銀ちゃんに恋する女の子
鼻から牛乳(純情)
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【第13話 踊り子たちの夜】
牛乳屋の主人が、少しずつ***の仕事を増やしている。今までは配達だけだったが、数カ月前からかぶき町内の、***農園のお得意様の集金は、***自身で回るようになった。
「はい、これ今月分。毎朝ありがとうね、うちのてる彦が、***ちゃんところの牛乳なら、ちゃんと飲むもんだからさ」
「こちらこそありがとうございます、西郷さん。てるくん、最近背が伸びて、かっこよくなりましたよね」
「分かる~?そうなのよ、最近ずいぶん骨太のいい男になってきてさ。てる彦の為にも、これからもよろしく頼むわよ、***ちゃん」
かまっ娘倶楽部の裏口。夕方の開店間際で何人ものホステスたちが「おはよう」と入っていく。***の言葉を聞いた倶楽部のママ、マドマーゼル西郷は嬉しそうに笑った。
集金をすませ、西郷からの「一番人気のエースふたりのダンスショー、見てったら?***ちゃんならタダでいいわよ」という誘いを丁重に断る。手を振って、大通りに戻るため裏路地を歩き始めた。
路地の途中でホステス風の綺麗な女性が、ビールケースを裏返した上に座って、新聞を読んでいた。一面の見出しは〝過激派攘夷派閥による大規模テロ″という剣呑な文字。ホステスがこんな新聞を読むだろうか、と思いながら通り過ぎようとした。
「思想も何もない殺戮を、攘夷活動と呼ばれては困る……全くもってくだらん」
新聞を読みながら発せられた声は、見た目とは裏腹にしっかりとした男の声だった。さらにその声に聞き覚えがあり、***はそのホステスの前で足を止めた。
ガサリと音を立てた新聞のはざまに現れた顔を見て、***は驚きの声を上げた。
「か、か、桂さん!なにやってんですかこんなところで!!」
「ぬ?桂じゃない、ヅラ子だ。***殿ではないか、こんなところで何をしている。婦人がひとりで来るような場所ではないぞ」
「私はお仕事でちょっと……っていうか、指名手配されてる攘夷志士が来るような場所でもないですよ桂さん!それになんですかその恰好!」
「だから、ヅラ子だと言っているだろう。西郷殿とは旧知の仲でな。この国の夜明けまでのイバラの道を行くが故の、致し方のない金銭的理由によって、今日はこのような恰好にて踊り子をするのだ」
「え、それってただのバイトじゃないんですか?」
戸惑いながらも発せられた、至極当然な***の質問は、完全に無視された。桂はビールケースの上で少し横にズレると、自分の隣をぽんぽんと叩いた。ここに座れ、という有無を言わさぬ指示に、***はおとなしく従うと、ちょこんと座った。
「ところで***殿………なぁ~んか、ちょっと綺麗になったんじゃなぁ~い?女っぽくなっちゃって、ヅラ子びっくりなんですけどぉ~!!」
「はぁっ!!?」
突然のオネエ口調で喋りはじめた桂に驚いて、狭いビールケースの上で***は飛び跳ねた。
「なななななに言ってるんですか、桂さん、何も変わらないですよ。お仕事中でもないのにお世辞言うのやめてください!」
「ほら、そぉやってぇ、焦っちゃってるのも怪しすぎなぁい?怪しすぎなくなくなくなぁい?どーせ好きな人でもできたんでしょぉ、***ったら白状しなさいよぉ!相手は誰よ?この恋愛テロリスト、ヅラ子が相談にのるわよ」
「えぇ~、やですよ、絶対言いたくないです」
口ではそう言いながらも、女装した桂があまりにも美しくて、それは桂ではなく、恋愛を知り尽くした大人の女性のように、***には見えてきた。
以前から銀時のことで、桂に聞きたいこともあったし、恥ずかしいから銀時の名前は出さないで、少し話をしてみようという気になり、おずおずと口を開く。
「あ、あのぉ桂さん、じゃぁお言葉に甘えてちょっとだけ聞いてもらってもいいですか?」
「桂じゃない、ヅラ子だ。もちろん構わないさ、***殿の思い人が誰かを教えてくれるのならな」
「えぇ!それは嫌です……あ、相手の人は……その、仲のいいお友達です。私より年上の人で、一度告白したんですけど、お前は子供すぎるってフラれちゃってて……でも、私、諦められなくて、一緒にいたいなぁって思って、ずっとつきまとっているというか、なんというか……」
「なるほどな、見た目によらず***殿には、粘り強くネチネチとした京女のようなところがあるのだな」
「それ褒めてます?けなしてます?……え、えぇっと、それでその、最近はその相手の気持ちがよく分からなくて、ちょっと混乱しちゃってて……」
「京女のようにつきまとわれて、その男が嫌がっているというのか?胆力のない男だな。女性のすべてを受け止めてこそ、いい男というものだ。それもできないようなヤワな奴はやめた方がよいぞ、***殿」
桂の言葉に***は慌てて首を横に振る。
「違うんです、そうじゃなくて」と言ってから、混乱している理由を、戸惑いながらも少しずつ言葉にした。もちろん銀時の名前は出さずに。
一向に相手にされていないのに、めげない***に対して、銀時は決して嫌な顔はしない。万事屋へ行くと、当たり前のように迎え入れてくれる。
時々冗談で「お前は本当に俺のことが好きだな」というようなことを言う。その度***は恥ずかしくて、「そうですよ、悪かったですね!」と可愛げのない返答をしてしまう。
大人と子供のような付き合いは相変わらずなのに、近頃は時々、それだけではない何かを感じる時がある。
例えば少し前に急に抱きしめられたが、その時に身体に触れた手からは、男女が互いに持つような熱い感情が、確かに伝わってきた。
かといってそれがずっと続くわけではない。しばらくするとまたいつも通りになって、世間知らずの***が、悪い男に引っかからないように見守っているだけ、という顔をする。
それは一体何?その感情は一体何なの?と聞いてみたいのに、そんなことを聞いたら、もう二度と会えなくなる気がして怖くて聞けない。それで銀時の気持ちは分からずじまいで、恋愛慣れをしていない***はずっと混乱しているのだ。
「うむ……少なくともその友人とやらは、***殿を好いていることは間違いなさそうだな。ただ、それが男としての感情だと認めていいのかどうか、本人も迷っているのかもしれん」
「私、もうよく分からなくて、一度どころか毎日フラれているような状態だから、自信はないのに期待ばかりしてて苦しんです。なんていうか……突き放されたと思ったら、引き寄せられるようなことの繰り返しだから……」
苦し気に眉間にシワを寄せて、うつむきながら話す***を見て、桂は腕を組みながら口を開いた。
「奇遇だが、その友人に似た男を俺は知っているよ。不器用な奴でな、自分の気持ちをはっきり言わないし、周りにも気づかせない。長い付き合いの俺でさえ、時々そいつが何を考えているのか分からない……どうだ、少し似てはいないか、***殿が好きな、その友人とやらに」
小さな座面にふたりで座っているから、距離が近い。桂の言葉にハッした***が、顔を上げて横を見ると、すぐ近くに長くカールしたまつ毛にふちどられた、桂の瞳があった。
その聡明な瞳が、***の隠していることなんて全てお見通しだ、というような光を放っていて、ドキッとする。相手が銀時だと見透かされた気がして、恥ずかしさで顔がさっと赤くなる。
ぱっと目をそらすと***は下を向いて、照れ隠しのように小さく足をぱたぱたと泳がせた。
「そ、その、私の好きな人は、確かに桂さんのお友達に似て、つかみどころのない人かもしれません……でも、自分の気持ちが分からなくて悩むような人では、ないような気がします」
「そうか………だが、俺の知っている男は、とても繊細な男だ。ずいぶん多くの物を失ってきたからな。幼い頃から知っているが、あれだけの物を失って、よくこの世界を憎まなかったと思う。例えばの話だが……本当にその男が、***殿のことを好いているとしたら、失う怖さを知っている分だけ、***殿を手に入れようとすることを迷ったり、拒んだりするのは、致し方のないことのように、俺には思えるがな」
「桂さん……」
桂じゃないヅラ子だ、という声を***は完全に無視した。銀時のことで聞きたいと思っていたことを、求める前に桂が話した為、***はひどく戸惑う。
銀時の過去について、以前桂から聞いた以上のことは***は知らない。銀時が言わない以上、自分から聞く必要はないと思っているからだ。
しかし、二回だけ見たことのある銀時の上半身の素肌に、信じられないくらい多くの傷があることに、***は困惑していた。戦争に行った人なのだから、古傷はたくさんあるだろう。しかし、それが古傷だけでなく、まだ真新しい治りかけの傷もあることに、近づいてみて初めて、***は気付いたのだった。
万事屋はなんでも屋さんで、困った人がいれば誰でも助けることは分かっている。神楽や新八が生傷が絶えないことも、銀時がたまに日常ではありえないような大怪我をして帰ってくることも、***は知っていた。
だけどどうして、そんな風に自分を犠牲にしてまで、他人を助けようとするのか、***には分からなかった。きっと古い付き合いの桂なら、何か教えてくれるだろうと思っていた。
「桂さんのお友達に似て、私の好きな人も、きっと……色々な物を失ってきたんだと思います。だから目の前で誰かが、何かを失いそうになっていたら、放っておけないんだと思うんです……だから、自分がどんなに怪我をしても、痛い思いをしても、困っている人のことは助けるし、守ろうとするんだと思います」
「うむ、その男は***殿のことも守ると言ったのだろう?それが親が子を守るようなものであれ、男が女を思うようなものであれ、***殿ことは必ず守り通すと、俺は思う。俺の知っている男はそういう男だからな」
桂の言葉を聞いて、もう一度自分の足元を見つめて考え込む。銀時に変えてもらった花柄の鼻緒が目に入った。いちばん桂に聞きたいと思っていたことが、胸から湧き上がってくる。ぱっと横を向いて桂の瞳をじっと見つめると、無意識に口から飛び出すように、言葉が溢れてくる。
「桂さん、じゃぁ私はぎんちゃ…そ、その人のために一体なにができるんでしょう?好きって言って、ただそばにいるだけで、私には何もできない気がします…………見て下さい、この下駄、この鼻緒の切れかけてたのを、その人が変えてくれたんです。危ねぇだろって言って。そんな小さなところでも私を守ってくれる人を、どうやったら私も守ることができるんでしょう?全然強くなくて、力もない私が、その人の為にできることって、あるんでしょうか?」
自分に問いかける***の、必死にすがるような瞳を見て、桂は心底驚いた。
先ほど引き留めたのは、久々に会った***が、以前よりも大人っぽく綺麗になっていたことに驚いたからだった。変化は外見だけではなかったのだな、と桂は思う。
以前会った時の***は、にこにこと笑って万事屋の面々と一緒にいた。ひ弱そうで守られるべき存在という印象を受けた。
しかし今目の前にいる***は、とても強い意志を持って、恋する相手のことを思っている。なんとかして思い人の役に立ちたい、守れるだけの力が欲しいと、心から思っていることが、その真剣な瞳から伝わってきた。
恋とはこんなにも人を変えるものなのか―――
驚きと同時に桂は嬉しい気持ちになる。高い志を持った人が成長していく姿を見るのが、本来好きな性分なのだ。高みを目指す者だけが放つ輝きが、***から発せられている。
でもどうしたらいいのか分からずに悩んでいて、戸惑っている姿はずいぶん頼りない。
仕方ない、ここは俺が一肌脱ぐか、と思いながら桂は口を開いた。
「***殿、これはヅラ子からの最大の助言だ。よく聞いてもらいたいのだが……」
そう言って桂は、それまでにない真剣な顔をして***の両肩をつかんだ。
何を言われるだろうと緊張した***の身体に、思わずぎゅっと力が入る。不安で揺れる***の瞳を見て、桂はふっと笑った。真剣な顔から一変して、優しげな表情になると、まるで子供をあやすような穏やかな声で言った。
―――その男を好いている限り、いつも近くで笑っていてやることだ、***殿。守りたいと思う女が泣いていたら、その繊細な男は自信を無くすだろうから…―――
「え……?そ、それだけですか?笑ってるだけで、それだけでいいんですか?」
「それで十分だ。好いた人が笑っていることが、いちばん幸せなことだと思わないか、***殿」
優しく言われた助言によって、***の心が浮くように軽くなっていく。
―――そうか、それでいいんだ。私は間違ってなかったんだ。大人の女として認められたくて、銀ちゃんの前では泣かないようにしてたけど、それだって少しは銀ちゃんの優しさに応えていることになるんだ。大人って、大人の恋愛って、そういうことなのか……
「桂さん、あの……ありがとうございました。気持ちがすごく楽になりました。好きな気持ちは一生変わらない自信はあるんですけど、なんだか小さなことで悩んじゃって……でも、笑っているだけでいいなら、私にもできそうです」
「桂じゃない、ヅラ子だ。***殿の恋愛相談など、ヅラ子に任せれば朝飯前だ。また悩んだらいつでも話に来るといい」
「ありがとう、ヅラ子さん」
そう言ってふたりで顔を見合わせると、くすくすと笑った。ヅラ子の部屋という名前の店を開いて、お悩み相談を請け負ったらどうですか、という***の言葉に、桂は目を輝かせて、それは良いと言った。
ふたりとも大興奮でわいわいと喋っていると、突然かまっ娘倶楽部の裏口の扉が開き、人が飛び出してきた。桂と同様にすらりとした長身の、とても綺麗なホステスだった。しかしそのホステスから発せられた声に、***はピタリと動きを止める。
「オイ!ヅラァ!何してんだよ、もう出番くるぞ!!」
「ヅラじゃない、ヅラ子だと何度も言ってるだろう、パー子」
パー子と呼ばれたホステスの顔を見て、***は大きな声を上げた。
「ぎ、銀ちゃん!!?」
「なっ……!***っ!!?お前こんなとこで何やってんだよ!」
それはこっちのセリフだよ、という顔をした***と銀時が見つめ合う。しかし先に銀時がぱっと目をそらすと、桂に向かって怒りの声を上げた。
「オイ、ヅラ、てめぇオカマになっても***にちょっかい出してんのかよ、いい加減にしろよ、殺されてぇのか」
「何を勘違いしている、パー子。俺は***殿から、恋愛相談を受けていただけだ」
「はぁ!?お前に恋愛相談する馬鹿がどこにいんだよ。オイ、***、おめーもこんないかがわしい所にいつまでもいんじゃねぇよ。女がひとりでいる場所じゃねぇっつーの!さっさと帰りやがれ」
声と口調はいつも通りの銀時なのに、見た目は綺麗なホステスで、そのあべこべな様子に、***は思わず吹き出してしまう。
「ぶっ!…ぎ、銀ちゃん、やだ、あははははっ!その恰好すごく似合ってます!ふふふっ、す、すごく綺麗です!ヅラ子さんもパー子さんも本物のホステスさんみたい!あ、もしかして西郷さんが言ってた一番人気のエースってふたりのこと?ダンスショー見て行こうかなぁ!西郷さんが見てっていいって言ってたし!」
「駄目に決まってんだろ、この不良娘が!お前みたいなガキが入っていい店じゃねぇんだよ馬鹿!!」
そう言いながら銀時が、***の首に腕を回すと、脳天をこぶしでぐりぐりと痛めつけながら、引きずっていく。「痛い痛い!痛いよ銀ちゃん!」という笑いまじりの、嬉しそうな***の声が路地裏中に響いた。
人通りが多く、明るい大通りまで***を連れて行き、ちゃんと帰路についたことを確認すると、銀時が路地へと戻って来る。ダルそうな顔をした銀時に向かって、桂は何気なく問いかけた。
「***殿は、京女のようにネチネチと思い続けている相手がいるそうだぞ銀時」
「はぁっ!!?あいつのどこが京女だっつーの、あんな小娘が京女なら、神楽でさえ立派な女になっちまうわ。そもそも京女っつーのはもっとはんなりとした色気があるもんだろうが。***には色気のいの字もねぇ。あんなのはただのガキだ………っつーか、あいつマジでお前に恋愛相談なんてしたのかよ」
「ずいぶん真剣に話してくれたぞ。俺はリーダーの素質を高める為に日夜猛勉強しているからな……この本に部下の悩み相談を受けた時は、訳知り顔で話を聞けと書いてあった」
そう言った桂が懐から一冊の本を取り出す。本のタイトルは『部下がついてくる上司の話の聞き方』だった。
「ところで銀時、***殿はずいぶん一途な恋愛をしているようだが、お前相手を知らんのか。悪い男にでもだまされてたらどうするつもりだ」
「はぁ?知らねぇよ、知っててもおめーに言うかよ。***もおめーに男のこと相談するなんて、想像を絶する馬鹿だな。ヅラにするくらいな電信柱にでも話してた方がマシだわ。マジで馬鹿だろ。アイツ馬鹿だろ」
呆れた声で***をけなしながらも、銀時の横顔は上機嫌に笑っていて、桂は訳が分からずに首を傾げる。
かまっ娘倶楽部の裏口を開けると、中から「遅せぇんだよオメーラァァァ!!!お客様がお待ちだろーが!!!」という西郷の怒号が飛んできた。その怒号にも全く動じずに、パー子とヅラ子は颯爽とステージへと出て行った。
踊り子たちの夜は、まだはじまったばかり。
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【第13話 踊り子たちの夜】end
牛乳屋の主人が、少しずつ***の仕事を増やしている。今までは配達だけだったが、数カ月前からかぶき町内の、***農園のお得意様の集金は、***自身で回るようになった。
「はい、これ今月分。毎朝ありがとうね、うちのてる彦が、***ちゃんところの牛乳なら、ちゃんと飲むもんだからさ」
「こちらこそありがとうございます、西郷さん。てるくん、最近背が伸びて、かっこよくなりましたよね」
「分かる~?そうなのよ、最近ずいぶん骨太のいい男になってきてさ。てる彦の為にも、これからもよろしく頼むわよ、***ちゃん」
かまっ娘倶楽部の裏口。夕方の開店間際で何人ものホステスたちが「おはよう」と入っていく。***の言葉を聞いた倶楽部のママ、マドマーゼル西郷は嬉しそうに笑った。
集金をすませ、西郷からの「一番人気のエースふたりのダンスショー、見てったら?***ちゃんならタダでいいわよ」という誘いを丁重に断る。手を振って、大通りに戻るため裏路地を歩き始めた。
路地の途中でホステス風の綺麗な女性が、ビールケースを裏返した上に座って、新聞を読んでいた。一面の見出しは〝過激派攘夷派閥による大規模テロ″という剣呑な文字。ホステスがこんな新聞を読むだろうか、と思いながら通り過ぎようとした。
「思想も何もない殺戮を、攘夷活動と呼ばれては困る……全くもってくだらん」
新聞を読みながら発せられた声は、見た目とは裏腹にしっかりとした男の声だった。さらにその声に聞き覚えがあり、***はそのホステスの前で足を止めた。
ガサリと音を立てた新聞のはざまに現れた顔を見て、***は驚きの声を上げた。
「か、か、桂さん!なにやってんですかこんなところで!!」
「ぬ?桂じゃない、ヅラ子だ。***殿ではないか、こんなところで何をしている。婦人がひとりで来るような場所ではないぞ」
「私はお仕事でちょっと……っていうか、指名手配されてる攘夷志士が来るような場所でもないですよ桂さん!それになんですかその恰好!」
「だから、ヅラ子だと言っているだろう。西郷殿とは旧知の仲でな。この国の夜明けまでのイバラの道を行くが故の、致し方のない金銭的理由によって、今日はこのような恰好にて踊り子をするのだ」
「え、それってただのバイトじゃないんですか?」
戸惑いながらも発せられた、至極当然な***の質問は、完全に無視された。桂はビールケースの上で少し横にズレると、自分の隣をぽんぽんと叩いた。ここに座れ、という有無を言わさぬ指示に、***はおとなしく従うと、ちょこんと座った。
「ところで***殿………なぁ~んか、ちょっと綺麗になったんじゃなぁ~い?女っぽくなっちゃって、ヅラ子びっくりなんですけどぉ~!!」
「はぁっ!!?」
突然のオネエ口調で喋りはじめた桂に驚いて、狭いビールケースの上で***は飛び跳ねた。
「なななななに言ってるんですか、桂さん、何も変わらないですよ。お仕事中でもないのにお世辞言うのやめてください!」
「ほら、そぉやってぇ、焦っちゃってるのも怪しすぎなぁい?怪しすぎなくなくなくなぁい?どーせ好きな人でもできたんでしょぉ、***ったら白状しなさいよぉ!相手は誰よ?この恋愛テロリスト、ヅラ子が相談にのるわよ」
「えぇ~、やですよ、絶対言いたくないです」
口ではそう言いながらも、女装した桂があまりにも美しくて、それは桂ではなく、恋愛を知り尽くした大人の女性のように、***には見えてきた。
以前から銀時のことで、桂に聞きたいこともあったし、恥ずかしいから銀時の名前は出さないで、少し話をしてみようという気になり、おずおずと口を開く。
「あ、あのぉ桂さん、じゃぁお言葉に甘えてちょっとだけ聞いてもらってもいいですか?」
「桂じゃない、ヅラ子だ。もちろん構わないさ、***殿の思い人が誰かを教えてくれるのならな」
「えぇ!それは嫌です……あ、相手の人は……その、仲のいいお友達です。私より年上の人で、一度告白したんですけど、お前は子供すぎるってフラれちゃってて……でも、私、諦められなくて、一緒にいたいなぁって思って、ずっとつきまとっているというか、なんというか……」
「なるほどな、見た目によらず***殿には、粘り強くネチネチとした京女のようなところがあるのだな」
「それ褒めてます?けなしてます?……え、えぇっと、それでその、最近はその相手の気持ちがよく分からなくて、ちょっと混乱しちゃってて……」
「京女のようにつきまとわれて、その男が嫌がっているというのか?胆力のない男だな。女性のすべてを受け止めてこそ、いい男というものだ。それもできないようなヤワな奴はやめた方がよいぞ、***殿」
桂の言葉に***は慌てて首を横に振る。
「違うんです、そうじゃなくて」と言ってから、混乱している理由を、戸惑いながらも少しずつ言葉にした。もちろん銀時の名前は出さずに。
一向に相手にされていないのに、めげない***に対して、銀時は決して嫌な顔はしない。万事屋へ行くと、当たり前のように迎え入れてくれる。
時々冗談で「お前は本当に俺のことが好きだな」というようなことを言う。その度***は恥ずかしくて、「そうですよ、悪かったですね!」と可愛げのない返答をしてしまう。
大人と子供のような付き合いは相変わらずなのに、近頃は時々、それだけではない何かを感じる時がある。
例えば少し前に急に抱きしめられたが、その時に身体に触れた手からは、男女が互いに持つような熱い感情が、確かに伝わってきた。
かといってそれがずっと続くわけではない。しばらくするとまたいつも通りになって、世間知らずの***が、悪い男に引っかからないように見守っているだけ、という顔をする。
それは一体何?その感情は一体何なの?と聞いてみたいのに、そんなことを聞いたら、もう二度と会えなくなる気がして怖くて聞けない。それで銀時の気持ちは分からずじまいで、恋愛慣れをしていない***はずっと混乱しているのだ。
「うむ……少なくともその友人とやらは、***殿を好いていることは間違いなさそうだな。ただ、それが男としての感情だと認めていいのかどうか、本人も迷っているのかもしれん」
「私、もうよく分からなくて、一度どころか毎日フラれているような状態だから、自信はないのに期待ばかりしてて苦しんです。なんていうか……突き放されたと思ったら、引き寄せられるようなことの繰り返しだから……」
苦し気に眉間にシワを寄せて、うつむきながら話す***を見て、桂は腕を組みながら口を開いた。
「奇遇だが、その友人に似た男を俺は知っているよ。不器用な奴でな、自分の気持ちをはっきり言わないし、周りにも気づかせない。長い付き合いの俺でさえ、時々そいつが何を考えているのか分からない……どうだ、少し似てはいないか、***殿が好きな、その友人とやらに」
小さな座面にふたりで座っているから、距離が近い。桂の言葉にハッした***が、顔を上げて横を見ると、すぐ近くに長くカールしたまつ毛にふちどられた、桂の瞳があった。
その聡明な瞳が、***の隠していることなんて全てお見通しだ、というような光を放っていて、ドキッとする。相手が銀時だと見透かされた気がして、恥ずかしさで顔がさっと赤くなる。
ぱっと目をそらすと***は下を向いて、照れ隠しのように小さく足をぱたぱたと泳がせた。
「そ、その、私の好きな人は、確かに桂さんのお友達に似て、つかみどころのない人かもしれません……でも、自分の気持ちが分からなくて悩むような人では、ないような気がします」
「そうか………だが、俺の知っている男は、とても繊細な男だ。ずいぶん多くの物を失ってきたからな。幼い頃から知っているが、あれだけの物を失って、よくこの世界を憎まなかったと思う。例えばの話だが……本当にその男が、***殿のことを好いているとしたら、失う怖さを知っている分だけ、***殿を手に入れようとすることを迷ったり、拒んだりするのは、致し方のないことのように、俺には思えるがな」
「桂さん……」
桂じゃないヅラ子だ、という声を***は完全に無視した。銀時のことで聞きたいと思っていたことを、求める前に桂が話した為、***はひどく戸惑う。
銀時の過去について、以前桂から聞いた以上のことは***は知らない。銀時が言わない以上、自分から聞く必要はないと思っているからだ。
しかし、二回だけ見たことのある銀時の上半身の素肌に、信じられないくらい多くの傷があることに、***は困惑していた。戦争に行った人なのだから、古傷はたくさんあるだろう。しかし、それが古傷だけでなく、まだ真新しい治りかけの傷もあることに、近づいてみて初めて、***は気付いたのだった。
万事屋はなんでも屋さんで、困った人がいれば誰でも助けることは分かっている。神楽や新八が生傷が絶えないことも、銀時がたまに日常ではありえないような大怪我をして帰ってくることも、***は知っていた。
だけどどうして、そんな風に自分を犠牲にしてまで、他人を助けようとするのか、***には分からなかった。きっと古い付き合いの桂なら、何か教えてくれるだろうと思っていた。
「桂さんのお友達に似て、私の好きな人も、きっと……色々な物を失ってきたんだと思います。だから目の前で誰かが、何かを失いそうになっていたら、放っておけないんだと思うんです……だから、自分がどんなに怪我をしても、痛い思いをしても、困っている人のことは助けるし、守ろうとするんだと思います」
「うむ、その男は***殿のことも守ると言ったのだろう?それが親が子を守るようなものであれ、男が女を思うようなものであれ、***殿ことは必ず守り通すと、俺は思う。俺の知っている男はそういう男だからな」
桂の言葉を聞いて、もう一度自分の足元を見つめて考え込む。銀時に変えてもらった花柄の鼻緒が目に入った。いちばん桂に聞きたいと思っていたことが、胸から湧き上がってくる。ぱっと横を向いて桂の瞳をじっと見つめると、無意識に口から飛び出すように、言葉が溢れてくる。
「桂さん、じゃぁ私はぎんちゃ…そ、その人のために一体なにができるんでしょう?好きって言って、ただそばにいるだけで、私には何もできない気がします…………見て下さい、この下駄、この鼻緒の切れかけてたのを、その人が変えてくれたんです。危ねぇだろって言って。そんな小さなところでも私を守ってくれる人を、どうやったら私も守ることができるんでしょう?全然強くなくて、力もない私が、その人の為にできることって、あるんでしょうか?」
自分に問いかける***の、必死にすがるような瞳を見て、桂は心底驚いた。
先ほど引き留めたのは、久々に会った***が、以前よりも大人っぽく綺麗になっていたことに驚いたからだった。変化は外見だけではなかったのだな、と桂は思う。
以前会った時の***は、にこにこと笑って万事屋の面々と一緒にいた。ひ弱そうで守られるべき存在という印象を受けた。
しかし今目の前にいる***は、とても強い意志を持って、恋する相手のことを思っている。なんとかして思い人の役に立ちたい、守れるだけの力が欲しいと、心から思っていることが、その真剣な瞳から伝わってきた。
恋とはこんなにも人を変えるものなのか―――
驚きと同時に桂は嬉しい気持ちになる。高い志を持った人が成長していく姿を見るのが、本来好きな性分なのだ。高みを目指す者だけが放つ輝きが、***から発せられている。
でもどうしたらいいのか分からずに悩んでいて、戸惑っている姿はずいぶん頼りない。
仕方ない、ここは俺が一肌脱ぐか、と思いながら桂は口を開いた。
「***殿、これはヅラ子からの最大の助言だ。よく聞いてもらいたいのだが……」
そう言って桂は、それまでにない真剣な顔をして***の両肩をつかんだ。
何を言われるだろうと緊張した***の身体に、思わずぎゅっと力が入る。不安で揺れる***の瞳を見て、桂はふっと笑った。真剣な顔から一変して、優しげな表情になると、まるで子供をあやすような穏やかな声で言った。
―――その男を好いている限り、いつも近くで笑っていてやることだ、***殿。守りたいと思う女が泣いていたら、その繊細な男は自信を無くすだろうから…―――
「え……?そ、それだけですか?笑ってるだけで、それだけでいいんですか?」
「それで十分だ。好いた人が笑っていることが、いちばん幸せなことだと思わないか、***殿」
優しく言われた助言によって、***の心が浮くように軽くなっていく。
―――そうか、それでいいんだ。私は間違ってなかったんだ。大人の女として認められたくて、銀ちゃんの前では泣かないようにしてたけど、それだって少しは銀ちゃんの優しさに応えていることになるんだ。大人って、大人の恋愛って、そういうことなのか……
「桂さん、あの……ありがとうございました。気持ちがすごく楽になりました。好きな気持ちは一生変わらない自信はあるんですけど、なんだか小さなことで悩んじゃって……でも、笑っているだけでいいなら、私にもできそうです」
「桂じゃない、ヅラ子だ。***殿の恋愛相談など、ヅラ子に任せれば朝飯前だ。また悩んだらいつでも話に来るといい」
「ありがとう、ヅラ子さん」
そう言ってふたりで顔を見合わせると、くすくすと笑った。ヅラ子の部屋という名前の店を開いて、お悩み相談を請け負ったらどうですか、という***の言葉に、桂は目を輝かせて、それは良いと言った。
ふたりとも大興奮でわいわいと喋っていると、突然かまっ娘倶楽部の裏口の扉が開き、人が飛び出してきた。桂と同様にすらりとした長身の、とても綺麗なホステスだった。しかしそのホステスから発せられた声に、***はピタリと動きを止める。
「オイ!ヅラァ!何してんだよ、もう出番くるぞ!!」
「ヅラじゃない、ヅラ子だと何度も言ってるだろう、パー子」
パー子と呼ばれたホステスの顔を見て、***は大きな声を上げた。
「ぎ、銀ちゃん!!?」
「なっ……!***っ!!?お前こんなとこで何やってんだよ!」
それはこっちのセリフだよ、という顔をした***と銀時が見つめ合う。しかし先に銀時がぱっと目をそらすと、桂に向かって怒りの声を上げた。
「オイ、ヅラ、てめぇオカマになっても***にちょっかい出してんのかよ、いい加減にしろよ、殺されてぇのか」
「何を勘違いしている、パー子。俺は***殿から、恋愛相談を受けていただけだ」
「はぁ!?お前に恋愛相談する馬鹿がどこにいんだよ。オイ、***、おめーもこんないかがわしい所にいつまでもいんじゃねぇよ。女がひとりでいる場所じゃねぇっつーの!さっさと帰りやがれ」
声と口調はいつも通りの銀時なのに、見た目は綺麗なホステスで、そのあべこべな様子に、***は思わず吹き出してしまう。
「ぶっ!…ぎ、銀ちゃん、やだ、あははははっ!その恰好すごく似合ってます!ふふふっ、す、すごく綺麗です!ヅラ子さんもパー子さんも本物のホステスさんみたい!あ、もしかして西郷さんが言ってた一番人気のエースってふたりのこと?ダンスショー見て行こうかなぁ!西郷さんが見てっていいって言ってたし!」
「駄目に決まってんだろ、この不良娘が!お前みたいなガキが入っていい店じゃねぇんだよ馬鹿!!」
そう言いながら銀時が、***の首に腕を回すと、脳天をこぶしでぐりぐりと痛めつけながら、引きずっていく。「痛い痛い!痛いよ銀ちゃん!」という笑いまじりの、嬉しそうな***の声が路地裏中に響いた。
人通りが多く、明るい大通りまで***を連れて行き、ちゃんと帰路についたことを確認すると、銀時が路地へと戻って来る。ダルそうな顔をした銀時に向かって、桂は何気なく問いかけた。
「***殿は、京女のようにネチネチと思い続けている相手がいるそうだぞ銀時」
「はぁっ!!?あいつのどこが京女だっつーの、あんな小娘が京女なら、神楽でさえ立派な女になっちまうわ。そもそも京女っつーのはもっとはんなりとした色気があるもんだろうが。***には色気のいの字もねぇ。あんなのはただのガキだ………っつーか、あいつマジでお前に恋愛相談なんてしたのかよ」
「ずいぶん真剣に話してくれたぞ。俺はリーダーの素質を高める為に日夜猛勉強しているからな……この本に部下の悩み相談を受けた時は、訳知り顔で話を聞けと書いてあった」
そう言った桂が懐から一冊の本を取り出す。本のタイトルは『部下がついてくる上司の話の聞き方』だった。
「ところで銀時、***殿はずいぶん一途な恋愛をしているようだが、お前相手を知らんのか。悪い男にでもだまされてたらどうするつもりだ」
「はぁ?知らねぇよ、知っててもおめーに言うかよ。***もおめーに男のこと相談するなんて、想像を絶する馬鹿だな。ヅラにするくらいな電信柱にでも話してた方がマシだわ。マジで馬鹿だろ。アイツ馬鹿だろ」
呆れた声で***をけなしながらも、銀時の横顔は上機嫌に笑っていて、桂は訳が分からずに首を傾げる。
かまっ娘倶楽部の裏口を開けると、中から「遅せぇんだよオメーラァァァ!!!お客様がお待ちだろーが!!!」という西郷の怒号が飛んできた。その怒号にも全く動じずに、パー子とヅラ子は颯爽とステージへと出て行った。
踊り子たちの夜は、まだはじまったばかり。
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【第13話 踊り子たちの夜】end