かぶき町で牛乳配達をする女の子
牛乳(人生)は噛んで飲め
おなまえをどうぞ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
【pm.5:45】
ザァァァァァ―――
万事屋の寝室の窓を強い雨粒が打つ。窓の外では、水たまりに雨が打ち付け、歩道が毛羽立って見える。
背後から小さなうなされる声が聞こえて、銀時は振り返る。いつもは自分が寝ている布団に、***が寝ている。顔色は悪いのに頬だけが火照って赤い。さっき熱を測ったら38度もあった。ため息をついてその枕元に座り、汗ばんだ前髪をどかすように、***の額に手を乗せる。
「あっつ……」
うなされる声がほんの一瞬だけ止まったが、しばらくするとまた苦しそうに***は眉を寄せた。
その日は朝からひどい雨だった。早朝4時から***は真っ暗な街を、雨粒に打たれながら自転車をこいで、配達に回った。***が担当地区をまわりきる頃には、レインコートの隙間から入り込んだ雨で、着物はぐっしょりと濡れ、髪もシャワーを浴びたようだった。雨で気温が下がり、秋風に吹かれると身体が冷え、手がかじかむほど寒かった。
へとへとで牛乳屋へ戻ると、配達口の扉の前で、牛乳屋のおかみさんが困った顔をして立っていた。
「おかみさん、どうしたんですか?何かあったんですか?」
「それがねぇ、西地区の配達の子が急に来なくなっちゃって、連絡も取れないんだよ。私も主人もこれから車で配送にいかなきゃならないし……***ちゃん、申し訳ないけど、代わりに回ってもらえるかい、もちろんお給料は上乗せするから」
「ええ、いいですよ!じゃあ、行ってきます!」
再びレインコートのフードを深く被ると、自転車を乗り換える。西地区と書かれた自転車のカゴには、捨てられたようにネームプレートが入っていた。そこに書かれた名前を見て、***の身体がきゅっとすくんだ。
その名前は最近入ってきたばかりの配達員のものだった。まだ若い男の子で、***が仕事を教えた。江戸でやりたいことがあり、牛乳配達は繋ぎの仕事だと言っていた。将来の夢をずいぶん語っていたけど、その内容もほとんど忘れてしまった。
なぜなら、つい先日に言われた別の言葉の方が、***にとっては印象深いものだったから。
――― ***さんは、もし江戸で仕事が無くなっても、いつでも実家の農園に帰れるし、気楽でいいですよね。親の築いたものを継ぐだけでいいなんて、羨ましいな。
悪気のない言葉だとは分かってはいても、***の心にはずしんときた。自然と口が「そうだねぇ」と同意して、意味もなくへらへらと笑った。
そんなことを思い出しながら、なんとか規定時間までには牛乳を配り終えなければと、***は必死で自転車をこいだ。レインコートがずれて、どんどん雨が入り込んでくる。
「寒い…」
なんとか配り終わった頃には時間は8時を回っていた。9時からスーパーのアルバイトが始まるため、身体を軽く拭いて、びしょ濡れの髪も軽くまとめただけで、急いで次の職場へと向かった。
昼を過ぎても、まだ雨は止まない。
万事屋に一本の電話がかかってきて、銀時が取ると牛乳屋の主人だった。
今日は朝から***にたくさん仕事をさせてしまい、そのままアルバイトへ行ったようだから心配になったという。
「悪いが万事屋の旦那、夕方にでも様子見に行ってやってくんねぇか、***ちゃん、ずいぶん疲れてるだろうから」
「へーへーわかったよ。こんな雨んなか従業員こき使ったうえに、人に頼みごとまでするたぁ、ジジイおめぇ人使いが荒すぎねぇか」
憎まれ口をききながらも了承した銀時に笑って、牛乳屋の主人は電話を切った。
仕事が終わる時間に合わせて原付でスーパーに来てみると、ちょうど***が出口から出てきたところだった。銀時に声をかけられて、驚いた顔をする。
「銀ちゃん、どうしたんですか?」
「牛乳屋のジジイから、お前が心配だから様子見に行けって電話かかってきた」
「ああ、おじさんが…もぉ大丈夫なのに」
「お前、今朝の大雨んなか配達二回りしたんだってな、ジジイが悪かったって謝ってたぞ」
「そんな…一回りも二回りも大して変わんないよ、ちょっと疲れただけで、寝ちゃえば大丈夫です。銀ちゃんもありがとう」
そう言っていつも通りにこにこと笑っているが、***の様子がおかしいことに銀時は薄々勘づく。
「おい、***、送ってくから後ろ乗れよ」
「え!いいよいいよ、自転車で来てるから乗って帰らなきゃ…」
「無理すんなって、まだ雨降ってっから濡れちまうぞ」
「大丈夫です、銀ちゃんも濡れちゃうから、早く帰って下さいね」
「おい!***!!」
銀時の引き留める声にも足を止めず、雨のなかに飛び出していく。自転車に飛び乗るとレインコートも着ずにこぎだしていった。
「なんだっつんだよ……」
朝濡れた着物を半乾きのまま一日中着ていたせいで、身体中が冷たい。銀時に声をかけられた時には疲れすぎて、自分がちゃんと笑えているかどうかも、***は自信がなかった。
自宅について自転車を降り、部屋のドアをあけようと手提げの中に手を入れる。鍵が見つからずにごそごそと探しているうちに、財布や巾着袋がばらばらと、雨の打つ地面に落ちてしまう。
「あぁ、もう」
しゃがんで拾おうとしている時に、上から銀時の声が降ってきた。
「何やってんだよ、***、濡れっからやめとけって言っただろーが。なんなのお前、風邪ひきてぇの?わざわざ雨に濡れて熱でも出してぇの?テスト前の中学生ですかァ?んな自分勝手なことばっかしてっと、田舎の父ちゃんと母ちゃんが心配するだろーが。ただでさえ家に帰ってこねぇ娘が、こんな自暴自棄な暮らししてんの知ったら、泣いて悲しむっつーの、いい加減に…」
「ほっといてください!銀ちゃんには関係ないでしょ!」
しゃがんでうつむいたままの***が、珍しく怒りの声を出したことに、銀時は驚いて言葉を止める。
「それに…帰るところなんてないですから!!!」
ザァァァァァ…―――
耳元に雨音が戻ってきて、しゃがんだままの***がはっとする。怒りに任せて大きな声を出してしまったことに、自分で自分に驚く。ぱっと顔をあげると、銀時も目を見開いて***を見ている。
「ご、ごめんなさい、銀ちゃん、ちがうの…銀ちゃんにこんなこと言うつもりなかったんです……」
地面に落ちた物もそのままに、ばっと立ち上がって、銀時の腕に触れようと手を伸ばした瞬間、ぐらりと視界がゆれた。真っすぐ立っているはずの足がぐらぐらして、ふらついてしまう。
「ごめんね、ごめんなさ…」
謝らなきゃ、銀ちゃんを傷つけるつもりなんてないのに……と、それしか頭に浮かんでこない。ごめんなさい、という言葉だけを、壊れた機械のように発していると、意識がだんだん遠のいてきた。
視界が真っ暗になる直前に、「おい!***!!」と言いながら焦った顔をしている銀時の姿を、一瞬だけ見た気がした。
目を開けると見慣れない部屋の天井が見えた。ここはどこだろうと、ぼんやり考えたのも一瞬で、身体中に高熱の時の痛みとだるさが走る。背中を悪寒が駆け上がってくる。
「うぅ…ん、」
「起きたか、***、お前いますげぇ熱出てんだぞ、銀さんのこと分かるか、これ何本に見える?」
銀時が***の顔の前で、ピースサインのように指を立てる。
「に、2本…ケホッ…ぎ、銀ちゃん、ここどこ」
「あ?どこってうちだよ、万事屋。お前じぶんちの前でぶっ倒れたの覚えてねぇの?部屋の鍵見つかんねぇし、揺さぶってもお前全然起きねぇから、しょうがねぇから連れてきた」
「ここ…銀ちゃんのお部屋…ご、ごめん、ケホッ…ゲホゲホッ…」
慌てて***が起き上がろうとすると、枕元に座っていた銀時が、上からその両肩を押さえつけた。
「馬鹿かオメーは!熱があるっつってんだろ!オラ、意識があるうちに薬飲みやがれ」
「か、神楽ちゃんたちは…」
「風邪がうつるかもしんねーから新八んち行った」
「うぅ…ごめんなさいぃ…う、むぐッ」
「うるせー、喋ってねぇでさっさと薬飲めっつってんだよ」
銀時の大きな手が伸びてきて、無理やり口に錠剤を押し込まれる。背中の下に一瞬太い腕が入ってきたかと思うと、強い力で持ち上げられて身体を起こす。湯呑を口元にあてられて、抵抗する間もなく口に水が入ってくる。されるがままに薬をごくんと飲み下す。それを見て納得したように頷いた銀時に、また肩を押されて布団をかけられる。
「薬が効けば熱も下がんだろ…なんか食えるか?粥なら作れっけど、どうする?」
***はぼんやりとした目で銀時を見上げて、食欲はないと言って顔を横に振った。
「食えるようになったら、言えよ。なんか食わねぇと治るもんも治んねぇからな」
「……銀ちゃん、お母さんみたい」
弱々しい声でつぶやいた***の額から、ずり落ちた手拭いを拾って、洗面器の氷水につけてから絞る。
「誰がお母さんっだっつーの」と言いながら振り向き、再び***の額に手拭いをのせようとした銀時が、はっと息をのんで動きを止める。
***が大粒の涙を流して、泣いていた。
「っう、うぅ…ぎ、ぎんちゃ、ごめ、ごめんなさい」
「……なんで謝んだよ、っつーか何泣いてんだよ…もぉーお前何なの?何があったんだよ?銀さんオメーの母ちゃんじゃねぇから、言ってくんねーとわかんねぇだろコノヤロー」
「だ、だって……」
「だって何だよ、何かあったんだろーが、さっさと言えよ」
「って………じ、実家に帰れって、いわ、言われても……私、」
帰れないんだもん、と絞り出すような声で言った後、***は「うわぁん」と子供のように声を上げて泣いた。
熱で体力が奪われているのに、残りの少ない力を振り絞るように泣いている***を見て、銀時は不安になる。
熱で赤らんだ顔の横に力なく置かれていた細い腕と、青白い手がよろよろと動いて、銀時の腕に触れた。何も言わずにその手を取ると、強く握る。
熱が出ているのは自分なのに、銀時の手の方が熱く感じて不思議だと***は思った。ずっとこらえていたのに、一度溢れてしまった涙はなかなか止まらない。水中にいるみたいにぼやけた視界で、眉間にしわをよせた銀時が、じっと***を見つめている。
銀時を困らせたくないのに、涙が止まらないし、手を握っててもらわないと不安でたまらない。「ごめんね」という言葉ばかりが口から出てくる。
「…ごめんじゃねぇよ、***、お前はなんも悪くねぇだろ」
自分の嗚咽の合間に、銀時の優しい声が聞こえた。強く握られた手のひらから熱い体温が伝わってくる。泣いているせいでこわばっていた身体がほどけて、少し浮き上がっていた肩が布団につく。大粒だった涙が、ゆっくりと頬を伝うくらいに少しずつおさまる。
安心とは違う気がする。もっと大きくて強い何か、***が飛び込んでもびくともしないような丈夫な何かに、受け止められるような、そんな感覚が身体に広がる。
「ちがうの銀ちゃん…ちがうんです……私がいけなかったの、私のせいなの……」
その話を人に打ち明けてはいけないと、警告する声が頭の片隅で聞こえる。でもこちら見つめる銀時の赤い瞳に、心の中をすべて見透かされているようで、身体が勝手に反応してしまう。
***の意思に反して、唇が勝手に動き出す。ずっと心の奥深くにしまっていたことを、ぽつりぽつりと言葉にして紡いでいく。
朝から降り続いている雨は、まだやみそうにない。
---------------------------------------------
no.19【pm.5:45】end
ザァァァァァ―――
万事屋の寝室の窓を強い雨粒が打つ。窓の外では、水たまりに雨が打ち付け、歩道が毛羽立って見える。
背後から小さなうなされる声が聞こえて、銀時は振り返る。いつもは自分が寝ている布団に、***が寝ている。顔色は悪いのに頬だけが火照って赤い。さっき熱を測ったら38度もあった。ため息をついてその枕元に座り、汗ばんだ前髪をどかすように、***の額に手を乗せる。
「あっつ……」
うなされる声がほんの一瞬だけ止まったが、しばらくするとまた苦しそうに***は眉を寄せた。
その日は朝からひどい雨だった。早朝4時から***は真っ暗な街を、雨粒に打たれながら自転車をこいで、配達に回った。***が担当地区をまわりきる頃には、レインコートの隙間から入り込んだ雨で、着物はぐっしょりと濡れ、髪もシャワーを浴びたようだった。雨で気温が下がり、秋風に吹かれると身体が冷え、手がかじかむほど寒かった。
へとへとで牛乳屋へ戻ると、配達口の扉の前で、牛乳屋のおかみさんが困った顔をして立っていた。
「おかみさん、どうしたんですか?何かあったんですか?」
「それがねぇ、西地区の配達の子が急に来なくなっちゃって、連絡も取れないんだよ。私も主人もこれから車で配送にいかなきゃならないし……***ちゃん、申し訳ないけど、代わりに回ってもらえるかい、もちろんお給料は上乗せするから」
「ええ、いいですよ!じゃあ、行ってきます!」
再びレインコートのフードを深く被ると、自転車を乗り換える。西地区と書かれた自転車のカゴには、捨てられたようにネームプレートが入っていた。そこに書かれた名前を見て、***の身体がきゅっとすくんだ。
その名前は最近入ってきたばかりの配達員のものだった。まだ若い男の子で、***が仕事を教えた。江戸でやりたいことがあり、牛乳配達は繋ぎの仕事だと言っていた。将来の夢をずいぶん語っていたけど、その内容もほとんど忘れてしまった。
なぜなら、つい先日に言われた別の言葉の方が、***にとっては印象深いものだったから。
――― ***さんは、もし江戸で仕事が無くなっても、いつでも実家の農園に帰れるし、気楽でいいですよね。親の築いたものを継ぐだけでいいなんて、羨ましいな。
悪気のない言葉だとは分かってはいても、***の心にはずしんときた。自然と口が「そうだねぇ」と同意して、意味もなくへらへらと笑った。
そんなことを思い出しながら、なんとか規定時間までには牛乳を配り終えなければと、***は必死で自転車をこいだ。レインコートがずれて、どんどん雨が入り込んでくる。
「寒い…」
なんとか配り終わった頃には時間は8時を回っていた。9時からスーパーのアルバイトが始まるため、身体を軽く拭いて、びしょ濡れの髪も軽くまとめただけで、急いで次の職場へと向かった。
昼を過ぎても、まだ雨は止まない。
万事屋に一本の電話がかかってきて、銀時が取ると牛乳屋の主人だった。
今日は朝から***にたくさん仕事をさせてしまい、そのままアルバイトへ行ったようだから心配になったという。
「悪いが万事屋の旦那、夕方にでも様子見に行ってやってくんねぇか、***ちゃん、ずいぶん疲れてるだろうから」
「へーへーわかったよ。こんな雨んなか従業員こき使ったうえに、人に頼みごとまでするたぁ、ジジイおめぇ人使いが荒すぎねぇか」
憎まれ口をききながらも了承した銀時に笑って、牛乳屋の主人は電話を切った。
仕事が終わる時間に合わせて原付でスーパーに来てみると、ちょうど***が出口から出てきたところだった。銀時に声をかけられて、驚いた顔をする。
「銀ちゃん、どうしたんですか?」
「牛乳屋のジジイから、お前が心配だから様子見に行けって電話かかってきた」
「ああ、おじさんが…もぉ大丈夫なのに」
「お前、今朝の大雨んなか配達二回りしたんだってな、ジジイが悪かったって謝ってたぞ」
「そんな…一回りも二回りも大して変わんないよ、ちょっと疲れただけで、寝ちゃえば大丈夫です。銀ちゃんもありがとう」
そう言っていつも通りにこにこと笑っているが、***の様子がおかしいことに銀時は薄々勘づく。
「おい、***、送ってくから後ろ乗れよ」
「え!いいよいいよ、自転車で来てるから乗って帰らなきゃ…」
「無理すんなって、まだ雨降ってっから濡れちまうぞ」
「大丈夫です、銀ちゃんも濡れちゃうから、早く帰って下さいね」
「おい!***!!」
銀時の引き留める声にも足を止めず、雨のなかに飛び出していく。自転車に飛び乗るとレインコートも着ずにこぎだしていった。
「なんだっつんだよ……」
朝濡れた着物を半乾きのまま一日中着ていたせいで、身体中が冷たい。銀時に声をかけられた時には疲れすぎて、自分がちゃんと笑えているかどうかも、***は自信がなかった。
自宅について自転車を降り、部屋のドアをあけようと手提げの中に手を入れる。鍵が見つからずにごそごそと探しているうちに、財布や巾着袋がばらばらと、雨の打つ地面に落ちてしまう。
「あぁ、もう」
しゃがんで拾おうとしている時に、上から銀時の声が降ってきた。
「何やってんだよ、***、濡れっからやめとけって言っただろーが。なんなのお前、風邪ひきてぇの?わざわざ雨に濡れて熱でも出してぇの?テスト前の中学生ですかァ?んな自分勝手なことばっかしてっと、田舎の父ちゃんと母ちゃんが心配するだろーが。ただでさえ家に帰ってこねぇ娘が、こんな自暴自棄な暮らししてんの知ったら、泣いて悲しむっつーの、いい加減に…」
「ほっといてください!銀ちゃんには関係ないでしょ!」
しゃがんでうつむいたままの***が、珍しく怒りの声を出したことに、銀時は驚いて言葉を止める。
「それに…帰るところなんてないですから!!!」
ザァァァァァ…―――
耳元に雨音が戻ってきて、しゃがんだままの***がはっとする。怒りに任せて大きな声を出してしまったことに、自分で自分に驚く。ぱっと顔をあげると、銀時も目を見開いて***を見ている。
「ご、ごめんなさい、銀ちゃん、ちがうの…銀ちゃんにこんなこと言うつもりなかったんです……」
地面に落ちた物もそのままに、ばっと立ち上がって、銀時の腕に触れようと手を伸ばした瞬間、ぐらりと視界がゆれた。真っすぐ立っているはずの足がぐらぐらして、ふらついてしまう。
「ごめんね、ごめんなさ…」
謝らなきゃ、銀ちゃんを傷つけるつもりなんてないのに……と、それしか頭に浮かんでこない。ごめんなさい、という言葉だけを、壊れた機械のように発していると、意識がだんだん遠のいてきた。
視界が真っ暗になる直前に、「おい!***!!」と言いながら焦った顔をしている銀時の姿を、一瞬だけ見た気がした。
目を開けると見慣れない部屋の天井が見えた。ここはどこだろうと、ぼんやり考えたのも一瞬で、身体中に高熱の時の痛みとだるさが走る。背中を悪寒が駆け上がってくる。
「うぅ…ん、」
「起きたか、***、お前いますげぇ熱出てんだぞ、銀さんのこと分かるか、これ何本に見える?」
銀時が***の顔の前で、ピースサインのように指を立てる。
「に、2本…ケホッ…ぎ、銀ちゃん、ここどこ」
「あ?どこってうちだよ、万事屋。お前じぶんちの前でぶっ倒れたの覚えてねぇの?部屋の鍵見つかんねぇし、揺さぶってもお前全然起きねぇから、しょうがねぇから連れてきた」
「ここ…銀ちゃんのお部屋…ご、ごめん、ケホッ…ゲホゲホッ…」
慌てて***が起き上がろうとすると、枕元に座っていた銀時が、上からその両肩を押さえつけた。
「馬鹿かオメーは!熱があるっつってんだろ!オラ、意識があるうちに薬飲みやがれ」
「か、神楽ちゃんたちは…」
「風邪がうつるかもしんねーから新八んち行った」
「うぅ…ごめんなさいぃ…う、むぐッ」
「うるせー、喋ってねぇでさっさと薬飲めっつってんだよ」
銀時の大きな手が伸びてきて、無理やり口に錠剤を押し込まれる。背中の下に一瞬太い腕が入ってきたかと思うと、強い力で持ち上げられて身体を起こす。湯呑を口元にあてられて、抵抗する間もなく口に水が入ってくる。されるがままに薬をごくんと飲み下す。それを見て納得したように頷いた銀時に、また肩を押されて布団をかけられる。
「薬が効けば熱も下がんだろ…なんか食えるか?粥なら作れっけど、どうする?」
***はぼんやりとした目で銀時を見上げて、食欲はないと言って顔を横に振った。
「食えるようになったら、言えよ。なんか食わねぇと治るもんも治んねぇからな」
「……銀ちゃん、お母さんみたい」
弱々しい声でつぶやいた***の額から、ずり落ちた手拭いを拾って、洗面器の氷水につけてから絞る。
「誰がお母さんっだっつーの」と言いながら振り向き、再び***の額に手拭いをのせようとした銀時が、はっと息をのんで動きを止める。
***が大粒の涙を流して、泣いていた。
「っう、うぅ…ぎ、ぎんちゃ、ごめ、ごめんなさい」
「……なんで謝んだよ、っつーか何泣いてんだよ…もぉーお前何なの?何があったんだよ?銀さんオメーの母ちゃんじゃねぇから、言ってくんねーとわかんねぇだろコノヤロー」
「だ、だって……」
「だって何だよ、何かあったんだろーが、さっさと言えよ」
「って………じ、実家に帰れって、いわ、言われても……私、」
帰れないんだもん、と絞り出すような声で言った後、***は「うわぁん」と子供のように声を上げて泣いた。
熱で体力が奪われているのに、残りの少ない力を振り絞るように泣いている***を見て、銀時は不安になる。
熱で赤らんだ顔の横に力なく置かれていた細い腕と、青白い手がよろよろと動いて、銀時の腕に触れた。何も言わずにその手を取ると、強く握る。
熱が出ているのは自分なのに、銀時の手の方が熱く感じて不思議だと***は思った。ずっとこらえていたのに、一度溢れてしまった涙はなかなか止まらない。水中にいるみたいにぼやけた視界で、眉間にしわをよせた銀時が、じっと***を見つめている。
銀時を困らせたくないのに、涙が止まらないし、手を握っててもらわないと不安でたまらない。「ごめんね」という言葉ばかりが口から出てくる。
「…ごめんじゃねぇよ、***、お前はなんも悪くねぇだろ」
自分の嗚咽の合間に、銀時の優しい声が聞こえた。強く握られた手のひらから熱い体温が伝わってくる。泣いているせいでこわばっていた身体がほどけて、少し浮き上がっていた肩が布団につく。大粒だった涙が、ゆっくりと頬を伝うくらいに少しずつおさまる。
安心とは違う気がする。もっと大きくて強い何か、***が飛び込んでもびくともしないような丈夫な何かに、受け止められるような、そんな感覚が身体に広がる。
「ちがうの銀ちゃん…ちがうんです……私がいけなかったの、私のせいなの……」
その話を人に打ち明けてはいけないと、警告する声が頭の片隅で聞こえる。でもこちら見つめる銀時の赤い瞳に、心の中をすべて見透かされているようで、身体が勝手に反応してしまう。
***の意思に反して、唇が勝手に動き出す。ずっと心の奥深くにしまっていたことを、ぽつりぽつりと言葉にして紡いでいく。
朝から降り続いている雨は、まだやみそうにない。
---------------------------------------------
no.19【pm.5:45】end