付き合っているわけではない。
事情通の奥様方によると、***は恋愛に関してはずぶの素人で、好きな人へのアプローチ法もろくに知らない。初心な小娘だ。一方で銀時はテキトーなダメ男っぷり。***の告白は今のところうやむやにされており、付かず離れずの距離を保っているらしい。本人いわく、それは「そんなに簡単にはいかない」状況とのこと。
山崎は歯ぎしりをするほど悔しかった。あの優しくて可愛い***の、いつも親しげな微笑みを自分に向けてくれた***の、その心は既に他の男に向いていたなんて。
そう思うと胸が苦しくて、自然とスーパーからも足が遠のいた。しばらく***に会っていないと思っていた矢先に、思わぬ仕事が飛び込んできた。
くだんの政治家の資金集めパーティーに、副長の婚約者役として***が出席するという。潜入捜査で女装をすることもある山崎に、副長命令が下った。
「オイ山崎、パーティーのドレスコードは洋装だ。***に合う服を見繕っておけ。それから当日の化粧なんかも、お前に任せたぞ。会場の控え室を貸し切ったから使っていい……お前、ふたりきりだからって変なことしやがったら、今度こそ切腹だからな」
「わ、わかってますよ副長ォ!なにもするわけないじゃないですか!」
―――ああ、会いたくない。***ちゃんに会いたいけど、会いたくない
会って、「万事屋の旦那とどうなの?」と聞いたら、あの子の本心が分かってしまう。顔を赤く染めるとか、ぱっと顔を明るくするとかされたら、もう立ち直れないかもしれない。
そんなことを考えながら、控え室で化粧道具や衣装を準備していると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえた。
「どうぞ、開いてますよー」
「あ、山崎さん、お久しぶりです。今日はお手間をおかけしますが、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げた***が、いつもの親しみを込めた目で自分を見つめるので、山崎の胸はちくりと痛んだ。さりげなく観察すると、***は以前より少し大人っぽく、綺麗になっていた。これが恋の効用というものかと、山崎はひとり悶々とする。
衣装のドレスワンピースを渡すと、***はぱっと顔を輝かせた。
「すごいです、山崎さん!私こんな素敵な洋服ってはじめて見ました。山崎さんが選んでくれたんですか?」
「うん、まぁね。なるべく***ちゃんの雰囲気に合うよう選んでみたけど…どうだろう、まずは着てみてもらえるかな?」
わくわくした顔で部屋の奥へ行くと、仕切りのカーテンを引いて、着替え始める。シュルシュルという帯を解く音に、山崎の心臓が跳ねた。
あ、ヤバイ、そうか、そういうことか。しっかりしろ俺、正気を保て。
洋装を着なれない***は、たった一枚のワンピースでも着るのに手間取って、ずいぶん長い時間がかかった。その間、衣擦れの音は山崎を苦しめ続けた。
シャッと音を立ててカーテンが開く。そこには、上品な濃紺のワンピースに身を包んだ***が、恥ずかしそうに立っていた。
「あ、あのこれ、これって大丈夫ですかね?なんか、お腹とか腕とかがぴったりしていて、ちょっと恥ずかしいんですけど…」
「………っ!だ、大丈夫だよ***ちゃん、すごく、すごく似合ってるよ、ぴったりだよ!」
山崎の選んだワンピースは、***によく似合っていた。形は至ってシンプルで、横に広く開いた襟からは、細い鎖骨が綺麗に見えた。薄い布地の下で、肩のラインが美しく出ていた。
袖丈はひじまでで、袖口に白い切り返しがあるのが唯一のアクセントだった。ウエストで狭まり、裾に向かってフレア状に広がっている。ちょうど膝丈で、濃紺の落ち着いた暗い色が、かえって***の足の白さを強調していた。
和装と違って身体の線がはっきり見えることに、***は戸惑っていた。しかし細身の身体はどこから見ても、綺麗にワンピースに収まっている。選んだ張本人である山崎も、普段の***からは想像もできないほど、がらりと雰囲気が変わったことに驚いて、息を飲んだ。
「この服で、あのとんがった靴も履くんですよね?大丈夫かなぁ…」
「ハイヒールのことね。まぁ数時間の我慢だし大丈夫だよ。さ、メイクしよう」
そう言って山崎は、***を化粧台の前で椅子に座らせた。立っている山崎と目線が同じ位置になるよう、高さを調節する。化粧道具を準備しながら、何気なく気になっている話題をふってみた。
「い、いやぁ、***ちゃんのドレス姿見たら、きっと万事屋の旦那もびっくりするんじゃなかなぁ」
鏡越しにちらりと見た***は、てっきり顔を赤らめたり、嬉しそうにするかと思いきや、表情に全く変化はなかった。きょとんした顔で鏡の中の山崎を見つめ返すと、首をかしげて口を開いた。
「銀ちゃんが?…どうでしょう?多分着替えたことにすら気付かないと思いますよ」
「それはないよ、だってそれすごく似合ってるし、旦那も可愛いって言うんじゃないかな」
「そんなことあの銀ちゃんは言いませんよ。ご馳走を食べることで頭が一杯なんですから」
鏡の中の***の表情が全く変わらず、いつも通りの笑顔で返答するので、山崎は「あれ?やっぱりあの噂は街の人の勘違いだったのでは?」と淡い期待をしてしまう。もう少し突っ込んで聞いてみようという気になる。
「そうかなぁ?……ほら、ウチの副長ってずいぶん***ちゃんに馴れ馴れしいから、そういうのも旦那は心配してると思うよ」
「ちがいますよ山崎さん、銀ちゃんはただ土方さんにつっかかりたいだけで、私のことなんて全然気にしてないですよ。私のことなんて、どうでもいいんです」
***の返答を聞きながら、鏡から目をそらし手元の化粧道具を見る。必要な物を手に取って、くるりと***の方を振り返る。さてとりかかるかと顔を上げて、***の顔を見た瞬間、山崎は息を飲んだ。
***は今にも泣き出しそうな、子供のような顔をしていた。眉を八の字に下げて、眉間にはシワが寄り、瞳には涙がなみなみと溜まっていた。
「えっ!?***ちゃん、どどどどどどうしたの!?」
「ごごごごごめんなさい、山崎さん、やだ、違うんです、ちょっと目に大量のゴミが入ったみたいで……」
「そ、そんなに目にゴミ入らないでしょ………ねぇ、もしかして***ちゃん、今日の許嫁役、泣く程いやだったの?」
「っ!ちがっ、ちがうんです、全然嫌じゃないんです!………み、見られたくないだけなんです、その……よ、万事屋のみんなに、許嫁役をやっているところを見られるのが、恥ずかしくて、それで……」
それを聞いた瞬間、山崎は瞬時に全てを理解した。
「ねぇ、***ちゃん、万事屋のみんなじゃなくて、旦那に見られたくないでしょ?……かぶき町の知り合いから聞いたよ、旦那に告白したんだってね」
「山崎さん……」
そうつぶやいた数秒後、***は音もなく静かに涙を流した。顔をゆがめもせず、ただただ水滴がほほを伝っていく。ガタガタと震える両手で、涙を何度ぬぐっても、後から後から溢れてくる。
黙って山崎が見つめていると、ふと我に返った***が、無理矢理笑顔を作って口を開いた。
「や、やだ、山崎さん知ってたんですか、恥ずかしいなぁ……そうなんです、私、一度銀ちゃんにフラれてるんです。それなのになんか、諦められなくて……私、一緒にいられるなら、銀ちゃんに相手にしてもらえなくてもいいって思ってたんですけど……でも、銀ちゃんたらひどいんですよ……稼ぎたいから婚約者役やれって、あっさり言うんですもん……あははっ、なんかそれが胸にズシンときちゃって、泣かないように我慢、してたんですけど……でも、山崎さんしかいないって思ったら、なんか気が緩んじゃって…ご、ごめんなさい、困らせちゃって」
大粒の涙をポロポロと流しながら、無理に笑って明るく話す***の姿が痛々しい。そしてその透明で美しい涙を流す***の姿は、山崎の胸を強く打った。
笑いながら涙をぬぐっている***の両手に、山崎は手を伸ばした。両手をつかむとじっと***を見つめた。
「困ってなんかないよ、***ちゃん。ここには俺しかいないから、気が済むまで泣きなよ」
そう山崎に言われてはじめて、***の顔がくしゃりとゆがんだ。その顔を見られたくないのか、***はぱっと横を向くと目をそらした。山崎はその細い肩に両腕を伸ばすと、自分の肩に***の頭を載せるように、ぎゅっと抱きよせた。
「や、山崎さ、」
「こうしてれば、俺にも見えないから。大丈夫だよ***ちゃん、泣いてもいいんだよ」
「……ぅうッ、や、山崎さん……」
そう言った後、涙声の嗚咽が漏れた。少し顔を下に向けると、***のワンピースの襟の中で、嗚咽と一緒に白い肌が上下しているのが見えて、鳥肌が立った。ほほを撫でる***の柔らかい髪から、花のような甘い香りがした。
山崎の肩におでこを置くようにして泣いていた***が、しばらくして落ち着くと、ゆっくりと身体を離した。
「ありがとう、山崎さん、泣いたらちょっと……楽になりました」
「大丈夫?無理してない?なんなら俺から副長に言って、中止にしてもらおうか?」
「ううん、大丈夫です……私、頑張りたいんです。銀ちゃんに見られちゃうのは嫌だけど、でも土方さんや真選組のみんなの役に立ちたいんです。だから、できる限り頑張ってみます。その方がきっと……銀ちゃんも喜ぶと思うから」
その言葉で山崎は、***がどれほど一途に銀時のことを思っているかを知った。
ああ、こりゃ駄目だ、勝てないや、こんなに健気な女の子の気持ちを、踏みにじるようなことは、俺にはできない。
諦めと失恋の痛みで心を満たされながらも、山崎は必死で***の化粧をして、髪を整えた。一度感情を外に出したことで、***の顔は晴れやかになっていた。泣いたせいで赤くなっていた目元も、化粧で綺麗に隠れた。
出来上がりを鏡で見た***は、「わぁ、すごい!山崎さん天才です!!」と言って、満面の笑みを浮かべた。
この子はこういう笑顔でいてくれなきゃ、と山崎は思う。あんな風に泣かせるなんて、と銀時のことを恨めしく思った。
しかし一方で、自分には***を泣き止ませることはできても、あんな風に泣かせることはできないだろうということも、よく理解できた。
そしてそれは、完全な失恋を意味していた。
がっかりした気持ちを押し込めながら、化粧ができあがりヒールを履いた***を、控え室から送り出す。
綺麗になった***を、本当はもう少し見ていたい。もう少しだけ一緒にいたい。
この部屋を***が出て行ったら、もうそれでこの恋は終わりだときっぱり諦めなければならない。そう思うと名残惜しくて、扉に向かっていく***の後ろ姿をじっと見つめた。
ドアノブに手をかけた***が、ふと立ち止まるとくるりと振り向いた。「どうしたの?何かあった?」と言いながら近づいた山崎の耳に、***の小さな声が届いた。
「退さん………」
「………っ!な、なに急に!?」
突然***から下の名前で呼ばれて、山崎は驚きで飛び跳ねる。あまりにも唐突だったので顔も赤くなってしまう。
「あっ、ごめんなさい。近藤さんからさっき、婚約者らしく土方さんのことを名前で呼べって言われて、試しに呼んでみたんですけど、すごく不自然だったんです。それで、山崎さんならどうかなって思って……退さんなら、普通に呼べます。なんでだろう?山崎さんには気を許してるからかなぁ」
そう言って笑った***の微笑みが、山崎の心臓を、弾丸のようにぶち抜いた。
「……ねぇ、俺、***ちゃんのこと、」
小さくつぶやいた山崎の声は、***の耳には届かなかった。握手をするように小さな***の両手が、山崎の手を取ってぎゅっとにぎった。首をかしげて山崎の目をじっと見つめる***の瞳には、いつもの親しみと深い感謝の気持ちが込められていた。
「退さん、こんなに綺麗にしてくれてありがとう。あと、あの……なぐさめてくれて、ありがとうございました。退さんのおかげで私、頑張れそうです。一生懸命、許嫁役やるので、応援しててくださいね」
そういって***はふわりと微笑むと、扉を開けて部屋を出て行った。開いた扉の向こうに***が消え、ドアが勝手に閉まるまで、山崎は微動だにできなかった。
―――なにあれ、俺のこと、退さんって言ってた、退さんって……
失恋の痛みで満たされていた山崎の心に、切なくて、でも温かい風が吹いた。扉がしっかりと閉まって、部屋に自分しかいないことを確認すると、山崎は鏡に映る自分自身に向かって叫んだ。
「す、す、好きだぁぁぁぁぁ―――!!!」
(反則だろ!退さんは、反則だろぉぉぉぉ!)
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