銀ちゃんの恋人
永遠のひと
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※※※微大人向け/やや注意※※※
☆後半にほんの一部ですが大人向け表現があります
☆とてもぬるい性的描写を含む為、苦手な方はお戻りください
【(3)ふがいない人】
どんな依頼でも金さえもらえれば、なんでも引き受ける万事屋だが、もちろん出来ないことはある。
総悟には親友のフリを頼まれた。ミツバには激辛せんべいを買って来て欲しいと言われた。それだけなら仕事はとっくに済んでいる。いつもなら「んじゃ俺はこれで」と引き上げているところだが、今回はそうもいかなくて、気づけば銀時は***に頼っていた。
「わりぃ、寝坊っつーかいま起きたわ……」
というのは嘘だったし、急な依頼なんて無かった。
本当は朝から見舞いに行けたが、あえて行かなかった。***ひとりで十分だ、というのは正しいと思う。
ミツバと***を引き合わせたのは、万事屋の勘みたいなものだ。商売柄、客がいちばん求めているものが何かを察するくらいの能力はある。そして予想どおりに***は、銀時には入れないミツバの心の隙間にたやすく滑り込んでくれた。
昼過ぎにカメラを持って病院に来た。ドアを開けた途端、女ふたりの笑い声が弾ける。銀時は無意識にシャッターを切っていた。ファインダー越しのミツバと***の笑顔は、花が開く瞬間のように幸福が溢れていた。それを見て、自分の勘に狂いは無かったと確信した。
———さすがの万事屋さんも、いくら頑張ったとこで、女友達にはなってやれねぇからな……
フィルムを買いに行くと言う***を、雨が降るからやめろと止めたが、結局は曇天のもとへ飛び出して行った。やれやれとパイプ椅子に座った銀時に、ベッドからミツバが声をかけた。
「銀さん、本当にありがとう」
「あ゛ぁ?何が?犬の餌みてーなプリン食ったことか?もうぜってぇ食わねーぞ、俺まで痔になっちまう」
「ふふッ……ほんとにおかしな人ね。分かってるくせに素直じゃないのも、あの人とそっくり。感謝してるのはそーちゃんのことと、それから***さんのことよ。あの子に会わせてくれて、仲良くさせてくれたのは銀さんでしょう?」
「別に礼を言われるよーなこたァ何もしてねーよ。俺はアイツにせんべえ持ってこいって頼んだだけだし。今日だって***がひとりでに見舞いに来ただけだし。銀さんが仲良くさせたっつーか、お前らが勝手に友達んなっただけだしぃ~~~!」
ふざけた口調で茶化すと、クスクス笑いが返ってきた。ミツバはピント外れのぼやけた写真を両手で持ち、懐かしいものでも見るように眺めた。輪郭もはっきりしない***を見つめて、楽しい思い出を語りだす。
「***さんは辛い物が好きなのね。このおせんべいを3枚も食べたのは、***さんが初めて。それにタバスコをかけたプリンを美味しいって言ってくれたのも。あっ!そういえば銀さんもそーちゃんとファミレスに行った時、タバスコをかけたパフェを一気飲みしてたわね!私のオススメした物を気に入って、倒れるほど食べてくれたのは、あなた達ふたりだけよ。そう考えると銀さんと***さんは、本当にお似合いのカップルねぇ」
「いやいやいやいやっ!俺あのパフェ気に入ってねーけど?気に入るどころか、半殺しにされてあんま覚えてねぇんだけどぉぉぉ!?え、っつーか***のヤツ、このせんべえ3枚も食ったのかよ?そりゃぶっ倒れるっつーの。さすが田舎生まれは肝が据わってら。そんじょそこらのヤツらとは気合が違ぇよなぁ」
かぶき町のことも***が教えてくれた、とミツバは続けた。アルバムの写真以上に、***の言葉がつむいだ街は色鮮やかで、とても魅力的だった。この街の四季折々の景色が見てみたい。銀時のように少し変わってはいるが人情味のある人たちに出会いたい。美しい風景や優しい人々に囲まれて暮らせたら、さぞ楽しいだろう。大江戸スーパーのタイムセールの戦い方を***に指南されて、もう江戸で主婦をしている気分になった、と言ってミツバはケラケラと笑った。
「それに***さんは、春になったらお花見に行こうって、夏にはお祭りに連れていくって、来年のことまで約束してくれたわ。昔から身体が弱いせいで、そんな風に言ってくれる友達はあまりいなくて……だから本当に嬉しかった。あの、銀さん、もしかして銀さんは……***さんならそうするって分かってて、わざと伝えなかったんじゃないんですか?その、私の病気のことを……」
柔らかい微笑みと共に尋ねられた質問には、とてもじゃないが答えられない。ただ銀時はミツバのことを、この女はまわりが思うよりもずっと賢くて強いと思っていた。たとえ医者が隠しても、病のことはミツバ自身が一番よく分かっている。それでも尚、ミツバの幸せを望む人たちの為に「私は幸せにならなきゃ」と気を張って生きているのだ。
励ましてやりたいが、銀時は事情を知っているから、上辺だけの言葉しか並べられない。だから知らず知らずのうちに、***を頼っていた。
何も知らない***なら、ミツバがいちばん望む言葉を迷いなく言うだろう。お世辞でもなく、幸せな未来を本気で約束してみせる。この先もずっと一緒に生きていけると1ミリも疑わずに、あのまっすぐな瞳で。***なら必ずそうするだろうと、確かに銀時は分かっていた。
頭をガリガリと掻きながら、わざと気の抜けた声を出す。せっかく***が残していった希望を、踏みにじるわけにはいかなかった。
「なにを勘ぐってんだか知らねーが、***がめっさ頑固で、一度決めたら絶対に曲げない、ごっさ強情な女ってことだけは俺ァよーく知ってるよ。激辛せんべえ一気食いするよーな、ド根性女に懐かれちまってアンタこれから苦労するぞ。花見も祭りも***は口約束なんかじゃ許さねぇ。たぶん家まで迎えに来るよ?なんならひと月前からギャーギャー騒いでうるせぇよぉ~?ま、せいぜいアイツを泣かさねぇように、さっさと退院してスーパーでもどこでも一緒に行ってやるこったな」
「ふふふっ!そうね、銀さんの言うとおり、元気にならなきゃ。はやく退院して***さんとかぶき町を歩いてみたいの。それに話したいこともたくさんあるわ。私の幸せは私が決めていいって***さんが言ってくれたから、この江戸で暮らしていく決心ができたのよ」
手の中のポラロイドを見つめながら、ミツバは愉快そうだった。まるで***がそこにいるかのように微笑むものだから、銀時までつられて笑いを漏らした。
写真を寝巻のポケットにしまったミツバが、ふと銀時に昨日は山崎と何を話してたのかと訊いた。何でもないと誤魔化したが「気になる」と引き下がられて、懐からビデオテープを取り出す。古びたテープはアダルトビデオがダビングされたもので、タイトルに『ナースの花ビラビラ』と書かれていた。
「野暮なこと聞くねェ。男が隠れてコソコソ話してたらコレの話題に決まってるだろ~、アンタも見る?」
ニヤつきながらテープをひらひら振ると、ミツバは吹き出して「男の子っていくつになってもそうなのね」と笑った。ミツバは武州での思い出を語りながら、青白い手で寝巻のポケットの上を撫で続けた。そこに入れられた***との写真を、愛おしむような手つきだった。
それを眺めてぼうっとしていた銀時の耳に、遠くから「ゴホゴホ」という音が届いた。気づいた時にはミツバは布団に伏せて、両手で覆った口から激しい咳をしていた。さっきまで愉快そうに笑っていたのが一変して、血の気が引いた顔は真っ青だった。銀時は頭から冷や水を浴びた気がして、背筋までヒヤリと凍りついた。
「お、オイッ……!」
そこからはあっという間だった。
ひときわ大きく咳き込んで、ミツバは喀血した。
シーツが血で赤く染まった瞬間、銀時はすかさずナースコールを押した。病んだ肺がひゅーひゅーと鳴る。
必死に空気を吸ったミツバが、力を振りしぼるように「銀さん」と呼んだ。血に染まった唇が何かを伝えようとしていた。おずおずと銀時が顔を寄せて聞き耳を立てると、ガサガサした声が響いた。
「ぎ、さ、おねが、……は、……でっ!」
「っ……!!分かった、分かったから……もう喋るな!すぐ医者が来る、しっかりしろ!!」
うなずきながら背中をさすってやると、ミツバは意識を失った。医者や看護師が、ストレッチャーと共に飛び込んで来る。瞬く間にガラス張りの集中治療室に移されて、呼吸器をつけて横たわった姿はあまりに痛々しかった。見ているのもツラかったが、銀時はガラス越しにベッドの上に力なく置かれたミツバの手を眺めていた。その手がまた動き出して、ポケットの中の写真を優しく撫でるんじゃないかと、期待せずにいられなかった。
***は病院からいちばん近いスーパーに飛び込んだ。急いでフィルムを買ったが、店を出るともう雨がふりはじめていた。雨足はどんどん強まり、病院に戻った時には全身しっとりと濡れていた。ハンカチで髪を拭き、着物をパタパタとあおいで乾かす。ミツバの部屋に向かうまでの廊下がなぜかとても騒がしい。
駆けてきた看護師たちが、すれ違いざまに「容体の急変」やら「緊急オペ」やら、不穏な単語を叫ぶ。それを見送ってから***はようやく病室にたどりついた。
「ミツバさん、銀ちゃん、ただいま戻りました!お待たせしてすみませんって……あ、あれっ!?」
ドアを開けた瞬間、***は息を飲んだ。ふたりがいるはずの部屋には誰もいなかった。誰もいないどころか、さっきまで置かれていた荷物やパイプ椅子、ベッドのうえの布団まで無くなっていた。無人のまっさらな病室は寒々しい。開け放った扉の前でぽかんと立ち尽くす***の肩を、通りがかりの看護師が叩いた。
「どうかされましたか?」
「あっ、あの、ミツバさんは、このお部屋の患者さんは……どこに行ったんでしょうか?」
おろおろしてそう尋ねた時、***は自分がミツバの苗字すら知らないことに気づいた。
「あぁ、ここの人ならさっき、」
「***っ!!!お前、遅ぇんだよ!!!」
看護師の言葉を銀時の大声が遮った。きょとんとする***の腕をむんずとつかんで、勢いよく歩き出す。
***を引きずるように進む銀時が突然「見舞いは終いだ、帰るぞ」と言った。いきなりのことに「えっ!?」と声を上げたが、銀時は振り返りもしない。ただ淡々と冷めた声で、ミツバは病室を移ったと告げた。
「なっ、なんで?なんで急に移ったりするんですか!?もしかして……ミ、ミツバさんに何かあったの!?何か悪いことでも、」
「違ぇよバカ!!んなわけねーだろ!!あ゛~~~アレだよ、アレ、***が居ねぇうちに、婚約者とかいうオッサンが来て、あの個室じゃ狭ぇから新しい部屋に移らせるっつったんだよ!貿易商だかなんだかの?めっさ金持ちな男で?しかもあの女にぞっこんだから?病院のヤツらに札びら渡して引っ越しさせるんだと!んで、お前たちも出直せって、追い払われちまったんだよ!!」
「お、追い払うなんてひどいです!私たちミツバさんのお友達なのに……帰れって言われて、分かりましたってすぐ引き下がったの?私がまだ戻ってないのに?あ、もしかして銀ちゃんまでお金渡されたんですか?そんなのダメだよ!」
ねぇ銀ちゃん!と声を荒げたら、前を行く背中が急に立ち止まった。バッと振り返った顔が不機嫌で、***は一瞬ひるみそうになる。でも簡単には諦められない。
腕をぶんぶんと振って銀時の手を払おうとしながら、ミツバの部屋も分からないのに廊下を引き返そうとした。そのとき銀時が懐から取り出した何かを、***の眼前に突きつけた。それを見た途端、動けなくなった。
「ナースの花、ビラビラ?な、何ですかコレ?」
「見りゃ分かんだろ、エロビデオだよ。いや~、コレすっげぇレアなヤツなんだよね。ホラ銀さんってナースモノ好きじゃん?婚約者のオッサンも意外と好きモンでさぁ、これダビングしてやるって言われてぇ~、ついつい受けとっちまったんだよねぇ~」
「~~~~っ、こここここんなの、見せびらかさないでよバカァァァ!!信じられない!こんなので追い払われるなんて、絶対にイヤです!!」
威勢よく反抗したが、あわあわした***の顔は湯気が出そうなほど真っ赤に染まった。人前に出しちゃダメと叫んで、ビデオテープを両手で覆う。銀時の懐にぐいぐいと押し戻していたら、頭上で「ぶはっ」と吹き出す声がした。片方の眉を下げて笑う銀時の表情は、どこか困っているように見えた。
「まぁ、こんなモンで俺を釣るくらい、婚約者ってのも大変なんじゃねーの?庶民と違ってセレブは忙しいから、仕事の合間縫って見舞いに来たんだろ。そしたらふたりきりになりてぇだろ。夫婦水入らずで過ごしてぇって言われちまったら、引き下がるしかあるめぇ。どーせ俺たちゃ暇なんだ、また落ち着いたら来りゃいいさ。な、***もそー思うだろ?」
「そ、それは確かに、そう、だけど……う~~……、じゃぁ、また日を改めて来ます。おふたりの邪魔しちゃいけないもんね」
「よーし、そんじゃァ***ちゃんは銀さんと一緒に、このビデオ見てお勉強しましょうね~!どうせ見たことねぇんだろエロビデオ?」
「あ、あるわけないし、この先も見ないですよ!もう銀ちゃん、さっきからスケベ親父っぽいのやめてよ!!」
イチゴのように真っ赤な顔で***はぷんぷんと怒った。その頭に大きな手がぽんっと乗り、子どもをあやすようによしよしと撫でた。掴んでいた腕を離して、銀時は***の手をにぎり直す。ふたりは強まる雨のなかにそろって踏み出して、病院を後にした。
雨はひと晩中、降りつづいた。
激しい雨に打たれながら、真選組は貿易会社の違法取引を制圧した。ひとりの女が死の淵で耐える夜、ひとりの男が刀を振るっていた。バイクの後ろに総悟を乗せて、銀時も現場に居あわせた。
ミツバの婚約者だろうと関係なく、悪事を働く男を土方は追い詰めた。銀時がその手助けをして、とどめを刺したのは総悟だった。真っ二つに斬られた高級車から炎が上がる。赤い炎に照らされながらタバコを吹かす土方を眺めて、銀時はぼんやりと思った。
———惚れた女に会うことすら、たったひと言話すことすら、テメェに許さねぇつもりかよ……
夜明けと共に、ミツバは逝ってしまった。
総悟に手を取られ見守られながら、穏やかな最期だったと山崎から聞いた。
あっけない、とは言いたくなかった。ほんのつかの間でも、懸命に病と闘う姿を見たし、生きる喜びに溢れた笑顔が、今も目に焼きついていたから。
雨が上がり、水たまりだらけの屋上に土方がひとり佇んでいた。背後の銀時には気づいてなかった。愛した女の死に目にも会わず、訃報を聞いても「そうか」としか言わない。そんな男が "ツラい" なんて到底言うはずもない。せんべいを齧りながら「辛ぇよ」とこぼす土方の声は、少しずつ鼻声になっていった。銀時はただ黙ってそれを聞いていた。
耳にミツバの笑い声が蘇った。めずらしく大口を開けて笑った顔が、カメラのシャッターを切った瞬間のように、鮮やかに思い出せた。今までだって、戦いの場でいくつもの死を見てきた。だが大切な人を亡くす喪失感には、いつまでも慣れることはない。
その証拠のように銀時は今、***に会いたくて仕方がなかった。あの顔や声が懐かしい。あの身体の温度が恋しい。いますぐ愛おしい女がそこに存在すると実感したかった。取り戻せないものを失って、胸にぽっかりと開いた穴は多分、***にしか埋められない。徹夜で疲れているのに頭は冴えていて、その奥深くで「出来ないことばかりだ」とふがいない声が響いた。
———刀ぶんまわしたって、病から人を救うことは出来ねぇ。生きたがってるヤツに、命を分けてやることも出来ねぇ。それに……、***には約束ひとつ出来ねぇ。俺の女だってそばに置いときながら、平和な明日さえ誓ってやれねぇ。幸せにするなんざ言えるはずもねぇ。それなのに俺は……あの男のように***を手放すことすら、もう出来っこねぇんだ
給水塔の影に隠れ、壁にもたれた銀時はミツバの置いていった激辛せんべいを齧った。「辛ぇ」と小さな声が漏れる。明るみはじめた江戸の空に星は少しずつ溶けはじめて、最後の輝きを放つとやがて完全に消えた。
真夜中の真選組の抗争なんて、一般市民の***には関係なかった。いつもどおり牛乳配達に出た午前4時、雨は激しかった。レインコートを着ても、入り込んだ雨で全身濡れた。真っ暗な曇天を見上げて、まるで空が悲しんで泣いているみたい、と***は思った。仕事を終えた頃にようやく雨は止んで、薄明るい空でチラチラと瞬く星が、見惚れるほど綺麗だった。
「***ちゃんも港に行かない?真っ二つの車なんて、そうそうお目に掛かれないし、一緒に見に行こうよ!」
ニコニコ牛乳の更衣室では、同僚たちがワイワイと騒いでいる。昨夜は大きな捕り物があって、どうやら真選組が大活躍したらしい。
港方面の配達に行った子が、高級車が真ん中でぱっかりと割られているのを見たと大興奮で叫んでいた。
「真選組が……?えっと、私はいいかなぁ。雨で冷えたからお風呂に寄りたいし。皆も見に行くのはいいけど、気を付けてね?」
はーい、と元気のいい返事と共に、女の子たちは出て行った。着物は水びたしで、下着まで雨が染み込んでいる。朝から開いている銭湯に寄るつもりだったが、着替えと下着が無い。困っていたら牛乳屋のおかみさんが助けてくれた。
「私の浴衣と腰巻でよければ貸したげる。***ちゃんみたいな今どきの子は、腰巻なんてイヤだろうけど」
「いいえ、田舎ではずっと腰巻だったのでイヤじゃないです。すごく助かりました、ありがとうございます!」
銭湯のお湯につかって身体を温めて、ショーツの代わりに腰巻をぎゅっと巻く。浴衣を着て髪を乾かした頃には、8時を過ぎていた。自宅へと自転車をこぎながら、今日はスーパーのアルバイトが無いから万事屋を訪ねて、銀時とミツバのお見舞いについて相談しようと考えていた。しかしアパートに着いた途端、その計画はあっけなく崩れた。
「えっ!?ぎ、銀ちゃん!?」
***の部屋の扉の前には、見慣れた銀髪頭があった。ドアに背をあずけて、銀時はうずくまるように座り込んでいた。急いで自転車を止めて駆け寄ると、その両肩をゆすった。
「銀ちゃん、大丈夫ですか!?どうしたの!?」
「んぁあ゛……?お~、***……」
ゆっくりと顔を上げた銀時の目は、眠たげにぼんやりしていた。重そうな下まぶたを指さして「ひどいくまです」と***が指摘したら「ボクサーに殴られたんだよ」と見え見えの嘘をついた。疲れた様子の銀時に肩を貸して立ち上がらせる。黒いシャツや着流しに触れると、わずかに湿っている。銀髪も水気を含んでいつもより色が濃い。寄りそった銀時の全身から雨の香りがした。
「雨のなか、お仕事、だったんですか……?」
その問いに答えはなかった。黙りこくったまま、銀時は畳の真ん中にあぐらをかいた。それに向き合った***は、銭湯で自分の髪を拭いたバスタオルを使って、濡れた銀髪を乾かそうと被せた。ぬくもりで包まれた銀時は、ホッとした表情を浮かべる。タオルを頭に乗せたまま、***は両手を銀時のほほに伸ばした。
「銀ちゃん、冷えちゃってる……」
思ったとおり雨に打たれたほっぺたは冷たかった。
***の手にはお風呂の熱が残っている。その温度を分けるように、小さな手のひらで銀時のほほをすりすりとさすった。
「このままじゃ風邪引いちゃうから、着替えましょう?確かこないだ置いてった寝巻が押し入れに、」
服を出そうと腰を浮かせたが立ち上がれない。銀時の手が***の両手を覆って引き留めていた。その指から雨と、ほのかに灰のような香りがする。***は心配になったが、何をどう聞くべきか分からず、ただ眉を八の字に下げた。恐る恐る「銀ちゃん?」と呼ぶと、銀時は溜息のように静かな声を出した。
「お前は……あったけぇ」
「え?あ、うん、お風呂に寄ってきたから……銀ちゃんはすごく疲れてるよね。お布団敷くから少し寝てください。起きたらまたミツバさんのお見舞いに、」
「***、こっち来て」
「へっ、うわゎっ……!?」
パサリ、と音を立てて銀時の頭からタオルが落ちた。両手を強く引っぱられて、***から抱きつくように距離が縮まる。気づいた時には唇に、銀時の唇がむぎゅっと押し当たっていた。驚いて身を引こうとしたが、両のほっぺたを大きな手がつかんで、ますます引き寄せられてしまう。「ん、んん、」と鼻にかかる声を上げて、***は広い肩を押し返したが効果はなかった。
「ん、っ、んぅっ———!」
結んだ唇の上を、銀時の舌が滑っていく。チロチロとした舌の動きが「口を開けろ」のサインとは分かっていた。でも、どうしよう、銀ちゃんまだ着替えてないのに、と悩む***を至近距離から見つめる赤い瞳に、わずかなイラ立ちが滲む。「早く開けろ」と声もなく命じられ、***のほっぺたに赤みがさした。いつも無理やりこじ開けるのに、と不審がりながら口を薄く開く。すかさずぶ厚い舌がぬるんっと入りこんできた。
「ぅんぁっ!?ふ……わぁ、ぁッ!」
すっとんきょうな声を上げたのは、銀時の舌が辛かったから。こすりつけるように絡まった場所から、***の舌にピリピリと刺激が走った。甘党の銀時とのキスはいつも、チョコレートやお砂糖の味がする。なのに今朝は正反対の味だ。驚きに固まる***の口の中で、舌は好き勝手に動いた。内頬やノドの奥の方まで辛さとひりつきが広がった。
———これって……唐辛子?ミツバさんのおせんべい、銀ちゃんも食べたの?でも、どうして?
「はぁっ、ぎ、ちゃ……か、からぃッ……!」
「ん、お前の口は、甘ぇな」
「っ……、な、なに言って、」
ぺろりと舌なめずりをする銀時と目が合って、心臓がドキッと跳ねた。***のほっぺたを包む手に力が入り、首を傾げた銀時が「あっつい顔して、赤ん坊みてぇ」と言った。ヤケドしそうな頬を撫でながら、太い親指の先が***の上唇をふにっと押す。桜色の唇は銀時の唾液にまみれて、頬と同じくらい熱い。濡れた唇と肌の境目をなぞって、指先は唇の形にそって動いた。
「***の口は甘くて、小せぇ」
銀時がじっと口元を見つめて呟く。骨ばった親指が下唇に移動して、くいっと開かせた。反射的に「あっ」と漏れた声は一瞬で飲み込まれた。ふたたび深く口づけられて、息と一緒に舌を吸われる。引っぱり出された***の舌先が、銀時の歯列や上顎に触れた。そのたびに唐辛子の辛さを感じて、注がれた唾液をこくんっと飲んだら、それもピリピリと痛みを残した。黒いシャツの胸元に両手でつかまり長いキスに耐えていたが、息苦しくて意識がぼうっとする。ねっとりと舐められる口腔だけじゃなく、酸欠状態の脳の奥までビリビリと痺れはじめていた。
「は、ぁ?***?オイ、しっかりしろ」
「っ、ふ、ぁ、はぁっ、ぁッ、」
永遠に思えたキスが終わると同時に、***は膝からへなへなと崩れた。やっと解放された唇で浅い呼吸を繰り返していると、銀時につよく抱き寄せられた。たくましい腕で身体を強く締めつけられて、すこし痛い。はぁ、と短い息を吐いた***は、目の前の肩に顔を伏せた。耳元ですんっと音がして、視線だけ横に向けると銀時が髪の匂いを嗅いでいた。
「……***、髪も洗った?すげぇいい匂い」
「さ、さっき、お風呂屋さんで、っ……、」
喋っている途中、銀時の手がうなじの上の黒髪を撫でた。手触りを楽しむみたいな手つきで、洗いたての髪をさらりと横に払う。首が露わになるや否や、銀時が耳の後ろに鼻を押しつけた。すぅっと深く息を吸うのが、主人の匂いを嗅ぐ飼い犬のようだと思った。こそばゆさに***は肩をきゅっとすくめた。
「っ……、く、すぐった、い」
「石鹸の匂い、けどそれだけじゃねぇ……花みてぇな匂いだと思ってたが、それだけとも違ぇのな***の匂いって。女の匂いっつーか……めっさ美味そうで、ごっさ嗅ぎたくなる」
「~~~~~っ、」
そんなことを言われたのは初めてで、どう返せばいいのか分からない。ただ恥ずかしさに肩が震えた。硬い鼻先が肌をかすめるたび、耳や耳たぶが熱くなって、その熱が首全体に広がっていった。見なくても首まで真っ赤だと分かる。だがそこに触れた柔らかいものが何かは、とっさに分からなかった。耳のすぐ下で「ちゅうっ」という音がして、銀時の唇だと気づいた。唇は吸っては離れをくり返して、ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音を立てながら、首の横筋をどんどん降りて行く。
「銀ちゃっ……な、んか変、だよ?ど、したの?」
「あ?どしたって?どーもしねーよ」
また明らかな嘘に、***は困り果てた。
好きな人に抱きしめてキスをされるのは嬉しい。だけど銀時の疲れた顔が気になって仕方がない。銀髪はまだ湿って、手や腕は冷たいまま。なのに赤い瞳はギラついて、***を射抜くように見つめる。情事の時の熱視線とは少し違う。***の存在を目に焼き付けようとする切実な目つき。さらに困ったことにはその瞳の奥に、わずかな哀しみが滲んでいる。そのせいで***は「何があったの?」と口にできなかった。
首を降りていった唇が、鎖骨のうえに軽い接吻を落とす。くすぐったさと戸惑いで動けないでいる内に、銀時の手は***の浴衣をまさぐりはじめていた。お尻を揉みながら左手が裾をたくし上げ、胸を撫でながら右手が襟をはだけさせた。
「なんか、この浴衣、***にはデカくね?」
「っ……ぉ、おかみさんの、貸してもらって、」
「ブラジャーねぇし、パンツも履いてねぇし」
「ちがっ、あ、雨で、濡れちゃってね、それでっ」
「なーに焦ってんだよ?んな、泣きそうな顔すんなって。別に取って食おうってんじゃあるめーし」
「だ、だってっ———、」
銀時の手が***の両肩をつかんで持ち上げ、膝立ちにさせた。窓からさしこむ朝陽のなかに、***の上半身が入ってとても眩しい。襟の合わせを開かれたら、陽に照らされた鎖骨が白く染まった。銀時の手が浴衣の上をなめらかに滑り、胸のふくらみを包む。ふたつの柔い乳房に食い込む骨ばった指先と、男らしい血管の浮いた手の甲が、朝の光のなかでよく見えた。
「んんっ、やぁ……ね、ねぇ、ぎんちゃん」
「あー?あんだよ」
「そのっ、朝からこんなの、だ、ダメなんじゃ」
「はは、別に時間なんざ関係ねーだろ」
呆れたように笑う銀時の顔は、やっぱり少し疲れている。セックスの時に似て大きな手は***に快感を与えるが、身体を欲しているというより、その身体の実体を確かめているみたいに思えた。見つめ合った赤い瞳には欲情や興奮より、もっと複雑な感情が渦巻いてるから、***は混乱するばかりだった。
———銀ちゃん、一体どうしたの?なにか、哀しいことがあったの?私には言えないような、ことなの……?
突然の寂しさに、心臓がチクチクした。胸を揉まれてはだけた襟元に、銀時が顔を寄せる。薄い浴衣の上から乳房にぱくりと食いつかれて、その先端をきゅうっと吸われた。「ひゃあっ」と声を上げて***の腰は崩れかけたが、銀時の手で支えられた。敏感な蕾はあっという間に硬くなって、くにゅくにゅと甘噛みされると背筋に甘い刺激が走っていく。
銀時が口を離すとその舌先から、濡れそぼった***の浴衣の胸に唾液の糸が引いた。ぐっしょり濡れた胸元と布を押し上げてピンッと立った乳首が陽ざしに照らされて、泣きたくなるほど恥ずかしい。銀時の肩に両手をついた***は、弱々しい声で尋ねた。
「ぎん、ちゃんっ……す、するの?」
「するよ」
何を、なんて言う必要もない。間髪入れずに返ってきた答えに、***はカタカタと震えた。これからされることに緊張して、どうしようもなく敏感な身体が恥ずかしくて、無口な銀時が何を思っているのか分からずに不安で、胸が張り裂けそうだ。
「っ……せ、せめて、お布団を、」
「いやムリ、んな悠長なこと言ってらんねぇ」
「あっ!ゃ、ん、ぁああっ……!!」
すがるような***の提案は一蹴されて、ふたたび胸に噛みつかれた。襟の合わせをガバッと開かれ、ふるんとこぼれた裸の乳房に直接、銀時の犬歯が食い込む。
困惑と気持ちよさに同時に襲われて、***がびくんっと飛び跳ねると、顔を上げた銀時が乳首に噛みついたまま言った。
「俺ァ、我慢、出来ねぇんだよ、***」
「ぎ、銀ちゃ、ぁッ……!」
———銀ちゃんが切ない声で言うのに、銀ちゃんが哀しい目をしてるのに、私はどうしたらいいのかも分からない……。銀ちゃんの切なさを分け合うなんて、私には出来ないのかな?哀しみを癒すには力が足りないのかな?だからなんにも教えてくれないの?じゃぁ、この身体は役に立つ?私を抱けば少しは楽になるの?ねぇ銀ちゃん、私に出来ることって、あるの……?
キリキリと痛む心臓を抱えた胸元に、銀時がすがりついてくる。大きな手が乳房や太もものうえを荒々しく這いまわる。朝陽で真っ白に光る銀髪に見惚れて、抵抗なんて出来ない。あぁ、と吐息まじりの声を漏らして、***は銀時の頭を胸にかき抱いた。いったい私に何が出来るというのだろう、と無力感に襲われながら。
------------------------------------------------
【(3)ふがいない人】to be continued...
開いたばかりの花が散るのを
☆後半にほんの一部ですが大人向け表現があります
☆とてもぬるい性的描写を含む為、苦手な方はお戻りください
【(3)ふがいない人】
どんな依頼でも金さえもらえれば、なんでも引き受ける万事屋だが、もちろん出来ないことはある。
総悟には親友のフリを頼まれた。ミツバには激辛せんべいを買って来て欲しいと言われた。それだけなら仕事はとっくに済んでいる。いつもなら「んじゃ俺はこれで」と引き上げているところだが、今回はそうもいかなくて、気づけば銀時は***に頼っていた。
「わりぃ、寝坊っつーかいま起きたわ……」
というのは嘘だったし、急な依頼なんて無かった。
本当は朝から見舞いに行けたが、あえて行かなかった。***ひとりで十分だ、というのは正しいと思う。
ミツバと***を引き合わせたのは、万事屋の勘みたいなものだ。商売柄、客がいちばん求めているものが何かを察するくらいの能力はある。そして予想どおりに***は、銀時には入れないミツバの心の隙間にたやすく滑り込んでくれた。
昼過ぎにカメラを持って病院に来た。ドアを開けた途端、女ふたりの笑い声が弾ける。銀時は無意識にシャッターを切っていた。ファインダー越しのミツバと***の笑顔は、花が開く瞬間のように幸福が溢れていた。それを見て、自分の勘に狂いは無かったと確信した。
———さすがの万事屋さんも、いくら頑張ったとこで、女友達にはなってやれねぇからな……
フィルムを買いに行くと言う***を、雨が降るからやめろと止めたが、結局は曇天のもとへ飛び出して行った。やれやれとパイプ椅子に座った銀時に、ベッドからミツバが声をかけた。
「銀さん、本当にありがとう」
「あ゛ぁ?何が?犬の餌みてーなプリン食ったことか?もうぜってぇ食わねーぞ、俺まで痔になっちまう」
「ふふッ……ほんとにおかしな人ね。分かってるくせに素直じゃないのも、あの人とそっくり。感謝してるのはそーちゃんのことと、それから***さんのことよ。あの子に会わせてくれて、仲良くさせてくれたのは銀さんでしょう?」
「別に礼を言われるよーなこたァ何もしてねーよ。俺はアイツにせんべえ持ってこいって頼んだだけだし。今日だって***がひとりでに見舞いに来ただけだし。銀さんが仲良くさせたっつーか、お前らが勝手に友達んなっただけだしぃ~~~!」
ふざけた口調で茶化すと、クスクス笑いが返ってきた。ミツバはピント外れのぼやけた写真を両手で持ち、懐かしいものでも見るように眺めた。輪郭もはっきりしない***を見つめて、楽しい思い出を語りだす。
「***さんは辛い物が好きなのね。このおせんべいを3枚も食べたのは、***さんが初めて。それにタバスコをかけたプリンを美味しいって言ってくれたのも。あっ!そういえば銀さんもそーちゃんとファミレスに行った時、タバスコをかけたパフェを一気飲みしてたわね!私のオススメした物を気に入って、倒れるほど食べてくれたのは、あなた達ふたりだけよ。そう考えると銀さんと***さんは、本当にお似合いのカップルねぇ」
「いやいやいやいやっ!俺あのパフェ気に入ってねーけど?気に入るどころか、半殺しにされてあんま覚えてねぇんだけどぉぉぉ!?え、っつーか***のヤツ、このせんべえ3枚も食ったのかよ?そりゃぶっ倒れるっつーの。さすが田舎生まれは肝が据わってら。そんじょそこらのヤツらとは気合が違ぇよなぁ」
かぶき町のことも***が教えてくれた、とミツバは続けた。アルバムの写真以上に、***の言葉がつむいだ街は色鮮やかで、とても魅力的だった。この街の四季折々の景色が見てみたい。銀時のように少し変わってはいるが人情味のある人たちに出会いたい。美しい風景や優しい人々に囲まれて暮らせたら、さぞ楽しいだろう。大江戸スーパーのタイムセールの戦い方を***に指南されて、もう江戸で主婦をしている気分になった、と言ってミツバはケラケラと笑った。
「それに***さんは、春になったらお花見に行こうって、夏にはお祭りに連れていくって、来年のことまで約束してくれたわ。昔から身体が弱いせいで、そんな風に言ってくれる友達はあまりいなくて……だから本当に嬉しかった。あの、銀さん、もしかして銀さんは……***さんならそうするって分かってて、わざと伝えなかったんじゃないんですか?その、私の病気のことを……」
柔らかい微笑みと共に尋ねられた質問には、とてもじゃないが答えられない。ただ銀時はミツバのことを、この女はまわりが思うよりもずっと賢くて強いと思っていた。たとえ医者が隠しても、病のことはミツバ自身が一番よく分かっている。それでも尚、ミツバの幸せを望む人たちの為に「私は幸せにならなきゃ」と気を張って生きているのだ。
励ましてやりたいが、銀時は事情を知っているから、上辺だけの言葉しか並べられない。だから知らず知らずのうちに、***を頼っていた。
何も知らない***なら、ミツバがいちばん望む言葉を迷いなく言うだろう。お世辞でもなく、幸せな未来を本気で約束してみせる。この先もずっと一緒に生きていけると1ミリも疑わずに、あのまっすぐな瞳で。***なら必ずそうするだろうと、確かに銀時は分かっていた。
頭をガリガリと掻きながら、わざと気の抜けた声を出す。せっかく***が残していった希望を、踏みにじるわけにはいかなかった。
「なにを勘ぐってんだか知らねーが、***がめっさ頑固で、一度決めたら絶対に曲げない、ごっさ強情な女ってことだけは俺ァよーく知ってるよ。激辛せんべえ一気食いするよーな、ド根性女に懐かれちまってアンタこれから苦労するぞ。花見も祭りも***は口約束なんかじゃ許さねぇ。たぶん家まで迎えに来るよ?なんならひと月前からギャーギャー騒いでうるせぇよぉ~?ま、せいぜいアイツを泣かさねぇように、さっさと退院してスーパーでもどこでも一緒に行ってやるこったな」
「ふふふっ!そうね、銀さんの言うとおり、元気にならなきゃ。はやく退院して***さんとかぶき町を歩いてみたいの。それに話したいこともたくさんあるわ。私の幸せは私が決めていいって***さんが言ってくれたから、この江戸で暮らしていく決心ができたのよ」
手の中のポラロイドを見つめながら、ミツバは愉快そうだった。まるで***がそこにいるかのように微笑むものだから、銀時までつられて笑いを漏らした。
写真を寝巻のポケットにしまったミツバが、ふと銀時に昨日は山崎と何を話してたのかと訊いた。何でもないと誤魔化したが「気になる」と引き下がられて、懐からビデオテープを取り出す。古びたテープはアダルトビデオがダビングされたもので、タイトルに『ナースの花ビラビラ』と書かれていた。
「野暮なこと聞くねェ。男が隠れてコソコソ話してたらコレの話題に決まってるだろ~、アンタも見る?」
ニヤつきながらテープをひらひら振ると、ミツバは吹き出して「男の子っていくつになってもそうなのね」と笑った。ミツバは武州での思い出を語りながら、青白い手で寝巻のポケットの上を撫で続けた。そこに入れられた***との写真を、愛おしむような手つきだった。
それを眺めてぼうっとしていた銀時の耳に、遠くから「ゴホゴホ」という音が届いた。気づいた時にはミツバは布団に伏せて、両手で覆った口から激しい咳をしていた。さっきまで愉快そうに笑っていたのが一変して、血の気が引いた顔は真っ青だった。銀時は頭から冷や水を浴びた気がして、背筋までヒヤリと凍りついた。
「お、オイッ……!」
そこからはあっという間だった。
ひときわ大きく咳き込んで、ミツバは喀血した。
シーツが血で赤く染まった瞬間、銀時はすかさずナースコールを押した。病んだ肺がひゅーひゅーと鳴る。
必死に空気を吸ったミツバが、力を振りしぼるように「銀さん」と呼んだ。血に染まった唇が何かを伝えようとしていた。おずおずと銀時が顔を寄せて聞き耳を立てると、ガサガサした声が響いた。
「ぎ、さ、おねが、……は、……でっ!」
「っ……!!分かった、分かったから……もう喋るな!すぐ医者が来る、しっかりしろ!!」
うなずきながら背中をさすってやると、ミツバは意識を失った。医者や看護師が、ストレッチャーと共に飛び込んで来る。瞬く間にガラス張りの集中治療室に移されて、呼吸器をつけて横たわった姿はあまりに痛々しかった。見ているのもツラかったが、銀時はガラス越しにベッドの上に力なく置かれたミツバの手を眺めていた。その手がまた動き出して、ポケットの中の写真を優しく撫でるんじゃないかと、期待せずにいられなかった。
***は病院からいちばん近いスーパーに飛び込んだ。急いでフィルムを買ったが、店を出るともう雨がふりはじめていた。雨足はどんどん強まり、病院に戻った時には全身しっとりと濡れていた。ハンカチで髪を拭き、着物をパタパタとあおいで乾かす。ミツバの部屋に向かうまでの廊下がなぜかとても騒がしい。
駆けてきた看護師たちが、すれ違いざまに「容体の急変」やら「緊急オペ」やら、不穏な単語を叫ぶ。それを見送ってから***はようやく病室にたどりついた。
「ミツバさん、銀ちゃん、ただいま戻りました!お待たせしてすみませんって……あ、あれっ!?」
ドアを開けた瞬間、***は息を飲んだ。ふたりがいるはずの部屋には誰もいなかった。誰もいないどころか、さっきまで置かれていた荷物やパイプ椅子、ベッドのうえの布団まで無くなっていた。無人のまっさらな病室は寒々しい。開け放った扉の前でぽかんと立ち尽くす***の肩を、通りがかりの看護師が叩いた。
「どうかされましたか?」
「あっ、あの、ミツバさんは、このお部屋の患者さんは……どこに行ったんでしょうか?」
おろおろしてそう尋ねた時、***は自分がミツバの苗字すら知らないことに気づいた。
「あぁ、ここの人ならさっき、」
「***っ!!!お前、遅ぇんだよ!!!」
看護師の言葉を銀時の大声が遮った。きょとんとする***の腕をむんずとつかんで、勢いよく歩き出す。
***を引きずるように進む銀時が突然「見舞いは終いだ、帰るぞ」と言った。いきなりのことに「えっ!?」と声を上げたが、銀時は振り返りもしない。ただ淡々と冷めた声で、ミツバは病室を移ったと告げた。
「なっ、なんで?なんで急に移ったりするんですか!?もしかして……ミ、ミツバさんに何かあったの!?何か悪いことでも、」
「違ぇよバカ!!んなわけねーだろ!!あ゛~~~アレだよ、アレ、***が居ねぇうちに、婚約者とかいうオッサンが来て、あの個室じゃ狭ぇから新しい部屋に移らせるっつったんだよ!貿易商だかなんだかの?めっさ金持ちな男で?しかもあの女にぞっこんだから?病院のヤツらに札びら渡して引っ越しさせるんだと!んで、お前たちも出直せって、追い払われちまったんだよ!!」
「お、追い払うなんてひどいです!私たちミツバさんのお友達なのに……帰れって言われて、分かりましたってすぐ引き下がったの?私がまだ戻ってないのに?あ、もしかして銀ちゃんまでお金渡されたんですか?そんなのダメだよ!」
ねぇ銀ちゃん!と声を荒げたら、前を行く背中が急に立ち止まった。バッと振り返った顔が不機嫌で、***は一瞬ひるみそうになる。でも簡単には諦められない。
腕をぶんぶんと振って銀時の手を払おうとしながら、ミツバの部屋も分からないのに廊下を引き返そうとした。そのとき銀時が懐から取り出した何かを、***の眼前に突きつけた。それを見た途端、動けなくなった。
「ナースの花、ビラビラ?な、何ですかコレ?」
「見りゃ分かんだろ、エロビデオだよ。いや~、コレすっげぇレアなヤツなんだよね。ホラ銀さんってナースモノ好きじゃん?婚約者のオッサンも意外と好きモンでさぁ、これダビングしてやるって言われてぇ~、ついつい受けとっちまったんだよねぇ~」
「~~~~っ、こここここんなの、見せびらかさないでよバカァァァ!!信じられない!こんなので追い払われるなんて、絶対にイヤです!!」
威勢よく反抗したが、あわあわした***の顔は湯気が出そうなほど真っ赤に染まった。人前に出しちゃダメと叫んで、ビデオテープを両手で覆う。銀時の懐にぐいぐいと押し戻していたら、頭上で「ぶはっ」と吹き出す声がした。片方の眉を下げて笑う銀時の表情は、どこか困っているように見えた。
「まぁ、こんなモンで俺を釣るくらい、婚約者ってのも大変なんじゃねーの?庶民と違ってセレブは忙しいから、仕事の合間縫って見舞いに来たんだろ。そしたらふたりきりになりてぇだろ。夫婦水入らずで過ごしてぇって言われちまったら、引き下がるしかあるめぇ。どーせ俺たちゃ暇なんだ、また落ち着いたら来りゃいいさ。な、***もそー思うだろ?」
「そ、それは確かに、そう、だけど……う~~……、じゃぁ、また日を改めて来ます。おふたりの邪魔しちゃいけないもんね」
「よーし、そんじゃァ***ちゃんは銀さんと一緒に、このビデオ見てお勉強しましょうね~!どうせ見たことねぇんだろエロビデオ?」
「あ、あるわけないし、この先も見ないですよ!もう銀ちゃん、さっきからスケベ親父っぽいのやめてよ!!」
イチゴのように真っ赤な顔で***はぷんぷんと怒った。その頭に大きな手がぽんっと乗り、子どもをあやすようによしよしと撫でた。掴んでいた腕を離して、銀時は***の手をにぎり直す。ふたりは強まる雨のなかにそろって踏み出して、病院を後にした。
雨はひと晩中、降りつづいた。
激しい雨に打たれながら、真選組は貿易会社の違法取引を制圧した。ひとりの女が死の淵で耐える夜、ひとりの男が刀を振るっていた。バイクの後ろに総悟を乗せて、銀時も現場に居あわせた。
ミツバの婚約者だろうと関係なく、悪事を働く男を土方は追い詰めた。銀時がその手助けをして、とどめを刺したのは総悟だった。真っ二つに斬られた高級車から炎が上がる。赤い炎に照らされながらタバコを吹かす土方を眺めて、銀時はぼんやりと思った。
———惚れた女に会うことすら、たったひと言話すことすら、テメェに許さねぇつもりかよ……
夜明けと共に、ミツバは逝ってしまった。
総悟に手を取られ見守られながら、穏やかな最期だったと山崎から聞いた。
あっけない、とは言いたくなかった。ほんのつかの間でも、懸命に病と闘う姿を見たし、生きる喜びに溢れた笑顔が、今も目に焼きついていたから。
雨が上がり、水たまりだらけの屋上に土方がひとり佇んでいた。背後の銀時には気づいてなかった。愛した女の死に目にも会わず、訃報を聞いても「そうか」としか言わない。そんな男が "ツラい" なんて到底言うはずもない。せんべいを齧りながら「辛ぇよ」とこぼす土方の声は、少しずつ鼻声になっていった。銀時はただ黙ってそれを聞いていた。
耳にミツバの笑い声が蘇った。めずらしく大口を開けて笑った顔が、カメラのシャッターを切った瞬間のように、鮮やかに思い出せた。今までだって、戦いの場でいくつもの死を見てきた。だが大切な人を亡くす喪失感には、いつまでも慣れることはない。
その証拠のように銀時は今、***に会いたくて仕方がなかった。あの顔や声が懐かしい。あの身体の温度が恋しい。いますぐ愛おしい女がそこに存在すると実感したかった。取り戻せないものを失って、胸にぽっかりと開いた穴は多分、***にしか埋められない。徹夜で疲れているのに頭は冴えていて、その奥深くで「出来ないことばかりだ」とふがいない声が響いた。
———刀ぶんまわしたって、病から人を救うことは出来ねぇ。生きたがってるヤツに、命を分けてやることも出来ねぇ。それに……、***には約束ひとつ出来ねぇ。俺の女だってそばに置いときながら、平和な明日さえ誓ってやれねぇ。幸せにするなんざ言えるはずもねぇ。それなのに俺は……あの男のように***を手放すことすら、もう出来っこねぇんだ
給水塔の影に隠れ、壁にもたれた銀時はミツバの置いていった激辛せんべいを齧った。「辛ぇ」と小さな声が漏れる。明るみはじめた江戸の空に星は少しずつ溶けはじめて、最後の輝きを放つとやがて完全に消えた。
真夜中の真選組の抗争なんて、一般市民の***には関係なかった。いつもどおり牛乳配達に出た午前4時、雨は激しかった。レインコートを着ても、入り込んだ雨で全身濡れた。真っ暗な曇天を見上げて、まるで空が悲しんで泣いているみたい、と***は思った。仕事を終えた頃にようやく雨は止んで、薄明るい空でチラチラと瞬く星が、見惚れるほど綺麗だった。
「***ちゃんも港に行かない?真っ二つの車なんて、そうそうお目に掛かれないし、一緒に見に行こうよ!」
ニコニコ牛乳の更衣室では、同僚たちがワイワイと騒いでいる。昨夜は大きな捕り物があって、どうやら真選組が大活躍したらしい。
港方面の配達に行った子が、高級車が真ん中でぱっかりと割られているのを見たと大興奮で叫んでいた。
「真選組が……?えっと、私はいいかなぁ。雨で冷えたからお風呂に寄りたいし。皆も見に行くのはいいけど、気を付けてね?」
はーい、と元気のいい返事と共に、女の子たちは出て行った。着物は水びたしで、下着まで雨が染み込んでいる。朝から開いている銭湯に寄るつもりだったが、着替えと下着が無い。困っていたら牛乳屋のおかみさんが助けてくれた。
「私の浴衣と腰巻でよければ貸したげる。***ちゃんみたいな今どきの子は、腰巻なんてイヤだろうけど」
「いいえ、田舎ではずっと腰巻だったのでイヤじゃないです。すごく助かりました、ありがとうございます!」
銭湯のお湯につかって身体を温めて、ショーツの代わりに腰巻をぎゅっと巻く。浴衣を着て髪を乾かした頃には、8時を過ぎていた。自宅へと自転車をこぎながら、今日はスーパーのアルバイトが無いから万事屋を訪ねて、銀時とミツバのお見舞いについて相談しようと考えていた。しかしアパートに着いた途端、その計画はあっけなく崩れた。
「えっ!?ぎ、銀ちゃん!?」
***の部屋の扉の前には、見慣れた銀髪頭があった。ドアに背をあずけて、銀時はうずくまるように座り込んでいた。急いで自転車を止めて駆け寄ると、その両肩をゆすった。
「銀ちゃん、大丈夫ですか!?どうしたの!?」
「んぁあ゛……?お~、***……」
ゆっくりと顔を上げた銀時の目は、眠たげにぼんやりしていた。重そうな下まぶたを指さして「ひどいくまです」と***が指摘したら「ボクサーに殴られたんだよ」と見え見えの嘘をついた。疲れた様子の銀時に肩を貸して立ち上がらせる。黒いシャツや着流しに触れると、わずかに湿っている。銀髪も水気を含んでいつもより色が濃い。寄りそった銀時の全身から雨の香りがした。
「雨のなか、お仕事、だったんですか……?」
その問いに答えはなかった。黙りこくったまま、銀時は畳の真ん中にあぐらをかいた。それに向き合った***は、銭湯で自分の髪を拭いたバスタオルを使って、濡れた銀髪を乾かそうと被せた。ぬくもりで包まれた銀時は、ホッとした表情を浮かべる。タオルを頭に乗せたまま、***は両手を銀時のほほに伸ばした。
「銀ちゃん、冷えちゃってる……」
思ったとおり雨に打たれたほっぺたは冷たかった。
***の手にはお風呂の熱が残っている。その温度を分けるように、小さな手のひらで銀時のほほをすりすりとさすった。
「このままじゃ風邪引いちゃうから、着替えましょう?確かこないだ置いてった寝巻が押し入れに、」
服を出そうと腰を浮かせたが立ち上がれない。銀時の手が***の両手を覆って引き留めていた。その指から雨と、ほのかに灰のような香りがする。***は心配になったが、何をどう聞くべきか分からず、ただ眉を八の字に下げた。恐る恐る「銀ちゃん?」と呼ぶと、銀時は溜息のように静かな声を出した。
「お前は……あったけぇ」
「え?あ、うん、お風呂に寄ってきたから……銀ちゃんはすごく疲れてるよね。お布団敷くから少し寝てください。起きたらまたミツバさんのお見舞いに、」
「***、こっち来て」
「へっ、うわゎっ……!?」
パサリ、と音を立てて銀時の頭からタオルが落ちた。両手を強く引っぱられて、***から抱きつくように距離が縮まる。気づいた時には唇に、銀時の唇がむぎゅっと押し当たっていた。驚いて身を引こうとしたが、両のほっぺたを大きな手がつかんで、ますます引き寄せられてしまう。「ん、んん、」と鼻にかかる声を上げて、***は広い肩を押し返したが効果はなかった。
「ん、っ、んぅっ———!」
結んだ唇の上を、銀時の舌が滑っていく。チロチロとした舌の動きが「口を開けろ」のサインとは分かっていた。でも、どうしよう、銀ちゃんまだ着替えてないのに、と悩む***を至近距離から見つめる赤い瞳に、わずかなイラ立ちが滲む。「早く開けろ」と声もなく命じられ、***のほっぺたに赤みがさした。いつも無理やりこじ開けるのに、と不審がりながら口を薄く開く。すかさずぶ厚い舌がぬるんっと入りこんできた。
「ぅんぁっ!?ふ……わぁ、ぁッ!」
すっとんきょうな声を上げたのは、銀時の舌が辛かったから。こすりつけるように絡まった場所から、***の舌にピリピリと刺激が走った。甘党の銀時とのキスはいつも、チョコレートやお砂糖の味がする。なのに今朝は正反対の味だ。驚きに固まる***の口の中で、舌は好き勝手に動いた。内頬やノドの奥の方まで辛さとひりつきが広がった。
———これって……唐辛子?ミツバさんのおせんべい、銀ちゃんも食べたの?でも、どうして?
「はぁっ、ぎ、ちゃ……か、からぃッ……!」
「ん、お前の口は、甘ぇな」
「っ……、な、なに言って、」
ぺろりと舌なめずりをする銀時と目が合って、心臓がドキッと跳ねた。***のほっぺたを包む手に力が入り、首を傾げた銀時が「あっつい顔して、赤ん坊みてぇ」と言った。ヤケドしそうな頬を撫でながら、太い親指の先が***の上唇をふにっと押す。桜色の唇は銀時の唾液にまみれて、頬と同じくらい熱い。濡れた唇と肌の境目をなぞって、指先は唇の形にそって動いた。
「***の口は甘くて、小せぇ」
銀時がじっと口元を見つめて呟く。骨ばった親指が下唇に移動して、くいっと開かせた。反射的に「あっ」と漏れた声は一瞬で飲み込まれた。ふたたび深く口づけられて、息と一緒に舌を吸われる。引っぱり出された***の舌先が、銀時の歯列や上顎に触れた。そのたびに唐辛子の辛さを感じて、注がれた唾液をこくんっと飲んだら、それもピリピリと痛みを残した。黒いシャツの胸元に両手でつかまり長いキスに耐えていたが、息苦しくて意識がぼうっとする。ねっとりと舐められる口腔だけじゃなく、酸欠状態の脳の奥までビリビリと痺れはじめていた。
「は、ぁ?***?オイ、しっかりしろ」
「っ、ふ、ぁ、はぁっ、ぁッ、」
永遠に思えたキスが終わると同時に、***は膝からへなへなと崩れた。やっと解放された唇で浅い呼吸を繰り返していると、銀時につよく抱き寄せられた。たくましい腕で身体を強く締めつけられて、すこし痛い。はぁ、と短い息を吐いた***は、目の前の肩に顔を伏せた。耳元ですんっと音がして、視線だけ横に向けると銀時が髪の匂いを嗅いでいた。
「……***、髪も洗った?すげぇいい匂い」
「さ、さっき、お風呂屋さんで、っ……、」
喋っている途中、銀時の手がうなじの上の黒髪を撫でた。手触りを楽しむみたいな手つきで、洗いたての髪をさらりと横に払う。首が露わになるや否や、銀時が耳の後ろに鼻を押しつけた。すぅっと深く息を吸うのが、主人の匂いを嗅ぐ飼い犬のようだと思った。こそばゆさに***は肩をきゅっとすくめた。
「っ……、く、すぐった、い」
「石鹸の匂い、けどそれだけじゃねぇ……花みてぇな匂いだと思ってたが、それだけとも違ぇのな***の匂いって。女の匂いっつーか……めっさ美味そうで、ごっさ嗅ぎたくなる」
「~~~~~っ、」
そんなことを言われたのは初めてで、どう返せばいいのか分からない。ただ恥ずかしさに肩が震えた。硬い鼻先が肌をかすめるたび、耳や耳たぶが熱くなって、その熱が首全体に広がっていった。見なくても首まで真っ赤だと分かる。だがそこに触れた柔らかいものが何かは、とっさに分からなかった。耳のすぐ下で「ちゅうっ」という音がして、銀時の唇だと気づいた。唇は吸っては離れをくり返して、ちゅ、ちゅ、と軽いリップ音を立てながら、首の横筋をどんどん降りて行く。
「銀ちゃっ……な、んか変、だよ?ど、したの?」
「あ?どしたって?どーもしねーよ」
また明らかな嘘に、***は困り果てた。
好きな人に抱きしめてキスをされるのは嬉しい。だけど銀時の疲れた顔が気になって仕方がない。銀髪はまだ湿って、手や腕は冷たいまま。なのに赤い瞳はギラついて、***を射抜くように見つめる。情事の時の熱視線とは少し違う。***の存在を目に焼き付けようとする切実な目つき。さらに困ったことにはその瞳の奥に、わずかな哀しみが滲んでいる。そのせいで***は「何があったの?」と口にできなかった。
首を降りていった唇が、鎖骨のうえに軽い接吻を落とす。くすぐったさと戸惑いで動けないでいる内に、銀時の手は***の浴衣をまさぐりはじめていた。お尻を揉みながら左手が裾をたくし上げ、胸を撫でながら右手が襟をはだけさせた。
「なんか、この浴衣、***にはデカくね?」
「っ……ぉ、おかみさんの、貸してもらって、」
「ブラジャーねぇし、パンツも履いてねぇし」
「ちがっ、あ、雨で、濡れちゃってね、それでっ」
「なーに焦ってんだよ?んな、泣きそうな顔すんなって。別に取って食おうってんじゃあるめーし」
「だ、だってっ———、」
銀時の手が***の両肩をつかんで持ち上げ、膝立ちにさせた。窓からさしこむ朝陽のなかに、***の上半身が入ってとても眩しい。襟の合わせを開かれたら、陽に照らされた鎖骨が白く染まった。銀時の手が浴衣の上をなめらかに滑り、胸のふくらみを包む。ふたつの柔い乳房に食い込む骨ばった指先と、男らしい血管の浮いた手の甲が、朝の光のなかでよく見えた。
「んんっ、やぁ……ね、ねぇ、ぎんちゃん」
「あー?あんだよ」
「そのっ、朝からこんなの、だ、ダメなんじゃ」
「はは、別に時間なんざ関係ねーだろ」
呆れたように笑う銀時の顔は、やっぱり少し疲れている。セックスの時に似て大きな手は***に快感を与えるが、身体を欲しているというより、その身体の実体を確かめているみたいに思えた。見つめ合った赤い瞳には欲情や興奮より、もっと複雑な感情が渦巻いてるから、***は混乱するばかりだった。
———銀ちゃん、一体どうしたの?なにか、哀しいことがあったの?私には言えないような、ことなの……?
突然の寂しさに、心臓がチクチクした。胸を揉まれてはだけた襟元に、銀時が顔を寄せる。薄い浴衣の上から乳房にぱくりと食いつかれて、その先端をきゅうっと吸われた。「ひゃあっ」と声を上げて***の腰は崩れかけたが、銀時の手で支えられた。敏感な蕾はあっという間に硬くなって、くにゅくにゅと甘噛みされると背筋に甘い刺激が走っていく。
銀時が口を離すとその舌先から、濡れそぼった***の浴衣の胸に唾液の糸が引いた。ぐっしょり濡れた胸元と布を押し上げてピンッと立った乳首が陽ざしに照らされて、泣きたくなるほど恥ずかしい。銀時の肩に両手をついた***は、弱々しい声で尋ねた。
「ぎん、ちゃんっ……す、するの?」
「するよ」
何を、なんて言う必要もない。間髪入れずに返ってきた答えに、***はカタカタと震えた。これからされることに緊張して、どうしようもなく敏感な身体が恥ずかしくて、無口な銀時が何を思っているのか分からずに不安で、胸が張り裂けそうだ。
「っ……せ、せめて、お布団を、」
「いやムリ、んな悠長なこと言ってらんねぇ」
「あっ!ゃ、ん、ぁああっ……!!」
すがるような***の提案は一蹴されて、ふたたび胸に噛みつかれた。襟の合わせをガバッと開かれ、ふるんとこぼれた裸の乳房に直接、銀時の犬歯が食い込む。
困惑と気持ちよさに同時に襲われて、***がびくんっと飛び跳ねると、顔を上げた銀時が乳首に噛みついたまま言った。
「俺ァ、我慢、出来ねぇんだよ、***」
「ぎ、銀ちゃ、ぁッ……!」
———銀ちゃんが切ない声で言うのに、銀ちゃんが哀しい目をしてるのに、私はどうしたらいいのかも分からない……。銀ちゃんの切なさを分け合うなんて、私には出来ないのかな?哀しみを癒すには力が足りないのかな?だからなんにも教えてくれないの?じゃぁ、この身体は役に立つ?私を抱けば少しは楽になるの?ねぇ銀ちゃん、私に出来ることって、あるの……?
キリキリと痛む心臓を抱えた胸元に、銀時がすがりついてくる。大きな手が乳房や太もものうえを荒々しく這いまわる。朝陽で真っ白に光る銀髪に見惚れて、抵抗なんて出来ない。あぁ、と吐息まじりの声を漏らして、***は銀時の頭を胸にかき抱いた。いったい私に何が出来るというのだろう、と無力感に襲われながら。
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【(3)ふがいない人】to be continued...
開いたばかりの花が散るのを