かぶき町で牛乳配達をする女の子
牛乳(人生)は噛んで飲め
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【pm.9:30】
10歳の時、友達とかくれんぼをした。隠れて待っていたがいつまでたっても誰も来ない。しびれを切らして木の陰からこっそり広場を見ると、人相の悪い男たちがいて、こどもたちをひとりひとり、ずだ袋に詰めては荷車に乗せていた。「人さらいだ!」と大きな声で叫んで逃げ出した男の子が、頭を強く殴られて、だらりと動かなくなった。引きずられていったあの子は、隣の家の子だった。
13歳の時、ずっと仲良しだった女の子が、貧しさに耐えかねた親によって、遊郭へと身売りされた。何も知らない***に「またね」と手を振って連れていかれたあの子が、売られた先でひどい折檻を受けて死んだと聞いたのは、半年後のことだった。
17歳の時、家に来た借金取りに家族全員が手ひどく殴られて、気が付くと***だけが船に乗せられていた。生娘は高く売れるからと渋る男に、父親がかき集めてきた金を渡して間一髪助かった。同じ船に乗っていた沢山の女の子たちが、どこへ行き、どうなったのかは誰も知らなかった。
「あの時、助けを呼べば…行かないでって手を掴めばよかったの……そんな簡単なことも、弱虫だからできなかった…ずっとそんなことばかりで、私だけが生きてて…みんな、誰も助けられなかった……」
飢饉で仕事も生活もままならない土地では、子供と女を売ることが金を得るための唯一の手段だった。
あまりにも多くの親が子を失った。あまりにも多くの友達を失った***は、なぜ自分が生きているのかが分からなくなった。***の母は、他の親たちのことを思うと胸が苦しいと言って、娘と目を合わせることができなくなった。江戸へ出稼ぎに出ることが決まると、母は***と話さなくなった。父は「お母さんはお前がいなくなるのが寂しくて耐えられないんだ」と言った。***もそれはよく分かっていた。
かぶき町に出てきて1年以上経つ。時々牛乳や農園で採れた物が家に送られてくるが、それだけが家族が生きていることの便りだった。何度か***が両親に宛てて書いた手紙の、返事は一度も返ってこなかった。
「あの時に死んじゃった子たちのおかげで、私は生きてて…家族は今も苦しんでるのに、私だけここでのうのうと暮らしてて……お父さんに苦労させて、お母さんに……お母さんにあんな顔をさせてるのに、それなのに家に帰りたいなんて言えないよ……もう、私はあの家には、帰れない、帰れないんです」
銀時は***の手が、怖い思いをしている子供のように、自分の手を強く握っているのを感じた。おずおずと遠慮がちに***は話し続けた。幼い頃からずっと心に留めて続けてきた記憶を、ひとつづつ思い出しているその瞳は揺れていた。まるでもう一度その光景を眺めているみたいに。
黙って話を聞いていた銀時の、眉間のシワが次第に深くなる。どれだけの深い傷が***の心にあるのか、そしてその傷がまだ開きっぱなしで癒されてないことが、***の揺れる瞳から伝わってきた。
***が、田舎の話をする時に張り付けたような笑顔を浮かべる理由が、誰のことも傷つけたくないと強く思っている理由が、はじめて出会ったときに迷わず自分の下敷きになった理由が、すとんと腑に落ちるように、銀時には理解できた。
ふと言葉を止めた***が、ぼんやりとした瞳で銀時を見上げている。その瞳はまだゆらゆらと揺れていて、そこから溢れる涙がゆっくりと耳の方へと伝って落ちていく。
どうしたもんかと頭をかきながらも、***が今いちばん求めているものが何か、銀時には既に分かっていた。自分がその代わりになることはできない。でもそれらしいことをしてやることはできる。
「よっこいせ」と言うと銀時は、***の寝ている布団に、掛け布団の上から横になる。布団ごと***の身体をこちらへ向けて、頭を抱えるように銀時の腕のなかに包んだ。
「え……ちょっと、銀ちゃん、な、なにす…!」
突然の抱擁に驚いて身を引こうとするが、布団にくるまっていて身動きが取れない。頭を押さえつけられて、言葉も出ない。
「***、お前がガキの頃、こーゆー時に母ちゃんはどうしてくれた?」
「え…?こうゆう時って……」
「お前が傷ついて、ぴーぴー泣いてる時、お前の母ちゃんはこーやってしてくれたんじゃねぇの」
腕に力をこめると、***の顔が銀時の胸につく。涙に濡れた頬が、開いた襟元のなかに触れてひんやりとする。湿った息を感じる。
「…………お、お母さんは…」
言い淀んでいることを「ほら早く言ってみろ」と促すように、銀時の腕にさらに力がこもる。
「せ、背中を…ぽんぽんて、してくれた」
「ほい、こうか?」
背中に回された大きな手が、***の背中の上で布団越しに一定のリズムを刻む。記憶もおぼろげなくらいずっと昔に、母親に同じことをされた時よりも、銀時の手の力は少し強い。でもそれが懐かしくて、たまらない気持ちになる。
「あとは?他にはどーしてくれた?」
「あとは……頭を撫でて、…いい子だって言ってくれた」
銀時は言われた通り、自分の顔のすぐ下でうつむいている***の小さな頭を、大きな手で何度も撫でて、何度も「***はいい子だ」と言った。
抱き寄せられた驚きで止まっていた涙が、また込み上げてくる。ずっと思い浮かべないようにしていた母親の顔が浮かんできて、恋しい気持ちが膨らむ。涙をこらえようとすると呼吸が乱れて、小さな声が漏れ出てしまう。その声を聞いた銀時がさらに腕に力をこめるから、その温かさに***はもっと甘えたくなる。
「あと……お母さんは、……***大好きって言ってくれた」
顔を胸にぎゅっと押し付けて、甘えるように言った***の言葉を聞いて、銀時は声もなく笑った。甘えるのが下手な***が、ようやく本音を言ったと思うと、ほっとしたような愉快なようなおかしな気持ちになった。
わざと大げさに頭を撫でて、腕の中の小さな身体をぐっと抱き寄せる。くだらないことを騒ぎ立てる普段の銀時の声からは、想像できないくらい静かな声だった。
「…大好き、***、大好き」
銀時のその言葉を聞いた途端、***の瞳からはひときわ大粒の涙が溢れた。もはやこらえることもできずに、目の前の銀時の着物を両手でつかむと、しゃくりあげた。嗚咽の間に時々「お母さん」と呼ぶ声が混ざる。その泣き声がおさまるまでずっと、銀時は「***、大好き」と言い続け、震える小さな頭を撫で続けた。
身体中を心地よい温かさに包まれて、***は母親の夢を見た。夢のなかの母は***の目をしっかりと見て、頬を両手で包むと、「***、大好き」と言った。「私も、お母さん大好き」と言うと母は微笑んだ。その後、急に明るい光が射して、だんだんと顔が見えなくなる。
「待って!もうちょっと一緒にいて!」と大きな声で叫んで、手を伸ばしたけれど、光がまぶしくて何もつかめない。強い光のせいで、もう母親がどこにいるのかも分からない。光の色がだんだんと変わり、きらきらと光る銀色になった頃、ようやく***の手に何かが触れた。
「お母さん!」と大きな声で叫ぶ。かすかに手に触れた物をつかむと、***は必死で引き寄せた―――
「イダダダダダダ!!***!オメーなにすんだよ!髪抜ける抜けるぅっ!離せって!!!」
「………あれ?銀ちゃん?」
***の手が必死でつかんでいたのは、銀時の髪だった。
もう朝が来ていて窓の外は明るい。差し込む日差しが***の顔を直接照らしていた。あんなに降っていた雨も止んで、鳥のさえずりが聞こえる。銀時が***を抱きかかえたまま、二人揃って朝まで眠ってしまっていた。
布団の上にふたりで座って、銀時が***の額に手のひらを当てる。熱は下がり、起き上がった身体は軽く、もう寒気もない。
「あ!私、配達が!!」
時計は既に6時を指していて、とっくに仕事の時間は過ぎている。
「だぁーいじょぶだって、昨日牛乳屋のジジイに、熱が出たから休ませろって言ってあっから。そもそもあのジジイ、人使い荒すぎるっつーの」
ああ、そうかと肩を落として、***は眉を八の字に下げる。
「銀ちゃんにも、おじさんにも迷惑かけちゃいました…ごめんね」
「はああぁぁぁ~、お前まだ分かんねぇの、昨日から銀さん何度も言ってっけど、ごめんじゃねぇっつうの!オメーが悪くねぇことを謝ってんじゃねぇよ、自分は悪くねーってちゃんと認めりゃいーじゃねぇか」
軽い口ぶりとは裏腹に、銀時の目が真剣で***は驚く。「お前は悪くない」という言葉の意味に気付いて、はっとする。
銀ちゃんは、私が昨日話したことについて言っている、昨夜熱にうなされながら話した過去のことについて言ってるんだと気が付くと、途端にひどく戸惑い、***は銀時から目をそらす。
「あとさぁ、俺、いちばん聞きてぇことがまだ聞けてねーんだけど」
「な、なんですか聞きたいことって…」
「***、こっち見ろ」
「え、やですよ、恥ずかしいもん」
「恥ずかしくねーだろ、おら、こっち見ろって」
ぺたりと座り込んでいる***の前に、あぐらをかいた銀時が座っている。伸びてきたふたつの大きな手に両頬をつかまれて、ぐいっと銀時の方を向かされる。***の目は泳いで、銀時を直視することができない。
聞かれる前に、もう何を聞かれるか分かっている。聞かれたら***がいちばん困ることを、今まさに言葉にされてしまう。
「***、お前………家族に会いてぇんだろ」
「あ、会い、たくない」
「嘘つくな、嘘ついたって苦しいまんまだ。会いてぇって思ったって、誰もお前を責めねぇし、誰も苦しまねぇから、さっさと認めろ」
「や、やだよ、嫌ですよ、銀ちゃん。だって認めたら私、もうここで頑張れなくなっちゃうかもしれないよ…」
頬をつかむ銀時の両手に、***の震える手がそっと添えられる。「はあぁぁぁぁ〜」とため息をついた後で、銀時が苦笑いしながら優しい声で話しはじめる。
「それでもずっとやってきたんだろーが、***、………お前の部屋になんであんなに物がねぇんだよ、お前、いつでも帰れるように、帰ってこいって言われたら、すぐ帰れるように物増やさなかったんだろ。ほんとはすぐにでも家族に会いてぇって自分でも分かってるはずだ……それでもちゃーんと働いてこれたじゃねぇか、ぜってー大丈夫だから、さっさと言えよ、会いたいって」
唇をわなわなと震わせた***の瞳が、怖がっているかのように揺れて、涙で潤みはじめる。顔をつかんでいた銀時の両手が動いて、***の柔らかい両頬を指でつねった。
「イタタタタタッ!銀ちゃ、は、離してくださ…」
「ぶーっ!オメーのほっぺたすっげぇ伸びんのなぁ、マシュマロみてー!オラオラ、朝から銀さんをハゲさせよーとした仕返しだコラ!言えよ!会いてぇって言え!!」
「痛い痛い痛いッ!ぎ、ぎんちゃん!ちょっ…」
***が痛がれば痛がるほど、銀時はおもしろがって指の力を強め、外へ外へと頬を引っ張る。ついに***の目から涙の小さな一粒が落ちた。
「オラッ!言うまでやめねぇかんな、言えよ!」
「い、痛い、いたっ、イタイィ……ぁ、あ、会いたいッ!会いたいよお!!!」
***が叫んだ瞬間に、ぱっと頬が解放される。痛みと動揺で涙がぽろぽろと落ちる。両手で頬を抑えてうつむく***の頭に、銀時の手がぽんとのせられる。
「はーい、よくできましたぁ、ったくほんっと***ちゃんは世話が焼けるね~、家族に会いてぇって思ってりゃ、いつかはちゃんと会えんだ。かぶき町中に牛乳届けてぇって思ってりゃ、届けられんのとおんなじでよー、そんくれぇ本気出せ、ド根性女が!」
そう言って銀時が乱暴に頭を撫でるので、髪がぐしゃぐしゃになる。涙で顔もぐしゃぐしゃで、もう何が何だか分からない。
家族に会いたいという気持ちを、いざ言葉にしても何も変わらなくて、目の前の銀時がわざといつも通りにふざけてくれていることに、安心する。
乱れた髪のまま顔を上げると、「***、頭と顔がすげぇことになってんぞ、現代アートですかァ?」と笑っている銀時と目が合う。ああ、この人はとんでもなくすごい人だ、と思う。***が何年も苦しんでいたことを、たった一晩で拭い去ってくれた。頬のじんじんとする痛みと共に、一晩中抱きしめてくれた腕と、頭を撫でてくれた温かい手の感触が戻ってくる。
こういう時なんて言うんだっけ、いつもの癖でごめんねって言いたくなってしまうけど、そうじゃなくって…としばらく考えてから思い出す。面白い物を見つけて喜んでいる少年のような目で、こっちを見ている銀時の赤い瞳を、しっかりと見つめ返すと、涙声で***は言った。
「銀ちゃん、ありがとう!」
(家族に、会いたい!!!)
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no.20【pm.9:30】end
10歳の時、友達とかくれんぼをした。隠れて待っていたがいつまでたっても誰も来ない。しびれを切らして木の陰からこっそり広場を見ると、人相の悪い男たちがいて、こどもたちをひとりひとり、ずだ袋に詰めては荷車に乗せていた。「人さらいだ!」と大きな声で叫んで逃げ出した男の子が、頭を強く殴られて、だらりと動かなくなった。引きずられていったあの子は、隣の家の子だった。
13歳の時、ずっと仲良しだった女の子が、貧しさに耐えかねた親によって、遊郭へと身売りされた。何も知らない***に「またね」と手を振って連れていかれたあの子が、売られた先でひどい折檻を受けて死んだと聞いたのは、半年後のことだった。
17歳の時、家に来た借金取りに家族全員が手ひどく殴られて、気が付くと***だけが船に乗せられていた。生娘は高く売れるからと渋る男に、父親がかき集めてきた金を渡して間一髪助かった。同じ船に乗っていた沢山の女の子たちが、どこへ行き、どうなったのかは誰も知らなかった。
「あの時、助けを呼べば…行かないでって手を掴めばよかったの……そんな簡単なことも、弱虫だからできなかった…ずっとそんなことばかりで、私だけが生きてて…みんな、誰も助けられなかった……」
飢饉で仕事も生活もままならない土地では、子供と女を売ることが金を得るための唯一の手段だった。
あまりにも多くの親が子を失った。あまりにも多くの友達を失った***は、なぜ自分が生きているのかが分からなくなった。***の母は、他の親たちのことを思うと胸が苦しいと言って、娘と目を合わせることができなくなった。江戸へ出稼ぎに出ることが決まると、母は***と話さなくなった。父は「お母さんはお前がいなくなるのが寂しくて耐えられないんだ」と言った。***もそれはよく分かっていた。
かぶき町に出てきて1年以上経つ。時々牛乳や農園で採れた物が家に送られてくるが、それだけが家族が生きていることの便りだった。何度か***が両親に宛てて書いた手紙の、返事は一度も返ってこなかった。
「あの時に死んじゃった子たちのおかげで、私は生きてて…家族は今も苦しんでるのに、私だけここでのうのうと暮らしてて……お父さんに苦労させて、お母さんに……お母さんにあんな顔をさせてるのに、それなのに家に帰りたいなんて言えないよ……もう、私はあの家には、帰れない、帰れないんです」
銀時は***の手が、怖い思いをしている子供のように、自分の手を強く握っているのを感じた。おずおずと遠慮がちに***は話し続けた。幼い頃からずっと心に留めて続けてきた記憶を、ひとつづつ思い出しているその瞳は揺れていた。まるでもう一度その光景を眺めているみたいに。
黙って話を聞いていた銀時の、眉間のシワが次第に深くなる。どれだけの深い傷が***の心にあるのか、そしてその傷がまだ開きっぱなしで癒されてないことが、***の揺れる瞳から伝わってきた。
***が、田舎の話をする時に張り付けたような笑顔を浮かべる理由が、誰のことも傷つけたくないと強く思っている理由が、はじめて出会ったときに迷わず自分の下敷きになった理由が、すとんと腑に落ちるように、銀時には理解できた。
ふと言葉を止めた***が、ぼんやりとした瞳で銀時を見上げている。その瞳はまだゆらゆらと揺れていて、そこから溢れる涙がゆっくりと耳の方へと伝って落ちていく。
どうしたもんかと頭をかきながらも、***が今いちばん求めているものが何か、銀時には既に分かっていた。自分がその代わりになることはできない。でもそれらしいことをしてやることはできる。
「よっこいせ」と言うと銀時は、***の寝ている布団に、掛け布団の上から横になる。布団ごと***の身体をこちらへ向けて、頭を抱えるように銀時の腕のなかに包んだ。
「え……ちょっと、銀ちゃん、な、なにす…!」
突然の抱擁に驚いて身を引こうとするが、布団にくるまっていて身動きが取れない。頭を押さえつけられて、言葉も出ない。
「***、お前がガキの頃、こーゆー時に母ちゃんはどうしてくれた?」
「え…?こうゆう時って……」
「お前が傷ついて、ぴーぴー泣いてる時、お前の母ちゃんはこーやってしてくれたんじゃねぇの」
腕に力をこめると、***の顔が銀時の胸につく。涙に濡れた頬が、開いた襟元のなかに触れてひんやりとする。湿った息を感じる。
「…………お、お母さんは…」
言い淀んでいることを「ほら早く言ってみろ」と促すように、銀時の腕にさらに力がこもる。
「せ、背中を…ぽんぽんて、してくれた」
「ほい、こうか?」
背中に回された大きな手が、***の背中の上で布団越しに一定のリズムを刻む。記憶もおぼろげなくらいずっと昔に、母親に同じことをされた時よりも、銀時の手の力は少し強い。でもそれが懐かしくて、たまらない気持ちになる。
「あとは?他にはどーしてくれた?」
「あとは……頭を撫でて、…いい子だって言ってくれた」
銀時は言われた通り、自分の顔のすぐ下でうつむいている***の小さな頭を、大きな手で何度も撫でて、何度も「***はいい子だ」と言った。
抱き寄せられた驚きで止まっていた涙が、また込み上げてくる。ずっと思い浮かべないようにしていた母親の顔が浮かんできて、恋しい気持ちが膨らむ。涙をこらえようとすると呼吸が乱れて、小さな声が漏れ出てしまう。その声を聞いた銀時がさらに腕に力をこめるから、その温かさに***はもっと甘えたくなる。
「あと……お母さんは、……***大好きって言ってくれた」
顔を胸にぎゅっと押し付けて、甘えるように言った***の言葉を聞いて、銀時は声もなく笑った。甘えるのが下手な***が、ようやく本音を言ったと思うと、ほっとしたような愉快なようなおかしな気持ちになった。
わざと大げさに頭を撫でて、腕の中の小さな身体をぐっと抱き寄せる。くだらないことを騒ぎ立てる普段の銀時の声からは、想像できないくらい静かな声だった。
「…大好き、***、大好き」
銀時のその言葉を聞いた途端、***の瞳からはひときわ大粒の涙が溢れた。もはやこらえることもできずに、目の前の銀時の着物を両手でつかむと、しゃくりあげた。嗚咽の間に時々「お母さん」と呼ぶ声が混ざる。その泣き声がおさまるまでずっと、銀時は「***、大好き」と言い続け、震える小さな頭を撫で続けた。
身体中を心地よい温かさに包まれて、***は母親の夢を見た。夢のなかの母は***の目をしっかりと見て、頬を両手で包むと、「***、大好き」と言った。「私も、お母さん大好き」と言うと母は微笑んだ。その後、急に明るい光が射して、だんだんと顔が見えなくなる。
「待って!もうちょっと一緒にいて!」と大きな声で叫んで、手を伸ばしたけれど、光がまぶしくて何もつかめない。強い光のせいで、もう母親がどこにいるのかも分からない。光の色がだんだんと変わり、きらきらと光る銀色になった頃、ようやく***の手に何かが触れた。
「お母さん!」と大きな声で叫ぶ。かすかに手に触れた物をつかむと、***は必死で引き寄せた―――
「イダダダダダダ!!***!オメーなにすんだよ!髪抜ける抜けるぅっ!離せって!!!」
「………あれ?銀ちゃん?」
***の手が必死でつかんでいたのは、銀時の髪だった。
もう朝が来ていて窓の外は明るい。差し込む日差しが***の顔を直接照らしていた。あんなに降っていた雨も止んで、鳥のさえずりが聞こえる。銀時が***を抱きかかえたまま、二人揃って朝まで眠ってしまっていた。
布団の上にふたりで座って、銀時が***の額に手のひらを当てる。熱は下がり、起き上がった身体は軽く、もう寒気もない。
「あ!私、配達が!!」
時計は既に6時を指していて、とっくに仕事の時間は過ぎている。
「だぁーいじょぶだって、昨日牛乳屋のジジイに、熱が出たから休ませろって言ってあっから。そもそもあのジジイ、人使い荒すぎるっつーの」
ああ、そうかと肩を落として、***は眉を八の字に下げる。
「銀ちゃんにも、おじさんにも迷惑かけちゃいました…ごめんね」
「はああぁぁぁ~、お前まだ分かんねぇの、昨日から銀さん何度も言ってっけど、ごめんじゃねぇっつうの!オメーが悪くねぇことを謝ってんじゃねぇよ、自分は悪くねーってちゃんと認めりゃいーじゃねぇか」
軽い口ぶりとは裏腹に、銀時の目が真剣で***は驚く。「お前は悪くない」という言葉の意味に気付いて、はっとする。
銀ちゃんは、私が昨日話したことについて言っている、昨夜熱にうなされながら話した過去のことについて言ってるんだと気が付くと、途端にひどく戸惑い、***は銀時から目をそらす。
「あとさぁ、俺、いちばん聞きてぇことがまだ聞けてねーんだけど」
「な、なんですか聞きたいことって…」
「***、こっち見ろ」
「え、やですよ、恥ずかしいもん」
「恥ずかしくねーだろ、おら、こっち見ろって」
ぺたりと座り込んでいる***の前に、あぐらをかいた銀時が座っている。伸びてきたふたつの大きな手に両頬をつかまれて、ぐいっと銀時の方を向かされる。***の目は泳いで、銀時を直視することができない。
聞かれる前に、もう何を聞かれるか分かっている。聞かれたら***がいちばん困ることを、今まさに言葉にされてしまう。
「***、お前………家族に会いてぇんだろ」
「あ、会い、たくない」
「嘘つくな、嘘ついたって苦しいまんまだ。会いてぇって思ったって、誰もお前を責めねぇし、誰も苦しまねぇから、さっさと認めろ」
「や、やだよ、嫌ですよ、銀ちゃん。だって認めたら私、もうここで頑張れなくなっちゃうかもしれないよ…」
頬をつかむ銀時の両手に、***の震える手がそっと添えられる。「はあぁぁぁぁ〜」とため息をついた後で、銀時が苦笑いしながら優しい声で話しはじめる。
「それでもずっとやってきたんだろーが、***、………お前の部屋になんであんなに物がねぇんだよ、お前、いつでも帰れるように、帰ってこいって言われたら、すぐ帰れるように物増やさなかったんだろ。ほんとはすぐにでも家族に会いてぇって自分でも分かってるはずだ……それでもちゃーんと働いてこれたじゃねぇか、ぜってー大丈夫だから、さっさと言えよ、会いたいって」
唇をわなわなと震わせた***の瞳が、怖がっているかのように揺れて、涙で潤みはじめる。顔をつかんでいた銀時の両手が動いて、***の柔らかい両頬を指でつねった。
「イタタタタタッ!銀ちゃ、は、離してくださ…」
「ぶーっ!オメーのほっぺたすっげぇ伸びんのなぁ、マシュマロみてー!オラオラ、朝から銀さんをハゲさせよーとした仕返しだコラ!言えよ!会いてぇって言え!!」
「痛い痛い痛いッ!ぎ、ぎんちゃん!ちょっ…」
***が痛がれば痛がるほど、銀時はおもしろがって指の力を強め、外へ外へと頬を引っ張る。ついに***の目から涙の小さな一粒が落ちた。
「オラッ!言うまでやめねぇかんな、言えよ!」
「い、痛い、いたっ、イタイィ……ぁ、あ、会いたいッ!会いたいよお!!!」
***が叫んだ瞬間に、ぱっと頬が解放される。痛みと動揺で涙がぽろぽろと落ちる。両手で頬を抑えてうつむく***の頭に、銀時の手がぽんとのせられる。
「はーい、よくできましたぁ、ったくほんっと***ちゃんは世話が焼けるね~、家族に会いてぇって思ってりゃ、いつかはちゃんと会えんだ。かぶき町中に牛乳届けてぇって思ってりゃ、届けられんのとおんなじでよー、そんくれぇ本気出せ、ド根性女が!」
そう言って銀時が乱暴に頭を撫でるので、髪がぐしゃぐしゃになる。涙で顔もぐしゃぐしゃで、もう何が何だか分からない。
家族に会いたいという気持ちを、いざ言葉にしても何も変わらなくて、目の前の銀時がわざといつも通りにふざけてくれていることに、安心する。
乱れた髪のまま顔を上げると、「***、頭と顔がすげぇことになってんぞ、現代アートですかァ?」と笑っている銀時と目が合う。ああ、この人はとんでもなくすごい人だ、と思う。***が何年も苦しんでいたことを、たった一晩で拭い去ってくれた。頬のじんじんとする痛みと共に、一晩中抱きしめてくれた腕と、頭を撫でてくれた温かい手の感触が戻ってくる。
こういう時なんて言うんだっけ、いつもの癖でごめんねって言いたくなってしまうけど、そうじゃなくって…としばらく考えてから思い出す。面白い物を見つけて喜んでいる少年のような目で、こっちを見ている銀時の赤い瞳を、しっかりと見つめ返すと、涙声で***は言った。
「銀ちゃん、ありがとう!」
(家族に、会いたい!!!)
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no.20【pm.9:30】end