かぶき町で牛乳配達をする女の子
牛乳(人生)は噛んで飲め
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【am.0:00】
田舎に帰ってからの二週間はあっという間に過ぎた。久しぶりに会った家族は、***の元気な姿を喜んだ。農園は相変わらずで、経営は楽ではないが、以前より家族の顔に余裕と笑顔が増えていて、***は安堵した。
気が付くと帰省最終日が近づき、明日の朝、電車で江戸へ戻る。囲炉裏のそばであぐらをかく父の隣に、***も座って最後の団らんを過ごす。
明日も朝早くから農園の仕事がある為、兄は既に部屋に引き上げた。まだ幼い末の弟が、***の膝に頭を乗せて、身体を丸めて眠っている。
「***、この二年間、本当によく頑張ってくれたなぁ。お前のおかげで牛乳の売り上げが上がって、うちの家計はかなり助かってる。こいつもやっと飯をたらふく食えるようになって、最近少し身体が大きくなったよ」
父親は手を伸ばして、***の膝の上の弟の頭を撫でた。
「うん、あんなに痩せっぽっちで女の子みたいだったこの子が、二年ぶりに会ったら立派な男の子になってて、びっくりしたよ。……でもこうやって寝てると、赤ちゃんの時と同じ顔してる」
そう言って、弟の寝顔を見て***は微笑む。慈しむような目で弟を見る、***の大人びた横顔を見て、父親はふっと微笑む。***の頭に大きな手をのせて優しく撫でた。
「江戸の街はどうだ。ここに比べたらずいぶん都会だが、うまくやっていけそうか」
「うん、お父さんの買ってくれた自転車のおかげで仕事は順調だよ。かぶき町は都会だけど、田舎者の私でも受け入れてくれる、いい街だよ」
「そうか……***には苦労をさせるなぁ。父さんのわがままで遠くの街でひとりぼっちにさせて……」
「なに言ってるのお父さん、わがままなんかじゃないよ。約束したじゃん、絶対に***農園を復活させるって。私頑張って牛乳配ってるんだから、弱気なこと言わないでお父さんも頑張ってよね」
二年前に見送った娘は、弟に負けず劣らずやせっぽっちだった。細い腕で風呂敷包みを抱いて、今にも泣きだしそうな顔で家を出ていったことを、父は思い出す。見送らないと言いながら、出ていく***の小さな後ろ姿をちらりと見た時、父の胸は引き裂かれるように痛んだ。
やっぱり行かなくていい、ずっと父さんの近くにいろと言って、抱きしめて引き留めたかった。できることなら自分の手元において、ずっとその笑顔を見ていたいと思った。
しかし、いま目の前にいる娘が二年前とは別人のように大人になり、清廉とした強い女性になっていることに父は驚きを隠せない。相変わらず身体は華奢だが、ろくな食べ物も口にできなかった二年前より、顔つきはふっくらし、心なしか体つきも女性らしくなっていた。いつの間に、娘はこんなに大きくなったのだろう。喜び以上に寂しさや切なさが父を襲った。
「それにお父さん、私ひとりぼっちなんかじゃないよ。かぶき町にお友達がたくさんできて、寂しくないから大丈夫だよ」
「そうか、それはよかった……その、あれはどうなんだ、その……そういう人はいるのか」
「そういう人って何?」
「いや………***に限って、まさかそれはないか。無い無い。あったら父さん、泣いちゃうもんなぁ~」
「はぁ?なんかよく分かんないけど、お父さんを泣かせるようなことはしないから大丈夫だよ、安心して」
娘が大人の女性らしくなったことで、江戸で恋人でもできたのではないかと父は疑う。しかしきょとんとした***の顔の、昔と変わぬ純粋さにほっとする。友達ができて、娘が寂しくないなら何よりだ。でも彼氏なんてできた日には、父は一生立ち直れないかもしれない。
風呂を出た母親がやってきて、最後の夜は***と一緒に寝たいと言う。***は嬉しくて顔をほころばせる。膝の上の弟を父が抱き上げて、それぞれ部屋へ引き上げる。母の部屋に布団をふたつ敷いて、それぞれに並んで座る。
「ねぇ***、寝る前に万事屋さんのお話を聞かせて」
「え?また?お母さん、ほんとに好きだね」
この帰省の間、母から江戸での暮らしについて聞かれるたびに、色々な話をした。なかでも万事屋の話が母のお気に入りだった。
何度も見せた写真を鞄から取り出して、母へ手渡す。花見の時、***が酔っ払ってしまう前に撮った、万事屋や真選組のみんなが写っているものだ。
はじめてこの写真を見せた時、母親はその個性溢れる顔ぶれに目を輝かせた。この人はどんな人、この子はどんな子、指さして問うてやまない母に、***はひとりひとり丁寧に答えた。
この子は神楽ちゃんっていって、とても可愛い女の子だよ。夜兎族という天人で、とっても力強くて大食漢なの。ご飯なんて炊飯器から直接食べるんだよ、すごいでしょ。
この子は新八くん。こっちに写ってる綺麗な人がそのお姉さん。お姉さん思いのすごく優しい子だよ。私と同じお通ちゃんファンでね、一緒にライブに連れてってくれたの。
この人は銀ちゃん。ほら見て、こーんなにやる気のなさそうな死んだ魚のような目をしてるのに、万事屋の経営者なの。私のことすぐからかうし、茹でダコとか言って馬鹿にするんだけど、困った時にはすごく頼りになるの。だからかな、かぶき町の人にすごく愛されてる人なの。テキトーだし、だらしないし、自分勝手な変な人だけど、みんなどこかで銀ちゃんに惹かれちゃうんだよ。不思議でしょう。
一生懸命、友達について話す***を見て、母親は微笑んだ。足を怪我した時に万事屋によくしてもらったことや、一緒に夏祭りに行ったこと、熱を出した時に看病してもらったこと、雪だるまを作ったり、花見に行ったこと…たくさんの思い出を***は語って聞かせた。
最後の夜、母がもう一度聞かせてほしいと言ったのは、銀時との出会いの話だった。酔っ払って橋から落ちそうになっていた銀時を、身投げと勘違いして必死に助けたと言うと、母は声を上げて笑った。
「それでね、どーんって倒れてきて、目を開けたと思ったら「ヤバい、吐く!」って言ってげろげろ~って!」
「あははははっ!あ~息ができないくらい面白い!」
「笑いごとじゃないくらい、大変だったんだよ!銀ちゃんに踏まれたせいで足怪我しちゃうし、歩けないって言ったらいきなり肩にかつがれるし、牛乳は噛んで飲むって言ったら「そんなこと今時だれも言わない」ってげらげら笑われて……これ、全部初対面の人にされたことだよ?信じられない!」
「あっはははっ!やだぁ、もうなんておかしな人、そんな変わった人、お母さんも会ってみたい」
布団に手をついて涙を流して笑っている母を見て、***も微笑む。膝を抱えて座った***が、置いてあった写真を手に取ると、膝の上で眺める。その写真の中の、いつも通りの締まりのない顔で鼻をほじっている銀時の顔を見て、懐かしさに胸が温かくる。自然と***の口元がゆるんで、穏やかな顔になる。
「銀ちゃんは変わった人だけど、お母さんも会ったらきっと好きになると思うよ」
何気なく言いながら顔を上げると、そこには真剣な目をして、でも唇に優しい笑みを浮かべた母が、***を見つめていた。
「ねぇ、お母さん思うんだけど……***はこの銀ちゃんって人が好きなんでしょう?」
「えっ?うん、好きだよ、いい人だもん」
「違う違う、そういう好きじゃなくて……」
呆れたように顔を横に振って、じっと***の瞳を見つめると、母はもう一度問いかけた。
―――***は銀ちゃんに、恋をしてるんでしょう?
思わぬ母の問いかけに***は「え、」と言ったきり動きを止めた。しばらくすると心の底から恥ずかしさが沸き上がってきて、顔がばぁっと熱くなる。頬を真っ赤に染めて、両手を身体の前でぶんぶん振る。
「何言ってんの、お母さん!こここここ、恋なんてするわけないじゃん!銀ちゃんは好きだけど、恋とかそんなんじゃ…」
「いいえ、それは恋です。お母さんには分かる。***は銀ちゃんに恋をしてるのね」
「なんでお母さんに分かるの?銀ちゃんに会ったこともないのに!」
「だって、***はすっごく分かりやすいもの。昔からあなた、本当に好きな子の前では顔を真っ赤にして、恥ずかしがってばかりだった。ほら寺子屋の太郎くんに片思いしてた時もそうだったでしょう。今でも***は変わらないのねぇ……銀ちゃんの話をするたび、自分の顔が赤くなってるの分かってる?その顔は恋してる顔よ。娘が恋してるかどうかくらい、母には一目瞭然です」
「寺小屋の太郎くんって、そんな昔の話まで言わないでよ恥ずかしい!……それに顔が赤くなりやすいってだけで、銀ちゃんを好きとは限らないでしょ!」
「銀ちゃんの話をする時だけよ。他にもいろんな人のこと聞いたけど、***の顔が赤くなるのは銀ちゃんの時だけ。きっと江戸にいる時もそうなんでしょう?***を茹でダコなんて言ってからかうのは、銀ちゃんだけなんじゃない?」
「へっ………!?」
思い返せば確かに、そんな風に自分をからかうのは銀時だけだと、はじめて***は気付く。
信じられない思いで唖然とする。母の言う通り、他の人の前で、照れたりはにかむことはあっても、銀時の前ほど顔が真っ赤に染まることはない。
「なんで?……なんでお母さん、そんなことまで分かるの?」
「それはねぇ、ここだけの秘密だけど……お父さんも***と同じで、出会ったばかりの頃、お母さんの前でだけ真っ赤になってたからよ。***が好きな人の前でだけ赤くなってしまうのは、お父さん譲りのとっても可愛い特徴なの」
「えぇ?そ、そうなの?」
そうなの、と確信に満ちた顔でうなずく母親を見て、***は赤い顔のままで考えこむ。膝をぎゅっと抱いて、小さくなる。自覚のなかった恋心を、まさか母親に指摘されるなんて、とんでもなく恥ずかしい。
「ねぇ、***、お母さんは***のその銀ちゃんへの気持ちを、とても嬉しく思うよ。簡単に恋じゃないって見切りをつけずに、どんな気持ちかよく考えて、大事にしてほしいな」
「……恋かどうかなんて、分からないよ。ただ困ってる時は助け合えたらいいなとか、近くにいたいなって思うけど……」
恥ずかしがって伏し目がちに答えた娘を見て、母はふっと笑うと口を開いた。
「それがいちばん大切なの。***、お母さんはね、お父さんと出会ってから毎日毎日恋してるの。苦しい時にずっとこの人が一番近くにいてくれたって思い出して、毎日お父さんを好きになってる。その恋心のおかげで、どんなに苦しいことも乗り越えてこれたし、これからも乗り越えていけるの。今までツラいこと沢山あったけど、その間もずっとお母さんは恋をし続けてきたんだよ……ずっと昔に、真っ赤な顔して君を幸せにするなんて言われたけど、お母さんはね、お父さんとならどんなに苦しくても不幸でも、それが幸せなの」
今まで聞いたこともない母の気持ちを知り、***は驚きと戸惑いを隠せない。***には恋なんて、よく分からない。そんな感情をしっかりと考えるにはあまりにも過酷な人生だったから。でも―――、と***は思う。
―――でも感情よりも先に、身体が覚えている感覚が蘇ってくる。***の頭を撫でる大きな手の温かさを。こっちにこいと引っ張っていく腕の力強さを。身体を抱きしめられた時の安心感を。頬に触れた唇のやさしさを。それらが蘇るほどに、***は銀時のそれがあったから、かぶき町での暮らしを乗り越えてこれたことに気付く。
あの橋の上で銀時に出会った時、***の中でかぶき町という街が輝きはじめた。
いつだったかお登勢に「***ちゃんはこの街に一年も住んでるとは思えないほど、純粋で世間擦れしてない」と言われたけれど、それはこんな街好きでもなんでもないと、投げやりに思って暮らしていたからだ。
かぶき町がどんな街なのかも知ろうともせず、好きになろうともしなかった。ただニコニコ笑って愛想よく、日々を無難に送っていた。街に馴染もうとか、街の人を好きになろうとか、全然思ってなかった。
それが銀時に出会ってから変わったのだ。銀時に手を引かれて、色々な場所へ行き、いろんな人に引き合わせられて、そして少しずつあの街のことを好きになれた。
馴染みかけた街に一線を引いて、家族への思いに困惑し続けていた***に、銀時は言葉もなく何度も「大丈夫だ」と伝えてくれた。そして***が家族に会いたい気持ちを認めて、それでもあの街で生きていくことを、何も言わずに銀時はずっと見守っていてくれたのだ。
うつむいて考え込む***に、母親の優しい声が届く。
「***、お母さんはあなたにも、つらいことがあった時に、一緒に乗り越えていけるような人がいたらいいなって思ってるよ」
「……ちがう、お母さん、そうじゃなくて……」
うつむいて写真をじっと見ながらつぶやく。自分でも全く気が付かないうちに目頭が熱くなって、瞳に涙がなみなみと溜まっていた。思いもよらない重大なことに気付いたように、***は目を見開く。
呆然とした顔を上げて、母を見つめる。言葉よりも先に、涙の粒がなんのつかえもなく、ぽたぽたと写真に落ちた。
「……***?」
「お母さん、私ずっと……銀ちゃんに見守ってもらってたんだ……一緒に乗り越えたんじゃなくて……私が立ち止まって泣いてた時に、しょうがねぇなって、世話がやけるなって言って、乗り越えさせてもらってたんだ、私……全然気づかなかった……」
「そうだったの……それで***はどうだったの?いま、どんな気持ちなの?」
「私………胸が苦しいよ、お母さん……心が痛くて、それで……っ、」
―――いますぐ会いたい、私、銀ちゃんに会いたいよ……
大粒の涙を流しながらそう言った***に「うん、そうだね」と母はうなずいた。***は涙で濡れた顔をぐしゃっとゆがめた。
はじめての感情に、胸が痛くて息もできない。怖くなって思わず身を乗り出すと、母親の胸に飛び込んで抱き着く。待ち構えていたかのように、両手を広げて***を受け止めた母が、優しく頭を撫でる。優しい声でさとすように語りかける。
「銀ちゃんへの気持ちを大切にしてね、***。その恋がうまくいってもいかなくても、とっても大事な気持ちだから」
「……どうして?……両想いでもない、ただ仲の良いだけの人のことを思う気持ちが、どうしてそんなに大事なの?」
自分の感情に困惑した顔で、母親を見上げる***に向かって、母はそれまででいちばん真剣な顔をして語った。
「***、よく聞いて。私はこの土地でたくさんの物が奪われていくのをこの目で見てきた。天人の落とした細菌のせいで、色んなものが根こそぎ無くなってしまった。何もかも失ったと思ったけど、唯一奪われなかった美しいものが、人が人を好きになる気持ちだったと私は思うの。人が恋する気持ちは、誰にも奪えないんだよ。そしてその恋のおかげで、お母さんは***に会えた。***が、お母さんに愛することを教えてくれたんだよ。だから、誰かを好きだと思う気持ちを、***にも大切にしてほしいと思うの。いつかそれが、***自身を助けてくれると思うから」
布団に座る母親の膝の上に頭をのせて、そのまま***は丸くなった。その頭を優しい手がずっと撫で続けた。
考えることにフル活用されて、脳が熱い気がする。もう疲れたというように、身体が***に眠りを求める。うつらうつらとして、まばたきが次第に長くなる。
温かい眼差しで自分を見下ろしている母を見て、小さな声で「お母さん」と呼びかける。でも、もう眠たくて、ちゃんと喋れているのかもよく分からない。
―――お母さん、分かったよ。私、大切にする、この気持ちも……銀ちゃんのことも―――
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no.32【am.0:00】end
田舎に帰ってからの二週間はあっという間に過ぎた。久しぶりに会った家族は、***の元気な姿を喜んだ。農園は相変わらずで、経営は楽ではないが、以前より家族の顔に余裕と笑顔が増えていて、***は安堵した。
気が付くと帰省最終日が近づき、明日の朝、電車で江戸へ戻る。囲炉裏のそばであぐらをかく父の隣に、***も座って最後の団らんを過ごす。
明日も朝早くから農園の仕事がある為、兄は既に部屋に引き上げた。まだ幼い末の弟が、***の膝に頭を乗せて、身体を丸めて眠っている。
「***、この二年間、本当によく頑張ってくれたなぁ。お前のおかげで牛乳の売り上げが上がって、うちの家計はかなり助かってる。こいつもやっと飯をたらふく食えるようになって、最近少し身体が大きくなったよ」
父親は手を伸ばして、***の膝の上の弟の頭を撫でた。
「うん、あんなに痩せっぽっちで女の子みたいだったこの子が、二年ぶりに会ったら立派な男の子になってて、びっくりしたよ。……でもこうやって寝てると、赤ちゃんの時と同じ顔してる」
そう言って、弟の寝顔を見て***は微笑む。慈しむような目で弟を見る、***の大人びた横顔を見て、父親はふっと微笑む。***の頭に大きな手をのせて優しく撫でた。
「江戸の街はどうだ。ここに比べたらずいぶん都会だが、うまくやっていけそうか」
「うん、お父さんの買ってくれた自転車のおかげで仕事は順調だよ。かぶき町は都会だけど、田舎者の私でも受け入れてくれる、いい街だよ」
「そうか……***には苦労をさせるなぁ。父さんのわがままで遠くの街でひとりぼっちにさせて……」
「なに言ってるのお父さん、わがままなんかじゃないよ。約束したじゃん、絶対に***農園を復活させるって。私頑張って牛乳配ってるんだから、弱気なこと言わないでお父さんも頑張ってよね」
二年前に見送った娘は、弟に負けず劣らずやせっぽっちだった。細い腕で風呂敷包みを抱いて、今にも泣きだしそうな顔で家を出ていったことを、父は思い出す。見送らないと言いながら、出ていく***の小さな後ろ姿をちらりと見た時、父の胸は引き裂かれるように痛んだ。
やっぱり行かなくていい、ずっと父さんの近くにいろと言って、抱きしめて引き留めたかった。できることなら自分の手元において、ずっとその笑顔を見ていたいと思った。
しかし、いま目の前にいる娘が二年前とは別人のように大人になり、清廉とした強い女性になっていることに父は驚きを隠せない。相変わらず身体は華奢だが、ろくな食べ物も口にできなかった二年前より、顔つきはふっくらし、心なしか体つきも女性らしくなっていた。いつの間に、娘はこんなに大きくなったのだろう。喜び以上に寂しさや切なさが父を襲った。
「それにお父さん、私ひとりぼっちなんかじゃないよ。かぶき町にお友達がたくさんできて、寂しくないから大丈夫だよ」
「そうか、それはよかった……その、あれはどうなんだ、その……そういう人はいるのか」
「そういう人って何?」
「いや………***に限って、まさかそれはないか。無い無い。あったら父さん、泣いちゃうもんなぁ~」
「はぁ?なんかよく分かんないけど、お父さんを泣かせるようなことはしないから大丈夫だよ、安心して」
娘が大人の女性らしくなったことで、江戸で恋人でもできたのではないかと父は疑う。しかしきょとんとした***の顔の、昔と変わぬ純粋さにほっとする。友達ができて、娘が寂しくないなら何よりだ。でも彼氏なんてできた日には、父は一生立ち直れないかもしれない。
風呂を出た母親がやってきて、最後の夜は***と一緒に寝たいと言う。***は嬉しくて顔をほころばせる。膝の上の弟を父が抱き上げて、それぞれ部屋へ引き上げる。母の部屋に布団をふたつ敷いて、それぞれに並んで座る。
「ねぇ***、寝る前に万事屋さんのお話を聞かせて」
「え?また?お母さん、ほんとに好きだね」
この帰省の間、母から江戸での暮らしについて聞かれるたびに、色々な話をした。なかでも万事屋の話が母のお気に入りだった。
何度も見せた写真を鞄から取り出して、母へ手渡す。花見の時、***が酔っ払ってしまう前に撮った、万事屋や真選組のみんなが写っているものだ。
はじめてこの写真を見せた時、母親はその個性溢れる顔ぶれに目を輝かせた。この人はどんな人、この子はどんな子、指さして問うてやまない母に、***はひとりひとり丁寧に答えた。
この子は神楽ちゃんっていって、とても可愛い女の子だよ。夜兎族という天人で、とっても力強くて大食漢なの。ご飯なんて炊飯器から直接食べるんだよ、すごいでしょ。
この子は新八くん。こっちに写ってる綺麗な人がそのお姉さん。お姉さん思いのすごく優しい子だよ。私と同じお通ちゃんファンでね、一緒にライブに連れてってくれたの。
この人は銀ちゃん。ほら見て、こーんなにやる気のなさそうな死んだ魚のような目をしてるのに、万事屋の経営者なの。私のことすぐからかうし、茹でダコとか言って馬鹿にするんだけど、困った時にはすごく頼りになるの。だからかな、かぶき町の人にすごく愛されてる人なの。テキトーだし、だらしないし、自分勝手な変な人だけど、みんなどこかで銀ちゃんに惹かれちゃうんだよ。不思議でしょう。
一生懸命、友達について話す***を見て、母親は微笑んだ。足を怪我した時に万事屋によくしてもらったことや、一緒に夏祭りに行ったこと、熱を出した時に看病してもらったこと、雪だるまを作ったり、花見に行ったこと…たくさんの思い出を***は語って聞かせた。
最後の夜、母がもう一度聞かせてほしいと言ったのは、銀時との出会いの話だった。酔っ払って橋から落ちそうになっていた銀時を、身投げと勘違いして必死に助けたと言うと、母は声を上げて笑った。
「それでね、どーんって倒れてきて、目を開けたと思ったら「ヤバい、吐く!」って言ってげろげろ~って!」
「あははははっ!あ~息ができないくらい面白い!」
「笑いごとじゃないくらい、大変だったんだよ!銀ちゃんに踏まれたせいで足怪我しちゃうし、歩けないって言ったらいきなり肩にかつがれるし、牛乳は噛んで飲むって言ったら「そんなこと今時だれも言わない」ってげらげら笑われて……これ、全部初対面の人にされたことだよ?信じられない!」
「あっはははっ!やだぁ、もうなんておかしな人、そんな変わった人、お母さんも会ってみたい」
布団に手をついて涙を流して笑っている母を見て、***も微笑む。膝を抱えて座った***が、置いてあった写真を手に取ると、膝の上で眺める。その写真の中の、いつも通りの締まりのない顔で鼻をほじっている銀時の顔を見て、懐かしさに胸が温かくる。自然と***の口元がゆるんで、穏やかな顔になる。
「銀ちゃんは変わった人だけど、お母さんも会ったらきっと好きになると思うよ」
何気なく言いながら顔を上げると、そこには真剣な目をして、でも唇に優しい笑みを浮かべた母が、***を見つめていた。
「ねぇ、お母さん思うんだけど……***はこの銀ちゃんって人が好きなんでしょう?」
「えっ?うん、好きだよ、いい人だもん」
「違う違う、そういう好きじゃなくて……」
呆れたように顔を横に振って、じっと***の瞳を見つめると、母はもう一度問いかけた。
―――***は銀ちゃんに、恋をしてるんでしょう?
思わぬ母の問いかけに***は「え、」と言ったきり動きを止めた。しばらくすると心の底から恥ずかしさが沸き上がってきて、顔がばぁっと熱くなる。頬を真っ赤に染めて、両手を身体の前でぶんぶん振る。
「何言ってんの、お母さん!こここここ、恋なんてするわけないじゃん!銀ちゃんは好きだけど、恋とかそんなんじゃ…」
「いいえ、それは恋です。お母さんには分かる。***は銀ちゃんに恋をしてるのね」
「なんでお母さんに分かるの?銀ちゃんに会ったこともないのに!」
「だって、***はすっごく分かりやすいもの。昔からあなた、本当に好きな子の前では顔を真っ赤にして、恥ずかしがってばかりだった。ほら寺子屋の太郎くんに片思いしてた時もそうだったでしょう。今でも***は変わらないのねぇ……銀ちゃんの話をするたび、自分の顔が赤くなってるの分かってる?その顔は恋してる顔よ。娘が恋してるかどうかくらい、母には一目瞭然です」
「寺小屋の太郎くんって、そんな昔の話まで言わないでよ恥ずかしい!……それに顔が赤くなりやすいってだけで、銀ちゃんを好きとは限らないでしょ!」
「銀ちゃんの話をする時だけよ。他にもいろんな人のこと聞いたけど、***の顔が赤くなるのは銀ちゃんの時だけ。きっと江戸にいる時もそうなんでしょう?***を茹でダコなんて言ってからかうのは、銀ちゃんだけなんじゃない?」
「へっ………!?」
思い返せば確かに、そんな風に自分をからかうのは銀時だけだと、はじめて***は気付く。
信じられない思いで唖然とする。母の言う通り、他の人の前で、照れたりはにかむことはあっても、銀時の前ほど顔が真っ赤に染まることはない。
「なんで?……なんでお母さん、そんなことまで分かるの?」
「それはねぇ、ここだけの秘密だけど……お父さんも***と同じで、出会ったばかりの頃、お母さんの前でだけ真っ赤になってたからよ。***が好きな人の前でだけ赤くなってしまうのは、お父さん譲りのとっても可愛い特徴なの」
「えぇ?そ、そうなの?」
そうなの、と確信に満ちた顔でうなずく母親を見て、***は赤い顔のままで考えこむ。膝をぎゅっと抱いて、小さくなる。自覚のなかった恋心を、まさか母親に指摘されるなんて、とんでもなく恥ずかしい。
「ねぇ、***、お母さんは***のその銀ちゃんへの気持ちを、とても嬉しく思うよ。簡単に恋じゃないって見切りをつけずに、どんな気持ちかよく考えて、大事にしてほしいな」
「……恋かどうかなんて、分からないよ。ただ困ってる時は助け合えたらいいなとか、近くにいたいなって思うけど……」
恥ずかしがって伏し目がちに答えた娘を見て、母はふっと笑うと口を開いた。
「それがいちばん大切なの。***、お母さんはね、お父さんと出会ってから毎日毎日恋してるの。苦しい時にずっとこの人が一番近くにいてくれたって思い出して、毎日お父さんを好きになってる。その恋心のおかげで、どんなに苦しいことも乗り越えてこれたし、これからも乗り越えていけるの。今までツラいこと沢山あったけど、その間もずっとお母さんは恋をし続けてきたんだよ……ずっと昔に、真っ赤な顔して君を幸せにするなんて言われたけど、お母さんはね、お父さんとならどんなに苦しくても不幸でも、それが幸せなの」
今まで聞いたこともない母の気持ちを知り、***は驚きと戸惑いを隠せない。***には恋なんて、よく分からない。そんな感情をしっかりと考えるにはあまりにも過酷な人生だったから。でも―――、と***は思う。
―――でも感情よりも先に、身体が覚えている感覚が蘇ってくる。***の頭を撫でる大きな手の温かさを。こっちにこいと引っ張っていく腕の力強さを。身体を抱きしめられた時の安心感を。頬に触れた唇のやさしさを。それらが蘇るほどに、***は銀時のそれがあったから、かぶき町での暮らしを乗り越えてこれたことに気付く。
あの橋の上で銀時に出会った時、***の中でかぶき町という街が輝きはじめた。
いつだったかお登勢に「***ちゃんはこの街に一年も住んでるとは思えないほど、純粋で世間擦れしてない」と言われたけれど、それはこんな街好きでもなんでもないと、投げやりに思って暮らしていたからだ。
かぶき町がどんな街なのかも知ろうともせず、好きになろうともしなかった。ただニコニコ笑って愛想よく、日々を無難に送っていた。街に馴染もうとか、街の人を好きになろうとか、全然思ってなかった。
それが銀時に出会ってから変わったのだ。銀時に手を引かれて、色々な場所へ行き、いろんな人に引き合わせられて、そして少しずつあの街のことを好きになれた。
馴染みかけた街に一線を引いて、家族への思いに困惑し続けていた***に、銀時は言葉もなく何度も「大丈夫だ」と伝えてくれた。そして***が家族に会いたい気持ちを認めて、それでもあの街で生きていくことを、何も言わずに銀時はずっと見守っていてくれたのだ。
うつむいて考え込む***に、母親の優しい声が届く。
「***、お母さんはあなたにも、つらいことがあった時に、一緒に乗り越えていけるような人がいたらいいなって思ってるよ」
「……ちがう、お母さん、そうじゃなくて……」
うつむいて写真をじっと見ながらつぶやく。自分でも全く気が付かないうちに目頭が熱くなって、瞳に涙がなみなみと溜まっていた。思いもよらない重大なことに気付いたように、***は目を見開く。
呆然とした顔を上げて、母を見つめる。言葉よりも先に、涙の粒がなんのつかえもなく、ぽたぽたと写真に落ちた。
「……***?」
「お母さん、私ずっと……銀ちゃんに見守ってもらってたんだ……一緒に乗り越えたんじゃなくて……私が立ち止まって泣いてた時に、しょうがねぇなって、世話がやけるなって言って、乗り越えさせてもらってたんだ、私……全然気づかなかった……」
「そうだったの……それで***はどうだったの?いま、どんな気持ちなの?」
「私………胸が苦しいよ、お母さん……心が痛くて、それで……っ、」
―――いますぐ会いたい、私、銀ちゃんに会いたいよ……
大粒の涙を流しながらそう言った***に「うん、そうだね」と母はうなずいた。***は涙で濡れた顔をぐしゃっとゆがめた。
はじめての感情に、胸が痛くて息もできない。怖くなって思わず身を乗り出すと、母親の胸に飛び込んで抱き着く。待ち構えていたかのように、両手を広げて***を受け止めた母が、優しく頭を撫でる。優しい声でさとすように語りかける。
「銀ちゃんへの気持ちを大切にしてね、***。その恋がうまくいってもいかなくても、とっても大事な気持ちだから」
「……どうして?……両想いでもない、ただ仲の良いだけの人のことを思う気持ちが、どうしてそんなに大事なの?」
自分の感情に困惑した顔で、母親を見上げる***に向かって、母はそれまででいちばん真剣な顔をして語った。
「***、よく聞いて。私はこの土地でたくさんの物が奪われていくのをこの目で見てきた。天人の落とした細菌のせいで、色んなものが根こそぎ無くなってしまった。何もかも失ったと思ったけど、唯一奪われなかった美しいものが、人が人を好きになる気持ちだったと私は思うの。人が恋する気持ちは、誰にも奪えないんだよ。そしてその恋のおかげで、お母さんは***に会えた。***が、お母さんに愛することを教えてくれたんだよ。だから、誰かを好きだと思う気持ちを、***にも大切にしてほしいと思うの。いつかそれが、***自身を助けてくれると思うから」
布団に座る母親の膝の上に頭をのせて、そのまま***は丸くなった。その頭を優しい手がずっと撫で続けた。
考えることにフル活用されて、脳が熱い気がする。もう疲れたというように、身体が***に眠りを求める。うつらうつらとして、まばたきが次第に長くなる。
温かい眼差しで自分を見下ろしている母を見て、小さな声で「お母さん」と呼びかける。でも、もう眠たくて、ちゃんと喋れているのかもよく分からない。
―――お母さん、分かったよ。私、大切にする、この気持ちも……銀ちゃんのことも―――
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no.32【am.0:00】end