銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第21話 温かい腕のなか】
意識がなくても、温かくて柔らかい感触は身体中に届いていた。遠くから聞こえるふざけた歌が、ずっと耳に響いていた。自分を抱きしめる細い腕の力強さを、真っ暗な無意識の底で、銀時は確かに感じ続けていた。
意識がなくても、誰かが心配で、必死に手を伸ばそうとした。自分よりも痛い思いをして、泣き出しそうにしている誰かがすぐ近くにいる。抱き寄せなければと、銀時はずっと思っていた。
目を覚ました時にいちばん最初に視界に入ったのは、真っ白い天井だった。あれ、どこだっけここ、なんだっけこれ、と考えているうちに、身体にずしっと何かが乗り、強い痛みがわき腹から全身に走った。
「うぐッッッ!!!」
「銀ちゃん!大丈夫アルか!?心配させんなヨこらァ!!」
「銀さん!やっと起きましたね!出血多量で倒れたんですよ、覚えてますか?」
「おめぇら……っつーか神楽、いてぇよ!どけッ!」
仰向けの身体から、頭だけ持ち上げて見下ろすと、腰のあたりに神楽が乗って抱き着いていた。ベッドの縁には新八が心配そうな顔をして立っている。
病院の一室で銀時はベッドに寝かされていた。***に連れられて病院に辿り着いてから、すぐに集中治療室に入り、長時間かけて輸血をしたらしい。出血がひどく、普通の人間なら死んでいたが、超人的な身体の強さで持ちこたえたと、医者も驚きながら語っていたそうだ。
「おい、***は?」
「***ちゃんなら帰ったよ銀時ィ、あんたあの子の着物、すっかり駄目にしちまって、ありゃ弁償モンだよ」
部屋に入ってきたお登勢が、銀時に向かって呆れた顔で言う。
「***の着物、銀ちゃんの血でものっそい汚れてたネ!***がいなかったら、今ごろ銀ちゃんは野垂れ死にしてたアル!恩をあだで返すとはこのことネ!」
「そうですよ銀さん、***さんから電話があって病院にかけつけた時、てっきり***さんが刺されたかと思うくらい、全身血みどろでしたもん。明日お見舞いに来るって言ってましたから、ちゃんと謝っといてくださいね」
治療と輸血に時間がかかり、意識が戻った時には既に夜遅かった。いくら人間離れした丈夫な身体といっても、最低でも二日は入院するようにと医者に言われる。
このくらいのケガには慣れっこの万事屋の面々とお登勢は、他愛もない話をして、最終的には「糖尿と天パも治してから帰ってこい」と憎まれ口を叩いてから帰っていった。
―――オイ、俺けっこー大ケガしてんだけど、もう少し真剣に心配するヤツがいてもいんじゃねぇの、***みてぇにさぁ~…
意識を失う直前、銀時のいちばん近くには確かに***がいた。てっきり目を覚ました時にも、いちばん近くにいるだろうと思っていたのに、呆気なく帰ったと聞いて肩透かしを食らった気分になる。
―――っんだよ、アイツいねーのかよ、ちゃんと目ぇ覚ますとこまで見届けろっつーの、薄情な女だよ全く……
そう毒づきながらも、目を閉じると最後に見た***の青ざめた顔が浮かんできた。ドラ〇もんの歌をかすれた声で歌いながら、息も絶え絶えでつらそうにしていた。そんな顔をさせたくないと思っていたが、安心させることを言ってやる間もなく、意識が途切れてしまった。明日来たら励ましてやなければならない。お前はよくやったと言ってやれば、きっと***は安心するだろう。
っつーかなんで病人の方が、見舞いにくるヤツの心配しなきゃなんねんだよ、逆だろフツー。そう思ったらおかしくなって、ひとり声もなく笑った後、銀時は穏やかな眠りへと落ちて行った。
大部屋の病室の入り口に書かれた「坂田銀時」の名前を、じっと見上げてから、***は自分を励ますように両手をぎゅっとにぎった。
足音を立てないように入った病室では、銀時のベッドの周りのカーテンは閉まっていた。中の様子が分からずカーテン越しに「銀ちゃん」と小さく呼びかけたが、返事は無かった。
「銀ちゃん……開けるね?」
小さな声で言ってからおずおずとカーテンを開くと、ぐっすりと眠る銀時がいた。そっとカーテンの中に入り、ベッドの横にパイプ椅子を出すと、静かに腰かけた。
ぼんやりとした目で眺めた銀時の寝顔は、昨日見たよりも数段に血色がよく元気そうで、***はほっと溜息をついた。
「……った、よかったよぉ……」
声は出さないつもりだったのに、小さなつぶやきが自然と唇からこぼれた。それと同時に涙が出そうになる。ぐっとこらえて顔を上げると、再び銀時の寝顔を眺める。
すうすうと静かな寝息を立てて眠る顔は、安心しきっていて、まるで子供みたいだった。よく考えたら、銀時の寝顔をまじまじと見るのは初めてだ。いつも万事屋で昼寝をしている時は、顔にジャンプを乗せていたり、うつ伏せだったりしてよく見えない。それに神楽や新八がいる手前、じっと銀時の寝顔を見るなんて、恥ずかしくてできない。
これは類まれなるチャンスなのでは……と思いながら***は椅子から身体を起こす。身を乗り出して、銀時の顔に近づくと、じっと寝顔を眺めた。
―――銀ちゃんって思ったより色白なんだな。天パのせいで彼女もできないしモテないなんて言うけど、よく見ればすごく整った顔してる。一緒に街を歩いてると、時々銀ちゃんのことをじっと見る女の子だっているし、きっと本気を出せばいくらだって恋人を作ることはできそうなのに……
そんなことを考えていたら、だんだんと寝顔を眺めることに夢中になる。もっとよく銀時の顔を見たいという気持ちが強まって、どんどん近づいていってしまう。
身を乗り出すどころか、片膝をベッドの上について、そっと銀時の顔の横に両手をつく。真上から顔を寄せて、じっと銀時を見つめる。
こうして黙って眠っていると、いつもの冗談ばかりベラベラ喋らっている時より、銀時の顔は数段かっこよく見えた。
好きな人の寝顔をじっくり見られるという滅多にないことに感動して、***はぼぉっとした目つきで見惚れていた。そのせいで銀時がまぶたを開いて、いつもの赤い瞳で自分を見つめ返していることに気付くのに、数秒遅れてしまった。
「なに***、キスしてぇの?」
「……………っ!!!」
驚いて「わわわっ!」と顔を上げた瞬間に、ベッドの縁に乗せた片膝がずるりとすべって落ちた。身体が前のめりに倒れて、まるでダイブするように、銀時の胸の上に顔から落ちてしまう。脱げた下駄が転がるカランという音が、静かな病室に響いた。
「ごめ、ごめん銀ちゃん!き、傷が痛いよねっ!!」
そう言いながら慌てて離れようとしたが、背中に銀時の腕が回ってきて、そのまま身動きが取れなくなった。
「もう痛くねぇよ、***、大丈夫だ」
寝起きの銀時の静かな声が、頭上から降ってきた途端、***の身体はびくりと震えて、動けなくなった。ぎゅっと眉間にシワが寄って、込み上げてくる涙を必死でこらえた。
―――あぁ、よかった、銀ちゃん生きてる
「銀ちゃんは死なない、銀ちゃんは生きてる」、その言葉は絶対に口に出してはいけないと思っていた。それなのに心のなかの自分が、そう言って素直に喜んでいる声が聞こえて、***はますます泣きたくなった。
再び目を開けた時に、キスでもしてるのかという程の近さに***の顔があった。その顔を見た瞬間に銀時は、ああ、そうだ、意識がなくてもずっと抱きしめようとしてたのは、コイツだった、と気づいた。
慌てて離れようとした***が、滑るように胸に倒れ込んできて、ちくっとした痛みがわき腹に走ったが、そんなことは1ミリも気にならなかった。
抱き寄せて守りたいという感情は、まるで本能のように身体を動かした。気が付くと銀時は、***の小さな背中に腕を回していた。
痛くないと銀時が告げた途端、***は静かになった。ふと***が病院まで運んできた時のことを思い出して、銀時の口から笑いがもれた。
「ぶふっ……***、お前さぁ、あの状況でドラ〇もんの歌はねぇだろ」
「なっ……!だ、だって!咄嗟にそれしか思い浮かばなかったんだもん……う、運転手さんも歌ってくれたし……銀ちゃんは、歌ってくれなかったけど……」
「歌うわけねぇだろ、こっちは腹に穴が開いてんだぞ。腹から血ィ吹き出してる奴に歌うたえっつーのは鬼畜の所業だろ。っつーか***さぁ、タクシー乗る前も乗ってからも、やけに肝が据わってっから銀さんびっくりしたんですけど。好きな男が死にそうな時、普通はもっと“銀ちゃん、死なないでぇ~”とか言って、すがりついてキスとかすんじゃねぇの?そういう可愛げがあってもいいんじゃねぇの?」
「キ、キスなんてするわけないでしょ!あんなに血をダラダラ流してる人にそんなことしたって助けられないです。私は銀ちゃんを助けるために、最善の行動を取っただけです。わ、悪かったですね、可愛げがなくて!」
「いや~ソレ、ソレな。普通の女ってさぁ、あんなに大量に血が出てたら少しくらい怖がるもんじゃね?お前、顔色ひとつ変えずに傷口おさえてくっから、銀さんマジでビビったんですけど。なにお前、実は吸血鬼かなんかなの?血なんて全然平気なの?」
通常営業に戻ったかのようにペラペラと喋る銀時の腕の中から、***がゆっくりと顔を上げた。じとっと睨むような目で銀時を見つめると、小さな声でつぶやいた。
「ぅ、牛の、牛の出産、見たことありますか……」
「あ゙ぁ?あんだって?」
突拍子もない***の言葉に銀時の腕の力が緩む。その隙にぱっと起き上がると、銀時の胸の上に両手をついた***が、怒った口調で話しはじめる。
「……いいですか、銀ちゃん、昨日の銀ちゃんのケガは確かに大ケガだったし、血もすごい量だったけど、牛の出産に比べたら、全然大したことないです」
「え、なに、***さん、そこで牛と比べんの間違ってません?」
「間違ってません。私は実家の農園の牧場で、何頭もの牛の出産に立ち会ってきました。それはものすごい量の血が出ます。苦しみ続ける牛の近くにひと晩中つきそって、その血が流れ続けるのを見てなきゃいけないんです。赤ちゃんの牛がうまく出てこられない時もあります。そういう時はその血が出てくるところに、こう、両腕を、」
「オイィィィ!待て待て待て!!お前、病人の前でなにグロテスクなこと言ってんだよ!ちょっと看護婦さぁ~ん、見舞いに来た変な人が嫌がらせしてきま~す!つまみ出してくださぁ~い!!!」
銀時の大きな声に制されて、***はぎゅっと口をつぐんで黙った。ぼんやりとした目で銀時を見つめると、身体の力を抜いた。
ベッドの縁から足だけ落として、両手をついて座りこむ***の顔を、銀時はその日はじめてまじまじと見た。よく見るとその顔には疲労が浮かんでいて、目の下にはくっきりと青いくまができていた。
「なに***、お前すげぇ顔してっけど……眠ぃの?」
「え?……うん、ちょっと眠たい……昨日は銀ちゃんの輸血が終わるまで病院にいて、今朝も配達があったから、あんまり寝てないんです」
「あっそ……じゃ、寝ろよ」
「え?」と言った***がぽけっとした顔で固まる。銀時はベッドの上で起き上がると、ばっと掛け布団をどけた。固まったままの***に向かって手をのばし、細い腰をつかむと引き寄せた。
「ちょっ、ちょっと銀ちゃ……わっ!」
抵抗する間も無く、気がつくと***の身体はベッドの上に引き上げられていた。そのまま銀時は、***の頭を胸に抱き抱えるように、布団のなかに引きずり込む。
どさり、と横向きに布団に倒れ、銀時が上からかけた掛け布団は、***の頭の上まで覆った。
「な、な、な、なんですか銀ちゃんっ!だ、駄目だよ急にそんなに動いちゃ、傷に触ります!」
胸の前で顔を赤くした***が、口をぱくぱくとさせて身体を震わせた。枕に肘をついて頭を支えた銀時が、掛け布団を少しめくると、胸元で顔を上げていた***と目が合った。
「触らねぇよ、もう大丈夫っつったろ***。寝ろよ。お前が寝るまで、昨日のお返しに銀さんが抱いててやっから。ほれ、よーしよし、***はいいこ〜、よくできましたぁ〜」
「…………っ!」
静かな声であやすように銀時がそう言うと、赤い顔をぱっと伏せた***は、銀時の胸に頭を寄せた。入院着の襟元を両手でぎゅっとつかむ。その両手が触れた胸から熱を感じる。普段は凍るように冷たい***の手が熱くて、眠いと手が熱くなるなんて、こいつは赤ん坊かよと思ったら、自然と笑えてきた。
くくく、と声を抑えて笑いながら、銀時は布団の上から***の背中をぽんぽんと叩いた。ここが病院で、自分が患者で、***が見舞い客ということの全てを、一瞬で忘れてしまった。腕のなかに***がいることが、穏やかな幸福のしるしのように思えた。
温かい布団のなか、抱き寄せられた胸に顔を押し付けて、***は必死で涙をこらえていた。優しい声で二回言われた「大丈夫だ」という言葉に、***の涙腺は崩壊寸前だった。
でも、ここで泣いてしまったら、全て台無しになる。そう自分に言い聞かせて唇を痛いほど噛み、爪が手のひらに食い込むほど強く、銀時の着物の襟ぐりを握りしめた。
馬鹿げた牛の出産の話で誤魔化したけれど、本当のことを言えば***は、思い出すのも嫌なほど、昨日の出来事が怖くて怖くて仕方がなかった。ふと思い返すたびに身体が震え、眩暈を起こしそうになった。昨夜ひとりで布団に入ってはじめて、自分の身体がガタガタと震えていることに気付き、一睡もできなかった。
だけどそれを銀時に知られてはならないと、必死で自分を鼓舞し続けて、平気な顔を保ったのだ。今泣いてしまったら、あの恐怖を乗り越えた努力が全て水の泡だ。それだけは絶対にさせない。
銀時は聡いから、***が怖がっていたことに気付いている。それでも血みどろの手でほほを撫でて「そんな顔をするな」と励ましてくれた。さっきだって「よくできました」と言ってくれた。
あんなの全然大したことないと***が言った時に、銀時が浮かべたほっとした表情を、絶対に守りきらなければならない。
背中をぽんぽんと叩かれながら、「ふぅ〜」と深呼吸をしたら、気持ちが落ち着いた。心の中で「もうひと頑張りだよ***」と自分に言い聞かせる。もう一度顔を上げると再び銀時と目があう。
襟ぐりをつかんでいた両手が離れて、自然と銀時の顔へとのびた。「あ?」と言う銀時の両ほほに添えたら、珍しく***の手のほうが熱かった。
これだけは言わなければとずっと思っていた言葉が、すらすらと口から出てきた。
「……銀ちゃん、私……可愛げがないから、あのくらいのこと全然平気だよ。怖くもなんともないです。……でもいま、こうして銀ちゃんが元気なことは、心の底から嬉しいよ……私、こうやって抱きしめてもらえるなら、何回でも銀ちゃんのこと、助けますから。だから、安心してね」
微笑みを浮かべて***がそう言うと、銀時は目を見開いて驚いた表情をした。背中を叩いていた手が止まり、気が付くと***のほほに添えられていた。
ゆっくりと***のほほを撫でながら、銀時は何か言いたそうな顔をしたが、ぐっと口をつぐんで目をそらした。銀時のほほに触れていた***の手を、上から大きな手が包んだ。
「お前の手、熱くて赤ん坊みてぇ」
そう言って銀時はくすくすと笑った。笑いがおさまった後、静かな声でもう一度「寝ろよ***、大丈夫だから」と言った。重ねられた銀時の手は大きくて、そして同じくらい熱かった。
三回目の大丈夫という言葉には、もう涙は込み上げてこなかった。伝えたかったことを言えてほっとした***は、瞳を閉じると、そっと銀時の胸に顔を寄せた。同時に背中に銀時の腕が回ってぎゅっと抱き寄せられた。
―――前にも銀ちゃんにこうして、お布団の中で抱きしめてもらったけど、その時は銀ちゃんの腕のなかが、こんなに温かいなんて分からなかったなぁ……
目を閉じて能天気にそんなことを考えていると、急に強い睡魔が襲ってきた。だんだんと意識が遠のいていく。背中に回された銀時の腕の力が、少しだけ強まったような気がした。
自分が死ぬ時のことを、***は真面目に考えたことがない。せいぜい考えても、いつか訪れるその日がなるべく穏やかならいいなぁという程度だった。
でも、いま、銀時の温かい腕の中で瞳を閉じていると、ここが世界中のどこよりも安全で、***がいちばん幸せでいられる場所のように思えた。死ぬまでずっと、この腕の中にいられたらいいのに、と薄れていく意識のなかで***は考えていた。
―――神様、どうか、銀ちゃんが病める時も健やかなる時も、私を銀ちゃんのそばにいさせてください。この温かい腕を私の力で守らせてください。そしてどうか、私が永遠の眠りにつく時は、この腕の中で眠らせてください。もしそれが叶うなら、一生、可愛げのない女でも構わないから……―――
こんなワガママな願いはきっと叶わないだろうと思いながらも、どうしても***はそう祈らずにはいられなかった。抱き寄せる銀時の腕の力強さが、顔を寄せた胸の広さが、身体を包む温かさが、***に何度も祈りを捧げさせた。
多分、絶対、一生、どうしてもこの場所を諦めることはできないだろう。そう思いながら***は、安らかな眠りへと落ちて行った。心のなかで「銀ちゃん、大好き」とつぶやいた直後、耳元に温かい息が当たった。薄れていく意識の向こうから、「***」とささやく小さな声が、聞こえたような気がした。
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【第21話 温かい腕のなか】end
意識がなくても、温かくて柔らかい感触は身体中に届いていた。遠くから聞こえるふざけた歌が、ずっと耳に響いていた。自分を抱きしめる細い腕の力強さを、真っ暗な無意識の底で、銀時は確かに感じ続けていた。
意識がなくても、誰かが心配で、必死に手を伸ばそうとした。自分よりも痛い思いをして、泣き出しそうにしている誰かがすぐ近くにいる。抱き寄せなければと、銀時はずっと思っていた。
目を覚ました時にいちばん最初に視界に入ったのは、真っ白い天井だった。あれ、どこだっけここ、なんだっけこれ、と考えているうちに、身体にずしっと何かが乗り、強い痛みがわき腹から全身に走った。
「うぐッッッ!!!」
「銀ちゃん!大丈夫アルか!?心配させんなヨこらァ!!」
「銀さん!やっと起きましたね!出血多量で倒れたんですよ、覚えてますか?」
「おめぇら……っつーか神楽、いてぇよ!どけッ!」
仰向けの身体から、頭だけ持ち上げて見下ろすと、腰のあたりに神楽が乗って抱き着いていた。ベッドの縁には新八が心配そうな顔をして立っている。
病院の一室で銀時はベッドに寝かされていた。***に連れられて病院に辿り着いてから、すぐに集中治療室に入り、長時間かけて輸血をしたらしい。出血がひどく、普通の人間なら死んでいたが、超人的な身体の強さで持ちこたえたと、医者も驚きながら語っていたそうだ。
「おい、***は?」
「***ちゃんなら帰ったよ銀時ィ、あんたあの子の着物、すっかり駄目にしちまって、ありゃ弁償モンだよ」
部屋に入ってきたお登勢が、銀時に向かって呆れた顔で言う。
「***の着物、銀ちゃんの血でものっそい汚れてたネ!***がいなかったら、今ごろ銀ちゃんは野垂れ死にしてたアル!恩をあだで返すとはこのことネ!」
「そうですよ銀さん、***さんから電話があって病院にかけつけた時、てっきり***さんが刺されたかと思うくらい、全身血みどろでしたもん。明日お見舞いに来るって言ってましたから、ちゃんと謝っといてくださいね」
治療と輸血に時間がかかり、意識が戻った時には既に夜遅かった。いくら人間離れした丈夫な身体といっても、最低でも二日は入院するようにと医者に言われる。
このくらいのケガには慣れっこの万事屋の面々とお登勢は、他愛もない話をして、最終的には「糖尿と天パも治してから帰ってこい」と憎まれ口を叩いてから帰っていった。
―――オイ、俺けっこー大ケガしてんだけど、もう少し真剣に心配するヤツがいてもいんじゃねぇの、***みてぇにさぁ~…
意識を失う直前、銀時のいちばん近くには確かに***がいた。てっきり目を覚ました時にも、いちばん近くにいるだろうと思っていたのに、呆気なく帰ったと聞いて肩透かしを食らった気分になる。
―――っんだよ、アイツいねーのかよ、ちゃんと目ぇ覚ますとこまで見届けろっつーの、薄情な女だよ全く……
そう毒づきながらも、目を閉じると最後に見た***の青ざめた顔が浮かんできた。ドラ〇もんの歌をかすれた声で歌いながら、息も絶え絶えでつらそうにしていた。そんな顔をさせたくないと思っていたが、安心させることを言ってやる間もなく、意識が途切れてしまった。明日来たら励ましてやなければならない。お前はよくやったと言ってやれば、きっと***は安心するだろう。
っつーかなんで病人の方が、見舞いにくるヤツの心配しなきゃなんねんだよ、逆だろフツー。そう思ったらおかしくなって、ひとり声もなく笑った後、銀時は穏やかな眠りへと落ちて行った。
大部屋の病室の入り口に書かれた「坂田銀時」の名前を、じっと見上げてから、***は自分を励ますように両手をぎゅっとにぎった。
足音を立てないように入った病室では、銀時のベッドの周りのカーテンは閉まっていた。中の様子が分からずカーテン越しに「銀ちゃん」と小さく呼びかけたが、返事は無かった。
「銀ちゃん……開けるね?」
小さな声で言ってからおずおずとカーテンを開くと、ぐっすりと眠る銀時がいた。そっとカーテンの中に入り、ベッドの横にパイプ椅子を出すと、静かに腰かけた。
ぼんやりとした目で眺めた銀時の寝顔は、昨日見たよりも数段に血色がよく元気そうで、***はほっと溜息をついた。
「……った、よかったよぉ……」
声は出さないつもりだったのに、小さなつぶやきが自然と唇からこぼれた。それと同時に涙が出そうになる。ぐっとこらえて顔を上げると、再び銀時の寝顔を眺める。
すうすうと静かな寝息を立てて眠る顔は、安心しきっていて、まるで子供みたいだった。よく考えたら、銀時の寝顔をまじまじと見るのは初めてだ。いつも万事屋で昼寝をしている時は、顔にジャンプを乗せていたり、うつ伏せだったりしてよく見えない。それに神楽や新八がいる手前、じっと銀時の寝顔を見るなんて、恥ずかしくてできない。
これは類まれなるチャンスなのでは……と思いながら***は椅子から身体を起こす。身を乗り出して、銀時の顔に近づくと、じっと寝顔を眺めた。
―――銀ちゃんって思ったより色白なんだな。天パのせいで彼女もできないしモテないなんて言うけど、よく見ればすごく整った顔してる。一緒に街を歩いてると、時々銀ちゃんのことをじっと見る女の子だっているし、きっと本気を出せばいくらだって恋人を作ることはできそうなのに……
そんなことを考えていたら、だんだんと寝顔を眺めることに夢中になる。もっとよく銀時の顔を見たいという気持ちが強まって、どんどん近づいていってしまう。
身を乗り出すどころか、片膝をベッドの上について、そっと銀時の顔の横に両手をつく。真上から顔を寄せて、じっと銀時を見つめる。
こうして黙って眠っていると、いつもの冗談ばかりベラベラ喋らっている時より、銀時の顔は数段かっこよく見えた。
好きな人の寝顔をじっくり見られるという滅多にないことに感動して、***はぼぉっとした目つきで見惚れていた。そのせいで銀時がまぶたを開いて、いつもの赤い瞳で自分を見つめ返していることに気付くのに、数秒遅れてしまった。
「なに***、キスしてぇの?」
「……………っ!!!」
驚いて「わわわっ!」と顔を上げた瞬間に、ベッドの縁に乗せた片膝がずるりとすべって落ちた。身体が前のめりに倒れて、まるでダイブするように、銀時の胸の上に顔から落ちてしまう。脱げた下駄が転がるカランという音が、静かな病室に響いた。
「ごめ、ごめん銀ちゃん!き、傷が痛いよねっ!!」
そう言いながら慌てて離れようとしたが、背中に銀時の腕が回ってきて、そのまま身動きが取れなくなった。
「もう痛くねぇよ、***、大丈夫だ」
寝起きの銀時の静かな声が、頭上から降ってきた途端、***の身体はびくりと震えて、動けなくなった。ぎゅっと眉間にシワが寄って、込み上げてくる涙を必死でこらえた。
―――あぁ、よかった、銀ちゃん生きてる
「銀ちゃんは死なない、銀ちゃんは生きてる」、その言葉は絶対に口に出してはいけないと思っていた。それなのに心のなかの自分が、そう言って素直に喜んでいる声が聞こえて、***はますます泣きたくなった。
再び目を開けた時に、キスでもしてるのかという程の近さに***の顔があった。その顔を見た瞬間に銀時は、ああ、そうだ、意識がなくてもずっと抱きしめようとしてたのは、コイツだった、と気づいた。
慌てて離れようとした***が、滑るように胸に倒れ込んできて、ちくっとした痛みがわき腹に走ったが、そんなことは1ミリも気にならなかった。
抱き寄せて守りたいという感情は、まるで本能のように身体を動かした。気が付くと銀時は、***の小さな背中に腕を回していた。
痛くないと銀時が告げた途端、***は静かになった。ふと***が病院まで運んできた時のことを思い出して、銀時の口から笑いがもれた。
「ぶふっ……***、お前さぁ、あの状況でドラ〇もんの歌はねぇだろ」
「なっ……!だ、だって!咄嗟にそれしか思い浮かばなかったんだもん……う、運転手さんも歌ってくれたし……銀ちゃんは、歌ってくれなかったけど……」
「歌うわけねぇだろ、こっちは腹に穴が開いてんだぞ。腹から血ィ吹き出してる奴に歌うたえっつーのは鬼畜の所業だろ。っつーか***さぁ、タクシー乗る前も乗ってからも、やけに肝が据わってっから銀さんびっくりしたんですけど。好きな男が死にそうな時、普通はもっと“銀ちゃん、死なないでぇ~”とか言って、すがりついてキスとかすんじゃねぇの?そういう可愛げがあってもいいんじゃねぇの?」
「キ、キスなんてするわけないでしょ!あんなに血をダラダラ流してる人にそんなことしたって助けられないです。私は銀ちゃんを助けるために、最善の行動を取っただけです。わ、悪かったですね、可愛げがなくて!」
「いや~ソレ、ソレな。普通の女ってさぁ、あんなに大量に血が出てたら少しくらい怖がるもんじゃね?お前、顔色ひとつ変えずに傷口おさえてくっから、銀さんマジでビビったんですけど。なにお前、実は吸血鬼かなんかなの?血なんて全然平気なの?」
通常営業に戻ったかのようにペラペラと喋る銀時の腕の中から、***がゆっくりと顔を上げた。じとっと睨むような目で銀時を見つめると、小さな声でつぶやいた。
「ぅ、牛の、牛の出産、見たことありますか……」
「あ゙ぁ?あんだって?」
突拍子もない***の言葉に銀時の腕の力が緩む。その隙にぱっと起き上がると、銀時の胸の上に両手をついた***が、怒った口調で話しはじめる。
「……いいですか、銀ちゃん、昨日の銀ちゃんのケガは確かに大ケガだったし、血もすごい量だったけど、牛の出産に比べたら、全然大したことないです」
「え、なに、***さん、そこで牛と比べんの間違ってません?」
「間違ってません。私は実家の農園の牧場で、何頭もの牛の出産に立ち会ってきました。それはものすごい量の血が出ます。苦しみ続ける牛の近くにひと晩中つきそって、その血が流れ続けるのを見てなきゃいけないんです。赤ちゃんの牛がうまく出てこられない時もあります。そういう時はその血が出てくるところに、こう、両腕を、」
「オイィィィ!待て待て待て!!お前、病人の前でなにグロテスクなこと言ってんだよ!ちょっと看護婦さぁ~ん、見舞いに来た変な人が嫌がらせしてきま~す!つまみ出してくださぁ~い!!!」
銀時の大きな声に制されて、***はぎゅっと口をつぐんで黙った。ぼんやりとした目で銀時を見つめると、身体の力を抜いた。
ベッドの縁から足だけ落として、両手をついて座りこむ***の顔を、銀時はその日はじめてまじまじと見た。よく見るとその顔には疲労が浮かんでいて、目の下にはくっきりと青いくまができていた。
「なに***、お前すげぇ顔してっけど……眠ぃの?」
「え?……うん、ちょっと眠たい……昨日は銀ちゃんの輸血が終わるまで病院にいて、今朝も配達があったから、あんまり寝てないんです」
「あっそ……じゃ、寝ろよ」
「え?」と言った***がぽけっとした顔で固まる。銀時はベッドの上で起き上がると、ばっと掛け布団をどけた。固まったままの***に向かって手をのばし、細い腰をつかむと引き寄せた。
「ちょっ、ちょっと銀ちゃ……わっ!」
抵抗する間も無く、気がつくと***の身体はベッドの上に引き上げられていた。そのまま銀時は、***の頭を胸に抱き抱えるように、布団のなかに引きずり込む。
どさり、と横向きに布団に倒れ、銀時が上からかけた掛け布団は、***の頭の上まで覆った。
「な、な、な、なんですか銀ちゃんっ!だ、駄目だよ急にそんなに動いちゃ、傷に触ります!」
胸の前で顔を赤くした***が、口をぱくぱくとさせて身体を震わせた。枕に肘をついて頭を支えた銀時が、掛け布団を少しめくると、胸元で顔を上げていた***と目が合った。
「触らねぇよ、もう大丈夫っつったろ***。寝ろよ。お前が寝るまで、昨日のお返しに銀さんが抱いててやっから。ほれ、よーしよし、***はいいこ〜、よくできましたぁ〜」
「…………っ!」
静かな声であやすように銀時がそう言うと、赤い顔をぱっと伏せた***は、銀時の胸に頭を寄せた。入院着の襟元を両手でぎゅっとつかむ。その両手が触れた胸から熱を感じる。普段は凍るように冷たい***の手が熱くて、眠いと手が熱くなるなんて、こいつは赤ん坊かよと思ったら、自然と笑えてきた。
くくく、と声を抑えて笑いながら、銀時は布団の上から***の背中をぽんぽんと叩いた。ここが病院で、自分が患者で、***が見舞い客ということの全てを、一瞬で忘れてしまった。腕のなかに***がいることが、穏やかな幸福のしるしのように思えた。
温かい布団のなか、抱き寄せられた胸に顔を押し付けて、***は必死で涙をこらえていた。優しい声で二回言われた「大丈夫だ」という言葉に、***の涙腺は崩壊寸前だった。
でも、ここで泣いてしまったら、全て台無しになる。そう自分に言い聞かせて唇を痛いほど噛み、爪が手のひらに食い込むほど強く、銀時の着物の襟ぐりを握りしめた。
馬鹿げた牛の出産の話で誤魔化したけれど、本当のことを言えば***は、思い出すのも嫌なほど、昨日の出来事が怖くて怖くて仕方がなかった。ふと思い返すたびに身体が震え、眩暈を起こしそうになった。昨夜ひとりで布団に入ってはじめて、自分の身体がガタガタと震えていることに気付き、一睡もできなかった。
だけどそれを銀時に知られてはならないと、必死で自分を鼓舞し続けて、平気な顔を保ったのだ。今泣いてしまったら、あの恐怖を乗り越えた努力が全て水の泡だ。それだけは絶対にさせない。
銀時は聡いから、***が怖がっていたことに気付いている。それでも血みどろの手でほほを撫でて「そんな顔をするな」と励ましてくれた。さっきだって「よくできました」と言ってくれた。
あんなの全然大したことないと***が言った時に、銀時が浮かべたほっとした表情を、絶対に守りきらなければならない。
背中をぽんぽんと叩かれながら、「ふぅ〜」と深呼吸をしたら、気持ちが落ち着いた。心の中で「もうひと頑張りだよ***」と自分に言い聞かせる。もう一度顔を上げると再び銀時と目があう。
襟ぐりをつかんでいた両手が離れて、自然と銀時の顔へとのびた。「あ?」と言う銀時の両ほほに添えたら、珍しく***の手のほうが熱かった。
これだけは言わなければとずっと思っていた言葉が、すらすらと口から出てきた。
「……銀ちゃん、私……可愛げがないから、あのくらいのこと全然平気だよ。怖くもなんともないです。……でもいま、こうして銀ちゃんが元気なことは、心の底から嬉しいよ……私、こうやって抱きしめてもらえるなら、何回でも銀ちゃんのこと、助けますから。だから、安心してね」
微笑みを浮かべて***がそう言うと、銀時は目を見開いて驚いた表情をした。背中を叩いていた手が止まり、気が付くと***のほほに添えられていた。
ゆっくりと***のほほを撫でながら、銀時は何か言いたそうな顔をしたが、ぐっと口をつぐんで目をそらした。銀時のほほに触れていた***の手を、上から大きな手が包んだ。
「お前の手、熱くて赤ん坊みてぇ」
そう言って銀時はくすくすと笑った。笑いがおさまった後、静かな声でもう一度「寝ろよ***、大丈夫だから」と言った。重ねられた銀時の手は大きくて、そして同じくらい熱かった。
三回目の大丈夫という言葉には、もう涙は込み上げてこなかった。伝えたかったことを言えてほっとした***は、瞳を閉じると、そっと銀時の胸に顔を寄せた。同時に背中に銀時の腕が回ってぎゅっと抱き寄せられた。
―――前にも銀ちゃんにこうして、お布団の中で抱きしめてもらったけど、その時は銀ちゃんの腕のなかが、こんなに温かいなんて分からなかったなぁ……
目を閉じて能天気にそんなことを考えていると、急に強い睡魔が襲ってきた。だんだんと意識が遠のいていく。背中に回された銀時の腕の力が、少しだけ強まったような気がした。
自分が死ぬ時のことを、***は真面目に考えたことがない。せいぜい考えても、いつか訪れるその日がなるべく穏やかならいいなぁという程度だった。
でも、いま、銀時の温かい腕の中で瞳を閉じていると、ここが世界中のどこよりも安全で、***がいちばん幸せでいられる場所のように思えた。死ぬまでずっと、この腕の中にいられたらいいのに、と薄れていく意識のなかで***は考えていた。
―――神様、どうか、銀ちゃんが病める時も健やかなる時も、私を銀ちゃんのそばにいさせてください。この温かい腕を私の力で守らせてください。そしてどうか、私が永遠の眠りにつく時は、この腕の中で眠らせてください。もしそれが叶うなら、一生、可愛げのない女でも構わないから……―――
こんなワガママな願いはきっと叶わないだろうと思いながらも、どうしても***はそう祈らずにはいられなかった。抱き寄せる銀時の腕の力強さが、顔を寄せた胸の広さが、身体を包む温かさが、***に何度も祈りを捧げさせた。
多分、絶対、一生、どうしてもこの場所を諦めることはできないだろう。そう思いながら***は、安らかな眠りへと落ちて行った。心のなかで「銀ちゃん、大好き」とつぶやいた直後、耳元に温かい息が当たった。薄れていく意識の向こうから、「***」とささやく小さな声が、聞こえたような気がした。
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【第21話 温かい腕のなか】end