銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第17話 迷子のこども】
押し付けられた白くまのぬいぐるみを、胸に抱いた***が膝から崩れ落ちた。うずくまるみたいに身体を前に倒して、ぬいぐるみの白い毛に顔を埋めた。
「……ぃ、ぎ、んちゃん、ぅ、うわぁぁぁん!!!」
必死に声を押し殺そうとしていたけれど、一度漏れた嗚咽につられて、***は大きな声を上げて泣いた。ふわふわの白い毛が束になるほど、大粒の涙がぼたぼたと垂れた。
隣に膝をついた新八は、うずくまる***の背中を優しく撫でた。小さな背中は、背骨が浮き出るほど丸められて、嗚咽にあわせてがたがた震えた。
子供みたいだ、と新八は思った。見た目の幼さと純粋さのせいで、***のことを子供のように可愛いと思うことはあっても、あくまで年上のしっかりした大人の女性だと、新八は認識していた。
しかし今、目の前でうずくまって泣いている姿は、まるで迷子になって途方に暮れている小さな子供のようだ。
―――大人でも、本当に哀しかったら、こんな風に泣くんだ……―――
そう思う新八の脳裏に、***を泣かせている張本人の顔が浮かんだ。
***が万事屋に来なくなって一週間、おかしいと思いつつも、誰も何も言わなかった。***のこととなると取り合いをするように、銀時に食ってかかる神楽も、なぜか大人しくて元気がない。
仕事はなく、銀時は日がな一日ごろごろしている。ソファに横になって、昼寝よりもっと深い惰眠を貪ってばかりだ。そのうち神楽が、どうして***が来ないのかと聞くだろうと思っていたのに、いつまで経ってもその気配がない。ついにしびれを切らした新八が、「***さんと何かあったんですか?」と銀時に問いかけた。
「はぁぁぁ!?***さんに来るなって言ったァ!!?な、なんでですか、銀さん!!」
「あ゙~?っんだよ、ぱっつぁん、ちゃんと話聞けっつーの。そもそも万事屋の仕事は、あいつみてぇなフツーの若い女には縁のねぇもんだろーが。またケガすっことになっから、もう来んなっつったのぉ〜」
いつものダルそうな顔で事務机に頬杖をついた銀時が、ジャンプをパラパラとめくりながら言った。その声はいつもの調子で、まるで何も考えていないような声だった。
普段だったらこんな時、新八はツッコミを入れるくらいしかできない。結局は銀時が決めたことなら、それでいいんだろうと受け入れる。しかし今回ばかりは話が違う。
「***さんは、それでいいって言ったんですか?もう万事屋へは来ないって、それで納得したんですか?」
「知らね、聞いてねぇもん。まぁ、来ないってことはいいって思ってんじゃねぇの」
―――ガタンッ!!!
こんなことをするのは意外だと、自分でも思いながら、新八は机の前に立ち、気だるげに座っている銀時の胸倉をつかみあげた。勢いづいた腕が当たったジャンプが、滑るように床へと落ちて行った。
「知らないってどういうことですか!***さんの気持ちを知ってて、ここに来るなって言ったんですよね?それってもう会わないってことじゃないですか!***さんは、銀さんのことを好きなんですよ?急にそんなこと言われたら、あの人は絶対に傷つきます。***さんは僕らのことを、家族みたいに思っているのに、それを無下にするんですか!?だいたい銀さんだって***さんのこと、」
―――バタンッッッ!!!
言葉を遮るように立ち上がった銀時が、新八の胸倉をつかみ返して持ち上げた。身長の差で、新八の足は少しだけ床から浮き上がる。上から見下ろす銀時の赤い瞳は、とても冷たかった。
「……ガタガタうるせぇんだよ新八、***の気持ちなんざ知ったこっちゃねぇな。あいつは俺たちの仕事のせいで、ケガをした。それも顔にだ。女の顔に傷がつくっつーのがどういうことか、童貞のお前でも少しは分かんだろ。あいつが俺たちを家族だと思っていようがいまいが、あいつには本当に血の繋がった大事な家族がいるんだ。***が傷ついたら、俺たちよかよっぽど悲しむ家族がいることを、忘れてんじゃねぇよ新八」
それはいつもよりずっと静かな声で、淡々と冷たく言い放たれた。***に本当の家族がいるのは分かってる。それが大切なことも分かってる。でもだからって万事屋を思ってくれる***の気持ちを、踏みにじるようなことをしていいとは、新八にはとても思えない。だってそれは―――
「それは……逃げるってことですよね。***さんを守ることから逃げて、遠くに追いやるってことと一緒ですよね。そんなの僕の知ってる銀さんじゃないです。僕の知ってるあんたはもっと強いはずです。守るって決めたものは、どんなことがあっても最後まで守り通すのが、あんたじゃないのかよ!この腐れ天パ野郎ォォォ!!」
どうとでも言えよ、と吐き捨てるように言うと、銀時は手を離して、そのまま出て行ってしまった。「こんな時にパチンコですか?」という問いかけにも返事は無かった。
怒りのままに新八も万事屋を飛び出して、***のアパートへと向かった。あの人はきっと傷ついてる。あんなに銀時を好きだと言っていたのに。一度フラれた時なんて、信じられないくらい取り乱していたのに。それで平気でいられるわけがない。
息を上げながらアパートの前へやってくると、既に***の部屋の前には先客がいた。
「神楽ちゃん……」
「……新八……」
部屋の扉の前に、神楽が膝を抱えて座っていた。その隣に新八も腰を下ろす。「まだ***は帰ってきてないアル」と神楽はうつむいて言った。爆破事件があって以来、ふたりは一度も***に会っていない。その日のうちに新八は自転車を届けに来たが、戸を叩いても返事は無かった。
「あれ……新八くん?神楽ちゃん?」
気が付くとふたりの前に***が立っていた。手にコンビニの袋を持って、驚いた顔をしている。着物のうえに牛乳屋のエプロンを着けたまま、足元は下駄ではなくスポーツ用のスニーカー姿で。
「……***さん!あれからずっと会えなかったから、心配してたんです。あの……大丈夫ですか?」
「新八くん、ありがとう。もう大丈夫だよ!ほら、傷もよくなったし。こないだはちゃんとお話できなくてごめんね。新八くんが自転車を持ってきてくれたんだよね?私しばらく部屋から出られなくて……あ、神楽ちゃん、ちょうどよかった!はい、酢昆布!」
まるで神楽が来ることが分かっていたかのように、コンビニの袋から酢昆布が出てきた。にこにこ笑う***は、いつも通りの明るい顔をしている。
しかし、ほほやアゴには治りかけの小さな傷が沢山あった。袖からのぞく細い腕には、薄い紫色のアザがちらほらと見えた。笑顔はいつも通りだけど、ほんの少しやつれて顔色が良くない。
「ふたりとも上がって、おやつもあるし食べていきなよ」とほがらかに言いながら、***が部屋の扉を開ける。そこに広がった光景を見て、新八と神楽は息を飲んだ。
四畳半の部屋は、がらんどうと言ってもいいほど殺風景で、物が無くなっていた。それは1年以上前、まだ万事屋と出会ったばかりの頃の、***の部屋と同じだった。
壁に貼ってあったお通のポスターも、白くまのぬいぐるみも、テレビもちゃぶ台も、なにもかもが部屋から無くなっていた。
「……ど、どうしてヨ***!?なんで、なんでこんなになっちゃったネ!?もしかして……引っ越すアルか!?ここからいなくなっちゃうアルか!?そんなの駄目ネ!!」
「えっ!?ち、違うよ神楽ちゃん!引っ越しなんてしないよ!!これは、その、な、なんていうか……」
「……銀さんにもう来るなって、言われたからですね、***さん」
新八の口にした名前を聞いて、***の身体がびくっと震えた。それまで保たれていた笑顔が崩れて、一瞬で泣きそうな顔になる。それでもぱっと元の笑顔に戻して、困った顔で笑いながら、***は口を開いた。
「そうなの新八くん。銀ちゃんに……もう万事屋に来るなって言われちゃって、私、ちょっと図々しかったのかなぁ……それで反省しなきゃって思ったんだけど、なんか家にあるものどれを見ても、みんなの顔が浮かんできて、会いたくなっちゃって……ほら、この酢昆布だってね、仕事帰りにコンビニに寄ったら、気付いたら買っちゃってて……まいっちゃうよねぇ、万事屋に行くのが染みついてて、お菓子とかいちご牛乳とか、ひとりじゃ食べきれないのに……」
眉を八の字に下げた***が、台所の流しの下を開けると、大量のお菓子が出てきた。どのお菓子も万事屋の面々が好きな物だった。冷蔵庫を開けると、***は飲まないのに、いちご牛乳が何本も入っていた。
それを見た瞬間、新八の心は激しく痛んだ。
―――ほら、やっぱり***さんは傷ついている。それも僕たちが思っているよりずっと。銀さんが想像するよりももっと哀しんでるじゃないか……
「***さん、そんなこと気にしないで、万事屋に来たらいいじゃないですか。銀さんだって口ではそう言っても、本当は***さんに会いたいはずです」
「新八くん……ありがとう。でも、銀ちゃんがね……すごく傷ついて、哀しそうな顔をしてたから……もし、私が会いに行ったら、きっとまた傷つけちゃうと思うと、怖くて。だから私は、行けないよ」
あんな風に傷ついた顔をされたら、***はもう銀時には会えない。自分が近くにいることが、銀時の心を痛めるなんて、とても耐えられない。「好きだからこそ、これ以上傷つけたくない、だから銀ちゃんには会えない」と***は言った。
口をつぐんだ新八と***がうつむいていると、それまで静かだった神楽が口を開いた。
「……どこネ……***、どこにあるネ?」
「え?なに神楽ちゃん、酢昆布ならここだよ?」
「違うネ!どこヨ!?ぬいぐるみとか!お通のポスターとか!テレビとか!!どこアルか!?」
「あ、え、えぇっと……お、押し入れの中に……」
だっと押し入れに駆け寄ると、パンッと大きな音を立ててふすまを開ける。中にはぎゅうぎゅうに物が押し込まれていた。
神楽はそこからテレビやちゃぶ台、丸まったポスター、鼻緒の取れた下駄などを、どんどん取り出した。更に、いちばん奥に隠すように押し込まれていた白くまのぬいぐるみも、引っ張り出す。
呆気にとられた***は口をぽかんと開けて、立ち尽くしていた。手当たり次第に神楽が取り出した物が、床に散らばっていくのを、ぼんやりとした目で眺めている。
「***も銀ちゃんも馬鹿ネ!傷つけるってなにヨ!?もうとっくに傷ついてるアル!!こんな風に隠して見えないようにしたって、もう会わないって言ったって、苦しいのは変わんないヨ!!だって、***会いたいでしょう!?私にも新八にも……銀ちゃんにも、会いたいんでしょう!?」
「か、神楽ちゃん……会いたいけど、でも……」
「銀ちゃんも***に会いたいネ!!!あの馬鹿天パ、毎晩毎晩、***の名前叫んでるアル!!何があったか知らないけど、うなされて***の名前呼んでるネ!!私、あんなに苦しそうな銀ちゃん、見たことないヨ!もう見たくないヨ!!***、私たち親友でしょ?万事屋は家族でしょ?銀ちゃんのこと宇宙でいちばん好きなんでしょ?だったら簡単に万事屋に来るの止めないでヨ!銀ちゃんのこと、簡単に諦めないでヨ!!!」
そう言って神楽は、片手に持った白くまのぬいぐみを、***の胸にぎゅっと押し付けた。突然の神楽の言葉に感情が乱されて、見開かれた***の瞳の中で、大きな黒目がゆらゆらと揺れた。
「***さん……神楽ちゃんの言う通りです。僕らのこと家族みたいに思ってるって言ってくれたじゃないですか。家族は一緒にいるもんだって……銀さんを傷つけているのは、***さんじゃないです。あの人は、***さんにケガをさせてしまった自分に傷ついているんです。僕らの馬鹿上司は、守りたいものを守れなかったことで、自分を責めているんです。そういう不器用な馬鹿なんです。傷ついてる銀さんをもう見たくないって、***さん言ったけど、いま傷ついている銀さんを癒せるのは***さんしかいないです……それでも、会いに来てくれないんですか?それでも、***さんは銀さんに、会いたくないんですか?」
とても静かな声で、新八は***に語り掛けた。見開かれた瞳いっぱいに涙がなみなみと溜まっていた。新八と神楽を交互に見てから、ハッとした顔をした直後、***の瞳から涙がぼたぼたとこぼれた。ぬいぐるみを抱きしめたまま、膝から崩れ落ちて、うずくまるように泣きはじめる。
「……ぃ、ぎ、んちゃん、ぅ、うわあああぁぁん!!!」
こんなに取り乱して泣く大人を前に、新八と神楽は戸惑った。近くに膝をついた新八は、***の背中をそっと撫でた。正座をした神楽が膝の上でぎゅっと手を握る。
「っうぅ、ぅあっ……ッあ、ぎん、ちゃぁ……ひぃっく」
何度も「銀ちゃん」と名前を呼びながら、ずいぶん長く***は泣き続けた。根気強く新八が背中を撫で続けていると、大きかった嗚咽が少しずつ落ち着いてくる。背中の震えも穏やかになってきた。
***が顔を涙で濡らしたまま、それでも深呼吸をして息を整え出した頃、すぐ目の前に座っていた神楽の、膝の上でにぎったこぶしに涙がぽたぽたと落ちた。
「私……嫌ヨ。***に会えなくなるの、絶対嫌アル。銀ちゃんだけじゃないネ。私だって***がケガしちゃったの哀しいネ……」
泣きながら神楽がそう言うと、***がバッと顔をあげた。そこからは目にも止まらない速さだった。手に持っていたぬいぐるみを放り出すと、膝をたてて神楽に近づく。
泣いている神楽の頭を抱えるように、***は腕を回して、自分の胸の中に抱き寄せた。
「ごめん、ごめんね、神楽ちゃん。私たちばっかり辛そうな顔しててごめんね。神楽ちゃんだって哀しかったのに、言えなかったよね。会えなくなったりしないから、大丈夫だよ神楽ちゃん。私、万事屋に行くこと簡単に諦めないよ……酢昆布たっくさん持って、遊びに行くからね。だって神楽ちゃんと私は親友だもん」
胸の中に抱かれた神楽が「***っ、お願いヨ!」と涙声で言った。振り向いた***が、新八の首にも腕を伸ばす。弱々しい細い腕なのに、新八の首の後ろに回して、ぐいっと引き寄せる力は、とても強かった。神楽を抱いているのとは逆側の肩に、***は新八の頭を押し付けるようにして、ぎゅっと抱いた。
「わわわっ!ちょっと……***さん!!?」
「新八くん……銀ちゃんのこと、教えてくれてありがとう。私、頑張ってみるよ。傷ついてる銀ちゃんを慰める方法が、見つかるかもしれないから。できるだけ、やってみる。新八くん、私……、銀ちゃんに会いたいよ、とっても。でもそれ以上に、ふたりにも会いたかったよ、ずっと。ぬいぐるみ隠して、お通ちゃんのポスター剥がしちゃうくらい、ふたりに会いたくてたまらなかったよ……だから、今日は来てくれてありがとう。大人げなく泣いちゃって恥ずかしいけど、おかげで頑張れそうだよ、新八くん」
細い腕に頭を抱かれた新八のほほに、***のサラサラとした髪が触れた。見下ろした肩は、とても薄くて子供のように頼りない。だけど***の優しい声を聞いて、抱きしめられていると、自然と新八の心は安らいだ。
銀時に感じる圧倒的な信頼感とはまた違う。しかし***からも「この人ならきっと大丈夫」と思わせる安心感が伝わってくる。きっと***ならやってくれると、信じられる。
―――やっぱり***さんは、しっかりした大人のお姉さんだ……―――
「ところで***さん、何か方法は浮かんでるんですか?銀さんを説得するための」
「ん?うーん……特には浮かんでないけど、でも大丈夫だよ、***さんに任せなさい!ふたりは大船に乗ったつもりで!!」
両手でぽんぽんと新八と神楽の背中を叩く。泣いた***の目は真っ赤で潤んでいる。しかし身体を離してよく見てみると、***の顔はさっきよりも晴れやかだった。瞳は涙だけではない、キラキラとした輝きを灯しはじめている。
新八と神楽は顔を見合わせて、ほっとした顔でうなずきあった。
―――きっと大丈夫……―――
三人とも心の中で同じ言葉をつぶやいていた。そして同じひとりの男の顔を思い浮かべていた。
***にとってその顔は、胸が苦しくなるからなるべく思い出さないようにしていた顔だった。でも何をしていてもどこにいても、結局はずっと銀時のことを考えていたのだ。
―――あの時、銀ちゃんは私にどうしてくれたっけ?傷ついて泣いた時、哀しくてどうしようもなかった時、いつも慰めてくれた銀ちゃんは、どうやって私を助けてくれたんだっけ……
傷ついている銀時を助けたい。それが自分にしかできないのなら、尚更。最後に見た赤い瞳を思い出して、***の胸はちくちくと痛んだ。けれどそれを救う術だって、銀時が教えてくれたんだと思えば、自然と勇気が出てくる。
もう一度ふたりを抱き寄せた自分の腕に、薄くなったアザが見えた。「顔の傷と、このアザが無くなったら、必ず万事屋へ行くよ」と***はふたりに約束した。決意したら気持ちが軽くなって、***は心の中で小さく呟いた。
―――大丈夫、私はいつだって銀ちゃんに向かって進んでいく。もう、迷子になんてならない。だから待っててね、銀ちゃん―――
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【第17話 迷子のこども】end
押し付けられた白くまのぬいぐるみを、胸に抱いた***が膝から崩れ落ちた。うずくまるみたいに身体を前に倒して、ぬいぐるみの白い毛に顔を埋めた。
「……ぃ、ぎ、んちゃん、ぅ、うわぁぁぁん!!!」
必死に声を押し殺そうとしていたけれど、一度漏れた嗚咽につられて、***は大きな声を上げて泣いた。ふわふわの白い毛が束になるほど、大粒の涙がぼたぼたと垂れた。
隣に膝をついた新八は、うずくまる***の背中を優しく撫でた。小さな背中は、背骨が浮き出るほど丸められて、嗚咽にあわせてがたがた震えた。
子供みたいだ、と新八は思った。見た目の幼さと純粋さのせいで、***のことを子供のように可愛いと思うことはあっても、あくまで年上のしっかりした大人の女性だと、新八は認識していた。
しかし今、目の前でうずくまって泣いている姿は、まるで迷子になって途方に暮れている小さな子供のようだ。
―――大人でも、本当に哀しかったら、こんな風に泣くんだ……―――
そう思う新八の脳裏に、***を泣かせている張本人の顔が浮かんだ。
***が万事屋に来なくなって一週間、おかしいと思いつつも、誰も何も言わなかった。***のこととなると取り合いをするように、銀時に食ってかかる神楽も、なぜか大人しくて元気がない。
仕事はなく、銀時は日がな一日ごろごろしている。ソファに横になって、昼寝よりもっと深い惰眠を貪ってばかりだ。そのうち神楽が、どうして***が来ないのかと聞くだろうと思っていたのに、いつまで経ってもその気配がない。ついにしびれを切らした新八が、「***さんと何かあったんですか?」と銀時に問いかけた。
「はぁぁぁ!?***さんに来るなって言ったァ!!?な、なんでですか、銀さん!!」
「あ゙~?っんだよ、ぱっつぁん、ちゃんと話聞けっつーの。そもそも万事屋の仕事は、あいつみてぇなフツーの若い女には縁のねぇもんだろーが。またケガすっことになっから、もう来んなっつったのぉ〜」
いつものダルそうな顔で事務机に頬杖をついた銀時が、ジャンプをパラパラとめくりながら言った。その声はいつもの調子で、まるで何も考えていないような声だった。
普段だったらこんな時、新八はツッコミを入れるくらいしかできない。結局は銀時が決めたことなら、それでいいんだろうと受け入れる。しかし今回ばかりは話が違う。
「***さんは、それでいいって言ったんですか?もう万事屋へは来ないって、それで納得したんですか?」
「知らね、聞いてねぇもん。まぁ、来ないってことはいいって思ってんじゃねぇの」
―――ガタンッ!!!
こんなことをするのは意外だと、自分でも思いながら、新八は机の前に立ち、気だるげに座っている銀時の胸倉をつかみあげた。勢いづいた腕が当たったジャンプが、滑るように床へと落ちて行った。
「知らないってどういうことですか!***さんの気持ちを知ってて、ここに来るなって言ったんですよね?それってもう会わないってことじゃないですか!***さんは、銀さんのことを好きなんですよ?急にそんなこと言われたら、あの人は絶対に傷つきます。***さんは僕らのことを、家族みたいに思っているのに、それを無下にするんですか!?だいたい銀さんだって***さんのこと、」
―――バタンッッッ!!!
言葉を遮るように立ち上がった銀時が、新八の胸倉をつかみ返して持ち上げた。身長の差で、新八の足は少しだけ床から浮き上がる。上から見下ろす銀時の赤い瞳は、とても冷たかった。
「……ガタガタうるせぇんだよ新八、***の気持ちなんざ知ったこっちゃねぇな。あいつは俺たちの仕事のせいで、ケガをした。それも顔にだ。女の顔に傷がつくっつーのがどういうことか、童貞のお前でも少しは分かんだろ。あいつが俺たちを家族だと思っていようがいまいが、あいつには本当に血の繋がった大事な家族がいるんだ。***が傷ついたら、俺たちよかよっぽど悲しむ家族がいることを、忘れてんじゃねぇよ新八」
それはいつもよりずっと静かな声で、淡々と冷たく言い放たれた。***に本当の家族がいるのは分かってる。それが大切なことも分かってる。でもだからって万事屋を思ってくれる***の気持ちを、踏みにじるようなことをしていいとは、新八にはとても思えない。だってそれは―――
「それは……逃げるってことですよね。***さんを守ることから逃げて、遠くに追いやるってことと一緒ですよね。そんなの僕の知ってる銀さんじゃないです。僕の知ってるあんたはもっと強いはずです。守るって決めたものは、どんなことがあっても最後まで守り通すのが、あんたじゃないのかよ!この腐れ天パ野郎ォォォ!!」
どうとでも言えよ、と吐き捨てるように言うと、銀時は手を離して、そのまま出て行ってしまった。「こんな時にパチンコですか?」という問いかけにも返事は無かった。
怒りのままに新八も万事屋を飛び出して、***のアパートへと向かった。あの人はきっと傷ついてる。あんなに銀時を好きだと言っていたのに。一度フラれた時なんて、信じられないくらい取り乱していたのに。それで平気でいられるわけがない。
息を上げながらアパートの前へやってくると、既に***の部屋の前には先客がいた。
「神楽ちゃん……」
「……新八……」
部屋の扉の前に、神楽が膝を抱えて座っていた。その隣に新八も腰を下ろす。「まだ***は帰ってきてないアル」と神楽はうつむいて言った。爆破事件があって以来、ふたりは一度も***に会っていない。その日のうちに新八は自転車を届けに来たが、戸を叩いても返事は無かった。
「あれ……新八くん?神楽ちゃん?」
気が付くとふたりの前に***が立っていた。手にコンビニの袋を持って、驚いた顔をしている。着物のうえに牛乳屋のエプロンを着けたまま、足元は下駄ではなくスポーツ用のスニーカー姿で。
「……***さん!あれからずっと会えなかったから、心配してたんです。あの……大丈夫ですか?」
「新八くん、ありがとう。もう大丈夫だよ!ほら、傷もよくなったし。こないだはちゃんとお話できなくてごめんね。新八くんが自転車を持ってきてくれたんだよね?私しばらく部屋から出られなくて……あ、神楽ちゃん、ちょうどよかった!はい、酢昆布!」
まるで神楽が来ることが分かっていたかのように、コンビニの袋から酢昆布が出てきた。にこにこ笑う***は、いつも通りの明るい顔をしている。
しかし、ほほやアゴには治りかけの小さな傷が沢山あった。袖からのぞく細い腕には、薄い紫色のアザがちらほらと見えた。笑顔はいつも通りだけど、ほんの少しやつれて顔色が良くない。
「ふたりとも上がって、おやつもあるし食べていきなよ」とほがらかに言いながら、***が部屋の扉を開ける。そこに広がった光景を見て、新八と神楽は息を飲んだ。
四畳半の部屋は、がらんどうと言ってもいいほど殺風景で、物が無くなっていた。それは1年以上前、まだ万事屋と出会ったばかりの頃の、***の部屋と同じだった。
壁に貼ってあったお通のポスターも、白くまのぬいぐるみも、テレビもちゃぶ台も、なにもかもが部屋から無くなっていた。
「……ど、どうしてヨ***!?なんで、なんでこんなになっちゃったネ!?もしかして……引っ越すアルか!?ここからいなくなっちゃうアルか!?そんなの駄目ネ!!」
「えっ!?ち、違うよ神楽ちゃん!引っ越しなんてしないよ!!これは、その、な、なんていうか……」
「……銀さんにもう来るなって、言われたからですね、***さん」
新八の口にした名前を聞いて、***の身体がびくっと震えた。それまで保たれていた笑顔が崩れて、一瞬で泣きそうな顔になる。それでもぱっと元の笑顔に戻して、困った顔で笑いながら、***は口を開いた。
「そうなの新八くん。銀ちゃんに……もう万事屋に来るなって言われちゃって、私、ちょっと図々しかったのかなぁ……それで反省しなきゃって思ったんだけど、なんか家にあるものどれを見ても、みんなの顔が浮かんできて、会いたくなっちゃって……ほら、この酢昆布だってね、仕事帰りにコンビニに寄ったら、気付いたら買っちゃってて……まいっちゃうよねぇ、万事屋に行くのが染みついてて、お菓子とかいちご牛乳とか、ひとりじゃ食べきれないのに……」
眉を八の字に下げた***が、台所の流しの下を開けると、大量のお菓子が出てきた。どのお菓子も万事屋の面々が好きな物だった。冷蔵庫を開けると、***は飲まないのに、いちご牛乳が何本も入っていた。
それを見た瞬間、新八の心は激しく痛んだ。
―――ほら、やっぱり***さんは傷ついている。それも僕たちが思っているよりずっと。銀さんが想像するよりももっと哀しんでるじゃないか……
「***さん、そんなこと気にしないで、万事屋に来たらいいじゃないですか。銀さんだって口ではそう言っても、本当は***さんに会いたいはずです」
「新八くん……ありがとう。でも、銀ちゃんがね……すごく傷ついて、哀しそうな顔をしてたから……もし、私が会いに行ったら、きっとまた傷つけちゃうと思うと、怖くて。だから私は、行けないよ」
あんな風に傷ついた顔をされたら、***はもう銀時には会えない。自分が近くにいることが、銀時の心を痛めるなんて、とても耐えられない。「好きだからこそ、これ以上傷つけたくない、だから銀ちゃんには会えない」と***は言った。
口をつぐんだ新八と***がうつむいていると、それまで静かだった神楽が口を開いた。
「……どこネ……***、どこにあるネ?」
「え?なに神楽ちゃん、酢昆布ならここだよ?」
「違うネ!どこヨ!?ぬいぐるみとか!お通のポスターとか!テレビとか!!どこアルか!?」
「あ、え、えぇっと……お、押し入れの中に……」
だっと押し入れに駆け寄ると、パンッと大きな音を立ててふすまを開ける。中にはぎゅうぎゅうに物が押し込まれていた。
神楽はそこからテレビやちゃぶ台、丸まったポスター、鼻緒の取れた下駄などを、どんどん取り出した。更に、いちばん奥に隠すように押し込まれていた白くまのぬいぐるみも、引っ張り出す。
呆気にとられた***は口をぽかんと開けて、立ち尽くしていた。手当たり次第に神楽が取り出した物が、床に散らばっていくのを、ぼんやりとした目で眺めている。
「***も銀ちゃんも馬鹿ネ!傷つけるってなにヨ!?もうとっくに傷ついてるアル!!こんな風に隠して見えないようにしたって、もう会わないって言ったって、苦しいのは変わんないヨ!!だって、***会いたいでしょう!?私にも新八にも……銀ちゃんにも、会いたいんでしょう!?」
「か、神楽ちゃん……会いたいけど、でも……」
「銀ちゃんも***に会いたいネ!!!あの馬鹿天パ、毎晩毎晩、***の名前叫んでるアル!!何があったか知らないけど、うなされて***の名前呼んでるネ!!私、あんなに苦しそうな銀ちゃん、見たことないヨ!もう見たくないヨ!!***、私たち親友でしょ?万事屋は家族でしょ?銀ちゃんのこと宇宙でいちばん好きなんでしょ?だったら簡単に万事屋に来るの止めないでヨ!銀ちゃんのこと、簡単に諦めないでヨ!!!」
そう言って神楽は、片手に持った白くまのぬいぐみを、***の胸にぎゅっと押し付けた。突然の神楽の言葉に感情が乱されて、見開かれた***の瞳の中で、大きな黒目がゆらゆらと揺れた。
「***さん……神楽ちゃんの言う通りです。僕らのこと家族みたいに思ってるって言ってくれたじゃないですか。家族は一緒にいるもんだって……銀さんを傷つけているのは、***さんじゃないです。あの人は、***さんにケガをさせてしまった自分に傷ついているんです。僕らの馬鹿上司は、守りたいものを守れなかったことで、自分を責めているんです。そういう不器用な馬鹿なんです。傷ついてる銀さんをもう見たくないって、***さん言ったけど、いま傷ついている銀さんを癒せるのは***さんしかいないです……それでも、会いに来てくれないんですか?それでも、***さんは銀さんに、会いたくないんですか?」
とても静かな声で、新八は***に語り掛けた。見開かれた瞳いっぱいに涙がなみなみと溜まっていた。新八と神楽を交互に見てから、ハッとした顔をした直後、***の瞳から涙がぼたぼたとこぼれた。ぬいぐるみを抱きしめたまま、膝から崩れ落ちて、うずくまるように泣きはじめる。
「……ぃ、ぎ、んちゃん、ぅ、うわあああぁぁん!!!」
こんなに取り乱して泣く大人を前に、新八と神楽は戸惑った。近くに膝をついた新八は、***の背中をそっと撫でた。正座をした神楽が膝の上でぎゅっと手を握る。
「っうぅ、ぅあっ……ッあ、ぎん、ちゃぁ……ひぃっく」
何度も「銀ちゃん」と名前を呼びながら、ずいぶん長く***は泣き続けた。根気強く新八が背中を撫で続けていると、大きかった嗚咽が少しずつ落ち着いてくる。背中の震えも穏やかになってきた。
***が顔を涙で濡らしたまま、それでも深呼吸をして息を整え出した頃、すぐ目の前に座っていた神楽の、膝の上でにぎったこぶしに涙がぽたぽたと落ちた。
「私……嫌ヨ。***に会えなくなるの、絶対嫌アル。銀ちゃんだけじゃないネ。私だって***がケガしちゃったの哀しいネ……」
泣きながら神楽がそう言うと、***がバッと顔をあげた。そこからは目にも止まらない速さだった。手に持っていたぬいぐるみを放り出すと、膝をたてて神楽に近づく。
泣いている神楽の頭を抱えるように、***は腕を回して、自分の胸の中に抱き寄せた。
「ごめん、ごめんね、神楽ちゃん。私たちばっかり辛そうな顔しててごめんね。神楽ちゃんだって哀しかったのに、言えなかったよね。会えなくなったりしないから、大丈夫だよ神楽ちゃん。私、万事屋に行くこと簡単に諦めないよ……酢昆布たっくさん持って、遊びに行くからね。だって神楽ちゃんと私は親友だもん」
胸の中に抱かれた神楽が「***っ、お願いヨ!」と涙声で言った。振り向いた***が、新八の首にも腕を伸ばす。弱々しい細い腕なのに、新八の首の後ろに回して、ぐいっと引き寄せる力は、とても強かった。神楽を抱いているのとは逆側の肩に、***は新八の頭を押し付けるようにして、ぎゅっと抱いた。
「わわわっ!ちょっと……***さん!!?」
「新八くん……銀ちゃんのこと、教えてくれてありがとう。私、頑張ってみるよ。傷ついてる銀ちゃんを慰める方法が、見つかるかもしれないから。できるだけ、やってみる。新八くん、私……、銀ちゃんに会いたいよ、とっても。でもそれ以上に、ふたりにも会いたかったよ、ずっと。ぬいぐるみ隠して、お通ちゃんのポスター剥がしちゃうくらい、ふたりに会いたくてたまらなかったよ……だから、今日は来てくれてありがとう。大人げなく泣いちゃって恥ずかしいけど、おかげで頑張れそうだよ、新八くん」
細い腕に頭を抱かれた新八のほほに、***のサラサラとした髪が触れた。見下ろした肩は、とても薄くて子供のように頼りない。だけど***の優しい声を聞いて、抱きしめられていると、自然と新八の心は安らいだ。
銀時に感じる圧倒的な信頼感とはまた違う。しかし***からも「この人ならきっと大丈夫」と思わせる安心感が伝わってくる。きっと***ならやってくれると、信じられる。
―――やっぱり***さんは、しっかりした大人のお姉さんだ……―――
「ところで***さん、何か方法は浮かんでるんですか?銀さんを説得するための」
「ん?うーん……特には浮かんでないけど、でも大丈夫だよ、***さんに任せなさい!ふたりは大船に乗ったつもりで!!」
両手でぽんぽんと新八と神楽の背中を叩く。泣いた***の目は真っ赤で潤んでいる。しかし身体を離してよく見てみると、***の顔はさっきよりも晴れやかだった。瞳は涙だけではない、キラキラとした輝きを灯しはじめている。
新八と神楽は顔を見合わせて、ほっとした顔でうなずきあった。
―――きっと大丈夫……―――
三人とも心の中で同じ言葉をつぶやいていた。そして同じひとりの男の顔を思い浮かべていた。
***にとってその顔は、胸が苦しくなるからなるべく思い出さないようにしていた顔だった。でも何をしていてもどこにいても、結局はずっと銀時のことを考えていたのだ。
―――あの時、銀ちゃんは私にどうしてくれたっけ?傷ついて泣いた時、哀しくてどうしようもなかった時、いつも慰めてくれた銀ちゃんは、どうやって私を助けてくれたんだっけ……
傷ついている銀時を助けたい。それが自分にしかできないのなら、尚更。最後に見た赤い瞳を思い出して、***の胸はちくちくと痛んだ。けれどそれを救う術だって、銀時が教えてくれたんだと思えば、自然と勇気が出てくる。
もう一度ふたりを抱き寄せた自分の腕に、薄くなったアザが見えた。「顔の傷と、このアザが無くなったら、必ず万事屋へ行くよ」と***はふたりに約束した。決意したら気持ちが軽くなって、***は心の中で小さく呟いた。
―――大丈夫、私はいつだって銀ちゃんに向かって進んでいく。もう、迷子になんてならない。だから待っててね、銀ちゃん―――
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【第17話 迷子のこども】end