その心をば恋と呼べ(小竜さに)
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ようやく涙が落ち着いたころ、おずおずと体を離すと小竜はあっさりと私を解放した。気まずさから乱暴に目元をこすり、ずっと握ったままだったグラスの中身を一気に飲み干す。小竜はぎょっとして目をむいたが、私が無言で次の1杯を作り始めると諦めたように彼のグラスに手を伸ばした。
「ごめんね、なんか涙腺緩んじゃって」
「いいさ。寧ろ役得ってね」
「それに長船の太刀が、いろいろ言ったみたいで」
「あー……それは本当に主が気にすることじゃないから。……というか、さすがにペース早すぎないかい?」
「大丈夫。いつもこのくらいだよ」
日本酒の栓を開けてグラスいっぱいに透明な液体を注ぐ。まったく酔わないわけではないが、まだ許容範囲内のはずだ。それに飲まなければ恥ずかしくてやっていられない。小竜が用意してくれたお酒を片っ端から開封し、順番に胃の中に流し込んでいく。小竜は途中までは私に付き合って酒を干していたが、3杯目くらいからはペースダウンしてジュースに手を伸ばした。
「確かにキミに比べれば、大般若は普通の域に入るだろうね」
「う……でも私も、日本号とか次郎ほど飲むわけじゃないし……」
「あの辺が比較対象な時点で、何かがおかしいと思うんだけど」
「……小竜は? 好きなお酒あるの?」
「特別何か好きってわけではないかな。あえて言うなら、酒よりつまみの方に興味がある」
「ああ、そういうタイプかぁ」
この縁側に腰を下ろしたときからは考えられないほど、穏やかに会話が続いていく。ときどきぎこちない空気は流れるものの、気まずいというほどでもない。小竜の気持ちを聞いて、思いきり涙を流したら、妙にすがすがしい気分になれた。程よい緊張感と安心感の中で過ごす時間は、決して悪いものではない。
「つまり主は、俺にうわばみだって知られたくなくてひた隠しにしてたってわけだ」
「それはちょっと……人聞きが悪いっていうか……」
「はてさて、この小さな体の中に、あとは何が隠されているのやら」
「……小竜だって、ミステリアスなんでしょう? そもそも修行に行く前は、全然私に興味なさそうにしてたのに」
「興味ないなんて言った覚えはないよ。真の主かどうか見定めるには、キミのことを知らなくちゃならない」
「そんな素振りあったかな……」
「……なかったかもね。俺も修行に行ってからいろいろ自覚したところがあるし」
「いろいろって?」
「いろいろ」
他愛もないやりとりがぼんやりと続き、少しずつ深夜に近づいていく。意外にも話題は絶えない。お互いに相手のことを知らなさすぎたから、ちょっとしたことでいつまでも盛り上がることができる。加えて明日は休みだ。これまでできなかった会話が成立することへのうれしさも相まって、なかなか切り上げ時が見つからない。そうこうしているうちに広間や他の部屋からのにぎやかな声も薄れ、私と小竜の声以外には、時折夜風が草木を揺らす音しか聞こえなくなっていた。
「……今日、小竜とちゃんと話せてよかったな」
ぽつりと漏らした本音に、すぐに言葉は返らなかった。たっぷり5秒ほど空けて返ってきた「俺も」という声は、草木のささやきにかき消されそうなほど小さい。
「……小竜は全部自分が悪いって言ったけど、やっぱり私も悪かったと思うな。小竜とこうやってちゃんと話そうとしないで、空回っちゃった。……だから、どっちも悪かったってことにしない?」
「……それでキミは納得できるのかい?」
「うん。どう?」
「……俺としては本意ではないけれど、キミの心が軽くなるなら」
「ありがとう。……さすがにこれ以上は酔っ払うかな。次で最後にしよう」
「えっ、酔い回ってるの? 全然そうは見えないけど」
「顔に出ない体質なんだよね。……あれ、ジュースなくなっちゃった」
「あれだけカパカパ飲んでればね……」
「でもまだ出る気がする……」
「うん、確かに酔ってるな。それは絶対に空だからもう諦めた方がいいよ」
「なんだ、まだやってたのかい?」
オレンジジュースのパックをひっくり返して最後の一滴までグラスに注ごうと奮闘していると、第三者の声が割って入った。見れば寝間着に着替えた大般若が縁側を歩いてくるところで、そういえばここは浴場から彼らの部屋への近道だったと思い出す。
「お風呂上り?」
「ああ、さっきまで広間で飲んでてね。あんたたちはさすがにもう寝たかと思ってたよ」
「うん、このオレンジジュース全部絞り出したら寝るよ」
「ははあ、だいぶ飲ませたな?」
「俺が飲ませたんじゃなくて主が自分で飲んだんだよ」
「だがどこぞの刀に泣かされたことが原因なら、飲まされたと言っても相違ない。だろう?」
小竜がぐっと息をのんで口を閉ざした。慌てたのは私の方で、紙パックを放り投げて大般若に弁解を試みる。
「違うからね? 泣かされたって言っても、うれしくて泣いちゃっただけだから」
「んん? ってことは、つまり……」
「……なに」
「同意を得たってことか?」
「はっ倒すよ」
小竜はひくりと口の端が引きつらせ、少し不機嫌そうに大般若を見上げた。いつも余裕の態度を崩さない彼の珍しい表情を、思わずまじまじと見る。私の視線に気が付いたのか、小竜はハッとこちらを見てからわざとらしい咳払いをした。
「なんだ、違ったか。そりゃ安心だ」
「……口出しはしないんじゃなかったの」
「ああ、もちろん。小竜の好きにしたらいいさ。俺だって好きにやるからね」
「は? それってどういう……」
「なあ、主。小竜とはこんなに遅くまで語らったんだ。俺の修行明けにも、本物のビール用意して朝まで付き合ってくれるんだろう?」
「は!?」
大きな声を上げたのは私ではなく小竜だった。目を見開いて絶句したように大般若を見る姿はこれまた珍しい。どうやら小竜も私と同じように、私の前で見せる顔と他の刀に見せる顔が異なっているようだった。
「キミってやつは本当にっ……俺をからかうの趣味にしてるようなところあるよね……!」
「若いのをいじくり回すのは年長者の特権ってな」
「誤差くらいの年の差しかないくせに年上ぶらないでくれる?」
「誤差とはいえ事実だしなぁ。それに今は小竜をからかってるんじゃなくて主と約束を交わしてるところだ。なあ、主?」
「うん、いいよ」
「!」
「二つ返事で頷いてもらえるとはうれしいね。こりゃあ俺の方が勘違いしそうだ」
「……じゃあ、俺も同席させてもらおうかな。俺だってわざわざみんなに出迎えてもらったしね。燭台切や小豆も誘って、みんなで飲むのも悪くないだろう?」
「ああ、そうだなあ。俺はうまい酒を飲みながら主を口説ければそれでいいさ。外野が何人いようと同じってね」
「寝言は布団に入って言いなよ、おっさん」
しっしと動物を追い払うような仕草をする小竜に、大般若はおもしろそうに笑っておとなしく立ち去った。角を曲がるまでに3回ほど柱や壁にぶつかっていたから、彼は彼でかなり酔っている。翌朝に今の約束を覚えているかも怪しいものだった。
(……いい時間かな)
飲み始めたときに地平線から顔を見せたところだった星座が、今では頭上高くに浮いている。グラスもちょうど空になった。お開きにするにはいいタイミングだろう。そう告げようと、隣を見る。小竜もまた、こちらを見ていた。
(きれいな目)
どうやらこの頭は自分で思っているよりもずっと、アルコールに浸食されているらしい。脈絡もなく、そんなことを考えた。人間にはありえない、透き通る紫色の瞳。日の出前の空を映した双眸は、今この場にある、何よりも美しい。視線どころか意識までもが、その美しい刀に奪われる。小竜は嫌がるでもなく、ただくすぐったそうに笑った。
「そんなに見つめられると、穴が開いてしまうかもしれないな」
「きれいだなって思って」
「……口説いてる?」
「ご、ごめん、そう聞こえた?」
「……冗談だよ。この時間が終わるのが惜しくて」
引き延ばす理由を探してしまう。そう続けた小竜は笑ってはいるものの確かに少し寂しげに見えた。少しだけ、心が揺らぐ。私だってこのひとときを終わらせてしまいたいわけではない。もっと彼と話をしてみたい。もう少しだけ、この美しい紫苑を見ていたいというのが本音だ。
「この夜がずっと続いて、朝が来なければいい。そうは思わないかい?」
「……そうだね、楽しい時間の終わりを望む人はいない。でも小竜、私は明日の小竜にも会いたい」
「……へえ、ずいぶんと詩的なこと言うんだね」
「だって、この夜が続くだけじゃつまらないよ。明日、小竜がどんな寝癖をつけて広間に来るのか見たい。休みの日に何をしてるのかとか、仲が良い刀がいるのかとか、そういうことをもっと知りたい。せっかく仲良くなれそうなのに、この夜しか知らないなんて、もったいないよ」
「……まったく、それで口説いてないなんて言うんだから困りものだね」
「ふふ、それも冗談でしょう?」
「いいや、本音」
「え……」
つぶやくような低い声とともに、突然視界が暗く染められた。目元を覆ったわずかな体温が、そこにあるのが小竜の手のひらだと教えてくれる。狼狽えて彼の名を呼ぶも返事はない。代わりと言わんばかりに聞こえた衣擦れの音とともに、すぐそばに何かの気配を感じ――やわらかな感触が、小さなリップ音とともに額に触れ、すぐに消えた。
「……え?」
「さて、それじゃあ俺も、明日の主に会いに行くとするかな」
「ま、まって小竜、あれ、え?」
「おやすみ、主」
いったい何が起こったのだろうか。
状況を正しく理解する前に、小竜はテキパキとお酒やグラスをお盆に乗せて厨房の方へ消えてしまう。中途半端に持ち上げた右手はそのままに、しばらくの間、考える。
(あれ? 今、おでこにキスされた? あれ? あれ? 主と刀ってそういうことするんだっけ? ……あれ?)
頭の中に疑問符が浮かんでは、まともな答えを出せないままぐるぐると思考の渦にのまれていく。アルコールのせいか混乱しているせいか、うまくものを考えられない。
「ああ、そうそう」
ピシリと固まったまま呆然と縁側の先を眺めていると、消えたはずの小竜が曲がり角からひょこと顔を出した。彼は私の表情を認めると、一拍の間を置いてふっと吹き出すように笑いを零す。バカにしているようではない。安心したような、あるいは――特別愛しいものを見たときのような、そんな笑みだった。
「言い忘れたけど、明日と言わず、俺の夢に会いに来てくれるぶんには大歓迎だよ。まあそんなことになったら、今度こそ朝を恨むしかなくなるけどね」
「えー……っと……?」
「じゃあ今度こそおやすみ。俺のかわいい主」
「お、おやすみ……?」
訳が分からないながらもなんとかあいさつだけは返すと、小竜はニッと口角を持ち上げた。よく見慣れた含みのある表情とは少し違う。目を三日月の形にして、歯を見せて笑う――まるで子どものような笑い方。初めて見る表情に、またしても目を奪われる。当の本人は余韻も何もなく姿を消したが、頬と額、それから胸の真ん中に残された熱は、一向に消える気配がない。熱は心臓から血管へ、そして全身へとまるで毒のように回り、静かに存在感を増していく。体の全部が脈打つような鼓動の正体には、覚えがあった。
(いや……うそでしょ……?)
随分と久方ぶりの感覚。審神者が、自分の刀に対して抱く思いとしては、決して正しくはない。けれど、そうなのだと熱が叫ぶ。
耳が熱い。頬が燃える。熱に侵された頭が理性を端に追いやり、あばらの裏側をぎゅうと締めつける。
この、およそ正常とは言いがたい感情に名前をつけるならば――人はきっと、恋と呼ぶ。
「ごめんね、なんか涙腺緩んじゃって」
「いいさ。寧ろ役得ってね」
「それに長船の太刀が、いろいろ言ったみたいで」
「あー……それは本当に主が気にすることじゃないから。……というか、さすがにペース早すぎないかい?」
「大丈夫。いつもこのくらいだよ」
日本酒の栓を開けてグラスいっぱいに透明な液体を注ぐ。まったく酔わないわけではないが、まだ許容範囲内のはずだ。それに飲まなければ恥ずかしくてやっていられない。小竜が用意してくれたお酒を片っ端から開封し、順番に胃の中に流し込んでいく。小竜は途中までは私に付き合って酒を干していたが、3杯目くらいからはペースダウンしてジュースに手を伸ばした。
「確かにキミに比べれば、大般若は普通の域に入るだろうね」
「う……でも私も、日本号とか次郎ほど飲むわけじゃないし……」
「あの辺が比較対象な時点で、何かがおかしいと思うんだけど」
「……小竜は? 好きなお酒あるの?」
「特別何か好きってわけではないかな。あえて言うなら、酒よりつまみの方に興味がある」
「ああ、そういうタイプかぁ」
この縁側に腰を下ろしたときからは考えられないほど、穏やかに会話が続いていく。ときどきぎこちない空気は流れるものの、気まずいというほどでもない。小竜の気持ちを聞いて、思いきり涙を流したら、妙にすがすがしい気分になれた。程よい緊張感と安心感の中で過ごす時間は、決して悪いものではない。
「つまり主は、俺にうわばみだって知られたくなくてひた隠しにしてたってわけだ」
「それはちょっと……人聞きが悪いっていうか……」
「はてさて、この小さな体の中に、あとは何が隠されているのやら」
「……小竜だって、ミステリアスなんでしょう? そもそも修行に行く前は、全然私に興味なさそうにしてたのに」
「興味ないなんて言った覚えはないよ。真の主かどうか見定めるには、キミのことを知らなくちゃならない」
「そんな素振りあったかな……」
「……なかったかもね。俺も修行に行ってからいろいろ自覚したところがあるし」
「いろいろって?」
「いろいろ」
他愛もないやりとりがぼんやりと続き、少しずつ深夜に近づいていく。意外にも話題は絶えない。お互いに相手のことを知らなさすぎたから、ちょっとしたことでいつまでも盛り上がることができる。加えて明日は休みだ。これまでできなかった会話が成立することへのうれしさも相まって、なかなか切り上げ時が見つからない。そうこうしているうちに広間や他の部屋からのにぎやかな声も薄れ、私と小竜の声以外には、時折夜風が草木を揺らす音しか聞こえなくなっていた。
「……今日、小竜とちゃんと話せてよかったな」
ぽつりと漏らした本音に、すぐに言葉は返らなかった。たっぷり5秒ほど空けて返ってきた「俺も」という声は、草木のささやきにかき消されそうなほど小さい。
「……小竜は全部自分が悪いって言ったけど、やっぱり私も悪かったと思うな。小竜とこうやってちゃんと話そうとしないで、空回っちゃった。……だから、どっちも悪かったってことにしない?」
「……それでキミは納得できるのかい?」
「うん。どう?」
「……俺としては本意ではないけれど、キミの心が軽くなるなら」
「ありがとう。……さすがにこれ以上は酔っ払うかな。次で最後にしよう」
「えっ、酔い回ってるの? 全然そうは見えないけど」
「顔に出ない体質なんだよね。……あれ、ジュースなくなっちゃった」
「あれだけカパカパ飲んでればね……」
「でもまだ出る気がする……」
「うん、確かに酔ってるな。それは絶対に空だからもう諦めた方がいいよ」
「なんだ、まだやってたのかい?」
オレンジジュースのパックをひっくり返して最後の一滴までグラスに注ごうと奮闘していると、第三者の声が割って入った。見れば寝間着に着替えた大般若が縁側を歩いてくるところで、そういえばここは浴場から彼らの部屋への近道だったと思い出す。
「お風呂上り?」
「ああ、さっきまで広間で飲んでてね。あんたたちはさすがにもう寝たかと思ってたよ」
「うん、このオレンジジュース全部絞り出したら寝るよ」
「ははあ、だいぶ飲ませたな?」
「俺が飲ませたんじゃなくて主が自分で飲んだんだよ」
「だがどこぞの刀に泣かされたことが原因なら、飲まされたと言っても相違ない。だろう?」
小竜がぐっと息をのんで口を閉ざした。慌てたのは私の方で、紙パックを放り投げて大般若に弁解を試みる。
「違うからね? 泣かされたって言っても、うれしくて泣いちゃっただけだから」
「んん? ってことは、つまり……」
「……なに」
「同意を得たってことか?」
「はっ倒すよ」
小竜はひくりと口の端が引きつらせ、少し不機嫌そうに大般若を見上げた。いつも余裕の態度を崩さない彼の珍しい表情を、思わずまじまじと見る。私の視線に気が付いたのか、小竜はハッとこちらを見てからわざとらしい咳払いをした。
「なんだ、違ったか。そりゃ安心だ」
「……口出しはしないんじゃなかったの」
「ああ、もちろん。小竜の好きにしたらいいさ。俺だって好きにやるからね」
「は? それってどういう……」
「なあ、主。小竜とはこんなに遅くまで語らったんだ。俺の修行明けにも、本物のビール用意して朝まで付き合ってくれるんだろう?」
「は!?」
大きな声を上げたのは私ではなく小竜だった。目を見開いて絶句したように大般若を見る姿はこれまた珍しい。どうやら小竜も私と同じように、私の前で見せる顔と他の刀に見せる顔が異なっているようだった。
「キミってやつは本当にっ……俺をからかうの趣味にしてるようなところあるよね……!」
「若いのをいじくり回すのは年長者の特権ってな」
「誤差くらいの年の差しかないくせに年上ぶらないでくれる?」
「誤差とはいえ事実だしなぁ。それに今は小竜をからかってるんじゃなくて主と約束を交わしてるところだ。なあ、主?」
「うん、いいよ」
「!」
「二つ返事で頷いてもらえるとはうれしいね。こりゃあ俺の方が勘違いしそうだ」
「……じゃあ、俺も同席させてもらおうかな。俺だってわざわざみんなに出迎えてもらったしね。燭台切や小豆も誘って、みんなで飲むのも悪くないだろう?」
「ああ、そうだなあ。俺はうまい酒を飲みながら主を口説ければそれでいいさ。外野が何人いようと同じってね」
「寝言は布団に入って言いなよ、おっさん」
しっしと動物を追い払うような仕草をする小竜に、大般若はおもしろそうに笑っておとなしく立ち去った。角を曲がるまでに3回ほど柱や壁にぶつかっていたから、彼は彼でかなり酔っている。翌朝に今の約束を覚えているかも怪しいものだった。
(……いい時間かな)
飲み始めたときに地平線から顔を見せたところだった星座が、今では頭上高くに浮いている。グラスもちょうど空になった。お開きにするにはいいタイミングだろう。そう告げようと、隣を見る。小竜もまた、こちらを見ていた。
(きれいな目)
どうやらこの頭は自分で思っているよりもずっと、アルコールに浸食されているらしい。脈絡もなく、そんなことを考えた。人間にはありえない、透き通る紫色の瞳。日の出前の空を映した双眸は、今この場にある、何よりも美しい。視線どころか意識までもが、その美しい刀に奪われる。小竜は嫌がるでもなく、ただくすぐったそうに笑った。
「そんなに見つめられると、穴が開いてしまうかもしれないな」
「きれいだなって思って」
「……口説いてる?」
「ご、ごめん、そう聞こえた?」
「……冗談だよ。この時間が終わるのが惜しくて」
引き延ばす理由を探してしまう。そう続けた小竜は笑ってはいるものの確かに少し寂しげに見えた。少しだけ、心が揺らぐ。私だってこのひとときを終わらせてしまいたいわけではない。もっと彼と話をしてみたい。もう少しだけ、この美しい紫苑を見ていたいというのが本音だ。
「この夜がずっと続いて、朝が来なければいい。そうは思わないかい?」
「……そうだね、楽しい時間の終わりを望む人はいない。でも小竜、私は明日の小竜にも会いたい」
「……へえ、ずいぶんと詩的なこと言うんだね」
「だって、この夜が続くだけじゃつまらないよ。明日、小竜がどんな寝癖をつけて広間に来るのか見たい。休みの日に何をしてるのかとか、仲が良い刀がいるのかとか、そういうことをもっと知りたい。せっかく仲良くなれそうなのに、この夜しか知らないなんて、もったいないよ」
「……まったく、それで口説いてないなんて言うんだから困りものだね」
「ふふ、それも冗談でしょう?」
「いいや、本音」
「え……」
つぶやくような低い声とともに、突然視界が暗く染められた。目元を覆ったわずかな体温が、そこにあるのが小竜の手のひらだと教えてくれる。狼狽えて彼の名を呼ぶも返事はない。代わりと言わんばかりに聞こえた衣擦れの音とともに、すぐそばに何かの気配を感じ――やわらかな感触が、小さなリップ音とともに額に触れ、すぐに消えた。
「……え?」
「さて、それじゃあ俺も、明日の主に会いに行くとするかな」
「ま、まって小竜、あれ、え?」
「おやすみ、主」
いったい何が起こったのだろうか。
状況を正しく理解する前に、小竜はテキパキとお酒やグラスをお盆に乗せて厨房の方へ消えてしまう。中途半端に持ち上げた右手はそのままに、しばらくの間、考える。
(あれ? 今、おでこにキスされた? あれ? あれ? 主と刀ってそういうことするんだっけ? ……あれ?)
頭の中に疑問符が浮かんでは、まともな答えを出せないままぐるぐると思考の渦にのまれていく。アルコールのせいか混乱しているせいか、うまくものを考えられない。
「ああ、そうそう」
ピシリと固まったまま呆然と縁側の先を眺めていると、消えたはずの小竜が曲がり角からひょこと顔を出した。彼は私の表情を認めると、一拍の間を置いてふっと吹き出すように笑いを零す。バカにしているようではない。安心したような、あるいは――特別愛しいものを見たときのような、そんな笑みだった。
「言い忘れたけど、明日と言わず、俺の夢に会いに来てくれるぶんには大歓迎だよ。まあそんなことになったら、今度こそ朝を恨むしかなくなるけどね」
「えー……っと……?」
「じゃあ今度こそおやすみ。俺のかわいい主」
「お、おやすみ……?」
訳が分からないながらもなんとかあいさつだけは返すと、小竜はニッと口角を持ち上げた。よく見慣れた含みのある表情とは少し違う。目を三日月の形にして、歯を見せて笑う――まるで子どものような笑い方。初めて見る表情に、またしても目を奪われる。当の本人は余韻も何もなく姿を消したが、頬と額、それから胸の真ん中に残された熱は、一向に消える気配がない。熱は心臓から血管へ、そして全身へとまるで毒のように回り、静かに存在感を増していく。体の全部が脈打つような鼓動の正体には、覚えがあった。
(いや……うそでしょ……?)
随分と久方ぶりの感覚。審神者が、自分の刀に対して抱く思いとしては、決して正しくはない。けれど、そうなのだと熱が叫ぶ。
耳が熱い。頬が燃える。熱に侵された頭が理性を端に追いやり、あばらの裏側をぎゅうと締めつける。
この、およそ正常とは言いがたい感情に名前をつけるならば――人はきっと、恋と呼ぶ。