かぶき町で牛乳配達をする女の子
牛乳(人生)は噛んで飲め
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【am.9:30】
暦の上ではもうすぐ春だという時期に、かぶき町に雪が降った。夜のあいだ深々と降り続いた雪は、翌朝には街中を真っ白に染めた。
北国で生まれ育った***は雪には慣れっこで、自転車での牛乳配達もお手の物。同僚たちが厳しい寒さに配達を嫌がっているなか、このくらいの寒さは田舎では寒さのうちには入らないと思いながらにこにこしていた。
配達を終えて万事屋へ来ると、前の道路で神楽が雪だるまを作って遊んでいた。
「わ!神楽ちゃん、すごい大きな雪だるまだねぇ!」
「***も一緒に雪だるま作るヨロシ!これから銀ちゃんと新八と公園に行くネ!誰がいちばんおっきな雪だるま作れたかで、食事当番決めるアル!」
「うん、私も作る作る!雪国仕込みの立派なヤツ!」
「マジでか!じゃぁ***は私とペアで作るネ!」
ひとしきり神楽の作った雪だるまを撫でてから、万事屋へと入る。新八が温かいお茶を淹れてくれて、ほっと一息つく。
銀時はまだ寝ていると新八が呆れたように言う。
「最近一段と寒くなったから、銀さん全然布団から出ないんですよ。もぉ~***さん、何とか言って起こしてください!僕が何回声をかけても起きないんですもん!」
「寒い時ほど布団から出ちゃえばすぐ目が覚めて楽なのにね。もう大人なのに新八くんに起こされてるなんて、銀ちゃん情けないなぁ」
しょうがないという風に寝室の戸を開けて、***が銀時の枕元にちょこんと正座する。部屋の主は、掛け布団を頭から被って、まだすやすやと寝ている。人型に浮き上がった布団を上から手でぽんぽんと叩く。
「銀ちゃん、もう9時過ぎました!外、雪で真っ白で綺麗ですよ。神楽ちゃんが雪だるま作りに公園行こうって!ねぇ銀ちゃん、起きて下さい!」
「ん゙ぁぁぁ~?……さみぃから布団から出たくねぇんだよ……子供と違って大人は雪ぐれーでテンション上がんねぇの!雪だるまはガキ共だけで作ってろよぉ~もう五時間位寝かせろっつーの……」
ごそごそと動いた銀時が、寝返りをうって背をむけたのが分かる。布団を少しめくってみると、丸まった銀時の背中と、開いた襟ぐりから無防備なうなじが見えた。
「銀ちゃん、大人げないことばっかり言ってると、こっちにも考えがありますからね」
にやりといたずらっぽく笑った***が、雪だるまを触って芯まで冷えた小さな手を布団に突っ込む。そのまま探り当てた銀時のうなじに、その手をぴたりと当てると悲鳴が上がった。
「ヒィィィィッ!!テメー***!何しやがる!っつーか、お前なんでそんなに手が冷ゃっこいんだよ!雪女ですかァ!?オイ、やめろ離せぇぇぇぇ!!」
「ふふふッ!ほらほら早く起きないと、背中まで触っちゃいますよ!」
そう言いながら***は更に手を進めて、襟の奥の背中まで触ろうとする。
「ちょ待てって、ヒィッ、冷たッ!おいやめろって!」
たまらず布団を跳ねのけて飛び起きた銀時を、笑いながら両手を前に突き出した***が追いかける。タイミングを見計らって部屋に入ってきた新八が、「***さん、さすがです!」と言いながら、手際よく布団を畳むと押し入れにしまう。
「銀さん、食事当番決め雪だるま選手権、開催しますからね!神楽ちゃんもう外で待ってますから、早く準備して下さい!」
「わーい、雪だるま選手けーん!関係ないけど私も北国仕込みの大きな雪だるま作っちゃうもんねー!銀ちゃんも早く行きましょう!」
新八や神楽同様、子供のような顔で雪に浮かれている***を見て、寝起きの銀時は「はぁぁぁ~」とため息をつく。めんどくせぇ〜と言いながらも二人の勢いに押されて身支度する。厚手の羽織を着て外へ出ると、そこには眩しいほどの白銀の世界が広がっていた。
いつもの公園では狭いからと、少し足をのばして広場まで来た。雪祭りを開催するほどの広い場所一面が、雪で覆われている。
急に神楽が走り出し、一番積もっているところから雪をひとつかみすると、こちらに投げてよこした。怪力娘の放った雪玉は、すごいスピードで地面と平行に飛び、寸分たがわず銀時の顔に当たった。
「ぶべっ!…神楽ァ、テメェ…」
顔面から雪が落ちると同時に、今度は新八の放った雪玉がバシっと顔に当たる。
「ぐっ!…こんのクソメガネ…」
手で雪を払って新八を睨みつけようとしたが、その前にこちらを見て満面の笑みを浮かべている***の顔が目に入る。
お前なに笑ってんの、と言う前に***の手から放たれた雪玉が、ぱふっと軽い音を立てて銀時の顔に当たった。
「オメーら……大人をオモチャにすんのもいいかげんにしろォォォォ!!!」
足元の雪を大量に拾って、いくつも雪玉を作ると、きゃーっと言って逃げ惑う三人に向かって投げつける。神楽の頭に、新八の顔に、勢いよく雪玉が当たる。
笑いながら逃げている***にも雪玉が飛んでくるが、少しずれて当たらない。当たらないのではなく、銀時はわざと当てていない。
しばらくすると逃げていた三人が、それぞれにも雪を当て始めて、銀時を除いて雪合戦が始まる。神楽や新八の投げた雪が、***の顔や身体に当たっているのを遠目に見て、銀時はひやひやする。
そいつはオメーらと違って、普通のひ弱な女の子なんだから、ちったぁ手加減しろと言おうとするが声が出ない。
手に握った雪玉が溶けて、ぽたぽたと水滴が落ちる。冷たい雪解け水に濡れた自分の右手を見ていると、ひやりとした感覚が胸を襲う。
数週間前、銀時の不在に桂が来た日。拾った***のメモ帳に書かれた言葉を見た時にも、同じ感覚に襲われた。
ああ、知られてしまった―――
自分のなかのもうひとりの自分が、諦めたようにつぶやいたような気がした。
別に過去を隠していたわけじゃない。***が何も聞かないから、自然と語らなかっただけだ。しかしあのメモ帳に、小さくて几帳面な字で書かれた、いつかの戦場で言った自分の言葉を見た時に、***には、***にだけは、過去を知られたくなかったと思っていたことを、その時はじめて銀時は気付いた。
戦に行ったことを後悔してなどない。間違ってたとも全く思わない。沢山の命を殺めたことも、いくら拭っても取れないほどの血に自分の手が汚れたことも、とっくの昔に受け入れている。
そんなことはあの時代には大したことではなかったし、自分だけの代えがたい過去として背負っていく覚悟も、随分昔にできている。
しかし***のあの無垢な瞳で見つめられている間だけは、なぜか自分が許されているような気がしていた。うなされる程の忌々しさや抱えきれないほどの苦しみも、***の純粋さの前では鳴りをひそめ、平和で穏やかな、何の汚れもない自分でいられるような気がしていた。
嬉しい時に喜びに溢れた顔で自分に笑いかける***に、知らぬ間に癒されていた。悲しい時に大粒の涙を流して「銀ちゃん助けて」とすがりつく***に、迷わず手を差し伸べることで、自分の中の汚れた何かが、少しは綺麗になる気がしていた。
しかしそれも、過去の自分を知られてしまった今は、違うものになってしまった。あの瞳に自分が映るたび、言い訳をしたくなるような後ろめたさに、さいなまれてしまう。
結局のところ、かつて血生臭い戦いに囚われていた自分と、家族に囲まれ愛されて育ってきた***とでは、住む世界が違うと銀時は思う。
野郎どもに囲まれた***を助けたこともあるが、それでもせいぜい自分のことを「腕っぷしの強い街の万事屋さん」程度に、***は思っていただろう。ずっとそのくらいの存在だと思われていたなら、どんなによかっただろう。
過去を知った今、***の目に自分がどんなふうに見えているのか分からなくて、銀時はあの瞳に見つめられることすら、恐ろしい。
相変わらず***は銀時に、にこにこと笑いかけた。しかし銀時はあの日以来、***に触れることができない。
あの日の朝、いつもの通り玄関先で「留守番頼む」と言って、軽く撫でた***の頭を、今は撫でることができない。自分が触れたら汚してしまう気がして。
からかいの言葉と共に何度もふざけて握った小さな手や、原付に乗せるたび腰に回される細い腕に、もう触れることができない。自分のような野蛮な人間が触ったら、あっけなく壊してしまう気がして。
出会ってから一年近くの間、まるで習慣のようにそうしてきたから、身体が勝手に動いて、何度も***に触れそうになった。それを何度も押しとどめ、押しとどめる度に自分のなかのもうひとりの自分が「お前なんかが触っていい女じゃない」と耳元でつぶやいた。
立ちすくんで見下ろしている自分の手のひらから、ぽたりぽたりと雪がとけた水が垂れていく。これが水ではない、真っ赤な物だった時もある。その情景を今でもはっきりと思い出せるような自分に、あの汚れない無垢な女を触る資格はない。
「銀ちゃん!雪だるま作りましょう!」
うつむいてぼーっと立ち尽くしていたところに、突然伸びてきた小さな手が、銀時の濡れた手のひらを上からつかんだ。
***が満面の笑みで銀時の腕を引っ張る。
「ちょ、なにお前?俺は雪だるまなんか作んねーって!ガキどもだけでやってろっつーの!」
「だめですよ、銀ちゃん。不戦敗で負けたら今月は毎日ごはん当番にしちゃうって神楽ちゃん言ってたよ。ほら見て、ふたりともあんなに大きいの作りはじめちゃってるから、銀ちゃんも早く作らないと!私、手伝いますから!!」
手を引かれるがままに銀時は歩き出す。ぐいぐいと自分を引っ張る、***の手を見る。何度も見てきたそれは、予想通り白くて小さい。ついさっき布団の中で首筋を触られた時も、飛び跳ねるほどの冷たさよりも、その指の細さと小ささに、ぎょっとしたくらいだ。
今も***は全力の力を込めて、大きな手をつかんでいるようだが、例えば銀時が本気で握れば、一瞬で骨が砕けてしまうだろう。例えばその手を強く振り払えば、身体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。それくらい***は一般的で平凡な、弱い人間なのだ。
「雪国仕込みの大きなやつ、作りかた特別に教えてあげますから、一緒に雪だるま作りましょう!きっと楽しいよ、銀ちゃん!」
ずんずんと雪を踏み分けて広場へと銀時を引っ張りながら、後ろを振り向いて楽しそうに笑う***を見て、何も言葉がでなくなってしまう。
濡れた銀時の手よりも、***の手はなぜかずっと冷たい。そういえばこいつの手はいつでも冷たかったな、とぼんやりと思い出す。どれもこれも、後ろめたさもなく***に触れることができた頃の思い出だけど。
自分の手よりもずっと小さくて、ずっと細くて、力も弱い***の手を、握り返すことも振り払うこともできずに、銀時は途方に暮れた。
どこまでも覆いつくす真っ白な雪が眩しくて仕方がなくて、何度も目を瞬かせては、前を歩く***の小さな背中をずっと見つめていた。
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no.25【am9:30】end
暦の上ではもうすぐ春だという時期に、かぶき町に雪が降った。夜のあいだ深々と降り続いた雪は、翌朝には街中を真っ白に染めた。
北国で生まれ育った***は雪には慣れっこで、自転車での牛乳配達もお手の物。同僚たちが厳しい寒さに配達を嫌がっているなか、このくらいの寒さは田舎では寒さのうちには入らないと思いながらにこにこしていた。
配達を終えて万事屋へ来ると、前の道路で神楽が雪だるまを作って遊んでいた。
「わ!神楽ちゃん、すごい大きな雪だるまだねぇ!」
「***も一緒に雪だるま作るヨロシ!これから銀ちゃんと新八と公園に行くネ!誰がいちばんおっきな雪だるま作れたかで、食事当番決めるアル!」
「うん、私も作る作る!雪国仕込みの立派なヤツ!」
「マジでか!じゃぁ***は私とペアで作るネ!」
ひとしきり神楽の作った雪だるまを撫でてから、万事屋へと入る。新八が温かいお茶を淹れてくれて、ほっと一息つく。
銀時はまだ寝ていると新八が呆れたように言う。
「最近一段と寒くなったから、銀さん全然布団から出ないんですよ。もぉ~***さん、何とか言って起こしてください!僕が何回声をかけても起きないんですもん!」
「寒い時ほど布団から出ちゃえばすぐ目が覚めて楽なのにね。もう大人なのに新八くんに起こされてるなんて、銀ちゃん情けないなぁ」
しょうがないという風に寝室の戸を開けて、***が銀時の枕元にちょこんと正座する。部屋の主は、掛け布団を頭から被って、まだすやすやと寝ている。人型に浮き上がった布団を上から手でぽんぽんと叩く。
「銀ちゃん、もう9時過ぎました!外、雪で真っ白で綺麗ですよ。神楽ちゃんが雪だるま作りに公園行こうって!ねぇ銀ちゃん、起きて下さい!」
「ん゙ぁぁぁ~?……さみぃから布団から出たくねぇんだよ……子供と違って大人は雪ぐれーでテンション上がんねぇの!雪だるまはガキ共だけで作ってろよぉ~もう五時間位寝かせろっつーの……」
ごそごそと動いた銀時が、寝返りをうって背をむけたのが分かる。布団を少しめくってみると、丸まった銀時の背中と、開いた襟ぐりから無防備なうなじが見えた。
「銀ちゃん、大人げないことばっかり言ってると、こっちにも考えがありますからね」
にやりといたずらっぽく笑った***が、雪だるまを触って芯まで冷えた小さな手を布団に突っ込む。そのまま探り当てた銀時のうなじに、その手をぴたりと当てると悲鳴が上がった。
「ヒィィィィッ!!テメー***!何しやがる!っつーか、お前なんでそんなに手が冷ゃっこいんだよ!雪女ですかァ!?オイ、やめろ離せぇぇぇぇ!!」
「ふふふッ!ほらほら早く起きないと、背中まで触っちゃいますよ!」
そう言いながら***は更に手を進めて、襟の奥の背中まで触ろうとする。
「ちょ待てって、ヒィッ、冷たッ!おいやめろって!」
たまらず布団を跳ねのけて飛び起きた銀時を、笑いながら両手を前に突き出した***が追いかける。タイミングを見計らって部屋に入ってきた新八が、「***さん、さすがです!」と言いながら、手際よく布団を畳むと押し入れにしまう。
「銀さん、食事当番決め雪だるま選手権、開催しますからね!神楽ちゃんもう外で待ってますから、早く準備して下さい!」
「わーい、雪だるま選手けーん!関係ないけど私も北国仕込みの大きな雪だるま作っちゃうもんねー!銀ちゃんも早く行きましょう!」
新八や神楽同様、子供のような顔で雪に浮かれている***を見て、寝起きの銀時は「はぁぁぁ~」とため息をつく。めんどくせぇ〜と言いながらも二人の勢いに押されて身支度する。厚手の羽織を着て外へ出ると、そこには眩しいほどの白銀の世界が広がっていた。
いつもの公園では狭いからと、少し足をのばして広場まで来た。雪祭りを開催するほどの広い場所一面が、雪で覆われている。
急に神楽が走り出し、一番積もっているところから雪をひとつかみすると、こちらに投げてよこした。怪力娘の放った雪玉は、すごいスピードで地面と平行に飛び、寸分たがわず銀時の顔に当たった。
「ぶべっ!…神楽ァ、テメェ…」
顔面から雪が落ちると同時に、今度は新八の放った雪玉がバシっと顔に当たる。
「ぐっ!…こんのクソメガネ…」
手で雪を払って新八を睨みつけようとしたが、その前にこちらを見て満面の笑みを浮かべている***の顔が目に入る。
お前なに笑ってんの、と言う前に***の手から放たれた雪玉が、ぱふっと軽い音を立てて銀時の顔に当たった。
「オメーら……大人をオモチャにすんのもいいかげんにしろォォォォ!!!」
足元の雪を大量に拾って、いくつも雪玉を作ると、きゃーっと言って逃げ惑う三人に向かって投げつける。神楽の頭に、新八の顔に、勢いよく雪玉が当たる。
笑いながら逃げている***にも雪玉が飛んでくるが、少しずれて当たらない。当たらないのではなく、銀時はわざと当てていない。
しばらくすると逃げていた三人が、それぞれにも雪を当て始めて、銀時を除いて雪合戦が始まる。神楽や新八の投げた雪が、***の顔や身体に当たっているのを遠目に見て、銀時はひやひやする。
そいつはオメーらと違って、普通のひ弱な女の子なんだから、ちったぁ手加減しろと言おうとするが声が出ない。
手に握った雪玉が溶けて、ぽたぽたと水滴が落ちる。冷たい雪解け水に濡れた自分の右手を見ていると、ひやりとした感覚が胸を襲う。
数週間前、銀時の不在に桂が来た日。拾った***のメモ帳に書かれた言葉を見た時にも、同じ感覚に襲われた。
ああ、知られてしまった―――
自分のなかのもうひとりの自分が、諦めたようにつぶやいたような気がした。
別に過去を隠していたわけじゃない。***が何も聞かないから、自然と語らなかっただけだ。しかしあのメモ帳に、小さくて几帳面な字で書かれた、いつかの戦場で言った自分の言葉を見た時に、***には、***にだけは、過去を知られたくなかったと思っていたことを、その時はじめて銀時は気付いた。
戦に行ったことを後悔してなどない。間違ってたとも全く思わない。沢山の命を殺めたことも、いくら拭っても取れないほどの血に自分の手が汚れたことも、とっくの昔に受け入れている。
そんなことはあの時代には大したことではなかったし、自分だけの代えがたい過去として背負っていく覚悟も、随分昔にできている。
しかし***のあの無垢な瞳で見つめられている間だけは、なぜか自分が許されているような気がしていた。うなされる程の忌々しさや抱えきれないほどの苦しみも、***の純粋さの前では鳴りをひそめ、平和で穏やかな、何の汚れもない自分でいられるような気がしていた。
嬉しい時に喜びに溢れた顔で自分に笑いかける***に、知らぬ間に癒されていた。悲しい時に大粒の涙を流して「銀ちゃん助けて」とすがりつく***に、迷わず手を差し伸べることで、自分の中の汚れた何かが、少しは綺麗になる気がしていた。
しかしそれも、過去の自分を知られてしまった今は、違うものになってしまった。あの瞳に自分が映るたび、言い訳をしたくなるような後ろめたさに、さいなまれてしまう。
結局のところ、かつて血生臭い戦いに囚われていた自分と、家族に囲まれ愛されて育ってきた***とでは、住む世界が違うと銀時は思う。
野郎どもに囲まれた***を助けたこともあるが、それでもせいぜい自分のことを「腕っぷしの強い街の万事屋さん」程度に、***は思っていただろう。ずっとそのくらいの存在だと思われていたなら、どんなによかっただろう。
過去を知った今、***の目に自分がどんなふうに見えているのか分からなくて、銀時はあの瞳に見つめられることすら、恐ろしい。
相変わらず***は銀時に、にこにこと笑いかけた。しかし銀時はあの日以来、***に触れることができない。
あの日の朝、いつもの通り玄関先で「留守番頼む」と言って、軽く撫でた***の頭を、今は撫でることができない。自分が触れたら汚してしまう気がして。
からかいの言葉と共に何度もふざけて握った小さな手や、原付に乗せるたび腰に回される細い腕に、もう触れることができない。自分のような野蛮な人間が触ったら、あっけなく壊してしまう気がして。
出会ってから一年近くの間、まるで習慣のようにそうしてきたから、身体が勝手に動いて、何度も***に触れそうになった。それを何度も押しとどめ、押しとどめる度に自分のなかのもうひとりの自分が「お前なんかが触っていい女じゃない」と耳元でつぶやいた。
立ちすくんで見下ろしている自分の手のひらから、ぽたりぽたりと雪がとけた水が垂れていく。これが水ではない、真っ赤な物だった時もある。その情景を今でもはっきりと思い出せるような自分に、あの汚れない無垢な女を触る資格はない。
「銀ちゃん!雪だるま作りましょう!」
うつむいてぼーっと立ち尽くしていたところに、突然伸びてきた小さな手が、銀時の濡れた手のひらを上からつかんだ。
***が満面の笑みで銀時の腕を引っ張る。
「ちょ、なにお前?俺は雪だるまなんか作んねーって!ガキどもだけでやってろっつーの!」
「だめですよ、銀ちゃん。不戦敗で負けたら今月は毎日ごはん当番にしちゃうって神楽ちゃん言ってたよ。ほら見て、ふたりともあんなに大きいの作りはじめちゃってるから、銀ちゃんも早く作らないと!私、手伝いますから!!」
手を引かれるがままに銀時は歩き出す。ぐいぐいと自分を引っ張る、***の手を見る。何度も見てきたそれは、予想通り白くて小さい。ついさっき布団の中で首筋を触られた時も、飛び跳ねるほどの冷たさよりも、その指の細さと小ささに、ぎょっとしたくらいだ。
今も***は全力の力を込めて、大きな手をつかんでいるようだが、例えば銀時が本気で握れば、一瞬で骨が砕けてしまうだろう。例えばその手を強く振り払えば、身体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。それくらい***は一般的で平凡な、弱い人間なのだ。
「雪国仕込みの大きなやつ、作りかた特別に教えてあげますから、一緒に雪だるま作りましょう!きっと楽しいよ、銀ちゃん!」
ずんずんと雪を踏み分けて広場へと銀時を引っ張りながら、後ろを振り向いて楽しそうに笑う***を見て、何も言葉がでなくなってしまう。
濡れた銀時の手よりも、***の手はなぜかずっと冷たい。そういえばこいつの手はいつでも冷たかったな、とぼんやりと思い出す。どれもこれも、後ろめたさもなく***に触れることができた頃の思い出だけど。
自分の手よりもずっと小さくて、ずっと細くて、力も弱い***の手を、握り返すことも振り払うこともできずに、銀時は途方に暮れた。
どこまでも覆いつくす真っ白な雪が眩しくて仕方がなくて、何度も目を瞬かせては、前を歩く***の小さな背中をずっと見つめていた。
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no.25【am9:30】end