銀ちゃんの恋人
永遠のひと
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【(2)曇りなき人】
透きとおった瞳の女の子。それが***の第一印象だった。見つめ合った黒目は澄んでいて、よこしまな考えが一切ない。まっすぐなまなざしだけで、この人は嘘をつかないと思った。あのつかみどころのない銀時が、彼女の前では穏やかな男になった。その理由は、少し言葉を交わしただけでミツバにもすぐ理解できた。
涼しい顔で隠していても実は不安だらけだったミツバに、***はそっと寄り添った。邪念のない笑顔が病気や疲れを忘れさせてくれた。軽やかな声は草原で揺れる花に似て「ミツバさん」と呼ばれると心が弾んだ。江戸に来て初めて仲良くなった女の子だった。
おせんべいを齧りながら雑誌をめくり、お喋りをしただけ。ただそれだけのことが楽しくて仕方がなかった。十代の頃から暮らしの切り盛りで忙しかったし、病弱なミツバにはこんな風に女友達と過ごす時間は無かった。***が隣にいるとほのぼのした気持ちになって、心配ごとは遠のき、未来はどこまでも明るいと思えた。
また会いたいと言った時、両手を掲げて「もちろん」と答えた***の姿を、ミツバは何度も思い出した。瞳を閉じると花が咲くようなあの笑顔が浮かんで、夜の静かな病院も怖くなかった。出会ったばかりの相手にあんなに一生懸命接してくれる***にだったら、どんな秘密でも打ち明けられそうな気がした。
「昨日はまた辛いせんべいを食べただろう?身体にさわるからダメだと言ったのに」
「当馬さん、ごめんなさい、どうしても食べたくなってしまって……」
翌朝はやくに婚約者が見舞いに来て、顔色が悪いと心配されてしまう。見合いで出会ってから、ずっと親切にしてもらっている。病気がちな妻に嫌な顔ひとつしない優しい旦那様だ。慣れない都会生活も、この人とならきっと乗り越えられる。
「今夜は仕事で来られないけど、明日また来るよ」
「ええ、分かったわ」
この結婚で必ず幸せになれる。総悟の為にも幸せにならなきゃいけない。心は決まっているのに、後ろめたさが消えないのはなぜだろう。多忙な婚約者が出て行き、ひとりきりの病室でミツバはため息をついた。
朝9時、牛乳屋さんの仕事を終えた***は、その足で大江戸病院に向かった。待ち合わせたはずの銀時が、30分待っても現れない。しびれを切らした***がロビーから万事屋に電話をかけると、銀時が眠たそうな声で「へーい」と出た。
「うそ、もしかして銀ちゃん、寝坊しちゃった?ミツバさんのお見舞いって約束忘れてないですよね?」
『わりぃ、寝坊っつーかいま起きたわ。あのネーチャンの見舞いだろ?忘れてねーよ、ちゃんと行くっつーの……あ゛ー、けど急に依頼入っちまったから、それ終わったら行くわ。まぁ別に俺がいなくても***ひとりで十分だろ。アイツもお前に会いてぇっつってたんだし』
「ちがうよ、ミツバさんは銀ちゃんにも会いたいと思うよ?だからお仕事終わったら来て下さい。あっ、そうだ!来る時に私のカメラを取ってきてもらえますか?牛乳屋のおじさんがくれたポラロイド、レンズ覗いても真っ暗で壊れてたから、源外さんに修理をお願いしてたでしょう?」
『そういや、***さァ……あのカメラ壊れてなかったんですけど。レンズカバー付けっぱなしだっただけなんですけどォ。いくら機械音痴でもダサすぎる勘違いなんですけどォォ~!お前ってアレだろ、テレビとか映らなくなったら、横っ面バンバン叩いて壊しちまうタイプだろ?母ちゃんか?***は母ちゃんですか?大概のモンは叩けばいいって思ってる、昔ながらの母ちゃんなんですかァァァ!?』
「しっ、失礼な!昔ながらの母ちゃんって何ですか!?乱暴な銀ちゃんと違って私テレビ叩かないもん。機嫌直して~って優しく撫でるタイプだもん……って、そんなことはどうでもいいんですよ!とにかくカメラ持ってきて下さい。ミツバさんと写真撮りたいから!」
銀時はゲラゲラと笑ってから電話を切った。
「もうっ!」とぷりぷり怒りながら廊下を行く***は大荷物だ。差し入れの入った紙袋と風呂敷包みを両手に持っている。昨日ミツバに会いたいと言われたのが嬉しくて、はりきりすぎてしまった。ウキウキした足取りで病室に辿りつき、ドアを開けると、ミツバはベッドに起きて迎えてくれた。
「ミツバさん、おはようございます!」
「あらあら、おはよう***さん、こんなに朝早くから来てくれて嬉しいわ。私のために、ずいぶん早起きしたんじゃない?」
「牛乳配達があるので、朝はいつも早いんですよ。そうだ、これ今日もおせんべい持ってきました。あとこっちは私の実家の牛乳と、その牛乳で作ったプリンもあります。後で食べてください」
「まぁ、瓶の牛乳なんて久しぶりに見たわ!手作りのプリンも美味しそうねぇ。***さんは毎朝、牛乳配達をしてるの?自転車で?」
「そうです、かぶき町で牛乳を配ってます」
そう答えた***に、ミツバはまだ不慣れなこの街のことを教えて欲しいと頼んだ。いいですよ、とうなずいて懐からいつも持ち歩いている地図を取り出す。表はかぶき町、裏には江戸全域が載っている。出稼ぎに来てすぐに買ったそれに、街のあらゆる場所を目印として書き込んできた。年期の入った地図をミツバは宝の地図でも見るような目で見て「わぁ!」と感嘆の声を上げた。
「“万事屋銀ちゃん”ってことは、ここが銀さんのお家ね?それからこっちの“自宅”って所が、***さんのお家かしら?」
「はい、そうです。それからここに私の働いている牛乳屋さんがあって、その先の大江戸スーパーでもアルバイトしてます」
色付きのペンで印をつけられた場所を、ひとつひとつ指さして、***はかぶき町の様々な場所を紹介した。
この河川敷では夏になると綺麗な花火が上がります。秋はこの神社で焼き芋大会が、冬はこの広場で雪像祭りが開催されます。春には———
「春には桜が綺麗ですよ。あ、そうだ、アルバムを持ってきたんですけど、よかったら見ませんか?」
「***さんが撮った写真?見せてほしいわ」
風呂敷をほどいてアルバムを取り出す。これを見ればきっと、江戸での暮らしが楽しみになるはず。そう思って持ってきたのだ。牛乳屋のおじさんにもらったカメラで、こつこつ写真を撮り貯めてきた。ミツバは瞳を輝かせてアルバムのページをめくりはじめた。しかし数ページ進んだところで手が止まる。そこにはお花見の写真があり、万事屋と真選組が入り乱れてどんちゃん騒ぎをしている。言葉もなくじっと眺めていたミツバが顔を上げて、おずおずと***に尋ねた。
「ねぇ***さん……その、毎年、お花見をするのかしら?この写真みたいに……この人たちと一緒に」
「あ、この人たちは万事屋のお友達みたいなもので、毎年お花見で一緒になるんです。来年はミツバさんも行きましょうね」
「えっ……えぇ、ぜひ!ぜひ一緒に行きたいわ!」
「やった!お弁当作りも手伝ってくれますか?お料理をいーっぱい作って、お重に詰めて持ってくんです」
「もちろん手伝わせて。こんなに大所帯のお花見だもの、たくさん作って持って行かなきゃ。私、辛い物を作るのは得意なの。とうがらしの天ぷらとか!」
「え゛っ……とうがらしの天ぷら?そ、それは、おいしそうですねぇ~……それじゃ買い出しから一緒に行きましょう。タイムセールで食材をゲットする為には、ミツバさんにも協力してもらわないと!」
来年の春が楽しみですね。屈託なく笑って***がそう言うと、ミツバも微笑んでこくこくと頷いた。
お花見だけじゃなくって、花火大会や雪像祭りだってミツバに行ってもらいたい。このかぶき町で楽しい思い出をいっぱい作るのだ。わくわくしながら***は地図を裏返して、江戸の広域地図を見下ろした。
「あ、ミツバさんのお家はどこらへんですか?」
「えっと、たぶんこのあたりかしら。かぶき町からだと遠いし、ちょっと不便なところなのよ。住宅ばかり並んでて周りに駅やバス停も無いから、***さんに遊びに来てほしいけれど、そんな無茶は困っちゃうわよねぇ。距離がありすぎるもの」
「全然平気ですよ!この距離なら自転車で40分、いや30分で行けます。銀ちゃんとバイクで行くって手もあるし……それより、ここは大きなお屋敷ばかりの高級住宅街じゃないですか!私なんかが遊びに行ってもいいんでしょうか?」
「ヤダわ、***さんったら、もちろんいいに決まってるじゃない!私のお友達なんだもの、いつでも遊びに来てちょうだい。***さんが居てくれた方が楽しいし、あんなに広い家にひとりだときっと私ツラ、っ……」
急にミツバは言葉を止めて口ごもった。輝いていた瞳が気まずそうに泳ぐ。「ミツバさん?」と問いかけると何かを隠すように弱々しく笑った。その微笑みが悲しそうに見えて、***は思わず尋ねていた。
「あの、ミツバさん……昨日、旦那さんに後ろめたいって言ってましたけど、もしかして今もまだ何か不安がありますか?私に出来ることがあったら何でも、」
「違うの***さん、私は……」
言い淀むミツバの顔が苦痛に歪んだ。
横になって少し休んだ方がいい。そう思って***が椅子から立ち上がったのと、蚊の鳴くようなミツバの声が「忘れられない人がいるの」と発したのは同時だった。驚いた***は「えっ」と言ったきり、その場で立ち尽くした。
「どうしても……忘れられない」
ぽかんとして固まった***を見て、ミツバは内心、ああ言ってしまったと後悔した。こんな話をするつもりはなかった。なのに口から勝手に出てしまった。
聞かなかったことにして、と取り繕うことも出来たのに、なぜだかその気になれない。***の曇りない瞳がどんなことでも受け止めてくれる気がして、ずっと胸に秘めてきたことが溢れ出した。
「そんな人がいるのに、別の人と結婚するなんて間違ってる気がするの。だから私、あの屋敷に居てもここに居ちゃダメなんじゃないかって心苦しくて」
生涯でただひとり、心底惚れた人だった。その人のそばに居たい、添い遂げたいと心から思った。だけどその想いは届かなかった。そうポツポツとつぶやくミツバの脳裏には、最後に会った時の土方の姿が浮かんでいた。
ちらりと視線を投げて寄こしただけの冷たい横顔。俺の相手はお前じゃない、と突き放す態度。寂しさや失望なんて微塵も感じなかった。ただひと目でも元気な姿を見れたことが、嬉しかった。
———十四郎さん、あなたは今もあなたのままなのね。自分のやるべきことだけに向かって、わき目もふらず、ふり返りもせず、あの頃と変わらずにずっと……
「告白もしたけれど“お前なんか知らない”ってフラれちゃったわ。不器用なあの人が、わざとそうしたって分かってるの。女にかまけてる暇なんて無い人だから……だから酷い態度で突っぱねて、諦めさせようとしてくれたって、それがあの人の優しさだって分かっていたのに……なかなか踏ん切れなかった」
それでこんな歳まで独り身を通してしまった。見合い話はいくらもあったが頑なに断ってきた。これ以上まわりに心配をかけられないと、ようやく吹っ切れて婚約したつもりだったのに、全然忘れてなんかなかった。
***は知る由もないが、さっきのアルバムに土方を見つけた瞬間は、息も出来なかった。万事屋や部下に囲まれて酒を飲む土方は笑っていた。来年の春、この目で直接その姿を見ることができたら、どれほど幸せだろう。もう一度会いたいと願っている自分に気づいて愕然とした。婚約者への後ろめたさや、あの屋敷で感じる孤独は、昔の想い人を今も忘れられない証拠だと、ついに気づいてしまった。
「恋人にもなれなかった相手を、いつまでも引きずるなんておかしいわよね。自分でも馬鹿みたいって呆れちゃうの。でもどうしても忘れられなくて……こんな気持ちで結婚するなんていけないことだし、やっぱり間違って、」
「間違いじゃありません!ミ、ミツバさんは全然!これっぽっちも!間違ってなんか、無いっ!!!」
「っ……、***さん?どうして……」
言葉を遮られて視線を上げたミツバは、驚きに声をなくした。そこで仁王立ちする***が、今にも泣き出しそうな顔をしていたから。両手をきつく握りしめて、小さなこぶしがカタカタと鳴る。潤んだ瞳から溢れそうな涙を、***は「うぅっ」と声をあげてこらえていた。ベッドの縁に座り、おずおずとミツバの手に手を重ねる。ふたつの手はどちらも冷たくて、触れることで温め合うみたいだった。
「ミツバさんは、ずっと好きだったんですね……不器用で優しい、その人のことを……その気持ちはおかしくなんてない。忘れられないからって呆れたりしないでください。人が人を好きだと思う気持ちは、誰にも奪えないから。それに……簡単に諦められる相手なら、すぐに忘れられるような人なら、最初っから好きになんてならないもの」
そう言って***はミツバをじっと見据えた。
澄んだ瞳に涙が溜まると、さらに透明度が増した。ガラス玉のように透きとおる瞳の奥に、***の心が全てさらけだされていた。ゆらゆら揺れる黒目を覗き込んだ時ミツバは、この人も同じ思いをしたことがある、と気づいた。
心底好きな相手に泣かされた夜が、冷たく拒絶された痛みが、ひとりぼっちで置いていかれる寂しさが、それでも捨てられない恋心が、その胸に杭のように深く突き刺さっていた。
———銀さんは、あの人とよく似てる……あんな人たちを好きになってしまうなんて、きっと私たちも似た者同士なのね。いつも焦がれるばかりで、帰りを信じて待つばかりで、ずっと苦しくって……
そう思うとなおさら、結婚する自分が後ろめたい。惚れたわけでもない相手に嫁ぐことを、裏切りだと責められても言いわけできない。しかし「ふぅ」と息をついて涙をひっこめた***は、柔らかい微笑みをうかべた。重ねたミツバの手を上からそっと握って、囁くような小さな声で予想外のことを言った。
「結婚を決めるまでに、ミツバさんはきっといっぱい悩んだんですよね?ものすごく苦しみながら、それでも勇気をふりしぼって、ようやく決めたことなんじゃないですか?……それが間違いだなんてありえない。少なくとも私は間違いと思わないです。忘れられない人を無理に忘れようとしなくていい。結婚だって諦めなくっていい。だって……ミツバさんの幸せは、ミツバさんが決めていいんだから。幸せになりたいって選んだことが、きっと正解だと思うから」
「***さん……」
知らぬ間に繋いでいた手をミツバは握り返した。***は眉を八の字に下げた困り顔で「えへへ」と笑った。
ひとり言のように「また私、なんか生意気でしたね。なにも知らないくせにぺらぺらと」と呟いて、ぺこりと頭を下げられた時、何もかもを許された気がした。
見合いも結婚も、土方を忘れられないことも、この江戸で暮らすと決めたことも間違いじゃなかった。
正解だと言われて初めて、ずっとその言葉が欲しかった、と思った。
「生意気なんかじゃないわ***さん。聞いてくれて嬉しかった。間違いじゃないと思ったら、ホッとした……おめでたい結婚を控えてるのに、いつまでもしんみりしてちゃダメね。マリッジブルーもいい加減にしなきゃ。あ、そうだ、***さんが作ってくれたプリンを食べたら元気が出るかも!」
「っ……、そうですね、食べましょう!実は銀ちゃんの分も作ってきたんですけど、こっそり私が食べちゃいます」
「それならオススメの食べ方を教えてあげるわ」
「え?プリンに食べ方なんてあるんですか?」
ニッコリと笑ったミツバは、ベッドサイドの引き出しからタバスコを取り出した。ふたつのプリンに赤い液体をたっぷりとかける。そういえば初めて銀時に会った日は、いちごパフェにかけたっけ。そう思い出しながら真っ赤に染まったプリンを差し出すと、***は青ざめてスプーンを持つ手が震えていた。
「さぁ、どうぞ。わぁ~、とっても美味しそうねぇ」
「あわわわわ」
食べながらミツバは何度も「なんて美味しいの!」と言った。とろりとしたプリンに絡みつくタバスコが絶妙だった。その隣で***は「い、いただきます!えいやッ!!」とやけのような声を上げて、ひと口ほおばった。最初は辛いと顔を歪めたが、すぐにプリンの甘さで中和された。恐々食べていたが次第に、辛さと甘さが交互にくるのが面白いと言って食べる速度が上がった。
「***さん、気に入ったかしら?」
「は、はいっ、あの、辛いけど時々くる甘さがアクセントになって、あっ、でもやっぱりすごく辛いかも、いや、甘いっ、うっわぁ~、なんでしょう、この不思議な感覚は……こんなの初めてです!」
「良かったわ~!私のオススメを***さんが気に入ってくれて、とっても嬉しい!」
そう言いながらミツバは唐辛子せんべいにも手を伸ばした。タバスコまみれのプリンに唐辛子がびっちりついたおせんべい。激辛なものに囲まれた***は「ぷっ」と吹き出した。「ミツバさんの辛いもの好きにはお手上げです」と笑われたら、ミツバも愉快になってアハハッと声を上げた。
「そこのお嬢さん達、ハイ、チーズ!」
———パシャッ
突然、部屋のドアの方から声がして、笑い顔のまま見ると銀時が立っていた。手に持つポラロイドカメラからジーッという音を立てて、1枚の写真が出てきた。
「銀ちゃん!お仕事お疲れさまです!」
「おー、***、ちゃんと見舞いしてたか?この病人は目離すとすぐ辛ぇモン食うからしっかり見張っとかねーと……って、いやいやいやいやッ!お、お前らなんつーモン食ってんだよ!?なにこの犬の餌の地獄バージョンみてーなヤツ!?真っ赤なマグマか!?お前らマグマでも食ってんのか!?」
「銀さん、マグマじゃなくてプリンですよ。タバスコをかける食べ方を***さんにオススメしてたの」
「オイィィィィ!そりゃプリンに対する冒とくだろォォォ!こないだのパフェといいコレといい、アンタ甘ぇモンに恨みでもあんのかよ!?」
「でも銀ちゃん、意外とこれ食べられますよ。辛さと甘さのコントラストがちょうどいい感じで。ホラ銀ちゃんも食べてみて」
「イヤだよバカタレが!誰が食うかよこんなゲテモン。この激辛女から変な影響受けてんじゃねーよ***~!プリンはそのまま食った方がうめぇに決まってんだろーが。ちょ、オイ、なに食わせよーとしてんだよ。オイやめろって俺ァ食わねぇって言っ、んぐ……!!ブッハァァァァ!!か、辛ッッッ!!!」
***は銀時の口に無理やりスプーンをさし入れた。
プリンを吹き出してギャーギャー騒ぐ銀時の手から、写真を受け取る。撮ったばかりの写真には、ミツバと***が大口を開けて笑う姿が浮かび上がっていた。ふたりでその写真を眺めて喜んだが、カメラ目線のも欲しくなった。
「銀ちゃん、もう一枚お願いします」
「んぁああ!?ったく……めんどくせーな」
並んでピースするふたりにレンズを向けてシャッターを切ったが、激辛プリンを食べた銀時の手は震えていた。出てきた写真はピントがずれて、顔がはっきりと見えない。仕方なくもう一度撮ろうとしたが、今度はフィルム切れで撮れなかった。フィルムを買ってくると部屋を飛び出そうとした***をミツバが引き留めて、最初に撮れた綺麗な方の写真を手渡した。
「これは***さんが持ってて。私はこっちの写真で十分だから」
「えっ、でもそっちは全然顔が映ってないですし、すぐにフィルムを買ってきますから、もう一度撮りましょう?いちばん綺麗に撮れたやつをミツバさんに持っててもらいたいです」
「ありがとう***さん……写真を見せてくれたことも、この街のことを教えてくれたことも、私の話を聞いてくれたことも、すごく嬉しかった」
「そ、そんなの大したことじゃ……私もっとミツバさんに見せたい写真や、教えてあげたいかぶき町のことがいっぱいあります。それに一緒にお花見に行ったりスーパーに行ったり、それから、そのっ、ミツバさんが嫌じゃなければ……あ、あの人のことを、さっき教えてくれた人の話を、もっと聞きたいです」
遠慮がちに***がそう言うと、ミツバはわずかに驚いてから、ゆっくりと微笑みを浮かべた。そして静かに噛みしめるような声で「ええ」と言った。
「私も、***さんに聞いてもらいたいわ」
***とミツバは穏やかな表情でうなずきあった。
それを見ていた銀時はポカンとして、はてなマークを浮かべたが、しばらくすると頭をガリガリ掻きながら口を開いた。
「相変わらず仲良しなこって……よかったな***、銀さんのおかげで友達が増えたじゃねーか」
「うん、ミツバさんとお友達になれて、ほんとに幸せです。ありがとう銀ちゃん!」
喜び溢れるふにゃふにゃした顔で、***は銀時に言った。あっそ、とぶっきらぼうに答えた銀時が、大きな手で***の頭をポンポンと撫でた。ミツバはそんなふたりを眺めて、クスクスと小さく笑った。
結局***は、フィルムを買ってくると部屋を飛び出して行った。気がつけば昼下がり、窓の外に広がる空は少し雲がぶ厚くなっていた。いちばん近いスーパーまでひとっ走りと自転車をこぎだした***を、ミツバは病室の窓の中から見送っていた。パイプ椅子に座る銀時がもうすぐ雨が降りそうなのに、と呆れた声を出した。ガラス越しに曇った空を見上げたら、対比のように曇りない***の瞳の、真剣なまなざしを思い出した。
———ミツバさんが嫌じゃなければ……あ、あの人のことを、さっき教えてくれた人の話を、もっと聞きたいです………
***になら何もかも話せる。その人は土方十四郎のことだと。どれほど土方のことを愛していたかを。銀時に似たぶっきらぼうな男の、底無しの優しさに、今なお惹かれてやまないことを。
その全てを打ち明けた時、きっとミツバは泣くだろう。そして***もミツバの為に泣いてくれるだろう。あの一点の曇りもない瞳からとめどなく涙を流して、全部を分かってくれると、ミツバは確信できた。
眼下に広がる景色のなかで、必死に自転車をこぐ背中がどんどん離れていく。あの小さく頼りない女の子に、話したいことがたくさんある。聞いてもらいたいことがいっぱいある。
それが叶わないことを知る由もなく、ミツバはじっと***の遠ざかる背中を見つめ続けていた。
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【(2)曇りなき人】to be continued...
まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない
透きとおった瞳の女の子。それが***の第一印象だった。見つめ合った黒目は澄んでいて、よこしまな考えが一切ない。まっすぐなまなざしだけで、この人は嘘をつかないと思った。あのつかみどころのない銀時が、彼女の前では穏やかな男になった。その理由は、少し言葉を交わしただけでミツバにもすぐ理解できた。
涼しい顔で隠していても実は不安だらけだったミツバに、***はそっと寄り添った。邪念のない笑顔が病気や疲れを忘れさせてくれた。軽やかな声は草原で揺れる花に似て「ミツバさん」と呼ばれると心が弾んだ。江戸に来て初めて仲良くなった女の子だった。
おせんべいを齧りながら雑誌をめくり、お喋りをしただけ。ただそれだけのことが楽しくて仕方がなかった。十代の頃から暮らしの切り盛りで忙しかったし、病弱なミツバにはこんな風に女友達と過ごす時間は無かった。***が隣にいるとほのぼのした気持ちになって、心配ごとは遠のき、未来はどこまでも明るいと思えた。
また会いたいと言った時、両手を掲げて「もちろん」と答えた***の姿を、ミツバは何度も思い出した。瞳を閉じると花が咲くようなあの笑顔が浮かんで、夜の静かな病院も怖くなかった。出会ったばかりの相手にあんなに一生懸命接してくれる***にだったら、どんな秘密でも打ち明けられそうな気がした。
「昨日はまた辛いせんべいを食べただろう?身体にさわるからダメだと言ったのに」
「当馬さん、ごめんなさい、どうしても食べたくなってしまって……」
翌朝はやくに婚約者が見舞いに来て、顔色が悪いと心配されてしまう。見合いで出会ってから、ずっと親切にしてもらっている。病気がちな妻に嫌な顔ひとつしない優しい旦那様だ。慣れない都会生活も、この人とならきっと乗り越えられる。
「今夜は仕事で来られないけど、明日また来るよ」
「ええ、分かったわ」
この結婚で必ず幸せになれる。総悟の為にも幸せにならなきゃいけない。心は決まっているのに、後ろめたさが消えないのはなぜだろう。多忙な婚約者が出て行き、ひとりきりの病室でミツバはため息をついた。
朝9時、牛乳屋さんの仕事を終えた***は、その足で大江戸病院に向かった。待ち合わせたはずの銀時が、30分待っても現れない。しびれを切らした***がロビーから万事屋に電話をかけると、銀時が眠たそうな声で「へーい」と出た。
「うそ、もしかして銀ちゃん、寝坊しちゃった?ミツバさんのお見舞いって約束忘れてないですよね?」
『わりぃ、寝坊っつーかいま起きたわ。あのネーチャンの見舞いだろ?忘れてねーよ、ちゃんと行くっつーの……あ゛ー、けど急に依頼入っちまったから、それ終わったら行くわ。まぁ別に俺がいなくても***ひとりで十分だろ。アイツもお前に会いてぇっつってたんだし』
「ちがうよ、ミツバさんは銀ちゃんにも会いたいと思うよ?だからお仕事終わったら来て下さい。あっ、そうだ!来る時に私のカメラを取ってきてもらえますか?牛乳屋のおじさんがくれたポラロイド、レンズ覗いても真っ暗で壊れてたから、源外さんに修理をお願いしてたでしょう?」
『そういや、***さァ……あのカメラ壊れてなかったんですけど。レンズカバー付けっぱなしだっただけなんですけどォ。いくら機械音痴でもダサすぎる勘違いなんですけどォォ~!お前ってアレだろ、テレビとか映らなくなったら、横っ面バンバン叩いて壊しちまうタイプだろ?母ちゃんか?***は母ちゃんですか?大概のモンは叩けばいいって思ってる、昔ながらの母ちゃんなんですかァァァ!?』
「しっ、失礼な!昔ながらの母ちゃんって何ですか!?乱暴な銀ちゃんと違って私テレビ叩かないもん。機嫌直して~って優しく撫でるタイプだもん……って、そんなことはどうでもいいんですよ!とにかくカメラ持ってきて下さい。ミツバさんと写真撮りたいから!」
銀時はゲラゲラと笑ってから電話を切った。
「もうっ!」とぷりぷり怒りながら廊下を行く***は大荷物だ。差し入れの入った紙袋と風呂敷包みを両手に持っている。昨日ミツバに会いたいと言われたのが嬉しくて、はりきりすぎてしまった。ウキウキした足取りで病室に辿りつき、ドアを開けると、ミツバはベッドに起きて迎えてくれた。
「ミツバさん、おはようございます!」
「あらあら、おはよう***さん、こんなに朝早くから来てくれて嬉しいわ。私のために、ずいぶん早起きしたんじゃない?」
「牛乳配達があるので、朝はいつも早いんですよ。そうだ、これ今日もおせんべい持ってきました。あとこっちは私の実家の牛乳と、その牛乳で作ったプリンもあります。後で食べてください」
「まぁ、瓶の牛乳なんて久しぶりに見たわ!手作りのプリンも美味しそうねぇ。***さんは毎朝、牛乳配達をしてるの?自転車で?」
「そうです、かぶき町で牛乳を配ってます」
そう答えた***に、ミツバはまだ不慣れなこの街のことを教えて欲しいと頼んだ。いいですよ、とうなずいて懐からいつも持ち歩いている地図を取り出す。表はかぶき町、裏には江戸全域が載っている。出稼ぎに来てすぐに買ったそれに、街のあらゆる場所を目印として書き込んできた。年期の入った地図をミツバは宝の地図でも見るような目で見て「わぁ!」と感嘆の声を上げた。
「“万事屋銀ちゃん”ってことは、ここが銀さんのお家ね?それからこっちの“自宅”って所が、***さんのお家かしら?」
「はい、そうです。それからここに私の働いている牛乳屋さんがあって、その先の大江戸スーパーでもアルバイトしてます」
色付きのペンで印をつけられた場所を、ひとつひとつ指さして、***はかぶき町の様々な場所を紹介した。
この河川敷では夏になると綺麗な花火が上がります。秋はこの神社で焼き芋大会が、冬はこの広場で雪像祭りが開催されます。春には———
「春には桜が綺麗ですよ。あ、そうだ、アルバムを持ってきたんですけど、よかったら見ませんか?」
「***さんが撮った写真?見せてほしいわ」
風呂敷をほどいてアルバムを取り出す。これを見ればきっと、江戸での暮らしが楽しみになるはず。そう思って持ってきたのだ。牛乳屋のおじさんにもらったカメラで、こつこつ写真を撮り貯めてきた。ミツバは瞳を輝かせてアルバムのページをめくりはじめた。しかし数ページ進んだところで手が止まる。そこにはお花見の写真があり、万事屋と真選組が入り乱れてどんちゃん騒ぎをしている。言葉もなくじっと眺めていたミツバが顔を上げて、おずおずと***に尋ねた。
「ねぇ***さん……その、毎年、お花見をするのかしら?この写真みたいに……この人たちと一緒に」
「あ、この人たちは万事屋のお友達みたいなもので、毎年お花見で一緒になるんです。来年はミツバさんも行きましょうね」
「えっ……えぇ、ぜひ!ぜひ一緒に行きたいわ!」
「やった!お弁当作りも手伝ってくれますか?お料理をいーっぱい作って、お重に詰めて持ってくんです」
「もちろん手伝わせて。こんなに大所帯のお花見だもの、たくさん作って持って行かなきゃ。私、辛い物を作るのは得意なの。とうがらしの天ぷらとか!」
「え゛っ……とうがらしの天ぷら?そ、それは、おいしそうですねぇ~……それじゃ買い出しから一緒に行きましょう。タイムセールで食材をゲットする為には、ミツバさんにも協力してもらわないと!」
来年の春が楽しみですね。屈託なく笑って***がそう言うと、ミツバも微笑んでこくこくと頷いた。
お花見だけじゃなくって、花火大会や雪像祭りだってミツバに行ってもらいたい。このかぶき町で楽しい思い出をいっぱい作るのだ。わくわくしながら***は地図を裏返して、江戸の広域地図を見下ろした。
「あ、ミツバさんのお家はどこらへんですか?」
「えっと、たぶんこのあたりかしら。かぶき町からだと遠いし、ちょっと不便なところなのよ。住宅ばかり並んでて周りに駅やバス停も無いから、***さんに遊びに来てほしいけれど、そんな無茶は困っちゃうわよねぇ。距離がありすぎるもの」
「全然平気ですよ!この距離なら自転車で40分、いや30分で行けます。銀ちゃんとバイクで行くって手もあるし……それより、ここは大きなお屋敷ばかりの高級住宅街じゃないですか!私なんかが遊びに行ってもいいんでしょうか?」
「ヤダわ、***さんったら、もちろんいいに決まってるじゃない!私のお友達なんだもの、いつでも遊びに来てちょうだい。***さんが居てくれた方が楽しいし、あんなに広い家にひとりだときっと私ツラ、っ……」
急にミツバは言葉を止めて口ごもった。輝いていた瞳が気まずそうに泳ぐ。「ミツバさん?」と問いかけると何かを隠すように弱々しく笑った。その微笑みが悲しそうに見えて、***は思わず尋ねていた。
「あの、ミツバさん……昨日、旦那さんに後ろめたいって言ってましたけど、もしかして今もまだ何か不安がありますか?私に出来ることがあったら何でも、」
「違うの***さん、私は……」
言い淀むミツバの顔が苦痛に歪んだ。
横になって少し休んだ方がいい。そう思って***が椅子から立ち上がったのと、蚊の鳴くようなミツバの声が「忘れられない人がいるの」と発したのは同時だった。驚いた***は「えっ」と言ったきり、その場で立ち尽くした。
「どうしても……忘れられない」
ぽかんとして固まった***を見て、ミツバは内心、ああ言ってしまったと後悔した。こんな話をするつもりはなかった。なのに口から勝手に出てしまった。
聞かなかったことにして、と取り繕うことも出来たのに、なぜだかその気になれない。***の曇りない瞳がどんなことでも受け止めてくれる気がして、ずっと胸に秘めてきたことが溢れ出した。
「そんな人がいるのに、別の人と結婚するなんて間違ってる気がするの。だから私、あの屋敷に居てもここに居ちゃダメなんじゃないかって心苦しくて」
生涯でただひとり、心底惚れた人だった。その人のそばに居たい、添い遂げたいと心から思った。だけどその想いは届かなかった。そうポツポツとつぶやくミツバの脳裏には、最後に会った時の土方の姿が浮かんでいた。
ちらりと視線を投げて寄こしただけの冷たい横顔。俺の相手はお前じゃない、と突き放す態度。寂しさや失望なんて微塵も感じなかった。ただひと目でも元気な姿を見れたことが、嬉しかった。
———十四郎さん、あなたは今もあなたのままなのね。自分のやるべきことだけに向かって、わき目もふらず、ふり返りもせず、あの頃と変わらずにずっと……
「告白もしたけれど“お前なんか知らない”ってフラれちゃったわ。不器用なあの人が、わざとそうしたって分かってるの。女にかまけてる暇なんて無い人だから……だから酷い態度で突っぱねて、諦めさせようとしてくれたって、それがあの人の優しさだって分かっていたのに……なかなか踏ん切れなかった」
それでこんな歳まで独り身を通してしまった。見合い話はいくらもあったが頑なに断ってきた。これ以上まわりに心配をかけられないと、ようやく吹っ切れて婚約したつもりだったのに、全然忘れてなんかなかった。
***は知る由もないが、さっきのアルバムに土方を見つけた瞬間は、息も出来なかった。万事屋や部下に囲まれて酒を飲む土方は笑っていた。来年の春、この目で直接その姿を見ることができたら、どれほど幸せだろう。もう一度会いたいと願っている自分に気づいて愕然とした。婚約者への後ろめたさや、あの屋敷で感じる孤独は、昔の想い人を今も忘れられない証拠だと、ついに気づいてしまった。
「恋人にもなれなかった相手を、いつまでも引きずるなんておかしいわよね。自分でも馬鹿みたいって呆れちゃうの。でもどうしても忘れられなくて……こんな気持ちで結婚するなんていけないことだし、やっぱり間違って、」
「間違いじゃありません!ミ、ミツバさんは全然!これっぽっちも!間違ってなんか、無いっ!!!」
「っ……、***さん?どうして……」
言葉を遮られて視線を上げたミツバは、驚きに声をなくした。そこで仁王立ちする***が、今にも泣き出しそうな顔をしていたから。両手をきつく握りしめて、小さなこぶしがカタカタと鳴る。潤んだ瞳から溢れそうな涙を、***は「うぅっ」と声をあげてこらえていた。ベッドの縁に座り、おずおずとミツバの手に手を重ねる。ふたつの手はどちらも冷たくて、触れることで温め合うみたいだった。
「ミツバさんは、ずっと好きだったんですね……不器用で優しい、その人のことを……その気持ちはおかしくなんてない。忘れられないからって呆れたりしないでください。人が人を好きだと思う気持ちは、誰にも奪えないから。それに……簡単に諦められる相手なら、すぐに忘れられるような人なら、最初っから好きになんてならないもの」
そう言って***はミツバをじっと見据えた。
澄んだ瞳に涙が溜まると、さらに透明度が増した。ガラス玉のように透きとおる瞳の奥に、***の心が全てさらけだされていた。ゆらゆら揺れる黒目を覗き込んだ時ミツバは、この人も同じ思いをしたことがある、と気づいた。
心底好きな相手に泣かされた夜が、冷たく拒絶された痛みが、ひとりぼっちで置いていかれる寂しさが、それでも捨てられない恋心が、その胸に杭のように深く突き刺さっていた。
———銀さんは、あの人とよく似てる……あんな人たちを好きになってしまうなんて、きっと私たちも似た者同士なのね。いつも焦がれるばかりで、帰りを信じて待つばかりで、ずっと苦しくって……
そう思うとなおさら、結婚する自分が後ろめたい。惚れたわけでもない相手に嫁ぐことを、裏切りだと責められても言いわけできない。しかし「ふぅ」と息をついて涙をひっこめた***は、柔らかい微笑みをうかべた。重ねたミツバの手を上からそっと握って、囁くような小さな声で予想外のことを言った。
「結婚を決めるまでに、ミツバさんはきっといっぱい悩んだんですよね?ものすごく苦しみながら、それでも勇気をふりしぼって、ようやく決めたことなんじゃないですか?……それが間違いだなんてありえない。少なくとも私は間違いと思わないです。忘れられない人を無理に忘れようとしなくていい。結婚だって諦めなくっていい。だって……ミツバさんの幸せは、ミツバさんが決めていいんだから。幸せになりたいって選んだことが、きっと正解だと思うから」
「***さん……」
知らぬ間に繋いでいた手をミツバは握り返した。***は眉を八の字に下げた困り顔で「えへへ」と笑った。
ひとり言のように「また私、なんか生意気でしたね。なにも知らないくせにぺらぺらと」と呟いて、ぺこりと頭を下げられた時、何もかもを許された気がした。
見合いも結婚も、土方を忘れられないことも、この江戸で暮らすと決めたことも間違いじゃなかった。
正解だと言われて初めて、ずっとその言葉が欲しかった、と思った。
「生意気なんかじゃないわ***さん。聞いてくれて嬉しかった。間違いじゃないと思ったら、ホッとした……おめでたい結婚を控えてるのに、いつまでもしんみりしてちゃダメね。マリッジブルーもいい加減にしなきゃ。あ、そうだ、***さんが作ってくれたプリンを食べたら元気が出るかも!」
「っ……、そうですね、食べましょう!実は銀ちゃんの分も作ってきたんですけど、こっそり私が食べちゃいます」
「それならオススメの食べ方を教えてあげるわ」
「え?プリンに食べ方なんてあるんですか?」
ニッコリと笑ったミツバは、ベッドサイドの引き出しからタバスコを取り出した。ふたつのプリンに赤い液体をたっぷりとかける。そういえば初めて銀時に会った日は、いちごパフェにかけたっけ。そう思い出しながら真っ赤に染まったプリンを差し出すと、***は青ざめてスプーンを持つ手が震えていた。
「さぁ、どうぞ。わぁ~、とっても美味しそうねぇ」
「あわわわわ」
食べながらミツバは何度も「なんて美味しいの!」と言った。とろりとしたプリンに絡みつくタバスコが絶妙だった。その隣で***は「い、いただきます!えいやッ!!」とやけのような声を上げて、ひと口ほおばった。最初は辛いと顔を歪めたが、すぐにプリンの甘さで中和された。恐々食べていたが次第に、辛さと甘さが交互にくるのが面白いと言って食べる速度が上がった。
「***さん、気に入ったかしら?」
「は、はいっ、あの、辛いけど時々くる甘さがアクセントになって、あっ、でもやっぱりすごく辛いかも、いや、甘いっ、うっわぁ~、なんでしょう、この不思議な感覚は……こんなの初めてです!」
「良かったわ~!私のオススメを***さんが気に入ってくれて、とっても嬉しい!」
そう言いながらミツバは唐辛子せんべいにも手を伸ばした。タバスコまみれのプリンに唐辛子がびっちりついたおせんべい。激辛なものに囲まれた***は「ぷっ」と吹き出した。「ミツバさんの辛いもの好きにはお手上げです」と笑われたら、ミツバも愉快になってアハハッと声を上げた。
「そこのお嬢さん達、ハイ、チーズ!」
———パシャッ
突然、部屋のドアの方から声がして、笑い顔のまま見ると銀時が立っていた。手に持つポラロイドカメラからジーッという音を立てて、1枚の写真が出てきた。
「銀ちゃん!お仕事お疲れさまです!」
「おー、***、ちゃんと見舞いしてたか?この病人は目離すとすぐ辛ぇモン食うからしっかり見張っとかねーと……って、いやいやいやいやッ!お、お前らなんつーモン食ってんだよ!?なにこの犬の餌の地獄バージョンみてーなヤツ!?真っ赤なマグマか!?お前らマグマでも食ってんのか!?」
「銀さん、マグマじゃなくてプリンですよ。タバスコをかける食べ方を***さんにオススメしてたの」
「オイィィィィ!そりゃプリンに対する冒とくだろォォォ!こないだのパフェといいコレといい、アンタ甘ぇモンに恨みでもあんのかよ!?」
「でも銀ちゃん、意外とこれ食べられますよ。辛さと甘さのコントラストがちょうどいい感じで。ホラ銀ちゃんも食べてみて」
「イヤだよバカタレが!誰が食うかよこんなゲテモン。この激辛女から変な影響受けてんじゃねーよ***~!プリンはそのまま食った方がうめぇに決まってんだろーが。ちょ、オイ、なに食わせよーとしてんだよ。オイやめろって俺ァ食わねぇって言っ、んぐ……!!ブッハァァァァ!!か、辛ッッッ!!!」
***は銀時の口に無理やりスプーンをさし入れた。
プリンを吹き出してギャーギャー騒ぐ銀時の手から、写真を受け取る。撮ったばかりの写真には、ミツバと***が大口を開けて笑う姿が浮かび上がっていた。ふたりでその写真を眺めて喜んだが、カメラ目線のも欲しくなった。
「銀ちゃん、もう一枚お願いします」
「んぁああ!?ったく……めんどくせーな」
並んでピースするふたりにレンズを向けてシャッターを切ったが、激辛プリンを食べた銀時の手は震えていた。出てきた写真はピントがずれて、顔がはっきりと見えない。仕方なくもう一度撮ろうとしたが、今度はフィルム切れで撮れなかった。フィルムを買ってくると部屋を飛び出そうとした***をミツバが引き留めて、最初に撮れた綺麗な方の写真を手渡した。
「これは***さんが持ってて。私はこっちの写真で十分だから」
「えっ、でもそっちは全然顔が映ってないですし、すぐにフィルムを買ってきますから、もう一度撮りましょう?いちばん綺麗に撮れたやつをミツバさんに持っててもらいたいです」
「ありがとう***さん……写真を見せてくれたことも、この街のことを教えてくれたことも、私の話を聞いてくれたことも、すごく嬉しかった」
「そ、そんなの大したことじゃ……私もっとミツバさんに見せたい写真や、教えてあげたいかぶき町のことがいっぱいあります。それに一緒にお花見に行ったりスーパーに行ったり、それから、そのっ、ミツバさんが嫌じゃなければ……あ、あの人のことを、さっき教えてくれた人の話を、もっと聞きたいです」
遠慮がちに***がそう言うと、ミツバはわずかに驚いてから、ゆっくりと微笑みを浮かべた。そして静かに噛みしめるような声で「ええ」と言った。
「私も、***さんに聞いてもらいたいわ」
***とミツバは穏やかな表情でうなずきあった。
それを見ていた銀時はポカンとして、はてなマークを浮かべたが、しばらくすると頭をガリガリ掻きながら口を開いた。
「相変わらず仲良しなこって……よかったな***、銀さんのおかげで友達が増えたじゃねーか」
「うん、ミツバさんとお友達になれて、ほんとに幸せです。ありがとう銀ちゃん!」
喜び溢れるふにゃふにゃした顔で、***は銀時に言った。あっそ、とぶっきらぼうに答えた銀時が、大きな手で***の頭をポンポンと撫でた。ミツバはそんなふたりを眺めて、クスクスと小さく笑った。
結局***は、フィルムを買ってくると部屋を飛び出して行った。気がつけば昼下がり、窓の外に広がる空は少し雲がぶ厚くなっていた。いちばん近いスーパーまでひとっ走りと自転車をこぎだした***を、ミツバは病室の窓の中から見送っていた。パイプ椅子に座る銀時がもうすぐ雨が降りそうなのに、と呆れた声を出した。ガラス越しに曇った空を見上げたら、対比のように曇りない***の瞳の、真剣なまなざしを思い出した。
———ミツバさんが嫌じゃなければ……あ、あの人のことを、さっき教えてくれた人の話を、もっと聞きたいです………
***になら何もかも話せる。その人は土方十四郎のことだと。どれほど土方のことを愛していたかを。銀時に似たぶっきらぼうな男の、底無しの優しさに、今なお惹かれてやまないことを。
その全てを打ち明けた時、きっとミツバは泣くだろう。そして***もミツバの為に泣いてくれるだろう。あの一点の曇りもない瞳からとめどなく涙を流して、全部を分かってくれると、ミツバは確信できた。
眼下に広がる景色のなかで、必死に自転車をこぐ背中がどんどん離れていく。あの小さく頼りない女の子に、話したいことがたくさんある。聞いてもらいたいことがいっぱいある。
それが叶わないことを知る由もなく、ミツバはじっと***の遠ざかる背中を見つめ続けていた。
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【(2)曇りなき人】to be continued...
まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない