銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第15話 何も癒せない唇】
爆発があまりにも近すぎて、***の耳は爆音を聞き取ることすらできなかった。何かがキラリと光った気がした直後、身体に強い振動を感じた。突然目の前に大量の粉塵とガラスが吹き飛んできて、***を追い越した自転車の女性が見えなくなった。
反射的に目をぎゅっと閉じて、次に開けた時には自転車ごと横倒しになっていた。ガラス片を含んだ爆風の中で、両ひざをついて腕で顔を覆った。ビシビシと打ち付ける鋭利な破片に、腕やほほ、首や鎖骨に痛みが走った。
鼓膜が震えすぎて、キーンという耳鳴りだけが世界を包んでいた。風が収まり顔を上げると、周りは瓦礫と塵だらけだった。
どれほどそうしていたのかは分からない。唖然として座り込んでいた***の肩をつかんだのは、ヘルメットを被った年若い救急隊員だった。
隊員は大きな声で「大丈夫ですか!?」と叫んでいたが、***にはその声さえ遠く聞こえた。肩を支えられ立ち上がり、近くに止まっている救急車にのせられた。
大きなケガはないが、顔や首にたくさんの切り傷がついていた。倒れた時に打った腕とひざが赤く腫れていた。応急処置として切り傷に消毒液を塗られ、腕とひざのあざを覆うように包帯を巻かれた。
手当てをしながら隊員は、***に声をかけ続けた。これは爆破テロでまだここは危険だから、この程度のケガならすぐにこの場から離れたほうがいい、と何度も繰り返した。
しかし混乱した***は、真っ青な顔でがたがた震え、何を言われているのか、よく理解できなかった。
―――私、一体どうしちゃったんだろう……どうしたらいいんだろう……
戸惑いだらけの頭のなかで小さくつぶやく。突然の出来事のせいで、***は自分がなぜここにいるのか、それまで何をしていたのか、これからどうしたらいいのかが、何も分からなかった。
身体にはまだ爆発の衝撃が残っていて、震えが止まらなかった。救急車からよろよろと降りて、立ちつくす。頭をつらぬくような激しい耳鳴りが、いつまでも止まない。周りには多くの人が走り回っているのに、まるで時が止まっているかのように、***の中は恐ろしいほど静かだった。
たったひとつの声が、一瞬でその静寂を切り裂いた。
「***!!!!!」
ハッとして声のした方を振り返ると、数メートル先に見慣れた銀髪の後ろ姿を見つけた。銀時は***には気付かずに、救急隊員が運んでいる担架を、すがるように引き留めていた。
「銀ちゃん!!!!!」
つんざくような声がノドから出て、***は自分でも驚いた。肩をびくっと揺らした銀時が、こちらを振り返る。その顔を見た瞬間に、***の世界が動きはじめた。
すくんでいた足が勝手に走り出す。片足しか下駄を履いていないから、足をひきずるみたいになってしまう。銀時の顔を見た安心で、涙がじわりと浮かんできた。
両手を銀時に向かって伸ばして、よろよろと走っていると、駆け寄ってきた大きな身体が、ぶつかるように***を抱きとめた。
「***!!!!!」
耳元で聞こえた大きな声と、身体が潰れそうなほど強く抱きしめる腕に、***は心の底から安堵した。いつもの着物ではなく大工姿で、顔を押し付けた胸からは銀時の香りと一緒に、少しだけ汗の匂いがした。
「っんだよ…………お前っ、吹き飛ばされたって、あのジジイが……」
「え?ううん、銀ちゃん、ちょっと転んだだけだよ」
ぱっと身体を離すと、銀時は***の全身をくまなく眺めた。手でぽんぽんと身体を触っていく。両肩から始まり、両足まで。驚いてされるがままの***が「銀ちゃん、大丈夫だよ、私、ケガしてません」と言うまで、その手は止まらなかった。
大きなケガがないことを見て納得した後で、両手で***のほほを包むと、じっと顔を見つめた。
「ほんとーにケガしてねぇんだな、***。本当にどこも痛くねぇんだな?」
「痛くないよ銀ちゃん、大丈夫だよ」
その返答を聞くと、銀時は「はぁぁぁぁ~」と大きくため息をついた。立ち尽くす***の肩に再び腕を回すと、強く抱き寄せた。そのまま力が抜けるかのように、よろけた銀時がその場に座り込んだので、***も一緒に膝をつく。足の間にぺたりと座った***の、細い上半身がのけぞるほど、銀時は腕にぎゅっと力を込めた。
「銀ちゃん……ここ、危ないから早く離れよう?」
「………んなこと、分かってるっつーの……」
そう言いながらも立ち上がる気配がなくて、***は困惑する。しかしそれ以上に***が戸惑っていたのは、銀時の身体の冷たさだった。
今まで、いついかなる時でも熱かった大きな両手が、ほほに当たった時に飛び上がりそうなほど冷たかった。抱き寄せられて近づいた太い首から、不規則で荒い呼吸の音が聞こえた。くっついた胸からは、早鐘のように響く心臓の鼓動を感じたけれど、それが自分のものなのか、それとも銀時のものなのか、***には分からなかった。
信じられないことに、銀時の身体は小刻みに震えていた。いつまでも自分を抱きしめ続ける銀時の肩に顔をのせて、***がじっとしていると、その震えが身体に伝わってきた。
困惑した顔の***を見て、救急隊員が近づいてくる。うつむいて動かない銀時の様子を心配して、「その人は大丈夫ですか?」と***に声をかけた。うなずいて大丈夫だと答えた。
「ここは危ないから、早く非難してください」と言いながら、救急隊員が***の肩に触れようとした瞬間、突然銀時が動いて顔を上げた。
パシンッ―――――
「分かってるっつってんだろ、触んじゃねぇよ」
伸びてきた手を銀時が強く弾いた。ハッとして***が見上げると、細められた赤い瞳は、今まで見たこともないほど冷たく、敵意に満ちていた。
急に立ち上がると、銀時は何かから守るように***を抱き上げた。いきなり横抱きにされて、***は驚きの声を上げそうになったけれど、見上げた銀時がいつもと全く違う顔つきをしていて、何も言えなかった。
足早に歩く銀時の腕のなかで、遠慮がちに身じろぐと、懐から封書を取り出した。
「……銀ちゃん、これ、届けなきゃ……あと、自転車が……」
小さな声で***がつぶやくのと、銀時が規制線のテープを乗り越えたのは、同時だった。
「銀さん!***さん!!」
「***!大丈夫アルか!?」
野次馬のなかで背伸びをしていた新八と、定春に乗った神楽を見つけた。ほっとした顔のふたりが***に話しかけるよりも前に、銀時が新八に、***の自転車を持って帰ってくるよう指示を出した。***の手から取り上げた封書を、神楽に押し付ける。いつものやる気のない様子からは、想像もできないほど、素早い動きだった。
ふたりに向かって***が「私は大丈夫だよ」と伝えようと、口を開いた時には既に、銀時は歩き始めていた。何も言えずに抱きかかえられて、新八と神楽のぽかんとした顔が、一瞬で遠ざかっていった。
「さっさと帰るぞ、乗れ」と銀時に言われ、原付の後ろに乗る。銀時は***の頭にヘルメットを被せ、細い腕を取ると自分の腰に回した。腰に回した腕を、銀時の左手が上からぎゅっとにぎりしめた。それは原付が走り始めてからも離れなかった。
「銀ちゃん、片手だと危ないから、ちゃんとハンドル持ってください」
その声への返答はなく、ただ***の腕をつかむ手に、更に力が込められただけだった。
帰ると言われて万事屋へ行くものだと思っていたのに、銀時が向かったのは***の自宅だった。原付を降りると腕を引かれて、部屋へ入るように促される。
「帰るって、万事屋にじゃないんですか?買い物したものとか全部そのままだし、あの、私ご飯作ろうと思って、」
「いいから、さっさと入れって」
***の言葉をさえぎって、急かすように銀時が言った。戸惑いながらも***が鍵を開けると、小さな背中をぐいぐいと押して、四畳半の部屋へと押し込んだ。続けて銀時が入ると、静かな部屋にバタンと扉の閉まる音が響いた。
「ねぇ、銀ちゃん、やっぱり万事屋へ行きましょうよ。新八くんと神楽ちゃんにも謝らないと…って、ぅわぁっ!」
そう言いながら振り向くと、すぐ真後ろに銀時が立っていて、飛び跳ねた。驚く***の肩を、銀時が上から両手で押さえて、その場に座らせる。よろよろと横座りにさせられた***の前に、銀時も片膝を立てて座り、向かい合った。
いつもより無口で静かなのに、動作が強引で有無を言わさない銀時が、まるで怒っているように***には見えた。不安で心臓が締め付けられる。
「ぎ、銀ちゃん……その、怒ってますか?私が勝手に、お仕事引き受けたこと……」
「怒ってねぇよ、怒るわけねぇだろ」
そう言うと銀時は、台所で濡らしてきた手ぬぐいを、傷だらけの***の顔にそっと当てた。
「……すげぇケガ……」
「んっ…、ちょっぴり切れただけです……」
しかし、濡れた手拭いが当たると、顔中の小さな傷がチリチリと痛んだ。思わず***は眉をしかめる。両ほほとまぶたの上、おでこと鼻筋、下唇からアゴにかけて、小さいけれど鋭い痛みがチクチクと走る。
袖口から小さな手鏡を取り出して、映して見ると首と鎖骨にも、小さな傷が点々とついていた。
「女の顔に……こんなに傷がついちゃいけねぇだろ」
「やだ、銀ちゃん、このくらいすぐ直りますよ!」
大丈夫ですって、と笑って言いながら手鏡から顔を上げた瞬間に、***は声を失った。
自分を見つめる銀時の目が、いつもと全然違うから。
パタッ……―――
小さな音を立てて、濡れた手ぬぐいが畳に落ちた。強い力で***の両肩がつかまれる。
突然、身を乗り出した銀時の顔が近づいてきて、***のおでこの傷に唇を寄せた。
「わっ………!」
驚いた***は咄嗟に身を引いたけれど、肩をつかまれて逃れられない。反射的に両手を前に突き出して、銀時の肩を押したら、右腕に巻かれていた包帯がするりとほどけた。腕の腫れは既にひいていたが、紫色の痛々しいアザがたくさん出来ていた。
「銀ちゃん、な、ななにするんですかっ」
「………っ!!!」
白い腕に点々とついた紫色のアザを見て、銀時は目を見開いて息を飲む。細い手首をつかんで、ぐいっと引き寄せる。そこに広がるアザをまじまじと見た後に、ゆっくりとそのひとつひとつにも唇を寄せた。
「ちょ…っと銀ちゃ、な、なにして」
「なにって………消毒」
薄く開いた銀時の唇から、少しだけ頭を出した赤い舌先が、紫色の痕をゆっくりと撫でた。
「んっ……!!ぎ、ぎんちゃ、ちょっと待っ……」
手首の近くからはじまり、腕へ、ひじへ。バッと乱暴に着物の袖をまくりあげて、二の腕まで。アザのある所をゆっくりと、銀時の唇と舌が滑っていく。突然のできごとに驚いて、***は抵抗すらできない。
少しづつ腕をのぼる銀時の顔が、自分の顔に近づいてきていることに気付いて、***は恥ずかしさで頭に血が上る。
顔を伏せた銀時の、細められた赤い瞳が次の傷を探すように、***の身体の上を動いていた。手首を離した大きな手が、再び薄い肩を押さえつける。顔を離そうと後ろに反らせた***の首元にも、小さな切り傷がたくさんついていた。
肩をつかんだ両手をぐっと横にひくと、襟の合わせ目が引っ張られて緩み、白い鎖骨が露わになった。入り込んだ小さなガラス片のせいで、まだ血のにじんだ傷がいくつもあった。
「ぁッ………!」
避ける間もなく、近づいてきた銀時の唇が、***の鎖骨の上の傷に触れた。くすぐったいような、むずがゆいような、恥ずかしい感覚が、鎖骨から脳天へと抜ける。顔を真っ赤にした***は、肩をすくめるとぎゅっと身を硬くした。
そんなことにはお構いなしで、鎖骨の上の傷を、銀時の舌がするりと舐めた。「ひぁっ」と***は小さく悲鳴を上げて、赤く染まった顔を横に背けた。ぎゅっと唇を噛み、身体を震わせながら、***は銀時の舌が首をなぞる感覚に、耐え続けた。
鎖骨から、首の横を通って耳のすぐ下まで、小さな傷と傷を線で結ぶように、銀時の唇がひとつずつ触れながら、のぼっていく。
「ッや!……銀ちゃん、もう、大丈夫だから、」
羞恥心で燃えそうなほど熱くなった耳に、銀時の息遣いを感じて、***は声をあげる。
「大丈夫なわけねぇだろ、こんなに傷だらけで」
「………っ!」
すぐ耳元で聞こえた声には、やはり怒りが混ざっているように感じた。さっき抱き上げられた時に見た、銀時の冷たい表情が、脳裏によみがえって、***はますます不安になる。
背けていた顔をぱっと戻すと、銀時も***を見つめていた。肩を押さえていた手が動いて、首の後ろと後頭部をしっかりとつかまれたので、***はもう顔を動かすことすらできない。髪をかき上げるように、耳の上に入り込んだ銀時の長い指が、地肌に当たると冷たくて、ぞわっと鳥肌が立った。
ほとんど力の入らない小さな手で、銀時の腕をきゅっとつかむ。その時はじめて***は、銀時の身体がまだ小さく震えていることに気が付いた。あまりの驚きに目を見開いた。
近づいてくる銀時の瞳から目を離せない。もう一度おでこの傷に冷たく乾いた唇が寄せられる。触れた唇の冷たさに、***の身体はびくっと跳ねた。ゆっくりと唇は移動して、まぶたの上の傷をぬるい舌が、そっと撫でた。
「ひっ……ぎ、んちゃ、も、やめっ」
「黙れって、目ぇ閉じろよ」
ぎゅっと目を閉じた***のまぶたの上を、赤い舌がちろちろと動いていく。そのまま鼻筋の上、ほほの小さな傷にも滑っていく。あまりの恥ずかしさに、***の目尻にじわりと涙が漏れた。それを頭をおさえる大きな手の親指がぬぐった。
少しだけ顔が離れた気がして、***は恐る恐る瞳を開いた。すぐ近くにある銀時の赤い瞳は、***の顔の、下唇からアゴにかけて斜めに走る傷を、じっと見つめていた。
―――それは……それは、ダメだよ銀ちゃん、だってそれはもう…―――
虚ろな瞳をした銀時が、少しだけ横にかしげた顔を近づけてくる。薄く開いた唇が、***の下唇に添えられそうになった瞬間、***の頭に「キス」の二文字が浮かんだ。
突然のことに心がついていかない。いつもの銀ちゃんじゃないみたいで怖い。そう思ったら、小さな身体がぎくりと跳ねた。
「ぎ、銀ちゃん……ぉねがい、やめて……もう、大丈夫だから……」
「………っ!!」
あと数ミリで唇がつく、というところで銀時の動きが止まった。恥ずかしさと緊張で、瞳を潤ませた***が、じっと銀時を見つめていた。我に返ったように目を見開いた銀時が、ぱっと身体を離す。自分で自分に驚いているかのように、頭をガシガシとかいた後、銀時は何も言わずにうつむいた。
その様子を見て慌てた***は、銀時の肩を両手でつかんで問いかけた。
「ねぇ、銀ちゃん……本当に怒ってない?私のせいで面倒なことになって、それでみんなに心配かけちゃったから、」
「怒ってねぇって、言ってんだろ!!!」
それは今まで聞いたこともない、トゲのある声だった。叫ぶような銀時の大声に、***はびくっと身体を震わすと動けなくなった。目を見開いて、ただ銀時を見つめるしかできない。
ぎくりとした表情の銀時が「あ゙ー……」と声を出す。***の細い手首をつかんで、肩から離した。そして気まずそうな顔をして口を開いた。
「………やっぱ嘘、怒ってる。ちょー怒ってる」
「銀ちゃんっ、ごめっ……ごめんなさい」
瞳に涙を浮かべて、自分を見上げる***の顔を見つめたまま、銀時は身体を少しずつ離した。
どうしたらいいのか分からなくて、***はただ眉を八の字に下げた。必死で銀時に手を伸ばすが、両方の手首をつかまれて届かない。
とても静かで冷えた銀時の声が、部屋に響いた。
―――***、お前もう万事屋に来んな……こんな思いは、もうこりごりだ……―――
ハッとして動きを止めた***が呆然としている内に、銀時はつかんでいた手を離すと立ち上がった。そのまま部屋から出ていこうとする。
「ぎ、銀ちゃん……ねぇ、」
―――どうしてそんなこと言うの?そんなの嫌だよ。私、どうしたらいいの?―――
言いたい言葉はたくさん頭に浮かんだ。大きな声でそれを言わなきゃと思っているのに、***はひと言も声が出せなかった。
部屋から出ていく銀時が、扉が閉まる寸前に一瞬だけ振り向く。その刹那に見つめ合った銀時の顔が、信じられないほど哀しい目をしていて、息を飲んだ***は声が出せなかった。
それは深く傷つけられた人の瞳だった。***には癒すことができなそうな程、徹底的に痛めつけられて、全てを諦めたような色が、その赤い瞳には浮かんでいた。
「………ぎ、ぎんちゃ、」
動けずに、ただその目を見つめている一瞬の間に、扉は音も無く閉じた。
それはまるで、今までずっと開かれていた銀時の心の扉が、目の前で閉じたようだった。そしてそれはもう二度と、***に向かって開かない気がした。
身体の傷の痛みなんて足元にも及ばないほど、散り散りに引き裂かれるような強くて圧倒的な痛みが、***の心を襲った。あまりの痛みに、涙さえ流れなかった。
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【第15話 何も癒せない唇】end
爆発があまりにも近すぎて、***の耳は爆音を聞き取ることすらできなかった。何かがキラリと光った気がした直後、身体に強い振動を感じた。突然目の前に大量の粉塵とガラスが吹き飛んできて、***を追い越した自転車の女性が見えなくなった。
反射的に目をぎゅっと閉じて、次に開けた時には自転車ごと横倒しになっていた。ガラス片を含んだ爆風の中で、両ひざをついて腕で顔を覆った。ビシビシと打ち付ける鋭利な破片に、腕やほほ、首や鎖骨に痛みが走った。
鼓膜が震えすぎて、キーンという耳鳴りだけが世界を包んでいた。風が収まり顔を上げると、周りは瓦礫と塵だらけだった。
どれほどそうしていたのかは分からない。唖然として座り込んでいた***の肩をつかんだのは、ヘルメットを被った年若い救急隊員だった。
隊員は大きな声で「大丈夫ですか!?」と叫んでいたが、***にはその声さえ遠く聞こえた。肩を支えられ立ち上がり、近くに止まっている救急車にのせられた。
大きなケガはないが、顔や首にたくさんの切り傷がついていた。倒れた時に打った腕とひざが赤く腫れていた。応急処置として切り傷に消毒液を塗られ、腕とひざのあざを覆うように包帯を巻かれた。
手当てをしながら隊員は、***に声をかけ続けた。これは爆破テロでまだここは危険だから、この程度のケガならすぐにこの場から離れたほうがいい、と何度も繰り返した。
しかし混乱した***は、真っ青な顔でがたがた震え、何を言われているのか、よく理解できなかった。
―――私、一体どうしちゃったんだろう……どうしたらいいんだろう……
戸惑いだらけの頭のなかで小さくつぶやく。突然の出来事のせいで、***は自分がなぜここにいるのか、それまで何をしていたのか、これからどうしたらいいのかが、何も分からなかった。
身体にはまだ爆発の衝撃が残っていて、震えが止まらなかった。救急車からよろよろと降りて、立ちつくす。頭をつらぬくような激しい耳鳴りが、いつまでも止まない。周りには多くの人が走り回っているのに、まるで時が止まっているかのように、***の中は恐ろしいほど静かだった。
たったひとつの声が、一瞬でその静寂を切り裂いた。
「***!!!!!」
ハッとして声のした方を振り返ると、数メートル先に見慣れた銀髪の後ろ姿を見つけた。銀時は***には気付かずに、救急隊員が運んでいる担架を、すがるように引き留めていた。
「銀ちゃん!!!!!」
つんざくような声がノドから出て、***は自分でも驚いた。肩をびくっと揺らした銀時が、こちらを振り返る。その顔を見た瞬間に、***の世界が動きはじめた。
すくんでいた足が勝手に走り出す。片足しか下駄を履いていないから、足をひきずるみたいになってしまう。銀時の顔を見た安心で、涙がじわりと浮かんできた。
両手を銀時に向かって伸ばして、よろよろと走っていると、駆け寄ってきた大きな身体が、ぶつかるように***を抱きとめた。
「***!!!!!」
耳元で聞こえた大きな声と、身体が潰れそうなほど強く抱きしめる腕に、***は心の底から安堵した。いつもの着物ではなく大工姿で、顔を押し付けた胸からは銀時の香りと一緒に、少しだけ汗の匂いがした。
「っんだよ…………お前っ、吹き飛ばされたって、あのジジイが……」
「え?ううん、銀ちゃん、ちょっと転んだだけだよ」
ぱっと身体を離すと、銀時は***の全身をくまなく眺めた。手でぽんぽんと身体を触っていく。両肩から始まり、両足まで。驚いてされるがままの***が「銀ちゃん、大丈夫だよ、私、ケガしてません」と言うまで、その手は止まらなかった。
大きなケガがないことを見て納得した後で、両手で***のほほを包むと、じっと顔を見つめた。
「ほんとーにケガしてねぇんだな、***。本当にどこも痛くねぇんだな?」
「痛くないよ銀ちゃん、大丈夫だよ」
その返答を聞くと、銀時は「はぁぁぁぁ~」と大きくため息をついた。立ち尽くす***の肩に再び腕を回すと、強く抱き寄せた。そのまま力が抜けるかのように、よろけた銀時がその場に座り込んだので、***も一緒に膝をつく。足の間にぺたりと座った***の、細い上半身がのけぞるほど、銀時は腕にぎゅっと力を込めた。
「銀ちゃん……ここ、危ないから早く離れよう?」
「………んなこと、分かってるっつーの……」
そう言いながらも立ち上がる気配がなくて、***は困惑する。しかしそれ以上に***が戸惑っていたのは、銀時の身体の冷たさだった。
今まで、いついかなる時でも熱かった大きな両手が、ほほに当たった時に飛び上がりそうなほど冷たかった。抱き寄せられて近づいた太い首から、不規則で荒い呼吸の音が聞こえた。くっついた胸からは、早鐘のように響く心臓の鼓動を感じたけれど、それが自分のものなのか、それとも銀時のものなのか、***には分からなかった。
信じられないことに、銀時の身体は小刻みに震えていた。いつまでも自分を抱きしめ続ける銀時の肩に顔をのせて、***がじっとしていると、その震えが身体に伝わってきた。
困惑した顔の***を見て、救急隊員が近づいてくる。うつむいて動かない銀時の様子を心配して、「その人は大丈夫ですか?」と***に声をかけた。うなずいて大丈夫だと答えた。
「ここは危ないから、早く非難してください」と言いながら、救急隊員が***の肩に触れようとした瞬間、突然銀時が動いて顔を上げた。
パシンッ―――――
「分かってるっつってんだろ、触んじゃねぇよ」
伸びてきた手を銀時が強く弾いた。ハッとして***が見上げると、細められた赤い瞳は、今まで見たこともないほど冷たく、敵意に満ちていた。
急に立ち上がると、銀時は何かから守るように***を抱き上げた。いきなり横抱きにされて、***は驚きの声を上げそうになったけれど、見上げた銀時がいつもと全く違う顔つきをしていて、何も言えなかった。
足早に歩く銀時の腕のなかで、遠慮がちに身じろぐと、懐から封書を取り出した。
「……銀ちゃん、これ、届けなきゃ……あと、自転車が……」
小さな声で***がつぶやくのと、銀時が規制線のテープを乗り越えたのは、同時だった。
「銀さん!***さん!!」
「***!大丈夫アルか!?」
野次馬のなかで背伸びをしていた新八と、定春に乗った神楽を見つけた。ほっとした顔のふたりが***に話しかけるよりも前に、銀時が新八に、***の自転車を持って帰ってくるよう指示を出した。***の手から取り上げた封書を、神楽に押し付ける。いつものやる気のない様子からは、想像もできないほど、素早い動きだった。
ふたりに向かって***が「私は大丈夫だよ」と伝えようと、口を開いた時には既に、銀時は歩き始めていた。何も言えずに抱きかかえられて、新八と神楽のぽかんとした顔が、一瞬で遠ざかっていった。
「さっさと帰るぞ、乗れ」と銀時に言われ、原付の後ろに乗る。銀時は***の頭にヘルメットを被せ、細い腕を取ると自分の腰に回した。腰に回した腕を、銀時の左手が上からぎゅっとにぎりしめた。それは原付が走り始めてからも離れなかった。
「銀ちゃん、片手だと危ないから、ちゃんとハンドル持ってください」
その声への返答はなく、ただ***の腕をつかむ手に、更に力が込められただけだった。
帰ると言われて万事屋へ行くものだと思っていたのに、銀時が向かったのは***の自宅だった。原付を降りると腕を引かれて、部屋へ入るように促される。
「帰るって、万事屋にじゃないんですか?買い物したものとか全部そのままだし、あの、私ご飯作ろうと思って、」
「いいから、さっさと入れって」
***の言葉をさえぎって、急かすように銀時が言った。戸惑いながらも***が鍵を開けると、小さな背中をぐいぐいと押して、四畳半の部屋へと押し込んだ。続けて銀時が入ると、静かな部屋にバタンと扉の閉まる音が響いた。
「ねぇ、銀ちゃん、やっぱり万事屋へ行きましょうよ。新八くんと神楽ちゃんにも謝らないと…って、ぅわぁっ!」
そう言いながら振り向くと、すぐ真後ろに銀時が立っていて、飛び跳ねた。驚く***の肩を、銀時が上から両手で押さえて、その場に座らせる。よろよろと横座りにさせられた***の前に、銀時も片膝を立てて座り、向かい合った。
いつもより無口で静かなのに、動作が強引で有無を言わさない銀時が、まるで怒っているように***には見えた。不安で心臓が締め付けられる。
「ぎ、銀ちゃん……その、怒ってますか?私が勝手に、お仕事引き受けたこと……」
「怒ってねぇよ、怒るわけねぇだろ」
そう言うと銀時は、台所で濡らしてきた手ぬぐいを、傷だらけの***の顔にそっと当てた。
「……すげぇケガ……」
「んっ…、ちょっぴり切れただけです……」
しかし、濡れた手拭いが当たると、顔中の小さな傷がチリチリと痛んだ。思わず***は眉をしかめる。両ほほとまぶたの上、おでこと鼻筋、下唇からアゴにかけて、小さいけれど鋭い痛みがチクチクと走る。
袖口から小さな手鏡を取り出して、映して見ると首と鎖骨にも、小さな傷が点々とついていた。
「女の顔に……こんなに傷がついちゃいけねぇだろ」
「やだ、銀ちゃん、このくらいすぐ直りますよ!」
大丈夫ですって、と笑って言いながら手鏡から顔を上げた瞬間に、***は声を失った。
自分を見つめる銀時の目が、いつもと全然違うから。
パタッ……―――
小さな音を立てて、濡れた手ぬぐいが畳に落ちた。強い力で***の両肩がつかまれる。
突然、身を乗り出した銀時の顔が近づいてきて、***のおでこの傷に唇を寄せた。
「わっ………!」
驚いた***は咄嗟に身を引いたけれど、肩をつかまれて逃れられない。反射的に両手を前に突き出して、銀時の肩を押したら、右腕に巻かれていた包帯がするりとほどけた。腕の腫れは既にひいていたが、紫色の痛々しいアザがたくさん出来ていた。
「銀ちゃん、な、ななにするんですかっ」
「………っ!!!」
白い腕に点々とついた紫色のアザを見て、銀時は目を見開いて息を飲む。細い手首をつかんで、ぐいっと引き寄せる。そこに広がるアザをまじまじと見た後に、ゆっくりとそのひとつひとつにも唇を寄せた。
「ちょ…っと銀ちゃ、な、なにして」
「なにって………消毒」
薄く開いた銀時の唇から、少しだけ頭を出した赤い舌先が、紫色の痕をゆっくりと撫でた。
「んっ……!!ぎ、ぎんちゃ、ちょっと待っ……」
手首の近くからはじまり、腕へ、ひじへ。バッと乱暴に着物の袖をまくりあげて、二の腕まで。アザのある所をゆっくりと、銀時の唇と舌が滑っていく。突然のできごとに驚いて、***は抵抗すらできない。
少しづつ腕をのぼる銀時の顔が、自分の顔に近づいてきていることに気付いて、***は恥ずかしさで頭に血が上る。
顔を伏せた銀時の、細められた赤い瞳が次の傷を探すように、***の身体の上を動いていた。手首を離した大きな手が、再び薄い肩を押さえつける。顔を離そうと後ろに反らせた***の首元にも、小さな切り傷がたくさんついていた。
肩をつかんだ両手をぐっと横にひくと、襟の合わせ目が引っ張られて緩み、白い鎖骨が露わになった。入り込んだ小さなガラス片のせいで、まだ血のにじんだ傷がいくつもあった。
「ぁッ………!」
避ける間もなく、近づいてきた銀時の唇が、***の鎖骨の上の傷に触れた。くすぐったいような、むずがゆいような、恥ずかしい感覚が、鎖骨から脳天へと抜ける。顔を真っ赤にした***は、肩をすくめるとぎゅっと身を硬くした。
そんなことにはお構いなしで、鎖骨の上の傷を、銀時の舌がするりと舐めた。「ひぁっ」と***は小さく悲鳴を上げて、赤く染まった顔を横に背けた。ぎゅっと唇を噛み、身体を震わせながら、***は銀時の舌が首をなぞる感覚に、耐え続けた。
鎖骨から、首の横を通って耳のすぐ下まで、小さな傷と傷を線で結ぶように、銀時の唇がひとつずつ触れながら、のぼっていく。
「ッや!……銀ちゃん、もう、大丈夫だから、」
羞恥心で燃えそうなほど熱くなった耳に、銀時の息遣いを感じて、***は声をあげる。
「大丈夫なわけねぇだろ、こんなに傷だらけで」
「………っ!」
すぐ耳元で聞こえた声には、やはり怒りが混ざっているように感じた。さっき抱き上げられた時に見た、銀時の冷たい表情が、脳裏によみがえって、***はますます不安になる。
背けていた顔をぱっと戻すと、銀時も***を見つめていた。肩を押さえていた手が動いて、首の後ろと後頭部をしっかりとつかまれたので、***はもう顔を動かすことすらできない。髪をかき上げるように、耳の上に入り込んだ銀時の長い指が、地肌に当たると冷たくて、ぞわっと鳥肌が立った。
ほとんど力の入らない小さな手で、銀時の腕をきゅっとつかむ。その時はじめて***は、銀時の身体がまだ小さく震えていることに気が付いた。あまりの驚きに目を見開いた。
近づいてくる銀時の瞳から目を離せない。もう一度おでこの傷に冷たく乾いた唇が寄せられる。触れた唇の冷たさに、***の身体はびくっと跳ねた。ゆっくりと唇は移動して、まぶたの上の傷をぬるい舌が、そっと撫でた。
「ひっ……ぎ、んちゃ、も、やめっ」
「黙れって、目ぇ閉じろよ」
ぎゅっと目を閉じた***のまぶたの上を、赤い舌がちろちろと動いていく。そのまま鼻筋の上、ほほの小さな傷にも滑っていく。あまりの恥ずかしさに、***の目尻にじわりと涙が漏れた。それを頭をおさえる大きな手の親指がぬぐった。
少しだけ顔が離れた気がして、***は恐る恐る瞳を開いた。すぐ近くにある銀時の赤い瞳は、***の顔の、下唇からアゴにかけて斜めに走る傷を、じっと見つめていた。
―――それは……それは、ダメだよ銀ちゃん、だってそれはもう…―――
虚ろな瞳をした銀時が、少しだけ横にかしげた顔を近づけてくる。薄く開いた唇が、***の下唇に添えられそうになった瞬間、***の頭に「キス」の二文字が浮かんだ。
突然のことに心がついていかない。いつもの銀ちゃんじゃないみたいで怖い。そう思ったら、小さな身体がぎくりと跳ねた。
「ぎ、銀ちゃん……ぉねがい、やめて……もう、大丈夫だから……」
「………っ!!」
あと数ミリで唇がつく、というところで銀時の動きが止まった。恥ずかしさと緊張で、瞳を潤ませた***が、じっと銀時を見つめていた。我に返ったように目を見開いた銀時が、ぱっと身体を離す。自分で自分に驚いているかのように、頭をガシガシとかいた後、銀時は何も言わずにうつむいた。
その様子を見て慌てた***は、銀時の肩を両手でつかんで問いかけた。
「ねぇ、銀ちゃん……本当に怒ってない?私のせいで面倒なことになって、それでみんなに心配かけちゃったから、」
「怒ってねぇって、言ってんだろ!!!」
それは今まで聞いたこともない、トゲのある声だった。叫ぶような銀時の大声に、***はびくっと身体を震わすと動けなくなった。目を見開いて、ただ銀時を見つめるしかできない。
ぎくりとした表情の銀時が「あ゙ー……」と声を出す。***の細い手首をつかんで、肩から離した。そして気まずそうな顔をして口を開いた。
「………やっぱ嘘、怒ってる。ちょー怒ってる」
「銀ちゃんっ、ごめっ……ごめんなさい」
瞳に涙を浮かべて、自分を見上げる***の顔を見つめたまま、銀時は身体を少しずつ離した。
どうしたらいいのか分からなくて、***はただ眉を八の字に下げた。必死で銀時に手を伸ばすが、両方の手首をつかまれて届かない。
とても静かで冷えた銀時の声が、部屋に響いた。
―――***、お前もう万事屋に来んな……こんな思いは、もうこりごりだ……―――
ハッとして動きを止めた***が呆然としている内に、銀時はつかんでいた手を離すと立ち上がった。そのまま部屋から出ていこうとする。
「ぎ、銀ちゃん……ねぇ、」
―――どうしてそんなこと言うの?そんなの嫌だよ。私、どうしたらいいの?―――
言いたい言葉はたくさん頭に浮かんだ。大きな声でそれを言わなきゃと思っているのに、***はひと言も声が出せなかった。
部屋から出ていく銀時が、扉が閉まる寸前に一瞬だけ振り向く。その刹那に見つめ合った銀時の顔が、信じられないほど哀しい目をしていて、息を飲んだ***は声が出せなかった。
それは深く傷つけられた人の瞳だった。***には癒すことができなそうな程、徹底的に痛めつけられて、全てを諦めたような色が、その赤い瞳には浮かんでいた。
「………ぎ、ぎんちゃ、」
動けずに、ただその目を見つめている一瞬の間に、扉は音も無く閉じた。
それはまるで、今までずっと開かれていた銀時の心の扉が、目の前で閉じたようだった。そしてそれはもう二度と、***に向かって開かない気がした。
身体の傷の痛みなんて足元にも及ばないほど、散り散りに引き裂かれるような強くて圧倒的な痛みが、***の心を襲った。あまりの痛みに、涙さえ流れなかった。
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【第15話 何も癒せない唇】end