銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第14話 飛んで火に入る】
少し肌寒い日が続いたかと思うと、すぐに江戸に冬が来た。朝の牛乳配達を終えてスーパーで買い物をした。ビニール袋を自転車の荷台にのせて、***が万事屋へやってきたのは、11時を少し過ぎた頃だった。
両手に買い物袋を持って階段を上がると、引き戸の前で困った顔をした男がひとり立っていた。
「あの、今日は屋根の修理のお仕事で、みんな出ちゃってるんですけど、もしかしてご依頼ですか?」
「え、今日万事屋さんいないんですか、それは困ったな……」
「多分、夕方前には帰ってくると思うんですけど」
「いやぁ、そうかぁー…それじゃ、駄目だなぁ」
男性は頭を抱えて困りきった表情をする。その手にはとても重要そうな封書が握られていた。***は引き戸を開けて玄関に入ると、ガサッという音をたてて、ビニール袋を床に置いた。
「あの、どんなご用件でしょうか?」
「それが……」
依頼人の男性は酒屋の番頭だった。奉公先で最近番頭を任されたばかり。昨夜、雇い主の大旦那から、お得意様の屋敷へ届ける大切な書面を預かり、今日の昼までに届けるよう言われた。
仕事前に届けるつもりでいたが、娘が熱を出して看病をしているうちに始業時間になってしまった。飛脚に頼もうとしたが今日は手が一杯で、届くのは夕方になってしまうという。それならば以前も一度仕事を請け負ってもらった万事屋へ依頼しようと、やってきたという。
長年働いて、ようやく番頭を任されたばかりでこんな失態をしてしまうなんて……と男は、心底困った顔をしてうつむいた。
「それで***ちゃん、あんたが引き受けちまったのかい」
「いやその、す、すごく困ってる様子だったので、つい引き受けてしまいました……あの、お登勢さん、このお屋敷って大通りをずっと北に向かって、戌威星の大使館の角を曲がったところですよね?そこなら自転車を飛ばせば、正午までには間に合いそうなので、ちょっと行ってこようと思います。もしみんなが早く帰ってきちゃったら、伝えておいてもらえますか?」
煙草をくゆらせながら、お登勢が呆れた顔で「お人よしもたいがいにおよしよ、あんなヤツらの仕事の肩代わりなんてしても、何も見返りはないんだからさァ」と言った。
それでも***が自転車に乗ると、心配そうな表情で「気を付けて行ってくるんだよ」と言って、手を振った。
着物の襟の中に入れた封書を重たく感じる。万事屋の仕事を代行するなんてはじめてだ。図々しかったかもしれない、と少し不安になる。
でもあんなに困っている人が目の前にいたら、銀時は放っておかないだろうと思ったら、口が勝手に「私が行きますよ」と動いていたのだ。
―――銀ちゃん、なんて言うかな。「でかした***」とか言うかなぁ。いや、それはないか。呆れた顔で「万事屋に来た仕事なんだから、報酬は折半だぞ」とか言うかもしれない。でも、別になんでもいい。万事屋の役に立てることが、嬉しいから。
自転車のペダルを強く踏むと、下駄の鼻緒がぎゅっと足に食い込んだ。約束の定刻にはあまり時間がない。急がなければと、自転車の速度を上げると、冷たい冬の風が身体に吹きつけてきた。
「ったくよぉ~…こっちは早朝から働いてやったのに、渋滞で木材が届かねぇから残りは明日にするとかぬかしやがって、あんのクソジジィ~。俺は明日、パチンコという大事な予定があんだよ、ちくしょぉぉぉ。あのジジィの嫁に、旦那がキャバクラ通ってることチクってやろうかなぁ~」
「銀さん、しょうがないですよ。少なくとも棟梁から、今日の分のお金は貰えたんだからよかったじゃないですか」
「あぁ~もうお腹空いたアル、朝が早すぎて朝メシの白米三合しか食べれなかったネ、早く昼メシ食べたいヨ」
万事屋三人そろって大工姿で帰宅したのは、まもなくで正午になるというところだった。
「***~!ただいまヨ~!!」
神楽がいちばん乗りで部屋に入っていく。てっきり***が来ていて料理でもしているかと思ったが、部屋には人の気配がない。
「なんだアイツ、来てねぇのか」
「いや……***さん、来てたみたいですよ。台所にスーパーの袋が置いたままになってます」
「はァ?じゃどこ行ったんだよ、あ、オイ!神楽ァ!風呂入んなよォ!俺が先だろうがァァァ!!!」
風呂を先に取られた銀時が、台所へとやってくる。そこには確かに、***が買ってきたらしいスーパーの袋が置いたままになっていた。生ものだけ慌てて冷蔵庫に入れたのか、あとの物は出しっぱなしだ。
「っんだよ、アイツ、いちご牛乳もちゃんと入れとけっつーの」
ぬるいいちご牛乳を飲みながらリビングへ行くと、新八がテレビを点けたところだった。ソファに座って、いつもの昼のワイドショーでも見るかと思っていたが、画面は騒がしく移り変わり、どこかで起きた爆破テロ事件の映像が映っていた。
非常なことだと煽るかのような、赤いテロップが画面を横切っている。緊張したアナウンサーの声と、乱れた映像がテレビから流れてくる。
―――緊急速報です。映像を切り替えてお送りします。本日、午前11時45分頃、かぶき町近郊にて連続爆破テロ事件が発生しました。政府と密接な関係にある大使館で、続々と爆破が起こっており、茶斗蘭星を皮切りに、五カ所の大使館での爆発が確認されております。たいへん大きな爆発です。一部では市民が巻き込まれ、負傷したという情報も入っております。
今後も爆発の起きる可能性は非常に高い状況です。該当地域にいる江戸市民のみなさんは、速やかに非難してください。大使館へのむやみな接近は大変危険です、絶対に近づかず不審物を見かけた場合は…………
「なんかずいぶん大きな爆発みたいですよ銀さん、僕たちも前に爆弾運んじゃったことありますけど、それよりずっと被害が大きそうですね。なんでしたっけ、ほらあの犬の天人の……」
「あ~、アレなんつったっけなァ、アレな、ワン公がぞろぞろ出てきやがって、全力で逃げたわ、そういや」
呑気にそんな話をしていると突然、外の階段を勢いよく上ってくる大きな足音が聞こえた。一瞬、***が帰ってきたのかと銀時は思ったが、どう考えても足音が大きすぎる。それにこんなにバタバタ上ってくるのは、家賃の催促をするお登勢くらいだ。
「げっ、ババァ来たぞ新八。今日の金はなかったことにして、家賃は来月に伸ばしてもらえ」
「駄目ですよ銀さん、その手は既に百回くらい使ってるじゃないですか」
呆れた表情の新八と、顔を突き合わせる。あのクソババァ、また鬼のような形相でやってくるだろうな、と思いながらソファに身を投げ出して玄関を見ていると、引き戸がものすごい速さで開いた。
「銀時ィィィィ!!!!」
鬼のような形相であることに変わりはないが、その顔を見て銀時も新八も動きを止めた。今までに見たこともないほど、お登勢の顔色が真っ青だったから。
「大変だよ!!***ちゃんが!!!!」
珍しくお登勢の声は震えていた。
そしてその声で叫ばれた名前を聞いた瞬間、銀時の背中をぞわりと冷たい悪寒が走った―――――
大きな通りを北へ北へと、***は自転車をこいでいた。ちらりと腕時計を見るとぎりぎり正午には間に合いそうだった。万事屋から自転車で来るには、思っていたよりも距離があった。息が上がり、吸い込むたびに冷たい空気で肺が痛い。
「急がないと……」
そうつぶやいてまっすぐに前を向く。数百メートル先、右手に大きな大使館が見えた。数年前に不届き者に爆破されてから警戒が厳しくなり、以前は鉄柵だったところに、防弾ガラスが巡らされるようになったと、テレビで見たことがある。
あの大使館を過ぎて、角を曲がればようやく目的地だ。ゴールが見えた勢いで力がみなぎり、サドルから腰を上げると、強くペダルを踏みこんだ。
―――ブチッ……
「わっ!…っきゃぁぁ!!」
右足の下駄の鼻緒が切れて、先日と同じように自転車から転げ落ちた。自転車は横に倒れ、***は両ひざをついて地面に倒れた。
「痛ッぅー……」
両手も地面について座り込み、うつむいていると、後ろからきた自転車が***の横を、すごい速さで追い抜いて行った。ぶわっと強い風が吹いて、髪がなびいた。
そうだ、こんなところで座ってる場合じゃない。手紙を届けなければいけない。もう時間が迫っている。
よろよろと立ち上がり、数メートル後ろに落ちた下駄を拾いに戻る。鼻緒は前坪の根元からブツリと切れて、下駄からぷらんとぶら下がっていた。
せっかく銀時がつけてくれた鼻緒なのに、こんな時に切れてしまうなんて。
縁起の悪さに、***の腕にさっと鳥肌が立った。
銀時がすげてくれたこともあって、その花柄の薄紅色の鼻緒を、***はとても気に入っていた。馬鹿みたいだと分かっていながら、一生この鼻緒のついた下駄を履き続けようと思っていた。
取れてしまった鼻緒をぎゅっと握る。悲しさが込み上げてきた。自分の銀時を思う気持ちが弱かったせいで、切れてしまったような気がする。
「違うよ、大丈夫だもん……」
―――私が銀ちゃんのことを好きな気持ちは、この宇宙でいちばん強くていちばん大きいもん、だから大丈夫…
そう心の中でつぶやくと、じわりと浮かんだ涙を手でごしっと拭いた。自転車を起こすと荷台に下駄を入れる。ふぅーと大きく息を吐くと、寒さで赤くなったほほを、両手でパシンと叩いた。
自転車に乗ると片足は足袋のまま、ペダルをこぎだす。顔を上げて前を向くと、大使館の立派な防弾ガラスに太陽が反射して、きらりと光って眩しかった。
万事屋の代行で手紙を届けに行った***が、大使館の近くで爆発に巻き込まれているかもしれない。
お登勢が言い終わる前に、銀時は既に玄関を飛び出していた。原付に飛び乗り、走り出した背中に、新八の「銀さん!僕も後から行きます!!」という声と、お登勢の「戌威星の大使館だよ銀時ィ!!」という声が届いた。
全身の血液が沸騰して、臨戦態勢のように心臓が激しい鼓動を繰り返した。それなのに頭はいたって冷静で、そういえばあのワン公の天人はイヌイ星人っつったっけ、と悠長に考えていた。
テレビで見た五カ所の大使館のなかに、戌威星は含まれていなかった。今後も爆発が起こるとアナウンサーは予想していたが、戌威星は当てはまらずに、何も起きないかもしれない。
万が一爆発が起きたとしても、***が巻き込まれるとは限らない。もうとっくに通りすぎて、いつもの呑気な顔で、全然違うところを自転車で走っているかもしれない。
そうだ、そうじゃなきゃおかしい。
あんなに能天気で、悪いことなんてひとつも考えてない女が、爆破テロに巻き込まれて死ぬなんて、絶対にあってはならない。自分と違って***は、命の取り合いをするような戦いや、生き残れる保証のない危険な場所から、最も遠いところにいるべき存在なのだ。
***には、なんの不安も無いどこまでも平和な場所で、ずっとへらへら笑って生きててもらわなきゃ困る、と銀時は強く思った。
大丈夫に決まってると、自分に言い聞かせながら原付を飛ばしていたが、大通りの車が増え、渋滞がはじまったのを見て、嫌な予感が増してくる。動きを止めて連なる自動車の間を縫うように、一瞬も原付のスピードを緩めずに走り抜けた。
ようやく大使館の前の大きな通りに出た時、銀時の第一の希望は破られた。既に爆発は起こった後で、そこは大混乱だった。大きな建物は崩れていて、通りに面したガラスの塀もボロボロに割れていた。敷地内のどこかに火がついているのか、黒い煙が上がっている。
救急車と消防車が数台づつ来ていた。ヘルメットを被った救急隊員たちが、大声を上げながら走り回っていた。
黄色い規制線が張られた周りには、たくさんの人垣ができていた。通りかかった人々が野次馬と化している。原付を停めると、その人だかりの中へと入っていく。周りの人々の顔をひとつひとつすばやく見る。
この野次馬のなかに***がいるはずだ。きっといつものあの眉を八の字に下げた顔で、立ちすくんでいる。「どうしてこんなことが起こるんですか」とか言って震えている。早く見つけてやらなければ、あいつはきっと泣き崩れてしまう。
しかしどこまで人を掻き分けても、***の姿は見当たらなかった。破られた第二の希望に、心臓が絞られるように痛んだ。呼吸が乱れ、嫌な汗が背中を伝った。
野次馬の最前列まで辿り着き「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープの中を見る。崩壊した建物の瓦礫が、車道にまで飛び出していた。飛び散る大量のガラス片が、爆風の大きさを物語っている。
周りのざわめきの中から聞こえた声に、銀時は動けなくなる。
―――通りがかりの人も結構巻き込まれてるみたいだよ
―――女の人がひとり重傷みたいだって
―――自転車に乗ってたらしい
「ああ、それなら俺は向かいのビルにいたから見えたよ、自転車に乗った女の子が吹き飛ばされてた。ありゃ助からないかもしれんなぁ」
まるで天気の話でもするように、何気なく発せられたその言葉を聞いた瞬間、身体が勝手に動いた。気が付くとその声の持ち主の、見知らぬ男の胸倉を、つかみあげていた。
「オイ、どこだ」
「ひぃっ!あ、あんたなんだ、なにすんだ!!」
突然つかみあげられて、男は動揺した。更に銀時の、強い怒りをにじませた赤い瞳と、ドスのきいた声の常軌を逸した雰囲気に、ひどく怯える。
「どこだよ!その女が吹き飛んでたっつーのは、どこだって聞いてんだよ!!さっさと答えやがれ!!!」
「そ、その先だよ!ほら、あのでかい救急車が止まってるだろ!!」
震える指が示した方を見ると、銀時は一瞬の躊躇もなく、規制線のテープを破って走り出した。「ちょっとあんた危ないよ!」という周りの声も全く届かない。瞬時に見えなくなるほど速く、粉塵と黒い煙で包まれる瓦礫の中へと飛び込んで行った。
大きな救急車の近くに、人の姿はなかった。負傷者どころか救急隊員すらいない。きっと***じゃないと信じたい気持ちと、早く***を見つけなければという気持ちの両方に挟まれて、銀時の心は焦りで満たされた。
救急車の陰に何かが倒れているのを見て、ハッとして足を止める。それは真っ黒くこげた自転車だった。まるで強い力で硬いものに打ちつけられたかのように、ぐにゃりと曲がっていた。
―――自転車がこんなになるほどの爆発を、***のあの小さい身体が受けたとしたら…―――
ざぁぁっという、全身の血液が下へ落ちていく音が耳元で聞こえた。さっきまで頭が熱いほど巡っていた血が、一瞬で凍った気がした。
「そこをどいて下さい!!怪我人が通ります!!!」
後ろから声をかけられて振り向くと、ヘルメットを被った隊員ふたりが、負傷者をのせた担架を持って、救急車へと近づいてきていた。
ぱっとその担架にのっている人物を見る。女だと思ったが、大きな酸素マスクをつけられ、毛布で覆われているせいで、その顔までは、はっきりと見えなかった。
しかし隊員たちが、立ちすくむ銀時を追い越す瞬間、担架からだらりと落ちた女の腕が目に入ると、勝手に口が叫んでいた。
「***!!!!!」
―――これが本当に***なら、本当に***がこんな目に会ったのなら、そしてそれを自分にはどうしようもできないというのなら……
***の名前を呼ぶノドは、焼けるように熱いのに、身体は凍るように冷たい。血の気が失せて、思考が停止する。止まった思考のなかで銀時が思っていたのはたったひとつの事だった。
―――これが***なら、この世界を一生恨んでやる
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【第14話 飛んで火に入る】end
少し肌寒い日が続いたかと思うと、すぐに江戸に冬が来た。朝の牛乳配達を終えてスーパーで買い物をした。ビニール袋を自転車の荷台にのせて、***が万事屋へやってきたのは、11時を少し過ぎた頃だった。
両手に買い物袋を持って階段を上がると、引き戸の前で困った顔をした男がひとり立っていた。
「あの、今日は屋根の修理のお仕事で、みんな出ちゃってるんですけど、もしかしてご依頼ですか?」
「え、今日万事屋さんいないんですか、それは困ったな……」
「多分、夕方前には帰ってくると思うんですけど」
「いやぁ、そうかぁー…それじゃ、駄目だなぁ」
男性は頭を抱えて困りきった表情をする。その手にはとても重要そうな封書が握られていた。***は引き戸を開けて玄関に入ると、ガサッという音をたてて、ビニール袋を床に置いた。
「あの、どんなご用件でしょうか?」
「それが……」
依頼人の男性は酒屋の番頭だった。奉公先で最近番頭を任されたばかり。昨夜、雇い主の大旦那から、お得意様の屋敷へ届ける大切な書面を預かり、今日の昼までに届けるよう言われた。
仕事前に届けるつもりでいたが、娘が熱を出して看病をしているうちに始業時間になってしまった。飛脚に頼もうとしたが今日は手が一杯で、届くのは夕方になってしまうという。それならば以前も一度仕事を請け負ってもらった万事屋へ依頼しようと、やってきたという。
長年働いて、ようやく番頭を任されたばかりでこんな失態をしてしまうなんて……と男は、心底困った顔をしてうつむいた。
「それで***ちゃん、あんたが引き受けちまったのかい」
「いやその、す、すごく困ってる様子だったので、つい引き受けてしまいました……あの、お登勢さん、このお屋敷って大通りをずっと北に向かって、戌威星の大使館の角を曲がったところですよね?そこなら自転車を飛ばせば、正午までには間に合いそうなので、ちょっと行ってこようと思います。もしみんなが早く帰ってきちゃったら、伝えておいてもらえますか?」
煙草をくゆらせながら、お登勢が呆れた顔で「お人よしもたいがいにおよしよ、あんなヤツらの仕事の肩代わりなんてしても、何も見返りはないんだからさァ」と言った。
それでも***が自転車に乗ると、心配そうな表情で「気を付けて行ってくるんだよ」と言って、手を振った。
着物の襟の中に入れた封書を重たく感じる。万事屋の仕事を代行するなんてはじめてだ。図々しかったかもしれない、と少し不安になる。
でもあんなに困っている人が目の前にいたら、銀時は放っておかないだろうと思ったら、口が勝手に「私が行きますよ」と動いていたのだ。
―――銀ちゃん、なんて言うかな。「でかした***」とか言うかなぁ。いや、それはないか。呆れた顔で「万事屋に来た仕事なんだから、報酬は折半だぞ」とか言うかもしれない。でも、別になんでもいい。万事屋の役に立てることが、嬉しいから。
自転車のペダルを強く踏むと、下駄の鼻緒がぎゅっと足に食い込んだ。約束の定刻にはあまり時間がない。急がなければと、自転車の速度を上げると、冷たい冬の風が身体に吹きつけてきた。
「ったくよぉ~…こっちは早朝から働いてやったのに、渋滞で木材が届かねぇから残りは明日にするとかぬかしやがって、あんのクソジジィ~。俺は明日、パチンコという大事な予定があんだよ、ちくしょぉぉぉ。あのジジィの嫁に、旦那がキャバクラ通ってることチクってやろうかなぁ~」
「銀さん、しょうがないですよ。少なくとも棟梁から、今日の分のお金は貰えたんだからよかったじゃないですか」
「あぁ~もうお腹空いたアル、朝が早すぎて朝メシの白米三合しか食べれなかったネ、早く昼メシ食べたいヨ」
万事屋三人そろって大工姿で帰宅したのは、まもなくで正午になるというところだった。
「***~!ただいまヨ~!!」
神楽がいちばん乗りで部屋に入っていく。てっきり***が来ていて料理でもしているかと思ったが、部屋には人の気配がない。
「なんだアイツ、来てねぇのか」
「いや……***さん、来てたみたいですよ。台所にスーパーの袋が置いたままになってます」
「はァ?じゃどこ行ったんだよ、あ、オイ!神楽ァ!風呂入んなよォ!俺が先だろうがァァァ!!!」
風呂を先に取られた銀時が、台所へとやってくる。そこには確かに、***が買ってきたらしいスーパーの袋が置いたままになっていた。生ものだけ慌てて冷蔵庫に入れたのか、あとの物は出しっぱなしだ。
「っんだよ、アイツ、いちご牛乳もちゃんと入れとけっつーの」
ぬるいいちご牛乳を飲みながらリビングへ行くと、新八がテレビを点けたところだった。ソファに座って、いつもの昼のワイドショーでも見るかと思っていたが、画面は騒がしく移り変わり、どこかで起きた爆破テロ事件の映像が映っていた。
非常なことだと煽るかのような、赤いテロップが画面を横切っている。緊張したアナウンサーの声と、乱れた映像がテレビから流れてくる。
―――緊急速報です。映像を切り替えてお送りします。本日、午前11時45分頃、かぶき町近郊にて連続爆破テロ事件が発生しました。政府と密接な関係にある大使館で、続々と爆破が起こっており、茶斗蘭星を皮切りに、五カ所の大使館での爆発が確認されております。たいへん大きな爆発です。一部では市民が巻き込まれ、負傷したという情報も入っております。
今後も爆発の起きる可能性は非常に高い状況です。該当地域にいる江戸市民のみなさんは、速やかに非難してください。大使館へのむやみな接近は大変危険です、絶対に近づかず不審物を見かけた場合は…………
「なんかずいぶん大きな爆発みたいですよ銀さん、僕たちも前に爆弾運んじゃったことありますけど、それよりずっと被害が大きそうですね。なんでしたっけ、ほらあの犬の天人の……」
「あ~、アレなんつったっけなァ、アレな、ワン公がぞろぞろ出てきやがって、全力で逃げたわ、そういや」
呑気にそんな話をしていると突然、外の階段を勢いよく上ってくる大きな足音が聞こえた。一瞬、***が帰ってきたのかと銀時は思ったが、どう考えても足音が大きすぎる。それにこんなにバタバタ上ってくるのは、家賃の催促をするお登勢くらいだ。
「げっ、ババァ来たぞ新八。今日の金はなかったことにして、家賃は来月に伸ばしてもらえ」
「駄目ですよ銀さん、その手は既に百回くらい使ってるじゃないですか」
呆れた表情の新八と、顔を突き合わせる。あのクソババァ、また鬼のような形相でやってくるだろうな、と思いながらソファに身を投げ出して玄関を見ていると、引き戸がものすごい速さで開いた。
「銀時ィィィィ!!!!」
鬼のような形相であることに変わりはないが、その顔を見て銀時も新八も動きを止めた。今までに見たこともないほど、お登勢の顔色が真っ青だったから。
「大変だよ!!***ちゃんが!!!!」
珍しくお登勢の声は震えていた。
そしてその声で叫ばれた名前を聞いた瞬間、銀時の背中をぞわりと冷たい悪寒が走った―――――
大きな通りを北へ北へと、***は自転車をこいでいた。ちらりと腕時計を見るとぎりぎり正午には間に合いそうだった。万事屋から自転車で来るには、思っていたよりも距離があった。息が上がり、吸い込むたびに冷たい空気で肺が痛い。
「急がないと……」
そうつぶやいてまっすぐに前を向く。数百メートル先、右手に大きな大使館が見えた。数年前に不届き者に爆破されてから警戒が厳しくなり、以前は鉄柵だったところに、防弾ガラスが巡らされるようになったと、テレビで見たことがある。
あの大使館を過ぎて、角を曲がればようやく目的地だ。ゴールが見えた勢いで力がみなぎり、サドルから腰を上げると、強くペダルを踏みこんだ。
―――ブチッ……
「わっ!…っきゃぁぁ!!」
右足の下駄の鼻緒が切れて、先日と同じように自転車から転げ落ちた。自転車は横に倒れ、***は両ひざをついて地面に倒れた。
「痛ッぅー……」
両手も地面について座り込み、うつむいていると、後ろからきた自転車が***の横を、すごい速さで追い抜いて行った。ぶわっと強い風が吹いて、髪がなびいた。
そうだ、こんなところで座ってる場合じゃない。手紙を届けなければいけない。もう時間が迫っている。
よろよろと立ち上がり、数メートル後ろに落ちた下駄を拾いに戻る。鼻緒は前坪の根元からブツリと切れて、下駄からぷらんとぶら下がっていた。
せっかく銀時がつけてくれた鼻緒なのに、こんな時に切れてしまうなんて。
縁起の悪さに、***の腕にさっと鳥肌が立った。
銀時がすげてくれたこともあって、その花柄の薄紅色の鼻緒を、***はとても気に入っていた。馬鹿みたいだと分かっていながら、一生この鼻緒のついた下駄を履き続けようと思っていた。
取れてしまった鼻緒をぎゅっと握る。悲しさが込み上げてきた。自分の銀時を思う気持ちが弱かったせいで、切れてしまったような気がする。
「違うよ、大丈夫だもん……」
―――私が銀ちゃんのことを好きな気持ちは、この宇宙でいちばん強くていちばん大きいもん、だから大丈夫…
そう心の中でつぶやくと、じわりと浮かんだ涙を手でごしっと拭いた。自転車を起こすと荷台に下駄を入れる。ふぅーと大きく息を吐くと、寒さで赤くなったほほを、両手でパシンと叩いた。
自転車に乗ると片足は足袋のまま、ペダルをこぎだす。顔を上げて前を向くと、大使館の立派な防弾ガラスに太陽が反射して、きらりと光って眩しかった。
万事屋の代行で手紙を届けに行った***が、大使館の近くで爆発に巻き込まれているかもしれない。
お登勢が言い終わる前に、銀時は既に玄関を飛び出していた。原付に飛び乗り、走り出した背中に、新八の「銀さん!僕も後から行きます!!」という声と、お登勢の「戌威星の大使館だよ銀時ィ!!」という声が届いた。
全身の血液が沸騰して、臨戦態勢のように心臓が激しい鼓動を繰り返した。それなのに頭はいたって冷静で、そういえばあのワン公の天人はイヌイ星人っつったっけ、と悠長に考えていた。
テレビで見た五カ所の大使館のなかに、戌威星は含まれていなかった。今後も爆発が起こるとアナウンサーは予想していたが、戌威星は当てはまらずに、何も起きないかもしれない。
万が一爆発が起きたとしても、***が巻き込まれるとは限らない。もうとっくに通りすぎて、いつもの呑気な顔で、全然違うところを自転車で走っているかもしれない。
そうだ、そうじゃなきゃおかしい。
あんなに能天気で、悪いことなんてひとつも考えてない女が、爆破テロに巻き込まれて死ぬなんて、絶対にあってはならない。自分と違って***は、命の取り合いをするような戦いや、生き残れる保証のない危険な場所から、最も遠いところにいるべき存在なのだ。
***には、なんの不安も無いどこまでも平和な場所で、ずっとへらへら笑って生きててもらわなきゃ困る、と銀時は強く思った。
大丈夫に決まってると、自分に言い聞かせながら原付を飛ばしていたが、大通りの車が増え、渋滞がはじまったのを見て、嫌な予感が増してくる。動きを止めて連なる自動車の間を縫うように、一瞬も原付のスピードを緩めずに走り抜けた。
ようやく大使館の前の大きな通りに出た時、銀時の第一の希望は破られた。既に爆発は起こった後で、そこは大混乱だった。大きな建物は崩れていて、通りに面したガラスの塀もボロボロに割れていた。敷地内のどこかに火がついているのか、黒い煙が上がっている。
救急車と消防車が数台づつ来ていた。ヘルメットを被った救急隊員たちが、大声を上げながら走り回っていた。
黄色い規制線が張られた周りには、たくさんの人垣ができていた。通りかかった人々が野次馬と化している。原付を停めると、その人だかりの中へと入っていく。周りの人々の顔をひとつひとつすばやく見る。
この野次馬のなかに***がいるはずだ。きっといつものあの眉を八の字に下げた顔で、立ちすくんでいる。「どうしてこんなことが起こるんですか」とか言って震えている。早く見つけてやらなければ、あいつはきっと泣き崩れてしまう。
しかしどこまで人を掻き分けても、***の姿は見当たらなかった。破られた第二の希望に、心臓が絞られるように痛んだ。呼吸が乱れ、嫌な汗が背中を伝った。
野次馬の最前列まで辿り着き「KEEP OUT」と書かれた黄色いテープの中を見る。崩壊した建物の瓦礫が、車道にまで飛び出していた。飛び散る大量のガラス片が、爆風の大きさを物語っている。
周りのざわめきの中から聞こえた声に、銀時は動けなくなる。
―――通りがかりの人も結構巻き込まれてるみたいだよ
―――女の人がひとり重傷みたいだって
―――自転車に乗ってたらしい
「ああ、それなら俺は向かいのビルにいたから見えたよ、自転車に乗った女の子が吹き飛ばされてた。ありゃ助からないかもしれんなぁ」
まるで天気の話でもするように、何気なく発せられたその言葉を聞いた瞬間、身体が勝手に動いた。気が付くとその声の持ち主の、見知らぬ男の胸倉を、つかみあげていた。
「オイ、どこだ」
「ひぃっ!あ、あんたなんだ、なにすんだ!!」
突然つかみあげられて、男は動揺した。更に銀時の、強い怒りをにじませた赤い瞳と、ドスのきいた声の常軌を逸した雰囲気に、ひどく怯える。
「どこだよ!その女が吹き飛んでたっつーのは、どこだって聞いてんだよ!!さっさと答えやがれ!!!」
「そ、その先だよ!ほら、あのでかい救急車が止まってるだろ!!」
震える指が示した方を見ると、銀時は一瞬の躊躇もなく、規制線のテープを破って走り出した。「ちょっとあんた危ないよ!」という周りの声も全く届かない。瞬時に見えなくなるほど速く、粉塵と黒い煙で包まれる瓦礫の中へと飛び込んで行った。
大きな救急車の近くに、人の姿はなかった。負傷者どころか救急隊員すらいない。きっと***じゃないと信じたい気持ちと、早く***を見つけなければという気持ちの両方に挟まれて、銀時の心は焦りで満たされた。
救急車の陰に何かが倒れているのを見て、ハッとして足を止める。それは真っ黒くこげた自転車だった。まるで強い力で硬いものに打ちつけられたかのように、ぐにゃりと曲がっていた。
―――自転車がこんなになるほどの爆発を、***のあの小さい身体が受けたとしたら…―――
ざぁぁっという、全身の血液が下へ落ちていく音が耳元で聞こえた。さっきまで頭が熱いほど巡っていた血が、一瞬で凍った気がした。
「そこをどいて下さい!!怪我人が通ります!!!」
後ろから声をかけられて振り向くと、ヘルメットを被った隊員ふたりが、負傷者をのせた担架を持って、救急車へと近づいてきていた。
ぱっとその担架にのっている人物を見る。女だと思ったが、大きな酸素マスクをつけられ、毛布で覆われているせいで、その顔までは、はっきりと見えなかった。
しかし隊員たちが、立ちすくむ銀時を追い越す瞬間、担架からだらりと落ちた女の腕が目に入ると、勝手に口が叫んでいた。
「***!!!!!」
―――これが本当に***なら、本当に***がこんな目に会ったのなら、そしてそれを自分にはどうしようもできないというのなら……
***の名前を呼ぶノドは、焼けるように熱いのに、身体は凍るように冷たい。血の気が失せて、思考が停止する。止まった思考のなかで銀時が思っていたのはたったひとつの事だった。
―――これが***なら、この世界を一生恨んでやる
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【第14話 飛んで火に入る】end