銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第3話 目から鱗】
かぶき町という街のすごさは、そのネットワークの豊かさにある。この街の噂話は光の速さで伝わる。そしてそのネットワークの真の恐ろしさを、***は身をもって知ることになる。
万事屋の外廊下から、銀時に向けて愛を叫んだ日から、***は街を歩くたびに「よぉ姉ちゃん、万事屋の旦那とはその後どうだい」とか「お姉さん、白髪のお兄さんと上手くいった?」とか、見知らぬ人から散々話しかけられた。
とんでもないことをしてしまった、と後悔しても時既に遅し。例えば、あの告白を聞いていた人々のなかには、***の行きつけのお豆腐屋の主人がいた。大の話好きの主人があの大演説を聞いて帰宅して、家族に話す、飲み屋で話す、翌日豆腐屋に来た客に話す。
例えば、あの人だかりのなかには、***農園の牛乳を取っている家の奥さんがいた。ゴシップ好きな奥さんは、***の叫びを聞くや否や、かぶき町の商店街へと駆け込み、そこにいた人全員に向かって「ちょっと今すっごい物見ちゃったわよ!ほらあの牛乳配達してる女の子がさぁ、万事屋さんとこのさぁ……」と、それはもう早口で知らせた。
古典的な口伝えによって「牛乳配達をしている大江戸スーパーの女の子は、万事屋の旦那が好きらしい」という情報が、瞬く間に街中に広がっていった。
街で「それでどうなったの?」と聞かれるたびに、***は赤面して、「どうもすみません、そんなに簡単なことじゃないんですけど……」ともごもご言いながら、後ずさりして退散した。
スーパーのレジで、訳知り顔の奥様方から声をかけられ、「男を落とすんならまず胃袋からつかむのがいいわよ。料理上手は床上手っていうでしょ」と、とんでもない助言をされて、仕事中に大汗をかいた。
今日も一日働いている間に、数えきれないほどの人に「頑張ってね」「応援してるよ」などと声をかけられた。果てはガキ大将のよっちゃんにまで、「***ねぇちゃん、万事屋のオッサンのこと好きなの?アイツはやめとけよ、神楽がろくに給料も払わねぇ甲斐性無しのマダオだって言ってたぞぉ」と言われる始末。
一日中苦笑いと赤面のしっぱなし、という日々がここ数週間続いている。自業自得なのだから、甘んじて受け入れねばならないと頭では分かっている。しかし、それでもとてつもなく疲弊して、仕事終わりにはげっそりとする。足取りもおぼつかなく、万事屋への道をとぼとぼと歩いた。
「きっと銀ちゃんにも迷惑かけちゃってるよね……」
小さな声で***がつぶやいた言葉は、誰にも届くことなく、夕暮れの空へ吸い込まれていった。
迷惑というのか身から出たサビか。銀時も***同様、かぶき町の洗礼を受けていた。そしてそれは、***以上にもっと酷い惨劇だった。
あの告白を受けて以来銀時は、事情を知った街の人々から「あの純粋な子に手を出した不届き者はお前か」という目で見られるようになった。まるで針で刺されるような視線に、肩身が狭い。
いや、なんで?俺なんもしてねーだろ、ちょっと***と仲良くしただけじゃねーか。
飲み屋では、顔見知りの酔っ払いに肩を叩かれて、「よっ!この色男!付き合い長ぇが、銀さんがモテてるのなんてはじめて見たよ!***ちゃんって男見る目がないねぇ!」と皮肉を言われた。にやにやと笑った他の客にも、「あんな清純派の子に、旦那が手ぇ出すなんて犯罪だ犯罪。まさかお前さん本気になってねぇだろうな」と言われた。
「うるせぇぇぇぇ!テメーらがモテねぇからって、ひがんでんじゃねぇよ!若い娘に言い寄られんのが、そんなに羨ましいか!!ロリコンか!?オメーらはロリコンなんですかぁぁぁ!!?」
そう言い返して、喧嘩になる。そんな調子でろくに酒も飲めず、苦々しい顔で帰る日々が続いていた。その日も酒が飲みたくて、人の少ない開店直後を狙って店へ行ったが、既に見知ったにやけ顔が見えて、「っんだよ、ちきしょぉぉぉぉ!」と言いながら、とぼとぼとスナックお登勢へと戻ってきたのだった。
「銀さん、どこ行ってたんですか!?お登勢さんにポスター貼り頼まれてたの忘れたんですか?自分だけサボるなんて駄目ですよ!」
スナックお登勢の引き戸を開けると、新八と神楽、タダ酒を飲みに来た長谷川さん、それと数人の常連客が店内にいた。神楽は炊飯器から直接米を食べている。長谷川さんは酒の入ったコップを片手に、赤い顔をしている。
新八だけが銀時の方に顔を向けて、両手に大判のポスターの束を抱えて話しかけてきた。ポスターには「大江戸納涼花火大会」の文字。そういえば町内会のポスター貼りを、代わりにやっておけと、お登勢に言われていたっけか。
「っんだよ、新八ぃ、ポスターなんていつでも貼れんだろ。今日みてぇなむしゃくしゃする日は酒だ酒ぇ~」
「銀さん最近ずっとむしゃくしゃしてんじゃないですか。***さんのことで野次馬がうるさいって昨日もお酒飲んでたでしょう。今日くらいちゃんと働いてくださいよ」
「うるせぇのはお前だ、この童貞メガネ!街中の奴らに皮肉言われて、無垢な少女に手ぇ出した犯罪者みてぇな目で見られる俺の気持ちも、少しは考えろよ。そりゃむしゃくしゃもすんだろ。***の暴走のせいで飲み屋に行けねぇ、酒も飲めねぇ、道も歩けねぇってどーゆーことだよ。一体俺が何したってんだよ!?なんも悪ぃことしてねーだろ!とばっちりもいいとこだっつーの!」
銀時がそう言った途端、がやがやとしていた店内がしんと静まり返った。後ろ手に引き戸を閉めた銀時を、店内の全員が見つめる。その視線に気づいて、カウンター席へ座ろうと踏み出した足が止まる。「は?」と言った銀時の口が、そのまま固まった。
口火を切ったのは一番近くにいた新八だった。
「いや、銀さん、それは街の人が正しいってことくらい、さすがの僕でも分かりますよ。あんた散々***さんのことからかって、毎回泣きそうになるまでいじめて、あんだけ色々やっといて、いざ***さんに告白されたら尻込みするなんて、同じ男として情けなさすぎます。今回ばかりは僕も見損ないましたよ。姉上も、女性の告白をうやむやするような男に未来は無いって言ってましたよ。そのうち***さんに愛想尽かされても知りませんからね」
炊飯器をドンと置くと、口の周りを米粒だらけにした神楽が口を開いた。
「新八もメガネのくせにたまには的を得たことを言うアルな。万事屋に***が来るたび、追っかけまわして金魚のフンだったのは銀ちゃんのほうネ。***が勝手に好きになったみたいなスカしたこと言うなヨ。***がかわいいからってセクハラしまくったのはお前だろエロ天パ。***がすっごく優しいからだまされてるだけで、そのうち化けの皮が剝がれて、甲斐性無しのマダオだって分かれば、銀ちゃんなんてお払い箱アル。覚悟しとくヨロシ」
酒のグラスを持ったまま長谷川さんは「ひぃ~っく」と大きなしゃっくりをした。
「いやぁ~あのおとなしそうな***ちゃんが、派手な告白したってホームレス仲間から聞いた時は、俺もたまげちまったよ。身投げ助けてもらった縁で、あの子にゃ俺も世話んなってんだ。スーパーの売れ残りをわざわざ持ってきてくれるんだぜ。***ちゃんはさ、根っからの優しい子だよ。金もらわねーと何もやんねぇどっかの野郎とは大違いでさ、なんの見返りが無くとも困ってる人見たら助けちまうんだ。そりゃ銀さんとは釣り合わねぇに決まってんだろぉ~」
酒の入った長谷川さんにつられて、常連の男性客まで声を張り上げた。
「そうだよ万事屋の旦那ぁ、あのくらいの年若い純情な娘が、旦那みてぇなヤクザもんに惹かれるっつーのは世の常でさ、あんま期待して入れ込むと、あっさり捨てられて痛い目見ることになるよ」
「***ちゃんっつったっけ?俺も話したことあるけど、気立てがよくて賢い子だから、旦那を見限るのだって早いさ。あんなかわいい子、引く手数多なんだから。」
「ああ、そりゃ俺もそう思ってた。あんなに一途な告白して、こんだけ人に冷やかされてんだ、とっくに旦那のことなんて諦めてんじゃねぇのかい、頭のいい子なんだし」
男たちの勝手な推測を聞いて、店内の大部分が「うんうん」とうなずく。
唯一、黙って煙草を吸っていたお登勢が、煙をふーっと吐き出すと銀時をじっと見つめて口を開いた。
「まぁ、はじめて会った時からずいぶん純情な子だと思ってたけど、まさか銀時にほだされちまうような世間知らずだとはねぇ。あたしは***ちゃんが可哀想でならないよ。あんなに働き者のいい子は、銀時には連れにするどころか、爪のアカ煎じて飲ませんのだって、もったいないくらいさね。……ところで銀時、あんた***ちゃんの気持ちにまるで気づかなかったみたいな言い草だけど、そりゃないだろう。あの子ほど分かりやすい子はないよ。あんたの前でだけ真っ赤んなって、ハタから見てても丸わかりだったじゃないかい。それにも気づかないような大馬鹿が、いつまでもあの子の気持ちもてあそんでると、バチが当たって死ぬよ」
プッチ―――ン
店中に響くほどの大きな音を立てて、銀時の怒りが沸騰した。眉間に幾筋ものシワ、顔にビキビキと浮き上がる血管、髪は逆立ちそうなほど。
「オメーら……人が黙って聞いてりゃずけずけと、俺の人格を否定するようなことばっかり言いやがって。どーせお前らアレだろ?お前らのかわいい***が、俺を特別扱いすんのが悔しいってだけだろーが!銀さんがイケメンだから?***の特別になっちゃいましたみたいな?ついでに甘栗剥いちゃいましたみたいな?それが羨ましいからって、八つ当たりしてんじゃねーよ!俺が頼んで好きになってもらったわけじゃねぇっつーの!そこの酔っ払いどもはなんなんだよ、まるで***がとっくに愛想尽かして俺が落ち込んでるみてぇなこと言いやがって!あいつはオメーらの知ってるそこいらの尻軽女とはちげぇんだよ!それにクソババァ、何がバチが当たるだ!バチどころか街中の奴らが投げてくる石とかウンコとかが当たりまくってるっつーの!どいつもこいつもくだらねぇことでギャーギャーギャーギャー騒いでんじゃねぇよ、発情期ですかコノヤロー!!!!!」
そう叫んだ銀時が、一番近くにいた新八の横面を拳で殴る。飛びかかってきた神楽に蹴りを入れる。長谷川さんの頭をカウンターに叩きつける。止めに入った常連客たちも、あれよあれよという間に取っ組み合いに引きずり込まれた。店の真ん中で煙がもくもく上がっているのを、お登勢だけが呆れた顔で眺めていた。
「銀時は馬鹿だから、こりゃぁ、***ちゃん次第かねぇ、さっさと愛想尽かしてくれりゃぁいいけど……」
お登勢がそうつぶやいた直後、店の戸が開いた。「ごめんください、銀ちゃんたちいます?」と言いながら、***が入ってくる。それと同時に取っ組み合いの集団の中から、新八が弾き飛ばされて、***に向かって飛んでいった。
「わぁぁぁぁぁ!」
「えっ!?ちょ、新八く、ぎゃぁっ!!!」
飛んできた新八を受け止めた小さな身体が、店の外までよろけて、仰向けにぱたりと倒れた。その***の顔の上に、新八の持っていた大きなポスターがぺらっと落ちる。
「わわわ!***さん、大丈夫ですか!?けがしてません!?」
仰向けで倒れたまま微動だにしない***を見て、店内からぞろぞろと人が出てくる。ポスターは印刷を下にして落ちて、まるで大きな白い布が***の顔にかけられているようで、とてつもなく不吉な様相を呈している。
「おい、ぱっつぁん、お前コレやっちゃったんじゃね?顔隠れてっけど、こいつ白目剥いてんじゃね?」
「***!***ー!起きてヨ!死んじゃ駄目ネ!」
「ちょっとやだよ、救急車呼んだ方がいいかね」
慌てたお登勢が電話のある店内へと戻りかけた瞬間、ガバリッ!とすごい勢いで***が起き上がった。顔の上にあったポスターを両手で握りしめて、目を爛々と輝かせている。
「こここここれ!これって、なんですか!!!??」
ポスターをじっと見つめたまま、***が大きな声をあげる。そこには「大江戸納涼花火大会」の文字と、大きな打ち上げ花火の写真。
「***さん、花火大会知らないんですか?毎年開かれるんですよ。ほら去年行った祭りのもっと大きな規模のやつで、打ち上げ花火が上がるんです」
「もしかして***、花火も知らないアルか?花見といい、花火といい、田舎って何にも無いアルね」
「新八くん、神楽ちゃん、花火は知ってるけど、私本物を見たことなくて……夜空に咲く大きな花でしょう?すごくロマンチックだって、お母さんが言ってたけど…………あ、あの、私これ!この花火大会、行きたいです!!!!」
そう言った***が勢いよく立ち上がって、ポスターを胸に抱いたまま真っすぐに見上げたのは、銀時だった。
「は?なんだよ、花火大会?なに***、お前それ行きたいの?」
「行きたいです!花火、見てみたいです!あの、その、……んちゃんと……」
「……!!アァッ!?何ぃ~!?***ちゃぁ~ん、今なんつったぁ!?銀さん聞こえなかったなぁ!もっとでっけぇ声で言ってくんねぇとわかんねぇなぁぁぁ!!!」
***の小さな声で言われた言葉を聞いた途端、銀時は突然、勝ち誇ったようなにやけ顔で周りを見回した。***の両肩を大きな手でつかむと、大きな声で問いただした。
「ちゃーんと言ってくんねぇと銀さん答えらんねぇけど、何だよ***、花火大会、誰と行きてーの!?」
「……~~~~っ!もぉ!意地悪っ!花火大会、ぎ、銀ちゃんと、行きたいです!!」
ポスターに顔をうずめるようにして叫んだ***の言葉を聞いて、新八や神楽、お登勢やスナックの客たちは「はぁぁぁぁ~」とため息をついた。ただひとり銀時だけが、鼻の穴を膨らませて喜んでいる。
ほら見たことか、***は愛想尽かしてないし?まだ銀さんのことが好きだし?なんならもっと好きんなってるみてぇだし?花火大会一緒に行きたいなんて、いじらしいこと言っちゃってるけど、お前らちゃんと聞いてた?
心の声が顔に書いてあるような得意げな様子で、全員がちゃんと自分たちを見ていることを確認してから、よく聞こえるように大きな声で***に答えた。
「っかぁぁぁぁ~、ほんとにしょうがねぇなお前は、まぁ***がそんなに銀さんと花火大会行きたい!一緒に行けないなら死んでやる!っつーんなら、行ってやるしかねぇよなぁ」
両手で持ったポスターを少し下にずらして、真っ赤な顔の目だけを出すと、***は銀時を見上げて、小さな声で言った。
「し、死んでやるなんて、そんなこと言ってないけど……でも、銀ちゃんと一緒に花火、見たいです……」
「花火だけじゃこの銀さんは動かないよ?かき氷と綿あめとクレープ付きなら行ってやんないこともねーけど、どーする?」
「えぇっ!?そ、そんなに!?うぅ~ん……で、でも分かりました、かき氷と綿あめとクレープ、付けます!付けますから、銀ちゃん一緒に行ってくれる?」
「わぁーかったよ!そんな必死な顔しなくても行ってやるよ、しょうがねぇな。花火ごときでこんなに大騒ぎすんのお前だけだぞ、これだからガキだっつってんだよ」
ポスターがぱっと外れると、心底嬉しくてたまらないというような***の笑顔が現れた。銀時も口では嫌味を言いながら、その笑顔に満更でもない気持ちになり、ふっと笑った。大きな手を頭にぽんぽんと乗せると、ますます笑顔を弾けさせて、***は飛び跳ねた。
「絶対行くからね?約束ですからね?後からやっぱめんどくせーとか言うのは無しだよ?あっ!ほら、このポスター銀ちゃんも持って帰って、日付忘れないように壁に貼ってください!」
そう言って***は、地面に散らばった大量のポスターを拾い始める。
「新八くん、こんなにたくさんのポスター、どうするの?」
「お登勢さんに頼まれて、これから貼りに行こうとしてたんです。でも銀さんがめんどくさがってサボろうとしてて……」
「駄目だよ銀ちゃん!ちゃんと貼らないと!ポスターが無いせいで集客が悪いから花火大会中止ってなったら、どーするんですか!?責任取れないでしょう?ほら、私も手伝いますから、街中の目立つところに貼りましょう!ほら早く、神楽ちゃんも!!」
「っだぁぁぁぁ!めんどくせぇ!俺は酒が飲みてぇんだよ酒がぁ!ポスターなんか明日でいーだろ明日で!」
「ちょっと***待つアル!私もクレープ百個食べたいネ!お祭りでおごるヨロシ!」
ぐいぐいと***に腕をひっぱられ、銀時が歩きはじめる。その後ろを新八と神楽が走って追いかけていく。
***にとがめるような目で見つめられて歩く銀時の、言葉とは裏腹に心なし嬉しそうな足取りに、後ろから見ていたお登勢だけが気付いた。
ありゃまるで尻尾振って主人を追いかける犬だね、とお登勢は思う。あの犬を簡単に飼い慣らしたのが、あんなに世間知らずの初心な娘だとは…と目から鱗が落ちる思いだ。***の顔を見つめて声も無くふっと笑うと、お登勢は静かに店内に戻った。
酔っ払いの長谷川と常連客が「いつになったら***ちゃんは銀時に愛想をつかすか」で賭けをはじめていた。ひと月、半年、いち年、それぞれにはした金を賭けて、好き勝手に予想を喋っている。
「お登勢さんはどう思う?いつんなったら、***ちゃんは愛想をつかすかね?」
「そうさねぇ…」
少し考えてから、お登勢はきっぱりとした口ぶりで答えた。
「あの子は一生、銀時に愛想をつかさないに、あたしはこの店を賭けるよ」
えー!と大きな声で反論する客の声なんて聞こえないかのように、かぶき町の母は毅然とした態度で、とても嬉しそうに笑った。
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【第3話 目から鱗】end
かぶき町という街のすごさは、そのネットワークの豊かさにある。この街の噂話は光の速さで伝わる。そしてそのネットワークの真の恐ろしさを、***は身をもって知ることになる。
万事屋の外廊下から、銀時に向けて愛を叫んだ日から、***は街を歩くたびに「よぉ姉ちゃん、万事屋の旦那とはその後どうだい」とか「お姉さん、白髪のお兄さんと上手くいった?」とか、見知らぬ人から散々話しかけられた。
とんでもないことをしてしまった、と後悔しても時既に遅し。例えば、あの告白を聞いていた人々のなかには、***の行きつけのお豆腐屋の主人がいた。大の話好きの主人があの大演説を聞いて帰宅して、家族に話す、飲み屋で話す、翌日豆腐屋に来た客に話す。
例えば、あの人だかりのなかには、***農園の牛乳を取っている家の奥さんがいた。ゴシップ好きな奥さんは、***の叫びを聞くや否や、かぶき町の商店街へと駆け込み、そこにいた人全員に向かって「ちょっと今すっごい物見ちゃったわよ!ほらあの牛乳配達してる女の子がさぁ、万事屋さんとこのさぁ……」と、それはもう早口で知らせた。
古典的な口伝えによって「牛乳配達をしている大江戸スーパーの女の子は、万事屋の旦那が好きらしい」という情報が、瞬く間に街中に広がっていった。
街で「それでどうなったの?」と聞かれるたびに、***は赤面して、「どうもすみません、そんなに簡単なことじゃないんですけど……」ともごもご言いながら、後ずさりして退散した。
スーパーのレジで、訳知り顔の奥様方から声をかけられ、「男を落とすんならまず胃袋からつかむのがいいわよ。料理上手は床上手っていうでしょ」と、とんでもない助言をされて、仕事中に大汗をかいた。
今日も一日働いている間に、数えきれないほどの人に「頑張ってね」「応援してるよ」などと声をかけられた。果てはガキ大将のよっちゃんにまで、「***ねぇちゃん、万事屋のオッサンのこと好きなの?アイツはやめとけよ、神楽がろくに給料も払わねぇ甲斐性無しのマダオだって言ってたぞぉ」と言われる始末。
一日中苦笑いと赤面のしっぱなし、という日々がここ数週間続いている。自業自得なのだから、甘んじて受け入れねばならないと頭では分かっている。しかし、それでもとてつもなく疲弊して、仕事終わりにはげっそりとする。足取りもおぼつかなく、万事屋への道をとぼとぼと歩いた。
「きっと銀ちゃんにも迷惑かけちゃってるよね……」
小さな声で***がつぶやいた言葉は、誰にも届くことなく、夕暮れの空へ吸い込まれていった。
迷惑というのか身から出たサビか。銀時も***同様、かぶき町の洗礼を受けていた。そしてそれは、***以上にもっと酷い惨劇だった。
あの告白を受けて以来銀時は、事情を知った街の人々から「あの純粋な子に手を出した不届き者はお前か」という目で見られるようになった。まるで針で刺されるような視線に、肩身が狭い。
いや、なんで?俺なんもしてねーだろ、ちょっと***と仲良くしただけじゃねーか。
飲み屋では、顔見知りの酔っ払いに肩を叩かれて、「よっ!この色男!付き合い長ぇが、銀さんがモテてるのなんてはじめて見たよ!***ちゃんって男見る目がないねぇ!」と皮肉を言われた。にやにやと笑った他の客にも、「あんな清純派の子に、旦那が手ぇ出すなんて犯罪だ犯罪。まさかお前さん本気になってねぇだろうな」と言われた。
「うるせぇぇぇぇ!テメーらがモテねぇからって、ひがんでんじゃねぇよ!若い娘に言い寄られんのが、そんなに羨ましいか!!ロリコンか!?オメーらはロリコンなんですかぁぁぁ!!?」
そう言い返して、喧嘩になる。そんな調子でろくに酒も飲めず、苦々しい顔で帰る日々が続いていた。その日も酒が飲みたくて、人の少ない開店直後を狙って店へ行ったが、既に見知ったにやけ顔が見えて、「っんだよ、ちきしょぉぉぉぉ!」と言いながら、とぼとぼとスナックお登勢へと戻ってきたのだった。
「銀さん、どこ行ってたんですか!?お登勢さんにポスター貼り頼まれてたの忘れたんですか?自分だけサボるなんて駄目ですよ!」
スナックお登勢の引き戸を開けると、新八と神楽、タダ酒を飲みに来た長谷川さん、それと数人の常連客が店内にいた。神楽は炊飯器から直接米を食べている。長谷川さんは酒の入ったコップを片手に、赤い顔をしている。
新八だけが銀時の方に顔を向けて、両手に大判のポスターの束を抱えて話しかけてきた。ポスターには「大江戸納涼花火大会」の文字。そういえば町内会のポスター貼りを、代わりにやっておけと、お登勢に言われていたっけか。
「っんだよ、新八ぃ、ポスターなんていつでも貼れんだろ。今日みてぇなむしゃくしゃする日は酒だ酒ぇ~」
「銀さん最近ずっとむしゃくしゃしてんじゃないですか。***さんのことで野次馬がうるさいって昨日もお酒飲んでたでしょう。今日くらいちゃんと働いてくださいよ」
「うるせぇのはお前だ、この童貞メガネ!街中の奴らに皮肉言われて、無垢な少女に手ぇ出した犯罪者みてぇな目で見られる俺の気持ちも、少しは考えろよ。そりゃむしゃくしゃもすんだろ。***の暴走のせいで飲み屋に行けねぇ、酒も飲めねぇ、道も歩けねぇってどーゆーことだよ。一体俺が何したってんだよ!?なんも悪ぃことしてねーだろ!とばっちりもいいとこだっつーの!」
銀時がそう言った途端、がやがやとしていた店内がしんと静まり返った。後ろ手に引き戸を閉めた銀時を、店内の全員が見つめる。その視線に気づいて、カウンター席へ座ろうと踏み出した足が止まる。「は?」と言った銀時の口が、そのまま固まった。
口火を切ったのは一番近くにいた新八だった。
「いや、銀さん、それは街の人が正しいってことくらい、さすがの僕でも分かりますよ。あんた散々***さんのことからかって、毎回泣きそうになるまでいじめて、あんだけ色々やっといて、いざ***さんに告白されたら尻込みするなんて、同じ男として情けなさすぎます。今回ばかりは僕も見損ないましたよ。姉上も、女性の告白をうやむやするような男に未来は無いって言ってましたよ。そのうち***さんに愛想尽かされても知りませんからね」
炊飯器をドンと置くと、口の周りを米粒だらけにした神楽が口を開いた。
「新八もメガネのくせにたまには的を得たことを言うアルな。万事屋に***が来るたび、追っかけまわして金魚のフンだったのは銀ちゃんのほうネ。***が勝手に好きになったみたいなスカしたこと言うなヨ。***がかわいいからってセクハラしまくったのはお前だろエロ天パ。***がすっごく優しいからだまされてるだけで、そのうち化けの皮が剝がれて、甲斐性無しのマダオだって分かれば、銀ちゃんなんてお払い箱アル。覚悟しとくヨロシ」
酒のグラスを持ったまま長谷川さんは「ひぃ~っく」と大きなしゃっくりをした。
「いやぁ~あのおとなしそうな***ちゃんが、派手な告白したってホームレス仲間から聞いた時は、俺もたまげちまったよ。身投げ助けてもらった縁で、あの子にゃ俺も世話んなってんだ。スーパーの売れ残りをわざわざ持ってきてくれるんだぜ。***ちゃんはさ、根っからの優しい子だよ。金もらわねーと何もやんねぇどっかの野郎とは大違いでさ、なんの見返りが無くとも困ってる人見たら助けちまうんだ。そりゃ銀さんとは釣り合わねぇに決まってんだろぉ~」
酒の入った長谷川さんにつられて、常連の男性客まで声を張り上げた。
「そうだよ万事屋の旦那ぁ、あのくらいの年若い純情な娘が、旦那みてぇなヤクザもんに惹かれるっつーのは世の常でさ、あんま期待して入れ込むと、あっさり捨てられて痛い目見ることになるよ」
「***ちゃんっつったっけ?俺も話したことあるけど、気立てがよくて賢い子だから、旦那を見限るのだって早いさ。あんなかわいい子、引く手数多なんだから。」
「ああ、そりゃ俺もそう思ってた。あんなに一途な告白して、こんだけ人に冷やかされてんだ、とっくに旦那のことなんて諦めてんじゃねぇのかい、頭のいい子なんだし」
男たちの勝手な推測を聞いて、店内の大部分が「うんうん」とうなずく。
唯一、黙って煙草を吸っていたお登勢が、煙をふーっと吐き出すと銀時をじっと見つめて口を開いた。
「まぁ、はじめて会った時からずいぶん純情な子だと思ってたけど、まさか銀時にほだされちまうような世間知らずだとはねぇ。あたしは***ちゃんが可哀想でならないよ。あんなに働き者のいい子は、銀時には連れにするどころか、爪のアカ煎じて飲ませんのだって、もったいないくらいさね。……ところで銀時、あんた***ちゃんの気持ちにまるで気づかなかったみたいな言い草だけど、そりゃないだろう。あの子ほど分かりやすい子はないよ。あんたの前でだけ真っ赤んなって、ハタから見てても丸わかりだったじゃないかい。それにも気づかないような大馬鹿が、いつまでもあの子の気持ちもてあそんでると、バチが当たって死ぬよ」
プッチ―――ン
店中に響くほどの大きな音を立てて、銀時の怒りが沸騰した。眉間に幾筋ものシワ、顔にビキビキと浮き上がる血管、髪は逆立ちそうなほど。
「オメーら……人が黙って聞いてりゃずけずけと、俺の人格を否定するようなことばっかり言いやがって。どーせお前らアレだろ?お前らのかわいい***が、俺を特別扱いすんのが悔しいってだけだろーが!銀さんがイケメンだから?***の特別になっちゃいましたみたいな?ついでに甘栗剥いちゃいましたみたいな?それが羨ましいからって、八つ当たりしてんじゃねーよ!俺が頼んで好きになってもらったわけじゃねぇっつーの!そこの酔っ払いどもはなんなんだよ、まるで***がとっくに愛想尽かして俺が落ち込んでるみてぇなこと言いやがって!あいつはオメーらの知ってるそこいらの尻軽女とはちげぇんだよ!それにクソババァ、何がバチが当たるだ!バチどころか街中の奴らが投げてくる石とかウンコとかが当たりまくってるっつーの!どいつもこいつもくだらねぇことでギャーギャーギャーギャー騒いでんじゃねぇよ、発情期ですかコノヤロー!!!!!」
そう叫んだ銀時が、一番近くにいた新八の横面を拳で殴る。飛びかかってきた神楽に蹴りを入れる。長谷川さんの頭をカウンターに叩きつける。止めに入った常連客たちも、あれよあれよという間に取っ組み合いに引きずり込まれた。店の真ん中で煙がもくもく上がっているのを、お登勢だけが呆れた顔で眺めていた。
「銀時は馬鹿だから、こりゃぁ、***ちゃん次第かねぇ、さっさと愛想尽かしてくれりゃぁいいけど……」
お登勢がそうつぶやいた直後、店の戸が開いた。「ごめんください、銀ちゃんたちいます?」と言いながら、***が入ってくる。それと同時に取っ組み合いの集団の中から、新八が弾き飛ばされて、***に向かって飛んでいった。
「わぁぁぁぁぁ!」
「えっ!?ちょ、新八く、ぎゃぁっ!!!」
飛んできた新八を受け止めた小さな身体が、店の外までよろけて、仰向けにぱたりと倒れた。その***の顔の上に、新八の持っていた大きなポスターがぺらっと落ちる。
「わわわ!***さん、大丈夫ですか!?けがしてません!?」
仰向けで倒れたまま微動だにしない***を見て、店内からぞろぞろと人が出てくる。ポスターは印刷を下にして落ちて、まるで大きな白い布が***の顔にかけられているようで、とてつもなく不吉な様相を呈している。
「おい、ぱっつぁん、お前コレやっちゃったんじゃね?顔隠れてっけど、こいつ白目剥いてんじゃね?」
「***!***ー!起きてヨ!死んじゃ駄目ネ!」
「ちょっとやだよ、救急車呼んだ方がいいかね」
慌てたお登勢が電話のある店内へと戻りかけた瞬間、ガバリッ!とすごい勢いで***が起き上がった。顔の上にあったポスターを両手で握りしめて、目を爛々と輝かせている。
「こここここれ!これって、なんですか!!!??」
ポスターをじっと見つめたまま、***が大きな声をあげる。そこには「大江戸納涼花火大会」の文字と、大きな打ち上げ花火の写真。
「***さん、花火大会知らないんですか?毎年開かれるんですよ。ほら去年行った祭りのもっと大きな規模のやつで、打ち上げ花火が上がるんです」
「もしかして***、花火も知らないアルか?花見といい、花火といい、田舎って何にも無いアルね」
「新八くん、神楽ちゃん、花火は知ってるけど、私本物を見たことなくて……夜空に咲く大きな花でしょう?すごくロマンチックだって、お母さんが言ってたけど…………あ、あの、私これ!この花火大会、行きたいです!!!!」
そう言った***が勢いよく立ち上がって、ポスターを胸に抱いたまま真っすぐに見上げたのは、銀時だった。
「は?なんだよ、花火大会?なに***、お前それ行きたいの?」
「行きたいです!花火、見てみたいです!あの、その、……んちゃんと……」
「……!!アァッ!?何ぃ~!?***ちゃぁ~ん、今なんつったぁ!?銀さん聞こえなかったなぁ!もっとでっけぇ声で言ってくんねぇとわかんねぇなぁぁぁ!!!」
***の小さな声で言われた言葉を聞いた途端、銀時は突然、勝ち誇ったようなにやけ顔で周りを見回した。***の両肩を大きな手でつかむと、大きな声で問いただした。
「ちゃーんと言ってくんねぇと銀さん答えらんねぇけど、何だよ***、花火大会、誰と行きてーの!?」
「……~~~~っ!もぉ!意地悪っ!花火大会、ぎ、銀ちゃんと、行きたいです!!」
ポスターに顔をうずめるようにして叫んだ***の言葉を聞いて、新八や神楽、お登勢やスナックの客たちは「はぁぁぁぁ~」とため息をついた。ただひとり銀時だけが、鼻の穴を膨らませて喜んでいる。
ほら見たことか、***は愛想尽かしてないし?まだ銀さんのことが好きだし?なんならもっと好きんなってるみてぇだし?花火大会一緒に行きたいなんて、いじらしいこと言っちゃってるけど、お前らちゃんと聞いてた?
心の声が顔に書いてあるような得意げな様子で、全員がちゃんと自分たちを見ていることを確認してから、よく聞こえるように大きな声で***に答えた。
「っかぁぁぁぁ~、ほんとにしょうがねぇなお前は、まぁ***がそんなに銀さんと花火大会行きたい!一緒に行けないなら死んでやる!っつーんなら、行ってやるしかねぇよなぁ」
両手で持ったポスターを少し下にずらして、真っ赤な顔の目だけを出すと、***は銀時を見上げて、小さな声で言った。
「し、死んでやるなんて、そんなこと言ってないけど……でも、銀ちゃんと一緒に花火、見たいです……」
「花火だけじゃこの銀さんは動かないよ?かき氷と綿あめとクレープ付きなら行ってやんないこともねーけど、どーする?」
「えぇっ!?そ、そんなに!?うぅ~ん……で、でも分かりました、かき氷と綿あめとクレープ、付けます!付けますから、銀ちゃん一緒に行ってくれる?」
「わぁーかったよ!そんな必死な顔しなくても行ってやるよ、しょうがねぇな。花火ごときでこんなに大騒ぎすんのお前だけだぞ、これだからガキだっつってんだよ」
ポスターがぱっと外れると、心底嬉しくてたまらないというような***の笑顔が現れた。銀時も口では嫌味を言いながら、その笑顔に満更でもない気持ちになり、ふっと笑った。大きな手を頭にぽんぽんと乗せると、ますます笑顔を弾けさせて、***は飛び跳ねた。
「絶対行くからね?約束ですからね?後からやっぱめんどくせーとか言うのは無しだよ?あっ!ほら、このポスター銀ちゃんも持って帰って、日付忘れないように壁に貼ってください!」
そう言って***は、地面に散らばった大量のポスターを拾い始める。
「新八くん、こんなにたくさんのポスター、どうするの?」
「お登勢さんに頼まれて、これから貼りに行こうとしてたんです。でも銀さんがめんどくさがってサボろうとしてて……」
「駄目だよ銀ちゃん!ちゃんと貼らないと!ポスターが無いせいで集客が悪いから花火大会中止ってなったら、どーするんですか!?責任取れないでしょう?ほら、私も手伝いますから、街中の目立つところに貼りましょう!ほら早く、神楽ちゃんも!!」
「っだぁぁぁぁ!めんどくせぇ!俺は酒が飲みてぇんだよ酒がぁ!ポスターなんか明日でいーだろ明日で!」
「ちょっと***待つアル!私もクレープ百個食べたいネ!お祭りでおごるヨロシ!」
ぐいぐいと***に腕をひっぱられ、銀時が歩きはじめる。その後ろを新八と神楽が走って追いかけていく。
***にとがめるような目で見つめられて歩く銀時の、言葉とは裏腹に心なし嬉しそうな足取りに、後ろから見ていたお登勢だけが気付いた。
ありゃまるで尻尾振って主人を追いかける犬だね、とお登勢は思う。あの犬を簡単に飼い慣らしたのが、あんなに世間知らずの初心な娘だとは…と目から鱗が落ちる思いだ。***の顔を見つめて声も無くふっと笑うと、お登勢は静かに店内に戻った。
酔っ払いの長谷川と常連客が「いつになったら***ちゃんは銀時に愛想をつかすか」で賭けをはじめていた。ひと月、半年、いち年、それぞれにはした金を賭けて、好き勝手に予想を喋っている。
「お登勢さんはどう思う?いつんなったら、***ちゃんは愛想をつかすかね?」
「そうさねぇ…」
少し考えてから、お登勢はきっぱりとした口ぶりで答えた。
「あの子は一生、銀時に愛想をつかさないに、あたしはこの店を賭けるよ」
えー!と大きな声で反論する客の声なんて聞こえないかのように、かぶき町の母は毅然とした態度で、とても嬉しそうに笑った。
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【第3話 目から鱗】end