銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第28話 この道の先】
配達の後に郵便局に寄って手紙を出す。昨年の帰省以降、***は母親と文通を続けている。封筒をポストへ投函すると、無事に届きますように、と心の中で唱えた。
着物の袖口に先週届いた手紙が入っている。母からの手紙のいちばん最後はいつも「***の幸せをお母さんは祈っています」だ。今出した大切な手紙が、早く届くといい。そう思いながら***は万事屋へと向かった。
万事屋の外階段を昇ろうとしたところで、その陰に小さな男の子がふたりしゃがんでいるのを見つけて、***は足を止めた。
「あれ?君たちは……」
うつむいていたふたつの頭が、ぱっと上を向く。その顔に見覚えがあった。どこかで会ったことがあるけど、誰だったっけ?と考えているうちに、子供たちがダッと駆け寄ってくる。そして何も言わずに、***の腰にぎゅっと抱き着いた。
「わわわっ!!!ど、どうしたの!?」
「おねーちゃん!僕たち、おっきな犬は怖いの……」
「おっきな犬?」
そんなのどこにもいないよ、と言う***に少年ふたりは勢いよく喋りはじめた。
「銀色の髪のおにーちゃんのところにいたんだもん!すっごくおっきくて、真っ白な犬!」
「アルアルって、変なしゃべり方する人と一緒に入っていくの見たんだ!」
「それって……定春と神楽ちゃんのこと?君たち万事屋に来たの?じゃぁ……お姉ちゃんと一緒に行く?」
少年ふたりは互いに顔を見合わせて少し悩んだが、泣きそうな顔で首を横に振った。すがるような目で自分を見上げるふたりを見て、7歳と5歳くらいだろうか、と***は想像する。年上らしき少年は、大きなビニール袋を持っていた。その袋に団子屋の名前が書かれていて、その名にも覚えがあった。
すぐに銀時を呼ばなければと思ったが、腰にしがみつくふたりが一向に離れないので、***は階段を昇ることが出来なかった。
「銀ちゃん、うちに来てくださいっ!いますぐっ!」
電話口の***の声がずいぶん慌てていたので、何か悪いことがあったのかと思い、銀時は青い顔で原付を飛ばした。
―――あ~、あれか、あのボロアパートがついに崩れ落ちたとかか?そんで家の下敷きになってぺしゃんこになってるとか?それか泥棒に入られたか?いやいや、あんな貧乏人しか住まねぇ家に泥棒なんて入るわけねーだろ。じゃぁなんだ、下着泥棒とかか、水色パンツ盗られたとかか?オイふざけんな、ぶっ殺すぞ。
被害妄想が広がって、***がひどい目にあっている姿が、どんどん頭に浮かんできた。下着を盗まれて泣いている***。暴漢に襲われそうになっている***。「銀ちゃん助けて!」と叫ぶ顔が見える。スピードを上げた原付の後輪から、砂煙が舞った。
アパートに着いた時、銀時は鬼のような形相をしていた。やってきた勢いのまま、ノックもせずにバンッと扉を開けた。
「オイッ***、どーしたっ!?生きてっか!!?」
「あっ!ちょうどよかった、銀ちゃん!お茶淹れたので、上がって下さい!はやくっ!」
「は………?」
そこには泥棒も暴漢もいない。ただ小さな男の子がふたり、ちゃぶ台のわきにちょこんと座っていた。その顔に銀時も見覚えがあるが、名前どころかどこで会ったのかも思い出せない。あれ、誰だっけコイツら。ぽかんとした顔の銀時に向かって、***がへらりと笑いながら口を開いた。
「すごい奇跡ですよ、銀ちゃん!銀ちゃんが助けた子たちが、お団子屋さんのとこの子だったんです!ホラちょっと前にお団子買ったら、銀色の髪が珍しいからって、おかみさんがお団子いっぱいくれたお店あったでしょ?そこの子たちだよ」
「あぁ?っんなこと覚えてねーな。俺がこんな貧乏くせぇガキ助けるわけねぇだろ。万事屋は金持ってる奴からしか仕事引き受けねぇっつーの」
「ちがいますよ、この子たちは依頼人じゃなくて……ほら、前に銀ちゃんがお腹を刺されちゃった時に、この子たちと一緒にいましたよね?お兄ちゃんがかばってくれたって言ってたじゃない」
「はぁ?俺腹なんて刺されたっけ?それっていつ?二年前くらい?銀さんさぁ、過去は振り返らない主義なんだよね。だから同窓会も行かねぇし」
なんで覚えてないんですかっ!と怒りながら、***は必死に説明したが、銀時は一向に取り合わなかった。最後は***もため息をついて、諦めたように首を振った。
「ずっとお礼を言いたかったけど、銀髪のお侍さんってことしか覚えてなくて、どこの誰か分からなくて困ってたんだって。でもおかみさんが気が付いて、ふたりで万事屋にお礼に来たんですって!」
「いや、じゃぁなんでお前んちにいんだよ」
「神楽ちゃんが定春を連れて万事屋に入っていくの見たら、怖くなっちゃったんだよね?たまたま私が通りかかって、一緒に行こうって言ったけど犬が怖いからヤダって……ね?だからうちに来たんだよね?」
ちゃぶ台に湯呑みを置きながら座った***が、にっこり笑ってふたりに声をかけた。勢いよく入ってきた銀時におびえていたふたりが、***の微笑みを見た途端、ほっとした顔をした。
身を寄せ合っていたふたりが離れて、すすす、と動くと***の両脇にくっついた。どうしたの?銀ちゃんは優しいから怖くないよ?そう言う***と小さなふたりが、銀時にはまるで母子のように見えた。
「で、その団子の山はコイツらが俺に持ってきたってやつ?」
「そうです。よかったね銀ちゃん、一郎くんと二郎くんのおかげで、お団子食べ放題だよ!」
一郎と二郎と呼ばれた団子屋の兄弟は、***の腕をつかんだまま、恐々と銀時を見上げた。
「おにーちゃん、僕たちを助けてくれて、ありがとう」
「母ちゃんがお礼に、あんことみたらし、30本づつ持ってけって」
ふたりは小さな頭をぺこりと下げた。鼻をほじりながらちゃぶ台の脇に座った銀時は、袋を開けて団子を食べ始めた。
「オメーらのことは覚えてねぇが、団子の味は覚えてるわ。まぁ、こーゆー礼だったら、俺はいつでも受け付けってから、どんどん持って来いよ。次は100本づつでいーぞ。あと母ちゃんに言っとけ、みたらしはもっと甘くしろって、砂糖の量を倍にしろって」
憎まれ口を叩きながらも、銀時がすごい速さでバクバクと団子を食べるのを見て、一郎と二郎はぱっと笑顔になった。そのふたりに向かって***が、「ね?言ったでしょ、銀ちゃんは怖い人じゃないよ。定春も怖くないから、今度は一緒に万事屋へ行こうね」と言った。
「うんっ!」とうなずいたふたりが立ち上がると、***の両腕を持って立ち上がらせる。
「おねーちゃん、遊ぼう!早く早くっ!」
「え、え?遊ぶって、外で?あ、銀ちゃん、急須にお茶入ってるんで、好きに飲んで下さい!」
ふたりに引きずられるように、部屋を出て行く***を横目で見送って、銀時は次の団子へと手を伸ばした。
開けっ放しの玄関の扉の向こうから、子供ふたりの笑い声と「一郎くん、危ないから飛び出さないで!」とか「イタタタッ、髪の毛引っ張らないで二郎くん!」と叫ぶ***の声が聞こえた。子供ふたりに翻弄される***の姿が眼前に浮かんできて、銀時は団子を頬張りながら、「ぶっ」と吹き出した。
団子を食べ終えて外に出ると、三人は地面に連なる円を描き、その円の中をぴょんぴょんと跳んで遊んでいた。
「けん、けん、ぱっ!けん、ぱっ!はい、次、おねーちゃんの番!」
「よぉし!お姉ちゃん行きまーす!」
着物の裾を持って、***は子供のような顔で楽しそうに遊んでいた。しかし、いちばん幼い二郎が転ぶと、さっと駆け寄って抱き起こす。半べそをかく二郎の前に***はしゃがんで「大丈夫?」と顔を覗き込んだ。その心配そうな目は、まるで母親のようだった。
―――なんだ、アイツ、ガキみてぇだったり、母親みてぇだったり、忙しい奴だな……
団子の串をくわえた銀時が三人を眺めていると、急に二郎が目の前の***に、大きな声で問いかけた。
「おねーちゃんはあのおにーちゃんのお嫁さんなの?」
「えっ!!?およ、お嫁さん!?違うよ二郎くん!!」
二郎に指さされた銀時はぽかんとしていたが、真っ赤になって慌てる***を見て、再び「ぶっ」と吹き出した。
「オイ、***、お前なにガキ相手に真っ赤になってんだよ」
「だ、だって、二郎くんが急に変なこと言うからっ!」
ゲラゲラ笑う銀時と、真っ赤な顔で怒る***を見て、二郎が再び大きな声を出した。
「おにーちゃんのお嫁さんじゃないなら、おねーちゃんは僕のお嫁さんになってくれる?」
「えっ?私が?二郎くんの?そ、それはどうかなぁ、だってお姉ちゃん、二郎くんよりずっと大人だし」
「じゃぁ僕がもっと大人になったら、お嫁さんになってくれる?」
えぇっと、と***が言いよどんでいる内に二郎は、「僕、おねーちゃんが持ってくる牛乳飲んで大きくなるから」「団子も上手に作れるようになるから」「あのおにーちゃんみたく強くなるから」とまくしたてた。
赤子のように幼い澄んだ瞳で見つめられて、***の胸はきゅんと締め付けられた。ふふふ、と微笑んで二郎の頭を撫でた。
「じゃぁお姉ちゃん、二郎くんが迎えに来るのを待ってようかな。二郎くんが大人になって、大きな犬も怖くなくなったら、私をお嫁さんにしてね」
それを聞いた二郎はぱっと顔を明るくして、***の首にぎゅっと抱き着いた。その小さな身体はまだ赤ちゃんのように柔らかかった。
「おねーちゃん大好き!約束のチュウ!!」
そう叫んだ二郎が、***のおでこに小さな唇をちゅう、と押し当てた。「わぁ!」と***は一瞬驚いてから、「もう、二郎くん!」と嬉しそうにふにゃふにゃと笑った。
***にしがみつく二郎の首根っこを、銀時が怒りの形相でむんず、とつかんだ。
「オイィィィ!クソガキッ!さっきから黙って見てれば、生意気なことばっかしやがってコノヤロー!おい、一太郎!テメーの弟はとんだ女たらしじゃねぇか。団子はもう食ったから、二太郎つれてさっさと帰りやがれ!!」
「おにーちゃん、ぼく一郎だよ。あと弟は二郎」
二郎の小さな身体は、いとも簡単に持ち上げられ、一郎へと押し付けられた。片手でしっしっとする銀時と、笑いながら手を振る***に見送られて、兄弟は手を繋いで帰っていった。
「えへへ、銀ちゃん、私プロポーズされちゃった!」
「お前なぁ~…あんなケツの青いガキにチューされて、なに喜んでんだよ。あの歳で女たらしのガキなんざ、ろくな大人になんねぇっつーの。なれてホストだろ。高天原でナンバーワンだろ。いいのかお前、テキトーな約束しちまって、ほんとにあのガキが迎えにくんぞ」
「そんなわけないじゃないですか。あの子が大人になる頃、私はとっくにオバサンです。ふふっ、でも………銀ちゃんがあの子たちを守ってくれたおかげで、私の嫁ぎ先ができました!私もお礼言わなきゃ。あのふたりを助けてくれて、ありがとう銀ちゃん」
へらりと笑った***が、銀時を見上げて嬉しそうに言った。その無邪気な顔を見て、ずっと聞きたかったことが頭にぱっと浮かんだ。考えるよりも前に、その質問が口から飛び出していた。
「***お前さ……なんで俺になんも言わねぇの。普通、好きな男がろくでもねぇことやってたり、危ねぇ橋ばっか渡ってたら、そーゆー生き方やめろとか、もっとまともに働けとか言うもんなんじゃねぇの?お前はアレですか?ダメンズ好きですか?ダメンズ製造機ですかぁぁぁ?そんなんじゃお前、本当にあのガキが迎えに来るまで独り身で、行き遅れになっちまうぞ」
機関銃のように矢継ぎ早に言われたことを聞いて、***は一瞬きょとんとした顔をした。しかし突然「あははっ!」と笑いだすと、銀時の腕をパシパシと叩いた。
「イテイテッ!オイッ!テメーなにすんだよ!」
「あははっ、ごめん、でも、だって……銀ちゃんが変なこと言うからっ」
腹を抱えてひーひーと笑う***を、銀時は憮然とした顔で見下ろした。笑いすぎてにじんだ涙を***は指でぬぐった。
「銀ちゃん、私……、万事屋のお仕事を、ろくでもないなんて思ったこと一度もないです。……困ってる人がいたら、後先考えずに飛び出して行く三人のことが、私はすごく好きだよ。どれだけ傷ついても、どんなに痛くても、守りたいものを守ってる銀ちゃんを、私はずっと見ていたいです。そーゆー生き方で、生きていてほしいです、ずっと」
微笑みながら言われた言葉に、銀時の胸がちくりと痛んだ。それでお前はどうすんだよ、と聞き返したかった。でもその答えを***に言わせるのは、あまりにも残酷すぎる。
―――そーゆー生き方しかできねぇ俺は、お前を嫁やら妻やら母親やらにして、幸せにすることはできねぇんだぞ。それでもお前はいいのかよ。
心の中だけでそう問いかけて、銀時が何も言わずにいると、***が小さな声でつぶやいた。
「……どこにも行かないです」
「あ゙ぁ?」
「私はここ以外の、どこにも行かないです。お嫁になんて行かない……私の行先はもう、決まってるんです」
「はぁ?ここってかぶき町かよ?お前みてぇな若い女が、こんな薄汚ぇ街に骨埋めるなんてこと、軽々しく決めてんじゃねぇよ。気が早ぇっつーの。白馬に乗った王子だか将軍だかが迎えに来るかもしれねぇじゃねぇか、あきらめんなよ」
「ちがうよ銀ちゃん」
そう言った***が地面をじっと見つめながら、口をつぐんだ。地面には幼い兄弟が描いた円が並んでいる。円の中には小さな足跡がたくさん残っていた。
「私、行き遅れたりしない。私の行先にはいつも決まった人がいるんです。その人はね……死んだ魚のような目をしてて、甘い物ばっかり食べてて、優秀な部下がふたり居て、大きな犬を飼っていて、街中の人に頼りにされてる。自分が誰を助けたのか忘れちゃうほど、いっぱい人を助けてるくせに、恥ずかしがってまともにお礼も聞き入れなくて、ぶっきらぼうで、不器用で、宇宙でいちばんやさしくて……それで、その人は………」
ぱっと着物の裾を持つと、***は地面に書かれた円に一歩踏み出した。そして「けん、けん、ぱ、けん、ぱ」のリズムで飛んだ。
「銀、髪、のっ、天、パっ!……の、人なんです。その人のところにしか私は行かない。私はもう銀ちゃんのところにいるから、だから行き遅れたりしないよ」
離された着物の裾がすとんと落ちる。くるりと振り向いて***は微笑んだ。その顔はもう全てを受け入れたような笑顔で、まぶしくて直視できない。出会った時から、この純粋で馬鹿みたいにまっすぐな笑顔が、いつも隣にあったことを思い出して、銀時は笑えてきた。
「はっ、すっげぇ殺し文句……お前さぁ、そんなのどこで覚えてくんの。ガキが大人をからかうんじゃありません!」
ふふっと笑った***が、再び片足飛びを始めた。何度もぴょんぴょんと跳ねていると、その袖口から紙切れがひらりと舞った。足元に落ちた紙を拾った銀時は「おい、落ちたぞ」と言いかけたが、その声は出なかった。
そこに並ぶ几帳面な文字を、銀時は以前に見たことがあった。宛名を読まなくてもそれが、***の母親の文字だと分かった。読む気はなかったのに、その手紙のびっしりと並んだ文字の羅列の中に「銀ちゃん」の単語を見つけて、つい目が走る。
‟***の話を読む以上、銀ちゃんは***のことを友達以上に思っていると、お母さんは思います。あとひと押しですよ***、頑張ってください。いつか銀ちゃんと一緒に、うちの農園に遊びに来る日を楽しみにしています”
「お、お、お前、***っっっ!これぇぇぇ!!!」
驚きの声をあげた銀時に、振り向いた***が顔を真っ青にして「わぁぁぁぁっ!!!」と叫んだ。
慌てて駆け寄ると手紙を持つ銀時の手に、両手でしがみついて手紙をひったくろうとする。
「なななななんで持ってるの!?え、もしかして読んだ!?やだぁ!銀ちゃんの馬鹿ぁっ!!!」
「馬鹿はお前だろうが!なに母ちゃんに恋愛相談しちゃってんの?そんでなに銀さんのことまで言っちゃってんのぉ?なにあとひと押しって!?なに頑張ってくださいって!?お前ら親子はどんな話してんだよ!!昼休みのOLかよ!!!」
「ぎゃぁぁぁ!!お願い忘れて!忘れてください!」
真っ青だった顔が真っ赤になり、***は銀時の手にすがりつく。眉を八の字に下げて、泣きそうになりながら、なぜか「ごめんなさいっ」と謝っていた。
「お母さんがっ、万事屋のこと知りたいって手紙で書いてくるから……銀ちゃんのことも書いてたら、な、なんか自然と銀ちゃんはお母さん公認の好きな人というか……そういうのになっちゃったんです。図々しいことは分かってます!ごめんね、もう書かないからっ!!」
自分の手にぶら下がる***が、必死の形相で言った「お母さん公認の好きな人」という言葉が面白くて、銀時は思わず吹き出した。
そーかそーか、そんならしょうがねぇな。母ちゃんも認めた俺が、コイツを放り出すわけにはいかねぇよな。
「はぁぁぁ~、娘も娘なら母ちゃんも母ちゃんだな……しょーがねぇな***、お前がほんとーにいつまでも独身で、ナンバーワンホストになった二郎も迎えに来ねぇで婚期逃して、行き遅れんなったら、そんときゃ銀さんがもらってやるよ。だから母ちゃんにも安心しろって言っとけ。ひと押しも何も、もう押しかけ女房みたいなもんですって」
「え………?ほ、ほんと?銀ちゃん、ほんとに私がいつまでも銀ちゃんのことをずっと好きだったら、いつかお嫁にもらってくれる?」
「お~、しょうがねぇからな。母ちゃんにまで知られて、テキトーなこと言えねぇだろ。本当にお前ら親子は世話が焼けるよ。銀さんの海のよーな懐の深さに感謝しろっつーの」
その言葉を聞いた***の手が小さく震え出す。瞳にぶわっと涙が浮かんで、一瞬で溢れそうになる。銀時から取り上げた手紙をぐしゃぐしゃと両手で握って、それにぎゅっと顔を押し当てると、その場にしゃがみこんだ。
オイオイ、と言いながら銀時もその前に座り込む。
「なにお前、泣くほど嬉しいのかよ。別に俺は、いますぐ嫁に来いって言ってねーからな。行き遅れたらもらってやるっつったんだぞ?」
呆れたような銀時の声に、***は顔をふせたまま返事をした。
「わ、分かってます……でっ、でも、それでも嬉しいです。うぅっ……くっ、約束だよ銀ちゃん、私、ずっと変わらないからっ、絶対にいつかもらってくださいっ、よぼよぼの、お婆ちゃんになってからでもいいから……」
いつも通り「へーへー分かったよ、お前はいちいち大袈裟なんだよ」とテキトーな返事をしようと銀時は思っていた。
しかし***が顔を押し付けている手紙の裏が、水を垂らしたように滲んでいくのを見て、言葉を失った。紙一枚隔てたところで、***は大粒の涙を流していた。
「おい、***、顔上げろ」
「や、やだっ、ちょっと待って、今は駄目です」
「いいから」
向かい合ってしゃがんだ***の顔に両手を伸ばすと、ばっと手紙から上げさせる。案の定、顔じゅうが涙で濡れていた。瞳はまだ潤んで、次の涙の一粒が落ちそうだった。嫌がって顔を背けようとする***のほほを、ぐいっとつかんで自分の方を向かせる。パラッという音を立てて手紙が地面に落ちた。
「ちょ……っと、銀ちゃ、」
よろけて地面に膝をついた***の顔を、銀時はじっと見つめてから、そっとその前髪を手で流した。白くつるりとした肌のおでこに、わざと乱暴に唇を押し付ける。ちゅう、という幼稚な音のする口づけだった。
「わっ………!!!」
***にとっては、何が起きたかも分からないほど、一瞬の出来事だった。あまりの驚きに涙が引っ込む。ぱっと顔を離された後には、押し付けられた銀時の唇の熱さと、耳に響いた「ちゅう」という音だけが、身体に残っていた。へなへなと地面に座り込み、湯気が出そうな程、顔を真っ赤に染めた。
「なっ、なっ、何っ、ぎ………!!!」
事態を理解しても言葉が出てこない***を見て、銀時はゲラゲラと笑ってから大声で言い放った。
「約束のチュウ、の上書きのチュウだろーが!よかったな***、大好きな銀さんにでこチューしてもらって。母ちゃんにもちゃんと報告しとけよ」
「~~~~~っ!ぎ、銀ちゃんの馬鹿ぁっ!!」
そう叫んだ***が、ばっと立ち上がると銀時の頭をポカポカと殴った。「いてぇな、やめろよ」と逃げる銀時と、真っ赤な顔のまま腕を振り回して追う***が、地面に書かれた円の上を、行ったり来たりする。終わりのない追いかけっこを続けるふたりの、楽しげな笑い声が、初夏の青空に響いた。
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【第28話 この道の先】end
配達の後に郵便局に寄って手紙を出す。昨年の帰省以降、***は母親と文通を続けている。封筒をポストへ投函すると、無事に届きますように、と心の中で唱えた。
着物の袖口に先週届いた手紙が入っている。母からの手紙のいちばん最後はいつも「***の幸せをお母さんは祈っています」だ。今出した大切な手紙が、早く届くといい。そう思いながら***は万事屋へと向かった。
万事屋の外階段を昇ろうとしたところで、その陰に小さな男の子がふたりしゃがんでいるのを見つけて、***は足を止めた。
「あれ?君たちは……」
うつむいていたふたつの頭が、ぱっと上を向く。その顔に見覚えがあった。どこかで会ったことがあるけど、誰だったっけ?と考えているうちに、子供たちがダッと駆け寄ってくる。そして何も言わずに、***の腰にぎゅっと抱き着いた。
「わわわっ!!!ど、どうしたの!?」
「おねーちゃん!僕たち、おっきな犬は怖いの……」
「おっきな犬?」
そんなのどこにもいないよ、と言う***に少年ふたりは勢いよく喋りはじめた。
「銀色の髪のおにーちゃんのところにいたんだもん!すっごくおっきくて、真っ白な犬!」
「アルアルって、変なしゃべり方する人と一緒に入っていくの見たんだ!」
「それって……定春と神楽ちゃんのこと?君たち万事屋に来たの?じゃぁ……お姉ちゃんと一緒に行く?」
少年ふたりは互いに顔を見合わせて少し悩んだが、泣きそうな顔で首を横に振った。すがるような目で自分を見上げるふたりを見て、7歳と5歳くらいだろうか、と***は想像する。年上らしき少年は、大きなビニール袋を持っていた。その袋に団子屋の名前が書かれていて、その名にも覚えがあった。
すぐに銀時を呼ばなければと思ったが、腰にしがみつくふたりが一向に離れないので、***は階段を昇ることが出来なかった。
「銀ちゃん、うちに来てくださいっ!いますぐっ!」
電話口の***の声がずいぶん慌てていたので、何か悪いことがあったのかと思い、銀時は青い顔で原付を飛ばした。
―――あ~、あれか、あのボロアパートがついに崩れ落ちたとかか?そんで家の下敷きになってぺしゃんこになってるとか?それか泥棒に入られたか?いやいや、あんな貧乏人しか住まねぇ家に泥棒なんて入るわけねーだろ。じゃぁなんだ、下着泥棒とかか、水色パンツ盗られたとかか?オイふざけんな、ぶっ殺すぞ。
被害妄想が広がって、***がひどい目にあっている姿が、どんどん頭に浮かんできた。下着を盗まれて泣いている***。暴漢に襲われそうになっている***。「銀ちゃん助けて!」と叫ぶ顔が見える。スピードを上げた原付の後輪から、砂煙が舞った。
アパートに着いた時、銀時は鬼のような形相をしていた。やってきた勢いのまま、ノックもせずにバンッと扉を開けた。
「オイッ***、どーしたっ!?生きてっか!!?」
「あっ!ちょうどよかった、銀ちゃん!お茶淹れたので、上がって下さい!はやくっ!」
「は………?」
そこには泥棒も暴漢もいない。ただ小さな男の子がふたり、ちゃぶ台のわきにちょこんと座っていた。その顔に銀時も見覚えがあるが、名前どころかどこで会ったのかも思い出せない。あれ、誰だっけコイツら。ぽかんとした顔の銀時に向かって、***がへらりと笑いながら口を開いた。
「すごい奇跡ですよ、銀ちゃん!銀ちゃんが助けた子たちが、お団子屋さんのとこの子だったんです!ホラちょっと前にお団子買ったら、銀色の髪が珍しいからって、おかみさんがお団子いっぱいくれたお店あったでしょ?そこの子たちだよ」
「あぁ?っんなこと覚えてねーな。俺がこんな貧乏くせぇガキ助けるわけねぇだろ。万事屋は金持ってる奴からしか仕事引き受けねぇっつーの」
「ちがいますよ、この子たちは依頼人じゃなくて……ほら、前に銀ちゃんがお腹を刺されちゃった時に、この子たちと一緒にいましたよね?お兄ちゃんがかばってくれたって言ってたじゃない」
「はぁ?俺腹なんて刺されたっけ?それっていつ?二年前くらい?銀さんさぁ、過去は振り返らない主義なんだよね。だから同窓会も行かねぇし」
なんで覚えてないんですかっ!と怒りながら、***は必死に説明したが、銀時は一向に取り合わなかった。最後は***もため息をついて、諦めたように首を振った。
「ずっとお礼を言いたかったけど、銀髪のお侍さんってことしか覚えてなくて、どこの誰か分からなくて困ってたんだって。でもおかみさんが気が付いて、ふたりで万事屋にお礼に来たんですって!」
「いや、じゃぁなんでお前んちにいんだよ」
「神楽ちゃんが定春を連れて万事屋に入っていくの見たら、怖くなっちゃったんだよね?たまたま私が通りかかって、一緒に行こうって言ったけど犬が怖いからヤダって……ね?だからうちに来たんだよね?」
ちゃぶ台に湯呑みを置きながら座った***が、にっこり笑ってふたりに声をかけた。勢いよく入ってきた銀時におびえていたふたりが、***の微笑みを見た途端、ほっとした顔をした。
身を寄せ合っていたふたりが離れて、すすす、と動くと***の両脇にくっついた。どうしたの?銀ちゃんは優しいから怖くないよ?そう言う***と小さなふたりが、銀時にはまるで母子のように見えた。
「で、その団子の山はコイツらが俺に持ってきたってやつ?」
「そうです。よかったね銀ちゃん、一郎くんと二郎くんのおかげで、お団子食べ放題だよ!」
一郎と二郎と呼ばれた団子屋の兄弟は、***の腕をつかんだまま、恐々と銀時を見上げた。
「おにーちゃん、僕たちを助けてくれて、ありがとう」
「母ちゃんがお礼に、あんことみたらし、30本づつ持ってけって」
ふたりは小さな頭をぺこりと下げた。鼻をほじりながらちゃぶ台の脇に座った銀時は、袋を開けて団子を食べ始めた。
「オメーらのことは覚えてねぇが、団子の味は覚えてるわ。まぁ、こーゆー礼だったら、俺はいつでも受け付けってから、どんどん持って来いよ。次は100本づつでいーぞ。あと母ちゃんに言っとけ、みたらしはもっと甘くしろって、砂糖の量を倍にしろって」
憎まれ口を叩きながらも、銀時がすごい速さでバクバクと団子を食べるのを見て、一郎と二郎はぱっと笑顔になった。そのふたりに向かって***が、「ね?言ったでしょ、銀ちゃんは怖い人じゃないよ。定春も怖くないから、今度は一緒に万事屋へ行こうね」と言った。
「うんっ!」とうなずいたふたりが立ち上がると、***の両腕を持って立ち上がらせる。
「おねーちゃん、遊ぼう!早く早くっ!」
「え、え?遊ぶって、外で?あ、銀ちゃん、急須にお茶入ってるんで、好きに飲んで下さい!」
ふたりに引きずられるように、部屋を出て行く***を横目で見送って、銀時は次の団子へと手を伸ばした。
開けっ放しの玄関の扉の向こうから、子供ふたりの笑い声と「一郎くん、危ないから飛び出さないで!」とか「イタタタッ、髪の毛引っ張らないで二郎くん!」と叫ぶ***の声が聞こえた。子供ふたりに翻弄される***の姿が眼前に浮かんできて、銀時は団子を頬張りながら、「ぶっ」と吹き出した。
団子を食べ終えて外に出ると、三人は地面に連なる円を描き、その円の中をぴょんぴょんと跳んで遊んでいた。
「けん、けん、ぱっ!けん、ぱっ!はい、次、おねーちゃんの番!」
「よぉし!お姉ちゃん行きまーす!」
着物の裾を持って、***は子供のような顔で楽しそうに遊んでいた。しかし、いちばん幼い二郎が転ぶと、さっと駆け寄って抱き起こす。半べそをかく二郎の前に***はしゃがんで「大丈夫?」と顔を覗き込んだ。その心配そうな目は、まるで母親のようだった。
―――なんだ、アイツ、ガキみてぇだったり、母親みてぇだったり、忙しい奴だな……
団子の串をくわえた銀時が三人を眺めていると、急に二郎が目の前の***に、大きな声で問いかけた。
「おねーちゃんはあのおにーちゃんのお嫁さんなの?」
「えっ!!?およ、お嫁さん!?違うよ二郎くん!!」
二郎に指さされた銀時はぽかんとしていたが、真っ赤になって慌てる***を見て、再び「ぶっ」と吹き出した。
「オイ、***、お前なにガキ相手に真っ赤になってんだよ」
「だ、だって、二郎くんが急に変なこと言うからっ!」
ゲラゲラ笑う銀時と、真っ赤な顔で怒る***を見て、二郎が再び大きな声を出した。
「おにーちゃんのお嫁さんじゃないなら、おねーちゃんは僕のお嫁さんになってくれる?」
「えっ?私が?二郎くんの?そ、それはどうかなぁ、だってお姉ちゃん、二郎くんよりずっと大人だし」
「じゃぁ僕がもっと大人になったら、お嫁さんになってくれる?」
えぇっと、と***が言いよどんでいる内に二郎は、「僕、おねーちゃんが持ってくる牛乳飲んで大きくなるから」「団子も上手に作れるようになるから」「あのおにーちゃんみたく強くなるから」とまくしたてた。
赤子のように幼い澄んだ瞳で見つめられて、***の胸はきゅんと締め付けられた。ふふふ、と微笑んで二郎の頭を撫でた。
「じゃぁお姉ちゃん、二郎くんが迎えに来るのを待ってようかな。二郎くんが大人になって、大きな犬も怖くなくなったら、私をお嫁さんにしてね」
それを聞いた二郎はぱっと顔を明るくして、***の首にぎゅっと抱き着いた。その小さな身体はまだ赤ちゃんのように柔らかかった。
「おねーちゃん大好き!約束のチュウ!!」
そう叫んだ二郎が、***のおでこに小さな唇をちゅう、と押し当てた。「わぁ!」と***は一瞬驚いてから、「もう、二郎くん!」と嬉しそうにふにゃふにゃと笑った。
***にしがみつく二郎の首根っこを、銀時が怒りの形相でむんず、とつかんだ。
「オイィィィ!クソガキッ!さっきから黙って見てれば、生意気なことばっかしやがってコノヤロー!おい、一太郎!テメーの弟はとんだ女たらしじゃねぇか。団子はもう食ったから、二太郎つれてさっさと帰りやがれ!!」
「おにーちゃん、ぼく一郎だよ。あと弟は二郎」
二郎の小さな身体は、いとも簡単に持ち上げられ、一郎へと押し付けられた。片手でしっしっとする銀時と、笑いながら手を振る***に見送られて、兄弟は手を繋いで帰っていった。
「えへへ、銀ちゃん、私プロポーズされちゃった!」
「お前なぁ~…あんなケツの青いガキにチューされて、なに喜んでんだよ。あの歳で女たらしのガキなんざ、ろくな大人になんねぇっつーの。なれてホストだろ。高天原でナンバーワンだろ。いいのかお前、テキトーな約束しちまって、ほんとにあのガキが迎えにくんぞ」
「そんなわけないじゃないですか。あの子が大人になる頃、私はとっくにオバサンです。ふふっ、でも………銀ちゃんがあの子たちを守ってくれたおかげで、私の嫁ぎ先ができました!私もお礼言わなきゃ。あのふたりを助けてくれて、ありがとう銀ちゃん」
へらりと笑った***が、銀時を見上げて嬉しそうに言った。その無邪気な顔を見て、ずっと聞きたかったことが頭にぱっと浮かんだ。考えるよりも前に、その質問が口から飛び出していた。
「***お前さ……なんで俺になんも言わねぇの。普通、好きな男がろくでもねぇことやってたり、危ねぇ橋ばっか渡ってたら、そーゆー生き方やめろとか、もっとまともに働けとか言うもんなんじゃねぇの?お前はアレですか?ダメンズ好きですか?ダメンズ製造機ですかぁぁぁ?そんなんじゃお前、本当にあのガキが迎えに来るまで独り身で、行き遅れになっちまうぞ」
機関銃のように矢継ぎ早に言われたことを聞いて、***は一瞬きょとんとした顔をした。しかし突然「あははっ!」と笑いだすと、銀時の腕をパシパシと叩いた。
「イテイテッ!オイッ!テメーなにすんだよ!」
「あははっ、ごめん、でも、だって……銀ちゃんが変なこと言うからっ」
腹を抱えてひーひーと笑う***を、銀時は憮然とした顔で見下ろした。笑いすぎてにじんだ涙を***は指でぬぐった。
「銀ちゃん、私……、万事屋のお仕事を、ろくでもないなんて思ったこと一度もないです。……困ってる人がいたら、後先考えずに飛び出して行く三人のことが、私はすごく好きだよ。どれだけ傷ついても、どんなに痛くても、守りたいものを守ってる銀ちゃんを、私はずっと見ていたいです。そーゆー生き方で、生きていてほしいです、ずっと」
微笑みながら言われた言葉に、銀時の胸がちくりと痛んだ。それでお前はどうすんだよ、と聞き返したかった。でもその答えを***に言わせるのは、あまりにも残酷すぎる。
―――そーゆー生き方しかできねぇ俺は、お前を嫁やら妻やら母親やらにして、幸せにすることはできねぇんだぞ。それでもお前はいいのかよ。
心の中だけでそう問いかけて、銀時が何も言わずにいると、***が小さな声でつぶやいた。
「……どこにも行かないです」
「あ゙ぁ?」
「私はここ以外の、どこにも行かないです。お嫁になんて行かない……私の行先はもう、決まってるんです」
「はぁ?ここってかぶき町かよ?お前みてぇな若い女が、こんな薄汚ぇ街に骨埋めるなんてこと、軽々しく決めてんじゃねぇよ。気が早ぇっつーの。白馬に乗った王子だか将軍だかが迎えに来るかもしれねぇじゃねぇか、あきらめんなよ」
「ちがうよ銀ちゃん」
そう言った***が地面をじっと見つめながら、口をつぐんだ。地面には幼い兄弟が描いた円が並んでいる。円の中には小さな足跡がたくさん残っていた。
「私、行き遅れたりしない。私の行先にはいつも決まった人がいるんです。その人はね……死んだ魚のような目をしてて、甘い物ばっかり食べてて、優秀な部下がふたり居て、大きな犬を飼っていて、街中の人に頼りにされてる。自分が誰を助けたのか忘れちゃうほど、いっぱい人を助けてるくせに、恥ずかしがってまともにお礼も聞き入れなくて、ぶっきらぼうで、不器用で、宇宙でいちばんやさしくて……それで、その人は………」
ぱっと着物の裾を持つと、***は地面に書かれた円に一歩踏み出した。そして「けん、けん、ぱ、けん、ぱ」のリズムで飛んだ。
「銀、髪、のっ、天、パっ!……の、人なんです。その人のところにしか私は行かない。私はもう銀ちゃんのところにいるから、だから行き遅れたりしないよ」
離された着物の裾がすとんと落ちる。くるりと振り向いて***は微笑んだ。その顔はもう全てを受け入れたような笑顔で、まぶしくて直視できない。出会った時から、この純粋で馬鹿みたいにまっすぐな笑顔が、いつも隣にあったことを思い出して、銀時は笑えてきた。
「はっ、すっげぇ殺し文句……お前さぁ、そんなのどこで覚えてくんの。ガキが大人をからかうんじゃありません!」
ふふっと笑った***が、再び片足飛びを始めた。何度もぴょんぴょんと跳ねていると、その袖口から紙切れがひらりと舞った。足元に落ちた紙を拾った銀時は「おい、落ちたぞ」と言いかけたが、その声は出なかった。
そこに並ぶ几帳面な文字を、銀時は以前に見たことがあった。宛名を読まなくてもそれが、***の母親の文字だと分かった。読む気はなかったのに、その手紙のびっしりと並んだ文字の羅列の中に「銀ちゃん」の単語を見つけて、つい目が走る。
‟***の話を読む以上、銀ちゃんは***のことを友達以上に思っていると、お母さんは思います。あとひと押しですよ***、頑張ってください。いつか銀ちゃんと一緒に、うちの農園に遊びに来る日を楽しみにしています”
「お、お、お前、***っっっ!これぇぇぇ!!!」
驚きの声をあげた銀時に、振り向いた***が顔を真っ青にして「わぁぁぁぁっ!!!」と叫んだ。
慌てて駆け寄ると手紙を持つ銀時の手に、両手でしがみついて手紙をひったくろうとする。
「なななななんで持ってるの!?え、もしかして読んだ!?やだぁ!銀ちゃんの馬鹿ぁっ!!!」
「馬鹿はお前だろうが!なに母ちゃんに恋愛相談しちゃってんの?そんでなに銀さんのことまで言っちゃってんのぉ?なにあとひと押しって!?なに頑張ってくださいって!?お前ら親子はどんな話してんだよ!!昼休みのOLかよ!!!」
「ぎゃぁぁぁ!!お願い忘れて!忘れてください!」
真っ青だった顔が真っ赤になり、***は銀時の手にすがりつく。眉を八の字に下げて、泣きそうになりながら、なぜか「ごめんなさいっ」と謝っていた。
「お母さんがっ、万事屋のこと知りたいって手紙で書いてくるから……銀ちゃんのことも書いてたら、な、なんか自然と銀ちゃんはお母さん公認の好きな人というか……そういうのになっちゃったんです。図々しいことは分かってます!ごめんね、もう書かないからっ!!」
自分の手にぶら下がる***が、必死の形相で言った「お母さん公認の好きな人」という言葉が面白くて、銀時は思わず吹き出した。
そーかそーか、そんならしょうがねぇな。母ちゃんも認めた俺が、コイツを放り出すわけにはいかねぇよな。
「はぁぁぁ~、娘も娘なら母ちゃんも母ちゃんだな……しょーがねぇな***、お前がほんとーにいつまでも独身で、ナンバーワンホストになった二郎も迎えに来ねぇで婚期逃して、行き遅れんなったら、そんときゃ銀さんがもらってやるよ。だから母ちゃんにも安心しろって言っとけ。ひと押しも何も、もう押しかけ女房みたいなもんですって」
「え………?ほ、ほんと?銀ちゃん、ほんとに私がいつまでも銀ちゃんのことをずっと好きだったら、いつかお嫁にもらってくれる?」
「お~、しょうがねぇからな。母ちゃんにまで知られて、テキトーなこと言えねぇだろ。本当にお前ら親子は世話が焼けるよ。銀さんの海のよーな懐の深さに感謝しろっつーの」
その言葉を聞いた***の手が小さく震え出す。瞳にぶわっと涙が浮かんで、一瞬で溢れそうになる。銀時から取り上げた手紙をぐしゃぐしゃと両手で握って、それにぎゅっと顔を押し当てると、その場にしゃがみこんだ。
オイオイ、と言いながら銀時もその前に座り込む。
「なにお前、泣くほど嬉しいのかよ。別に俺は、いますぐ嫁に来いって言ってねーからな。行き遅れたらもらってやるっつったんだぞ?」
呆れたような銀時の声に、***は顔をふせたまま返事をした。
「わ、分かってます……でっ、でも、それでも嬉しいです。うぅっ……くっ、約束だよ銀ちゃん、私、ずっと変わらないからっ、絶対にいつかもらってくださいっ、よぼよぼの、お婆ちゃんになってからでもいいから……」
いつも通り「へーへー分かったよ、お前はいちいち大袈裟なんだよ」とテキトーな返事をしようと銀時は思っていた。
しかし***が顔を押し付けている手紙の裏が、水を垂らしたように滲んでいくのを見て、言葉を失った。紙一枚隔てたところで、***は大粒の涙を流していた。
「おい、***、顔上げろ」
「や、やだっ、ちょっと待って、今は駄目です」
「いいから」
向かい合ってしゃがんだ***の顔に両手を伸ばすと、ばっと手紙から上げさせる。案の定、顔じゅうが涙で濡れていた。瞳はまだ潤んで、次の涙の一粒が落ちそうだった。嫌がって顔を背けようとする***のほほを、ぐいっとつかんで自分の方を向かせる。パラッという音を立てて手紙が地面に落ちた。
「ちょ……っと、銀ちゃ、」
よろけて地面に膝をついた***の顔を、銀時はじっと見つめてから、そっとその前髪を手で流した。白くつるりとした肌のおでこに、わざと乱暴に唇を押し付ける。ちゅう、という幼稚な音のする口づけだった。
「わっ………!!!」
***にとっては、何が起きたかも分からないほど、一瞬の出来事だった。あまりの驚きに涙が引っ込む。ぱっと顔を離された後には、押し付けられた銀時の唇の熱さと、耳に響いた「ちゅう」という音だけが、身体に残っていた。へなへなと地面に座り込み、湯気が出そうな程、顔を真っ赤に染めた。
「なっ、なっ、何っ、ぎ………!!!」
事態を理解しても言葉が出てこない***を見て、銀時はゲラゲラと笑ってから大声で言い放った。
「約束のチュウ、の上書きのチュウだろーが!よかったな***、大好きな銀さんにでこチューしてもらって。母ちゃんにもちゃんと報告しとけよ」
「~~~~~っ!ぎ、銀ちゃんの馬鹿ぁっ!!」
そう叫んだ***が、ばっと立ち上がると銀時の頭をポカポカと殴った。「いてぇな、やめろよ」と逃げる銀時と、真っ赤な顔のまま腕を振り回して追う***が、地面に書かれた円の上を、行ったり来たりする。終わりのない追いかけっこを続けるふたりの、楽しげな笑い声が、初夏の青空に響いた。
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【第28話 この道の先】end