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第1章
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第14話。
再び小型ビジネスジェットで次の任務地へ向かう機内でのラビ。
厚い窓の向こうには、雲の層がどこまでも続いている。
地上の音も、街の匂いも、すべて遠い。
ラビは向かいのテーブルに置かれた資料へ目を通していた。
分家の目録。
回収対象の古文書。
次の支部で確認すべき遺物の一覧。
どれもこれも、目を通せば通すほど面倒なものばかりだった。
「……これ、ほんとに今日中?」
「今日中です」
向かいに座るリンクが、迷いなく答える。
「鬼」
「どれも緊急を要する物ばかりですから」
「鬼って言われて否定しないの?」
「当たってますので」
ラビは薄く笑って、紙束を一枚めくる。
その時だった。
テーブルの上に置いていたスマートフォンが、短く震えた。
ぶ、と小さな音。
ラビは視線だけを落とす。
画面に表示された発信元を見て、少しだけ眉を動かした。
(……大真柱?)
リンクの手も、そこで止まる。
「出てください」
「言われなくても」
ラビは背もたれに身体を預けたまま、通話を受けた。
「はい、Jr.だけど」
軽い声で出た。
けれど、次の瞬間。
電話の向こうから聞こえてきた内容に、ラビの表情が少しずつ変わっていく。
最初は面倒そうだった顔が、怪訝になり、やがて困惑へ変わる。
「…… 鈴木家から?」
リンクが無言で顔を上げた。
ラビはスマートフォンを耳に当てたまま、ゆっくり座り直す。
「〝 娘が不安そうにしてる。〟って……」
そこで、ラビの声が止まった。
あの空港での別れ際。
『次は……いつ会えますか?』
その顔が、不意に頭をよぎる。
「……」
ラビは目を伏せた。
「いや、連絡しなかったわけじゃ……」
言いかけて、止まる。
していない。
連絡は、していなかった。
大真柱に話を通せば、次の段取りは何とかしてくれるだろうと思っていた。
自分がしばらく日本を離れることも、直接は伝えていない。
ラビは電話口へ向かって、慌てて声を整えた。
「……分かった。俺から連絡する」
電話の向こうから、さらに何か言われる。
ラビの眉が、ぴくりと動いた。
「花嫁修業の日程?」
リンクが、静かに視線を上げる。
ラビはスマートフォンを耳に当てたまま、少しだけ顔をしかめた。
「いや、それは……今すぐ決められる話じゃないでしょ。俺、まだ戻れないし」
電話の向こうの声は、淡々としているらしい。
ラビは面倒そうに前髪をかき上げた。
「分かってる。縁談を進めるって言ったのは俺だよ」
その言葉だけが、機内にはっきり響いた。
「だから、ちゃんとするって。……うん。鈴木家にはそう伝えたんだろ?」
少しの間。
「分かった。本人にも連絡する。今日中に」
通話を切ったあと、ラビはしばらくスマートフォンを見下ろしていた。
それから、勢いよく顔を上げる。
「くっそ!忘れてた!!」
リンクは瞬きもせずにラビを見る。
「何をですか」
「チカに連絡すんの!」
「……」
「やっば」
ラビは片手で髪をかき上げた。
「俺、空港で“縁談進めていいって言っとく”って言っただけで、その後なんもしてない!」
「左様ですか」
「左様で、じゃないだろ!」
ラビはそこで、なぜかリンクをぎろりと睨んだ。
「これ、お前のせいだかんね!」
「はい?」
リンクの声が、ほんの少しだけ冷えた。
「お前がこんなにぎゅうぎゅうにスケジュール組むから! チカに電話すんの忘れてたさ! 破談になったらどうしてくれるのさ!」
リンクは数秒、黙った。
それから静かに書類を閉じる。
「まず、私の責任ではありません」
「冷たい!」
「次に、Jr.の私用連絡まで私が管理する義務はございません」
「秘書でしょ!」
「秘書は恋文の催促係ではありません」
「恋文じゃない!」
「では、なおさらご自身でなさるべきでした」
ラビが言葉に詰まる。
リンクは容赦なく続けた。
「そもそも、空港で鈴木様に二か月日本を離れる旨をお伝えしていない時点で、今回の混乱は予測可能でした」
「……」
「破談になるとすれば、主因はJr.の行動です」
ラビはソファに沈み込んだ。
「……最悪」
「ええ」
「そこは否定して」
「できかねます」
ラビはスマートフォンをもう一度見る。
暗い画面に、自分の顔がぼんやり映っていた。
軽い顔。
いつもの顔。
何でも流せると思っていた顔。
「……泣いてるって」
ぽつりと落ちた声に、リンクの表情がほんの少しだけ変わる。
「鈴木様が、ですか」
「そう」
ラビは画面から目を離せない。
「俺、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「つもりの有無ではなく、結果の話です」
「分かってる」
「本当に?」
ラビは答えなかった。
ただ、スマートフォンを握り直す。
噂なんて、放っておけばいい。
今まではそうだった。
けれど今は、もう違う。
その“今まで”の外側に、泣かせてはいけない相手がいる。
初めてそのことに気づいた。
「……で、最短で次、俺、いつ暇?」
リンクは待っていたように端末を開いた。
「確認します」
リンクはスケジュールを淡々と確認していく。
「表の予定だけで申し上げれば、来週の後半に半日ほど空きがございます」
ラビが顔を上げる。
「じゃあ、そこ――」
「ただし、そこは大真柱案件です」
「……」
「その翌日は移動のみですが、移動先で支部監査の裏処理が入っております」
「……」
「さらに翌週、表向きは休養日となっておりますが、実際には回収任務と照合作業がございます」
「俺の休み、どこ行ったのさ」
「大真柱へ」
「返して」
ラビは深くソファに沈み込んだ。
「ブラックすぎるだろ、この一族」
「次期ブックマンとしては通常運転です」
「Jr.じゃなくなったら一体どうなるんだよ」
「ご承知の上かと」
「承知した覚えないけどね」
リンクは端末を操作しながら、さらに続ける。
「本日から十二日間は移動と支部対応が連続しています。その後、三日間は本部との調整会議。翌週に半日の空きがございますが、移動時間を考慮すると面会には不向きです」
「つまり?」
「まともに時間を取れるのは、最短で三週間後です」
「……遠」
「ご自身で承認なさった予定です」
「お前が詰めたんでしょ」
「承認なさったのはあなたです」
チカに出会う前に決めたスケジュール。
ラビは舌打ちしそうになって、飲み込んだ。
「三週間後。日本?」
「一時帰国は可能です。ただし滞在は長くて一泊二日」
「充分」
リンクが静かに視線を上げる。
「鈴木様へ、次回面会の候補としてお伝えになりますか」
ラビはスマートフォンを握り直した。
「……うん。言う」
そこでようやく、ラビは深く息を吐いた。
「で、何番だっけ?」
主語もなければ、説明もない。
けれどリンクは一切迷わなかった。
「090-××××-××××です」
ラビが顔を上げる。
「……暗記してんの?」
「必要な情報ですので」
「怖。でも俺も今覚えたもんね」
ラビの子供のような負けず嫌いを、リンクは表情ひとつ変えずに続けた。
「なお、今からおかけになる場合、第一声は
“元気?”などと軽く入らない方がよろしいかと」
「そこまで信用ない?」
「はい」
「…お前な」
機内Wi-Fiに繋がったスマートフォンの画面へ、番号を打ち込んでいく。
指先が、最後の一桁でほんの少しだけ止まった。
たった二時間ほどしか過ごしていない女。
だからなのか、その番号を押すだけで、喉が乾いた。
リンクは静かに言った。
「ブックマンJr.」
「……何」
「早くかけてください」
ラビは一瞬だけ黙る。
それから、小さく笑った。
「……ほんと性格悪いね。少しの時間もくれないわけ?」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
そう言いながら、ラビは通話ボタンに指を乗せた。
機内の通信回線はすでに繋がっている。
小型ビジネスジェットの機内に、発信音だけが静かに響き始めた。
つづく、2026/05/05
再び小型ビジネスジェットで次の任務地へ向かう機内でのラビ。
厚い窓の向こうには、雲の層がどこまでも続いている。
地上の音も、街の匂いも、すべて遠い。
ラビは向かいのテーブルに置かれた資料へ目を通していた。
分家の目録。
回収対象の古文書。
次の支部で確認すべき遺物の一覧。
どれもこれも、目を通せば通すほど面倒なものばかりだった。
「……これ、ほんとに今日中?」
「今日中です」
向かいに座るリンクが、迷いなく答える。
「鬼」
「どれも緊急を要する物ばかりですから」
「鬼って言われて否定しないの?」
「当たってますので」
ラビは薄く笑って、紙束を一枚めくる。
その時だった。
テーブルの上に置いていたスマートフォンが、短く震えた。
ぶ、と小さな音。
ラビは視線だけを落とす。
画面に表示された発信元を見て、少しだけ眉を動かした。
(……大真柱?)
リンクの手も、そこで止まる。
「出てください」
「言われなくても」
ラビは背もたれに身体を預けたまま、通話を受けた。
「はい、Jr.だけど」
軽い声で出た。
けれど、次の瞬間。
電話の向こうから聞こえてきた内容に、ラビの表情が少しずつ変わっていく。
最初は面倒そうだった顔が、怪訝になり、やがて困惑へ変わる。
「…… 鈴木家から?」
リンクが無言で顔を上げた。
ラビはスマートフォンを耳に当てたまま、ゆっくり座り直す。
「〝 娘が不安そうにしてる。〟って……」
そこで、ラビの声が止まった。
あの空港での別れ際。
『次は……いつ会えますか?』
その顔が、不意に頭をよぎる。
「……」
ラビは目を伏せた。
「いや、連絡しなかったわけじゃ……」
言いかけて、止まる。
していない。
連絡は、していなかった。
大真柱に話を通せば、次の段取りは何とかしてくれるだろうと思っていた。
自分がしばらく日本を離れることも、直接は伝えていない。
ラビは電話口へ向かって、慌てて声を整えた。
「……分かった。俺から連絡する」
電話の向こうから、さらに何か言われる。
ラビの眉が、ぴくりと動いた。
「花嫁修業の日程?」
リンクが、静かに視線を上げる。
ラビはスマートフォンを耳に当てたまま、少しだけ顔をしかめた。
「いや、それは……今すぐ決められる話じゃないでしょ。俺、まだ戻れないし」
電話の向こうの声は、淡々としているらしい。
ラビは面倒そうに前髪をかき上げた。
「分かってる。縁談を進めるって言ったのは俺だよ」
その言葉だけが、機内にはっきり響いた。
「だから、ちゃんとするって。……うん。鈴木家にはそう伝えたんだろ?」
少しの間。
「分かった。本人にも連絡する。今日中に」
通話を切ったあと、ラビはしばらくスマートフォンを見下ろしていた。
それから、勢いよく顔を上げる。
「くっそ!忘れてた!!」
リンクは瞬きもせずにラビを見る。
「何をですか」
「チカに連絡すんの!」
「……」
「やっば」
ラビは片手で髪をかき上げた。
「俺、空港で“縁談進めていいって言っとく”って言っただけで、その後なんもしてない!」
「左様ですか」
「左様で、じゃないだろ!」
ラビはそこで、なぜかリンクをぎろりと睨んだ。
「これ、お前のせいだかんね!」
「はい?」
リンクの声が、ほんの少しだけ冷えた。
「お前がこんなにぎゅうぎゅうにスケジュール組むから! チカに電話すんの忘れてたさ! 破談になったらどうしてくれるのさ!」
リンクは数秒、黙った。
それから静かに書類を閉じる。
「まず、私の責任ではありません」
「冷たい!」
「次に、Jr.の私用連絡まで私が管理する義務はございません」
「秘書でしょ!」
「秘書は恋文の催促係ではありません」
「恋文じゃない!」
「では、なおさらご自身でなさるべきでした」
ラビが言葉に詰まる。
リンクは容赦なく続けた。
「そもそも、空港で鈴木様に二か月日本を離れる旨をお伝えしていない時点で、今回の混乱は予測可能でした」
「……」
「破談になるとすれば、主因はJr.の行動です」
ラビはソファに沈み込んだ。
「……最悪」
「ええ」
「そこは否定して」
「できかねます」
ラビはスマートフォンをもう一度見る。
暗い画面に、自分の顔がぼんやり映っていた。
軽い顔。
いつもの顔。
何でも流せると思っていた顔。
「……泣いてるって」
ぽつりと落ちた声に、リンクの表情がほんの少しだけ変わる。
「鈴木様が、ですか」
「そう」
ラビは画面から目を離せない。
「俺、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「つもりの有無ではなく、結果の話です」
「分かってる」
「本当に?」
ラビは答えなかった。
ただ、スマートフォンを握り直す。
噂なんて、放っておけばいい。
今まではそうだった。
けれど今は、もう違う。
その“今まで”の外側に、泣かせてはいけない相手がいる。
初めてそのことに気づいた。
「……で、最短で次、俺、いつ暇?」
リンクは待っていたように端末を開いた。
「確認します」
リンクはスケジュールを淡々と確認していく。
「表の予定だけで申し上げれば、来週の後半に半日ほど空きがございます」
ラビが顔を上げる。
「じゃあ、そこ――」
「ただし、そこは大真柱案件です」
「……」
「その翌日は移動のみですが、移動先で支部監査の裏処理が入っております」
「……」
「さらに翌週、表向きは休養日となっておりますが、実際には回収任務と照合作業がございます」
「俺の休み、どこ行ったのさ」
「大真柱へ」
「返して」
ラビは深くソファに沈み込んだ。
「ブラックすぎるだろ、この一族」
「次期ブックマンとしては通常運転です」
「Jr.じゃなくなったら一体どうなるんだよ」
「ご承知の上かと」
「承知した覚えないけどね」
リンクは端末を操作しながら、さらに続ける。
「本日から十二日間は移動と支部対応が連続しています。その後、三日間は本部との調整会議。翌週に半日の空きがございますが、移動時間を考慮すると面会には不向きです」
「つまり?」
「まともに時間を取れるのは、最短で三週間後です」
「……遠」
「ご自身で承認なさった予定です」
「お前が詰めたんでしょ」
「承認なさったのはあなたです」
チカに出会う前に決めたスケジュール。
ラビは舌打ちしそうになって、飲み込んだ。
「三週間後。日本?」
「一時帰国は可能です。ただし滞在は長くて一泊二日」
「充分」
リンクが静かに視線を上げる。
「鈴木様へ、次回面会の候補としてお伝えになりますか」
ラビはスマートフォンを握り直した。
「……うん。言う」
そこでようやく、ラビは深く息を吐いた。
「で、何番だっけ?」
主語もなければ、説明もない。
けれどリンクは一切迷わなかった。
「090-××××-××××です」
ラビが顔を上げる。
「……暗記してんの?」
「必要な情報ですので」
「怖。でも俺も今覚えたもんね」
ラビの子供のような負けず嫌いを、リンクは表情ひとつ変えずに続けた。
「なお、今からおかけになる場合、第一声は
“元気?”などと軽く入らない方がよろしいかと」
「そこまで信用ない?」
「はい」
「…お前な」
機内Wi-Fiに繋がったスマートフォンの画面へ、番号を打ち込んでいく。
指先が、最後の一桁でほんの少しだけ止まった。
たった二時間ほどしか過ごしていない女。
だからなのか、その番号を押すだけで、喉が乾いた。
リンクは静かに言った。
「ブックマンJr.」
「……何」
「早くかけてください」
ラビは一瞬だけ黙る。
それから、小さく笑った。
「……ほんと性格悪いね。少しの時間もくれないわけ?」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
そう言いながら、ラビは通話ボタンに指を乗せた。
機内の通信回線はすでに繋がっている。
小型ビジネスジェットの機内に、発信音だけが静かに響き始めた。
つづく、2026/05/05