銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第26話 ききわけのない男】
ほほを真っ赤に染めて、恥ずかしがる顔をずっと可愛いと思っていた。泣き出しそうに瞳を潤める姿が、愛らしかった。ちょっとからかっただけで、眉を八の字に下げて困り果てるのが、面白くて仕方がなかった。
その***の反応のすべてが、自分だけに返ってきた。そのことにはとっくの昔に気付いてた。それはずっと前から、出会った時からずっとそうだった。
オモチャを取り上げられた子供が、泣き叫んで取り返そうとする感覚に似ている。聞き分けもなく、手足をじたばたとさせて。
小さな手を握られた***が、真っ赤な顔をして泣いていた。その目が見つめているのが、自分ではなく他の男だということが、信じられなかった。
そしてその姿を見た瞬間に、銀時はようやく気付いた。***のその顔も身体も、笑顔も涙も全て自分のものだと、ずっと当たり前のように思っていたことに。
座敷に入ってきた瞬間から、***は泣きそうな顔をしていた。晴れ着を着て、化粧をしているが、場の空気に馴染めずに小さな身体を縮こまらせていた。
「すっごいアル!***、ものっそい綺麗ヨ!花嫁さんみたいネ!!」
ふすまが開いて、***が入ってきた瞬間に、神楽が嬉しそうな声を上げた。見合いが行われる座敷のすぐ隣の部屋で、ことの成り行きを見守る。事前に小さなカメラやマイクを座敷中に設置した。隣室の様子がモニターに映っていた。
「オイ、神楽、声がでけぇぞ。ちったぁ静かにしろよ。それとさぁ、***は花嫁さんじゃないからね?***が結婚なんて、お父さんは許してないからね?ほら、よく見ろよ、アイツ今にも泣きそうじゃねぇか。着物着てるっつーか、着物に着られてんじゃねぇか。あんなガキが結婚なんて無理に決まってるでしょーが!」
「いや、アンタこそお父さんじゃないでしょーが。銀さんも声が大きいですよ。隣に聞こえちゃうから、静かにしてください。でも、確かに***さん、浮かない顔ですね。どうしたんでしょう、そんなにお見合いが嫌なのかなぁ」
「嫌に決まってるアル!そんなことも分からないから新八はいつまでたってもダメガネなんだヨ。***は銀ちゃんにぞっこんなんだから、お見合いなんてしたくないに決まってるネ!たとえ相手が金持ちだろーが腰痛持ちだろーが、腹くくった女の気持ちは変わらないアル!***の雄姿をその腐ったメガネでよく見とくヨロシ!!」
神楽の言葉を聞きながら、「そーだぞ神楽、よく分かってんな。酢昆布買ってやるよ」と銀時は言った。
そうそう、間違いなく***は見合いを嫌がっている。なんなら相手のことも嫌いなんじゃね。なんせ金持ちの二代目の男なんて、チャラチャラした頭の軽い馬鹿に決まってるし。
そう銀時が考えていた時に、音もなく隣の部屋のふすまが開いた。モニターを見つめてから、三人同時にハッと息を飲んだ。隣に音が聞こえるからと、いちばん注意していたはずの新八が、あまりの驚きに「えっ」と大きな声を上げた。
そこに現れた見合い相手の男性に、誰もが想像を裏切られた。若旦那は、思っていたよりもずっと感じのいい好青年で、端正な顔立ちしていた。年齢は***と同じか少し上くらい。一瞬見ただけで、真面目で清廉な内面が分かるような、まっすぐな目をした男だった。
イケメンの部類に入る整った顔のなかでも、その大きな黒い瞳に、なぜか銀時は引き付けられた。その瞳は生き生きと輝いて、聡明な光を宿していた。唇には常に、愛想のいい微笑みが浮かんでいた。
しかし部屋に入ってきた直後に一度だけ、その微笑みが崩れた。「***ちゃん」と小さく動いた唇は、その名を呼び慣れていた。困り顔の***が、「若さん」と呼び返す。その瞬間、若旦那の顔はとてつもなく申し訳なさそうに、一瞬だけ歪んだ。
―――なんだコイツ、なんだその顔は。なんだその***ちゃんっつーのは。慣れ慣れしく呼んでんじゃねぇよ。っつーかなんだお前は、ほんとは女好きのどうしようもねぇ男なんだろ。猫かぶりやがって。そんな顔して同情誘っても、***は騙されねぇぞ。庶民には庶民のプライドっつーもんがあるんだ。貧乏な女なんて、金をチラつかせればコロッと落ちると思ってんだろーが、あいにく***はそんな簡単な女じゃねぇんだよ。
ぎりぎりと奥歯を噛みながら、画面に映る若旦那の顔を見つめる。何度見てもその姿は、今どき珍しいほど爽やかな青年だった。背筋をしゃんと伸ばして、まっすぐな瞳で***を見つめている。
口をつぐんだ***と若旦那にかわって、仲介人のふたりがずっと喋り続けている。マイクがその音声を拾う。
『いやぁ、コイツから聞いた通り***さんは、とてもお綺麗ですねぇ。こんなに可愛いお嬢さんがコイツの嫁に来てくれたら、ウチは大喜びですよ。田舎のご家族のために、一生懸命働かれてるんだってね。ウチはね***さん、資産だけは潤沢だから、もしこの縁談がうまくいけば、***さんの家族も江戸へ呼び寄せて、一緒に暮らすこともできますよ』
『まぁ、叔父様ったら気が早いわ!***ちゃんと若旦那は、まだお付き合いもしていないのに!でも本当に今回のことは***ちゃんにとって、すごくいいお話だと私も思うんです。江戸に来てからの三年間、必死に働いてきたこの子に、まるでご褒美のようなお話だって。すぐに結婚とまではいかなくても、お友達からでもはじめてみたら、どうかしらねぇ~』
―――オイィィィ、ちょっと待てェェェ!こんのクソジジィとクソババァ!何を勝手に話進めてんだ!結婚なんて***の父ちゃんが許すわけねぇだろ。っつーか俺が許さねぇよ。家族を呼び寄せて一緒に暮らすだぁ!?そんなこと***が望むわけねぇじゃねぇか!脳みそまで金で出来てんのかゴラァァァ!!!
「銀ちゃん、私コイツ嫌いネ」
「あ゙ぁ?」
モニターをじっと見つめて、内心怒りの声を上げていた銀時の隣で、神楽がぽつりと言った。その怒ったような声色に驚いて、ふと横を見ると、怒っているというよりも不安そうな顔をした神楽が、銀時を見上げていた。
「コイツのこと、ろくでもない奴って銀ちゃん言ってたけど、全然そう見えないアル。だから私、コイツのこと嫌いヨ。なんか、そんなこと絶対ないと思うけど……***のこと、コイツに取られちゃいそうアル、私怖いネ」
「っ………!!何言ってんだよ神楽、っんなことあるわけねーだろ。***だぞ?あの石頭の頑固者が、そう簡単に心変わりなんかするわけねぇだろ」
しょんぼりとした顔の神楽を励ますつもりで言った言葉が、まるで自分へ宛てた言葉のように銀時には思えた。
神楽の言うとおり、若旦那は全然ろくでもない男じゃなかった。汁物が襟にはねた***に、素早くハンカチを差し出した。優しく微笑んで、目の前で縮こまる女を見守り続けていた。***が返答に困るようなことを仲介人が言うと、すっと話に割り入って助けていた。
どれも紳士的な行為なのに、鼻につくこともない。それは、日常的に周囲に気配りをする、心優しい人間にしかできない自然な行いだった。
若いふたりで、と促された若旦那と***が庭へと出て行く。庭園にはカメラもマイクも無いから、一体ふたりがどんな会話をしているのか、さっぱり分からない。
縁側に立ち、双眼鏡をつかってふたりの姿を見つめる。座敷にいた時と打って変わって、庭園を歩くふたりの顔には、砕けた笑顔が見えた。
―――なんだアイツら、毎朝あんな顔して笑い合ってんのか……
「あっ!アイツ、***と手ぇ繋いでるネ!」
「銀さん……なんか、若旦那ってものすごく紳士ですよね。橋を渡るだけであんな風にエスコートできるなんて。神楽ちゃんの言う通り、あんなに優しくされたら本当に***さん、ぐらっと来ちゃうかもしれないですよ」
不安げな声を上げた神楽と、心配そうな顔をしている新八を見て、銀時は呆れてため息をつく。
「はぁぁぁぁ~、お前らほんとにうるせぇな。見合いなんだから手ぇぐらい触んだろ。ほら見てみろよ***の顔。心ここにあらずって感じじゃねぇか。どんなに紳士だろうと、どんなにエスコートされようと、どーせ庶民の***には響くわけねぇっつーの」
神楽と新八に内心の焦りを気付かれないよう、銀時は必死に冷静を保とうとした。しかし額から汗がだらだらと垂れてくる。持つ力が強すぎて、双眼鏡がギシギシと悲鳴を上げた。
―――オイ、***、簡単に手なんて握られてんじゃねぇよ。振り払えよ。そんな男、好きじゃねぇだろうが!
そう自分に言い聞かせながらも、双眼鏡の中のふたりが、とても似合いの男女だということは認めざるを得なかった。***を見つめる若旦那の真剣な顔を見た時に、ある事実に気付いて銀時はあまりの驚きに息を飲んだ。
若旦那の黒い瞳は、***の瞳とよく似ていた。
まっすぐで迷いがない。純粋でどこまでも澄んでいる。銀時には眩しいほど、喜びや幸せに満ち溢れて、生き生きと輝いている。死んだ魚のような自分の目とは全然違う。
そのことに気付いた瞬間、言いようのない焦燥感が銀時の心を覆った。それは、***が他の男に取られるかもしれない、という強い焦りだった。
―――なんだよ、コイツら。似たもの同士みたいな顔しやがって。やめろよ***、お前は俺のことが好きなんじゃねぇのかよ。
間違いなく***は自分のことが好きだ。必死でそう自分に言い聞かせないと、発狂しそうだった。双眼鏡を目に押し当てたまま、唇を強く噛んだ。
今まで感じたことのない感情に、耐え続ける銀時の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
若旦那をじっと見つめる***の顔が、恥ずかしそうに真っ赤に染まっていた―――
出会った時からずっと、銀時はその顔を間近で見てきた。自分が何か言ったり、ちょっと触れたりすると、すぐに***の顔には赤みが差した。それが面白くて、何度もちょっかいを出してきた。
***があの顔をする時は、誰よりもいちばん近くに自分がいた。それなのに今、銀時は双眼鏡のレンズ越しに、あの茹でダコのように赤く染まった顔を見ている。
「なっ………!!!」
好きな男の前でだけ、***の顔が赤くなるとしたら、なぜ今、若旦那の前であんな顔をしているのか。子供でも答えが分かるような疑問が頭に浮かんで、銀時は驚きの声を上げた。
橋の上で手を握られて、顔を真っ赤にした***は、しばらくすると瞳まで潤ませた。その膝はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだった。
「***、泣きそうアル!!あの男が***にひどいこと言ったに決まってるネ!ちょっと私、ぶん殴ってくるヨ!!」
「神楽ちゃん、駄目だよ!内密にって言われてるんだから、いま出てったらバレちゃうでしょぉぉぉ!!!」
縁側から今にも庭に降りようとした神楽を、新八が背後から羽交い絞めにして引き留める。
銀時は何も言わずに、双眼鏡のなかを見つめ続けていた。池にかかる赤い橋は、恋人たちの為のもののようだった。若旦那に握られた手で、***は身体を支えられるようにして立っていた。震える唇が動いて、何かを必死で喋っているけれど、その内容までは分からない。
気が付いた時には、大粒の涙が***の瞳からぽたぽたと落ちていた。信じられない思いで銀時はその顔を見つめた。
***が涙を流すのを、ずいぶん久しぶりに見た。一体いつから***は、自分の前で泣かなくなったんだろう。泣き出しそうな顔はよく見るから、今まで考えもしなかった。最後に***の涙を見たのは、いつだったろう。銀時は首をひねって考えたが、全然思い出せなかった。
―――オイ、***、お前なに俺以外の男の前で泣いてんだよ。泣いてる顔なんて、好きでもねぇ奴に見せてんじゃねぇよ!
耐えきれなくなって、思わず双眼鏡を目から離した直後、橋の上で若旦那が***の肩に腕を回して抱きしめていた。
「「「なっ………!!!」」」
三人同時に驚きの声を上げた。「な、なんでヨ、***」と言った神楽が腰を抜かして座り込む。同時に言葉を失った新八が、ばっと銀時を見上げた。銀時もまた、言葉がなにも出てこずに、橋の上で抱き合うふたりを、ただ見つめることしかできなかった。
『まぁ!お似合いのふたりだとは思ってたけど、こんなに急に距離が近づくとは思ってなかったわ』
牛乳屋のおかみの声が、スピーカーから聞こえる。
『いやぁ、これならすぐにでも結婚って話になりそうだ。アイツはずいぶん***さんに入れ込んでたみたいだから、きっと今頃喜んでますよ』
若旦那の叔父の声も、明るく弾んでいる。一方こちらの座敷はまるで葬式のように静まり返っていた。
「………っ、けんな……」
静かな部屋に、突然、銀時の声が響いた。
「え、なんですか銀さん」
「ふざけんな、っつったんだよ新八。そんな簡単に、***はやれるかっつーの。何が結婚だ。んなもん、許さねぇよ」
「銀さん、でも***さん、もしかしたら若旦那のこと、本当に好きになっちゃったのかもしれませんよ」
「知るかよ、そんなこと。俺が許さねぇっつったら、許さねぇんだよ」
バキバキという音を立てて、銀時の手の中で双眼鏡が割れた。新八は目を見開いて、銀時の顔を見上げた。赤い瞳には強い怒りがにじんでいた。
その瞳に怒りが浮かぶ瞬間を、新八は今まで何度も見てきた。戦いのさなかでは、その怒りを頼もしいとすら感じた。
しかし今、銀時の瞳に浮かぶ怒りは、そういう気高いものじゃない。もっと自分勝手で幼い。怒りにまかせてイヤイヤと暴れまわる、小さな子供がそこにいるように、新八には見えた。
「ぎ、銀さん、なに怒ってるんですか。お見合いしたってだけで、***さんが結婚するって決まったわけじゃあるまいし……とにかく気を落とすのは、まだ早いですよ」
「そうヨ、銀ちゃん。確かに若旦那はめっさイケメンで、ごっさ金持ちで、銀ちゃんと比べるまでもなく、ものっそい良い奴だったネ。それに***に抱き着いてたけど、だからって結婚するとは限らないアル。今から落ち込むのは気が早いネ」
「オイィィィ!!おめーら、なに俺がフラれたみてぇなこと言ってんのぉ!?でもって、俺が落ち込んでるみてぇなこと言ってんの!?違うからね、俺はアイツのお父さん代わりだから、そう簡単に結婚なんて許すかっつってるだけだからね!?勘違いすんなっつーの!!」
呆れた目で自分を見る神楽と新八に、げんこつを食らわそうとしたら、逆につかみかかられた。胸倉やら髪やらを引っ張られる。
「イテイテイテ!オイ、オメーら何すんだよッ!!」
「銀ちゃんがしっかり***をつかまえとかないから、こんなことになるネ!銀ちゃんは馬鹿アル!この腐れ天パ野郎ッ!」
「神楽ちゃんの言う通りです!いつまでたってもアンタが***さんのことはぐらかしてるから、若旦那に横取りされちゃうんですよ!」
ぎゃーぎゃーと三人で騒いでいると、ふと隣の座敷から***の声が聞こえた。ぱっとモニターに目をやって、そこに広がる光景に三人とも息を飲んで目を見開いた。
座敷の真ん中で、***が土下座をしていた。
頭を畳にこすりつけて謝罪している。必死で絞り出すような***の涙声が、スピーカーから聞こえた。
『このような機会をいただいたのに、申し訳ありません。若さんは、私なんかにはもったいない方です……こんなに優しくて素敵な人には、もっと良い方がいらっしゃると思います。せっかくの縁談でしたが、私にはどうしても……どうしても結婚を考えることはできません……どうしてもできないんです。本当に、ごめんなさい……』
その声は嗚咽まじりに震えていて、床につくほど伏せられた肩が、ガタガタ震えているのが画面越しでも分かった。その姿を、銀時は息を飲んでじっと見つめていたが、しばらくすると怒りがふつふつと湧き上がってきた。
謝罪の言葉を言いながら、***は大粒の涙を流している。壁一枚隔てた場所で、大切な女が泣いている。それなのに銀時は、モニター越しでしかその姿を見ることができない。
依頼も何もかも忘れて、壁をぶち破ってしまいたい。今すぐ***に触れて、その顔を見たい。その身体を抱きしめて、連れ去ってしまいたい。
でもそんなことはできない。そんなことをしたら一番困るのは***だということが、銀時には分かっている。***がいちばんこの場にいてほしくない人間が、自分だと分かっている。どんなに泣いていようと、***の涙に触れることはできない。
「銀さんよかったですね!***さん、やっぱりお断りしてますよ!」と喜ぶ新八の声が、遠くで聞こえる。
モニターの中では困った顔をした若旦那が、***の肩をつかんで、立たせようとしていた。しかし***は腰が抜けたみたいに座り込んで、泣き続けていた。若旦那は***の懐から落ちた白いハンカチを拾うと、何度もその涙をぬぐってやっていた。
―――ちきしょう……なんなんだよ、お前は。なんでそんな男の前でぴーぴー泣いてんだよ。なにソイツに泣き顔を触らせてんだよ。それじゃぁ本当にその男のことが好きみてぇじゃねぇか……
噛みしめた奥歯が痛い。モニターから視線を外した銀時は、座敷へと続く壁をじっと見つめた。「ごめんなさい」と何度も言う***の声が、壁越しにでもうっすらと聞こえた。
泣いている***の顔を思い浮かべると、今すぐにでもその涙に触れたくなった。銀時に触れられて、恥ずかしさに真っ赤になる***の顔が、今すぐ見たかった。
駄々をこねる子供のように足をばたつかせて、この壁をぶち破りたいと、銀時は強く思っていた。
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【第26話 ききわけのない男】end
ほほを真っ赤に染めて、恥ずかしがる顔をずっと可愛いと思っていた。泣き出しそうに瞳を潤める姿が、愛らしかった。ちょっとからかっただけで、眉を八の字に下げて困り果てるのが、面白くて仕方がなかった。
その***の反応のすべてが、自分だけに返ってきた。そのことにはとっくの昔に気付いてた。それはずっと前から、出会った時からずっとそうだった。
オモチャを取り上げられた子供が、泣き叫んで取り返そうとする感覚に似ている。聞き分けもなく、手足をじたばたとさせて。
小さな手を握られた***が、真っ赤な顔をして泣いていた。その目が見つめているのが、自分ではなく他の男だということが、信じられなかった。
そしてその姿を見た瞬間に、銀時はようやく気付いた。***のその顔も身体も、笑顔も涙も全て自分のものだと、ずっと当たり前のように思っていたことに。
座敷に入ってきた瞬間から、***は泣きそうな顔をしていた。晴れ着を着て、化粧をしているが、場の空気に馴染めずに小さな身体を縮こまらせていた。
「すっごいアル!***、ものっそい綺麗ヨ!花嫁さんみたいネ!!」
ふすまが開いて、***が入ってきた瞬間に、神楽が嬉しそうな声を上げた。見合いが行われる座敷のすぐ隣の部屋で、ことの成り行きを見守る。事前に小さなカメラやマイクを座敷中に設置した。隣室の様子がモニターに映っていた。
「オイ、神楽、声がでけぇぞ。ちったぁ静かにしろよ。それとさぁ、***は花嫁さんじゃないからね?***が結婚なんて、お父さんは許してないからね?ほら、よく見ろよ、アイツ今にも泣きそうじゃねぇか。着物着てるっつーか、着物に着られてんじゃねぇか。あんなガキが結婚なんて無理に決まってるでしょーが!」
「いや、アンタこそお父さんじゃないでしょーが。銀さんも声が大きいですよ。隣に聞こえちゃうから、静かにしてください。でも、確かに***さん、浮かない顔ですね。どうしたんでしょう、そんなにお見合いが嫌なのかなぁ」
「嫌に決まってるアル!そんなことも分からないから新八はいつまでたってもダメガネなんだヨ。***は銀ちゃんにぞっこんなんだから、お見合いなんてしたくないに決まってるネ!たとえ相手が金持ちだろーが腰痛持ちだろーが、腹くくった女の気持ちは変わらないアル!***の雄姿をその腐ったメガネでよく見とくヨロシ!!」
神楽の言葉を聞きながら、「そーだぞ神楽、よく分かってんな。酢昆布買ってやるよ」と銀時は言った。
そうそう、間違いなく***は見合いを嫌がっている。なんなら相手のことも嫌いなんじゃね。なんせ金持ちの二代目の男なんて、チャラチャラした頭の軽い馬鹿に決まってるし。
そう銀時が考えていた時に、音もなく隣の部屋のふすまが開いた。モニターを見つめてから、三人同時にハッと息を飲んだ。隣に音が聞こえるからと、いちばん注意していたはずの新八が、あまりの驚きに「えっ」と大きな声を上げた。
そこに現れた見合い相手の男性に、誰もが想像を裏切られた。若旦那は、思っていたよりもずっと感じのいい好青年で、端正な顔立ちしていた。年齢は***と同じか少し上くらい。一瞬見ただけで、真面目で清廉な内面が分かるような、まっすぐな目をした男だった。
イケメンの部類に入る整った顔のなかでも、その大きな黒い瞳に、なぜか銀時は引き付けられた。その瞳は生き生きと輝いて、聡明な光を宿していた。唇には常に、愛想のいい微笑みが浮かんでいた。
しかし部屋に入ってきた直後に一度だけ、その微笑みが崩れた。「***ちゃん」と小さく動いた唇は、その名を呼び慣れていた。困り顔の***が、「若さん」と呼び返す。その瞬間、若旦那の顔はとてつもなく申し訳なさそうに、一瞬だけ歪んだ。
―――なんだコイツ、なんだその顔は。なんだその***ちゃんっつーのは。慣れ慣れしく呼んでんじゃねぇよ。っつーかなんだお前は、ほんとは女好きのどうしようもねぇ男なんだろ。猫かぶりやがって。そんな顔して同情誘っても、***は騙されねぇぞ。庶民には庶民のプライドっつーもんがあるんだ。貧乏な女なんて、金をチラつかせればコロッと落ちると思ってんだろーが、あいにく***はそんな簡単な女じゃねぇんだよ。
ぎりぎりと奥歯を噛みながら、画面に映る若旦那の顔を見つめる。何度見てもその姿は、今どき珍しいほど爽やかな青年だった。背筋をしゃんと伸ばして、まっすぐな瞳で***を見つめている。
口をつぐんだ***と若旦那にかわって、仲介人のふたりがずっと喋り続けている。マイクがその音声を拾う。
『いやぁ、コイツから聞いた通り***さんは、とてもお綺麗ですねぇ。こんなに可愛いお嬢さんがコイツの嫁に来てくれたら、ウチは大喜びですよ。田舎のご家族のために、一生懸命働かれてるんだってね。ウチはね***さん、資産だけは潤沢だから、もしこの縁談がうまくいけば、***さんの家族も江戸へ呼び寄せて、一緒に暮らすこともできますよ』
『まぁ、叔父様ったら気が早いわ!***ちゃんと若旦那は、まだお付き合いもしていないのに!でも本当に今回のことは***ちゃんにとって、すごくいいお話だと私も思うんです。江戸に来てからの三年間、必死に働いてきたこの子に、まるでご褒美のようなお話だって。すぐに結婚とまではいかなくても、お友達からでもはじめてみたら、どうかしらねぇ~』
―――オイィィィ、ちょっと待てェェェ!こんのクソジジィとクソババァ!何を勝手に話進めてんだ!結婚なんて***の父ちゃんが許すわけねぇだろ。っつーか俺が許さねぇよ。家族を呼び寄せて一緒に暮らすだぁ!?そんなこと***が望むわけねぇじゃねぇか!脳みそまで金で出来てんのかゴラァァァ!!!
「銀ちゃん、私コイツ嫌いネ」
「あ゙ぁ?」
モニターをじっと見つめて、内心怒りの声を上げていた銀時の隣で、神楽がぽつりと言った。その怒ったような声色に驚いて、ふと横を見ると、怒っているというよりも不安そうな顔をした神楽が、銀時を見上げていた。
「コイツのこと、ろくでもない奴って銀ちゃん言ってたけど、全然そう見えないアル。だから私、コイツのこと嫌いヨ。なんか、そんなこと絶対ないと思うけど……***のこと、コイツに取られちゃいそうアル、私怖いネ」
「っ………!!何言ってんだよ神楽、っんなことあるわけねーだろ。***だぞ?あの石頭の頑固者が、そう簡単に心変わりなんかするわけねぇだろ」
しょんぼりとした顔の神楽を励ますつもりで言った言葉が、まるで自分へ宛てた言葉のように銀時には思えた。
神楽の言うとおり、若旦那は全然ろくでもない男じゃなかった。汁物が襟にはねた***に、素早くハンカチを差し出した。優しく微笑んで、目の前で縮こまる女を見守り続けていた。***が返答に困るようなことを仲介人が言うと、すっと話に割り入って助けていた。
どれも紳士的な行為なのに、鼻につくこともない。それは、日常的に周囲に気配りをする、心優しい人間にしかできない自然な行いだった。
若いふたりで、と促された若旦那と***が庭へと出て行く。庭園にはカメラもマイクも無いから、一体ふたりがどんな会話をしているのか、さっぱり分からない。
縁側に立ち、双眼鏡をつかってふたりの姿を見つめる。座敷にいた時と打って変わって、庭園を歩くふたりの顔には、砕けた笑顔が見えた。
―――なんだアイツら、毎朝あんな顔して笑い合ってんのか……
「あっ!アイツ、***と手ぇ繋いでるネ!」
「銀さん……なんか、若旦那ってものすごく紳士ですよね。橋を渡るだけであんな風にエスコートできるなんて。神楽ちゃんの言う通り、あんなに優しくされたら本当に***さん、ぐらっと来ちゃうかもしれないですよ」
不安げな声を上げた神楽と、心配そうな顔をしている新八を見て、銀時は呆れてため息をつく。
「はぁぁぁぁ~、お前らほんとにうるせぇな。見合いなんだから手ぇぐらい触んだろ。ほら見てみろよ***の顔。心ここにあらずって感じじゃねぇか。どんなに紳士だろうと、どんなにエスコートされようと、どーせ庶民の***には響くわけねぇっつーの」
神楽と新八に内心の焦りを気付かれないよう、銀時は必死に冷静を保とうとした。しかし額から汗がだらだらと垂れてくる。持つ力が強すぎて、双眼鏡がギシギシと悲鳴を上げた。
―――オイ、***、簡単に手なんて握られてんじゃねぇよ。振り払えよ。そんな男、好きじゃねぇだろうが!
そう自分に言い聞かせながらも、双眼鏡の中のふたりが、とても似合いの男女だということは認めざるを得なかった。***を見つめる若旦那の真剣な顔を見た時に、ある事実に気付いて銀時はあまりの驚きに息を飲んだ。
若旦那の黒い瞳は、***の瞳とよく似ていた。
まっすぐで迷いがない。純粋でどこまでも澄んでいる。銀時には眩しいほど、喜びや幸せに満ち溢れて、生き生きと輝いている。死んだ魚のような自分の目とは全然違う。
そのことに気付いた瞬間、言いようのない焦燥感が銀時の心を覆った。それは、***が他の男に取られるかもしれない、という強い焦りだった。
―――なんだよ、コイツら。似たもの同士みたいな顔しやがって。やめろよ***、お前は俺のことが好きなんじゃねぇのかよ。
間違いなく***は自分のことが好きだ。必死でそう自分に言い聞かせないと、発狂しそうだった。双眼鏡を目に押し当てたまま、唇を強く噛んだ。
今まで感じたことのない感情に、耐え続ける銀時の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
若旦那をじっと見つめる***の顔が、恥ずかしそうに真っ赤に染まっていた―――
出会った時からずっと、銀時はその顔を間近で見てきた。自分が何か言ったり、ちょっと触れたりすると、すぐに***の顔には赤みが差した。それが面白くて、何度もちょっかいを出してきた。
***があの顔をする時は、誰よりもいちばん近くに自分がいた。それなのに今、銀時は双眼鏡のレンズ越しに、あの茹でダコのように赤く染まった顔を見ている。
「なっ………!!!」
好きな男の前でだけ、***の顔が赤くなるとしたら、なぜ今、若旦那の前であんな顔をしているのか。子供でも答えが分かるような疑問が頭に浮かんで、銀時は驚きの声を上げた。
橋の上で手を握られて、顔を真っ赤にした***は、しばらくすると瞳まで潤ませた。その膝はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだった。
「***、泣きそうアル!!あの男が***にひどいこと言ったに決まってるネ!ちょっと私、ぶん殴ってくるヨ!!」
「神楽ちゃん、駄目だよ!内密にって言われてるんだから、いま出てったらバレちゃうでしょぉぉぉ!!!」
縁側から今にも庭に降りようとした神楽を、新八が背後から羽交い絞めにして引き留める。
銀時は何も言わずに、双眼鏡のなかを見つめ続けていた。池にかかる赤い橋は、恋人たちの為のもののようだった。若旦那に握られた手で、***は身体を支えられるようにして立っていた。震える唇が動いて、何かを必死で喋っているけれど、その内容までは分からない。
気が付いた時には、大粒の涙が***の瞳からぽたぽたと落ちていた。信じられない思いで銀時はその顔を見つめた。
***が涙を流すのを、ずいぶん久しぶりに見た。一体いつから***は、自分の前で泣かなくなったんだろう。泣き出しそうな顔はよく見るから、今まで考えもしなかった。最後に***の涙を見たのは、いつだったろう。銀時は首をひねって考えたが、全然思い出せなかった。
―――オイ、***、お前なに俺以外の男の前で泣いてんだよ。泣いてる顔なんて、好きでもねぇ奴に見せてんじゃねぇよ!
耐えきれなくなって、思わず双眼鏡を目から離した直後、橋の上で若旦那が***の肩に腕を回して抱きしめていた。
「「「なっ………!!!」」」
三人同時に驚きの声を上げた。「な、なんでヨ、***」と言った神楽が腰を抜かして座り込む。同時に言葉を失った新八が、ばっと銀時を見上げた。銀時もまた、言葉がなにも出てこずに、橋の上で抱き合うふたりを、ただ見つめることしかできなかった。
『まぁ!お似合いのふたりだとは思ってたけど、こんなに急に距離が近づくとは思ってなかったわ』
牛乳屋のおかみの声が、スピーカーから聞こえる。
『いやぁ、これならすぐにでも結婚って話になりそうだ。アイツはずいぶん***さんに入れ込んでたみたいだから、きっと今頃喜んでますよ』
若旦那の叔父の声も、明るく弾んでいる。一方こちらの座敷はまるで葬式のように静まり返っていた。
「………っ、けんな……」
静かな部屋に、突然、銀時の声が響いた。
「え、なんですか銀さん」
「ふざけんな、っつったんだよ新八。そんな簡単に、***はやれるかっつーの。何が結婚だ。んなもん、許さねぇよ」
「銀さん、でも***さん、もしかしたら若旦那のこと、本当に好きになっちゃったのかもしれませんよ」
「知るかよ、そんなこと。俺が許さねぇっつったら、許さねぇんだよ」
バキバキという音を立てて、銀時の手の中で双眼鏡が割れた。新八は目を見開いて、銀時の顔を見上げた。赤い瞳には強い怒りがにじんでいた。
その瞳に怒りが浮かぶ瞬間を、新八は今まで何度も見てきた。戦いのさなかでは、その怒りを頼もしいとすら感じた。
しかし今、銀時の瞳に浮かぶ怒りは、そういう気高いものじゃない。もっと自分勝手で幼い。怒りにまかせてイヤイヤと暴れまわる、小さな子供がそこにいるように、新八には見えた。
「ぎ、銀さん、なに怒ってるんですか。お見合いしたってだけで、***さんが結婚するって決まったわけじゃあるまいし……とにかく気を落とすのは、まだ早いですよ」
「そうヨ、銀ちゃん。確かに若旦那はめっさイケメンで、ごっさ金持ちで、銀ちゃんと比べるまでもなく、ものっそい良い奴だったネ。それに***に抱き着いてたけど、だからって結婚するとは限らないアル。今から落ち込むのは気が早いネ」
「オイィィィ!!おめーら、なに俺がフラれたみてぇなこと言ってんのぉ!?でもって、俺が落ち込んでるみてぇなこと言ってんの!?違うからね、俺はアイツのお父さん代わりだから、そう簡単に結婚なんて許すかっつってるだけだからね!?勘違いすんなっつーの!!」
呆れた目で自分を見る神楽と新八に、げんこつを食らわそうとしたら、逆につかみかかられた。胸倉やら髪やらを引っ張られる。
「イテイテイテ!オイ、オメーら何すんだよッ!!」
「銀ちゃんがしっかり***をつかまえとかないから、こんなことになるネ!銀ちゃんは馬鹿アル!この腐れ天パ野郎ッ!」
「神楽ちゃんの言う通りです!いつまでたってもアンタが***さんのことはぐらかしてるから、若旦那に横取りされちゃうんですよ!」
ぎゃーぎゃーと三人で騒いでいると、ふと隣の座敷から***の声が聞こえた。ぱっとモニターに目をやって、そこに広がる光景に三人とも息を飲んで目を見開いた。
座敷の真ん中で、***が土下座をしていた。
頭を畳にこすりつけて謝罪している。必死で絞り出すような***の涙声が、スピーカーから聞こえた。
『このような機会をいただいたのに、申し訳ありません。若さんは、私なんかにはもったいない方です……こんなに優しくて素敵な人には、もっと良い方がいらっしゃると思います。せっかくの縁談でしたが、私にはどうしても……どうしても結婚を考えることはできません……どうしてもできないんです。本当に、ごめんなさい……』
その声は嗚咽まじりに震えていて、床につくほど伏せられた肩が、ガタガタ震えているのが画面越しでも分かった。その姿を、銀時は息を飲んでじっと見つめていたが、しばらくすると怒りがふつふつと湧き上がってきた。
謝罪の言葉を言いながら、***は大粒の涙を流している。壁一枚隔てた場所で、大切な女が泣いている。それなのに銀時は、モニター越しでしかその姿を見ることができない。
依頼も何もかも忘れて、壁をぶち破ってしまいたい。今すぐ***に触れて、その顔を見たい。その身体を抱きしめて、連れ去ってしまいたい。
でもそんなことはできない。そんなことをしたら一番困るのは***だということが、銀時には分かっている。***がいちばんこの場にいてほしくない人間が、自分だと分かっている。どんなに泣いていようと、***の涙に触れることはできない。
「銀さんよかったですね!***さん、やっぱりお断りしてますよ!」と喜ぶ新八の声が、遠くで聞こえる。
モニターの中では困った顔をした若旦那が、***の肩をつかんで、立たせようとしていた。しかし***は腰が抜けたみたいに座り込んで、泣き続けていた。若旦那は***の懐から落ちた白いハンカチを拾うと、何度もその涙をぬぐってやっていた。
―――ちきしょう……なんなんだよ、お前は。なんでそんな男の前でぴーぴー泣いてんだよ。なにソイツに泣き顔を触らせてんだよ。それじゃぁ本当にその男のことが好きみてぇじゃねぇか……
噛みしめた奥歯が痛い。モニターから視線を外した銀時は、座敷へと続く壁をじっと見つめた。「ごめんなさい」と何度も言う***の声が、壁越しにでもうっすらと聞こえた。
泣いている***の顔を思い浮かべると、今すぐにでもその涙に触れたくなった。銀時に触れられて、恥ずかしさに真っ赤になる***の顔が、今すぐ見たかった。
駄々をこねる子供のように足をばたつかせて、この壁をぶち破りたいと、銀時は強く思っていた。
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【第26話 ききわけのない男】end